『……私? そうね、今はナムルスとでも名乗るわ』
ルミアそっくりの異形の少女の手引きによって、闘技場を脱したグレン達。
焦燥に追い立てられるままに足を動かし、魔人からかなり距離を稼ぎ、一安堵して。
すると、当然、誰もが抱いていた疑問に、その少女はそんな風に答えた。
「……
そのあからさまな偽名に、グレンは呆れたように嘆息する。
あの全てが停止した灰色の世界はいつの間にか元に戻り、辺りは魔術の光だけが頼りとなる相変わらずの暗黒世界だ。
グレンは気絶したセリカを背負い、一行を先導するナムルスに続く。
貴方達を助ける、ついてきなさい――そう語った異形の少女、ナムルス。
信用できるかできないかで言えば、信用できるとは思う。
グレン達を害するつもりならば、わざわざ助けに入らない。その得体のしれない力を使ってまで助けに入るあたり、この少女の言葉通り、グレン達を助けようとしていることは……間違いないはずだ。
だが――
「なぁ……お前、何者なんだ? その変な翼はなんだ? なんで俺達を助ける? さっきのヤバげな魔人と、俺達を救った灰色の世界はなんだ? 魔人がロクスのことを《炎魔帝将》って言っていたことについて何か知っているか? お前、なんで俺達のことを知っているんだ? なぁ、お前、なんでルミアとそっくりなんだよ? 何か関係あんのか?」
『……………………』
ナムルスと名乗る少女は、グレンの問いに対し、頑なに完全沈黙を決め込んでいた。
ただ、その鬱屈とした目で、ちらりとグレンを一瞥するだけ。
まさに、沼に杭を打っているような気分。
「そいつが何者かなんてどうでもいいことだろ? 講師」
一行の殿を務め、背後を警戒しているロクスがそうグレンに言う。
「今、俺達が優先することはなんだ? この迷宮から脱出することだろうが。そいつの正体を探ることじゃねえ」
「そりゃ、まぁ、そうだけどさ……」
正論である。
今、グレン達が最も優先しなければいけない事はこの迷宮から脱出すること。ナムルスと名乗る異形の少女のことについて調べるためではない。
「まぁ、俺としちゃ気に食わねえ顔が増えて苛立って仕方がねえけど」
『あら、奇遇ね。私も貴方だけは助けるべきではなかったと、ちょっと後悔しているところよ』
互いに苛立ちを隠そうともせずに睨み合う。
『あの子に敗れてなお、生にしがみつくなんて……いい加減にさっさとくたばってしまえばいいのに』
「そりゃ俺の台詞だ。てめぇこそとっくに肉体を失った残留思念みたいな存在だろうが。いつまでもこの世にしがみついてないでさっさとくたばれ」
『はぁ?』
「あぁ?」
「おい、止めろ! 今は喧嘩している場合じゃねえだろ!?」
「お前は黙ってろ! 今はこいつに言ってんだ!」
『貴方は黙ってて! 今はこの男に言ってんのよ!』
「お前等、本当は仲良しだろ!?」
二人の間に火花でも飛び散っているかのように嫌悪感を隠すことなく睨みつけ合う二人にグレンは制止の声を投げるも二人は息を揃えてグレンに言い放った。
獣のように唸り声でも上げそうなほどに睨み合う二人をグレン達はまぁまぁと宥める。
「ケッ」
『フン』
互いにそっぽを向き合い。似た者同士というべきか、同族嫌悪というべきか、悩ましいものだ。
「そ、そういえばお礼がまだでしたね……どうもありがとうございます、ナムルスさん。私達のことを助けてくれて」
二人が落ち着いた頃合を見計らってルミアはナムルスに礼を告げる。
すると……ナムルスがふと、足を止め、ルミアへと振り向いた。
一行もまた、それに釣られて足を止めた。
「ナムルスさんがどうして私と同じ姿をしているのかはわからないけど……同じ姿をしているからかもしれないけど……私、なんだか貴女が他人のような気がしないんです」
『…………』
「ひょっとしたら、私達、前世で姉妹か何かだったのかもしれませんね?」
それは、別に媚び売りでもお世辞でもなんでもなかった。
ルミアが心から感じたことを、そのまま伝えただけだった。
……だが、ナムルスはそんなルミアに、すっと身を寄せて……
『私はね……貴女のことが大嫌いよ、ルミア』
敵意と憎悪に満ちた表情で、ルミアを睨みつけた。
『姉妹だなんて反吐が出る。貴女だけ、さっき死ねば良かったのに……』
それは先ほどロクスに向けた怒りや苛立ちよりも深い、隠すことのない悪意をルミアに向けた。
流石のルミアも言葉を失って、硬直し……。
場に緊張が走った。システィーナが息を呑み、グレンが背中に隠した銃のグリップを握る。リィエルは
「お前等、落ち着け。そいつには何もできやしねえよ」
だが、そんなグレン達にロクスが制止の声をかけた。
「さっきも言ったが、そいつは残留思念のような存在だ。いわば思念体。驚かせることはできても、危害を加えることなんてできやしねえよ」
