すべり芸のような物が嫌いな方は非常に不快な思いをされると思われます。
「なんで……なんでこんなところに……」
薄暗い通路に切れかけた蛍光灯がいくつか。
まだ日中だというのに窓のないこの場所には真夏の日差しが直接届かず、頼りない電光と遠くに輝く通路入り口の床からぼんやりと反射する太陽光だけが、暗闇に対抗している。
点滅する灯りが俺と倒れ伏す男性と、宙高くに浮かぶカードを照らす。
その真っ黒なカードは炎を纏うようにオーラを放つ。
しかし、その色は漆黒。
新たな光源になるどころか、周囲の微かな光さえ取り込み燃焼する燃える闇でしかない。
小さくも圧倒的な存在感を放つそのカードの名を、俺は知っている。
【No.96 ブラック・ミスト】
ZEXAL主人公の片割れ、アストラルの記憶と力であるカード『ナンバーズ』の一枚であり、宿敵ドン・サウザンドの力がアストラルの中に残留したために生まれた、意思を持つナンバーズ。
宿主の意識を操る力を持つ上に、黒いアストラルの姿を取りながらも悪人らしい危険な思想をもって何度も遊馬先生たちに反乱を起こす厄介な存在だ。
決闘盤を展開したままの俺を見下すそれを前に、暑さに起因しない汗が頬と背中を伝う。
ナンバーズ自体はアストラルが遊馬と出会った際に五〇枚散らばり、【No.7】や遺跡のナンバーズなどがはるか昔の戦いで五〇枚散らばったはずなので、アストラルが来るより前に存在していることに疑問はないが……。
よりにもよってこいつが既に野に放たれてるとか最悪だ。アストラルがくるまで我慢してくれよ。
はえーよミストラル!
■■■■■
『―――座の貴方。残念ー最下位です……。会いたくない相手とバッタリ会っちゃうかも』
今朝はパン主食なのでミルクでも貰っていたところ、テレビが女子アナウンサーの声で今日の俺の運勢が悪いことを告げてきた。
『でも大丈夫!運気を上昇させるラッキーパーソンは白い服を着た人、ラッキーアイテムはバナナです!今日も頑張っていきましょー!』
今日はただ大会観戦と応援をするだけなので、俺自身の運命力は関係なかった。
なので軽く流して椅子に背を預けながら女子アナの明朗な声をBGMに、牛乳を飲み干した。
「あんた最下位だって。今日は気をつけなー」
「たかが朝番組の占いでしょ?気にすることじゃないって」
一緒に見ていた向かいの椅子に座る母さんが、パンをかじりつつ軽い口調で言ってきた。
斎王のようなどうみても特別な力持ってます、みたいな占い師が直に「あなた死相が出てるわね」と言ってきたなら、最悪ダークシグナーになることを覚悟しなければいけないだろう。
だが今のはただのニュースのおまけレベルの星座占い。
一位の時だけライフイズカーニバル!と太陽が真っ二つになるまで喜んでおけばいいものだろう。
最下位の時は占いとはどんな効果だ、いつ発動する?と知らんぷりで十分だ。
「アレ意外に当たるのよねー。私が一位だった時、掃除したらお父さんのヘソクリ見つけたし」
「ほっといてあげなよ……。こっそりでも一生懸命父さんが貯めたモノなんだから」
「そうね。貯めてくれたおかげで皆でお寿司食べれたんだもの」
「あれの代金、ヘソクリ!?」
急に明かされる衝撃の真実!
