神の花嫁   作:塩崎廻音

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前編

 暗い森の中を逃げる。逃げる。逃げる。

「はぁっ…!はっ、はっ……んぐぅ…!」

 息が切れる。のどがカラカラに渇き、えずいてしまう。でも、足を止めるわけにはいかない。

 背後から迫りくるのは自分の二倍以上も大きい怪物。それが、恐ろしいうなり声をあげてバキバキと木々をへし折りながら追いかけてくる。

 ”アレ”に捕まったら絶対に生きては帰れない。でも、逃げても逃げても全然振り切れない。むしろ、どんどん怪物の息遣いが近づいてくるのを感じる。

 これが、お母さんとの約束を守った罰なの?

 お母さんから絶対に入っていはいけないと言われた森に足を踏み入れたのは、ちょっとした反抗心からだった。お母さんは昔から口うるさくて、あれもダメこれもダメとちょっとしたことでも口を出してくる。私ももう子供じゃないから、そんなにあれこれ言われなくても大丈夫なのに。

 この森に入ってかいけないというのもお母さんから言われて約束したことだった。お母さんは「あの森には恐ろしいものが出るから」って言っていたけど、子供だましのおとぎ話だと思っていた。

 だから、山に木の実を取りに出かけたとき、もっとたくさん木の実が取れそうなこの森に足を踏み入れた。お母さんとの約束は覚えていたけど、ちょっと入って木の実を取るだけなら大丈夫だって思っていた。

 

 だけど、そんな私の見込みの甘さを咎めるように、その怪物は現れた。毛むくじゃらの体に、爛々と光る複数の赤い目。うなり声は村の猟犬よりずっと恐ろしく、大きく裂けたような真っ赤な口がおぞましい。そして何より、その体は私の何倍もの大きさで、その目はずっと上から私を見下ろしてくる。

 食べられる。

 一目見た瞬間にそう確信し、私はわき目も振らずに逃げ出した。でも、その怪物は私を逃がす気がないようで、こうして私の後をずっと追ってくる。

 走って、走って。もうどれくらい逃げたかも分からないほど走ったけど、全然振り切れない。

 怪物は、もう私のすぐ後ろまで迫っている。

――もう、ダメなのかな?

 諦めが私の頭をよぎったその瞬間、彼は現れた。

 

「攻勢術式:爆光!死にさらせ!!」

 夕暮れの森が真昼になったかのような輝き。何か聞きなれない言葉を唱えた彼が手をかざすと、私の後ろで何かが爆発したような轟音が鳴り、後ろから吹き付けた突風で私は地面になぎ倒される。

――食べられる!

 そう思って身を固くしたが、一向に怪物が襲い掛かってくる気配がない。恐る恐る後ろを振り返ると、地面が大きくえぐられたかのように吹き飛んでいて、怪物の姿はどこにもなかった。

「危ない危ない、大丈夫か、あんた?」

 目の前に突然出てきた男の子がそう言って私に手を差し伸べる。変わった模様の白い着物をまとい、こちらに手を差し伸べる黒髪の少年。何がなんだか分からなかったけど、この人に助けられたんだなってことだけは何となく理解できた。

「あ、ありがとうございます」

 私がそう言って手を取ると、彼はにっこりを笑って「無事みたいだな」と言いながら手を引き私を立ち上がらせた。

 立ち上がった私は、しばらく何も考えられずに彼のことを見つめていた。死を覚悟した状況で颯爽と現れて助けてくれた恩人。どうにも、胸が高鳴て仕方ない。

 

 そんな風に固まる私を不思議そうに見ていた彼は、やがて表情を引き締めて、

「しかし、なんだってこんな危ない森にいたんだ?ここは妖魔が良く出るからって周りの村じゃ立ち入らない決まりになってると思うんだが…」

 そう聞いてきた。

「あ!…ええと、それは、あの」

 それは、当然聞かれるはずのこと。私も村でもこの森は立ち入り禁止で、私はその約束を破ってこの森に入り、あの怪物に追いかけられることになった。どう考えても自業自得。正直に話したら絶対に怒られてしまう。

