愛すべき吸血姫   作:トクサン

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知らぬが花

 

「ユウ! 一体、その姿は……!」

「申し訳ありません陛下、任務を達成できず……お恥ずかしい限りです」

 

 帰城して直ぐに評議会室に招集されたユウ、その部屋には聖王とユウ、そしてマロニーとドンの四名が揃っていた。他は皆城に居ない者達だ。ユウを除く三人はまるで信じられない物を見たと言わんばかりに彼を凝視している。

 

 聖王の前で跪くユウ。あれ程美しく、神聖さすら感じていた彼の鎧は見るも無残に汚れ切っていた。節々には土や砂が詰まり泥に塗れている。ユウ自身の体にも所々掠り傷が見え、特にプレートメイルの胸部が大きくベッコリと凹んでいた。一体どれほどの力を加えれば確かな頑強さを持つこの鎧を凹ませられると言うのか。それこそ人外の膂力を持った存在の仕業だろう。聖王は顔を蒼褪めさせ、パクパクと言葉にならない声を上げていた。

 

「ユウ、あぁユウ! 怪我は、怪我は無いのですか!?」

「ハッ、幸い鎧に守られました、細かな傷はありますが深い傷は貰っていません、受けた傷の処置も既に済んでおります」

 

 飛びつき、体の節々を手で確認しながら叫ぶ聖王。ソレに対し頭を垂れたまま淡々とそう口にするユウ。実際ユウの体には大小様々な切り傷こそあるものの、大事となる様な傷はパッと見存在しなかった。唯一目をひく胸部の凹みも、ユウ自身が「直前で重心を後ろに逸らしたので大事には至っていません」と頷く。鎧の胸部にある程度のスペースが設けられていたのが幸いした、そうでなければ生身の胸部に強烈な衝撃が伝わっていただろう。

 

「マグリット、お前程の男がなんつぅ恰好を……それ程までに強かったのか、紅館の怪物って奴は!?」

「――あぁ、(可愛さ的な意味で)恐ろしい怪物だったよ、アレは人の世に出てはいけない、未曾有の災害に等しい、見るモノ全てに(可愛さ的な意味で)恐ろしい恐怖を植え付けるだろう……外見だけではない、力も確かなものだ、俺の剣では奴を仕留めきる事が出来なかった」

「マグリットにそこまで言わせるなんて、かなりの手練れ……いえ、そんな言葉だけでは片付けられないわね、その姿を見れば分かるわ、かなりの苦戦を強いられたのでしょう」

「そうだな……屋敷内は暗く、奴は縦横無尽に駆け巡る事が出来た、形勢不利と見て外に転がり出たのだが奴は空を飛ぶ事さえも可能だった、この胸の一撃も空から駆ける様に喰らった蹴りなのだ――もし一瞬でも反応が遅れていたら危なかった」

 

 その激戦を思い出しているのかユウは渋い顔を隠さない。聖王はユウに大事が無いという事を自らの手で確かめ終わると、ほっと胸を撫でおろした。それからキッと凛々しい王の顔つきに戻る。評議会の第二席が敗れた、これは由々しき事態だ。ドンは腕を組み唸る、ユウに対する評議会の信頼はかなりのものだった。今まで下された任務も全て完遂している、例外は一つたりともない。その彼が――評議会第二席のユウ・マグリットが任務を達成出来なかった、その重みはどれ程か。

 

「ウチの第一の剣が負けた、とは言わねぇが仕留めきれなかった、こりゃあ大問題だ、マグリットに倒せねぇんじゃあ評議会の誰にも倒せない、そうなると……数で攻めるしかねぇ」

「そうね、私も同意見だわ、評議会のメンバーで班を組み討伐に出向くか、若しくは諸外国に情報を与える事を覚悟して討伐隊を組織するかの二択――陛下」

 

 ドンの言葉に続けてマロニーが聖王に決断を求める。聖王の迷いは一瞬、即座に判断を下した彼女はそのまま結論を口に出そうとして、しかしユウの「陛下、お待ちを」という言葉に直前で言葉を呑み込んだ。

 

「ユウ?」

「陛下……私は、数で奴を攻める事に対して反対です」

 

 それは予想外の言葉だった。何故――ユウに勝る戦士が居ない以上、数で圧殺するのは戦の常である。そう三人が口々に問いかけようとするのを手で制し、どこか無機質的とすら感じさせる淡泊さで彼は言った。

