グレた。
空に大きなお日さまが昇り、ぽかぽかとした空気が世界に降り注ぐ。
寒い冬が過ぎ去り、日本は桜が咲く季節となった。木々を揺らしている春の風は、今年新たな何かを呼び込むのか、それはきっと、この春が過ぎ去るまで誰も分からない。
「オイ、ジジイ」
──そう、アンパンマンは思っていた。
しかし、完全に異質であったそれは、過ぎた日々を思い起こす必要性すら感じなかった。変化と言うには微妙な、しかし確かにそれは新しい。新しいというかただの手抜きというか……ともかく、それは未だ前例の無い事態だった。
「な、何だい?どうかしたかい?」
鬼の形相で迫る我が子のような存在に、ジャムおじさんは冷や汗を浮かべてたじろぐ。何が何だか分からない、といった顔をしている。実際、彼が何故そんなに怒っているのか、ジャムおじさんは全く想像がつかなかった。
「あ"?」
そんなことは意に介さず、彼──アンパンマンは低い声でジャムおじさんを威圧した。仮にも育ての親に対する態度ではない。
「ヒエッ」人を殺せそうな程の視線に射抜かれ、ジャムおじさんは恐怖の声をあげる。
そのままビビって動けないオッサンに、アンパンマンはズカズカと歩み寄った。
「どうもこうもねェぜ、朝起きてパトロールに向かおうと思ったらよォ……」
……一応言っておくが、普段のアンパンマンはこんなチンピラではない。本来は優しくて、強くて、皆のヒーローのような存在である。彼を幼少の頃から育ててきたジャムおじさんも、その変化ぶりに驚きを隠せていない。
もっとも、アンパンマン曰く、それはジャムおじさんが起こした何らかの不手際が原因らしいのだが……。
「これよ、これ!どういうことだ!?この"中身"はよォ!!」
ブチイィィィィッ!!!カッチンカッチンに硬い自分の顔の角を、アンパンマンは持ち前の怪力で引きちぎった!普通のあんパンはここまで固くないのだが、彼が一昔前の"キレる若者"に変貌した際、強度が増したようだ。
無論、千切った破片も同等の強度を誇るため、当たると痛みで泣く。大人でも泣く。恥も外聞も投げ捨てて泣く。今のアンパンマンの外見も相まって号泣するのだ。それゆえ、今のアンパンマンは人前で安易に"
「いたたたたたたた!?」
目の前に居たジャムおじさんは、案の定破片の雨に身を晒されていた。故意である。
本当なら大人でも泣く威力の破片だったが、ジャムおじさんは泣かなかった。実の子でなくとも、例え今はグレていようとも、アンパンマンは自分の息子だ。息子の前で泣くのはカッコ悪すぎる。
滝に打たれるような衝撃から開放され、ジャムおじさんは前を見た。アンパンマンは未だ怒りを忘れず、引きちぎった顔の断面を見せつけるようにしている。
見ろ、ということなのだろう。そして中身とも言っていた。つまり原因は中にあると思われるが……。
「何がおかしいんだい?普通に餡が入っているじゃないか」
やっぱり異常は見つからない。疑問符を浮かべるほかなかった。
「普通、に、だ、とぉぉおおッ!?」
「ひょえ!?」
アンパンマンは怒った、キレた。それはもう盛大に怒った。仲間をリンチにされた不良グループのリーダー並みにキレた。
縮まった距離を更に0に近付け、アンパンマンはジャムおじさんを見上げた。眉間にはものすごくシワがよっている。あんパンなのにどうなっているのか、宇宙の神秘に触れた気分だ。因みに、ジャムおじさんの足を踏んで逃げられなくしている。
「これの!どこが!普通なんだァ!?この──まっっっっしろな餡子がァ!!」
両手の指で断面を指し示し、アンパンマンは威圧するように言った。
アンパンマンの頭の中は、基本的に黒。黒いのだ。それはずっと昔から──リアルに言うなら50ほど前から決まっていた彼のジャスティスにしてトルー、絶対にして真実の理。
命の星が落ちてきた時すらそうだったのだから、そうなのだ。白い餡子とか信じられない。彼は生粋の"黒餡ニスト"。だからこうして性格がねじ曲がるのも仕方ない。というか、ぶっちゃけそのせいで人格が変わってしまっていたりする。