 私が言いよどんでいると、彼の背後から別の女の子が現れ、

「…あ、拓海!あなたまた制御を誤って周りごと吹き飛ばしたのね!」

 と彼女は言った。彼と同じような白い着物を着た長い黒髪の女の子。

「いやほら、この子は助けられたんだからそれで…」

「それとこれとは話が別。それに、もとはといえば拓海が取り逃がしたのが原因でしょう!」

「まあ、そうなんだけど、最終的に大丈夫だったんだし…」

「ダ・メ・で・す。ちゃんと修行しなおしなさいな」

「…はいはい、わかったよあやめ」

 急に現れて言い合う彼らに取り残され、私は立ち尽くしてしまう。なおも言い合う彼らに対し、私はグッと手を握り、意を決して疑問を口にする。

「あ、あの!あなたたちは一体?」

 そういった私の存在に改めて気づいた風の彼らは、

「ああ、放っておいてごめん。俺たちは、倉敷の里の退魔士。聞いたことあるかな?」

「退魔師がどれくらい知られているかは知らないけど、近くの村の子でしょうから知っているんじゃないかしら?」

 私の方に向き直って、そう言った。

 

***

 

 神話の時代が終わってから数千年が経ち、もはや神々が直接の神威を振るわなくなって久しいその時代。人々の前に突然、人とも動物とも全く違う異形の存在が現れた。

 『妖魔』と呼ばれるようになったその異形の存在は、まるで人間を憎んでいるかのように執拗に人間を襲い殺し続けた。もちろん人間たちもただ殺されるのを待っていたわけではなかったが、人の数倍の体格を持ち、時には雷や大嵐といった現象を自在に操る異能まで持ち合わせた妖魔の前にほとんどの抵抗は無駄であった。

 各地に現れる妖魔の前にどんどん追い詰められていく人間たち。そんな中、人間の中にも異能の力を操る存在が現れた。ある者は友好的な妖魔との契約の元、またある者は神から授かった力により。そうやって妖魔に匹敵する超常の力を手に入れた人間は、人を殺しつくそうと現れる妖魔を逆に討伐し、人々の守護者と謳われるようになっていった。

 人間であって人間でない力の持ち主。妖魔を退治する妖術師の一族という意味を込め、人は彼らを『退魔師』と呼ぶようになった。

 

***

 

「それにしても、毎回あなたは何か失敗しないと気が済まないのかしら?」

 里に帰ってきてから、あやめはずっとこんな感じで俺のことを責め立ててくる。

 初夏の爽やかな風が気持ちいい帰り道は、しかしあやめの執拗な叱責により爽やかとは程遠い雰囲気になっていた。まるで、最近上がってきた気温がさらに上がったようだ。少しはこの風で頭を冷やしてほしい。

「そういたって、これでも修行はサボってないし、実力もだんだん上がってるってとーじのおっさんも言ってるんだけど…」

「修行でうまくいっても本番で失敗してたら仕方がないでしょう」

「…いやまあ、そうなんだけど」

 あやめがこんなにぐちぐちといってくるのは、先ほどの討伐任務で妖魔を打ち取った際に、少し暴走した術式のせいで周りに余計な被害が出たことが原因だ。妖魔に打ち込んだ術式「爆光」は見た目こそ派手だが、本来は対象とした妖魔以外にそれほど大きな被害が出るものではない。実際、あやめが同じ術式で妖魔を討伐した際はきれいに妖魔だけを滅している。

 俺は里の退魔師の中ではかなりの落ちこぼれで、一応あやめの監督付きで討伐任務を受けているが、術式の威力が足りなかったり、逆に今回のように暴走してしまったりで満足に討伐任務を達成できたためしがない。

 俺としてもそんな失敗続きの現状が問題であることは理解しているし、それを改善するために修行は欠かしていない。そもそも、修行の最中に術式が暴走したことは一度もない。まあ、威力が足りないのはいつものことなのだが。

 だというのに、いざ本番となると度々術式の暴走が起きる。初めのころは緊張していたからつい力がこもってしまったという可能性もあったが、流石に何度も実戦を経験した今になっても緊張してしまうなんてことはない。特に、今日の任務ではだいぶ自然体でことに当たっていたはずだ。まあ、ちょっと調子に乗って途中で妖魔を逃がしてしまったわけだが。

「百行は一果にしかず。修行ばかりでなくとっとと本番で結果を出しなさいな」

「わかってるよ、言われなくても」

「…その言葉が三回目でなければ信じたんだけどね」

 ため息をつくあやめ。その表情は呆れというよりは困り果てたという感じだった。

 

 里の中では落ちこぼれと言っても、普通はそんなに問題になることはない。倉敷の里は退魔の一族が治める村であるが、べつに住人全員が退魔師として戦うわけではない。田畑の世話をする人間も必要だし薬師や寺も必要だ。むしろ、村の中で一人前の退魔師はけっこうな少数派とすらいえる。退魔師として実力が足りないのであれば、他の職業につけばいいというのが村に住む人間の認識だ。

 ただ、そこで問題になってくるのが俺の生まれだった。俺の名前は「倉敷拓海」。この村を統治する倉敷の一族であり、倉敷本家の三男坊という立場。その出自から、俺が退魔師としての立場をすてて他の職業に就くことは許されない。一族の人間として人々を守護する義務があるからだ。

