遺跡調査出発前日。
通常授業をいつも通り進める傍ら、遺跡調査計画の立案、スケジュールの調整、必要物資の手配、参加生徒達を集めてのミーティング、生徒達への野外活動時における
そんな慌ただしい日は過ぎ、グレンはフェジテ南地区の繁華街、入り組んだ路地裏の奥にひっそりと隠れるように据えられた場末のバーでアルベルトと会っていた。
件の組織、天の智慧研究会の動きについて。
王女を狙って仕掛けてきた組織の末端はアルベルトとロクスで既に始末済み。そしてその仕掛け以来、組織は機会を窺うような気配は完全に失せ、王女であるルミアの身の安全は暫くは問題なしとアルベルトはグレンに告げる。
しかしながら件の組織は今迄とは異なる動きがあるという情報があり、既にその調査に《隠者》と《法皇》が当たっている。
そしてジャティス。
生死を偽り、約一年の雌伏の時を経て活動を再開したジャティスは単独で天の智慧研究会の末端組織や組織に通じている者を片端から潰している。時に無関係の市民を巻き込みながら。
ジャティスの目的は不明。
組織の動きも、ジャティスの目的もわからないが、暫くは平穏が続くことだけは確かだ。
そんな時、ふとアルベルトが言う。
「ロクスにあまり異能を使わせるな」
不意に話題が変わった。
「そりゃまぁ、下手に異能者だと知られれば大変だからな……」
「それもある。だが、俺が言っているのはそういう意味だけではない。俺は以前、ロクスがいたとされる施設がある場所まで行ったことがある」
「それで? 何かあったのか?」
話には聞いていた異能者の異能を強化させて駒として使う件の組織の施設。そこに何があったのかとグレンは尋ねるが。
「何もなかった」
アルベルトは淡々とそう答えた。
「はぁ?」
「言葉通りの意味だ。施設があったと思われる面影すら残ってはいなかった。それだけではない。その周辺には草木一つ生えていなかった。まるで何かに焼き尽くされたかのようにな」
「おい、それって……」
「ああ、ロクスの異能だ。奴の異能、件の黒い炎は全てを焼き尽くし破壊する地獄の炎。そう称するに相応しい恐ろしい力だ」
「……」
グレンは思わず口を閉ざした。
「一瞬で全てを焼き尽くした黒い炎。下手をすれば戦術・戦略級のA級軍用
その言葉にグレンは否定の言葉が出なかった。
何度もその炎を見てきたグレンにとってあれほどまでに無慈悲なモノはない。存在すら残すことも許さない。まさにロクスの憎悪が具現化したような炎は文字通り、全てを焼き尽くす。
「その黒い炎を恐れてか、一部の上層部ではロクスを始末した方がいいという声も上がっている」
「はぁ!? ふざけんな! なんで、あいつが――」
思わず叫ぶグレンだが、アルベルトが諫める。
「落ち着け。この国にとって異能が『嫌悪』の対象だということはお前も知っているだろ? そういう一部の連中が上層部にはいる。そういう連中にロクスの異能のことが知られればそういう声が上がるのもおかしくはない」
「ぐっ、だけどよぉ……ッ!」
「安心しろ。幸いにもロクスは特務分室、軍に所属している人間だ。軍にいる限りはいくら上層部でも下手に手出しはできん」
「……それも、そうか。そうだよな」
「ロクス自身も命令には忠実だ。危険視されている異能も制御できている。よほどのことがない限りは問題ないだろう」
嫌々ながらも軍の命令には従っている。
それにロクス自身、既に魔術師として一流以上の実力を有しているからそれだけの実力者を下手に手放したくないという本音もあるのだろう。
「だが、奴は復讐者だ。状況によっては俺達と敵対することもありえる」
「いや、お前、流石にそれは……」
