「――ゴブリン?」
思わず呟いたユメルその言葉をミーネは頭を横に振って否定する。
「あれは、ボブゴブリン。ゴブリンは魔物だけど、ボブゴブリンは妖精に属するからあんまり間違えちゃダメよ。
ただ、元々は同じ種族っていうのが今の主流かな。ゴブリンは集落を作ったら掠奪を繰り返して暮らすのは知ってるでしょ? ボブゴブリンは違くてね。人に混じって生活するの。ほかの違いとしては、身体が少しゴブリンより大きいから見分け付けやすいわ。」
そうなのか、とユメルは納得すると思わず手にとっていたショートソードの柄を手放し馬を近づける。
剣の演練を行なっていた子供は全く此方に気がついて居ないが、周りで見ていた子供達はミーネが来たことに気がつくと慌てた様子を隠さず、思わず立ち上がっていた。
だが、演練の邪魔をすれば逆に危険だとミーネも理解しているのか、近くによっても声を荒げる事もせず静かに馬から降りた。
子供が大きく振りかぶって逆袈裟に凪いだ剣をボブゴブリンは片手の剣で剣の腹を下から叩き上げ、子供から剣を手放させる。
宙を舞ったそれは慣性に従い落下すると思われたが、素早くボブゴブリンがもう片方の剣で剣をはたき落とし、誰も居ない地面に子供の剣は転がった。
「ここまでだ、フータ」ボブゴブリンがくぐもった声でそう語ると、ミーネ達に振り向く。
「保護者か? すまない、怪我はさせていない。唯剣の指導をつけていただけだ」
そこで漸く剣を振るっていた少年、フータはミーネの事に気がついたのか、やべ、と一言呟く。
ユメルは馬にまだ乗っており、ミーネの後頭部しか見えていないが、きっと怖い顔をしているのだろうということは分かっていた。
――かあ様は怒る時はいつも笑っていたなぁ。
「フータ、ラエル、ナターシャ? どういう事かしらこれは?」
子供達は互いの顔を見合わせてなにも喋ろうとしなかったが、角を持つ見慣れぬ少女が立ち上がるとミーネの前に歩み出し、少し間を空け、止まると突然頭を下げた。
「すまない。我々はこういう見た目だ。食糧が無く困り果てていた所をこの子供たちと出会い、分けてもらっていた。その代わりこうして剣を教えていたんだ」
「貴女は……?」困惑した顔でミーネは少女に尋ねた。
「オークのアイシャという。そこのボブゴブリンのサインとここの近隣の森で暮らしていた」
「オーク!?」
ミーネは驚愕の余り一歩後ろに下がる。
無理はないだろう、オークとは強力な魔物と一種であり、人間のような狡猾な知性また、ゴリラのようや腕力を持ちながら闘う事が史上とする戦士なのだ。
集団になると王を筆頭に封建社会を築き上げ近くの国々に攻め込む事もある。そして、彼らは勝負に負けた敗者の心臓をくり抜き神に掲げるという特殊な宗教観念を持つ。
その為、もしオークを見かけた場合は何をおいてもその集落を見つけ出し騎士達が殺すというのが鉄則となっている。
しかし、それを知らないユメルも子供達もミーネの反応に頭を傾げる。
ただ、人間社会に詳しいのか、オークのアイシャを庇うようにボブゴブリンのサインが彼女の前に立つと共に頭を下げる。
「すまない、見逃してくれ。アイシャは集落から逃げたはぐれだ。
他のオークのような獰猛さも、集団にも属していない危害を加える気もない」
その言葉にミーネは頭を悩ませながら子供達を見てウンウンと唸ると渋々頷いた。
子供達に怪我がない事が彼らが安全だという事を証明しているからだ。
そして、諦めたようにため息を吐くと子供達に意識を向けた。
子供達は最初、だんまりを決め込んでいたが、フータが観念したようにぽつりぽつりと語り出す。
ここを秘密基地としてよく抜け出していたこと。最近この二人と出会った事。探求者に憧れ、剣を学びたかった事。そして、食糧を分ける代わりに剣を教えて貰っていた事。それを言葉足らずながらも、ゆっくりとフータが説明するとミーネはフータに近づき、馬鹿っ! と大声で怒鳴りつけた。
びくり、と子供達が肩を震わせる。目の前に立っていたフータは頭を叩かれると思ったのか下を向き目を閉じていたが、いくら待っても拳が振り下ろされる事はなかった。
それはそうだろう、ミーネはフータを抱きしめると、安心したように吐息を漏らしていたのだから。
そんな彼らを見ていたユメルも安心したように笑うと、ボブゴブリンのサインへと声をかける。
「暮らしていた? 何かあったのか?」
「あぁ、少し厄介な奴が住むようになってな。住処を変えようと思ったんだが、旅するのには食糧がな」
「ふむ、 どのくらいあればいい?」
「ん? あぁ、二週間分程あると嬉しいが……」
ユメルは手持ちのあまりのお金を数える。宿屋代等の代金として500ジルほど手元に余っていた。一食一人5ジルとして、二人で二週間となると、210ジル。
決して安い金でもなく、自分のお金でもない。どうしたものかと頭を悩ませていると、思い立ったように手を打つ。
「相場より非常に安くなってしまうが、今から2週間分の非常食を渡そう。
その代わり、明日から数日護衛に付き合ってくれないか? 最後まで同行してくれるなら、更に成功報酬として食糧も物資も融資する。どうだ?」
「こちらとしては非常にありがたい申し出だが、いいのか?」
「他の人の目を誤魔化すためにアイシャ殿にはローブを被ってもらう事になるが、それでそっちがよろしいなら、こちらもお願いしたい 」
では、頼むとユメルが馬から降り握手をしようとすると、サインが途端、緊張したように一歩後ろに下がる。
ユメルは何事かと背後を振り向くと、そこには肩に大剣、クレイモアを置き、それでまるでその剣が木の棒であるかのように、コンコンと肩を叩いている騎士がいた。
赤く短い髪、そしてあの日と同じく頭部(アーメット)を付けていない彼女は、間違えようもなく、近衛騎士のアナスタシアであった。
「ボブゴブリンとオークのメスか。ふーん?」
興味がなさそうに彼女は剣を肩にかけたまま、近づいてくる。
ユメルはどうしてよいか一瞬戸惑い、馬から降りると彼女の前に立ちふさがった。
そんなユメルをニヤリとアナスタシアは笑うと片手でもっていたその剣を肩に預けたまま、両の手で持つと、すっと肩にかけた剣と反対と足を滑らせながら前に出した。その動きは滑らかであり、とてもではないがユメルが敵わない事は見てわかる。
「で? 私の前に立ってどうしようって? 騎士の私と闘って勝てるの? いや、それより、闘ったら牢獄行きは免れないけど」
「あ、アナスタシア殿! 彼らは危険ではない! 子供達を守ってくれていたのだ!」
アナスタシアがユメルを睨みつける。その目は蛇のようで、ユメルは目があっただけで身体が一瞬硬直してしまうのが自分でもわかる。
彼女はそんなユメルを睨む表情を崩すと構えを解き、剣をくるっと回し、背中の鞘に納めた。
「冗談。私ただ貴女探しに来ただけだし。時間外の労働はしない主義なの」
「は?……」あまりの変わり身の早さにユメルはつい呆けた声を出す。
「貿易都市ランスの守護者シャンナの魔神の雫を得た貴女にうちの領主が会いたいってさ」