《午前5時 首都高速湾岸線 西向き 有明JCT》
まだ日が昇らないこの寒い季節、ハロゲン灯やLED照明が照らす首都高をトラックの間を縫うように走るクルマがいる。そこまでとばしている訳ではないが、結構いい音を夜明け前の首都高に響かせている。
「すみません真紀さん、急に呼び出して。」
「それはいいけど、でもなんでタカのインプで行かなきゃいけなかったの? アタシのZ4は帰ってきてるのに。」
隆介と真紀が今乗っているのは貴章のGDBFインプレッサ。彼が真紀に預けていたクルマだ。昨日の晩、いきなり隆介に明日朝イチでインプレッサを出して欲しいと言われたからこうしてはいるが、イマイチその訳がピンと来ない。隆介が指定した目的地も真紀は全く知らないところだ。
「木更津なんかにこんな朝早くから何の用なの?Zのスーパーチャージャー壊れた?」
「あ、おかげさまでZは絶好調です。」
「じゃあ何なの? 」
「……できたんですって、FC。」
「……!!」
目を見開く真紀。隆介が今回の事情を知っていることにも驚いたが、本当に貴章がFCを作り終えたのが信じられなかった。
「昨日貴章サンからメールきましたけど、なんかすごいことになってますよ。」
「……」
「あ、あれ、真紀サン?」
インプレッサのハンドルを握る力がつい強くなる真紀。この前レイコに言われてからずっと考えてきたことがあった。なぜ、貴章は真紀のクルマをここまで管理、整備してくれるのか。
真紀が首都高デビューしてからずっと貴章がクルマのメンテナンスをしていたから特に気にしたことはなかった。
「なんでだろうね、隆介。」
「はい?」
「タカ、なんでここまでアタシのクルマに手を貸してくれるのかな。」
真紀の言葉数がいつもより少ないこと、そして柄にもなくどことなく意味深な言葉を発する彼女を見て隆介は何を思ったのか、彼はその言葉に応えをすぐに返すことはしなかった。
「ねぇ、隆介はなんでだと思う?」
「わからないです。僕は貴章サンじゃないので。」
「……そうだよね、ごめんネ。」
「でも、嫌々やってるなんてことはないと思いますよ。あの人、純粋にクルマが好きなだけですから。」
「……」
「このインプレッサだってそうでしょ? 300km/hはなかなか出ないけど、280km/hは出せるのに100km/hちょっとでもここまで普通に乗れるクルマなんてそうないですよ。」
最高速マシンはそれに特化するために強化クラッチやガチガチのサスペンションを始め、街乗りには向かないじゃじゃ馬となる。乗りこなすにもそれ相応の技術を要求される。
なのに、このインプレッサはそんな素振りは全く見せない。足は少し硬めではあったり若干クラッチが重たかったりはするが、別に普段のアシとしても何の問題はない。
「あの人にはあの人なりのポリシーがあるはずです。それに向かうためのトライアンドエラーなら何度重ねても苦しくはないはずですよ。……これの前のインプレッサも何本サスペンションぶっ壊したかわからないですもん。その経験を真紀さんのZ4や僕の34Z、FCに生かしてるんですよ。……僕は、貴章サンのポリシーがいいので頼ってるだけなんですけど。」
貴章のポリシー、それは本人から聞いたことはないが『普段のアシにもなる
確かに湾岸線などの超高速エリアでは彼の造ったクルマは勝負権を失う事が多い。しかし、それがテクニカルエリアのC1等を経由すれば話は変わってくる。できるだけドライバーへの負担を少なくするようにセッティングされたクルマはピーク値よりも扱いやすさを重視している。長丁場ではパワーよりもドライバビリティ、トータルバランスが勝る、それはレース界でもお約束だ。
――もしかしたら、アタシもそうなのかも。――
走り始めた時から貴章がセッティングしたクルマに乗ってきた真紀。言わずとも彼女の好みをしっかり押さえたセットを出してくる貴章。それが当たり前のように思っていた。彼のクルマなら思いっきり踏んでいける、そう思っていたし、それは今でも変わらない。
――たぶん、アタシはただ……――
《午前6時前 千葉県木更津市 片桐モータース》
「貴章サーン! ……いないのかな。」
言われるがままにやって来たのは中古車ディーラー。並んでいるのは軽自動車ばかり。銀色の旧型ポルシェとオリジナルカラーなのであろうシアンブルーのRX-8が停まっているが、ナンバーが付いている辺り、売り物ではないのだろう。隆介も言ってはいたが、とてもロータリーのチューニングなんてしているとは思えない。