 

「奴の力は想像以上です、知能も高く身体能力も我々より遥かに優れている、正に恐ろしい怪物そのもの――しかし知能が高いと言う事は我々の思考や言語を理解し咀嚼する脳を持つという事、あの怪物は外界に然程興味を抱いていない様でした、積極的に屋敷を出る事も無く、世捨て人の様な生活を続けていると……下手に大人数で動き刺激しては最悪国に被害が出る事すら考えられます、それに――奴には並の戦士では歯が立たない、失礼な物言いですが、この評議会の面々で漸く足元に及ぶかどうか、そういう次元に奴は居ます」

「ッ、それ程までに……?」

 

 どこまでも真摯に、真剣な眼差しでそう語るユウ。その目を見た聖王は息を呑む、彼に限って虚偽を口にするという事は無いだろう。実際彼が戦ってそう感じたのなら、それが正しい。そして彼の言葉は彼自身の実力も相まってどこまでも声は重々しく響いた。この評議会――神聖ノイスタッド連邦の碩学、英傑が揃って凡庸なもののふ扱い。

 

  しかし実際、ユウと他の評議会メンバーの間には越えられない壁が存在する。それを踏まえた上で、彼は足元に及ぶかどうかと表現したのだと聖王は思った。逆に言えば――派遣されたのが彼でなければ死んでいたという事だ。

 

「評議会の二席としては恥じ入るばかりですが、ここは奴を放置するという手もあります」

「なっ、民の恐怖の声を無視するって言うのか! 正気かマグリット!?」

「我ら評議会が揃い踏みし、全員で揃って挑んだ所で勝利は一割あるかどうか――そんな怪物に本当に挑むつもりかドン? 仮に上手く勝てたとしても無傷とはいくまい、必ず評議会の誰かが死ぬ、それに勝てれば良いが一番高い確率は【全滅】だ」

 

 評議会が失われれば国にとってどれ程の痛手になるか、分からないお前ではあるまい。そう言われてドンは言葉に詰まった。ならば軍勢を動かして――そう考えて頭の算盤を弾く。しかしユウですら苦戦を強いられる怪物が相手、更に評議会が総出で掛かって勝率一割そこら。

 

 神聖ノイスタッド連邦の軍は精強である、しかし一兵一兵が評議会の面々に届く武力を持っている訳がない、そんな戦力を投入したとして――一体幾ら死ぬと言うんだ? 地方の村や町の人間が数週間に一人程度消える程度の被害で、一体軍の何割が失われる? ドンは知らず知らずの内に冷汗を流し、指先で額を拭った。ましてやユウは怪物を未曾有の災害と表現した、ならば最悪『国が滅ぶ』可能性すら考えなければならなかった。相手の戦力がどんどん天井知らずに上がっていく。そして遂にユウが決定的な言葉を吐こうとした。

 

「それに奴は――……」

 

 どこか顔を顰め、言い辛そうに言葉を濁すユウ。その表情と態度に聖王が訝し気に声を上げる。一度俯き、言葉を選ぶように何度か呼吸を繰り返す、ユウは然もその瞬間の恐怖を思い出しているかのように言った。

 

「奴は、目から『圧縮された炎』を噴き出す事が出来るのです」

「圧縮された炎、ですって?」

 

 真っ先に反応を示したのはマロニー。亜人であれば口から炎を吐き出す様な個体も数はごく少数ではあるが存在する。そう言った個体は一等強力である事が多く、更に『圧縮された炎』という部分が彼女の知識欲に引っ掛かった。炎を圧縮、まるで想像がつかない。皆の表情はそう物語っている。しかし炎を吐く、それだけでも驚異的な生物には違いない。

 

「あぁ、そうだマロニー、奴は目から途轍もなく恐ろしい、『熱射』とも呼べるような攻撃を放ってくる、矢よりも疾く、鋭く、強い、奴は眼光の一睨みで大地を抉り、山々さえ吹き飛ばす――私はその攻撃を【火射無(ビィム)】と名付けた」

「びぃむ……何と恐ろしい」

 

 聖王はユウの口にした怪物の放つ炎の攻撃に身震いする。大地を抉り山々を吹き飛ばす、言葉にするだけで何という威力か。我が神聖ノイスタッド連邦にも最新鋭の技術で製作された大筒は存在するのもの、その砲弾ですら小山の一角を吹き飛ばすのが精々だ。大地を耕す事は出来ても抉る事は出来ない、それを生身で、生物の体で行ってしまうと言うのだから堪らない。

