それはもう何年も前の話。
幼いロクスは父親であるウィルマに連れられ、アルザーノ帝国魔術学院へ立ち寄った時のことだ。
「すごい……」
天井や壁に飾る、眩く輝くシャンデリア達。
白いテーブルに並び、色とりどりの美味しそうな料理に燦然と煌めく燭台達。
燕尾服に身を包んだ楽奏が、優雅で楽しげな曲を奏でている。
思い思いに着飾った学院の生徒達が男女カップルを組み、曲に合わせて踊っていて華やかな雰囲気にまだ幼いロクスはただ圧倒されていた。
「どうだい? これが『社交舞踏会』だよ」
「うん、美味しそうなご飯がいっぱいある」
「そっちか……」
花より団子、ダンスよりも料理。生徒達が躍るダンスよりも食い気が勝ったロクスに父親であるウィルマは苦笑い。
まぁ、まだ子供だし、仕方がないか……。と魔術を学ぶ一環として今回の『社交舞踏会』に自分の子供を連れてきたウィルマだったが、我が子ながら見事な食い意地に苦笑するしかなかった。
「ロクス。できればダンスの方も見てくれるかな? 『社交舞踏会』は魔術学院では毎年のように行われる伝統行事なんだ。父さんも学生の頃は参加したんだよ」
「お父さんも?」
「ああ。まぁ、ダンス・コンペには縁がなかったから参加できなかったけど……」
当時のことを思い出してか、ハハハと力なく笑う。
学生時代、色々とあったようだ。
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお―――ッ!
突然、一際盛大な拍手と歓声が上がり、舞台に一組のカップルが現れた。
降り注ぐ魔術の照明光が、まるで二人を祝福するかのように、ライトアップする。
「きれい……」
その時、ロクスは思わず目が釘付けになった。
そのカップルの女性が身に付けているドレスに。
スカートの裾は天使の羽衣のように広がり、翻る腕のフロートはまるで妖精の羽。ドレスを飾る宝石の装飾は夜空に輝く満天の星のように輝き、その幻想的な美しさにダンスよりも食い気が勝っていたロクスでさえも目を奪われるほどに美しかった。
「あのドレスはね、『
「ろーべ……? お菓子の名前みたい」
「ハハ、そうだね。けどね、あのドレスは『社交舞踏会』に代々伝わる由緒正しき伝統ドレスで、同時に開催されるダンス・コンペで優勝したカップルの女性が、一夜だけ着用を許された魔法のドレスなんだ」
「魔法のドレス……?」
「ああ、父さんは縁がなかったけど学生時代に母さんに会っていたら着せてあげたかったと今でも思うよ」
愛する妻に是非とも着せたかったと悔やむウィルマはロクスの頭を優しく撫でる。
「将来、ロクスが大きくなってこの学院に通うことになって、あの魔法のドレスを着せてあげたいと思えるような女の子と出会ったら父さんの代わりに着せてあげなさい」
「うん」
素直に頷くロクスにウィルマは少しばかり複雑そうな表情となる。
ロクスは異能者。それを隠す為にも魔術を教えている。だからロクスが将来、このアルザーノ帝国魔術学院に通うことは必須で魔術師になることは決まっている。
親として、父親として我が子には自由に未来を選んで欲しいという気持ちはある。けど、ロクスの身を案じれば魔術師になるのが一番ロクスにとって安全の道だということはわかっている。
それでも、と思うのは親として当たり前のことだ。
ロクスはその時の複雑な父親の顔を今でも覚えている。
「……………………夢、か」
目を覚まして上体を起こすロクスは先ほど見て夢について息を漏らす。
「父さん、悪いが父さんの願いは叶えられそうにねぇ」
今は亡き父に謝罪。
今のロクスは天の智慧研究会に復讐することだけが全て。その願いを叶えてやれる余裕なんてどこにもない。
そう、ロクスは強くならないといけない。天の智慧研究会に復讐する為にも力が必要だ。その為になら軍にも入るし、教えを乞う為に頭だって下げる。なりふり構ってはいられる余裕なんてロクスにはないのだ。
身支度を整えてロクスは『社交舞踏会』に乗じてルミアを暗殺しようとする天の智慧研究会を殺す為に学院には向かわずにイヴに教えを乞う前に自己鍛錬を行おうと思い、外に出る扉を開けると。
