聖堂内で『
とある一人の人間が、天使の塵を使って引き起こした悪夢の事件は終わり、天使の塵による犠牲者、行方不明者の数は相当で、これが一人の人間が出した犠牲者であることを考慮すれば、信じられないほど鬼畜かつ許されがたい悪魔の所業といえる。
その人間の名前はジャティス=ロウファン。
元・帝国宮廷魔導士団特務分室所属――《正義》のジャティス=ロウファン。
一年余前、帝都で大惨劇を引き起こした者のその名は、まだ人々の記憶に新しい。
かの者の再来に、全てのフェジテ市民が恐怖に震撼し……残された遺族達は、やり場のない怒りと悲しみに咽ぶことになる。
レオス=クライトスも、その犠牲者の一人だ。
クライトス伯爵家の名誉を守る為に、レオスの行動は全てジャティスの『
ジャティスの目的は、レオスにフィーベル家を掌握させ、クライトス家の財産を手中に収めるため、というそれなりにわかりやすく、納得できる理由が捏造された。
それはクライトス伯爵家の名誉失墜を防ぎ、フィーベル家との軋轢を避けるための、やむ得ない処置であった。
それから、幾ばくかの日々が過ぎてロクスも特務分室の一員としての仕事が一段落して再び学院へ通い始めている。
そしていつものように教室に訪れて自分の席に座っている。
(ジャティス=ロウファン……)
今回の事件の首魁。一年余前の事件でグレンとセラが始末したとされていた人間が健在。またも事件を引き起こした。
(
ちょくちょくその名を耳にするもロクスにはそれがなんなのかわからない。それはグレンやアルベルトも同様。ただわかっているのはジャティスも天の智慧研究会もそれを欲しているということぐらいだ。
(そもそも何故、天の智慧研究会はティンジェルを欲している? たかが『感応増幅者』など他にもいるだろうに……)
最初の学院のテロ事件の際はルミアを誘拐。その次の魔術競技祭の時は殺害。テロリストの狙いがルミアなのは間違いないが、行動に一貫性がない。
(あのクソ共の狙いがティンジェルであることには間違いない。だが、分からないことが多過ぎる)
ひとまず自分にできること、ルミアの護衛に集中しようと、とりあえずそう考えを纏め始めたその時。
「な、なぁ、ロクス……」
「あぁ?」
不意に声をかけられた。
ロクスに声をかけてきたのは同じクラスメイトのカッシュ。その後ろには同じクラスメイトが何人かロクスの前まで歩み寄ってきていた。
「なんだよ? 魔導兵団戦に参加しなかったことに文句でもあんのか?」
同じクラスメイトであるシスティーナを賭けた決闘に唯一参加しなかったロクス。それに対してまだ言い足りない文句でもあるのかと思ってそう口を開くも。
「その、ありがとな」
「は?」
礼を言われた。
「前のテロ事件の時も今回も俺達を逃がす為に一人で戦ってくれただろ? お前はそのつもりはなかったかもしれねえけど、まだちゃんと礼を言っていなかったからさ……」
「本来ならもっと早くお礼を言うべきことですのに遅くなって申し訳ありませんわ。二度も助けて貰った恩は必ずお返ししますわね」
「私からもお礼を言わせてください。助けて下さり、ありがとうございます」
「えっと、その、助けてくれてありがとう……」
カッシュに続いて一人また一人と次々にロクスに感謝の言葉を口にするも、ロクスには何を言っているのか理解するのに時間を有した。
(なに、言ってんだ? こいつらは……)
そんなつもりなど微塵もなかった。結果的にそうなったに過ぎない。しかし、それでもカッシュ達にとっては助けられたことは疑いようもない事実。だからこそ、自分達を助けてくれたロクスに感謝の言葉を述べたのだ。
なのに、どうしてなのか?
本当に一瞬だけちくり、とまるで置いてきた何かが蘇りそうになったのは。
「――ッ」
ロクスは思わず立ち上がった
反射的に椅子から立ち上がり、教室から飛び出してどこかへ駆け出したのであった。
「はぁ……はぁ……情けねぇ……」
ロクスが駆け込んだ先はトイレ。たった今、血交じりの吐瀉物を出し終えたところだ。
(ありがとう……。そんな言葉だけでこうも調子が崩されるなんて……)
痛みや苦しみは忌々しいあの施設で慣れ、侮蔑や嘲笑にも慣れた。嫌悪感や怒りを向けられようが、なんとも思わないし、力でどうにかしてこようとする輩にはそれ以上の力でやり返す。無視されようともむしろ好都合とさえ思えるほど。
学院から嫌われ者扱いされようが痛くも痒くもない筈なのに……感謝の言葉を述べられただけで拒絶反応でも出たかのように吐き気が込み上げてきた。
(ぬるま湯に浸かり過ぎていたから気付かなかったのか、もしくは俺自身が気付こうとしなかったのか……どちらにしろ、あいつらの言葉でハッキリした)
学院に入学してから一年と少し。復讐の為に魔術の研鑽を積み重ねてきて、他者との関係を築かなかったから今になってようやくロクスは自覚した。
(俺に、平穏は許されない……)
憎悪と復讐心に燃え上がる心だけでなく身体さえも平穏を望んでいない。ある意味、当然の事実にようやく自覚したロクスは自虐気味に口角を歪ませる。
(当然だ。俺は復讐の為に全てを捨てた。この命は復讐の為に捧げると誓った。なにより、死にたくないが為に俺はラウレルを、多くの仲間を殺してきた……そんな俺が平穏なんて許されるわけがない)
どうしてそんな事実に今更になって気付いたのだろうか?
(ラウレル……お前の言う通りだったのかもな。俺にはまだ復讐者として染まり切れていない人の心があるのかもしれねぇ。だからこそ、ティンジェルだけでなく、クラスメイトの奴等まで助けるなんて愚行に走ったのかもしれねぇ。認めたくはないが、お前は俺以上に俺を理解していたんだろう)
今は亡霊と化している少女が告げた言葉。その言葉をロクスは素直に認めた。
今も姿を消してすぐ傍にいるかもしれない。だが、そんなことはどうでもいい。
(それでも俺が復讐者であることには変わりはない。もう引き返す道など俺にはない)
もう普通の人のような平穏な生活はできない。平和で生きる道も、誰かと共に幸せになることもできないし、それを受け入れることもできない。
進む以外に道はない。復讐という茨の道を、天の智慧研究会に復讐を果たすその時まで進み続ける。
その時だった。
室長であるイヴから渡された通信魔導器からある任務が下された。
『ロクス。任務よ。天の智慧研究会が王女様を狙っている情報が入ったわ。アルベルトと共に始末しなさい』
「了解」
復讐を果たす。その為にロクスは天の智慧研究会を殺しに向かう。