 

  聖王を含め評議会の面々は頭の中で恐ろしい怪物の姿を思い浮かべた。形相は歪で如何にも怪物的、恐ろしい力を持ち人を殺す事を厭わない。そこまで来ると寧ろ良く生きていたとユウを褒めるべきだろう。聖王ですらも恐怖で肩を小さく振るわせ、ユウは畳み駆ける様に言葉を重ねた。

 

「陛下、私はその火射無を辛うじて避ける事が出来ました、幸い放たれたその時、私の背後は海でしたので大陸に被害はありません――しかし私は見たのです、その赤く螺旋を描く炎が巨大な海を裂き、真っ二つに両断する様を! 私はその炎が我が祖国であるノイスタッド連邦に向けられたらと恐怖しました、騎士としてはあるまじき事でしょう、しかし私にはその恐怖を留める事が出来なかったのです……陛下、どうか私の言葉を信じて頂きたい、奴に大勢で当たるのは余りに危険です」

「ユウ……」

 

 どこか懇願する様に頭を深く下げるユウ。怪物の脅威は対峙した彼が一番良く知っているのだろう。如何に敵が強大であるかを説き、国を守ろうとする。ユウ・マグリットという騎士は本来余り国の物事に口を出さない。どのような決定であれ粛々と従うだけの忠義と誠実さがある。そんな彼がこれ程までに意見を述べるとなるとそれ程までに恐ろしい存在なのだろう。

 

「……しかし陛下、そうなると東側の村や町から出る被害はどうします? 既にこの任務は組合を経由しちまっています、揉み消せる段階にはねぇ、評議会に直で持ち込まれた任務ならどうとでもなりましたが下から上がって来たモンは別だ、それにいつまでもこの件が対応されねぇってなると民の不満が表層化しちまいます、人が居なくなっているのに国が動かねぇのは最悪だ」

「この件を揉み消す様な真似はしません、しかしユウが討伐に失敗した件を広める気もありません、彼はこの国の柱のひとつ、彼の剣が諸外国の矛先を逸らし続けているのは事実、それをみすみす自ら外す必要はないでしょう」

「ならばどうでします? 評議会で事に当たって失敗したとは言えない、しかし大規模に動く事も出来ない……正直、私には民の声を無視し怪物を放逐したままにするという未来しか思い浮かびません」

 

 マロニーが悔し気な声色でそう言えば、そこにユウがすかさず声を差し込んだ。

 

「それに関しては陛下、私からひとつお伝えしたい事があります」

「ユウ……?」

「幸いかどうかは分かりませんが、奴は私の剣の腕を大いに褒め、認めた様でした、人間の中でも稀に見る撃剣の使いであると――私は今後も続けて奴の討伐に挑みたいと考えています」

「! そんなッ」 

「まさか、単身でか!? 危険だマグリットっ!」

 

 ユウの言葉に反応し身を乗り出す聖王とドン。「お前は今、評議会の面々で挑んで一割の勝率と言ったばかりじゃねぇか! そんな奴に、また単身で挑んで勝てる訳ねぇだろう!」と叫びユウの肩を荒々しく掴む。しかしその手を柔らかく払いながら、ユウはドンを見て告げた。

 

「私が反対したのは大勢で奴の元に押し掛ける事だけだ、ドン、奴は一対一で向かう人間に対しどこか敬意すら抱いている様だった、恐らく【戦士の矜持】に近い概念を持ち合わせているのだろう……逆に言えば奴の戦いの作法に則って挑む限り、奴はその力を無暗矢鱈と使うことは無いという事、それに私も易々と殺されるつもりはない、これは唯の勘だが――奴はどこか強者に飢えている様でもあった」

「飢えている? ソレは一体、どういう事よ」

「マロニー、お前には分からないかもしれないが戦いを好む人間、いや生物というのは一定の数存在する、闘争と言うのは良くも悪くも生き物に与えられた根源的な部分、本能に依るものだ、そしてソレを極限まで鍛え冴え渡らせた存在はいつの間にかソレ無しでは生きていけなくなる、これはあくまで私の推察に過ぎないが奴が隠居している理由もそこにあると思う」

 