「え、あ、ああ。ちょっと黒いの切らしちゃって。妥協しちゃったぁ……」
予想外の答えに対し、さらっととんでもないことを語るジャムおじさん。危うい返しだ。確かに、大人になると妥協は日常化するかもしれない。だが考えてほしい、自分の世間的な立ち位置を。それは使っちゃいけない言葉ではなかろうか。
当然、アンパンマンはとても驚き、そして過剰に怒り狂う。グレても正義の味方、子供の夢を壊す発言は主人公として粛清しなければならない。
「ふざっけんなジャムジジイがァ!!」
「ヒィー!?」
再三の……再三だっけ?まぁ良いや再三の威圧によって、ジャムおじさんはちょっと涙目だ。目がうるうるしている、これはアウト寄りかに思えたが、ジャムおじさんとしては涙目はノーカウント。セーフである、故に親としての威厳は保たれている。いるったらいる。
「しかもよォジジイ。この餡子……!」
だが追い討ちをかけるように、断面から指を差し込んだアンパンマンは白い餡子をひとすくい。無論のことだが、餡も硬い。取る際に破片が飛び散り、至近距離からジャムおじさんを襲った。
「あだだだだだだっ!?」
「お前これっ────こしあんじゃねぇかァァァァァ!!!」
「ぎぇー!?」
餡子が痛いと思ったら、アンパンマンに掴み上げられるジャムおじさん。勢い抜群のダブルパンチは息を落ち着かせる間も与えてはくれない。この数分間で叫びすぎたオッサンの体は、じきに限界を迎えるだろう。
だが、アンパンマンは容赦しない。だってこしあんだ、こしあんなのだ。黒くないだけでは飽きたらず、粒あんじゃなくてこしあんなのだ。
いかに育ての親と言えど、このような暴挙を許してよいのだろうか?答えは否だ、粒あんは
かつてこの議論に於いて、大先生は一歩も退くことはなかった。故の今である。アンパンマンの中身が粒あんであるということは、生みの親が定めた決して変えることの許されない絶対条件なのだ。
「どこまでも大先生をなめ腐ったジジイだ、少なくなったら補充すんのが普通だろうがよぉ!?」
「そうなんだけどぉ……最近ばいきんまんの攻撃が激しくって、パン工場のあれやこれやが間に合ってないんだよぅ」
「言い訳スンナ!」
「ギャァン!?」
問答無用、つらつらと並べられた言い訳を一蹴し、アンパンマンは擲つようにジャムおじさんを放り出した。
一度頭が"ぐりーん!"となったジャムおじさんは工場の硬い床に尻餅をつく。一応正当な理由だったのだが、大いなる意思には敵わないようである。
「うぅ……お尻がブリオッシュ(フランスの菓子パン)になっちゃうよぉ……」
「そのケツで卵でも割ってろ」
「アンパンマン!?」
あまりの言い種に、ジャムおじさんは驚いて声をあげる。ちょっと怒った。流石にそれは言い過ぎである。仮にも育ての親なのだから。
だがそれ以前にマズイのは、今一番本来の形に逆らっているのがアンパンマン本人ということだ。それすらジャムおじさんの不手際によるものだが、だとしてもこれは外れ過ぎでは?元の性格を考えるとグレたどころの話ではない。
無論、ジャムおじさんとてそれはわかっている。主張は意味不明だが、彼が自分のせいだと言うなら責任が誰にあるかは言わずもがな。
しかし、今パン工場に粒あんが無いのも事実。早急な解決が出来ない以上、 ひとまずは落ち着いてもらうしかない。
ジャムおじさんは説得をするべく、凄むアンパンマンに手を伸ばして言った。
「落ち着くんだアンパンマン!君がそんなになったら、誰が皆の夢を守るんだい!?」
「こんなB級映画みてぇな駄作にガキがうろつくわけねェーだろ!壊れる夢なんざありゃしねェんだよ!ハハッ☆トゥー◯ルズー!!(裏声)」
「アンパンマーーーン!?」
無念、正義のヒーロー(狂)の説得は、ジャムの中年には役者不足だったようだ。
息子の暴走にあわてふためくオッサン、異界の言語を語り放送コードのギリギリを攻め始めたアンパンマン。
果たして、アンパンマンは元に戻るのか?粒あんはいつ届くのか?ジャムおじさんの胃は保つのか?
答えはまだ、誰もしらない。
二人の運命やいかに!!
続きません。