道理でこの前、回転寿司に行ったあの夜に父さんが妙に意識他界系の眼をしていた訳だ。
俺はまーわーるーんです!と大喜びでキュウリ入ってないイクラを頼んでしまったが、もっと加減するべきだったろうか。
でも、父さんも若干ヤケ気味に「遠慮するな遠慮するな!」とバンバン注文してたしなぁ……。
酔いに酔って、帰り道でハートランドシティ名物であるお掃除ロボットの「オボット」に向かって「掃除め……掃除めぇ!」と絡む様は流石に見てられなかったが。
下手に隠したせいで、父のヘソクリは回転寿司を経由して経済を回しに旅立ってしまったんだな。
「ま、お金の話よりも今日の話よ。暑くなるらしいから倒れないようにね」
「準備してるから大丈夫だよ。帽子にタオルに水筒に保冷剤に……」
「ユウヤは大丈夫そうだけど、アンナちゃんも一緒なんでしょ?気を付けてあげなさい」
「……うん、そっちはちょっと不安かな」
「え?そうなの?」
流石に真夏になんの準備もしないほどアンナはバカではないし、海美さんとの買い物の時に熱中症対策をしておくよう注意もしてある。
しかし、相手はあのアンナだ。自分の分だけでなく、もう二、三人分の用意が要るかもしれない。
単純に応援に熱くなってオーバーヒートするかもしれないので、最悪の場合に備えて手当が出来る物も持って行くつもりだ。
おかげでリュックの中は満タンなエネルギーが隙間を無くして困ってるぜ。
「油断してあんたが倒れてアンナちゃんに心配かけないようにしときなさいよー」
「ははは。大丈夫大丈夫」
そろそろ出かける時間なので、ごちそうさまをして荷物を取りに部屋に戻る。
ベットの横に置いたパンパンのリュック。これの外付けポケットにリビングにある水筒を装備すれば準備万端だ。
小学生の身体だとそこそこの重量だが、デュエルマッスルを駆使すれば問題ない。
見た目はえらいハリキリボーイになるが必要経費と受け入れよう。
―――アレ意外に当たるのよねー。
…………対太陽光防御のために用意した超熱血球児風の帽子を被ってから、ふと気になってD-パットからデッキを取り出す。
決闘者の運試しならこれが手っ取り早い。デッキの上の一枚だけに指をかけて引く。
「ドロー」
入れたはずのない【EMモンキーボード】を引いた。
「レギュレーション違反だバカ野郎!?」
カード手裏剣練習用の的に向けてモンキーボードを投げつける。
スカンと乾いた硬い音とともに的のど真ん中へ笑顔の猿がストライクした。
社長が嫌いなオカルトレベルの事態に顔から血の気が引いて息と魂が荒ぶってしまったが、ペンデュラム効果のないこの世界の猿は禁止カードではない。
デッキに投入されていても違反行為にはあたらないが、入れても使うあてがないのだ。
最近になってEMを数枚だけ手に入れたが、やはり活用法がないのでデッキには入れる気はない。
サテライトと書いた保管用の箱に仕舞っていたはずなのだが……。
確認したが猿を抜いたデッキの枚数は構築通りの四〇枚だった。
……今日、本当にヤバいかもしれない。
―――続いてのニュースです。先月―――国で発見された遺跡で発掘された遺物が盗まれました。
専門家によると、盗難にあった遺物は古代のカードのような物と考えられ…………。
■■■■■
「あ゛ーづーい゛ー……もう無理ー!」
アンナ。早くも夏の太陽相手にサレンダー。
二日前に買ってもらったばかりの白いワンピースに、親に被されたらしいふちの広い麦わら帽子という中々にベタな服装をしているのに、男らしく足を開いて座り前傾で太ももに肘を置いている。
首からタオルも垂らし、姿勢だけ見たら完全にオッサンである。
しかし、そうなっても仕方ないと思える真夏日の気温だ。
雲一つない快晴というのがまた厄介で、ハートランドにある「ハートの塔決闘会場」は日差し避けの屋根も隠れられるシャトルもないので、観客たちはみんなたおしてやると言わんばかりの太陽に負けずに応援しなければならない。
うだるような暑さは正直言って隣の席の俺もキツい。
おのれ太陽、人々を二〇ターン熱してズシンでも呼ぶ気か。
あの世で眠れる巨人になってしまうだろう。
「海美さんの試合の予定時間まで結構あるし、それまで屋根のあるところにでも行こうか?」
観客席は出場者を応援に来た高校生などでそこそこ埋まっているが、幸い俺たちは移動しやすい通路横の席を確保できたので、涼みに行っても戻ってきやすいだろう。
周りの席も、今朝の内に海美さんが紹介してくれた学校の友人たちが座っているので、荷物だけ置いていても見ていてくれるだろう。
「いい……海美姉ちゃんも姉ちゃんの学校の人も頑張ってるのに、オレだけ逃げてられるかよ!」
今にも溶けだしそうなほど汗だくで、本能的にか体を冷まそうと口を開けて舌をだしている。