 神妙な表情でそんな言葉を綴るユウ。彼の傍に立ち、悲痛に顔を歪めたドンは言葉の意味を理解したのだろう、「……強い奴が居なくなったから、引っ込んだって言いてぇのか?」と呟く様な声量で言った。

 

「そうだ、奴は常に強者を求めている、恐らく今まで奴と戦い生き残った存在が居なかったのだろう、あれ程強大な力を持っているのなら納得だ、だからこそ奴は私に執着している、私単身であれば無様な戦いでも晒さない限り、ある程度の命の保証はされる筈だ」

 

 ドンの言葉に強く頷いて見せるユウ。確かに彼の言い分が正しいのならば早々ユウが殺されることは無いだろうとドンは思った。何せ漸く巡り合えた好敵手、或はその成長が見込める存在。それを芽の段階で摘み取るなど自らの楽しみを奪う様なもの。しかしそれはあくまでユウの推察、予想に過ぎない。もしそれが間違っていた場合、ユウが力及ばず再び敗れた時、その命が刈り取られるかもしれなかった。評議会第二席の命が、である。

 

「駄目です、それは許可出来ません」

 

 ユウの目前に立つ聖王はハッキリとした声でそう断じた。その表情は憂いに満ちており、恐らくユウが敗北した場合の光景を幻視したのだろう。表情は青く瞳は濁り切っている。その様な死地にみすみす評議会一の剣を向かわせるなど我慢がならなかった。それは王としての判断というよりも、ノイスタッド・リン・ディアンシー個人としての感情からくるものだった。

 

「陛下……しかし、それ以外に選択肢はありません、下手に数を揃え刺激すれば評議会どころか国が滅びかねませぬ」

「国を相手に戦える怪物、そんな存在に貴方は独りで立ち向かうつもりですか、貴方は命まで獲られはしないと言いますが、それも所詮ユウ、貴方の予想に過ぎません」

「しかし、そうせねば民が苦しみます、評議会とは国の中心であり柱、そして我々の祖国神聖ノイスタッド連邦の核――我ら騎士の忠誠は我が王、貴方に、しかしこの心は常に愛国の熱に満ちております、国とは即ち文民そのもの、民の幸せなしに国家の繁栄はあり得ない、そう仰ったのは陛下、貴方ご自身ではありませぬか」

 

 跪いた格好で真っ直ぐ聖王を見つめ、そう言い募るユウ。彼は自らの武を怪物に差し出す事でその動きを封じようとしていた。その策はその場にいる聖王、ドン、マロニーの全員に何とも言い表す事の出来ない無力感を与える。全員が全員、どこか納得出来ないという表情でユウを見つめていた。しかしユウはどこまでも本気で、真摯だった。自分なら成し遂げられると腹の底から信じ、自身の奉公を決して間違いではないと確信している瞳だった。

 

「国の為に民を犠牲にする、綺麗事だけでは済まない世の中です、そういう事もあるでしょう、しかし挑めるのに挑まず、諦め民の命を差し出すのは騎士の名折れ、それならばまだ無策で剣を握り挑んだ果て、命を落とす方がマシでしょう――無論、このユウ・マグリット、そう簡単に死ぬつもりは毛頭ありませんが」

 

 そう言って小さく笑みを浮かべるユウ。その悲痛なまでに覚悟に満ちた言葉を聞き、聖王は思わず顔を背けた。その目尻に光るものが流れたのをマロニーは目撃する。ユウは静かに立ち上がると、「出立は三日後に、それまでに多少剣の腕を磨いております、ドン、暇な時があったら立ち合いに付き合ってくれ」とだけ零し、評議会の部屋を後にした。

 残された三人は何も言わず、ただ目を伏せるばかりだった。

 

 ☆

 

 

 評議会を後にし誰も居ない城内の廊下を歩いていた時。

 決まった、そうユウは内心で思った。

 洋館から城へと帰る途中、野営をしながら考えた作戦、通称【美女と野獣作戦】。

 

 この場合ユウからすれば野獣が己で美女が向こうの吸血鬼な訳だが、聖王や評議会のメンバーからすれば向こうが野獣でユウが美女(仮)の立場に見える作戦だ。

 

 この作戦を恐ろしく簡略化して説明すると、『敵はメッチャ強いから俺以外近付かないでね! でも民を見捨てられないから俺倒す為に努力するよ! 何回でも挑んで来る! でも強いから中々倒せないかもしれない! でも頑張る! だから見守っていてくれ! 手は絶対出すなよ、軍も派遣すなよ、俺一人でやるからな! 絶対だぞ!』である。

