なにかおかしい。そう感じて、探って、悲しんで。
――――でも、結局。全部、あたしのためだったみたいです。

阿武隈さんが悩むだけのお話。

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妄想が爆走した結果の産物。
駄文かもしれませんが、楽しんでいただければ幸いです。


あなたのためなら

 第3工廠。

 ここは艦娘たちが出撃ゲートとロビーを行き来する、鋼で覆った無骨な通路にその入り口を構えた変わった場所だ。ただし、工廠という名前とは裏腹にここで何かが作られたことは未だかつてないし、これからもそんな日は来ないだろう。なぜならここは、艤装の調整・メンテナンス及び保管のためだけに最適化された場所なのだから。

 

 もちろん一つの鎮守府に所属する艦娘全員の装備となれば、それを保管するため必要な広さもなかなかのものになる。もっとも1つのフロアだけでもに四十人は楽に動ける程広いというのに、それが3階まで続いていればもはや過剰な広さではあるが。

 まあいくら広かろうが、実際の所整備班を除けば1階の、せいぜい中ほどまでしか彼女らは入らないのが常であった。

 

 単純な理由だ。

 各々が武装の整備をしてもせいぜい日々の手入れくらいしかできないものだ。その程度、大した設備が使われることもなく作業は早々に終わる。

 装備を出し入れする時も手間のかかることはない。保管庫の壁面にはリフトが組み込まれており、1階入り口付近で装置にドッグタグのIDを入力すれば各々のラックを手元まで呼び出せる。楽ができるならしたくなるのは人の心、というものだろう。

 

 奥まで立ち入るとしたら。バレルの修正や重心位置の変更など、簡単には行えない調整が必要になった時か艦娘自身が装備の改造や調節に深く興味を持っているか。そういった物好きは収集されたデータやら設計図やらを弄りまわすため入り浸ることは多い。

 そんな物好きたちを除けば、その日のメンテナンスが終わったここへはそうそう誰も来やしなかった。

 

 だからこの日、物好きたちが遠征でいない中、人の来ない階段の先からノックするような物音のするのはとても珍しいことだった。

 その原因は安全柵に両腕をもたせ掛けた一人の少女が足先で床を所在なさげに小突いていたことだったのだろう。彼女が長い溜息と同時、ブーツを振り下ろすのをやめるとその音が鳴ることはなくなった。

 

 軽巡洋艦阿武隈。その写し身たる彼女がだだ広い作業場を独占していたのはもちろん整備、というわけではないらしい。彼女の服装は作業着などではなく、黒いセーラー服だ。それも、動きやすいよう改造された、制服というよりは戦闘服に近い代物。普段快活でよく動きまわるからだろうか、スカートの下のスパッツは引き締まった脚に見事にフィットしている。

 

 そんな彼女は、どうしてだろうか。うつむいて、何か大切なものを失ってしまったかのように震え、背中を丸めている。その表情はどこか虚ろで、目元も赤く腫れ。左手のハンカチには濡れた跡が残され。柵にもたれかかっていなければ、今にもへたり込んでしまいそうな弱々しい姿であった。

 だからだろうか、彼女のぼんやり向ける視線の先、鋼に映った空色は鈍く曇ったままだ。

 

 

 

 ことの始まりは――――そう、一週間前までさかのぼる。その日は彼女が最後に出撃した日だった。

 

 阿武隈は強力な敵の討伐や長時間の戦闘行動が予想される任務へ組み込まれることが多い。この日も例にもれず、他の艦隊が遭遇したらしい変異しているとみられる敵空母を仕留めて回収せよと無茶ぶりを受けて出撃したのだった。

 

 まあもっとも、司令官に思慕する彼女からすれば難しい作戦を任されるのはとても燃えるらしい。無理無茶難題なんのその、高い対応力でどんな任務もきらめきながらこなすのだ。そうとあれば彼女への信頼は更に高まり、より危険な任務に駆り出されてまた実力が上がる無限ループが構成されていた。早い話が、もはや彼女は鎮守府でもトップレベルに強い。