それでも海美さんのため太陽のズシンカウンターに耐えて耐えて耐える所存のようだ。
D-ゲイザー越しにステージを見れば、いくつかの試合でモンスターたちが戦っている。
当然、それを操る決闘者たちもこの熱に耐えながら挑んでいるのだ。
熱き決闘者たちのバーニングソウルに負けていられないと思ったのだろう。
俺好みの答えだ。ならば俺も付き合うとしよう。
「だったらちゃんと水分取らないと。持ってきてるよね」
「おー……もちろんだぜー」
アンナが持ってきた去年の家庭科の授業で見た覚えがある柄の手縫いリュックから、保冷カバーを被されたペットボトルを抜いた。
彼女は中身を飲もうとひっくり返すように一気にあおった。
しかし、なにか変なのかペットボトルを逆さにしたまま振り出した。
……まさか。
「飲めねー!なんでだ!?」
「アンナ、貸して」
うがー!と憤慨するアンナからペットボトルを受け取りカバーを外して確認した。
案の定、カッチカチに冷凍され氷河期状態のスポーツドリンクが真の姿を見せた。
一見正しく見えた冷凍保存、しかしそれは大いなるよくある間違い!これはもう終わりですね。
「全然とけてねぇー!」
「ここまで凍ってるとね……。これとけるまで待ってたらアンナ倒れるよ」
「嘘だろぉ……うわぁカチコチだー硬ぇー……」
少々液化してはいるものの、この冷凍ペットボトル究極態は保冷剤代わりにするしかないだろう。
絶望したような深刻な顔でショックを受けるアンナに、俺は用意済みの水筒からフタのコップにスポーツドリンクを注いで差し出した。
絶望するなアンナ。希望(水分)はある。
「はい。あげる」
「え?それは……いらない」
「遠慮しないで飲んで。水分補給大事だよ」
「でも、それ間……スだし」
「熱中症とか熱射病って結構怖いんだよ。暑さにやられたら最悪死んじゃうんだからさ」
いいから飲みなさい。今こそお前が飲むべき時。
ゴニョゴニョとなにかか細く呟いて渋るアンナに無理矢理コップを渡す。
開いていた脚も閉じて、押し付けられたアンナの目が俺の顔とコップを往復する。
やがて乾いているせいか、カップをジッと見つめたまま彼女の喉がゴクリと鳴った。
「今日は使ってないし、ちゃんと洗ってあるから大丈夫だよ。俺の分は別に持ってるしね」
「…………………………そうか」
すっと死んだ目になったアンナは迷いなくスポーツドリンクを飲んだ。
良い飲みっぷりだ。塩分もとれたしこれなら応援にも力も入りレッツエンジョイ出来るだろう。
「オレ、海美姉ちゃんの試合まで塔の中にいようかな……」
「さっきまでの意気込みはどこに……!?」
やはり暑さに限界バトル叩きつけられていたのだろうか。
心なしか身体全体から哀愁が漂っているようにも見える。
とりあえずアンナのペットボトルに持ってきた薄手のタオルを巻き付けて渡した。
「これ首筋とかに当てればちょっとは涼しくなるから」
「うー……あぁホントだ。冷たくて気持ちいいー……」
「ほらごらん、スゴイよ。ゼラートとデビルマゼラが並んで……いやホントにスゴイな!!」
グロッキーなアンナに興味を持たせるために、適当な試合のフィールドを指差して軽く実況したつもりだった。
しかしそこでは【大天使ゼラート】二体と【デビルマゼラ】二体が並んで大活躍している、意味不明な状態をつい二度見した。
並べる条件が厳しいからとかではなく、こんなプレッシャーだらけの大舞台の公式戦でそれをやりとげた選手の度胸……いやカードへの愛に脱帽である。
本当に帽子を取りたかったが、太陽光に対し無防備になるので止めた。
「あれどうやったんだ!?どんなコンボで……ああ!ちゃんと見とけば良かった!」
「ユウヤ……こんな暑いのに元気だなー……」
「熱いから元気なんだよ!」
引き気味のアンナを余所にその決闘を凝視して少しでもと情報を集める。
二種類のフィールド魔法が必要だから【盆回し】か?いやあれだと相手が発動してくれなければどうしようもないしそもそもどんなソリティアして【ゼラの戦士】とあの上級モンスターを集めた!アリガトウオレノデッキで一ターンで出したわけないよなってああ!考えてる内に相手がエクシーズを……。
ゾクリと、突如なにかが胸を貫き、そのまま腹と背を這い回るような感覚が全身に鳥肌を立てた。
「勝……つンだ……ミんな……期待……るんダ……!」
観客席からは遠く、届くはずのないかすれた決闘者の声をなぜか俺の耳は捉えた。
ARで展開される渦巻く銀河を思わせるオーバーレイネットワークから、黒いナニカがせり上がるように、生まれ出るように浮上する。
―――【No.85】……。
それは巨大な箱だった。
相対する悪魔と天使たちを容易に収納できるだろう六面体が、フィールド全体と対戦相手に大きな影を落とす。
―――【クレイジー・ボックス】!