 

 怪物は凄い強い、もう何かヤバイ、すんごい、凄すぎてちょっと国がヤバイ。

 

 そこまで持ち上げてからの『でも私は諦めない』、このキメ顔。

 自分の立場を守りつつ国と民を想う情に篤い騎士、それでいて恐ろしい怪物(仮)にも勇敢に挑む戦士の鏡。これはもう評議会の中でも評価はうなぎ登りだろう、そう確信している。自分が女だったら惚れちゃうね、もうモテモテ街道爆走待ったなし。

 

 実際は婚活の為でも、困難に立ち向かう雰囲気出して取り組めば救国の英雄ですよ。存外チョロいもんすね評議会って、へへっ。

 

「ふぅ……己の才能が恐ろしい」

 

 もうこれは騎士としてではなく智謀を張り巡らす軍師としても生きていけるのではないだろうか。そう思ってユウは上機嫌に廊下を往く。もし鞍替えするのであれば軍師ではく劇団の男優などだろう、恐らく。

 

 そんなユウの背中に「マグリット殿!」と声が掛かった。聞き覚えのある声だった、一体誰だと振り向けば、そこにはピッシリとした礼服に身を包んだ眼鏡の知的男児が立っていた。長く纏められた黒髪は彼のトレードマーク、分厚い書類の束を小脇に抱えた男にユウは笑いかける。

 

「ミルドル、戻って来ていたのか」

「えぇ! つい先程、南部の整備が終わったので――しかし、その姿は」

 

 陛下より然る討伐任務を命じられたとは聞いていましたが、そう言葉を濁して目前のユウを痛ましそうな目で見る男――ミルドル。確かに今の彼の姿は酷い、ベッコリと凹んだ鎧に泥やら砂があちこちに付着している。城内で一人だけ戦場帰りとも言える恰好、さらに普段彼は返り血は浴びても此処まで薄汚れる事はなかったものだから余計心配を生んだ。

 

 彼は評議会第九席の男である。ユウより数歳年上の三十代、しかし外見だけなら二十そこらに見える若人だ。担当は主に法務、マロニーと組んで仕事のする事が多い執務特化の文官である。無論、評議会に入れるだけの腕前は持っているが、第九席という地位は彼の剣の腕が足を引っ張った結果とも言えた。ユウは恥ずかし気に頬を指で掻いた後、柔らかい口調で告げた。

 

「相手をした亜人が中々の猛者でな、仕留め損なってしまったんだ」

「ッ、貴方程の騎士が、ですか……!?」

「あぁ、アレは国を相手取る怪物だよ、幸い向こうも武人気質でな、奴の戦いの流儀に則る限り無暗矢鱈と暴れる様な真似はしないだろう、暫くは私が東側に陣取って動きを抑えるつもりだ――委細はドンかマロニーの方に聞いてくれ、既にその辺りの情報は伝えてある」

「そう、ですか……分かりました」

 

 ミルドルの表情は優れない。国一番の剣の使い手が敗北したのだから明るい顔は出来ないだろう、しかしソレを差し置いても酷い落ち込みようだと思った。これはユウの預かり知らぬ事ではあるがミルドルはユウという男に強い憧憬を抱いていた。自分にはない、剣の腕に憧れていたのだ。その彼が敗北した、それはミルドルにとって受け入れがたい事実であった。

 しかしそんな事を知らぬユウは、『何か良く分からないけれど、めちゃくちゃ落ち込んでいるなぁ』と呑気に構え、不意に思い出した用件の一つを問いかけた。

 

「そうだミルドル、一つ聞きたい事があるのだが……」

「? はい、何でしょうかユウ殿」

「城内に役所は無いだろう? そうなると婚姻届けはどこで貰えば良いのだろうか」

「……はい?」

 

 

 ☆

 

 

 ユウが任務より帰還して翌日、何とも言えない表情をしたミルドルから「婚姻届けは……流石に、城では手に入らないかと」という真っ当なアドバイスを受け、明日にでも街に下りて貰って来ようと考えながら訓練に励む評議会第二席。

 

 場所は第三訓練場、城内の中でも評議会の面々が使用できる特別な訓練場だ。知だけではなく武にも重きを置く評議会では、日々の弛まぬ鍛錬が推奨されている。しかしやはり執務と平行して訓練を行う時間を確保するのは難しく、この第三訓練場は数年前から殆どユウ・マグリット専用の訓練場と化していた。

