アナンドが両手で持つ槍が、目の前に存在するフレンジーボアへと突き込まれる。しかしそれはアナンドの意思によって振るわれたものではなく、また同時に槍の穂先がフレンジーボアへとめり込んでいく感触も、思っていたよりも軽い感触だった。
違和感しかない―――そんなことを思っていたアナンドが持つ槍から、フレンジーボアがその身を大きく暴れさせることで抜け出す。アナンドは猪であれば心臓がある位置を一突きした以上、確実に死んだものだと思っていたためにそれに対応が遅れ、見す見す敵を逃してしまうという醜態をさらしてしまう。
HPが残っている以上は心臓を潰しても死なないのがゲームだ。その認識を改めて頭に刻みつつ、地面を転がるようにして距離を取ったフレンジーボアとの間合いを、槍のものまで詰める。
先ほど放ったソードスキルの感覚から、適切な間合いを測り、腕を引き―――放つ。ただし今度は、ソードスキルのモーションに合わせて、自分の身体をそのモーション通りに動かすようにする。
それでも違和感拭えない……が、多少はマシになっている、とアナンドは感じる。また、心なしかフレンジーボアのHPの減りも多くなったようにも。
これ、思っていたよりも重要な技術かもしれない。そう思いながらフレンジーボアのHPが確かに全て無くなったことを確認し、アナンドは背中へと手に持った槍を吊る。
「……うん、気持ち悪いなこれ」
「いや、何がよ」
思わずアナンドの口から零れた言葉に、共にフィールドへと繰り出していたシノンがそんな言葉を返してくる。
一通りのチュートリアルを終えたアナンドたちは、早速こうしてチュートリアルで学んだことを活かすため街の外で実戦に挑戦していた。そしてそれはアナンドたちだけではなく、同じくチュートリアルを終えたであろう人々がここら一帯のフレンジーボアと戦っている。
これなら呑気に会話しても問題ないな、とアナンドが草むらの上に座り込めば、そのすぐ隣にシノンも腰かけてくる。そして先ほどの気持ち悪い、にどんな意味が込められていたのかを、細められたその猫科を思わせる瞳で問うてくる。
「別に、そう難しい話じゃあない。ただ単純にこの世界のシステムは剣を振るったことのない者を想定している、ってだけの話さ」
「……どういう意味?」
考えてみれば、至極当然の話なんだよ、とアナンドはそこから言葉を続けていく。
基本的に、平和な現実世界において戦いなどとんと縁がないものだ。故に戦うための技術を修めている者などそうはいない。強いて言うならスポーツ、ボクシングや剣道などの経験者は例外とできる程度であろうか。
しかしそれにしたって、生き物の命を奪うことを想定したものではない。そのため初めて握った剣を存分に振るえるようにソードスキルでモーションを自動化するのも、敵を斬った時の感触が薄いのも必要なことだ、というのは充分理解できる話だった。
「だけど結局それは戦うための技術を持たない者のためでしかない。俺みたいに剣術を修めている、とか生き物を狩ったことがある人間は対象としてないのさ」
「だから気持ち悪い、ってことなのね」
「そういうこと。自分が思った通りに得物は振るえないし、刺した手応えが違いすぎて違和感しかないんだよねぇ……」
アナンドは自らが特殊であることを自覚している。と、いうよりかはアナンドの家系が現代において異端であることを自覚していた。だから違和感を感じてしまうのは至極当然である、とも納得していた。
ただそれに文句を言うのは、また別の話。仕方がないことだとはいえ、愚痴は言いたくなるものなのだ。なに、別に運営に聞かれるわけでもなし、とアナンドはこの際幾つか発散してしまおうと愚痴を続ける。
「こう、せめてさ、ソードスキルじゃないと威力でないのやめてくんないかなぁ……。ソードスキル使いたくない」
「あなた今、ゲームシステム根本的に否定してるの自覚してる?」
「してるしてる、超してる」
なおのこと質が悪い、とシノンは頭を抱える。とはいえ所詮愚痴は愚痴。あくまで言いたいだけであるし、言ってそれが適応されるとも思っていない。
この世界で戦うならソードスキルに慣れるか、時間はかかるが通常攻撃で地道にやるかの二択だな、とアナンドは思いつつ初期装備である、背中に背負った槍を自身の正面へと持ってくる。
「……それにしても意外ね。あなたが槍を選ぶなんて」