 別に退魔師になること自体に不満はない。落ちこぼれとはいえ在野の似非術師よりは力があるし、人を守るということに意義を見いだせないとかでもない。だから、修行は自分なりにまじめにやっているし、割り振られた任務も全力でこなしている。

 が、いかんせん実力不足は否めない。俺の師匠として修行を見てくれているとーじのおっちゃん――里の退魔師の中でも術の制御に長けた実力派で知られる荒川家の冬治さんのこと――にも、術の制御能力は十分だが威力が全く足りていないといつも言われている。いや困った。

 ただ、不思議なのは討伐任本番で度々術式の暴走が起きること。それだけでなく、暴走した術式はいつも修行で出している時よりも大きな破壊力を発揮する。修行では再現できない不可思議現象だ。そのため、術式の暴走を修行によってどうにかできる目途はたっていない。一応、とーじのおっちゃんが言うには制御能力をさらに鍛えれば暴走は起き辛くなるらしいが…

 

 ふと、里の一角であやめが老人――道具屋の源三じいさん――に声をかけられる。

「おや、姫さん、帰ってきたんですかい。いつも仕事お疲れ様です」

「あら、源三さん、ありがとうございます。といっても、私は後ろで見ているだけでしたけど…」

「いやいや、ご本家様を見守るというのも立派なお仕事ですよ」

 そう源三さんが言う。ご本家様とは俺のことだが、老人は俺よりもあやめの方を気にしているように見える。

 姫さん、と老人は言った。あやめは倉敷とは別の退魔の一族『桜坂家』の一人娘で、「神の花嫁」と呼ばれるほどに神に愛されたといわれる特別な力を持った一族の巫女だ。その力は倉敷本家で最も力のある退魔師といわれる長兄に匹敵するほどであり、その美しい容貌も相まって里の皆から姫さまと呼び慕われている。当然、俺とは比べ物にならない人気者だ。

「そうでしょうか、私としてはもっと人々の助けになることをすべきだと思うのですが…」

「まあ、焦ってはいけませんよ、姫様。お館様も考えがあってのことでしょうし」

「…そうですね。定められた使命の中で全霊を尽くすのが桜坂の巫女ですからね!」

 そう言うあやめの瞳はキラキラと輝いて美しい。あやめが人気者なのは桜坂の巫女としての出自とは別に、彼女の誰よりも己の使命に一生懸命な姿に惹きつけられるからというのもある。俺に対して説教臭いのも使命に対する真剣な姿勢によるものであり、俺もその一途さには好感を抱いている。たとえ任務の度に何時間も説教されていたとしても!

「では、私はこれからお館様のところに向かうので、これで…」

「ああ、姫さん。引き留めてすまなかったねえ」

 源三さんがそう言うと、あやめは一礼して屋敷へと向かう。何となく蚊帳の外だった俺も軽く会釈だけしてあやめの後に続く。源三さんが俺を見る目が笑っていなかったのは、気のせいだと思いたい…

 

***

 

 倉敷の家に戻った俺とあやめは、倉敷家の当主であり俺の祖父である倉敷太蔵のもとへと向かった。今日の俺の任務の結果を報告するためだ。報告は大体いつも通り。もちろん、術式の暴走も含めて。じいちゃんの「お前またか」みたいな視線がとても痛かった。違うんだよ、頑張ってはいるんだよ。ふざけてるわけじゃなくってちょっとまってまってじいちゃんのゲンコツは本気で痛いからやめてちょっとぎゃあああぁぁぁあああああ!

 

 なんてことがあって。

 

 報告を終えた俺は自室に戻って術式の指南書を読み直していた。実際、そろそろ暴走をどうにかしなきゃならないとは思っている。

 もともとこの里からしてみれば「外様」でしかなかった倉敷の家が統治者として迎え入れられたのは、倉敷の家が退魔師としての責務を誰よりも重んじて、率先してその力を人々のために振るってきたからだ。だから、倉敷としての義務を果たせないものは落伍者として見られる。俺が里の皆に微妙に軽んじられているのはそのためだ。

 それが不当な扱いだとは思わない。里長の一族として倉敷はいろいろと便宜を図ってもらっているし、その生活は里の他の家よりずっと恵まれている。この部屋だってそうだ。退魔師として未熟な俺でさえ自分の部屋が与えられ、さらに棚一杯の指南書も備えつけられている。貴重な本を、三男でしかない俺にまで分け与える。俺が、倉敷としての義務を果たすことを望まれていることがよくわかる。