持ち主がカード名を宣言すると、黒一色だった箱に数字らしき形をした赤い光が点り、カシャカシャと音を立てて中身を見せるように変形していく。
隙間から覗かせるように開かれた箱からは、モンスターの本体らしきものの鋭い爪や球体状に伸びるグロテスクな骨格が見え隠れしている。
「うえぇー……ああいう変なモンスターもいるんだな」
「……」
「ユウヤー?」
アレを見たアンナが話しかけてくるがそれに返答する余裕がない。
なぜか、あのモンスターと決闘者から見開いた目を逸らせない。
嫌に心臓の脈打つ音が聞こえて、肌の下で動く血の流れも感じ、まるで騒いでいるようだ。
なのに、身体は蛇に睨まれた蛙のように身じろぎもできず、自分が呼吸しているかもわからない。
おかしい。
たかが【No.85】だぞ。
この世界では特別な事情を持つ『ナンバーズ』とはいえ、お世辞にも強いとは言えないギャンブルモンスター相手に、俺はなぜ過剰に反応しているのだろうか。
アレと向き合っているわけでも自分の身に危険が迫ってもいないのに首に冷たい汗が流れ、まったく寒くないのに体は小さく震えて止まらない。
箱の中のまぶたが開く。眼球がギョロリと俺をまっすぐ睨み……。
視線が交わった。
「おーいー!大ー丈ー夫かー?」
アンナが俺の肩をつかんで身体を思いっ切り揺らしてきた。
強制的に【No.85】から視線が外れ、視界が四方八方をメチャクチャに捉えて酔いそうになる。
「だ、だい、大丈夫、じょうぶだから止め、止めて酔う……!」
「そっか……じゃあ飲んどけ。ほきゅーが大事なんだろ」
揺するのを止めたアンナはドリンクの入ったフタコップを差し出してくる。
それを一気に飲んでから、動かなかった身体が自由になったことに遅ればせながら気づいた。
だが、身体が自分のものではなくなったかのような異常に恐怖は消え去らず、それが吐き気となって襲ってきた。
「……ごめんちょっと、その、トイレ」
「お、おいユウヤ!」
堪えきれなくなって、心配してくれるアンナの静止も振り切って通路階段を駆けた。
■■■■■
吐きたくなったのに観客席近くのトイレは混みすぎていて、空いてるところを探して塔の内部を迷ううちに吐き気が引いてしまった。
塔の内側なのか窓のないスタッフ用と思われる通路は、冷房が効いていて汗も乾いてしまった。
それなのに頭は熱に浮かされてぼんやりとしか働かない。
席を立ってから結構な時間が経ってしまったので早く戻らなければアンナに怒られてしまう。
が、体力をゴッソリと抜かれたような虚脱感が、走りたい足に力を送るのを邪魔してくる。
もっと速く疾走……れないな。歩こう。
……たかがナンバーズを見ただけでこの有り様か。
遊馬先生に救われたのだから、いつか来る戦いでも助けになりたいと思っていたが、こんなことでは足を引っ張るだけだ。
いや、実はあの『No.85』は特別ドン・サウザンドの力の影響を受けているとか……ないな。
隣にいたアンナが平然としていたのだから、俺の身体が特別耐性がないと考えた方が自然だ。
あの全身をじわりと浸食してくる悪寒。
吐けなかったゆえの胸に異物が残っているような不快感。
できるのなら、もう二度とあんなものは見たくないというのが情けないが本音だ。
この街の中にしてはゴミがわりと落ちているやや汚い道をよたよたと進む。
大会中で人がいつもより多くてオボットが上手く掃除できていないのだろうか。
結構な数のオボットを見かけたが、人通りのあるところを優先してこういう裏側みたいなところは後回しなのかもしれない。
「―――選手が倒れたんだって?」
よたよたと進んで丁字路に差しかかると、話し声が聞こえて歩みを止めた。
角に手をかけ少し顔を出して盗み見ると、ハートランドスタッフの制服を着た男性二人がいた。
「ああ。倒れていたところをMr.ハートランドが見つけたらしくてな。今は医務室だ」
「その選手って、箱みてぇなモンスターエクシーズを使ってた奴だったか」
……【No.85】とMr.ハートランド。
ナンバーズハンターに狩られてしまったのだろうか。
ナンバーズハンター。
ハートランドシティの創設者、Dr.フェイカーがナンバーズを集めるため部下のMr.ハートランドに育てさせた決闘者たち。
うかつにナンバーズを持ったまま決闘すれば、特殊な力をもたらすナンバーズを奪うために持ち主の魂ごと刈り取られ、ひどい時にはミイラのような有り様にされることもある。
まさか、この大会をハートランドでやったのはあのナンバーズを回収するためじゃないだろうな。
表向きはハートランドの人気者であるMr.ハートランドの口利きならそれくらいできそうだ。
いや。それなら、あの決闘者のところにハンターを差し向ければ十分だ。
まさか他にもナンバーズを持っている参加者がいるのか?