「あれ、ほんとにどっか行っちゃったのかな……。」
隆介の後ろをトボトボと付いていく真紀。
『……。』
「……!?」
ふと、誰かが呼んでいるような気がした。だが真紀の近くにいるのは隆介ただ一人。しかも彼は前を歩いている。キョロキョロと周りを見渡しても人の姿は見当たらない。それでも、
『こっちだよ。』
「何!? 誰なの!? 」
「え? ま、真紀サン!? 」
その声のようなものが聞こえてくる方に走り出す真紀。車両が並べられている列を通り越して、さらに奥のシャッターが目につく。ピシャリと閉じられているが、アレはこの奥から聞こえる。
『ほら、ここにいるよ。』
「ここ、開けていいの?」
「え、いやわかんないです。……って真紀サン!?」
はやる気持ちを抑えきれなかった真紀は隆介が答えるのも聞かず、少し錆が回って茶色くなっている青いシャッターを引き上げる。潤滑油がちゃんと塗布されているのか、軋むような音はしなかった。
そして、中から顔を出したリアサイドを見たその瞬間、真紀は直感的に理解した。少し顔を出し始めた朝日に照らされて少し赤く、そして一層眩しく見える、その目の前にいる
Z4に乗り換えたことには後悔は全くなかった。素直でいいクルマだし、自分の手足のように動いてくれることに不満はない。だが、ロータリー車、特にチューンドロータリーを見た時にはいつもと言っていい程、後悔と心残りがあった。
真紀が所有していたFCは正直結構アタリのクルマだった。個体差の大きいロータリーエンジンにしては、ノーマルのエンジン自体もシャシー台計測で230馬力を発生していた。カタログ値では215馬力だからそれ以上のタマだ。そして彼女の初めての愛車がそのFCだった。性能以上に思い入れがあったマシンだ。
しかし、メンテナンスをないがしろにしていたことや、当時の彼女のアグレッシブ過ぎて時にラフになる扱い方のせいでブローさせ、クラッシュ。エンジンから出火し、フロントセクションが焼けてしまった。フレーム自体は無事だったもののフロント部分が黒焦げになったクリスタルホワイトのボディは見るに耐えなかった。
もし丁寧に運転できていれば、もっとFCの声を聞いてやれれば……廃車にしてから立ち直るまでずっとそんなことを考えていた。
左ブレーキランプの上に描かれた
それ以外はナンバーなどちょこちょこと変わっているところはあるが、彼女の直感が言っている。
「こ……これ、まさか……。」
すぐ後ろに立っていた隆介はニッコリと笑って頷いた。そして、一言ずつ区切るように、ハッキリと口に出した。
「そうです。このクルマは、真紀サンのFCです。」
信じられなかった。廃車にしたはずのFCがピカピカになって目の前に鎮座していることを。
『久しぶり、だね。』
なんとなくそう呼びかけられた気がした。約2年ぶりの再会だ。
「うん、久しぶり。」
つい感慨深くなってポロリと呟いた。すると、そのFCの前で大の男四人がガレージ内に雑魚寝しているのに気づいた。みんな油汚れで真っ黒になったヨレヨレの作業着からは作業の苛酷さが伺えた。
その時、その中で文字通り床に突っ伏して寝ている人物がもぞもぞと動き出した。うーんと半ば寝ぼけながら唸る彼はむっくりと起き上がる。その場であぐらをかいて今にもまた寝ようとしている人物に、真紀は少し遠慮がちに声をかける。
「あの、タカ? 」
「……ん?……後5分……」
「ねぇ、ターカ!」
「……ほえ?……へあ?…………ああ、真紀か。」
大きなあくびをひとつ。伸びをして首をポキポキ言わせながら夢うつつな状況から抜け出しつつある貴章。おそらく作業が終わったその時点で倒れるように眠りについたのだろう、微妙に汗臭い。
「直してくれたんだね、FC。」
「ん、まあな。でもソイツを引っ張り出してきたのは隆介だぜ。解体に出したはずのFCを積車載っけて。」
いきなり話を振られて困惑する隆介。鼻の頭をポリポリ掻いている。
「悪いが、エンジンの仕様は前とは全くの別物だ。隆介から聞いたか?」
かぶりを振る真紀。気にならないと言えば嘘になるが、さっきはそれどころではなかったのだ。
「スリーローター
「クロスポート? ペリフェラル?何なんですかソレ?」
「隆介には今度説明してやるよ。けど、真紀ならクロスの意味するところはわかるよな。」
「うん。低回転のトルクがすごく細いんでしょ。Z4みたいに下からグイグイ来るエンジンじゃないってことだよね。」