 

 これほどの優遇を受けている以上、責務を果たすことに抵抗はない。抵抗はないが、一つだけ俺には、「倉敷の責務」に全霊をかけられない理由があった。

 俺の両親は、退魔師としての任務の最中に命を落とした。あれは確か、俺がまだ八歳か九歳だったころ。遠方の村に現れた強大な妖魔を討伐する任務で父が命を落とし、母もその戦いで受けた傷がもとで世を去った。当時まだ倉敷の責務というものを今ほど理解していなかった俺は、当然両親の死に深い悲しみを負った。兄さんたちも、口では父さんたちは立派だとか言っても、目には涙があふれていた。当然だ、家族が死んで悲しまない人間はいない。

 でも、里の皆の反応は違った。誰もが、「倉敷の人間は立派だ」といって、両親の死を悲しむどころか賞賛していた。誰もが笑顔で両親の死を語っていた。

 別に、それで里の皆を恨んでいるとかではない。里の皆も、俺の両親の死を笑っていたわけではないから。

 でも、それとは別に思ってしまったんだ。退魔師は、家族を残して死ぬのが当然なのかと。家族を悲しませるのが当たり前なのかと。

 

 父の母も、多くの人々を救って命を落とした。それは称賛されるべきことであるし、俺自身も素晴らしいことだと思う。でも、両親が救った人々は、家族にも村の人々にも全く関係のない人たちだ。そんな人たちの命まで背負って、俺たちは死ななければならないのか?俺たちの命はそんなに安いものなのか?

 死ぬのが怖い。それ以上に、死なせるのが怖い。いつか、兄貴たちやあやめが、関係ないどこかの誰かを救って命を落とすんじゃないかと思うと、怖くてたまらない。

 身勝手な思いなのかもしれない。でも、見知らぬ他人のために命を使いつくすことを、俺は許容できなかった。

――俺は我が儘なんだろうか?

 思い悩む。里の中に、同じよな悩みを持つ人間はいない。真面目なあやめはもちろん使命を果たすことに積極的だし、俺と同じく両親を失った兄たちでさえ退魔師としての使命を果たすことに疑問を持ってはいない。それが、この里で退魔師の一族に生まれた者としての当然の義務だからだ。

 ただ、俺一人だけがその義務を手放しに肯定できない。

 

「たくちゃん、入っていい?」

 しばらく思い悩んでいると、いつの間にかじいちゃんとの話が終わったのか、あやめが部屋を訪れてきた。「たくちゃん」は小さいころからの俺の呼び方で、二人だけの時にあやめはこの呼び方をしてくる。人前ではそんなそぶりを見せないが、あやめはけっこう甘えたなのだ。いつもが極端に真面目な分、いろいろ疲れがたまっているのかもしれない。

「いいよ、入って」

 そう言うと、あやめは襖を開けておずおずと部屋に入ってくる。先ほどまでの澄ました表情はどこへやら。びくびくとこちらの様子を伺いながら近づいてくる様は、まるで臆病な小動物のようだ。

 

 対外的な凛々しい巫女としての態度とは違ってあやめの素の性格は大人しくて甘えん坊といった感じ。普段は、桜坂の巫女としてふさわしい振る舞いを心がけているためそういう態度をとっているだけだ。

 だから、その取り繕った立ち振る舞いに疲れて鬱屈がたまってくると、こうして昔のような態度で甘えてくるのだ。特に、最近は妖魔の活動が活発で里の重要な戦力であるあやめは休み暇もないほどに任務に繰り出されている。俺の任務の監督など、あやめ自身が戦う必要がない分むしろ休息と言えるくらいだ。

「…えへへぇ~、たくちゃん、ぎゅうぅ~」

 俺のところまで近づいてきたあやめは、いつものごとく俺の胸に顔をうずめて抱きついてくる。密着したあやめから花の香りのような甘い匂いが漂ってきて、すこしドキドキする。

 目の前にあるあやめの頭を、ゆっくりと撫でる。さらさらふわふわとした髪の毛の手触りが心地いい。撫でられたあやめが「んぅ~」とうなって頭を擦り付けてくるのが、すこしこそばゆい。

「んふふ、たくちゃんはあったかいねぇ~」

「あったかいって、そりゃ人間ならだれでも体温があるでしょ」

「ううん、そういうのじゃなくて、なんていうか、ポカポカするの」

「…そういうもんかねえ」

 胸元に顔をうずめたままあやめがそんなことを言ってくる。吐息が胸に当たって暖かい。

――暖かいのはあやめの方だとおもうけどなあ…

 俺より少し体温の高いあやめの体を抱き、そう思う。俺はどっちかというと体温が低い体質なので、冷やっこいといわれる方がしっくりくる。

「ふふ、これの良さが分からないとは、たくちゃんは人生の八割は損してるねぇ~」

「八割て」

 俺は自分の人生を全く謳歌できていないらしい。んなアホな。

 

