先の宝石獣で
「ここは……?」
何かの保管庫のようだった。
大広間のような室内は薄暗い。床や壁、高い天井の所々に設置された結晶型の光源――魔術の照明装置の光はかなり絞られており、足元がよく見えない。そして、辺りには謎の液体で満たされたガラス円筒が、無数に、延々と規則正しく立ち並んでいた。
それらガラス円筒の一つ一つが、部屋のあちこちに設置されたガラクタの塊のような魔導装置にコードで繋がれ、その装置は現在進行形で低い音を立てて稼働している。
「……なんだこりゃ?」
ふと、グレンはガラス円筒の中に、球状の何かが浮いていることに気付く。
周囲が薄暗いため、そのガラス円筒の中身がよく見えない。
グレンは何気なくガラス円筒に近づいて、中を覗き込んで――
――瞬時に、止めておけばよかったと後悔した。
「これは……ッ!?」
思わずこみ上げた吐き気を堪えるように口元を押さえる。
背筋が凄まじい亜寒で総毛立ち、ぶわっと気持ち悪い脂汗が全身から噴き出した。
「……ッ!」
アルベルトも、その表情をいつも以上に硬く険しくする。
ガラス円筒の謎の液体の中に浮いていたのは……人間の脳髄だったのだ。
「な、な、なんなんだ、これは!?」
よく見れば、隣の円筒もそうだ。その隣もそう。その隣の隣もそうだ。
取り出された人間の脳髄が、延々と標本のように並んでいる―――
――否、実際にこれは標本なのだろう。
人間の標本。見るも聞くもおぞましい、背徳と冒涜の所業。
それらを前に、呆然と絶するグレンの他所に。
「……『感応増幅者』……『生体発電能力者』……『発火能力者』……」
アルベルトは足音を低く響かせながら、立ち並ぶガラス円筒の傍らを次々と過っていき、ガラス円筒につけられているラベルの文字を淡々と読み上げていく。
「……全ての円筒に異能力名がラベルされているな。後は被検体ナンバーと各種基礎能力値データが少々……つまり、これは――」
「異能者の成れの果てだ」
アルベルトの言葉に続くようにロクスが口を開いた。
「あの爺にとって異能者は人間じゃねぇ。こんなのあの爺からしてみればただの動物実験、こいつらはただの標本だ」
近くにあるガラス円筒に触れながらロクスはそう言う。
「あの施設でもそうだった。俺達、異能者はただの
「お、おい、ロクス……」
それ以上何も言わせまいとグレンは手を伸ばすが、その手は途中で止まった。
「どういうわけか、異能者の力、異能力は脳にあるらしい。駒としてではなくただのデータを集めるなら脳髄を引きずり出してこうして管理した方が実に効率もいいし、管理も楽だ。あの爺は本当によく使っているよ、異能者を……俺達をただの道具として」
ロクスの身体から黒い炎が漏れている。それだけにロクスの怒りが、憎悪が見て分かる。
グレンは周囲を見渡す。何かに縋るような、神に祈るような、そんな表情だ。
すると。
グレンは、ふと『それ』に気付いた。
立ち並ぶガラス円筒群の一番奥にあった『それ』。
液体に満たされた円筒の中に吊るされている『それ』はまだ、人の形をしていて――
グレンは衝動的に、『それ』に向かって駆け出していた。
「アルベルト、見ろ! あいつ、まだ生きてるぞ! 早く助け――」
だが、不意にグレンは駆け寄る足を止め、言いかけた言葉を飲み込んだ。
ガラス円筒の中に浮かぶ『それ』の正体はまだ、年端もいかない少女だ。歳はロクスとそう変わらない。だが、その少女は手足が切断され、全身を無数のチューブに繋がれ、魔術的に『生かされている』状態だった。すでに一個の生命として、独立して生存する機能を完全に奪われている。
この装置から解き放たれたら、この少女は数分と生きられないだろう。
この少女はもう、あらゆる意味で『終わって』いる。生物としての体を成していない。
肉体が微かに生命反応を示すというだけで……もうとっくに『死んで』いたのだ。
(……酷ぇ。こんな……こんなことって……ッ!)