 

 変異種だけあってか、耐久性を見せつけ持ちこたえた空母ヲ級ではあったが。悲しいかな、そんな相手とぶつかり続けていればいずれ崩される時が来る。その体勢を整える間を待ってくれるほど艦娘は優しくないのだ。

 

 討伐目標の沈黙を確認すれば、帰投の準備が始まる。任務完了の報告と回収ヘリの手配を兼ね、鎮守府の管制に通信を入れるのは旗艦の務め。この日も阿武隈が声を通信に乗せていた。

 

「・・・事前情報通り、制空能力は異常よ。一航戦でも制空権を取れないと想定して対空防御と回避を重視して正解だったわ。でもそれ以上に硬さに要注意ね。確かに今回のメンバーでは大和の練度はまだまだ低いけどさ、砲撃がまともに通らないなんて。またこれが出たときはヲ級とは別物と思った方がいいかも」

 

<<本当に大変な相手でしたね。お疲れさまなのです。ところで、最後深海棲艦の反応が急激に弱ったのが確認されたのですが。何をしたのです?>>

 

 感心したような、むしろ呆れたと言いたげな声が通信に流れる。オペレーター的には阿武隈が何かしたことは確定らしかった。

 

 戦闘区域内はレーダーなど観測機器を用いてある程度の観測は可能だ。深海棲艦は活きのいいほどに妨害電波を発信しているらしく、あまり近付きすぎれば通信が届かなくなってしまう。これが領海権を確保していない海域に通信が届かない原因ではあるが、それは逆に妨害電波の強度を測ることができればどれだけ弱らせたのかを知る指標にもできる、ということだ。

 見た目だけはすぐに修復されてしまう深海棲艦だ。この情報がないと延々と弱らない相手を攻撃している気にすらなってしまうことだろう。

 

 そのあたりの諸々の観測データを通信越しに伝えていた電からすると、さっきまで元気だった深海棲艦が突然虫の息になったようにしか見えず、何があったかなんてさっぱりだ。

 まあ、そこは日ごろの行いだろう。

 

「ああ、一応艦載機を出す時の動作は普通のと同じなのが分かったから。いつものように口を開けて発艦するところに爆雷投げ込んでみたの。口を閉じた辺りで爆破すれば流石に効いたみたい。それでも装甲に影響がないのは正直引いたけど」

 

<<・・・相変わらずエグイことするのです。あ、いや。でもこれだけの大物を仕留めたなら艤装が大きく変化してないですか? 相当量の経験として換算されそうですけど>>

 

 なにやら誤魔化したように振られた言葉にそういえば、と腰元の接続部、機関部と手でぺたぺたと触り軽く起動、停止を繰り返す。数秒して阿武隈は小首をかしげた。

 

「んー・・・? 言われるまで気付かなかったけど、珍しく何の変化もないみたい。なんだろう、ひどく安定しているような。こんなこともあるのね」

 

 通信に一瞬の空白ができた。

 

 通常、艦娘が戦闘を行うとその行動パターンや被弾、撃破などの情報が蓄積され、それを基に少しずつ艤装の性能に変化が起きる。艤装の練度が上がるというのはこのことだ。

 基本的には装備への信号伝達が早くなったり、操作感度が上がったり下がったり。一定の練度を超えたなら、今度は方向性はそのままに全体の性能が強化されていく。艦娘にとって艤装が体の一部だとするならば、人間が筋トレやストレッチをすれば徐々に動きが良くなるのと同じようなものであろうか。

 

 そうして艤装コア部に流動的に変化が起きる以上、接続される武装もそのたびに調整が必要不可欠である。個人ごとに最適な重心や反動を無視していたならば、ろくすっぽ砲弾が当たらないなどの不都合も当然起きてしまう。どうしても気にしなければならないことだから、皆変化には敏感だ。