 

 この訓練場は評議会の人員が九名しかいない為、他の第一、第二訓練所と比べると非常に手狭である。大きさは会議室を幾つか繋げた程度の面積で、縦横の長さがそれぞれ十メートル程。必要な武具や備品は別に保管庫が設けられているが隊で訓練する程の広さは無い。下は砂利で固められており城の奥側にひっそりと佇んでいた。そんな訓練場の中心で剣を一心不乱に奮うユウ、外から見れば来るべき戦いに備え真摯に訓練に励む騎士なのだろうが――。

 

 やっぱり逢って即座に求婚はマズイだろうか、断られたら死ぬ自信あるし、剣を交える前に憤死するし、そうなるとやはり外堀から。まずはゆっくり時間を掛けてお互いに愛を育むところから始めよう、愛を、愛を育む……つまり求婚? もう結婚するしかねぇなコレ。

 

 などと呟きながら剣を振っていた。幸い声量自体は小さく、囁く様な声だったので誰かの耳に届くことは無い。更に言えば第三訓練場は滅多に人が立ち入らず、一般の兵は立ち入りすら禁じられている程。彼の正体に気付く者は皆無だ、悲しいね。

 

 そんな外見理想の騎士、内面ゴミクズの彼に近付く影が一つ。ユウよりも一回り程体格が良く、身長も高い男だ。「マグリット」と彼がユウの名を呼べば、剣を下ろし彼はゆっくりと声のした方に顔を向けた。

 

「あぁ――ドンか、珍しいな、お前が第三訓練場に顔を出すなんて」

「オイオイ、呼んだのはお前だろうが、昨日俺に向かって暇なら立ち会えって言ったじゃねぇか、もう忘れたのか?」

「いや、忘れてはいないが……お前が暇そうにしている所なんて見た事が無いからな、多分無理だろうなと高を括っていた」

「ったく、お前の為にスケジュール捻じ込んでパッパと終わらせてきたんだよ、一時間はフリーだ、俺も剣を偶には振らねぇと鈍っちまうし、偶には付き合ってやるよ」

 

 その手に訓練用の刃が潰れた剣を持ち、腕を軽く回しながら訓練場に踏み込むドン。彼の登場にユウは驚き、内心で「さっきの独り言聞かれていないよな?」と焦る。しかし話の内容に触れて来ない所を見ると、どうやら独り言には気付いていない様だった。これにはユウもニッコリ。聞かれていたら脳天に剣を叩き込んで記憶を抹消しなければならない所だった。流石に婚活の為とは言え仲間に剣を向けるのは躊躇われるしね、まぁそれでもやる時はやるが。ユウ・マグリットはそういう男である。

 訓練場の中心に足を進めるドンに対し、ユウは柔らかく微笑む。

 

「本気ではやるなよ? マジのお前とやり合ったら数秒で負けちまう、精々流す程度に留めてくれ」

「良く言う、俺が本気を出した所で早々に倒されるお前じゃないだろう」

「あぁ? よせよせ、もう若くもないんだ、万が一怪我でもして執務が遅れたら事なんだよ、俺が一日休めば裁決が一週間遅れちまう、そうなると内容の修正と陛下の認可が一ヶ月遅れて、実際にその文面の内容が実行されるのが更に三ヵ月遅れる、そこから生まれる損失はとんでもなくデケェ、酷い話だろう? だからもう若い頃と違って怪我なんぞ出来ねぇんだよ、俺は」

「そこまでか……確かに、そうなると事か、分かった、何も我武者羅に剣を振うだけが訓練じゃない、精神の統一も訓練の内さ、軽く流すだけに留めよう」

 

 そう言って対峙した二人は軽く刃を合わせ、カンと鍔同士をぶつける。そこから数歩距離を取り、流れる様な動作で剣戟の音を掻き鳴らし始めた。繰り出される一撃は決して力任せでは無く、寧ろ腕全体の力を抜いて勢いのままに、まるで演武の如く緩やかな曲線を描くものだ。ドンもユウの撃剣ではない、柔らかな剣に合わせて刃を振う。

 

 互いの刃が掠め、ぶつかり、打ち鳴らし、交差の一瞬のみ視線が交差する。二人は息を弾ませながら剣を振い、その間に会話を挟むだけの余裕があった。ユウからすればコレは鍛錬でありながらも精神を整える作業であり、ドンからすればウォーミングアップの様なものだった。