 あやめとは幼いころからの付き合いだが、こうして露骨に甘えてくるようになったのはつい最近だ。具体的には、あやめの母親である桔梗さんが世を去って、あやめが桜坂の巫女を襲名してから。多分、里の代表に近い立ち位置で、さらに実戦でも他人から頼られるというのが負担になっているんだと思う。前から距離が近い方だったが、最近はべったりだ。

 辛いなら適度に休むべきだと思うし、そう何度かあやめに伝えているのだが、里で屈指の実力を持つあやめは強情さも屈指の物。「桜坂の巫女としての務めだから」といって取り合わない。

 俺に甘えてくるのは構わない。だが、無理を続けて任務の途中で限界が来てしまったらケガだけじゃすまない。あやめだってそれを分かっているはずなんだが…

「なあ、あやめ?」

「ん?なあに?」

「お前、もっと休め。最近は特に任務ばっかでしょ」

「……」

 俺の言葉に、あやめは黙りこくる。少しだけ沈黙したあやめは、おもむろに顔をあげて、俺の目を見つめてこう言った。

「ダメだよ。私は、私の役目を果たさなくちゃいけない」

 先ほどまでの気弱な態度が嘘のような、強い意志を感じさせる瞳。桜坂の巫女としての振る舞いを取り繕っている時とも、身内に甘えている時とも違う、あやめの本質。

「……」

 今度は俺が黙る番だった。強い意志で自分の信念を語るあやめに対して、俺は語るべき言葉がない。正しいとかなんだとかは、この強い意志をたたえた瞳の前には無力だ。俺には、あやめみたいなまっすぐ貫き通すべき信念なんて何もない。

「ありがと、心配してくれて。でも、大丈夫だから」

 ふわりと、あやめがほほ笑む。先ほどまでとは違う、俺を安心させるための笑み。桜坂の巫女としての表情だ。

 その顔に俺が何も言えないでいると、あやめはスッと立ち上がり、襖の方へと歩みを進める。

「明日も任務だから、早めに寝て、ちゃんと来てね?」

 一度だけ振り返ってそう言ったあやめは部屋を出る。

 

 入り込んできた夜の空気が、少し肌寒い。

 今夜は、少し冷える。

 

***

 

 たくちゃんには悪いことをしたと思う。たくちゃんが私のためを思って言ってくれていることは分かっているから。

 でも、桜坂の巫女として生まれた以上は、その名に恥じない生き方をしなければならない。あの日、お母さんと約束したから。

「たくちゃん…」

 知らず、たくちゃんの名前が口からこぼれ出る。自分から突き放しておいて、未練がましい。思わず、自嘲の笑みを浮かべてしまう。

 倉敷拓海。こんな私をいつも気にかけてくれる、一つ年上の幼馴染。

 里のみんなは落ちこぼれといって馬鹿にしているけど、私はたくちゃんはすごい頑張り屋さんだと思っている。一度読んだ指南書を何度も読み返して隅々まで読み込んでいるし、術式の制御も威力が足りないことを除けば文句なし。まあ、なぜか本番で暴走するんだけど。

 才能がない、ものにならない、といつも軽んじられても、たくちゃんは決して諦めない。いつだって、自分にできる精一杯が何かを考えて、それを実行している。私だったら、あんなふうにいつまでも結果が出ないことを馬鹿にされながらこなし続けるなんて、できない。

「たくちゃんはすごいなあ…」

 心から、そう思う。今日だって、任務の後で疲れているだろうに、また暴走しちゃったからって指南書を読み返して復習していたし、その上で私に優しくしてくれた。

 さっきまでの、部屋での出来事。たくちゃんに抱きついて頭をなでてもらっていたことを思い出し、カァッと顔が熱くなる。頭がゆだって、冷静に物を考えられない。最近、桜坂の巫女となってから、どうにもたくちゃんに甘えるのが止められないのだ!

