「はっはっはっはっは!! お前ら二人ともバカだろう!!」
ゆっくりと、シノンは透明な液体がなみなみと注がれたグラスを傾ける。口に含めば甘さと共にパチパチと弾ける感覚が口に広がる。
茅場晶彦が細かく専用の料理や名前を作り込むのが面倒だったのか、はたまた人はどんな環境であれ同じ進み方をするという証左なのか。現実世界同様、サイダー、と呼称される甘い炭酸飲料をシノンは飲みながら、目の前で行われる会話を眺めていた。
「そりゃお前、あれだけの立ち回りができる人間が突然現れたら警戒されて当然だろ!最初から素直に事情話して、庇護求めてればもっと早くすんだろ」
「ぐ……む……」
「お前も、まんまと乗せられて相手方の思惑通りになってるじゃねぇか。生真面目過ぎるって何度も言ってるだろ?」
「う……申し訳ありません……」
アルコールが回ってきているのか、顔を少しばかり赤くしたベルクーリに笑われているのはアリスとアナンドだ。
一先ず、全員の戦闘力チェックを済ませ、シノンたち四人は騎士団へ入団することが許された。アリスは未だ不満そうであったが、それでも部隊長であるベルクーリが許可し、そしてそこからさらに騎士団長へと伝えられ許可が出たことから、平隊員であるアリスはそれ以上文句を言えないようだった。
そして同日、夜。歓迎会という名目で開かれた飲み会に、シノンたちは招かれていた。未成年組はジュース、成人組はアルコールとそこら辺は騎士団らしくしっかりと分けて、当初のアリスからの警戒とは裏腹に、かなり好待遇でシノンたちは受け入れられていた。
むしろこうもあっさりと、騎士団から見れば不審者である自分たちが受け入れられたという事実がシノンとしては不気味であったのだが、どうやらアナンドはそれをさほど気にしてはいないらしい。ここまで受け入れられたのなら、とここに至るまでの経緯と、その裏で考えていたことを洗い浚い話していた。
それに対しベルクーリが言ったことに、シノンとしては概ね同意であった。究極的にはシノンたちの目的は衣食住の確保にあったのだ。ならば素直に騎士団からの庇護を求めればよかったのだ、とは思えた。
けれど同時に、アナンドの選択も決して間違っていないというのも理解できていた。街の守護を仕事とする騎士団である以上、善良な人間が所属しているのだろう、とはシノンも思う。けれどシノンたちの面倒を見る、ということは相応の責任が生じることだ。騎士団としても街の人間でない者を守る義務は存在しないわけであるし、無能かもしれない人間を無条件で騎士団に加えることになる可能性だってあるわけだ。騎士団の権力者の人格が分からなかった以上、アナンドの判断はやはり、一概に間違っていたとは言えないもののようにシノンには思えた。
それにそもそも突然この世界に囚われた状況から、ああして自分で考え行動できた以上、それだけアナンドは凄いとシノンは思う。危うく死ぬ一歩手前だったとはいえ、動くことのできたキリトという少年もまた。
シノンと同い年であった少年が動けたのに対し、シノンは今回の状況にパニックを起こすだけであった。それは、一般的に見れば特に不思議なことではないのだろう、とシノンは理解している。しかしシノンは自分をその一般的ではない、と考えている。
それは幼少期に一つの事件に巻き込まれたことからであるし、またそこから来るトラウマを解消するために地獄を味わったことからもまた。それらから、シノンは自らの精神性が周囲から多少なりとも逸脱してしまっている、と考えていた。
だから、今回の一件であのような反応をしてしまった、というのはシノンは自分で思っているよりも一般的な感性が残っている、という証左であり、喜ぶべきなのかもしれなかった。
―――けれど、シノンは全くとしてそれを喜べなかった。
そもシノンは、一般的な少女でありたいなど欠片も思ってはいない。事件に巻き込まれた当時であれば、それが理由でいじめられていた当時であれば。自分がもっと普通の生活を送れていたら、なんてことを想像したことがある。
だが今はもう、そんなことを想像することなどない。それは特別、今の生活が気に入っているからなどではない。むしろ不満はいっぱいだ。頭おかしいとしか思えない親族共には無茶な扱きを受けるし、その親族からの仕送りは割と少ないし。幼少期の事件直後に比べればマシでも、なんやかんやで辛いことはまだある。
それでも普通でありたかったと思わないのは―――偏に、普通では彼の隣にいられないからだった。
相当飲んでいたのか、いつの間にかベルクーリと肩を組んでキリトやユージオの少年組へ絡みに行っているアナンド。中身が一緒である以上当然の話であるのだが、その動きには現実世界における