ないだろう、と思ったグレンだが、アルベルトは鷹のような鋭い双眸でグレンを見据える。
「お前がそう言うのであれば俺は何も言わん。しかし、万が一にロクスが俺達と敵対するようなことがあれば俺は何の迷いもなく奴を討つ」
考える限りの最悪の事態。裏切りを想定した上でアルベルトは己の考えを口にする。
「ロクスにとって俺達そしてお前達は味方でも敵でもない。故に殺す理由はないが、復讐の邪魔だと判断すれば奴は躊躇いなく俺達を殺そうとするはずだ」
「いや、だけど……あいつは何度もルミアや他の奴等だって……」
「助けた、か。確かにそうだ。だがそれでも奴は止まらない。いや、もはや自分の力では止めることができないが的確か」
アルベルトは席から立ち上がる。
「先に言っておく。俺にロクスは止められない。止める資格など俺にはない」
同じ復讐者として、同じ茨の道を歩いている者としてアルベルトがロクスに言えることなど何もない。故に止めることなどできない。
「どうするかはお前の判断に任せる。必要ならば手も貸そう。だが、生半可な覚悟で奴の道を阻むというのであればお前もまたロクスの炎によってこの世から消え去るだろう」
それだけを告げてアルベルトは店を去って行った。
一人残されたグレンは無言のままただグラスを強く握りしめた。
遺跡調査へ出発する日がやってくる。
仄かな宵闇と朝霧のヴェールが包む早朝、グレン達は屋根上に二階席もある大型の貸し馬車に搭乗し、フェジテを発った。
「風が気持ちいいわね……」
「うん」
吹きさらしの二階席の一角に陣取ったシスティーナが、緩やかにそよぐ風に流れる髪をなで押さえながら、しみじみと呟き、その隣のルミアがにこにこと応じていた。
フェジテ城壁北門から外に出たシスティーナ達を迎えたのは、まず辺り一面に広がる広大な農地、そして自然の息吹を感じさせる冷たく澄んだ空気であった。
馬車が北上するは、フェジテと帝都オルランドを結ぶアールグ街道。
その街道は、緩やかな起伏とカーブを繰り返しながら、はるか北北西先、地平線の彼方へ吸い込まれるように消えていく。街道の西には小高い丘が姿を連ね、東には鬱蒼と茂る森、更にその先に延々と連なる荘厳な雪化粧連峰が見える。
日が上がると、空は抜けるように蒼く染まり、雲が穏やかに流れていった。
若草の青い匂いが鼻をくすぐり、空を舞う鳶が笛のように通る声で鳴く。
ちょうど差し掛かったすぐそばの牧草地では、羊達がもしゃもしゃ草を食んでいる。
その長閑で牧歌的な風景は、見ているだけで心が洗われるようであった。
「やっぱり、たまには外出もいいものですわね……」
「うん……そう、だね……空気が美味しいね……」
同じく二階席に搭乗したウェンディとリンも、いつになくご機嫌だ。
「……羊。もこもこ。たくさんいる」
リィエルは眼下の羊達がとても気になるらしい。ルミアの隣にちょこんと腰かけ、眠たげに細めた目で、じ~っと穴が開くように羊を見つめていた。
「それにしてもロクス君も一緒に来てくれるんだね」
ルミアは同じく二階席に搭乗しているロクスに視線を向ける。そこには愛剣を腰に携え、相棒であるサラを隣に置いて瞑目しているロクスの姿が。
「別に。俺は雇われた身だから放っておけ」
セリカに雇われたロクスはグレン達と共に行動はするも、ロクスの雇い主は別。必要以上にグレン達と接するつもりはなかった。
「馬車に乗る前にも言っていたわよね。雇われたって誰によ?」
「馬鹿の手伝いをしてくれって俺に依頼を出しに来たどこぞの教授だ」
「馬鹿……ああ、そういうこと」
それだけでシスティーナ達は全てが伝わった。
馬鹿の一言で誰か察することができたシスティーナ達にルミアは苦笑する。