「んー? 一応、槍も経験はあるんだぜ?」
そうシノンに返すが、まぁ他者から見ると確かに意外なのだろう、ともアナンドは思っていた。特にシノンは今までのアナンドの生活を見ていた分、強くそう感じる部分があるのだろう、とも。
「そもそも、あなたがSAOをやろうと思ったのは今まで磨いてきた技術を存分に振るいたいからでしょう? だったら……」
「ま、そりゃあ一理ある」
一理どころではないかもな、とアナンドは笑う。確かに、目的にそぐわないことをしている自覚はアナンドにもあった。だがアナンドは自らの実力を正しく把握していた。
故に、
SAOには対人戦の機能もあるそうだが……所詮相手はこの世界に来て初めて剣を握った者ばかり。ましてや決め手はソードスキルという、動きにパターンがあるものだ。その程度、アナンドにとって見切るなど容易いことだった。それは純然たる事実だった。
その上でこの世界を楽しむにはどうしたらいい? そうしてアナンドが出した結論は、自らに制限をかけるということだった。つまりは最も得意な武器を封印する、ということである。
そうすれば、存分に体を動かしつつこの世界で対等な戦いができる。己の得物を振るえないのは残念であるが、修めている技術はそれだけではないので、歩法などは充分実戦で試せる。そう考えれば、自らに制限をかけるのはさほど悪い選択ではない、とアナンドは思っていた。
「逆にシノンはイメージ通りだよなぁ」
「そう?」
今度はシノンが、先ほどのアナンド同様に自らの得物を抜く。空に翳すようにすれば、光を反射して輝く短い刀身を持つ、所謂ダガーに分類されるものだ。
シノンが長物を振るうイメージがない、という消去法であったが、アナンドにはSAOに存在する武器の中では短剣が一番シノンのイメージ通りに思えた。
「って言っても、あんまし剣とかを持ってるイメージがお前にはないけどなー。短剣ならまぁ、って程度だよ」
「それ言ったらそもそも、現代人に武器のイメージなんてないと思うんだけど」
それは確かに、とアナンドは苦笑する。日頃からゲームをやるような人間であればともかく、普通に過ごしていれば特徴的な雰囲気でも持っていない限り武器とその人のイメージなど繋がりはしない。性格からなんとか、程度だろうか。
けれど逆に、明確なイメージが湧かないのであれば、実際はどんなものか気になってくるというもの。シノンはどんな風にその短剣を振るうのだろうか―――それをイメージし、比較するためにアナンドは立ち上がる。
「それじゃあシノン、次はお前が戦ってみてくれよ」
「……そうね、あまりこうやって座っていても時間が勿体ないし」
アナンドが座っているシノンに向かって手を差し出せば、素直にそれを握り返してシノンが立ち上がる。それからシノンは、アナンドの手を離し鞘から抜いたままだった短剣を順手で構えるのだった。
「くっそ近接戦下手だな」
「……うっさい」
照れたように顔を赤くしてそっぽを向くシノンを、アナンドは頬を突いて遊ぶ。無論、そんなことをすれば当然シノンはアナンドの手を払うわけだが、それでもアナンドは遊ぶのをやめない。弄れる時に弄るのがアナンドの主義だし、シノンとアナンドの関係は互いに煽れる時は煽るものだ。容赦というか自重がないのが基本スタイル。
「いやぁ、このHPバーの差よ。俺がほとんどマックス。シノンは真っ赤っか!」
「あんた覚えてなさいよ……」
恨みがましい目でアナンドのことをシノンが睨む。しかし報復を恐れていては煽り芸などできはしない。そのまま続けて煽ろうとして……アナンドは違和感に気づく。
始まりの街を囲むように存在する石の大壁。その出入口として存在する木製の大扉を越えて街中の様子を目にしたアナンド。そこで初めて、街中が妙なざわめきに包まれていることに気づく。
「なんだ……?」
「……いやな雰囲気ね」
街の至る所で人々が集まり何かを話している。アナンドの視界にはその集まっている人々の頭上にカーソルが表示されているため、ざわついているのはプレイヤーだけだ、と把握できる。
何か、プレイヤーにとって予想外、不都合なことが起きたのだろう、とアナンドはあたりを付けつつ、シノンに目配せで心当たりがあるかを問う。しかし返ってきたのは首を横に振るという、分からないという返事だった。
ならば自分で予想を立てるしかない、とアナンドは目の前の状況を改めて確認する。