 

 ところがその変化がまったくない。たかが駆逐イ級を一尾屠る簡単な任務でも、毛ほどは動かしやすくなるはずなのに、だ。

 

<<・・・そうですね、そんなこともあるかもしれないのです>>

 

 ぴくり、と阿武隈は背筋を震えさせた。怒気のような嫌な冷たさを声に感じたのだ。周囲を警戒する風を装って辺りを見渡すも、誰一人声の違和感に気が付いた様子はない。通信はオープンチャネルで全員耳にしているはずなのに。戦慄に首筋を汗が伝う。

 

 

 壁掛け時計の針がかちり、と音を立てる。ヒトロクマルマル。

 目尻に浮かんだ雫をぬぐう。万が一誰かに見られて変な不安を与えるわけにはいかなかった。髪が崩れることも厭わず、頭を振るう。それはまるで、得体のしれない絶望感から逃れようとしているかのようだった。

 

 あの日武装を解除して以降、彼女は一度も艤装に触れていないのは間違いない。

 当然だ。謹慎、というわけではないがあれ以降一切戦闘に参加することはなく、陸上で身のこなしを鈍らせない程度に訓練を行う程度であったのだから。むしろ、しばらくはその程度に抑えておく必要があった。

 

 

 別命あるまでの間、出撃を控えられたし。

 仮称、ヲ級改を仕留めたその日のうちに命じられた内容は、要約すればそういうことだった。

 

 戦力の集中する鎮守府といえども、なにがしかの強襲を受けることとてなくはない。その対策として何人かを当番制で待機させておきたい。それには相応の実力のある者を選びたい、ということだった。阿武隈は万が一を守り切れる者、と判断されたわけだ。

 期待に応えたい。目視できそうなほどに幸せオーラをまき散らしながらの敬礼だった。阿武隈はにやけそうになるのを必死にこらえてはいたが、果たして意味があったかどうか。たとえそうでも提督の前ではクールなデキる女性を演じていたいのだった。

 

 ところで純粋に好意を向けていることの分かる相手に対してどのような思いを持つだろう。少なくとも悪い感情を持つことはそうそうないのではないだろうか。

 この時提督が彼女に斯様な指令を出したのは実力よりむしろ、そういう感情こそ本当の理由であったりするかもしれない。もしこの場に第三者、特に青葉辺りがいたならば、秘書艦の微笑ましげに二人を見る様子から色々と想像を膨らませたことだろう。

 

 ともかく、最終防衛線で戦う者が緊急時に弾切れ、燃料切れなどお話にもならない。そんなわけで訓練にはいつも以上に気合が入っていてもほどほどで抑えなければならない日々が続いたのである。

 周囲も通達があったのだろうか。なにやら優しい笑みを浮かべ、度々その程度にしておいたら、と忠告の言葉を阿武隈にかける。多少の欲求不満は表情に出ていたが、まあそんなものかと彼女も受け入れて過ごしていた。

 

 そんな現状に違和感がある。阿武隈が気が付いたのは一週間経ってようやくのことだった。皆が訓練を抑えるよう気にかけていたのは、彼女が訓練をほどほどにしなければいけない理由とはどうも違うらしい。それを偶然知らなければ、気付くのはもう少し遅かったろう。

 

 

「そういえば、しばらく休暇中なんだっけ。もしかして、また有給溜めて怒られた、とか?」

 

 遠征組など、何人かの艦娘が少し遅い昼食をとるラウンジの片隅。阿武隈が趣味のバイオリンをいつもより長く弄び、それを近くで朧が楽しんでいた。

 姉妹との縁もあってこの二人は親しくなって久しい。演奏を終えて雑談に興じるのもいつものことだった。彼女にとって尋ねたのは大した理由ではなかったのだろう。ふと思い出したようにまたやらかしたのか、と朧は柔らかく笑う。