 

「陛下はどうしている? 今日はお姿を見ていない」

「執務室に籠りっぱなしだ、お前の件が堪えたんだろうよ、執務の方は滞りなく捌いている様だが内心はどうだろうな……お前の単独先行を一番気に病んでいるのは陛下だ、もし思う所があるなら頭でも下げに行ってこい、菓子折りの一つや二つなら用意してやる」

「そうか、何から何まですまないな」

 

 一際甲高い音が鳴り響き、二人の剣が微振動を起こしながら離れる。数歩の距離を空け、片手に剣を構えたまま対峙し、再度剣を打ち合わせた。軽く流しているだけではあるが、評議会入りを為す英傑二人の剣戟となると中々どうして高度なものとなる。確かに手抜きではあるが余りに気を抜き過ぎると一撃を許す。そんな丁度良い難度の元で二人は剣を握っていた。

 

「実際の所よ、どうなんだ、勝てそうなのか? その化け物にはよ」

「それは――……」

「他の連中には言わねぇ、評議会も立場もなしだ、此処だけの雑談って事にしていおいてくれ、だからお前の正直な言葉が聞きたい」

 

 剣を振いながらも真剣な瞳で問いかけて来るドン。それを正面から捉えながら、ユウは内心で『求婚しに行くだけなんだけどな』と呟く。危険も何も、そも戦いに行くつもりすらない。まぁ断られたら死ぬけれど。そう言う意味で死地に赴くと言うのは正しい。

 故にユウは剣をピタリと止め、自身の頭の中で吸血鬼である彼女へのアプローチが上手くいくかどうかのシミュレーションを行った。

 

「……どうだろうな、正直なところ自分にも(求婚が成功するかどうか)分からないんだ、何分こういう分野に於いてはからっきしでな、(恋愛的に)どう攻めれば良いか迷っている」

「何だよ、こと闘争と剣技に於いてはお前より上の奴なんて居ねぇ、だって言うのに随分と弱気じゃねぇか」

「ただ剣を振うだけなら簡単だ、命を奪う事もな、しかし今回はそう簡単な話でも無い、(結婚を断られる的な意味で)失敗は許されないんだ、一度の失敗で恐らく――俺は命を落とすだろう」

「……そこまでの相手か、だが相手はお前一人なら殺しはしないだろうと、昨日言っていたのはお前自身だぞ」

 

 ドンの言葉にユウはふっと表情を崩す。それはドンの無知を嘲笑ったと言うより、自身の感情にどこか折り合いがつかない事を恥じる様な、そんな表情だった。剣を握りながらゆっくりと両の目で対峙する友人を見つめ、しかしその焦点はその遥か先を射抜いている。

 

「ドン、これは評議会ではない、あくまで【雑談】だからこそ漏らす言葉だが――俺もこう見えて武人(シャイ)なのだ、【何度も敗北を重ねる(お友達のままで)】、そんな結果を晒した果てに平気な顔をして生きていける程、この心は強くない」

「!」

 

 ユウの言葉を聞いたドンは思わず目を見開き、それからぐっと強く剣を握り締めた。そうだ、忘れていた、彼の力が余りにも強大だった故にドンはユウの本質を忘れかけていた。彼の本質、即ち闘争を好み、剣と愛国の精神、そして忠義を以て評議会という頂点に至った男。そんな男が高潔な精神を持ち合わせていない筈が無い、更に言えばユウ・マグリットは貴族の出――己の内に潜む、矜持(プライド)信条(クリード)が時に命より重い事を、ドンは身分違いの知識として理解していた。

 

 勿論、そんな事実はないしユウはモテる為――今では既にユリーティカ一途だが――ならば信条だろうが矜持だろうが喜んで投げ捨てる男である。しかし今の今まで積み重ねて来たユウ・マグリットという騎士の背は余りに大き過ぎた。つまり完全にドンの思い違いである。しかしそれを指摘する存在はこの場に居ない。

 

「ッ……俺には、正直なところ騎士の本懐だとか、戦いの矜持だとか、そういう点は全く理解出来ねぇ、元々俺ぁ組合(ギルド)の人間だ、少しばかり金と剣に強かっただけの傭兵崩れ、命があっての物種だし、駄目なら逃げるが鉄則だった――お前にとって戦いっていうのは、生きるか死ぬかの二択しかねぇのか?」