『……癪だけど、そこの男の言う通りよ。彼女に危害を加えるつもりもないわ。……ただの愚痴よ』
身構えるグレン達を投げやりに一瞥し、ナムルスは再び冷たい視線でルミアを射抜く。
『今の貴女にこんなことを言うのは筋違いだって、私もわかってるわ。……でも、言わずにはいられない……貴女さえいなければ……ッ!』
一方的にそう言い捨てて。
ナムルスはルミアから視線を外し、再び、一行を先導するように進み始める。
「貴女は……とても優しい人なんですね」
だが、どこか寂しげなナムルスの背中に……ルミアは、そんな言葉をかけていた。
『……なんで、そうなるのよ……?』
「だって、貴女はそれほど私を憎んでいながら……私のことも助けてくれました」
『……そんなの……ついで、よ』
「私は……貴女が、どうして私を憎んでいるのかわかりません。だから、安易に謝ることはできません……嘘になるから」
そして、ルミアはナムルスの背中を真っ直ぐに見つめて、はっきりと告げる。
「だから、せめてお礼を言わせてください……」
『………』
「私を、私達を助けてくれて、ありがとう」
……すると。
不意に、ナムルスの姿は闇に溶けるように消えていった。
「お、おい!?」
『……しばらく消えるわ。頭冷やしてくる』
慌てるグレンに、ナムルスが冷ややかに告げた。
『大丈夫よ。私は、貴方達が古代遺跡と呼ぶ物の、大体、何処にでもいるわ。このまま、私が教えた通りに進みなさい。じゃあね……』
そんな声を周囲に反響させるように残し……ナムルスは完全に消えていった。
「ったく……なんなんだ、あいつは……」
呆れたようにため息をつき、頭をかくグレン。
今回の一件は本当に、意味不明でわからないことばかりである。
「……う……ん……?」
グレンの背中で身じろぎする気配。
グレンが背負っていたセリカが……うっすらと意識を取り戻していた。
「……グ、グレン……? ……こ、ここは……?」
グレンがほっとしたように息を吐く。
「おい、気分はどうだ……?」
「……最悪だ」
セリカはぐったりとグレンに頭を預けながら、力なく呟いた。
背中の傷はとっくにルミアの
その理由は魔人の黒き魔刀・
それからセリカは今、置かれているグレン達の状況を尋ね、足手纏いだから置いて行けとグレンに告げた。
「こんな私がいたんじゃ……逃げる速度も……戦いも……不利になる……」
「ああ、そうだな。まったくその通りだ、ちくしょうめ」
「……だろ? だから……」
「だが、断る」
グレンはセリカを背負い、歩き続ける。その足取りにまったく迷いはない。
「……頼むから……こんな時くらい、私の言うこと聞けよ……ッ! このままじゃ……」
「うっさいッ! 黙れ、やかましいッ!」
だが、グレンはセリカを叱咤して、強引に背負い直し、淡々と歩き続ける。
「お前を連れてこのクソ迷宮から脱出する!! この方針に変更はねえ!! 文句あっか!? この野郎ッ!!」
「なんで……だよ……? なんで、そこまで、私を……?」
弱々しく呟くセリカに……
「家族だからだッ!」
即、グレンが断然と叫んでいた。
「お前と俺の立場がもし逆だったとしても、お前なら、俺を引きずってでも連れて行くはずだッ! どんなに生還率が低くなろうとも!」
そして、グレンは声のトーンを落とし、憮然と呟く。
「……家族ってそういうもんだろ?」
「グレン……」
セリカはしばらく、呆けたような顔でグレンの背中に身を預け続け……
「私達は……家族か……?」
「それ以外のなんだと思った?」
「本当に……? 本当の、本当に……?」
「しっつこいな……そうだっつってんだろ……」
「……そう、か……私達は……家族か……ははっ……ぐすっ……ひっく……」
すると、セリカは何かに安堵したように息を深くつき……
そして、グレンの背中で静かに嗚咽し始めた。
セリカは怖かった。
『内なる声』、復讐はもはやセリカにとってはどうでもいいものとなってはいた。しかし、原因不明の不老不死『
グレンと同じ時間を生きる『人間』になりたかった、と己の心の声を吐露する。
だからセリカは自身の不老の謎の答えを求め、『
「俺とお前は、家族だ」
セリカの不安を取り除く手段も、セリカの求めを証明する手段も持ち合わせていないグレンは何度でも言葉にするのだ。
「俺とお前は家族だ、セリカ。そもそも家族以外の何だって言うんだ? マジで」
何度でも。
「お前……俺と一緒に暮らす十年以上の月日の中で一体何を見てたんだ? アホか? マジで。不安に思うなら素直に言え、そういうことは。そういうクソくだらねえ悩みを打ち明けて、ぶつかりあってこその家族だろ? ンなこともわかんねーのか?」
何度でも。何度でも。