場所は街に入ってすぐの簡易的な広場。視界上には多くのプレイヤーがおり、逆に言えばこの場所以外にはあまり人がいないことを示している。ならば起きた“何か”はここで確認できるものだろう、とアナンドは考える。
アナンドの場合は、ここに来た理由は戦闘を終わらせて一度、しっかりとした休憩を挟むことだ。特にシノンのHPが残り少ないのもある。だがその場合、用があるのは宿屋だ。街の門をくぐってすぐの場所でこうして人が集まる理由はない。
ならばこうして敵のいない、落ち着ける場に来てやることは何か、とアナンドは思案する。パッと思いつくのはアイテム整理だ。しかしアナンドとシノンは街の外で軽くアイテム欄を確認しているが何か引っかかるようなものがあった記憶はない。
疑問に思いつつ一応、アナンドはメニューを開き、そこで一つ違和感に気づく。メニューの選択肢の中に、文字もなくそもそも選ぶことのできないものがある。そこに本来あるべきなのは―――
「あー、そりゃ皆ざわつきますわ……」
思わず呟いたアナンドの言葉にシノンが怪訝そうにするのを無視しつつ、適当にそこら辺にいたプレイヤーの方へと向かう。それは三人ほどの集まりで、全員が手元を見ているのでメニュー画面を開いているのだろう、とアナンドは予測を立てる。
「あの、すみません」
「ん、はい?」
「皆さんもログアウトができない状態ですかね?」
その質問にそこに集まっていた三人が全員頷いて返してくる。その反応にやっぱり、とアナンドは納得しつつ何時頃からかなど簡単に情報交換を済ませてそのグループから離れてシノンの元へと戻る。
とは言っても残念ながら、三人組も何故ログアウトできないか知っているわけではなく、この場にいる全員がログアウトできない状態だという程度のことしか聞くことはできなかった。
それでもこの状況になったのは自分たちだけではないというのはありがたい情報だった―――そう、アナンドはシノンへと伝える。
「……バグかしらね。運営の対応を待ちましょうか」
「そう、だなぁ」
そう言って街中へと歩き出すシノンを追って、アナンドも歩き出す。向かう先は恐らく、宿屋だろう。シノンはHPが減ったままなのでその判断は間違っていないように、アナンドには思えた。
だが同時に、アナンドにはどうにも引っかかるところがあった。普通に考えてログアウトできないのはバグとしては致命的であるからだし、また単純にアナンドの直感がまだ何かあると告げていたからだ。
しかしだからといって具体的に何がどう、と分かるわけではない。そのため特に対策を打てるわけではなく、素直にシノンについて宿屋に向かうしかない状態だった。
「ねぇアナンド」
「ん?」
「さっきのでいくらお金溜まった?」
その問いにアナンドはメニューを開き、相変わらずログアウトができないことも確認しつつ、手持ちの金額を見ながらシノンへと伝える。
「やっぱりそんなものよねぇ。しばらくこの街の周辺でお金稼いで装備揃えるのと、装備を買うのは別の街にするのどっちがいいかしら……」
アナンドはゲーム初心者であるため、アナンドと比べれば多少の経験があるシノンに序盤の立ち回りは丸投げするつもりだ。装備の更新タイミングなどはシノン次第であるため、特に武器防具を気にするつもりはなかった。
だが宿屋へと向かう途中、ふと見た露店において意外なものを見つけたために思わず足を止める。
そこに売られていたのは黒のシンプルなテーラードジャケット。素材や加工を見る限り、明らかに現実世界における現代の技術で作られるようなものにアナンドには思える。
防具としての性能を見ても、特に防御力は設定されていない。あくまでアバターの着せ替え用……いや、それにしたってデザインがシンプル過ぎる。まるで私服にしろと言われているかのような、
「……何?」
「これは……」
アナンドの中で感じていた違和感が大きくなったのを自覚した瞬間。ゴーン、と鐘の鳴る音が辺り一帯に響き渡る。音源は……最初にログインした際に出た広場にある塔。見ればそこにある鐘が揺れているのが分かった。
間違いなくこれは何かを知らせる音だ。そしてそれはログアウトができなくなったことに関係している。それをアナンドが確信すると同時、アナンドの視界は光に包まれた。
次回、ついに物語が動き出す。
いったいどれだけハードモードになったんでしょうね?