コクリと頷く貴章。コンピューターはこのガレージの主である人物のFDのものをコピーして少し修正を入れただけだという。
「けど、Z4のシルキーシックス……って、真紀のZ4はV8だったっけな。まあNAらしくもロータリーらしくも、高回転になればなるほど気持ちよくぶん回るエンジンだってことだ。……悔しいけど、このオッサンは天才だぜ。一発でここまでエンジン組み上げちゃうんだからさ。」
顎をしゃくってその人物を指す。ひとりだけ簡易ベッドに横になっている。グウグウいびきをかいているのは色黒でがっちりした巨体に整えられた顎髭、そして何より目を引くスキンヘッド。威圧感は凄まじいことこの上ない。
「エンジン、かけてみるか?」
貴章はそう言ってポケットから取り出したキーを真紀に向かって放り投げる。綺麗に放物線を描いたキーは真紀の両手の中に飛び込んでいく。彼女の手の中にすっぽり入ったFCのキーは、2年前の感触と何ら変わりはしていなかった。
「……いいの?」
「いいも悪いも、お前が乗るFCだ。」
何でそんなことを聞くのかと言わんばかりにニヤッと笑みを浮かべる貴章。その後から言葉を発することはなかったが、すくっと立ち上がって、FCのコックピットにつかつか移動する。
真紀も彼に続いて移動した後、久しぶりにFCの運転席に座る。フルバケットシートやところ狭しというように並んだメーター類、そして内装からは本来は生えていないはずの
左足でクラッチを切って、右手でイグニッションキーをひねる。すると、前のボンネットからは逞しい雄叫びがあがった。
13B-MSPベース自然吸気20B改、クロスポート加工エンジンに、火が入った瞬間だった。
「ベッベッベッベッベッ……」と規則正しくアイドリングしているのはまさしくロータリーエンジンの特徴であり、そして何よりこの独特な音はハイチューンドロータリーの証拠だ。
真紀はそこから一度目は軽く、そして二度三度と大きくアクセルを煽る。朝焼けが眩しい早朝のガレージに綺麗に調律されたロータリーサウンドが木霊する。
ベッベッベッヴォンバアァァン……ベッベッバアァァンバアァァン……。
元気よく回るロータリーエンジン。少し痛い位に寒く凍てついた、そしてよく澄んだ冬の空気を震えさせる。ターボチューンでは出せない超高音のエキゾーストノートは、まるでオーナーとの待ちに待った再会への歓喜の叫びだった。
「真紀の原点に帰ってきたって感じだよな。やっぱりFC乗ってる真紀はしっくりくるワ。」
しみじみと900回転前後でアイドリングを続けるロータリーサウンドに耳を傾けていると、ちょうどさっきまで貴章が横になっていた辺りからなにやら茶色い物体がにょきっと生えてくる。言うまでもなくさっき簡易ベッドに寝ていた男だった。
「オイゴラァ、朝っぱらからエンジンふかすんじゃねぇバカヤローッ!!」
「うるせーオッサン。持ち主来たからふかしてもらって何が悪いってんだ?」
「ほざけ。誰がこのエンジン組んでやったと思ってんだ?アアッ!? ちったぁ俺の言うことも聞け!」
「アンタが言うた通りにエンジンのせた後整備してたら、オッサン知らん間にヘッドライトのモーター潰したやろ。誰のせいで2時まで作業してたと思ってるんだ?仕上がったと思って隆介に連絡した後になって気づいたから、相当慌てたんだぞ。グウグウいびきかいてたオッサンは知らんやろうけどネ。」
「にゃにおう!? 」
「「「まあまあ、落ち着いて……。」」」
慌てて仲介に入る三人の男。隆介と元木、そしてRX-8の新田悠祐だ。新田によって動きを抑えられている坊主のオヤジ、片桐義人はあからさまに膨れっ面を浮かべる。その辺り、そこんじょそこいらの小学生並みかもしれない。
「まあ、そのお陰でリトラクタブルを固定式に変更する理由にはなりましたけど。」
貴章の呟きを聞いた真紀はヘッドライトのスイッチをいじる。すると本来パカッと浮かび上がってくるはずのヘッドライトが出てこない。それでも前を明るく照らしている。
「試乗したとき、フロントのリフトが思ったよりもひどくてさ。本当はフロントバンパーにライト着けてリトラクタブルの配線を切るだけでいいと思ってたんだけど。でも20Bに変えてるからフロント重くなってるし、少しでも軽くするのでモーターとかを全部取っ払ったんだよ。」
「でもFCの固定式ヘッドライト化もカッコいいじゃないですか。」
