非常勤講師として就任してきたグレン=レーダスの授業は最悪だ。
聞いても授業の内容が理解できない。そもそも説明にもなっていない。判断不能の汚い文字を黒板に書く。
とにかくやる気がないことだけはよく理解できた生徒達は教科書を開いて独学で勉強している。
そんな授業が一週間続いた最後の授業となる五限目でシスティーナは立ち上がった。
「いい加減にしてくださいッ!」
「む? だから、お望み通りいい加減にやってるだろ?」
グレンは抜け抜けとそんなことを言い放ち、教科書を黒板に打ちつける作業を堂々と続けている。金槌を肩に担ぎ、釘を口にくわえているその姿はまるで日曜大工だ。
そんなグレンにシスティーナは肩を怒らせ、説教するもグレンはそれを聞き流すとシスティーナは強硬手段を取った。
システィーナは魔術の名門であるフィーベル家の娘。学院にそれなりの影響力を持っている。システィーナが父親に進言すればグレンの進退を決すこともできる。
そうされたくなければ授業に対する態度を改めろと言おうとするが――
「お父様に期待していますと、よろしくお伝え下さい!」
グレンは紳士の微笑を満面に浮かべた。
「―――な」
その反応にシスティーナは言葉を失うしかなかった。
「いやー、よかったよかった! これで一ヶ月待たずに辞めれられる! 白髪のお嬢さん、俺の為に本当にありがとう!」
「貴方っていう人は――――ッ!」
もうシスティーナは忍耐の限界だった。
グレンという男の素行を看破することはできず、魔術の名門として誇り高きフィーベルの名において、魔道と家の誇りを汚す者を許しておくわけにはいかなかった。
故に決断は早かった。
システィーナは左手に嵌めた手袋を外し、それをグレンに向かって投げた。
左手の手袋を相手に向けて投げるのは魔術師の決闘の申し込みだ。それを相手が拾うことで決闘が成立する。
だが、生徒と講師での決闘なんて前代未聞。それも決闘のルールは受け手側が優先的に決めることが出来る。
講師と生徒でさえ実力差はあるにも関わらず、システィーナはグレンに決闘を申し込んだ。そしてグレンはその決闘を―――
「その決闘、受けてやるよ」
受けてしまった。
等間隔に植えられた針葉樹が囲み、敷き詰められた芝生が広がる学院中庭にて。グレンとシスティーナの二人は互いに十歩ほどの距離を空けて向かい合っている。
講師と生徒の決闘にクラスメイトだけではなく、噂を聞きつけて集まった野次馬達のなかにはロクスも二人の決闘を見ていた。
勝負形式は汎用魔術である黒魔【ショック・ボルト】のみで決着をつける。
システィーナがグレンに勝ったら態度を改めて真面目に授業を行う。
グレンがシスティーナに勝ったら説教禁止。
負けた方は勝った方の要求に従わないといけないその決闘に二人の決闘を見守っているクラスメイト達は心情はシスティーナを応援しているも、相手は仮にもこの学院に招かれた講師。それ相応の実力があるはず。
「《雷清の紫電よ》――――ッ!」
システィーナは一節詠唱で【ショック・ボルト】を放った。
「ぎゃああああああ―――――っ!?」
それにグレンは直撃してあっさりと倒れ伏した。
「………………………あ、あれ?」
指を突き出した格好のまま硬直し、脂汗を垂らした。
決闘を遠巻きに眺めていた生徒達もこの結末にざわついている。
予想を斜め上にいく結末に誰もが唖然とする中、回復したグレンは立ち上がる。
その後、何度やってもグレンの呪文よりもシスティーナの呪文が早く完成し、システィーナに一発も【ショック・ボルト】は当たることは無かった。
作業のように行われたその決闘で地面に大の字で痙攣しているグレンは一節詠唱ができないことがわかった。
あれこれと言い訳染みたことを言うグレンだが、決闘はシスティーナの勝ち。システィーナの要求をグレンは呑まなければならないのだが。
「は? なんのことでしたっけ?」
この男は決闘での約束を反故にし、高笑いしながら走り去っていった。
「チッ」
誰もがグレンを酷評するなかでロクスは小さく舌打ちした。
(時間を無駄にさせやがって…………………)
わざと負けたグレンに苛立った。
そもそも学院を一刻でも早く辞めたいグレンが勝つ意味なんてない。そんなことをすれば最低一ヶ月は非常勤として働くことになる。逆に負けて態度を改めた授業をしたくないであろうグレンが自分にとって一番都合のいい手段は嫌われ者になることだ。
嫌われ者を引き止める奴はいない。逆に留めておく必要性もない。
一秒でも早く講師を辞められる手段をグレンは取っただけだ。
だが、それでもあの講師がどんな戦い方をするのか多少なり興味があったが成果はゼロどころかマイナス。完全に無駄足だった。
ロクスは苛立ちと共にその場から離れていく。
その決闘が終えてからもグレンのやる気のない授業は変わらない。
もう誰もが自習をするが当たり前になっているなか、それでも何かを学ぼうと健気で真面目な生徒がいた。
そんな生徒相手でもグレンはただ辞書を渡して辞書の引き方を解説するだけであって、無関心を決め込むつもりだったシスティーナも流石に黙っていられなくなった。
「無駄よ、リン。その男に何を聞いたって無駄だわ」
「あ、システィ」
「その男は魔術の崇高さを何一つ理解していないわ。むしろ馬鹿にしている。そんな男に教えてもらうことなんてないわ」
「で、でも………………」