 

「へ? ・・・いやいや、失礼な。最近はちゃんと気を付けてますぅ。ところで、休暇って? 聞いてないんだけど、そんなこと」

 

「あれ? おかしいな? そういうことでしばらく出撃しないってみんな聞いてるんだけど・・・。変だな」

 

 勿論阿武隈自身は休暇、などと伝えられたはずがない。一瞬唖然、としながら確認を取ると聞き間違いではない。正しい理由を伝えると形のいい目をぱちくりさせる。冗談を言っていたわけではないらしい。

 

 誰一人、長い休暇を与えられているらしいという情報に疑問を持たなかったこともデマが広まった原因であるとはいえ、それを責めるのは酷というものだろう。彼女の日ごろの努力はそれこそ全体に知れ渡っているし、なにより提督のお気に入りであることは間違いようのない事実であった。

 その程度の褒賞が出てもおかしくはないと納得する下地があるが故に誰も追及する気にもならず、良かれと拡散してしまったのであろうから。

 

 で、最初は誰から聞いたの、と問えば二つ下の妹から、ということだ。数人、周りに残っている艦娘にも情報の出所を問うてみれば結構な割合でその名前が返ってくる。

 

「でも、漣がこういうことで意味もなく嘘をつくはずないし・・・。あー、もしかしてこれ、何か機密が関わってるんじゃ」

 

 秘書艦筆頭でもある彼女には割といたずらっ子なところはあるが、こういった内容がいたずらであれば流石に洒落にならない。第一、彼女がそれを弁えていないはずもなかった。

 では、情報規制の必要ななにか――例えば身中の虫を炙り出すなど――に関わるから本来の理由が知らされていないのではないか、ということが考えられた。本人にも伝えられていない辺り、その釣り餌役である可能性もあり得なくはない。

 だが阿武隈は実に不本意そうに首を振った。

 

「餌をぶら下げずに釣りをするような所業よ、それ」

 

「そうだけど・・・。自分で言うのはどうなんだろう」

 

 朧は苦笑せざるを得なかった。まったく、乙女としては複雑なことだ。どこぞのが演習で逆鱗に触れなければ、まだあり得たのかもしれなかったが。

 

 演習の記録映像はデータベースを漁ればどの鎮守府からでも見れるのだ。おかげでうまい戦い方を披露したり、変わったことをしでかせば艦娘用のSNSから瞬く間に情報が広まる。それに各鎮守府の青葉が食いつかないはずがあろうか。

 まあ、その辺を弄れるのは親友の特権か。にやっと口元を歪ませて阿武隈を見る。

 

「外部から配属された誰かが対象、とも思ったけど。装甲空母を締め落とした人は有名だったか。ないね」

 

「もう! あれは、相手にも非があったからだってばぁ」

 

「運がなかったんだね。分かる」

 

「それは姉の方」

 

 そんな冗談を挟みながら二人、頭を悩ませるがいまいちそれらしい理由が出ることのないままヒトヨンサンマルになろうとしていた。読書や携帯端末を触って食後の休憩を満喫していた遠征隊もそろそろ席を立とうかな、という頃合いだ。その一人が彼女らに声をかけたのは大方そのついでだったのだろう。

 

「悪い、ちょっと思い出したことがあるんだが」

 

 振り向いた先には木曾が何やら言いにくそうな顔をして立っていた。

 

「あのさ、阿武隈、お前大本営に異動になるかもしれないぞ」

 

「えぇ、なんで? あたし、やだよ?」

 

「嫌って、おいおい。あんまでかい声で言うなよ。一応、栄誉なんだしよ」

 

 声を潜める木曾へ朧が問う。

 

「何か根拠があるんですか?」

 

「あー、なんというかだな。俺は装備とか色々自分で整備しているのは知ってるよな? で、だ。言いにくいんだけど」

 

