She Got The Sun
金属同士が強烈にぶつかり合う音が響き渡る。
背景はルーレットのように回り続け、変化を遂げる。
互いの創り出す世界の衝突。それに寸分の間違いもなく、価値の優劣なども無い。
靴の擦れる音。髪から揺れ落ちる汗。交わる息遣い。隙のない眼差し。
あらゆる要素全て、が今の激闘を創り出していた。
「––––––ッ」
彼女のサーベルが私のレイピアと衝突する。生じた振動が心臓にまで伝わる。
弾き返し、彼女の左肩の上掛けに目掛け、力を込めて勢いよくレイピアを突き出す。しかし伏せられたことによって躱される。
攻撃を躱した彼女は、私の懐に入り込み、右膝を前に、左足を膝が地面に着くぐらい後ろに伸ばしていた。ふくらはぎが膨らみ、レッスンで鍛えられた筋肉が露わとなる。
––––––斬り上げ!
そう判断して後ろへ引き下がり始めた時には、もう遅かった。
右足を強く踏み込んで地を蹴る。次いで踏み出される左足。左足が地を踏んだと同時––––––サーベルは放たれた。
「––––––ッ…ハァッ!」
僅かに身体には当たらなかった。しかし左肩の上掛けを留めていたボタンは弾き飛ばされた。
黄金に輝くボタンは宙を舞い、私のすぐ背後に落ちた。音がしたと同時に、上掛けは静かに地に着いた。
「––––––」
––––––ああ、負けたのね、私。
生まれて初めての敗北は、案外すんなりと受け入れることができた。
不思議と頭の中はスッキリしている。白と黒の2色しかない。とてもシンプルだ。
目を閉じると、世界は真っ暗になった。
私が魅せた世界は、果たして何色だったのかしら。
何かが地に着く音がした。
それが雨粒がアスファルトに打ち付けられる音ではなく、滴り落ちる汗だと気付いたのは、そう遅くはなかった。
スポットライトに照らされ、レイピアを片手に息を切らす彼女。しかし俯いていることにより、その表情は窺い知れない。
対して、私の足元には影が無く、ただただスポットライトに照らされる彼女を見るだけだ。
「アンタ、なんで」
彼女は聞く。顔は俯いたまま、しかし声は憤怒の色に染まっている。
「なんで、とは」
口にすると、下を向いていた彼女の顔が上がる。顔を崩し、憤怒と屈辱が混ざった泥のような緋色の眼差しを私に向けた。
「アンタは、こんなに弱いはずがないわ!」
美しい金髪を激しく揺らす。揺れるたびに汗が乱暴に宙を舞う。
弱い。
その言葉は、一切の障壁をなしに心の底に落ちて、水に落ちた絵の具のように静かに染み込んだ。
「いいえ、私は弱いです。あなたが、勝手に幻想を私に抱いていただけです」
「違うわ。アンタはもっと煌めいていた。アンタはもっと、上を見ていた」
「上など見ていません。だって、そこに立てば見上げる必要なんてないのだから」
そこは太陽に近づく台ではない。太陽そのものなのだ。
彼女はそれを理解していなかった。
「あなたは縮まるはずのない私との距離を縮め、私からスポットライトを奪ってみせた」
それがたとえ偶然だとしても、彼女は光を浴びている。舞台は彼女を選んだ。
「きっと、血が滲むほどの努力をしたのでしょう」
それが西條クロディーヌなのだ。
追いつくはずのないモノに追いつこうと手を伸ばし、挫折を知りながらも必死に手を伸ばし走り続ける。
小さい世界では天才子役。
しかし、一度外に足を踏み入れれば準主役。
挫折なんて知らない私とは正反対の生き方だ。
「1つ、言っておきましょう、西條さん」
おそらく彼女は理解してない。
トップスタァになるということを。人を見下ろし、立ち向かう者を迎え撃つ意味を。
「夢は見るものではなく、魅せるものです。それがトップスタァならば尚更」
唇を噛む彼女の姿はとても弱々しい。かつての勝気な顔は見る影もない。
「あなたはトップスタァに何を望んだ?自分自身が変わるなどと、思ったのですか」
否定も肯定もしない彼女は、ただサーベルを強く握りしめるだけだった。
「笑止千万。トップスタァに変化はない。ただ″己″がそこに立つだけです」
自分が変わるのではない。周りを変えさせる。
それこそがトップスタァ。
私がトップに立ち続けて見つけ出した、真の答えだ。
輝くのはオデットだけ。他は助演でありモブだ。
「あなたがトップスタァになれば、あなたの世界、即ち願いが舞台となるわ」
真のトップスタァは、舞台を引き寄せる。舞台を創るのは
「あなたが魅せる世界は、果たしてどうなるのでしょうか」
「私の、世界」
その緋色の瞳に映る世界はどう染まっているのか。それは彼女にしかわからない。しかし、大方の予想はつく。
顔を歪め、緋色の瞳が強く閉ざされる。汗が額を流れる。息が荒くなる。心臓の鼓動も、手に取るようにわかる。
「違うわ、こんなの、私が魅せたい世界じゃない!」
頭を抱え、何度も地面に額を打ち付ける。血が滴り落ち、衣装に染みる。しかし、それでも彼女は叫びを止めない。
叫んで、叫んで、叫ぶ。断末魔にも似た叫び声を、喉が千切れそうなぐらいに放つ。
「そうよ、もっと叫びなさい」
太陽をつかんでしまった彼女は、死にも勝る苦痛を味わう。
あなたのその、子供が描いたような眩しくて甘い世界。
私はどうしようもなく、その世界が愛おしい。見たい。その世界を見てみたいし、演じたい。
「固執しなさい」
その世界に。
あなたはその執念が無ければ、脆くてすぐに折れてしまう。
「天堂真矢、アンタなんか、倒さなきゃよかった」
「ですが倒さなければならなかった。なぜなら、あなたは私の日陰であり、追う者であるから」
太陽をつかめない。ただ手を伸ばすだけ。背伸びをして、少しでも近づこうと抗う。
それが西條クロディーヌなのだ。
だからこうして、私の足元から影が消えた瞬間から。
太陽であるべき天堂真矢は天堂真矢ではなくなり。
日陰であるべき西條クロディーヌは西條クロディーヌではなくなった。
お互いに、自分ならざらぬ者へと変わったのだ。
「あなたは、私に立ち向かう運命にある。私は、あなたを迎え撃つ運命にある」
その運命は不変。
私たち2人以外にはこなすことのできない、替の効かない役。
「私は、今を否定するわ」
「では私は、私を肯定します」
そして荒波のように私を飲み込む舞台袖。彼女の姿は、視界からすぐに消えた。
「あなたは、トップスタァになるには
彼女はあのティアラに何を願うのか。
それは私にはもちろん、恐らく彼女にもわかっていない。
「せめて、美々しく抗い、背を伸ばしなさい」
彼女はまだ、舞台の狂気に取り憑かれていない。
舞台の狂気を知るには、狂気に取り憑かれるしかない。その狂気に取り憑かれるには、狂気に取り憑かれた人間に指導を賜るしかない。
「楽しみね、あなたの世界が」
私と彼女は太陽と月。
永遠に追いつくことはなく、しかしこの世界には必要不可欠な存在。舞台を照らすのは私たちだ。
しかし、彼女は自分が月であることをまだ自覚していない。太陽に手を伸ばし続ける、無知で愚かな月なのだ。
月が太陽をつかめば、それは全ての終わり。
終わるはずのなかった、この舞台劇の名は。
–––––– ″
そして物語は舞台へ。