 少し涼しくなった夜の風で、頭を冷やす。

 今夜の風が、少し冷たくて助かった。

 

***

 

 次の日、俺とあやめは近隣の村の近くに出るようになったという妖魔を討伐すべく、任務に出た。現れた妖魔は、目撃した村人の証言から考えて、下級の妖獣か何か。未熟な俺でも問題なく討伐できる相手だ。

 少し気になるのは、妖獣にしては村の被害が少ないということか。妖獣は知恵を持たず本能に従って動くため、大抵の場合妖獣が見つかった時点でその村はかなりの被害を負っていることが多い。しかし、今回は妖獣らしき影を見たという報告の後、多少家畜が襲われたくらいで大きな被害はない。家畜の被害というのも、鶏などの小型の物だけだ。

 ただ、こういった被害状況は例外も多い。妖獣が生まれたばかりであまり積極的に動かない場合や、他の場所で退魔師から逃れてきたものの手負いのままで満足に活動できないという場合もある。

「一応、その村によって話しは聞いておきましょう」

 あやめからの発案でそうすることになった。

 

 依頼元の村へ向かい、妖魔らしき影を見たという人から話を聞く。といっても、本人も妖魔だと思ってすぐ逃げたため、あまりしっかりは見ていなかったらしい。ただ、ちらっと見た感じだと、それほどは大きくない妖魔だったらしい。

「発生したばかりの妖魔なのかしら?」

 と、あやめが言う。実際のところは見てみないと分からないが、

――まあ、生まれたばかりなんだろうな…

 そう思う。俺も任務で何度も妖魔と相対しているが、生まれたばかりの幼体と遭遇したこともそれなりにある。妖魔は世の乱れに合わせて自然発生するといわれ、幼体であっても親が近くにいることはない。このため、たやすく討伐することができる幼体は「当たり」と言える。

 拓海自身、別に幼体でなければ倒せないほどの実力不足ではないのだが、

――あやめに無理をさせたくないし、幼体なのは願ったりだ。

 別に相手が弱いに越したことはない。

 

 ちらりと、あやめの顔をこっそりうかがう。昨日の夜のことがちょっとだけ気まずいので今日はあまり顔色を見ていなかったのだが、見たところはそんなに悪くない。今日の相手をさっくり片付けられれば文句なしだ。

 少し、気合を入れなおす。最近生き方に迷い気味だが、今日はその辺を忘れて頑張ろうと思う。悩むのはいつだってできるが、今はあやめにあまり無理をさせたくない。

「とりあえず、実物を探さないことにははじまらんね」

「そうね、早速妖魔が出たという森へ向かいましょうか。小型の妖獣なら、あまり心配することもないでしょうし」

 そう言って、あやめが森の方へ歩き出す。それに付いていこうと踏み出したとき、ふと後ろから視線を感じた気がした。

 後ろを振り返ってみるが、特にこちらを見ているような人は見当たらない。

――気のせいだったのだろうか?

 釈然としないが、あやめに早くしなさいと呼ばれてしまい意識をそらす。まあ、どのみち今は妖魔退治に専念しなくてはならない。あまり余事に付き合っている暇はないか。

 少し後ろ髪をひかれながらも、あやめが怒り出す前に、と俺は森の方へ歩き出した。

 

***

 

 森の中を進み、妖魔を探す。探し始めてからかれこれ数時間は経っているのだが、一向に見つかる気配がない。

――おかしい…

 どうしようもない違和感を感じる。隣のあやめも、時間が経つにつれだんだんと険しい表情をするようになった。

 

 当初、この森にすむ妖魔は幼体かなんかだと思っていた。村人の証言では体が小さいという話だし、村への被害も小さい。典型的な幼体の振る舞いだ。

 だが、もし妖魔が幼体なのであれば、ここまで探して見つからないのはおかしい。人間を襲った経験が少ない幼体の妖魔は、成体と違って退魔師への警戒心が薄い。成体ほど活動が活発ではないとはいえ、自分の縄張りに入ってきた人間をむざむざ野放しにすることはないはずだ。

 探し始めて数時間。幼体であればとっくに、警戒心の高い成体でも大体は見つけることができるだけの時間が経って、いまだその痕跡すら見当たらない。

 考えられる可能性は二つ。一つは、村人が見たことがない獣を妖魔と間違えて報告していること。これであれば、さほど問題はない。人騒がせではあるが、実害は全くないからだ。だが、ここで問題になるのはもうひとつの可能性。

――相手が、自身の存在を退魔師から隠ぺいできる程の力を持っていること。

 

 そうであれば状況はかなり悪い。そう言った妖魔はかなり狡猾で、退魔師をやり過ごした後に村人を襲うなどの知恵を働かせてくるため、下手に逃がすと被害がかなり大きくなる可能性がある。こちらを襲ってこないということは妖魔の実力自体はこちらに劣るのだろうが。

「あやめは、どっちだと思う?見間違いか、それとも大物か」

「…素直に考えれば、見間違いだと見てもよさそう。家畜の被害の程度も野良犬あたりのそれと変わらないし、ここら辺に下級以外の妖魔が出たことはない。状況証拠だけで見れば、いないと考えるのが妥当だと思う」

