サーヴァントに成長はない。
魔術師の間では、一般的な認識である。
サーヴァントとは、座に刻まれた英霊の一面を、クラスの型に当てはめ、抜き出したものだ。召喚されるものはあくまで端末で、本体へのフィードバックは皆無と言わずとも、ほとんどゼロに等しい。
もちろん、意思を持つ個としてある以上、一度の現界の間における経験の蓄積は存在する。しかしながら、パラメータの推移と言う意味では、サーヴァントが召喚された時よりも成長するというのは、滅多に起こり得ないことであった。
もっとも、これは通常の召喚の場合である。
カルデア式の召喚は特殊であり、この法則とは少々事情が異なっていた。
サーヴァントのパラメータは途中で変わることはないが、召喚するマスターによっては大きく異なってくる。魔力の相性、そして単純な魔力量などが絡むためだ。
そして、魔力を電力で補うカルデア式においては、その数値が一つの数値に定まらない。追加の魔力リソースを注ぎ込むことで、特定の英霊への魔力供給増進、魔力特性の最適化を図ることができるのだ。
それが一定の領域に到達すると、能力をより効率的に発揮できるよう、姿かたちまで変わる現象が確認されている。
つまり、カルデア召喚システムは、英霊の成長を可能としたのである。
カルデアではこれを、霊基再臨と呼んでいた。
「うーん、ここまでの成長は初めてだね。恐らく、カルデアのシステムの限界近くまで来たんじゃないかな」
「ありがとう、ダヴィンチちゃんさん。そして、マスター。胸がドキドキして、踊り出してしまいそうだわ。ヴィヴ・ラ・フランス!」
そして今、赤のドレスから輝く純白へと召し替えたマリー・アントワネットは、紛れもなく、この理論における一つの極点に達していた。
「しかし、王妃様をどかどか強くして最前線に送り出すなんてねぇ……天才の私には、思いつかない戦法だ。恐れ入った」
「ちょっ……変な言い方やめてよ、ダヴィンチちゃん!目を離すとすぐに敵陣の真ん中に飛び込ぶの、マリーちゃんの方だからね!?俺はもう、心配で心配で……」
「でもどういうわけか、後衛よりも元気に帰ってきますよね……どうなってるんでしょう」
「……まあね。どうなってるんだろ、ほんと。オーラなのかな、やっぱり」
ニコニコと微笑んでいるマリーを囲んで、どこか気の抜けた論争が飛び交う。
最近になって、特異点修正から次の特異点を探すまでの間に自然と流れるようになった、和やかな時間だった。
『えーと、コホン。歓談中すまないけど、マシュ。そろそろメディカルチェックの時間だ。準備できるかな?』
不意に、宙空に半透明のモニターが現れる。司令代行にして医療面を一手に引き受ける、ロマニ・アーキマンの呼びかけである。
彼の言葉に、マシュは慌てて時間を確認した。
「あ、すみません、ドクター。もうこんな時間……不覚です」
「いってらっしゃい、マシュ」
「はい!それでは先輩、失礼します」
そそくさと扉をくぐるマシュを見送り、さて自分も……と、立香は部屋を出ようとする。
その袖を、真白な手袋をはめた手が、控えめに掴んだ。
「待って、マスター。せっかくだから、少し付き合っていただけないかしら」
立香を引き止めたのは、未だ興奮を抑えきれぬ様子のマリーである。
並の男ならそれだけで虜になってしまいそうな美貌と、その魅力的な表情。
しかし、立香は言い知れぬ不安感を覚えていた。
それはある種の経験則であった。
〜〜〜
「え〜い、ヴィヴ・ラ・フラーンス!」
「おああああぁぁぁあああっ!?」
ジェットコースターなど生温い。
まるで読めない軌道で飛んだり跳ねたりするガラスの馬の上、立香は恥も外聞もなく、マリーの腰にしがみつくことしかできなかった。
「マリー、ちゃ、これっ、は……!」
「慣らし運転みたいなものよ。せっかくマスターが、こんなにも私を育ててくれたのだもの!一番近くで、キラキラしているところを見せたくって」
気持ちはありがたいと立香は思うが、回転する景色と顔にビシビシ当たるツインテール以外、目に入るものはない。
ある程度の災難は覚悟していた立香だったが、ここまでを想定しなかった自分の浅慮を恥じる。