それともただの偶然で、たまたま出場者が持っていたから狩っただけなのか。
「暑さにやられたんだろうってよ。対策のため合間に数回スプリンクラーで打ち水するそうだ」
「おう了解」
夏の大会となれば、意識不明者が出ても気候のせいにできるから誤魔化しやすいってことか。
Mr.ハートランドが発見者の時点で本当に熱中症ということはないだろう。
―――ということは、少なくとももうアレを見なくて済むのか。
ああ、良かっ……。
「しっかし勝ちあがったってのに可哀想に。試合も棄権なんだろう?」
――――――。
「そうなるな……。見舞いに来た子が言ってたけど、同じ学校でここまで勝ち上がったのが彼だけらしくて、相当気を張ってたんだと。運ばれてる間も『勝つんだ、勝つんだ』ってうなされてた」
「辛ぇな……。俺たちも倒れねぇよう気ぃつけようぜ」
話が終わったのか、声が遠くなっていく。
会場の入り口が二人の向こう側に見えていたから、そちらに移動したのだろう。
そんなことはもはやどうでもよくて、角を握りつぶすさんとばかりに手が力がこもる。
やがて脱力するように手が離れ、壁に背を預けて座り込んだ。
―――勝……つンだ……ミんな……期待……るんダ……。
あの箱が現れる直前に聞こえた、かすれ出る悲鳴のような思いつめた声が頭をよぎった。
多くの期待を一身に背負って立ち向かい、最後に姿を現したナンバーズは自ら動かず悪い目ばかりな異形のサイコロ。
それでも勝利を掴み取った人間に待っていたのは、カードも戦う権利も奪い取りにくる決闘者。
……人が倒れたってのに何が良かっただ馬鹿野郎。
拳で膝をなぐりつける。
いまいち力が入らなくて大した痛みなど感じなかった。
それがまた腹立たしくて仕方ない。
「あ……ぁ……っ……た……ぁ」
不意にナメクジがずるりとのたくるような、遅く滑りを帯びた声が聞こえた。
声の方に目を向けると俺が来た道の反対側に男が立っている。
半袖の白いワイシャツに黒いズボンという服装は学生にも成人にも見える。
顔からは生気が感じられず、頬はこけたように痩せ目には隈が深く刻まれ、俺を見つめるその目はなにも映していないかのように暗い。
首を傾げたままゆらりと動くそれは説明のできない異様さを持ち、見える風景からその男だけが浮き上がっているように見せてくる。
「あの……なにか御用……」
ゾワリと数十分前に感じたばかりの怖気がまた背筋を駆けた。
その場から飛び退く。
遊馬と一緒にやった「十連続バク転チャレンジ」の副次成果で一足でかなりの距離まで跳べた。
それでも息苦しさは変わらず、不快さに抗いたくて思わず自分の胸元を握るように掴んでしまう。
胴体を這い回られる感覚は、男の腕にあるD‐パッドを見た瞬間から襲ってきている。
この男は、確実にナンバーズを持っている。
「デュ……ゥ……エ……ェ……ル」
「え……?」
男のD‐パッドが決闘盤に展開され、操作していない俺のD‐パッドまでもが決闘盤に変形した。
次の瞬間、俺たち以外誰もいない通路全体へと紫電が走り電灯が次々と消えていく。
冷房の音すら止まり残ったいくつかの電灯が点滅するだけのほの暗い通路に、互いの盤の駆動音だけが響く。
男は決闘盤の重みに引っ張られるように猫背となり、垂らされた腕の先には既に五枚の手札が握られている。
それでも頭だけはしっかりと上げられて、その視線が俺を射抜く。
足を擦るように決闘の距離からさがろうとすれば、足元をバチリと紫電が襲う。
やるしかないらしい。
観念して、D‐ゲイザーをセットしてあの幽鬼のような男を見据える。
自分の中のなにかが、アイツはダメだ危険だと警鐘をガンガンと強く鳴らす。
……こんなに決闘をしたくない、と不快感に満たされたままやるのは前世含めても初めてだ。
