魔人である魔煌刃将アール=カーンは己の勝利を疑わなかった。
眼前で膝をつく
しかし。
ロクスは魔人の想像を超えて立ち向かい、その手で魔人の心臓を貫いたのだ。
肉体の限界を超えてでも生き残ろうとする執念がロクスを生かした。
後一瞬、魔人が魔刀を早く振り下ろしていればロクスの首はころりと綺麗に落ちていただろう。
だけど結果的にはロクスは魔人を倒し、己の生を獲得した。
『三つ目……ふふ……まさか、我が下されるとは……』
魔人がゆっくりと後ずさる。
ゆっくりと、ゆっくりと……全身から黒い霧を上げながら、ゆっくりと……
『この身は、本体の影に過ぎぬとはいえ……愚者の牙に掛かることになろうとは……』
今、何か不吉な言葉が聞こえたが、それを追求する余裕は、今のロクスにはない。
『ロクス=フィアンマよ、誇れ。汝はその強靭なる意志の強さで……愚者の民草と共に、我を下した……見事だ……』
「うるせぇよ……さっさと、くたばれ……」
そんな風にあしらわれても、魔人は、どこか歓喜の様相で肩を震わせていた。
そして、グレン達を順に一瞥し、魔人は高らかに言った。
『愚者の民草の子らよ! よくぞ我を殺しきった……ッ! 我は汝等に最大限の賛美を送ろうッ!』
そして、大きく両手を広げながら。
魔人の全身から吹き出る黒い霧の勢いが一気に上がり――魔人が消滅していく。
『いずれ、また剣を交えようぞ! 強き愚者の子らよ! 貴き《門》の向こう側にて、我は汝等を待つ……さらばッ!』
そして、どこからともなく風が渦巻き――
魔人は塵の欠片一つ残らず……まるで夢幻のように、完全消滅していく。
二本の魔刀も、魔人の存在を示すあらゆるものが、跡形もなく消えていった。
沈黙と、静寂が、その場を支配する。
「……お……終わった……のか……?」
この突然の幕切れに、グレンが呆然と、呟いた。
その時、ロクスが力尽きたかのように崩れ落ちる。
「ロクスッ!?」
崩れ落ちるロクスを抱き起こすも、呼吸も浅く、顔も青白い。意識も曖昧になっている。魔人に斬り刻まれた傷口から血が流れて失血死寸前の状態になっていた。
古典法医術的に言えば『死神の鎌に捕まった』状態だ。
(こんな状態で動いたってのかよッ!? ロクス、お前は……ッ!)
最後の一撃は本当の本当に火事場の馬鹿力。死に抗い、生き残ろうとする執念で動いたのがわかる。
(だけどマズイッ! このままじゃ……ッ!)
これ以上の出血を防ごうにも血が止まらない。
(ルミアは、無理だ! マナ欠乏症に陥っている今のあいつにこれ以上の治癒は命に関わる! 白猫も同じだッ! かといって俺の治癒魔術じゃ、こいつの傷を治すことは……ッ)
グレンの残りの魔力の全てを使って治癒魔術を行使したとしてもほぼ効果はない。ロクスの命はもはや風前の灯火だ。
そこに――
『どきなさい、グレン』
ナムルスが姿を現した。
「ナムルス……」
突然のナムルスの登場に戸惑うグレンを放ってナムルスは不思議な形の印を、その細い指で虚空に描き……
『癪だけど、助けてあげる』
とん、とロクスの胸の中心を突いた。
すると、ロクスの身体から流れる血が止まった。
『一時的に出血を止めたわ。少なくとも貴方達の魔力が回復できるまでは持つはずよ』
「お、おう……助かる……」
本当に血は止まっている。
まだ危機的状況ではあるものの、これ以上悪化することはないと踏んでグレンはほっと一息つくも……
『だけど勘違いしないで。私はこの男はここで殺すことが最善だと思っているから』
ナムルスはそう淡々と告げた。
『貴方達と、セリカと敵対するかもしれない。そんな者に施しなど本来であればするべきではないのはわかっているわ。……けど、私にはそれができない。あの子と同じ存在である彼を地獄に叩き落とすことなんて、私にはできない』
ロクスを他の誰かと重なって見えているのか、ナムルスはそんなことを口走っていた。
『グレン。彼を彼のままでいさせたいのなら、彼にあの剣を握らせないで。彼の炎が完全に覚醒する前に破壊してちょうだい。……私が言えるのはそれだけよ』
そうしてナムルスはまた姿を消した。
遠くの山々の稜線が、広漠とした草原が燃え上がる澄んだ紅に染まる、夕日の中。
フェジテへゆっくりと向かう馬車の中で。
「あ、目が覚めたんだね」
ロクスは目を覚ました。
「ここは……?」
「馬車の中だよ」
視線を動かして周囲を確認する。どうやらあれから無事に遺跡から脱出できたことを確認し、起き上がろうとするも、身体が鉛のようになっていて動かせなかった。
「まだ動かないで。身体の傷は治せたけど、失った血まではまだ戻ってないから」
危機的状況から脱することはできても、完全には治癒はできなかった。
それでも、命があるだけ儲けものというものだ。
「……教授は?」
「アルフォネア教授なら先生と一緒に御者台の方にいるよ」
見れば、グレンとセリカの後頭部が少しだけ見える。セリカも助かったようだ。
(サラは、いない……還ったか……)
無理もない。今回の戦闘で精霊の力を酷使し過ぎた。力を回復させる為にも暫くはサラを召喚することはできないだろう。周りを見ればシスティーナ達も疲労が溜まっているせいか、眠りについている。
そこまではいい。
あれだけの戦闘の後だ。気が緩んで眠りについてしまうのも無理はない。ロクスだって今しがた目を覚ましたばかりだから。
問題は……
「それで、
視界いっぱいに入るルミアの顔。後頭部から感じる柔らかな感触。サラによくされる膝枕をルミアはロクスにしていた。
「えっと、床だと頭が痛くなるからと思って……」
苦笑しながらそう言うルミアは優しくロクスの頭を撫でる。ロクスはその手を払い、深い溜息を溢す。
「……もう、好きにしろ」
もう動くのも億劫だ、と言わんばかりに無気力気味にそう告げて瞳を閉ざす。
(《炎魔帝将》ヴィーア=ドォル……)
魔人が言っていたその言葉がロクスの頭から離れない。それどころか、どこか懐かしく感じた。
(どうしてあの魔人は俺を事をそう呼んだ? どうして俺はそれが懐かしいと思った? 《炎王クトガ》の神官長とはなんだ? あの魔人は俺の何を知っていた?)
此度の遺跡調査でロクスはわからないことが増えた。
(俺は、何者なんだ……?)
わからない。わからないことすらもわからない。完全なるお手上げ状態。
けど。
(それでも、俺のやることは変わらねぇ……)
天の智慧研究会に復讐する。自分が何者であろうともそれだけは何があっても決して変わることがない。
だけど、その前に……。
(フェジテに戻ったらまた、へステイア法医師の説教だろうな……)
また無茶を、と文句と説教を言われながら治療を受けることになる。自業自得とはいえ、少しだけ億劫な気持ちになる。
(そろそろ、マジで拘束されそう……)
完全に治すまで逃がさない。法医師としての意地と覚悟によって強制措置を受けることになりそうだ。ロクスは自身がベットの上で拘束される未来を想像してうんざりとする。