やりきれない悲しみと怒りにグレンが手の骨が砕けんとばかりに拳を握り固める。
「…………」
こんな状態でも、微かに意識はあったらしく、少女が身じろぎする。
少女の虚ろな目と、呆然自失するグレンの目が合う。
少女は弱々しく動く。
コ、ロ、シ、テ。読唇術にあまり自信のないグレンだったが……この見知らぬ少女の言いたいことだけははっきりとわかった。
その時だ。
ロクスが剣を構え、少女がいるガラス円筒の前に立った。
そして――
ロクスは少女を閉じ込めていたガラス円筒を破壊し、少女に繋がれているチューブを切断し、倒れ落ちようとしている少女を抱き止めた。
「……」
ロクスは何も告げなかった。
少女が入っていたガラス円筒に満たされていた液体を頭から浴びようとも、そんなこと気にも止めずにただ少女を抱き締める。
「……ぁ…」
それが自由になった少女の最後の言葉だった。
少女は最後に何を言いたかったのか、何を言い残したかったのかはわからない。それでも少女の顔は僅かに微笑んでいたように見えた。
それが少女にとって救いになっていたのか? いや、こんなところで死ぬ少女に決して救いなどなかった。少女に救いがあるのならこんなところにいるわけがないのだから。
ロクスはそっと少女を地面に寝かせ、制服の上に着ていた特務分室の礼服を少女に被せる。亡骸をこれ以上辱めないように。
「ロクス……」
今、ロクスがどんな表情をして、何を思っているのかグレンにはわからない。その時だった。
「貴様らぁ!? 私の貴重な実験材料になんてことをしてくれた!?」
場違いで筋違いな罵声が、その部屋に響き渡った。
「バークス=ブラウモンッ!」
見れば、バークスが円筒の群れの向こう側にある出入り口に姿を現していた。
「おのれぇッ! 今、貴様らが壊したサンプルがいかに魔術的に貴重なものか、それすらも理解できんのか!? この愚鈍な駄犬共ッ! 絶対に許さんぞッ!」
「なぁ、お前……」
グレンは幽鬼のような表情で、バークスを一瞥する。
「聞くだけ無駄だろうが……お前が切り刻んで標本にした人達のこと……どう思ってるんだ? 少しは罪の意識とかねーのかよ?」
「はぁ、罪だと? 何を戯けたことを」
完全に馬鹿を見るような眼で、バークスはグレンを見る。
「偉大なる魔術師たる私のために身を捧げることができるのだぞ? 寧ろありがたく思って欲しいくらいだ。大体、どいつもこいつもまったく役に立たん……だが!」
バークスはぬけぬけとそんな事を言ってのけ、そして今度は怒り心頭とばかりにわなわなと震え始める。
「たまたま、少しは役に立ちそうな実験材料が見つかったと思えば、たった今、貴様らが台無しにしてくれた……いい加減にしろッ! ……と言いたいが特別に許してやろう! 貴様らが台無しにしてくれた実験材料以上のモノを持ってきてくれたのだからな!」
バークスの視線はロクスに向けられる。
「先の黒い炎を見せて貰ったぞ! 実に素晴らしい炎だ! 宝石獣でさえもああも圧倒するあの黒い炎こそ私に相応しい! 貴様を切り刻み、我が魔術の糧になれることを光栄に思うがいい!」
あまりにも自分勝手な物言い。グレンは冷静に怒り狂っていた。
「あー、うん、もうね、なんつーか、あれだ。お前、本物だよ」
衝動的に、背中に隠してある銃へと手を伸ばし――
「《炎獅子》」
その前に、グレンの背後から放たれた火炎球がバークスを襲う。
バークスがいた場所に爆炎が嵐のように渦巻き、バークスは炎に包まれる。
「講師、フレイザー。あいつは俺が殺す。だから先に行け」
「ロクス……」
「邪魔するならお前等から殺す」
邪魔をするな、と憎悪に満ちたその瞳がそう強く告げている。それでもグレンは何かを言おうとしたが、アルベルトがグレンの肩を叩く。
「行くぞ。王女を奪還するのが俺達の仕事だ」
「……くそ、ロクス。絶対に無事でいろよ!」
ここで足を止めている暇はない。せっかくロクスが開いてくれた活路を無駄にしない為にもグレン達は先に進む通路に向かって駆け出す。
「ほう……たった一人残るとは。さっきの駄犬共と一緒に戦えばまだ勝機はあったものの」
先程の【ブレイズ・バースト】を【フォース・シールド】で防いだバークスは
「まぁよい。先に貴様を倒し、動きを封じてからでも十分に間に合うわ。それが終われば貴様を徹底的に『教育』してその気に食わない目ができぬようにしてくれる」
どす、と。バークスはいつの間にか手に持っていた金属製の注射器を、自分の首筋へと打ち込んでいた。
「気になるか? ふっ、これはな……貴様のような道具には想像もつかぬ神秘の産物よ」
その時、バークスの身体に異変が起きた。
バークスの全身の筋肉が突然、隆起し始めたのだ。初老にしては体格の良いバークスの身体が、めきめきと、さらに不自然に膨れ上がっていく――その全身に視覚的にわかるほどの圧倒的な力が漲っていく――
そして、バークスの右腕が激しい勢いで燃え上がり、炎の帯がうねりを上げてロクスに襲いかかるが、ロクスはそれを回避して気付いた。
「てめぇ……ッ! その炎はッ!?」
「ほほう? 流石に一目で気付いたか」
得意げにバークスが言う。
「そう、私はな……生命の神秘を解き明かすため、無数の異能者を調査・研究する過程でな……その異能力を異能者から抽出し、己の能力として意図的に引き起こせる
ギリ、とロクスは歯を噛み締める。
「しょせん、異能といってもこんなものよ! 異能は先天的にしか持ちえぬもので、魔術師には扱えないもの? 異能は魔術をも超えた神秘? 馬鹿を言ってはいかん! 異能ごとき、真の魔術師にとってはやはり使われる道具の一つに過ぎぬ!」
「……」
「今はまだ使える異能もまだまだ少ないが、いずれ研究が進めば、全ての異能を我がものにしてくれよう! 貴様の異能も含めてな! うわはははははははははっ! 私って凄い!」
そんな興奮の絶頂にあるバークスとは裏腹にロクスは怒気を孕んだ息を漏らす。
「新しい玩具を買って貰って自慢するガキかよ。クソ爺」
「……は?」
「俺達、異能者を散々切り刻んで手に入れたのがそんなものか……」
「そんな、ものだと…ッ!?」
みるみる顔を真っ赤に染めていくバークスだが、ロクスにはそんなことどうでもよかった。
(たかが異能力を手に入れる為に、何人の異能者を殺しやがった……)
ロクスは欲しくてこんな力を持っているわけではない。もし、この異能がなければ両親は殺されなかった。拷問を受けることも殺し合いを強制されることも、生きたい筈の少女まで殺すことなどなかった。
異能がこの世に存在していなければ、復讐者などに堕ちることなく学院で皆と一緒に魔術の勉強をしていたかもしれない。
「……てめえは天の智慧研究会じゃねえが」
だがそんなしても意味がない妄想などよりもやらなければいけないことがある。
「殺してやるよ。クソ爺」
剣に黒炎を纏わせて冷ややかにそう告げた。