治療院は西門の近くに存在する。北に多く存在したのは、探究者が必要とする物品の店舗だったが、西は多くの民家が立ち並び、食料品を販売する市場、そして、雑貨等日用品が多く存在していた。
そのほかにも街並みを見ればこの辺りには宿屋等、どうやら住む場所という色が強い場所の様だ。
横を通り過ぎる人波も革の防具などをつけた探究者の姿は少なく、ジーンズや黒いタンクトップ等を着た男性、また、ワンピースを着た女性等、カジュアルな服装をした人々を多く見かける。
時折、鼻孔をくすぐる肉を焼いたようないい匂いが立ち込め、ユメルは腹の虫を鳴らした。
「ん、先に何か食べるか?」アルフレムがユメルの体調を伺い、声をかけた。
「むぅ、平気だ。すまない、先に治療院に行こう。」
恥ずかしそうにお腹を押さえながら、ユメルが返答する。もっとも、仕方のないことだろう。途中食べたものといえば、干し肉、それにドライフルーツを少し齧ったくらいだ。狩りを行えば食料は確保できただろうが、加工する時間、それに狩りをするとなると半日ほど無駄になる可能性を考慮しそれを行えなかった。
アルフレムは馬の歩みを止めずに市場の喧騒を見つめると、すぐ近くに丁度果物を売っている出店を見かける。彼は少し歩みを変え、店の前に立つと腰袋から銀貨を取り出し馬から身を乗り出し、売っている中年の男性に手渡す。
「おじさん、リンゴ3つ頼むわ。釣りはいいから」
「誰かと思えばアルフレムさんじゃねえか。あんたから余分に金なんてもらったら母ちゃんに怒られちまうよ。
リンゴ一つオマケにつけるからミーネさんにも渡してくれや」彼は四つリンゴを紙袋に入れると、それをアルフレムに手渡す。
「あー、なんか気を遣わせたみてえですまねえな」
気まずそうにアルフレムが笑うその光景を不思議そうにユメルは見上げていた。何があったのか、それを聞いても彼に誤魔化されるんだろうな、等と思いながら。
彼の人となりはこの短い間にも理解していた。困っている人物を放っておけず、何かあれば自分の危険を顧みず誰かを助けてしまうようなそんな人だ。見返り等を求めずそれをできてしまう人物だからこそ、こんなにも誰かに大切にされる。ユメル自身もアルフレムが困っていることがあるならばきっと何かしてやりたい、そう思ってしまう。
――自分もそう思うが、きっとこの人は誰かしらの英雄のような人なのだな。
そう思わずにはいられなかった。
そんなことを考えながら彼を見ていると、彼は事も無げに袋からリンゴを取り出しユメルの手に乗せた。
「ありがとう……」すまない、と謝るのも違う気がしてユメルは素直に礼をいう。
「それ食べてろ。腹ごなしにはなるだろ」
この人のようになりたい、父以外に初めてそう思える人物だった。きっと、自分以外にもそう思っているひとはたくさんいるのだろう。そうユメルは思いながらリンゴを齧る。
とても甘く、瑞々しい果汁が喉を潤す。腹を空かせているせいか、そのリンゴの味は今までにないほど美味しいものだった。
**
西門の近隣に治療院はあった。医者や薬よりお金がかかるからか、あまり人が入っている様子は見えない。かといって、綺麗な装いをしているかとおもえばそうでもなかった。壁は白く塗られ、清潔感に満ちているものの他の民家と変わらぬレンガ造りの家に見える。違いといえば他の民家の多くが二階建てなのに比べ、この治療院は三階建てと少し大きいくらいだろうか。
アルフレムは店先に馬を括り付けると、ユメルを後ろに伴いながら治療院へと入っていく。
治療院の中も特に何か小奇麗な装飾品があるわけでもなく、民家と変わらないように見える。3m四方ほどの空間に奥の壁に設置された暖炉、そして窓から日が差す場所に置かれている揺りかご椅子。しいていえば、入り口の右に待ち人用の木の椅子が数個置かれている事が特徴的なように見える。通路も見えるが、カーテンの覆われ奥を見ることはできない。
ドアを開けると、カランカランとベルの音がなる。どうやらドアの内側に取りつけられているようだった。
――はーい、と奥から女性の声が聞こえた。間を置かず、カーテンの通路から現れた女性はまだ二十歳はいっていないだろう黒いロングの髪をした空の色の目が特徴的な女性だった。
彼女はアルフレムに視線を合わせると嬉しそうに笑う、アルフレムの正確な年齢をユメルは聞いていなかったが、30は下回らないだろう見た目からどういう知り合いなんだと、頭を悩ませずにはいられない。
「あ、アルフレム! どうしたの?」女性の声は鈴の音のように綺麗だった。
「あー。足をちょっと怪我しちまって、治療してほしいんだわ」
「足!? ちょっとそこに座って!」
アルフレムがたどたどしい足取りで揺りかご椅子に座る。探索者の組合では普通に歩こうとしていたが、ここで隠すこともないとそう思ったのだろうか。
その彼の足取りを自分が怪我をしたかのような痛々しい表情で女性は見ていた。ユメルはそんな二人を見ながらリンゴをしゃくり、入り口の近くの椅子にちょこんと座る。
――ああ、あれは愛人だな。などと野次馬根性満載で興味津々に観察していた。
「もう、無理なんてして。『智に連なる力よ、私の目に見通す力を与えたもう。――アナライズ』」
彼女が呪文を唱えると女性の左目の前にガラスのような淡いレンズが浮かび上がった。そして彼女はアルフレムの足を持ちながら観察すると、眉を顰める。
