兎を怒らせるな 作:キルネンコ
あるところに、一人の少年が居た。
彼は幼い頃より、熱意というものを何処かに投げ捨てたかのように空虚であった。
気味の悪い子供。それは、彼が超常的な力を振るいだした事によって、化物へと変わっていった。
大人どころか、生き物としての限界を越えたような身体能力。
ナイフで突こうと、斧を振り下ろそうと、縄で吊ろうと、薬を用いようと、水に沈めようと、傷一つ負うことの無い肉体。
化物だ。人間として、彼は異端。
では、人間以外として見ればどうだろうか。
やはり、異端だった。
最初は、彼の住む村へと現れたはぐれ悪魔。
家に押し入った瞬間に、殴り飛ばし、消し飛ばした。
次に来たのは、下級堕天使。神器の可能性を考慮しての独断専行。
槍を使ったが無傷でやり返し、消し飛ばした。
三度目は、旅の途中で訪れた教会で見つけたカトラリーセットを強奪したとき。その時には、様々な教会の戦士と下級、及び中級天使を退けた。
最後には上級天使、並びに教会のジョーカーすらも出てきたのだが、彼が抵抗を止めなければ被害は更に広がっていた事だろう。
それが、名を奪われた少年、現在はヴォールと呼ばれる彼の過去。
※
冥界、悪魔陣営には悪魔の駒と呼ばれるシステムがあり、これによってその数を増やすことを可能にしていた。
その弊害として、多数のはぐれ悪魔の出現や、反逆によって殺される上級悪魔等が出ていたが、彼等は目をそらしている問題もある。
まあ、それは置いておく。
この仕組みを他勢力、取り分け純粋な天使が生まれ難くなった天界勢力が取り入れるようになっていた。
悪魔の駒がチェスならば、天界はカード。トランプを元にした御使いカードを使って転生天使を生み出すのだ。
上級天使をKとして、残りの十二枚を1枚一人として転生させることが可能であり、カード毎の差はない。
代わりに、足並みを揃えることに長けており、更にトランプらしく手札を揃えることによって力を増す。
そして、これに選ばれるのは信仰心の強い信徒やエクソシストだ。
というのも、少量でも邪な気持ちがあると堕天使へと堕天してしまう可能性があるせいだ。
「―――――まあ、貴方には関係の無い話でしたね」
笑みを浮かべたミカエルは、紅茶を啜る。
彼の前では、いったい幾つの砂糖を入れるのかと思えるほどに、ポチャポチャと角砂糖をカップへと投入するヴォールの姿があった。
ここは、いつぞや二人が面会を果たした本部の一室。人払いは既に終えており、部屋の外には、ミカエルが直々に張った結界が音と人を遮断している。実に静かだ。
事の経緯は、ミカエルが彼を誘った時より始まる。
というのも、ヴォールはまたしても地下牢へと戻ってきていた。
それを回されてきた資料によって知ったミカエルが気にして、調べてあることを知ったのだ。
結構良いもの食っている、と。
最初こそ、カッチカチの黒パンと塩水を温めたような薄いスープであったのだが、その日の内に配膳担当が重傷を負って以来、バランスが考えられ、質の良い食事が出されていた。
その一つが、今彼の目の前に出されているもの。
テラテラと光を反射する光沢を見せるニンジングラッセがたっぷり使われたキャロットケーキ。
無機質な鉄面皮であり、強面な彼だが基本は肉も食べれるベジタリアン。魚は嫌いだ。
(見た目も相俟って、今は小動物ですね)
兎の耳のような髪型、無表情であるが今はカトラリーも磨かずに一心不乱にモッキュモッキュとケーキにフォークを突き立てている。
小柄、というほどでもないが平均身長であり筋肉質な細身。
むしろ、この細腕の何処から神滅具の禁手化を殴り潰す力が出るのか。
(アザゼルは、神器ではないと言っていましたね。ですが、ならばヴォールの力の源は何なのでしょうか……………)
ミカエルはカップを傾けながら、チラリと彼を見た。
既に目の前に用意されたホールから更に一切れ切り取って食べ進めるヴォールには、あの時の覇気はない。
そして、思いの外、しっかりとしたマナーを持ち合わせていることにも気付かされる。
