《午後4時 千葉県船橋市 ガレージ》
貴章の仕事場兼作業場であるガレージには、貴章のインプレッサと、エンジンルームが空っぽのFC3S、そしてリカが乗るFD3Sが停められていた。
「ごめんネ、学校の帰りにこんなところに寄ってもらっちゃって。」
「アハハ、大丈夫ですよ。もう推薦で大学決まりましたし。」
「そうなの? ……この時期で決まるなんて早いね。」
「おかげでみんなとは少し距離ができちゃって。」
「ああ、わかる。『こちとらまだ決まらんのに、何ちゃっかり受験生生活終わってんだよ。』とか言われそう。」
推薦で大学進学が決まり、無事
今回のFCの制作も、どうせならということで(半ば強引に)雑誌の企画に吸収されることになった。そして3ローターを自作するにあたり、ベースとなるロータリーエンジン、そしてオリジナルで制作しないといけないエキセントリックシャフトを購入することになった。その候補をリカが探し出しているという状況だ。
「それより、RX-7に乗ってみてどう思った?」
不意に質問を投げる貴章。今日リカの運転するRX-7を初めて見たが、本当に初心者ドライバーが運転しているのかと疑うレベルだった。
「うーん、お父さんのGT-Rよりも落ち着かない感じ? 速いし、よく曲がるんだけど、どこか無理しちゃってる感じがあるかな。」
「……」
「なんか、お父さんのGT-Rとか明彦クンのポルシェは手を入れてもバランスがとれてるのに、
結構RX-7の本質を突いてくるリカ。感覚的な印象ではあるのだろうが、クルマからのインフォメーションをかなり正確に受け取れる才能が備わっているらしい。
第2世代GT-R、いわゆるR32、R33、R34のGT-Rはメーカー自主規制の280馬力を越えても対応可能なシャシーやエンジンを持っていた。事実、SUPERGTの前身である全日本GT選手権ではぶっちぎりの速さを見せたのは、他でもないRB26DETT搭載のスカイラインGT-Rだった。他メーカーが開発を進めるにおいて、最終的に最後の数年はフロントヘビー解消のために直6ツインターボのRB26DETTから、専用開発のV6ツインターボVQ30DETTに換装されたが、それまでは最強エンジンとしてその座に君臨していたのはRB26DETTだった。
それに対して、マツダが唯一市販車向けの大量生産に成功したロータリーエンジンはハイパワーを出せなくはないが、それはブロー覚悟の下での話だった。ロータリーエンジンの構造上、不完全燃焼しやすいため燃費も悪く、レシプロエンジンに比べて高温になりやすいため部品の劣化が激しかったりと、それはそれで色々な問題点を抱えていた。
1990年代の日本を代表するスポーツカーと言えば、他にもトヨタスープラ、ホンダNSXがあるが、これらもGT-R同様ハイチューンド対応のマシンだ。(スバルインプレッサと三菱ランサーエボリューションは少し畑違いなのでここでは除外。)
パワーを追い求めれば他の場所から悲鳴が上がる。これはチューニングする上では当たり前の事実ではあるが、特にそれが顕著なのがロータリーエンジンというものだった。しかし、レシプロエンジンにはないモーターのような独特な加速感はロータリーならではで、決して低重心ではないが軽量なエンジンが軽やかなコーナリングに貢献している。
「ところで、今造ろうとしているのは、わたしの
最もだ。元々FC3Sも、FD3Sと同様2ローターの13Bを搭載する。ターボの形式は違えど排気量は同じ。それならば、無理矢理ひとつローターを増やして3ローターにする必要は感じられない。
「リカちゃんのFDもそうなんだけど、このFCに積んである13Bっていうエンジンはノーマルの280馬力とか215馬力でバランスがとれたエンジンなんだ。特に軽量化にこだわったFDよりも軽くて設計が古いFCに載ってる13Bをチューニングするとバランスが崩れそうなんだ。……なんていうのかな、エンジンへの負担が大きすぎるんだよ。」
構造上の違いを無視すれば、RB26DETTは2.6Lで600馬力を楽々発生させられるという。それに対して13Bは1.3L。単純比較はできないけれど、ざっと排気量は半分なのに500馬力を絞りだそうとするチューニングは命取りに思える。
そこで、レシプロエンジンではボアアップ、ストロークアップによって排気量を増やす。(Ep.08参照)ロータリーエンジンの場合、ローターを削ったりローターハウジングの拡大は気密性の確保が難しくなるため、ローターをひとつ増やして排気量を増やす手法がとられることがある。
それにより、貴章のインプレッサのエンジン、
それでも3ローター化するメリットがあるから、貴章はFCの3ローター化を決めたのだ。パワーの許容量である。13Bでは280馬力がいっぱいいっぱいだったのに対して、ひとつローターを増やした20B仕様にすることで400馬力辺りまで許容できるようになる。
「3ローターにするだけで、パワーの許容範囲が広がるんだよ。もちろん限度はあるし、ターボを外して
「つまり、エンジンにかかる負担をできるだけ少なくしようということ?」
「まぁ……そうだね。」
「……チューニングしなければいいだけなんじゃないの?」