ちなみにその馬鹿は生徒達と一緒にポーカーの真っ最中だ。
それからウェンディの迂闊な言葉でシスティーナが古代文明について熱く語り始める。
この国の歴史や古代遺跡から出土される古代の遺産、
だが、ここである異変にウェンディが気付いた。
「……ちょ、ちょっとお待ちくださいませ! わ、わたくし達……今、どこに向かっているんですの?」
「……え?」
指摘されて我に返り、システィーナはようやく気付いた。
週を見渡すと……馬車は左方に鬱蒼と深く茂る森沿いに進んでいる。いつの間にか馬車は街道を大きく外れ、あらぬ方向へと進んでいたのだ。
「ちょ、ちょっと御者さんっ!? こんなルート、私達、予定してませんよ!?」
システィーナが慌てて前方の御者台へ駆け寄り、覗き込む。
そこでは、例の御者が相変わらず黙々と馬を操縦している。
「道が間違ってます! こんなに街道を離れて、森に近づいたら――」
そう、危険なのだ。
国策で整備されている主要街道周辺は、軍が定期的に街道整備と魔獣掃討を行い、魔獣除けの魔術を施しているため、比較的安全といえる。だが、街道から大きく離れれば、安全ではないということになる。
特に、鬱蒼と茂る深い森や洞窟、辺境の山岳地帯……人が安易な立ち入りを許さぬこれらの領域は、未だ危険な魔獣が我が物顔で跋扈する魔の領域だ。
「すぐ引き返してください! 早く!」
皆の安全を慮るあまり、つい声を荒げてしまうシスティーナ。
だが。
「……」
御者はシスティーナの言葉を無視し、黙々と馬を操り続ける。
「ちょっ……ど、どうして……ッ!? 早く止まって……ッ!」
こうまで言っているのに、まったく無視する御者……明らかに異常だった。
「な、何なんですか!? 貴方は一体、何者――」
と、システィーナの感情が昂りかけた……その時だ。
馬車の左方に鬱蒼と茂る森――その薄暗い森奥から。
ざざざざざ―――と複数の何かが駆け寄って、近づいてくる気配。
「え!? 何!? まさか――」
システィーナが狼狽えたような声を上げた、その瞬間。
馬車の前方と後方、森の茂みの中から、無数の黒影が飛び出してきた。
その影達は馬車の周囲を疾風のように駆け抜け、馬車をあっという間に取り囲み……
ヒヒィイイイイイイイイインッ!
影に驚いた馬が、前足を高らかに跳ね上げて足を止め、天高く嘶いた。
その影の正体は――
「シャ、シャドウ・ウルフ!?」
馬車は数十匹のシャドウ・ウルフにすっかり囲まれてしまっていた。
シャドウ・ウルフとは、鋭い爪と牙、らんらんと光る眼、読んで字のごとく影のように真黒な毛並みを持つ、狼型の魔獣だ。
森に生息する魔獣としては、決して珍しくない存在であるが――極めて危険な存在だ。
その鋭い爪牙の威力は言わずもがな、もっとも厄介なのは、人に真似できぬその圧倒的な敏捷性だ。
「こんな場所に、こんな危険な魔獣が住み着いていたなんて聞いてない……御者さん、貴方、一体、どういうつもりなんですか……ッ!?」
「……」
だが、対する御者は、こんな状況でも無言。馬が暴走しないようにきつく手綱を引くだけで……微動だにしなかった。
「くっ……ッ!」
歯嚙みするシスティーナ。今はこんな御者の真意を質している場合じゃない。
この窮地を切り抜けなくては。
「ロクス! お願い! 手を貸して!」
システィーナはロクスに頼む。
少なくともシスティーナ達よりも実力者であるロクスがシャドウ・ウルフに怯むなんてことはしない。だから、ロクスと協力してシャドウ・ウルフを迎撃しようと試みるも。
「あぁ? たくっ。犬っコロ相手に面倒くせぇ……」
仮にも魔獣を犬っコロと呼ぶロクスは馬車の外に飛び出す。