絶対に負けてはならないという焦燥感のまま、立ち上がるのも億劫な身体を踏んばって怖気を振りはらうため力いっぱいカードを引いた。
「ぐっ……ガァ……」
「え……?」
驚くほど簡単に勝てた。
勝つ気がないようなプレイングで、隙を見せて攻撃を誘っているのだろうと反撃への対策を練っていたのに、相手はまるで自爆するかのように自分のライフをゼロにした。
おぼつか無いカード捌きに、今にも手札を落としそうな力ない手。
暗い洞穴のような虚ろな眼をしながらも、俺から視線をまったく逸らさない男からは不気味さばかりを感じた。
そんな男も今は決闘の衝撃で倒れてからピクリとも動かない。
ナンバーズも姿を見せず、あっさりと倒れたのに悪寒はまだ止まない。
実はただの決闘の弱い不審者で、嫌な感覚も勘違いであれば万々歳だがその望みは薄いだろう。
恐る恐る倒れた男の元へ近寄りその体を揺する。
「……大丈夫、ですかー?」
まぶたも閉じて失神しているはずの相手を呼びかけながら様子をみる。
ナンバーズの影響を受けただけなら、この人はただの一般人かもしれない。
倒れているのを放置するのは寝覚めが悪いからだ。
手を口の前にかざすと呼吸は確認できるし、首に触れれば脈もあった。
しかし、肌に熱が無い。
死体に対して冷たくなる、なんて表現することがあるがそれはアンナのペットボトルのような凍らせたような冷たさではなく、ぬるま湯に手を入れたような熱の抜けた感覚を指すのだ。
ちょうど、この男性のように。
生きているのに、あるはずの体温が感じられない。
バチリ、とそばで音が鳴る。
反射的に身体を向ければ、まとわりつくように電気の線が飛び回る決闘盤が、ひとりでにエクストラデッキの蓋を開いていた。
そこから這い出るようにゆっくりとゆっくりと一枚のカードが排出されてくる。
ナンバーズ特有の文字列が妖しく輝き、絵柄部分からアメーバ状の黒いなにかが零れ出る。
黒いカードを包みながら膨らんでいくそれに、このままでは飲み込まれると直感的に悟り、焦って尻もちをついてしまった。
情けないがそのまま逃げるように後ずさる。
二メートル、いや更に膨らんだので三メートルか。
山なりに膨らむ物体から腕や首を作るように三本の触手が生える。
天井へ向けて伸びた一本の先に、目が付くようにナンバーズの数字が光る。
ナンバーズの文字の読み方などまったく覚えていないが、あの二桁はわかり易くて理解したくないのに出来てしまった。
あの数字は『96』だ。
人型になり損ねたような黒い怪物は前のめりに倒れながら顔を俺の目線まで下ろしてきた。
目の代わりの数字の下へ真一文字の切れ目が走り、目の前で赤い口腔が開く。
―――ヨ…………コ…………セェ。
低く重いかすれた、声なのかも判別しづらい音が鼓膜を揺らす。
その威圧に血の気が顔から引いていく俺を余所に、怪物は核のように埋めこまれたエクシーズカードに吸い込まれていく。
すべてを飲み込み、一瞬だけ黙り込むような静寂。
浮かんだままの【No.96】に爆発したように黒い火が灯る。
その黒い威圧に俺の体が強張る。
次の瞬間、弾丸を思わせる速度で俺の決闘盤目掛けて【No.96】が迫る。
「なんで……なんでこんなところに……」
とっさに身体を半身にしてギリギリで避けられたのは奇跡だ。
訳はわからないが、こいつにだけは憑りつかれるのは絶対にダメだ。
どうやら耐性がないらしい俺自身がどうなってしまうかも当然心配だが、まかり間違ってアストラルが来る前の遊馬の下へ渡ってしまったら彼が危険だし、最悪すべてが破綻するかもしれない。
再び迫るカード型の災厄を横へ受け身をとるように転がり避ける。
どうする。どうすればいいんだ!?