「……リカちゃん、そこ突っ込まないで。」
―――それは最もなんだけどね。―――
「それにしても、このエキセントリックシャフトって皆あんまり持ってないみたい。……どこも受注生産って書いてある。」
「うーん、やっぱり明彦サンと自作するしかないのかなぁ……。」
やや諦め始めた貴章。どうやら事情を真理子から聞いた昨日の晩からずっと探してくれていたようだが、どこも条件に合致するところがなかった。ローター等は明彦がRX-8ベースの物を用意できたという連絡があったから、残るはエキセントリックシャフトだけという状況だ。
「お父さんも色々探してるみたいだけど、何の連絡もないから、見つからないんだろうネ。」
「……工藤サン位のクラスの人でもダメか……。」
「お父さん、GT-Rのことしか頭にないからあんまりあてにならないかもよ。」
「……そーなの?」
《同時刻 埼玉県和光市 CRS内オフィス》
「……ん!? 」
突然違和感を感じて顔をしかめる工藤。向かいでCRSの電話番兼ライターとして働くコータが不思議そうに見てくる。
「工藤サン、どうかしました?」
「……コータ、お前なんか俺の陰口叩いたか?」
「な、何も言ってませんて!! 」
「……信用できねぇ……。」
「いやいやいや信じるところですヨ、そこ!! 」
かつてRX-7に乗っていたコータにも、コネクションを使いまくって3ローター用のエキセントリックシャフトを確保するように動いてもらっている。しかし、それでもなかなか出てくるものではなかった。オークションに出ていたとしても、13B用のものがほとんどで、欲しい20B用が見当たらない。
「コータ、FCに20Bってどうなんだ?」
「どうでしょうねぇ……。少なくてもユーノスコスモには20Bは搭載されていましたけど、やっぱり燃費は悪いって聞きますね。……でも、加速感は13B以上だとか。」
「ユーノスコスモとFCとFD、どれが一番軽いんだ?」
「そりゃFCでしょうかね。FDは最終的にはスポーツ指向になりましたけど、初期の
「……じゃあコータがFD乗っても大して速くなかったのは、やっぱりお前が重すぎたからなんだな。」
「と、当時はジブンも軽量化してましたッ!! 」
《午後9時 千葉県船橋市 ガレージ》
「リカちゃん、もう帰らなくて大丈夫なの?」
いくら親の工藤がいいと言っていたとしても、さすがにこんな時間まで女子高生を作業場に拘束するつもりはまんざらない。ただでさえ4時からぶっ通しで調べてくれていたのだから、それだけでも十分だ。
「リカちゃん?……ってアレ?」
返事がないのを不思議に思って様子を見に行く貴章。ガレージにはまだFDが停められているから、先に帰ったということはないはずだ。それに、一言もなく帰るような娘には見えない。
「おーい、リカちゃ…………って、……ハハハッ。」
そこにはデスクに突っ伏してスヤスヤ寝息をたてているリカがいた。ここしばらくヨツワ社にバイトしに行って、夜は首都高を走ってと、なかなか忙しく動いていたと話していたのを思い出す。
「そんなタイトスケジュールじゃあ、さすがの女子高生でも疲れるよな……。」
ふとデスクに目をやると、そこにはリカの手書きで様々なショップの名前と工賃であろう金額等がずらりと書き連ねてあった。A4版で軽く4、5枚。一番最後こそ少し字が乱れてはいるが、女の子らしい丸っこいキレイな字で読みやすい。さすが雑誌の編集を手伝うだけあり、必要なポイントだけをしっかり押さえてある、分かりやすいメモだった。
「ほら、リカちゃん、起きなよ。」
貴章はリカの肩を揺するが、リカの方はむにゃむにゃ言うだけで起きる気配がない。よっぽど疲れが溜まっていたのだろう。貴章の方まで睡魔が襲いかかってくる。それほどぐっすり眠っていた。
「しょうがない、インプで送るか。」
作業中だったFCの散らばっているパーツをひととおり揃えてから、インプレッサだけをガレージから出してシャッターを閉める。リカがデスクの上に放っぽっていたFDのキーを取って、プリウスが入っている裏の倉庫にFDを停める。
「さすがに他人のクルマを勝手に運転するわけにはいかないしな……。」
爆睡して起きる様子のないリカをなんとか起こす。完璧に寝ぼけているのか足取りは覚束無い。なんとかインプレッサの助手席にリカを乗せると、貴章は工藤の携帯に連絡を入れる。生憎、工藤の方も電話には出なかったため、やむなくメッセージを録音しておく。
「あ、夜分にすみません、新庄です。リカちゃんをそちらまで送りますね。今日ずっと調べてくれてました。インプレッサで送るので、明日RX-7を取りに来てください。ガレージで保管しておきます。では、失礼します。」
スマホの電源を落とす。貴章はリカをできるだけ起こさないように、そろそろとインプレッサを走らせる。意外としなやかなサスペンションのお陰でゴツゴツとした感触がない。
そして同時に、その柔らかさが少しナーバスになっていた貴章の気持ちも落ち着き、今回の3ローター化の難しさをしみじみと感じさせられていた。
「……やっぱり、FCはちょっと無理させても2ローターのまま進めた方が良かったのかな……。」