 あやめはそう言って、しかしその自分の言葉を全く信じていない風な目で、こう続けた。

「でも、これは単なる勘だけど、今回見つかったのは妖魔だと思う。確証はないけど、これだけ探しても見つからないくらいの能力を持ったやつがいると思う」

「…やっぱそうか。勘違いだったら、って思ってたけど」

 

 あやめの言葉は、俺が思っていたことと大体同じだった。見間違いではなく、こちらの探索から逃れている。それだけの能力を持ったやつがいる。

 そうなってくると、状況は良くない。相手は結構な実力があると予想される妖魔。対して、こちらは片方は高い実力ながらも、もう片方が半人前。ここまで隠れ続けるところからするとおそらくは討伐可能であるが、確実に仕留めるのであればもう何人か実力者が欲しい。

「で、どうする?このまま探索を続けるのはちょっと不安が残るけど。いったん里に戻って報告するか?」

 確実なのはそれだ。厄介なのがいると分かっていれば、それ相応の人員を集めればいい。探索に関しても、専門の術者がやった方が見つかる可能性ははるかに高い。

 ただ、問題もある。ここで里に戻れば、その間は村の守りが無くなることになる。退魔師に目をつけられたことに気づいた妖魔が、そのままのんびりと潜伏を続けるとは思えない。最悪、離れた直後に村を壊滅させることもあり得る。

 確実な討伐か、村の安全か。

 

「…今ここで、仕留めましょう。私が、必ず」

 あやめが選んだのは後者。人を守ることに全力な、あやめらしい選択。

 そして、あやめがそちらを選ぶのであれば、俺も腹をくくらなければならない。

「了解。じゃあ、俺はあやめの補佐に回るから。頑張ろうか」

 そう、あやめに言う。落ちこぼれと言われてはいるが、一通りの術式は覚えている。強い妖魔相手に矢面に立つには力不足でも、戦うあやめを補助するのであれば十分だ。

「うん、よろしく……――探査術式:神の…」

 そう言って、周囲に意識を向けるあやめ。今までよりさらに集中力を高めたあやめは、より高位の探査術式を発動しようと構え…

 

「――――っ!!」

「あやめッ!!」

 

 突如、その背後から小さな人型の妖魔が現れる。

 

 周囲を警戒した退魔師二人を堂々と欺いた奇襲は。

 しかし、現れた妖魔が攻撃を始めるよりも早く回避に移ったあやめを捉えきれない。

 

 ただ、回避により体制の崩れたあやめは次の行動に移れない。初撃を外した妖魔が再びあやめに狙いを定め…

「…ッ!攻勢術式:鎌鼬!!」

 とっさに、妖魔へ向けて術式を放つ。集中力を高める暇もなく反射的に打ち込んだそれは、わずかに制御を離れた鋭い暴風となって妖魔を打ち据える。完全にあやめに意識を向けていた妖魔は、それを避けることができずに、その体を袈裟懸けに大きく切り裂かれながら弾き飛ばされる。

 その背後にあった茂みの中にたたきつけられる妖魔。

 

「っとと、危ないわね。気をつけなさい!」

 同時に、暴走した風の余波であやめがたたらを踏む。危なかった。選んだ術式によってはあやめまで巻き込んでいたかもしれない。こちらをにらみつけるあやめの顔が怖い。

 

「まあありがと、助かったわ。それより、あいつは…」

 そう言って、妖魔が吹き飛ばされた先の茂みを見るあやめ。俺もその茂みを見るが、妖魔に動きはない。先ほどの一撃で行動不能になったのか?

「…出てこないわね」

 俺もあやめも、妖魔の次の行動に備えて、術式の準備をする。茂みに入ってから動きを止めた妖魔だが、その気配は動いていない。次の行動に移るにも、まずは茂みから出るはずだが…

 

 しばらくそうして警戒していると、やがて妖魔はゆっくりと茂みから姿を現す。先ほどの一撃で大きく切り裂かれたはずのその体は、

「…治ってる?あの短時間で?」

 しかし、何の攻撃も受けなかったかのように傷一つない。トンデモ生物の妖魔でも、短時間であれだけの傷を癒す力はもっていないはず。

 

「…いいわ、何のからくりがあるのかは知らないけど。丸ごと吹き飛ばせば問題ない」

 あやめの結論はてらいのない力押し。ただ、これは単なる思考停止とも言い切れない。丸ごと吹き飛ばせば仮に打倒できずともどんな仕掛けで治っているのかは見えるだろうし、あやめにはそれを可能にするだけの力がある。

