膨らんだ覇者の腹から死が吐き出される直前、覇者に再び下降気流が襲い掛かる。
それを行なったのはアナスタシアではない。彼女も何が起こったのか理解の出来ないままに竜が落ちる姿を見ていた。
その一瞬、アナスタシアが呆けた隙を狙い、メスのワイバーンが彼女へと火を吐き出す。
サインが騎士殿、とそう叫ぶ中、アナスタシアの目の前に岩の壁が突如として現れ炎を防ぐ。彼女はそこで漸く思考が戻ると身体を引きずりながらも直線上から走りながら回避する。
壁が炎を遮っていたのはおおよそ数秒の間だっただろう。赤く溶け壁を貫通させた炎は直線上をそのままに焼き払った。
サインが再び左足に強撃を加え、横倒しにする中、森から一人の男が駆け出し、落ち行く黒き竜へと向かっていった。
間違えようもない。アナスタシアはその姿を見て苦笑を漏らすと彼に声を掛ける。
「ごめん、助かったアルフレム!」
「後で色々言いたい事あんだから死ぬんじゃねえぞ! ユメルもだ!」
ユメルはビクッと身体を震わせる。
朝の時以上にアルフレムが激怒して居ることに気がついたからだ。
何故ここに彼がいるのか、それを訳もわからず考えていると、森から遅れて女性が姿を現し、アナスタシアに駆け寄り呪文を唱え始める。
ミーネだった。彼女はこの乱戦の中、恐怖を感じながらもアナスタシアの傷を治し始めていた。
その蛍火に光る手が受傷部位に近づくとアナスタシアは苦悶の声を漏らすが、その声に混じりながらくつくつと笑みを漏らし始めた。
「なっさけな。竜殺しの騎士が聞いて呆れる」
「……そう、ですか? 貴女以外怪我も死人も出ていない事に私は驚きました。
――ユメルちゃんを庇ってくれていたんですよね。ありがとう」
そのミーネの言葉にアナスタシアは無言で返す。庇って戦ったとしても、出来ると自惚れていた結果がこれだ。何も言えなかった。
アナスタシアがそうして治療されている中、アルフレムはロングソードを両手で持ちながら、黒竜へと向かう。その途中何かを口ずさんでいた。
「『剣は研ぎ澄まされ、決して折れる事なく。金剛すらも切り裂く斬魔の刃よ――シャープウェポン』」
何かを行動しながら魔術を使うという行動を難なくアルフレムは行う。
それがいかに難しいかをユメルも理解していた。
左手で絵を描きながら、右手で手紙を書いているようなものだ。普通出来るわけがない。
しかし、彼の魔術は難なく発動し、その剣を黒く光らせ始める。
竜が落ちる直前、アルフレムは術札を取り出し、破った。その破った術札を地面に貼ると、巨大な大穴をその地面に開ける。
そして、もう一枚素早く彼は破り捨てるとその穴の中に破れた紙が舞い落ちていく。
その途端、竜が穴へと真っ逆さまに落下していた。翼が一つ足りないため、下降気流で体制が取り直せないようだ。
竜が大穴に落ちた途端、ドォォォンと、大穴が爆発し爆炎が上空へ躍り出てくる。
その光景をただただ凄いとしかユメルは言えなかった。こんなにも彼は強かったのかと疑問を抱かずにいられない。
手に持っている剣は朝までは無かったはずだった。何処で手に入れたのか。そんな疑問を抱きながらも、彼にただただ圧倒される。
今の彼には何時ものような飄々とした雰囲気はない。敵を殺す事に研ぎ澄まされていた。
彼は大穴に近づくと竜を睥睨する
「大型用の穴だ。どうだい居心地は? 見下される気分はよ」
黒竜は先程での爆発でも所々から血が出、鱗が剥がれているのみだ。
咆哮を上げるが、それは何処か弱々しく今迄のように脳を揺さぶる効力は持たない。
彼はそんな竜を見ながらロングソードを逆手に持つと、右足を一歩引き、剣を握っている右手を振り上げた。投げようというのか。
そしてまた何かを唱え始める。
「『風よ剣を持ち敵を穿て――エアシュート』」
途端、彼は剣を投擲する。すると弓から放たれた矢の如き素早さで穴の竜へと向かっていった。
身動きも取れぬ竜の首に剣が突き刺さる。だというのに、竜は未だに激しくもがいており致命傷ではないことは明らかだった。
しかしながら、彼は別段、竜を殺す為にそうしたのではない。
「よう。もう火も吐かねえだろ。じゃ、死ねや」
彼は術札を一枚破ると再び地面に貼る。すると大穴の縁から土が崩れ穴を埋めていくではないか。
それを見ながらも数歩後ろに下がるとアルフレムは穴が埋まるまで、その光景を見つめていた。
その彼に向かい、雌の個体が激怒し、突撃をしてきた。
アルフレムが気がつき術札を破り捨てようとしたその時、「任せろ」と背後から女性の声が聞こえる。それは間違いもなくアナスタシアだ。
アルフレムはあいよ、と返事をしながらふっと笑うと入れ替わるように後ろにバックステップをする。
その彼と交差をし、怪我を治療したアナスタシアが龍の前に立ちはだかった。
「無様ね、まぁ人の事言えないけど」
左足を庇いながら突撃してくる雌の竜に向かい、アナスタシアは腰構えに大剣を構えると竜の首が間合いには至った途端上向きに首を横に薙ぎ払った。
首がズレ落ち、アナスタシアの背後に落ちる。彼女は血を浴びながらも、その場で武器を払い血糊をはらった。
竜の身体は慣性に従い、アナスタシアを追い越すと首の前に倒れ落ちる。
アナスタシアはそこで漸く剣をくるっと回し背中に格納すると両腰に手を当て胸を張った。
「ま、私がいればこんなもんよね!」
「よく言うよ、全く」アルフレムは苦笑いをしながら雌の身体を追い越し、アナスタシアに近づいた。
その彼に申し訳なさそうにただユメルは足を水に浸かりながら下を向いている事しか出来なかった。