そう言って口を挟んできたのは、さっきから片桐をなだめている新田だ。
「確かにリトラクタブルヘッドライトってRX-7のデザイン上では結構大きいものですけど、でも固定化はそれはそれで結構いかついし。割と直線的なFCには向いてるんじゃないですか。」
「新田さんはRX-8だから、そこは変えられないですもんね。」
「第一、あのデカい図体でリトラクタブルは合わないですよ。」
おそらく店先に停められていたシアンブルーのRX-8が彼のクルマなのだろうと判断した真紀。彼のRX-8もかなり手が込んでいそうな雰囲気があった。真紀はそれとなくあのクルマの
「あの、表のRX-8って、どんなカンジなんですか?」
「いや、このFC程はすごくないですよ。13B-MSPをブリッジポート加工。エンジン本体はドライサンプ化した位でそんなに変更してないです。」
「エンジン本体は?」
「ええと、吸排気系はオールワンオフ。直管チタン製エキゾーストです。」
「チタン製……すごいですね。」
そこですでに感心しきっていた真紀に、貴章はニヤニヤと笑みを浮かべて付け加える。
「新田さんのRX-8はそんなもんじゃないぜ。駆動系はなんとトランスアクスル方式ときた。まさか924と同じことをするなんてな。」
「トランスアクスル?」
トランスアクスル方式は、ミッション等の駆動関連パーツをリアタイヤ付近に積む方式。ミッションの位置によってはセミトランスアクスルというのもあるにはあるが、重くなりやすいためにあまり見かけない。トランスアクスル方式化はそれなりにコストもかさむが、何よりエンジンの後方に取り付けられる巨大なミッションがリアサイドに置くとなれば、余ったスペース分だけエンジンを後方にマウントできる。フロントミドシップのRX-8にはさらにもってこいだった。
しかし、真紀にはひとつある疑問が生じた。元々50:50の前後重量配分を変える必要があるのかということだ。
「でも、そんなことしたら前後重量配分が……」
「ええ、たしか42:58位じゃなかったかな。リア寄りですよ。20Bに換装したら48:52位にはなるんじゃないですかね。……でも、前後重量配分50:50が理想だというのは、FRに限ればの話ですよね。だって、F1にWECのLMP1はMRじゃないですか。しかもピュアスポーツを売りにするポルシェ911シリーズはRRですし。」
「……!!」
「確かに、理論的には最高ですよ。けど、実際はそうでもないんですよね。多少後ろが重い方が速かったりはするんです。もちろん定常円旋回なら間違いなく50:50ですよ。けど首都高でそれだけってことはないでしょ。」
「しかも、俺たちはその実例を見てるんだぜ、真紀。しかもつい最近。」
「……あ、ブラックバード?」
「そう。島サンのポルシェがそうじゃん。……とまあ、新田サンのRX-8のスゴさはこんなもんじゃないんだけど、今はこの辺りにしておいて……。真紀、実走行くぞ。」
いきなり走りに行こうとする貴章。しかし、その気持ちは真紀も同じだった。
「新田サンのRX-8が前、その後ろを真紀が走って。俺と明彦サンはインプとポルシェで追っかけるから。」
「タカ、大丈夫なの? 皆寝てないんじゃないの?」
「平気ですよ。こんなにスゴいFCのテストランを一緒にできるなんてそうそうないですもん。」
「それに、僕らはそこそこ寝てるんです。寝れてないのは貴章クンだけだよ。」
それぞれ新田、元木。そうは言うが彼らはまだ微妙に疲れが残っている気がする。しかし、ここで断るわけにもいかない。いつも通り、貴章を少々いじる小悪魔モードを発動する。
「でも、タカってインプ久しぶりだよねぇ。こんなに速そうなクルマについてこれないんじゃない?」
「んだと!? 」
いつぞや、どっかの走り屋が言っていた。『走り屋は負けず嫌い』だと。ものの見事にのせられた貴章。真紀はいたずらっぽい笑みを浮かべたままFCのギアを
いつの間にその全貌を見せていた朝日は、シャッターを開けた時よりもさらに明るくFCを照らす。白い排気ガスがマフラーから吐き出される。
店の外に出たFCは、オーナーの真紀の手によって再び走り出す。この時期にしては珍しい、雲ひとつない朝焼けの中、赤い東の空に浮かぶ朝日を横目に、純白のボディを纏ったFC3S RX-7はクロスポート加工の20B
RX-8のトランスアクスル化なんてできるのかわかんない……。できてもやらんよな、きっと。
感想、お待ちしてますw。(おこがましいな……。)