 お前の装備、ここ数日保管庫にないっぽいんだ。右頬をポリポリと掻きながら、目をそらす。その内容に二人は衝撃を受けた。

 木曾は武装の整備や改造にはまって長い。と、いうことは作業場を借りることの多い第3工廠については大体のことを知っているし、誰の装備が普段どこにあってどんな特徴があるのかだって覚えていても不思議はない。嫌な信憑性があった。

 

「え。それ、あたしの出番が来たときどうしたらいいの」

 

「俺もわかんないよ、てかいつ来るんだよそんなの。で、他にも。阿武隈、最近艤装が練度上限に達したらしいじゃないか。提督はもう指輪を使っちまってるし、上限になったら本部へ栄転、だろう?」

 

 艦娘の練度が上限に達したとき、その艦娘の籍を大本営に移す。各鎮守府が対処するより大きな作戦を実行する部隊に配属される、ということで栄転などと呼ばれていた。

 仲間と共にいた場所を離れることにはなるが、多くの艦娘にとってそれは本望なことではあるかもしれない。

 

 とはいえ。元の鎮守府で絆の喪失による士気低下や、各地の戦力低下がないわけではない。それを少しでも抑えるためと『ケッコンカッコカリ』制度が設けられ、各提督はそれに用いる指輪を一つずつ与えられている。指輪を装着した艦娘は練度上限を解放され、帰属先も泊地ではなく提督個人に変更されることになっている。

 そうなれば大本営に異動することはなくなるのだが。指輪が既に使用された今、残るルートは一つ。

 震える声を絞り出す。藁にでも縋りつきたい気持ちであった。

 

「本当に上限かなんてわからないじゃない」

 

「前の任務で艤装に変化が無かったんだろう。そうなったらもう安定しちゃって変わらないんだ。言いたかないが、そういうことを考えると、なくなったのは既に移送されたからって可能性がある」

 

 愕然として、二人は色を失った。

 阿武隈について誤報が流れているのはもしかして、提督なりの最後の抵抗ってやつなんじゃないか。そう会話を切り上げた木曾の背中をただ見つめることしかできない。

 ぽろり、ぽろりと大粒の雨を降らせ始めた阿武隈を、朧はただ抱きしめるしかできなかった。

 

 

 結局、木曾の言っていたとおり。

 あの後二人で第3工廠を探し回ったけれど、阿武隈の装備を見つけ出すことのできぬまま時間は過ぎ。ならば、と整備用端末から保管装備一覧を確認しても使用者の項に阿武隈の名前を見つけ出すことはできず、かといって出撃用の端末から装備を出そうとすれば出撃履歴が付く。

 

 提督を問い詰めてくる、と珍しく耳まで真っ赤にして朧はいきり立っていた。茫然自失としていた阿武隈には止める間も無く、そして彼女は独りになった。

 ただただ、ため息が漏れる。いっそ艤装を解体した方がましなんじゃないだろうか。どちらにしても、戦いにおいて支えることはできなくなるけども、まだ色々と助けられるかもしれない。

 

 そこまで考えて、ふと阿武隈は異音の鳴っていることに気が付いた。といってもそれは足音だ。

 階下から誰かの上ってくる体重の軽い足音。朧が戻ってきたのだろうか? いや、それにしてはテンポがゆっくりしているし、あまり響かせないように気を付けているようでもあった。

 

 後ろで立ち止まった誰かにちらと目を向ける。そこにいたのは朧ではなく、電だった。何が面白いのだろう、笑顔だ。なぜだか、阿武隈はその表情を見ていると無性に腹が立ってきた。

 

「探したのです。こんな所に居るとは盲点でしたよ」

 

「・・・悪いんだけどほっといてくれない? というか、この時間は作戦のオペレーターを務めていたはず。こんな所に来てる暇、ないはずだけど?」

 

「大丈夫なのです。代役くらいちゃんと居るのです」

 