普段はふんわりしたお姫様然としているが、そもそもマリーは超がつくお転婆なのだ。力を得た彼女の付き添いがこうなってしまうのは、自明の理であった。
「ごめ、マリーちゃん……下ろ、して……ゲロ上がってきた……」
「少しくらい汚れたって、洗えばいいじゃない!私はちっとも気にしません!」
そして器がデカすぎる。不必要な方向に。さらに加えて、気遣いは方向音痴である。
白百合の輝きに吐瀉物が混ざるという冒涜的状況ーー何とかそれだけは避けようと、立香は精神力の全てを傾けた。
〜〜〜
「…………マスター?……マスター?」
永遠とも思える恐怖のマリーコースターがいつ終わったのか、立香はあまり覚えていない。気付いた時には、木陰で若草を枕に寝転がっていた。マリーはその横に座って、立香の顔を覗き込んでいる。
シミュレータの中だというのに、不思議と安心する香りを感じた。
「ごめんなさい、マスター。少し、はしゃぎ過ぎてしまったかしら」
「ああ……うん。自覚があるならいいや」
鈴が転がるような声で謝られると、許さない方が難しい。彼女にそういうスキルが備わってることを知っていても、抗い難いものである。
それに、マリーが無垢にはしゃいでくれるということ、それ自体は喜ばしいことに違いないのだ。
「マリーちゃんさ、戦ってる時……結構怖い顔してることあるよね」
「えっ」
ふと立香の口を割って出た言葉に、マリーは一瞬色を失う。
気付いていたの、とその表情が言っている。
彼女の反応に、立香はマリーが率先して前に飛び込んでいく理由を見た気がした。
「ごめんね、笑顔だけを見せていたいって気持ち、分かってはいるんだけど……やっぱり、気になる」
「もう、謝らないで。そうよね……見えてしまうものよね」
マリーはバツが悪そうに、しかし恥じ入る様子はない、密やかな微笑みを浮かべた。
「どう言えばいいのかしら……張り切ってしまうの。柄ではないのだけど」
別に責めているわけではない、と伝えようとした立香だが、その言葉を呑み込んだ。これは言い訳ではなく、告白だ。この言い方は失礼だと思い直した。
「……前に伝えたでしょう?私は、私を終わらせた祖国も、民も恨んではいない。さすがに息子のことは、なかなか受け入れ難かったけれど、それだって折り合いをつけたつもりなの。望まれるように生き、望まれるように死んだ。やり直しも、改変も、必要のないことだと思っているわ」
遠い目をして思いを馳せている、のではなかった。
立香を見つめたマリーの瞳には、紛れもなく、今の彼が映っていた。
「けれど、今貴方に降りかかる災厄を受け入れるつもりはありません。私は、貴方を守りたい。最後の、最後まで」
それだけが望みなの、と。マリーははにかんだ笑みを浮かべた。
「青い空が好きだわ。流れる雲も、輝く星も。風にそよぐ花も、木の葉のざわめきも。豪華なドレスも、華やかな音楽も、市場の喧騒や笑い声も、みんなみんな愛おしい。……貴方は、それを取り戻すために立ち上がった。星をも覆う炎に立ち向かうと決めた。そんな姿を見せられたら……私も、中途半端ではいられないでしょう?」
「……そんな大層なものじゃないよ。偶然、そういう立場になったわけだし、戦ってるのも、何というか……選択の余地なしって感じで……」
「選択肢があっても、マスターは戦うことを選んだと思うわ。貴方はそういう人。だから私は、『貴方を守りたい』と言ったの」
人理を守りたい、ではなく。
貴方を守りたい。
キラキラとした、貴方を。
マリーは、そう言葉を重ねた。
その声音に、立香はこれ以上の謙遜が無粋であることを理解した。今の彼女に伝えるべき言葉は、一つきりだ。
「……ありがとう。頼りにしてる」
立香が素直にそう告げると、マリーは、今日一番の笑顔を見せた。
「ええ、ええ!私に任せてね!」
白百合の花が咲く。
ただ無垢なだけではなく、威厳すら讃えたその姿。特別ではない等身大の思いでも、強く深い決意。
動乱に命を散らした王妃が、何故一騎当千の英霊たり得るのかーー立香は、その答えを見た気がした。
その語らいの、ずっとずっと先のことではあるが。
時間神殿の戦いにおいて、最後まで立ち続けたのは、誰あろうマリー・アントワネットだった。