首にナプキンを巻き、フォークは必要以上に皿とぶつかってカチャカチャと耳に障る音をたてない。
一口、一口味わうように、しかし一定の速さでケーキを切り取り口に運ぶ。
健啖家な彼ならば、ケーキの1ホール程度丸々かじりついてもペロリと平らげることが出来るだろうに、それをしない。
「ヴォール、貴方はこれからどうしたいのですか?」
「……………モッキュモッキュ」
「既に、力を示した貴方を放っておくほど世界は甘くありません」
「……………ズズー」
「身柄こそ、私たち天界の預かりですが、今の貴方は預かりと言うだけ。出来れば、立ち位置をハッキリしてほしいのです」
「……………パクパク」
やはり、話は聞かない。
だが、これは由々しき問題でもある。
最強の呼声高い白龍皇を赤子の手を捻るように沈め、堕天使総督の光の槍を弾き、山一つ消し飛ばすレーザーを受けて無傷。
三大勢力だけではない。あらゆる勢力が、彼へと注意を払っていた。
良くも悪くも、表も裏も。
一番不味いのは、三大勢力会談でも話題として挙げられた、禍の団に加入されること。カトラリーで釣られそうな所が不安を掻き立てる。
ただ、仮に加入されてもそこまで暴れる姿を想像できないのは唯一の救いか。
「……………はぁ………」
ため息をついたミカエル。ほんの少しだけ、胃がキリリと痛んだ気がした。
※
禍の団。それは、世界的にテロ行為を行う組織の名前だ。
といっても、幾つかの派閥に分かれており、その目的も様々。
力の誇示、知識の探求、限界への挑戦、自己の存在証明。
目的は、王道。しかし手段は、邪道。そもそもテロ行為は基本的に不意打ちが殆どだ。
ある意味これは、正面からでは敵いません、と声高々に宣言していると思えなくもない。
そんな、ポンコツ組織の名目上首魁とされているのが、無限の龍神オーフィス。
次元最強の片割れとしても名高く、無限という名に相応しい尽きることの無い力を誇っている。
何故こんなことに触れるのか。それは、最強と最狂がかち合ってしまったからだ。
「……………」
「……………」
キュッキュッキュッキュッ、といつもの様に椅子に座ってカトラリーを拭いているヴォールと、そんな彼の目の前に立ってジーッと顔を覗き込むゴスロリ幼女。
場所はいつもの通り、地下牢だ。
そして、この地下牢。壁こそ防壁のようになっているが、その内部にはセンサーの類いは存在していない。監視カメラ等もゼロだ。
その為、防壁を越えて入り込める存在は上には知覚できない。
勿論、理由はある。単純に、彼を害する存在が極少数であること。彼自身への面会など皆無であったこと、など。
何より、ヴォールを正面から倒せる相手をどう倒せと言うのだろうか。
「……………」
「……………」
そんな数少ない、ヴォールを倒す可能性がある存在が、この幼女オーフィスである。
彼女が見るのは、彼の手元で輝きを増していくカトラリー。
一概に、スプーン、フォーク、ナイフと呼べども、カトラリーはその用途によって形や大きさを変える。
今、彼が磨いているのはフィシュナイフ。魚料理の際に用いられる物。テーブルナイフと比べて若干鋭利な見た目をしている。
「………………フッ」
最後に表面の埃を吹き飛ばし、ナイフをケースへと収める。次に取り出したのは、デザートスプーン。
テーブルスプーンよりも丸みがあり、スープスプーン程の深さはない。
「……………」
オーフィスの興味もそっちに移ったのか、彼女はちょこちょこ動くと、机の上に置かれたカトラリーケースへと近寄った。
そして、徐に手を伸ばして――――――
「ん、触らない」
思いっきり、睨まれた。それこそ、その視線だけで石壁に亀裂を刻むほどの鋭さ。
オーフィスも素直に手を引いた。
実力差は、そこまで無い。むしろ、彼女の方が手札も多く、強いかもしれない。
だが、彼女は無垢だ。目的も相俟って、好き好んで闘争の火種を撒くようなタイプでもない。
もとより、彼女は禍の団の首魁として祭り上げられただけなのだ。実際は権力なども無く、構成派閥から求められた際に力の一端として蛇を渡すだけ。