 ゆっくりと体方向の転換をして正面に見据える。無視しても付きまとわれるのは目に見えていた。

 

「そう。で? そこまでして何の用? さぞ重要なんでしょう?」

 

「話が早くて助かります。・・・まず、ご自分の練度が上限に達したことは理解してますね?」

 

 殺気が迸る。

 思わず掴みかかろうとして寸前で阿武隈は踏みとどまった。その様子を見て電は笑みを深めた。伸ばしかけた右手を握りつぶし、指貫グローブが軋みをあげる。そうか。

 

「一週間前、通信の時から知っていたのね?」

 

「ええ、もちろん」

 

「提督に伝えたのも?」

 

「ご名答」

 

 花丸をあげましょう。ぱち、ぱちと手を鳴らしながらそうのたまう。他の六駆はともかく、電はかなりの古株だったか。かつて練度上限に達した誰かを見ていても何も不思議ではなかった。

 拍手をやめると体を左へ転換する電。柵の前までゆったりと、尊大に歩みを進めていく。

 

「さて、用件ですか。まあ意思の確認、といったところでしょうか」

 

「意思?」

 

「そうなのです。阿武隈さん、あなたには大本営に行くか、解体するか。二つの選択肢があるのです」

 

 冷たい視線が交差する。

 

「あなたが練度上限になったことをまだ大本営は知りません。だから選ばせてあげます。解体を選べば、監視は付きますが。戦いから離れられるのです」

 

 天秤のように両手を広げ、あくまで居丈高に振る舞う電。

 

「大本営に行くのも止めないのです。そちらでも十分お役に立てるでしょう」

 

 どちらを選ぶ? 電の目がそう挑発しているように感じられた。

 阿武隈の眉が吊り上がる。不愉快だった。

 確かに彼女は解体も考えてはいた。だが、電の言いようではここからも離れさせる、と言っているようなものだ。

 

「解体はしない」

 

「なるほど。では」

 

「大本営にも従う気はない。あたしが守るべき場所はここよ」

 

「通るとでも?」

 

「あなたが決めることなの?」

 

「大本営の決定ですよ」

 

「従わないと言ったの」

 

「私たちの所属をお忘れで?」

 

「提督以外に振った尻尾はないわね」

 

 数分とも数十分とも感じられる間、二人は視線で殺し合う。刃を突きつけあったような圧が渦巻いた。

 寿命のみるみる削れるような緊張感。果たして、先に折れたのは電の方であった。やれやれ、お手上げだと両手をひらひらさせながら首を振る。

 

「はあ。まったく、初期艦殿の予想そのままじゃないですか。例え提督が反逆起こしても着いていきそうなのです。ほんとに試す意味がなかったのです」

 

「そりゃ、着いてくに決まってるじゃない。向いてないんじゃない、そういうこと」

 

「うるさいのです。ともかく、十分すぎるほど条件に当てはまるのはよく分かったのです。ああ、もう。分かってましたとも」

 

「条件?」

 

「意思の確認だと言ったはずなのです」

 

 拗ねたようにくしゃくしゃと頭を掻いて、電は佇まいを正す。咳ばらい。何かを読み上げるときに行う彼女の癖だ。詳しく説明する気はないらしい。

 

「第2訓練所に出頭せよ。これは鎮守府外秘の案件である。今しばらくは他の艦娘にも知らせるわけにはいかない。誰にも気取られぬよう徹底せよ。・・・以上、あとはご自身の目で確認してください。朧さんも既に到着してるはずなのです」

 

 もー疲れたのですー、とぷりぷりとした態度で電は踵を返す。だが、その顔には先程よりもよっぽど自然な、安心したような微笑みが彩っていた。

 

 

 時刻はヒトロクサンマル。阿武隈は大きな金属扉の前に立っていた。

 