「あぁ、そうだな、少なくとも今回の件に限って言えば俺は、次の一戦、そしてもう一戦か、そう長く掛ける気はない――一度の慢心は許されよう、二度目の失態は目を瞑ろう、だが三度目の敗北は覆しようがない、単なる実力の不足だ、そしてそれが明らかになった時、三度の失敗(ごめんなさい)を以て俺はこの世を去る、そう決めた」

「俺や評議会の面々、俺達の母国、神聖ノイスタッド連邦を捨てるのか?」

「そうならない為に俺は全力を尽くす、『文字通り全身全霊を以て』(貯金、立場、剣技、顔面、性格、家柄、収入)を以て勝利(結婚)を求める」

 

 だからそうだな、もし頼めるのならば今どきの女性が好みそうな指輪を一つ、見繕って欲しい。ユウがそう言って微笑むと、ドンは堪らず顔を背けた。自身の命が散る前に、せめて意中の女性に生涯最後の品を贈ろうとしているのだと思ったのだ。

 

 ユウとしてはユリーティカに求婚する際、指輪が必要だと思ったのだが彼にはそういう類の知識や観察眼がない。本来なら貴族時代に養われるものだったがその教育を終える前に実家を出てしまっていた。しかし商才があり美術的な素養も磨いていたドンならば間違いないだろうという確信があったのだ。ぶっちゃけ下心からそんな言葉を口にしていた訳だが、それがとても良い感じにドンの感受性を刺激した。

 ドンは指先で鼻先を掻き、涙ぐんだまま告げる。

 

「へッ、んだよ、指輪の一つくらい自分で用意しろってんだ――だがまぁ、友人の頼みだ、一等良い奴を用意してやる、この世に二つとねぇ一品モンだ、だがそんな簡単に出来るもんじゃねぇ、だから次の出立までにってのは無理だ、だから……一度目は生きて帰って来い、それが出来なきゃ指輪はナシだ」

 

 ユウはその言葉に思わず驚く。ドンはそれをしてやったりという表情で笑い飛ばし、白い歯を見せた。

 この男、あろう事かなんと一度目の求婚を阻止してきやがった。ユウはそう思った。

 ドンはこんな事を言われるとは思わなかったと驚愕しているユウに対して、「それが指輪の対価だ、簡単だろう?」と言い募る。

 しかし確かに、二度目の邂逅で求婚という早急さは自分でもどうかと思っていた。そこに後押しを受けた形。ユウはふっと口元を緩めると、「分かった」と穏やかな表情で頷いた。なんだかんだ言ってこの男も今回の婚活に協力的じゃないか、見直したぜドン。そのアドバイスは有難く頂戴しておこう。

 

「最後まで見守っていてくれ――俺の戦い(婚活)を」

「あぁ、勿論だ、お前が勝って帰って来るその日まで、俺は待ち続けるぞ」

「ふふっ、そうか……なら結婚式(パーティー)には是非とも招待しなければな」

「おうとも、盛大に祝ってやるよ、祝勝会(パーティー)ならお手の物だ、経理の連中をひーひー言わせる位の豪勢な奴を企画してやる」

「そこまでされると、少し照れるな」

 

 頬を掻きながら笑うユウ。脳内では真っ白な衣服に包まれた自分とユリーティカを想像していた。一度しか目にしなかった姿だが、今でもハッキリと思い出す事が出来る。多分可愛い、凄く可愛い、もう結婚するしかない、あっ、もうしてたわ。

 

「その日が楽しみだ」

 

 本当に楽しみにしていると、そう瞳で語るユウ。そんな彼の横顔を見ながらドンは零れそうになる涙を必死に堪えた。空を見上げまだ見ぬ勝利に想いを馳せるユウの姿が、余りにも儚げであったから。

 その脳内を覗き込む事が出来れば評価は百八十度変わって来るのだろうが――残念ならがドンは最後までユウの心の内を知る事が出来なかった。

 

 

 

 そして二日後――遂にユウ・マグリット、二度目の討伐遠征が行われる事となる。

 

 

 

 




 お気に入り登録、感想、ランキング入りありがとうございます。
 昨日更新するのを忘れてしまったので一話と同じ二話分の話を投稿します。
 基本的に一話分のストックを作ってから投稿しているので、次一万字書けたらまた投稿しますね。 
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