「お前って本当にガキだよな……いくつだよ? ったく、この耄碌ババアめ……あー、こりゃ、家族の俺が当分介護してやらにゃ駄目だわ、マジで……」
彼女がそれを不安に思う度に、何度でも――
「……お前は今のままでいい、セリカ。何も気負う必要なんてねーよ。お前が『
グレンは淡々と、それでも想いを込めて、言葉を連ねていく。
セリカがわかってくれるまで、安心してくれるまで、何度でも。
「お前は……今のままでいいんだよ……」
「そう……か……」
グレンの言葉をじっと聞いていたセリカは、まるで夢見心地のように息を吐いて。
そして……
「……私……なんで、こんな簡単なことが……わから……、な………、…………」
「……セリカ?」
そのまま、セリカは再び深い眠りについた。
「ったく……余計な手間かけさせやがるぜ……」
ふて腐れたように言い捨て、大切そうに背中のセリカを背負いなおす。
(家族、か……)
グレンと、その背中で子供のように寝息を立てるセリカにロクスは家族のことを思い出していた。
自分も今のセリカのように小さい頃、父親に背負って貰ったことがある。そんな懐かしい過去の記憶。
もう、父の背に背負って貰うことはもちろん、その背を見ることも叶わない。
(仇は必ず、必ず取ってみせる……ッ! その為にもまずは……)
この地下迷宮から脱出しなければいけない。
戻ってきたナムルスを先導に再び地下迷宮を進むグレン達。このまま何事もなく終わってくれ……そんな思いをあざ笑うように……ついに。
「……来たな」
『そうね』
ふと、回廊を行くグレン達が歩を止め、背後を振り返る。強大で禍々しい力を持つ何者かが、すぐそこまで近づいている気配が……ひしひしと肌に感じられたのだ。
目的地までまだ距離がある。それならば取るべき方策は一つ……迎え撃つしかない。
だが、不死身の魔人相手に一人が残ったところでたいした時間稼ぎにはならない。結局は全滅。
そんな時。
「どうせ逃げられないなら……戦いましょう、皆で。……あの魔人と」
今の今まで、ずっと何かを考え込むかのように押し黙っていたシスティーナが、不意に意を決したようにそう口を開いた。
「あの魔人を私達で打倒しましょう。全員が生き残るには……それしかありません」
きっと、それは彼女の精一杯の勇気を振り絞っての言葉なのだろう。
システィーナの肩は、唇は、小刻みに震えていた。
「戦うって言うが、何か勝算はあるのか? フィーベル。あの魔人は不死身。その不死性をどうにかしない限りは俺達に勝算なんてねえぞ?」
ロクスの言葉にグレン達も頷いた。
しかし――
「崩せるわ」
システィーナはそう言った。
「私の推測が正しければ、だけど……あの魔人には恐らく弱点があるの」
そう言って。
システィーナは、自身が背負う背嚢を下ろし、その中身をごそごそ物色し始める。
「……ひょっとしたら、何かの役に立つかも……そう思って持ってきたんだけど……まさか、こういう形で役に立つなんて……」
システィーナが背嚢の中から取り出したのは……
「……は? 『メルガリウスの魔法使い』……? セリカが持ってきていた本か?」
「はい」
訝しむようなグレンの視線が刺さる中、システィーナが本をぱらぱらとめくり始める。
そして――
決戦の場に選んだ場所は――迷宮内に造られた空中庭園らしき場所であった。
広い空間に、比較的手狭な広間が高さを変えて複数存在し、それらを無数の入り組む階段が繋いでいる。今は水が枯れているが、噴水池やそれらを繋ぐ水路が所々あり、かつては流れる水が滝や噴水を形成し、とても美しい場所であったろうと想像ついた。
「来るぞ」
ロクス。隣には相棒であるサラ。そしてグレンに
少し離れた後方の、グレン達がいる広間より二、三メトラほど高い位置にある広場のテラスに、やや緊張した雰囲気のシスティーナとルミアが待機している。
そんなグレン達の元に、圧倒的な気配が近づいてくる。
ゆっくりと、ゆっくりと……
その肌を痺れさせるように薄ら寒くする、ドス黒い気配は徐々に強まっていき……
……そして。
『退かず、我に立ち向かうか。《炎魔帝将》そして愚者の民よ……』
魔人がグレン達の前に姿を現した。相変わらず目眩がするほど禍々しい
『我に牙剥くその蛮勇は愚か。だが、天晴れ。せめてもの褒美に、苦の無き死を与えようぞ……』
かつん、かつん、かつん……
広場を繋ぐ階段を登り、魔人がグレン達の陣取った場所へ、ゆっくりと近づいてくる。
が――
「そうかねえ? まったく届かねーわけじゃないと思うがなぁ?」
グレンは精一杯、余裕の演技をし、眼下の魔人を小馬鹿にするように言い放つ。
「なにせ――てめぇの命の
「てめぇの正体はもう割れてんだよ。《魔煌刃将》アール=カーン」
『………』
階段を登る魔人の動きが――止まった。