戦闘音が鳴り響く。
天の智慧研究会がルミアを亡き者にしようと企てた今回の暗殺計画。それを阻止しようと動く帝国宮廷魔導士団特務分室。彼等の戦闘が始まった。
「イヴさん。やはり僕に行かせてください」
会場の屋根の上で結界を維持しているクリストフがイヴに再度頼み込む。
それは特務分室の新人であるロクスの助力に向かうこと。それを上官であるイヴに許可を求めている。
「必要ないわよ。貴方は貴方の仕事をしなさい」
しかし返ってくるのは先ほどと変わらない返答ばかり。
「しかし……」
微かに聞こえる戦闘音。相手が相手だけに苦戦を強いられるのは当然だ。だからこそ助力に向かうべきだと告げるクリストフにイヴは嘆息交じりに口を開く。
「殺されるわよ? 彼に」
「え……?」
それは予想外な言葉だった。
敵にではない。味方であるロクスに殺されるなんてクリストフは思ってもいなかった。
「少しだけ彼を鍛えてあげたけど、アレは味方なんて必要としない。むしろ復讐の邪魔だと判断したら躊躇なく殺すでしょうね。まぁ、例外もいるでしょうけど、少なくとも私や貴方達なら躊躇わないでしょう」
「そんなこと……」
「ありえるわよ。彼にとって私達は仲間でもなんでもない。ただ自分の目的と利害が一致しているだけよ」
そう、それだけの関係性だ。
「まぁ、安心しなさい。ちゃんと彼の手綱は私が握っておくから。それに彼の実力は折り紙つきよ。貴方が心配する必要がないほどに」
それが嘘か誠か、それを知っているのはイヴだけだ。
アルザーノ帝国魔術学院敷地内、東の薬草菜園付近。
「きゃはっははははは♪ あっはははははははは♪」
グレイシアの耳障りな哄笑が、吹雪の嘶きと共に、響き渡る。
荒れ狂う吹雪、凍てつく大地、氷柱が幾本も天に向かって突き立ち――ついに空気まで凍り付いて、結晶化し、禍々しく輝いて空に舞う始末。
生身の人間ならば瞬時に全身の血液が凍り付き、酸素まで氷結するがゆえに呼吸する事すら困難――いや、息を吸っただけで肺が凍りつく死地。
そこはまさに極低温の第六園――氷結地獄。その地獄を生み出しているのが
その全身に刻まれた魔導刻印――『死の冬の刻印』に魔力を疾走させることで、彼女の周囲の気温は際限なく下がり、無慈悲なる死の冬が形成される。
生ある者を容赦なく絶命させる氷結地獄。その地獄の中に生きている者がいる。
「いいですわ♪ いいですわね♪ こんな激しいダンス私初めて♪ きゃ☆ 熱いのは嫌いではありませんわ♪」
「うるせぇよ。ちった黙れ、クソ女」
紅蓮色に激しく燃え上がる炎は獄炎の火柱は周辺の物だけでなく空気さえを焼きつかせ燃やし尽くす。荒れ狂い、うねる超高熱の灼熱劫火はまさに焦熱地獄。天まで焼き尽くさんとその熱量は上がり続ける。その中心にいるロクスは燃え上がる炎を自分の手足のように動かしている。
上がる炎が大量の火の粉を吹き上げては、空を焦がし、世界を赤く染め上げていく。
そこに魔術的防御なしで立ち入れば灰も残らず燃え尽きるだろう。
氷と炎。
氷結地獄と焦熱地獄。
相反する魔術を行使する二人の実力は拮抗している。
それはただの魔術のぶつかり合いではない。お互いの領域の奪い合い。先にどちらかの領域を支配した方が勝つだろう。だが、それも容易ではない。
(変な恰好と言動をしてはいるが、流石はあのクソ組織にいるだけの魔術師か……)
炎熱系の魔術を行使しながらロクスは眼前の敵、グレイシアを見定める。
恰好や言動はともかくとして魔術師の腕前は超一流。一流の魔術師なら彼女に近づくこともできずにその身が凍り付くだろう。
ロクスが無事なのはロクスがグレイシアの反対、炎熱系に特化した魔術師だからグレイシアの冷気、雪や氷を相殺することができる。
(普段からサラにどれだけ助けられているか、実感させられる……)
遺跡での魔人との戦闘で力を酷使し過ぎた為に今回の戦闘ではサラを召喚することはできない。いないからこそ、サラがどれだけ自分に献身してくれているのか実感させられる。
(だが、この程度の敵、俺一人の力でどうにかしねえと、奴等に復讐することなどできないッ!)