俺はアレをどうにかする手段を持っていない。
その場しのぎの回避が関の山だ。だが決闘の間も体力を削られたせいか正直すでに体は限界寸前。
どうにかしてMr.ハートランドなりのところへ行って回収してもらう?今どこに居るのか知らずに走り回ってはたどり着く前にアウトだろう。成功しても俺ごと狩られるかもしれない。
倒れた男の体が目に入る。なら【No.96】を倒れてる男の決闘盤に戻す?
―――半死半生の男の体。
―――勝つために必死だった倒れたという選手の話。
―――自分が嫌だから人に押し付ける?
…………のは、無しだ!
デッキからカードを引き抜いて飛んでくる【No.96】に投げつける。
直撃して弾いた隙をついて、カード手裏剣に使った【EMスパイク・イーグル】を回収しながら走りだす。
案の定【No.96】が追って来ているのを背中越しに感じる。
どうせ逃げるしかないなら、全力で前へ逃げてやる。
無謀だが、いいナンバーズハンターの所へ行けるまで倒れるまで走りぬいてやる!
「……かっとビングだ、俺!」
会場入り口である外の光が見える扉へ向かい駆ける。
「あー!見つけたぞユウヤ!」
―――扉の先から水筒を持ったアンナが光指す道の向こうから走ってきた。
なんて、間の悪い……!
「いい゛!?ちょ、アンナ今はこっちに来ちゃ……」
「どこ行ってたんだよ!海美姉ちゃん試合もう終わって……!」
逡巡する暇もなく互いに駆け続け。
アンナが、落ちていたバナナの皮を踏んで滑った。
ウッソだろお前!?
しかし、あの倒れ方は頭から落ちる体制で危険だ。
なんとか支えるため追ってくる【No.96】のことを忘れてさらに加速する。
彼女の足を滑らせて蹴っ飛ばされ俺の顔へ飛んでくるバナナの皮を、スライディングで回避する。
そのまま滑り抜いて倒れてくるアンナの下までたどり着き、受け止めるべく腕を広げ―――。
アンナの全体重の乗った肘が、俺の鳩尾を全力で撃ち抜いた。
スクラップフィスト級の一撃である。
「ブゥラリィ゛ー!?」
「……ううん……?はっ、ユ、ユウヤ!?おい大丈夫か!死ぬなー!」
若干涙目のアンナが痙攣して倒れる俺を抱き起こした。
その様子なら俺は腹部の痛みという多大なコストを払いつつも、無事にアンナは守れたようだ。
堪えつつ上半身を上げ、俺を追う黒い脅威に向き直る。
そこにはバナナの下敷きになった【No.96】があった。
思わず自分の顔から表情が抜け落ちて真顔になった。
……作画崩壊パンチを受けたような気分だ。
黄色い皮の隙間から漏れるように途切れながら上がる黒い炎。
さっきまでは寒気がする威圧感を放っていたそれが、今は「動けないからこのバナナを退かしてくれ」という救難信号にしか見えなくなった。
本当に哀れなほど薄っぺらになった彼の尊厳の失いっぷりに、寸前まで奴のせいで進退窮まっていた俺すら、あの醜態を見てやらないことが武士の情けなのではないかと錯覚してしまう。
事情がわかるわけのないアンナが怪訝な顔で見つめてくるのを横目に俺は自分の顔を片手で覆う。
えぇ…………どうすれば……いいんだ……。
バナナくらい自力で脱出してくれよナンバーズだろう。
あのベクターを悪として二流と吐き捨てた後に神になると豪語した【No.96】だろう。
……まさかアストラルが来てないから、力が全然ないのだろうか。
『No.96』は最初わざと遊馬先生に回収されてから、アメーバ状だった身体を黒いアストラルに変えて暴れだした。
おそらくアストラルの力もドン・サウザンドの力も上手く混ざらず、例えばアストラルの力に触れるとかの一定の手順を踏まなければ力を発揮できないではないだろうか。
さっきのオーラも、もしやただのコケ脅しだったのかも。
そうでなければ、バナナの皮に負けるナンバーズの説明がつかない。
いやつけたくない。
『お掃除。お掃除』
頭を抱えていたところへオボットがやってきた。ここまで巡回してくるとは働き者のAIだなぁ。