「よう! ロク坊! 朝は早いのう! 今から学院か?」
「おはようございます、ロクスさん」
そこには見覚えのある老人と少年がいた。
(こいつらは確か……)
先日、会ったばかり。
ロクスが特務分室の一員として基本的に行動を共にしているのはアルベルトでよく会っているのは同じ学院に通うリィエル。そして仕事を言い渡してくる上司のイヴぐらいだ。
それ以外の特務分室のメンバーは話どころかろくに会話した覚えがない。
しかし、この二人は今回の『ルミア暗殺計画』を阻止する任務の際に会ったことがあった。
一人は老人でありながら非常に大柄で肩幅が広く筋骨隆々、若々しい精気に溢れた男。
(特務分室、執行官ナンバー9《隠者》のバーナード=ジェスター。そして……)
もう一人の少年、落ち着いた物腰と涼やかな美貌が特徴的な美少年。達観したような瞳と表情が大人びた印象を与える。
(執行官ナンバー5《法皇》のクリストフ=フラウル)
ロクスやアルベルト、そしてリィエルと同じ特務分室のメンバーだ。
「何か用か?」
ロクスは端的に用件を尋ねる。
もしかして任務に何かしらの変更でもあったのか? と考えるロクスに対してバーナードは笑いながら言う。
「いやなに、イヴちゃんが勧誘したお前さんとちょっと話でもしようと思ってのぉ。少しでいいから時間をくれぬか?」
「朝から突然すみません。同じ特務分室の一員として働く者として友好を深めたいと思いまして」
話がしたい。要件は本当にそれだけのようだ。
「俺はお前等と話す暇なんてない」
それだけ告げてロクスは二人の間を通り抜ける。
通り過ぎるロクスの背を見送りながらバーナードはやれやれと息を吐き、クリストフは苦笑いを見せる。
「まったく、アル坊の言っていた通りじゃな。復讐以外に無関心、いや、どうでもいいのじゃろう」
「そうみたいですね。軍に入隊してのも復讐の為のようですし」
アルベルトからある程度はロクスのことは事前に聞いてはいた。だが、今回の任務で一緒に行動する為に少しでも友好を深めようと思ったのは嘘ではない。
しかし、ロクス自身にとっては友好などどうでもいいことであった。
「危ない目をしておったしのぉ。ああいう目をした者をわしは見てきたことがあるが、どいつもこいつも最後はまともな死に方もしておらん。まだ若い子供がああいう目はしないで欲しいものじゃのう」
顎髭を撫でながら、なんとも言えない苦い表情で語るバーナード。
「しかし、わかりません」
「ん? 何がじゃ? クリ坊」
「何故、天の智慧研究会が異能者を集め、駒にしようとしていたのか。まるで戦争の準備でもしているみたいではありませんか」
「うむ、確かにそうじゃな」
帝国軍とテロリストの小競り合いは珍しくはない。だが、大掛かりなこと、それこそ戦争になるようなことは四十年前の奉神戦争から起きていない。
「それに何故異能者なのでしょうか? ただの戦力強化なら他にやりようもあった筈です」
それは確かに不可解な点ではある。
何故、天の智慧研究会は異能者を集めていたのか。
何故、異能者を駒にしようとしていたのか。
わからないことは多い。
「僕も失礼とは思ったのですが、彼のことを調べてみました。どうやら彼はフィアンマ家の御子息。貴族ではあったようです。貴族といって小貴族、名ばかりのもののようでしたけど」
「え? マジで?」
予想外な事実にバーナードは少し驚く。
「彼のご両親は両家が勧めた政略結婚を反対し、恋愛結婚したせいもあって仲がよろしくなく、両家共に彼を引き取るどころか、彼のご両親と共に死んだ者としているようです。ですので今の彼はただの平民ではありますが、問題はそこではありません」
「……異能者とはいえ、仮にも貴族に手を出してでも駒にする意味があるのか、ということじゃな?」
「はい。リスクとリターンが合いません。手あたり次第と言えばそれまでですが」
「なるほどのぉ」
確かにどうして天の智慧研究会はそのようなことをしたのか。分からないと言えばその通りだ。
テロリストだからと片付けられるのなら簡単だ。
だがもしも、何かしらの理由があってそうしたというのであれば……。
「まぁ、その時はその時じゃわい」