飲み会会場全体が五月蠅いため具体的な会話は聞こえないが、キリトやユージオが困った顔をしているあたり、深く酔っ払うと面倒なのも相変わらずのようだった。
そんな彼を好きになった自分は物好きだな、とシノンは苦笑する。
しかし父が死に、事件に巻き込まれ、周囲からは拒絶されいじめられ。そんな中、親族というだけでシノンを守り、支え続けてくれ、その結果トラウマの改善の切っ掛けとなってくれたのであれば気持ちも揺れるというもの。ましてやそれが元々好みのイケメンともなれば、好きにならない方がおかしいだろう。
チョロい女と笑いたければ笑うがいい。惚れてしまったのだから仕方がない―――恋心を自覚してからそれなりに経っているシノンは、既にその程度には開き直っていた。
時々、本当にこれは恋なのかとシノン自身疑問に思うことはある。精神的に助けられたことからの依存かもしれないし、もっと違う感情なのかもしれない。
―――だったらなんだ。そんなこと知ったことか。恋だろうが依存心だろうが、何だろうが構いやしない。私が彼の隣に居たいからそこを目指すのだ。
シノンは己の心に素直だった。それでいいと、その方が楽しいとシノンはアナンド、帯刀憧志を見て知っていた。
けれど、それでもシノンは己の気持ちを伝えることだけはしていなかった。それは、今の自分が彼の隣に立つには相応しくないとシノンは考えているからだった。
アナンドが自らの隣に立つことに、相応しさなど求めないことはシノンも分かっていた。ただそれでは自分が納得できない。助けられるだけの自分ではありたくない。
少なくとも、今回の一件でパニックになってしまうような自分では、自分自身を認めることがシノンにはできなかった。加えて、騎士団の入団試験でボロクソに負けた自分ではなおのこと。
はぁ、と思わずシノンは項垂れる。思い返すのは数時間前のこと。実力を把握する、ということでシノンと、それからリーファも軽い模擬戦をやることになった。そしてそこでシノンは見事にボロ負けしたのだった。
そもそもシノンはアナンドと違って生存のための鍛錬しか積んでいないし、元よりまともに近接戦をこなせるとは自分でも思っていない。ただ剣道をやっているだかなんだかで、リーファですら多少打ち合いを演じてみせたというのに、自分はどうにかこうにか避けるのだけで精一杯だった、というのはシノンは自らが情けなかった。
模擬戦後、何やらベルクーリは部隊配属を考えるやら言っていたがいったいどんな意図があるのか。そんなことをシノンが思っていると、アナンドの姿が周囲に見えないことに気づく。どうやら一人、考え込み過ぎていたらしい。
何人かに質問し、アナンドが外の空気を吸いに行ったことを知る。それから特に深く考えることもなくその後を追おうとし、恋する乙女かよと自嘲して、恋する乙女だったと思い出す。
どうにも、最近好きであることに慣れ過ぎてしまっている、と思いつつシノンは飲み会会場の外へ出る。
外は街灯も少なく、またアインクラッドの構造上、空に見えるのは次の層の地面であるため月明りもなく、周囲はそれなりに暗い。先ほどまで人が多い場所にいたために、寒暖差に思わず身を震わせつつも周囲を見回せば比較的見つけやすい場所にアナンドの姿があった。
「―――正直なことを言えば、割と緊張とか焦りとかあったりしたんだよなぁ、これが」
壁に寄りかかり煙草を吸うアナンドの隣に行き、シノンもまた同じく壁へと寄りかかる。宙を揺蕩う紫煙を目で追いながら、この世界にも煙草があったのだな、とシノンはぼんやり思う。
「だってよ、下手したら自分の命どころかお前や、キリトたちの命に関わってくるんだぜ?」
「………………」
「ガキどもが真っ直ぐ生きていけるように、大人が責任負うのは当然だ。それが格好いい大人ってもんだし、少なくとも俺が憧れた大人はそうだった。だから俺自身がそうあろうと決めたんだから別にいいんだけどよ……」
そこまで言ったアナンドはズルズルと背中が壁に擦れるのも気にせず、その場にしゃがみ込む。そして咥えていた煙草を手に持ち、空いている手で顔を覆ったかと思えば、濁った声で呻き始めた。
「あ゛あ゛ー……上手くいってよかったー……。マジなんだよゲームの中に囚われるって……。やってられるかバカヤロー……」
そこからポツリポツリとアナンドの口から愚痴が漏れていくのを、シノンはただ聞き流していく。些か情けない姿ではあるが、特に幻滅はしない。むしろこういったところがあった方が、人間臭くてシノンとしては気に入っていた。また、昔は愚痴る姿をシノンには見せてくれなかったために、見せてくれる程度には信頼されている事実が嬉しくもあった。