戦闘に関して天の智慧研究会の実力は超一流が多い。つまりグレイシアと同等かそれ以上の実力者がまだゴロゴロいるのだ。天の智慧研究会には。その全てを皆殺しにする為にもこんなところで負けるわけにはいかない。
「あら♪ あららら♪ 私と違って随分と寡黙ですこと☆ 私とお喋りしませんこと♪」
グレイシアの全身の肌に刻まれ、光り輝く魔導刻印である『死の冬の刻印』に魔力を疾走させ、彼女の周囲の気温をさらに下げ、さらなる凍気を生み出す。
「《冬の悪魔が振るう剣よ》♪」
一節呪文を歌うように唱える。
刹那、グレイシアの周囲に出現した氷の剣が、ロクスに向けて飛ぶ。ただの氷ではない。圧倒的な冷気を圧縮凝集して結晶化した、凍気そのものの剣だ。
触れれば、物理的なダメージ以上に、全身が瞬時に凍てつき、砕け散る。
「《一人で・喋ってろ・クソ女》」
グレイシアに対してロクスも呪文改変によって黒魔【フレア・クリフ】を起動させる。しかし、いくら灼熱の炎壁を張る攻性防御呪文でも圧縮凝集された氷の剣を完全に防ぐことはできない。
そのままでは――
「《圧縮》」
分厚い炎壁を局所的に展開するように圧縮させて炎の盾を生み出す。面ではなく点による防御によってグレイシアの氷の剣を完璧に防ぐ。
「《真紅の炎帝よ・劫火の軍旗掲げ・朱に蹂躙せよ》ッ!」
「させませんわ♪ 《蒼銀の氷精よ・冬の
B級攻性軍用魔術、黒魔【インフェルノ・フレア】
B級攻性軍用魔術、黒魔【アイシクル・コフィン】
炎と氷のB級軍用魔術は衝突し、相殺する。
火の粉と氷の欠片が宙を舞い、二人の男女は激しく
「あはははははははっ♪ 素敵、素敵ですわ♪ こんなにも踊ったのは久々ですわ♪」
グレイシアはさらに魔力を自身の『死の冬の刻印』に走らせ、周囲の凍気の嵐をさらに強く、さらに限界突破で暴走狂乱し――
「チッ、《炎獅子》――《吠えよ》、《吠えよ》」
黒魔【ブレイズ・バースト】を
「ステキ! 貴方とのダンスはとっても素敵です☆ ああ~♪ ずっと、ずっとこの時間が永遠に続けばいいのに~♪ ああ♪ そうだ☆ 貴方、私のモノになりませんか♪ そうすれば貴方は永遠に私のモノ♪ たくさん愛でてあげますから♪ 降参してくださいな♪」
名案を思い付いた、かのように壊れた満面の笑みで告げるグレイシア。だが、それは間違いだ。
「……」
この男はそういうことを最も嫌う。それが天の智慧研究会なら尚更。
「《殺す》」
怨嗟に満ちた言葉と共にロクスの周囲に次々と
ロクスは魔人、魔煌刃将アール=カーンとの戦いの経験から更なる強さを求めた結果に辿り着いたのが召喚魔術だ。元々サラとの契約を結んでいる為に召喚術については身に付けているし、サラもいるおかげか精霊との契約も容易なものだった。
そこに自身よりも格上の存在であるイヴから魔術師としての戦い方を学んだ。
自分よりも格上の相手を倒す方法をロクスは考え続けた。
その答えの一つがコレだ。
指先を噛み切り、己の血を簡易的な魔術触媒として生成して腕に血文字でルーンを描く。
「《炎よ・精霊よ・我が命に従え》」
それはロクス独自の呪文。既に持っている
「炎が……」
その光景にグレイシアは思わず目を見開く。しかし、それも無理もない。
魔術による生み出された炎が、
「なに、それ……」
それを見てグレイシアは顔を青ざめる。
何故ならロクスのその手には太陽の如く燃え輝く球体が形成されている。
「てめぇを殺す技だ」
炎の収束圧縮。魔術的理論で言えばそれに当たる。
但し、その手に収束圧縮された熱エネルギーの熱量が太陽と称するに相応しい熱量を有している。
炎熱を掌握して隷属させるロクスの
そこでロクスはもう一つの
それにより召喚魔術で召喚した
魔術と精霊の力で足りない火力を生み出し、それを掌握して隷属。超高熱の炎と膨大な熱量を一点集中させる。
範囲攻撃を得意とする炎熱系の魔術。それを一点に集中させたその火力そして威力はどれほどのものか?
魔術師と名乗る者なら嫌でもそれを理解できてしまう。
今のグレイシアのように。
「――っ」
グレイシアの判断は早かった。
全身に刻まれた魔導刻印――『死の冬の刻印』に魔力を疾走させ、周囲の気温を際限なく下げ、無慈悲の死の冬を形成させ、ロクスを極低温の第六園――氷結地獄に誘おうとするも。
「炎戒」
ただそれを放つ。
迫るくる氷結地獄を前に収束圧縮した球体を解き放つ。
刹那、深紅の爆炎が夜の世界を照らす。
爆炎、爆熱、爆風、煉獄の如く灼熱の猛炎が解き放たれたその火力は局所的な戦術A級軍用
触れたもの全てを灰燼へ化す煉獄の焔はグレイシアを消し去った。
「……」
ロクスはグレイシアがいた場所を見据える。
(この程度では駄目だ……もっと、俺にはもっと力がいる……あいつらを殺す為の力が……)
ギリ、と歯を噛み締めながらロクスは踵を返す。
他の天の智慧研究会を殺す為に。