その理由は、ただ一つ。永遠の静寂を得ること。その為には、次元の狭間より己を追い出したら、真なる赤龍神帝グレートレッドを倒さねばならない。
オーフィスと同じく、ムゲンの名を背負う夢幻のドラゴン。
同格であるため、どうしても衝突すれば世界が滅ぶか、千日手になりかねない。
ある意味では、世界を滅ぼせば静寂を得られるのだが、それはそれ。
「うさぎ」
「…………………」
「…………………ぴょーん」
オーフィスは、彼の背後に回ると背をよじ登り、頭に乗った。
そのまま髪を弄っているが、ヴォールは振り落とす様子もなく、いつもの無表情でカトラリーを磨いている。
最初に、ここに現れた彼女の目的は彼にグレートレッドを倒すことに関して助力を請うためであった。
神器に封じられたとはいえ、その力は相当なものである白龍皇を一撃で下し、堕天使総督の槍すら弾く人間だ。それだけでも彼女の興味を引いた。
そして、訪れた彼女を待っていたのは、圧倒的なまでの無視であった。
この反応は初めてである。
そも、近寄ってきた派閥の者達はその大半が彼女の強さ、及び力を目的とした者達だった。
何より、ここは静かだ。
決して居心地が良いわけではない。むしろ、劣悪な環境であり、病弱な者ならば速攻で体調を崩すことだろう。
それでもヴォールがこの場へと戻ってくるのは、一重にあらゆる面倒が基本的に免除されているためか。
炊事洗濯諸々をする必要がなく、食事に関しては、勝手に出てくる。
雨に濡れる事もなく、金を心配することもない。
ぶっちゃけ、彼からすれば牢獄もホテルのようなもの。
湿気が多いことも少し苦になるが、それだけカトラリーを整備する理由にもなるということ。
「…………」
「うさぎ、戦わない?」
「…………」
「………………ふみゅ」
頭の上から上体を投げ出して、彼の顔を覗きこんだオーフィス。
さすがに、目の前に長い黒髪が垂れてくれば前が見えない。
ヴォールは、磨きあげたスプーンを箱に収めると、片手で彼女の顔を掴んだ。
そのまま握りつぶす――――――何て事はない。
頭から引き摺り下ろすと、質の悪いベッドへと投げ捨てる。
それ以上は何もせずに、新たな、今度はエスカルゴフォークへと手を伸ばした。
「んー…………………」
ボロベッドへと投げられたオーフィスは背中から、所々スプリングの飛び出たマットレスに落ちると、暫く固まり、ゴロゴロと転がり始める。
どうにか、世界滅亡の切っ掛けを作らずにすんだ一幕であった。
※
世界には、様々な神話勢力が存在している。
今回、三大勢力が和平を結んだことを皮切りに、その一つが大きく動き始めていた。
北欧神話、アースガルズ。オーディンを主神としており、その影響力と内包戦力はかなりのものだ。
彼等、と言うよりもオーディンが特に他勢力との交流を得ようとしていた。
目的は排他的になり、視野狭窄となりやすい陣営の、特に若い世代に世界を見せるため。そのついでに、自身の知的探求心を潤す対象を見つけるため。
「―――――――実に、面白い」
そんな老人の興味を引いてならない対象がここ最近現れた。
叡知の左目をもってしても推し測れない、正にバグとも呼ぶべき存在。
「どうにかして、鳩共の手から放てぬものかな。あやつは、暴れさせる方が面白い」
アゴヒゲをしごきながら、オーディンは思索を巡らす。
何でも見通せる目であるからこそ、彼は混沌を求める。知識のために片目を捨てた神だ。更に逸話として、ルーンの秘密を知るために、9日間ユグドラシルで首を吊り、自分自身をオーディンに捧げたとされている。
要するに変態だ。そして、そんな変態に目をつけられた哀れな獲物。
最狂の兎。龍すら潰す化物兎。
「人の身で、我々神、龍、悪魔、天使、堕天使と正面から腕力で抗う。いや、討っている、か」
勿論、相性はある。物理的な攻撃手段しか無いならば、物理攻撃を無効化すれば良い。
だが同時に、そんな短絡的手段ではどうにもならない、とも思える。
「さてさて、面白い」