「はー……何も考えず刀振ってたい……」
「現代人の発言とは思えないわね……」
「SAMURAIになりたい……。そもそも考えるのは俺の仕事じゃないだろー……」
とはいえ、あまりしつこく愚痴られるのもうざったい、というのが正直なところ。シノンはうだうだ言い続けるアナンドの脛を容赦なく蹴っ飛ばす。
「おぅっ」
「あんましグチグチ言ってんじゃないの。他のやつらに見られたらよくないでしょ」
「分かってるよ……分かってるけど、オニーサン的には脛蹴るのはやめて欲しかったかなぁ……」
そんなことを言われても、親族連中に親しい相手には容赦するなと教わったのだから仕方ない。そう、大体諸悪の根源は親族連中であるし、何ならシノンがゲームをやるようになったのも親族から目を逸らすためなので、こんな状況に巻き込まれたのも親族のせいだろう。
とりあえずシノンは全ての責任を親族に押し付けつつ、蹴られた脛を数度擦ってから立ち上がるアナンドを見る。キリトとは違い、互いに作成したアバターのままの姿ではあるが、身長や体格はほとんど弄っていないために身長差は変わらない。
基本的にシノンはアナンドのことを見上げることしかできない。それは背丈的にも、精神的にも。今だって愚痴を吐き終えてしまえばキリトたちが安心できるよう、背筋を伸ばし口元には不敵な笑みを浮かべている。その内側にどれだけの不安や苦しみを抱えていようが精神力だけでそれを抑え込んでしまい、シノンからはそれが見えなくなってしまう。
やはり、シノンとしてはそんな姿をただ見るだけなのは嫌だった。いつか、対等な目線でそんな彼を支えられるように―――そんな想いと共に、シノンもアナンドに倣い、壁から背を離して真っ直ぐと立つ。
「俺はこの後、騎士団長と他のプレイヤーたちのことについて話すから、シノンは他の連中のところ戻りな」
「私もついて行くわよ。酔っ払い一人に任せられないし、今日はずっと頭使って疲れてるでしょ」
「ガキが生意気だっての。でもま、頼むわ」
アナンドによってシノンの頭が小突かれる。それからその後、ゆっくりとその頭を撫でられ、やはりまだ子ども扱いなのだな、とシノンは嘆息する。
おそらくであるが、アナンドに対する好意は気づかれているのだろう、とシノンは思っている。その上でなお、何も言ってこないのはただアナンドにとってシノンは子供であり、恋愛対象ではないからなのだろう。
それならそれでいい、とシノンは溜息を吐く。どちらにしてもシノンがやるべきことは変わらないのだ。無理矢理にでも彼の隣を勝ち取る。その邪魔をするなら、本人ですらなぎ倒してやろうと、シノンは決めた。
「―――おや、君たちは?」
そんな風にシノンが密かな覚悟を決めていると、暗闇から声がかかる。アナンド、シノンともに思わず警戒から構えるが、よく考えてみればここは騎士団の敷地だ。飲み会中とはいえ、警備担当の人間はちゃんと残っているのを確認している。偶然ではあるが実際に顔を合わせて飲み会に参加できないことに文句を言っていたのを覚えている。そうそう不審者など現れないだろう、そう考え警戒を解く。
現れたのは、柔和な笑みを湛えた一人の男だった。顔に刻まれた浅い皺に、白髪が混じった髪。その見た目からは初老に入ったほどに見えるが、がっしりとした体つきに、一切のブレがない体幹からシノンにすら実力者であることが分かる。
着ている服は特に飾りもない、シンプルな部屋着であるが、飲み会にいた平隊員が着ていたものより暗闇で分かるほど作りがしっかりしている。間違いなく騎士団で身分高い人間だろう、そうシノンがあたりを付けていれば、どうやらアナンドも同じ結論に至ったらしく、若干居住まいを正していた。
「見慣れない顔……もしかして、君たちが件の新人かな?」
「そういうあなたはもしかして……」
「ああ、そうだね。人に名を尋ねるなら先に自分が先に名乗らなくては」
おそらくではあるが、立場的に上であるはずの男は、質問に質問で返されながらも物腰柔らかくそんなことを言う。如何にも人格者といった雰囲気の男は、その面積の
「―――私はヒースクリフ。この血盟騎士団の団長をやっている者だ」
シノンちゃんの事情がめんどくせーから事前解決させとこうとしたら、気づけば主人公に惚れてた。まぁそりゃイケメンにトラウマから救われて、日頃からそれなりに面倒見てもらってればなぁ、というお話で。
そんなわけでヒースクリフ登場。はてさてその中身はいったい……?