 直前の十字路では訓練場への道は侵入規制テープが張られていた。機材調整のため、と記した札が掛けられていたから人払いとしては問題ない。ここまで駆け抜けたことで乱れた髪と呼吸を整える。

 

 第2訓練所は兵装のテストにも使われることが多く、暴発や事故の可能性を考慮して地下深くに備えられている。ここに人が来るとしたらまずロビー側にあるエレベータからだろう。だがもちろん、他のルートはある。

 その一つが各工廠からの搬入口だ。ただし、電子ロックのキーを知らなければ、エレベータは使えない。おかげで彼女は非常階段を使用する羽目になったのだった。

 

 横の入力装置に指を這わせてドッグタグのIDを読み込ませる。静かな駆動音を鳴らし、分厚い扉が左へスライドした。いよいよか。阿武隈は唾を飲み込み、踏み込んだ。

 

 左右に高台が設けられ、全体を厚い装甲で覆った室内。広さはおおよそ千六百平米。見覚えのない、側面に穴の一つある棺が台に乗ったような物体が、鈍く静かに彼女を待っていた。

 

『来たな』

 

「はい!軽巡阿武隈、只今参上いたしました!」

 

 提督の声がスピーカから響く。前方の壁面上部に設置された展覧室に三人分の影が見える。逆光ではっきりと顔は見えないがそわそわしている一人は朧らしく、別の一人は紛れもなく彼女の焦がれる提督であった。

 

『ああ、楽にするといい。この場は非公式だ。こんな場所からすまないね』

 

「気にしないで、提督」

 

『・・・さて、君を呼んだのは他でもない』

 

『第一回、阿武隈ちゃんをご主人様が待たせてたワケはなんでしょか!のお時間デース☆ 心の準備はいいかにゃ?』

 

 朧が頭を抱える。そして二人の間で手を振る見覚えのある背丈と髪型。軽い口調はまさに『指輪』を与えられた初期艦その人、駆逐艦『漣』。

 昼時や出撃待機中などなど、彼女が嬉しそうに白銀ベースの指輪を磨く姿を見ない日はまず存在しない。ああなりたかったと羨望を抱くと同時、もしや見せつけているのではないかと阿武隈が常々疑っている相手だ。

 軽く話そうとされる重要な話に阿武隈はそれでいいの?と言いたげな表情を浮かべる。意外と軽い内容、の割には仰々しすぎないだろうか。

 

『まず、これから渡すものを見せておこうか。主な原因はそれだからな』

 

 ゴゥンという重い音と共に棺が稼働する。機械音と共に支柱がせり出し蓋の一部がするすると持ち上げられていく。側面の丸い穴は二つに割れ、その先に棒状の持ち手らしきものが顔を出す。まるでそれを握って半円に腕を置けと言わんばかりの見た目だが――――円の片割れを持つ蓋から感じるのは、ギロチンのような死の気配。

 けれども、それから感じる雰囲気によく似たものを彼女はよく知っていた。よく使っていた。

 

「・・・これ、は。・・・艤装なの?」

 

『そうとも言える。・・・指輪ではないが、ケッコンカッコカリと同じことをするために。即ち、練度上限を取り除くために開発したものだ』

 

『ここしばらく、あなたの艤装からデータを抽出してその腕輪を調整してたのよ。ちゃんと安定できるように確認する作業にも艤装使ってたから、出撃させるわけにはいかなかったんですよねぇ。なにせ、まだある意味プロトタイプなわけでして・・・。暴発事故とか嫌ですし』

 

 どういうわけか、この装置はただひたすら不気味さを阿武隈に伝えてきた。困惑と喜色をない交ぜにした表情になる。艦娘としての、乙女の心が喜びの声を上げるのに対し、艦としての魂は『受け入れれば軍艦として終わる』と絶叫を上げているのだ。

 