「ロクス。私は?」
「犬っコロ相手にお前の力は必要ねえよ」
サラの助力を断ってロクスは愛剣を鞘から解き放つ。
「ま、憂さ晴らしにはなるか」
刹那、ロクスの姿が霞のように消える。
「ギャウウウウウウンッ!」
「ギャンッ!?」
二匹の魔獣から鮮血が地面に飛び散る。
「……えっ?」
驚愕に目を見開くシスティーナ。
赤い斬閃が見えた頃にはシャドウ・ウルフはその身から鮮血を飛び散らして地に転がっていく。また次の瞬間、別の場所からも断末魔が聞こえ、魔獣は地に伏せる。
馬車を取り囲んでいたシャドウ・ウルフ達が、次々と斬り裂かれ、倒れ伏していく。
残像を残すほどの高速移動に、一撃で魔獣を斬り捨てる剣技。
システィーナの目には、ロクスの残像しか捉えることができず、気がついたらシャドウ・ウルフから鮮血が飛び散っていた。
「す、すごい……ッ! ロクス、剣技だけでもこんなに強いなんて……ッ!」
ロクスが強いことぐらいシスティーナも重々承知済みだ。だけど、それは魔術も含まれた意味での強さで剣技だけでもここまで強いとは思いもよらなかった。
援護しようにも、これではむしろ邪魔になってしまう。
「ありゃ実戦で磨かれた剣技だな」
「せ、先生……ッ!」
ふとグレンがシスティーナの隣でロクスの戦闘を観戦しながら解説する。
「速さと手数で攻め立てる近代剣術も身に付けているみてぇだが、ロクスの動きは極限まで合理的に敵を倒すことを目的としている剣技だ。常に相手の攻撃が当たりにくい位置へ移動しながら、倒す相手の優先順位をつけて、一つの行動を必ず次の行動へ繋げる。何十、何百の実戦を繰り返すことで身につくことができる。言ってしまえば合理性の極致だ」
お世辞にも洗練された剣技ではない。だが、ロクスにはそんなものは不要。
敵を如何に効率的に殺せるか。ロクスにとって重要なのはそれだけだ。
(ロクス。お前は復讐の為にどれだけの無茶を重ねてきたんだ……ッ)
グレンから見てロクスの剣技はその年で身に付けていい剣技ではない。それだけ無茶を繰り返してきているのが剣技を通して伝わってくる。
「グルァアアアアアアアアアアアアアア―――ッ!」
頭数が三分の一以下になった時点で、ようやくロクスを難敵と認識したらしい。
獣らしからぬ卓越した連携でロクスを取り囲み、四方から一斉にロクスへと飛びかかる。
「ロクス君!」
ルミアが思わず叫ぶ。
しかし、ロクスはそんなことどうでもいいかのように
「《うるせぇよ》」
轟、と。
圧倒的熱量を持つ炎の壁が、ロクスを守るように展開される。
黒魔【フレア・クリフ】。
自在に操作可能な炎の壁を展開する、軍用の攻性防御呪文。
瞬時に展開された灼熱の炎壁に突っ込んだシャドウ・ウルフは一瞬で焼き尽くされ、灰と化す。
「ついでだ」
更に展開した黒魔【フレア・クリフ】の炎壁をロクスの
「灰にでもなってろ」
ロクスの手から放たれる火球はまだ残っているシャドウ・ウルフ達に向けて放たれる。
火球を避けるシャドウ・ウルフ。しかし、火球はまるで意志でも持っているかのようにシャドウ・ウルフを追尾してその身を焼き尽くしていく。
シャドウ・ウルフを全滅させたロクスは深い溜息を溢しながら炎を消して御者に言う。
「いい加減に姿を見せたらどうなんだ? アルフォネア教授」
「え……?」
「たくっ、バラすなよ。もうちょっと満を持してから登場するつもりだったのに」
おどけたように肩を竦め、フードを取り払う御者の正体は――
「あ……あ、アルフォネア教授っ!? どうしてこんな所に!?」
「や、皆、元気かなー?」
一同を振り返り、御者―――セリカ=アルフォネアはにやりと不敵に笑うのであった。