 あやめは、いまだに大きな動きを見せない妖魔を油断なく見つめ、

「『威光』を使うわ。援護をお願い」

「了解。あいつの動きを止める」

「うん、頼んだよ」

 『攻勢術式:神の威光』は、強烈な破壊の光を広範囲に打ち込み敵を完全に消滅させる大技だが、発動の予兆が大きいために会費や妨害を受けやすい。あやめの実力であればそれでも何とかするだろうが、俺が支援すれば確実にこの妖魔を滅することができる。

 

「ギィィィ…」

「させるかよ!」

 あやめが術式を起動するのに合わせて、妖魔が再びあやめを襲う。大技の予兆を感じて、発動前につぶそうと考えたのか。

 だが、それを許すつもりはない。

 

「防御術式:防護壁!」

 術式を発動する。選んだのは、単純な防御用の防壁を展開する術式。退魔師見習いが最初に習うような単純な術式だが、防御能力はかなりの物。霊力を多く籠めれば相当に高い防御力を発揮する。

「さらに追加ァ!!」

 そして、この術式の最大の長所は、単純さゆえに連続複数展開が容易であること。防壁にぶつかり一瞬戸惑って動きが止まった妖魔を囲むように、さらに三つの防壁を展開する。

 

 周囲に展開された防壁を破壊しようとする妖魔だが、霊力を大量に込めた防護壁は簡単に壊されるような脆い壁ではない。

 それに気づいた妖魔は、大きく跳躍して残った逃げ道である空中に飛び出すが…

「残念、それが狙いだ」

 足場のない空中。羽を持たず飛行術も使えない妖魔にとって自由に動けない空中は、着地するまでの間は何よりも有効な「檻」となる。

 

 そして、その絶好の機会を逃すあやめではない。

「攻勢術式:神の威光!」

 あやめが放った破壊の光が、空中で身動きが取れない妖魔を飲み込む。今までの動きからして、あの妖魔は空中移動や防御の術を使うことができない。この破壊の光から逃れることはできないはずだ。

 

 『威光』の光が暗い森を真昼のように照らし、その光が消えた後、妖魔は跡形もなく消し飛んでいた。

 しばらく、周囲の様子をうかがう。しかし、消し飛んだ妖魔が復活するような気配はない。当初の予想からすれば、驚くほど簡単に妖魔の討伐は完了した。

 

 

「終わった、みたいだけど…いまいち釈然としないな」

「…そう、ね……」

 そう言ったあやめが、突然ふらりと崩れ落ちる。慌てて、あやめのもとに駆け寄る。

「おい、あやめ…!大丈夫か?!」

「……ごめん、大丈夫よ。ちょっとめまいがしただけで…」

「めまいって…さっきの妖魔に何かされたのか?」

「いえ、そういうんじゃなくって…ちょっと力を使いすぎただけ」

「力を使いすぎた?」

 あやめの言葉に、疑問が湧く。『神の威光』は大がかりな術式だが、あやめの実力であればそれほど負担になるようなものでもない。実際、今までも何度か実戦で使っているところを見ているが、そのあとに倒れこんだのは今回が初めてだ。

 長時間の探索の後であるため、疲労が蓄積していたというのはあるかもしれない。ただ、大技一回で倒れこむほどの消耗ぶりに、俺は嫌な予感を感じていた。

「…やっぱり、しばらく休んだ方がいいよ、あやめ。術を使って倒れるなんて、普通じゃない」

「……」

 あやめの顔は晴れない。あやめ自身、ここまで消耗してしまうのは予想外だったのだろう。

 その表情は、どちらかというと素の気弱なあやめが見せるような儚げな表情が見え隠れする。

 

 ざざ、と一陣の風が森の木々を揺らす。俺は自分が今、森の奥深くまで来ていることを思い出し、まずは里に戻る必要があることに思い至る。

「まあ、とりあえず、里に戻って報告だ。立てるか?」

 俺の言葉に、あやめは黙ったまま頷く。一応、立てないほどの消耗ではないらしい。

 あやめに手を貸して立たせると、俺たちは森の外へ向かって歩き出す。

 

 ふと、後ろを見る。何かに見られているような気がしたが、そちらには獣の姿すら見えない。一瞬先ほどの妖魔が復活したかとも思ったが、気のせいだろうか?

 少しだけ周囲をうかがい、やはり何も見つからなかったので諦める。今は、早くあやめを村に帰さなくてはならない。

「あやめ、辛かったらおぶってやるから、無理はすんなよ?」

「…大丈夫」

 やはり元気のないあやめに気を配りつつ、もと来た道を進む。

 帰る最中もやけに静かな森が、不気味だった。

 

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