「肉離れと、疲労骨折してる。なんでこんな状態になるまで放っておくかなぁ……」
「すまんすまん。ああ、そうだ、市場でリンゴ買ってきたから、餓鬼どもと一緒に食べてくれや」誤魔化すように彼はもっていた紙袋を渡そうとするが、そんなアルフレムを彼女はキッと、にらみつける。
「誤魔化さない。麻酔薬つかったでしょ。じゃないとこんなになるまで動けないはずだもの」
「あー。はい使いました」
「もう、良い年なんだから無理なんてしてほしくないんだけどなぁ。『癒やしたもう、治したもう。肉よ、貴方の正しい姿に戻り給え。骨よ、血をめぐりまわる力、そして砕けていない部位より、力を得、ただちにその傷をいやしたまえ。――リペア』」
彼女の右手より淡い青色の蛍火が現れる。彼女はそれを優しくアルフレムの足に撫でつけると痛みが伴うのかアルフレムが苦悶の表情を浮かべていた。
だが数秒後にその光が消えると脂汗をかいていたアルフレムはすっと立ち上がり、先ほどまでの痛みが嘘だったように横で屈伸を始める。
「やっぱミーネはいい腕してるわ。足の感覚も全然前と変わらねえ」
「痛いのが嫌だったらもう怪我しないでよね」
「ハハハハ、多分無理だとおもうなぁそれは」屈伸をやめると改めてミーネに紙袋を手渡した。
「もう、ありがと。それでそっちのお嬢さんは?」
話題が自分に及んだことをユメルは察すると半分まで食べたリンゴを手に持ちながら椅子から立ち上がり、彼女にペコリと礼をする。
その様子を見ていたミーネは、教養がある様子から良いところのお嬢様ではないかと思慮を巡らせていた。
「ああ、話すと長くなるんだが。端的に紹介するなら貿易都市ランスの騎士団長の娘さんだ」
「ええ!?」流石にそこまでの人物だと思っていなかったのか、ミーネの口から驚きが漏れる。
「ご紹介にあずかりました。ユメル・ユーラシカです。アルフレムさんには良くしていただいております。」
「一体どういう、いえ、流石にそれは話せないか」
「すまん。立て込んでてよ。多分そのうち城から発表あると思うからそれまでまっててくれや」
「ってことは結構大事ってことだ。うん、わかった聞かない」
その二人のやり取りに夫婦のようだな、等と心でユメルは思っていると気づかず声に出ていたようで突然ミーネが慌てだす。
「――ッ! 夫婦って、違う違う。アルフレムさんは私がまだ治療士じゃなかった時から良くしてもらってて、その、勉強のための学費とかいろいろ工面してくれたのよ」
「まぁ、金の使い道もそんなになかったしなぁ。ああ、そうだ、金といえば、治療費。1,000ジルで平気か?」
「あ……うん」
アルフレムが取り出した紙切れを困ったようにミーネは受け取る。その様子から普段からお金はいらない等というやり取りがあるのだろうことはユメルから見てもわかることだった。
ミーネがしかし、大事そうにそれを握っていることからそんなに儲かっていないのだろう。
一回1,000ジルならば一人で生活する上で困ることはないと思うが、何故、とユメルが首をかしげていると、奥の通路からバタバタと足音が聞こえ男の子が二人走ってミーネに飛びついた。
「せんせぇー! フータ君が殴ったぁ!」
「お前、お前が俺のプリン食べたからだろ!」
子持ち? と、驚きながらその様子を見ていると、いつの間にか隣にいたアルフレムが小さな声でユメルに事情を話してくれる。
「色んな理由で孤児になった子供たちの面倒みてんだ。ここは。もともと前任者がいたんだが、老衰しちまってね。今はミーネが治療士やりながら孤児の面倒見てる。だから、先生」
「ああ、なるほど」合点がいったようにユメルは頷いた。
だから彼もお金を渡したのか、等と、先ほどのやり取りを思い出しているとアルフレムが二人を仲裁しているミーネに何か思い出したように話しかける。
「あ、そうだ。あの鎮痛薬、一本売ってくれ。」
「もう、後で話しきいてあげるから――ん、鎮痛薬? あー。ごめんなさい、薬草切らして。」
「あーじゃあ材料を、買って……、いや良い事思いついた。じゃ、材料をもってくればいいか?」
「ん? うんそうしてくれればすぐ作れるよ。」
了解、とアルフレムが手を上げ頷くと、ユメルを肩を手で押しながらアルフレムが治療院から出ていく。そんな彼の様子を、こてん、と首を傾げながらユメルは見ていた。
「なぁ、ユメル。お前、まだ探求者に憧れてるか? 」
「……そうだな、アルフレムのような探求者にはなりたいとそう思うよ」
「俺か!? 趣味悪いな!」そういいながら彼は恥ずかしそうに頭を掻いていた。
「ん、それで結構。それで、それと何の関係が?」
「あー、そうだな。実は薬草ってのは近隣の草原で取れるんだが、昼飯喰ったらレクチャーがてらに取りにいかないか?」
そのアルフレムの言葉にユメルは目を見開く、ここまでしてくれるのに、さらに自分の事も考えてくれるのかと。
――そう、だから、貴方のようになりたい。あの時なにも出来なかった私が嫌だったから。
子供の様にユメルは笑うと、こういうべきだろう、とそう思った言葉を口にした。
「よろしくおねがいします。師匠」
「師匠? あー。まぁそう呼んでくれるのはありがたいけど、本当にそんなんじゃねえんだけどなぁ」
たとえ、貴方が物語に語られるような伝説的な人でなくても、ユメルにとって、彼はれっきとした英雄だと、そう思った。