『そもそも、ケッコンカッコカリをするとなぜ練度上限という檻から解き放たれるのか。考えたことはある? 艦の魂に人の姿を与えられた艦娘の、定められた限界を超えさせる。この指輪が何をするものか』

 

 魂を歪めて艦の枠から外れ、現世を生きる個に作り替える。それが答え。そう語る漣の背丈は見てわかるほど朧に差をつけている。

 艦はあくまで非生物だ。その魂の具現である艦娘はヒトの形を模した存在ではある。代謝の結果として髪や爪が伸びはしても、結局はその精神こそが存在の中核をなしている。彼女ら『艦娘』にとって本来肉体は後付けでしかなく、生まれたときから沈むその時まで変わることはない。

 ある程度無事ならば簡単に修復できるのも、近代化改修で他の艦娘を取り込めるのも。肉体に殆ど依存していないからこそできる荒業なのだ。

 

 成長するように変わる、ということは非生物の枠組みを完全に抜け、肉体に依存する存在に生まれ変わるということでもあろう。結婚という形を採っているのも、魂魄を歪めることで起きる拒絶反応を抑えるのに愛という強い意志を利用するのが好都合であったからに過ぎないのだ。

 

『それを握ったが最後、あなたは漣と同じ、艦娘にして艦娘でない存在に変わります。沈めばそれでおしまい。艦の魂に還ることもなければ、深海に引き込まれることもない』

 

 先程までおちゃらけていたのと同一人物とは思えない、真面目な心配する声だった。

 

『使うのが指輪であれば、あなたは艦の魂を歪める拒絶反応にも余裕で耐えられる、とは漣も思うのです。でもね、結局指輪ほどの安定性はないの。最悪、あなたの魂が崩壊して消滅するかもしれないわ』

 

『できるなら、あともう少しの間使わせたくないのが事実だ。・・・だが、これ以上大本営にもごまかしは効かない時期が来た。受けるかどうか、強制はしない』

 

 提示されたリスクは相当のものだ。だからこそ二人は強制はしない。心配で仕方がないのだ。それは阿武隈にも理解できていた。だが、ケッコンの話をわざわざした、ということはつまり。そういうことで、いいのだろうか。

 漣に目を向けると、返ってきたのは頷きだ。

 

「ね、提督」

 

『なんだ』

 

「それでもこれをくれるってことは、さ」

 

 足を進める。一歩、また一歩。稲穂のような房がふわり、なびいた。

 

「プロポーズってことで、良いんだよね」

 

『・・・ああ、そうだ。俺達と共に来い』

 

 艦の意思が断末魔を上げる。阿武隈の頬に朱が差し込む。

 

「浮気者ですね」

 

『面目ない』

 

 棺の前でおかしそうにひとしきり笑って、彼女は右手を差し出した。

 

「なら、答えは一つしかないよ」

 

 差し出された首に、断頭台が牙を剥いた。

 

「あなたのためなら、死んでもいいわ」

 

 

 

 画面の中で金髪の少女が舞う。

 武装を次々に換装して圧倒的な強さを見せる姿にいくつものため息が上がった。

 

「・・・すばらしい」

 

「上限解放を施した艦娘並ではないか? これが完成すれば、どれ程の兵器になるというのか」

 

「我々の手元に届くのが楽しみな逸材ですな、皆様。・・・それまで、あの提督には大切に扱ってもらわねばな!」

 

 ワハハハ、と笑う軍服を身に着けた男たち。

 

「これほどなら、クローンの素体としても優秀そうじゃないか」

 

「ええ、素晴らしい実験体となってくれることでしょう。ところで、この腕輪は何でしょうな?」

 

「いささか大きいが、ただのアクセサリーではないか?」

 

 軍部の闇がその効果を知ることはない。

 

 白銀の腕輪が日を受けきらめいていた。そこに映る空色が曇ることはきっとないだろう。




名前書いてみて、って言った阿武隈に「大好き」と書いて見せて赤面させたいだけの人生だった。


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