「大丈夫よ、私が教えてあげるから。一緒に頑張りましょう? あんな男は放っておいていつか一緒に偉大なる魔術の深奥に至りましょう?」
システィーナがうろたえているリンを安心させるように、笑いかけたその時だ。
一体、何がその男の気に障ったのか。
「魔術って…………………そんなに偉大で崇高なもんかね?」
ぼそり、とグレンが誰ともなくこぼした。
「ふん。何を言うかと思えば。偉大で崇高なものに決まっているでしょう? もっとも、貴方のような人には理解できないでしょうけど」
鼻で笑い、刺々しい物言いでばっさりとシスティーナは切り捨てた。
「何が偉大でどこが崇高なんだ?」
「…………………え?」
「魔術ってのは何が偉大でどこが崇高なんだ? それを聞いている」
食い下がるグレンの言葉にシスティーナは一呼吸置いて答えた。
魔術はこの世界の真理を追究する学問。
世界の起源、構造、支配する法則。魔術はそれを解き明かし、自分と世界が何の為に存在するのかという永遠の疑問に答えを導き出し、人よりも高次元の存在へ至る道を探す手段、と。システィーナは会心の返答をするも。
「…………………何の役に立つんだ? それ」
グレンはそう言い返した。
世界の秘密を解き明かして、より高次元の存在になることでそれが何の役に立つのかとそう言い返すと、システィーナはそれに即答できなかった。
そんなシスティーナにグレンはつまらなそうに追い討ちをかける。
この世界で術と名付けられた物は大体人の役に立っているが、魔術だけは何の役にも立っていない。何故なら魔術の恩恵を受けられるのは魔術師だけで、普通の生きていく一般人には触れることもない代物だ。
魔術は娯楽の一種。グレンはそう言ったのだが―――
「悪かった、嘘だよ。魔術は立派に人の役に立っているさ」
突然の掌返しにシスティーナを含むクラスの生徒一同が目を丸くする。
だが。
「あぁ、魔術は凄ぇ役に立つさ…………………人殺しにな」
酷薄に細められたその暗い瞳、薄ら寒く歪められた口から紡がれたその言葉は、クラス中の生徒達を心胆から凍てつかせた。
「実際、魔術ほど人殺しに優れた術は他にないんだぜ? 剣術が人を一人殺している間に魔術は何十人も殺せる。戦術で統率された一個師団を魔導士の一個小隊は戦術ごと焼き尽くす。ほら、立派に役に立つだろ?」
「ふざけないでッ!」
魔術を外道に貶められることは看破できなかったシスティーナだが、グレンの魔術の裏の世界に何一つ反論することはできなかった。
「まったく俺はお前らの気が知れねーよ。こんな人殺し以外、何の役にも立たん術にせこせこと勉強するなんてな。こんな下らないことに人生費やすなら他にもっとマシな――」
ぱぁん、と乾いた音が響いた。
歩み寄ったシスティーナが、グレンの頬を掌で叩いた音だ。
「いっ………………………てめっ!?」
グレンは非難めいた目でシスティーナを見て、言葉を失った。
「違う…………………もの…………………魔術は………………そんなんじゃ………………ない………………もの………………………」
気付けば、システィーナはいつの間にか目元に涙を浮かべ、泣いていた。
「なんで…………………そんなに…………………ひどいことばっかり言うの……………? 大嫌い、貴方なんか」
そう言い捨てて、システィーナは袖で涙を拭いながら荒々しく教室から出ていく。
後に残されたのは圧倒的な気まずさと沈黙だった。
「――――ち」
グレンはガリガリと頭を掻きながら舌打ちする。
「あー、なんかやる気でねーから、本日の授業は自習にするわ」
そう言って教室から出ていくグレン。今も気まずさと沈黙が続く教室のなかでその沈黙をロクスは破った。
「下らねえ………………………」
「…………………………何が、下らないの?」
吐き捨てるように呟いた言葉に反応したのはルミアだった。
いつもは見せない怒りが灯った目でロクスを見据えるもロクスはそれに怯むことなく言い切る。
「フィーベルとあの講師の考えに下らねえって言ったんだ。魔術は世界の真理を追求する学問? 人殺しの道具? ハッ、どっちも下らなすぎる。下らな過ぎて吐き気がする」
二人の考え方にロクスは鼻で笑って苛烈なまでに言い切った。
「おい、それはいくら何でも言い過ぎだろう!?」
「そうですわ! 一体何が下らないのですの!?」
ロクスの言葉にクラスメイトであるカッシュとウェンディが立ち上がって声を荒げるもロクスはそんな二人にその鋭い眼光を向ける。
「魔術は”力”だ。それ以上でもそれ以下でもねぇ。あの二人が言っていることは俺から言わせればただの戯言、
そこまで言うのか、彼の言葉に教室にいる誰もがそう思った。
「俺は力を手にする為にこの学院に来た。お前等のように仲良しこよしする為でも、遊びで魔術を習いにきたわけじゃない。力を得る為にこの学院は使えると判断したから入学しただけだ。魔術を真理を追究する学問に使う気も人殺しの道具に使う気もさらさらねぇ。目的を果たす為に魔術を身に着ける。それだけだ」
グレンの時とは違う。心胆が凍てつくとは真逆の苛烈で猛烈な熱を有する彼の言葉に誰もが冷汗を流した。
「お前等みたいに表しか見ていない奴等と裏しか見て来ていないあの講師と俺を一緒にするな。俺は俺だけの為に魔術を使う」
ロクスは立ち上がって教室の扉を開ける。
「もっとも俺の言葉に耳を貸す必要はないがな。そんなことをしても邪魔なだけだ」
そう言い残して彼は教室を出ていった。