働き者が丸い体からアームを伸ばして床に落ちていたバナナの皮を回収し、その体に内蔵しているゴミ箱に放り込んだ。
【No.96】ごと。
「え、ちょっ、それは……!」
『ゴミ。ゴミ。回収。回収』
俺の静止の声など聞くはずなく、そのオボットは仕事を続けるべくその場を去って行った。
残されたのは、あっけにとられたままオボットへ向けて意味なく腕を伸ばす俺と、なにもわかっていないアンナだけだった。
これで良いのだろうか……正直助かったは助かったのだが。
……きっとフェイカーがゴミを回収するフリしてナンバーズを持って行っただけなのだろう。
そう、信じよう。
「おい、ユウヤ……」
「ああ、うん……大丈夫……でもないかな……」
安心したからか、体から一気に力が抜けてへたり込む。
心配を目で訴えるアンナに悪いが、今は心も体も守備表示にしておきたい。
「やっぱり暑さにやられてんのか!?持ってきたからこれ飲……」
アンナが水筒を開けてコップに注ごうとし……水滴が落ちた。
もう全部飲んじゃったんだな。非力な内蔵量を許してくれ。
「ああ!し、死ぬなユウヤー!」
「……いや、熱中症で苦しいわけじゃないから、死なないよ」
さっきまでの異常な状況がただの夢だったかのようだ。
慌てふためいているアンナがいつも通りで、俺を揺する手の温度が子供らしく生きた温かさで、自分が笑顔になっていくのがわかる。
決闘以外で俺に……笑顔を……。
「アンナはどうしてここに?座ってた場所からだいぶ離れてるけど」
「だってお前がいなくなってから、暑さで倒れた奴がいるって話が聞こえてお前かもって!」
それは全然別の人の話で……ああそうか。
あの時はナンバーズを見て気分が悪くなって席を立ったんだ。
そこにそんな話を聞けば安否確認もしたくなるか。
「……もしかしてさ、ずっと探してくれてた?」
「………………違うし」
「そっか」
嘘をつくならこっちを見なさい。
でもそのおかげで、やり方はともかく窮地を脱することができた。
俺ではあんな方法で解決することなど絶対にできなかった。
この娘は自分を、いやもしかしたらもっと沢山の人を助けてくれたのかもしれない。
自分が一番暑さにやられていたのにだ。
鉛を詰めたように重い腕を持ち上げてアンナの頭を撫でる。
「な、何だよ。やめろよぉ」
「心配かけてごめん。ありがとうアンナ」
「別に感謝されたいわけじゃ……えへへ」
やめろと言いつつ、はにかんだまま成すがまま受け入れるアンナ。
良いことをした子は全力で褒めて頭を撫でるものだ。
その後、スタッフを呼びに行って【No.96】を持っていた男性を医務室まで運んでもらった。
多少の衰弱が見られるようだが問題はないらしい。
スタッフを呼んだ時に俺も確認したが、感じた冷たさはなく生きた人間の体温に戻っていた。
ずっと後に聞いた話だが、あの男性は数日前から行方不明になっていたらしく、その間に何をしていたかは何も覚えていないらしい。
……【No.96】はどうして俺に憑りつこうとしたのだろうか。
ナンバーズハンターに目を付けられたのを察して、さっさと別の隠れ蓑に逃げようとしたのか。
それとも、あの宿主が俺のようにナンバーズの力に耐性が無くて、もっとまともな持ち主を探していただけなのだろうか。
だとしたら運のないことだ。
数いる人間の中で俺は確実にハズレの目だろう。
その果てにバナナに乗られてゴミ箱に収められるのだから、弱り目に祟り目にもほどがある。
今日一番悪い目を出したのは俺ではなく、アイツなのだろう。
ミストラルファンの皆様、申し訳ございません。
今回は「アンナの肘が確定したユウヤ」と「強いはずの敵がギャグ風に負ける」を書きたかったんです。
途中から「シリアスをアンナがぶち壊す」を加えたくなってこうなりました。
ダメだとは思いつつ、投稿するのを堪えられなかった。
今は反省しています。