――何が起こったのか、理解ができない。夜になる前に私の家で、三人でお風呂に入り、また少ししたら出かけるはずだった。何故、目の前で真っ黒い人影の様な悪魔がモヒートの首を絞めているのか、何故、自分の足元に割れた瓶が転がっているのか、何故、腰の皮袋は破け、中の物が飛び散っているか。
何一つ理解できない。
「ユメル!!」
ガイアスがユメルに檄を飛ばしながら悪魔へと斬りかかる。
はっと、思考が戻ったユメルは今やるべきことは考える事ではない、と自分に言い聞かせ拳銃をホルスターから取り出した。
ダンダンッ!――拳銃から放たれた二発の銃弾がモヒートを締め上げる手へと命中する、が、銃弾は皮膚を貫通させる事なくその皮膚の硬さに弾かれる。
「くそっくそっ! 」
次の行動を考える。
力もない、道具もない、武器はこれしかない。ユメルの脳裏にアルフレムの言葉が蘇る。
『探求者は高給取りだが、こう言うアイテムに金かけねえと生きていけないからな』
デッドフォレストボアの時もそうだった、アルフレムとガイアスが居なければ手も足も出なかった。あの時は、倒せたから気にもしなかったが、今は――。
無力感がユメルの身体を覆う、何かできる事はないか、何かできる事は!
その時ガイアスの剣が悪魔の手を切り落とそうと袈裟に振るわれる。
その時になってようやく悪魔は反応を示した。半身になり、その軌道から外れると逆手でガイアスの顎を掴もうと手を伸ばす。
それを察したガイアスが体を捻り避けながら、右の膝を悪魔の胴にたたきつけた!
しかし、――浅い、悪魔は胴に受けた衝撃を流すように後ろに飛び下がる。
再び対面する悪魔とガイアスだが、ユメルはそんな二人よりも、悪魔に首を握られたまま振り回され、そして力なくうな垂れたモヒートの姿に目を奪われる。
「おい、モヒート、モヒート!!」ユメルの叫びに再びガイアスが返す、
「落ち着けユメル! 死んで居ない! こいつが殺す気ならこんな事せず、首の骨を折っている!」
そんなガイアスの言葉に肯定するかのように、突然悪魔が笑い出す。その不気味な様子にガイアスは正眼に構えるものの手を出せずに居た。
「肯定だ、諸君。この子を目覚めさせてくれた母を殺すわけないだろう? 恩は恩で返さなければ」突如として喋りだしたその悪魔にガイアスは問う。
「この子……? お前誰だ。その悪魔自身ではないな」
「ふむ、そちらの金色の髪の乙女にも多少の恩はある。どうも、覚えなくてもよい、シュペルミルという者だ」
その言葉にユメルは衝撃を覚える。あの機械の中にあった名前だと。
ガイアスも驚いてはいたのだろうが、そんな様子は露ほどにも出さず睨み合いのまま時はすぎる。
攻めるにしても、モヒートに被害が及ぶ可能性が高く、下手に手を出す事ができない。
しかし、モヒートを握る手から紫の光が放たれるのを見たガイアスがその何かを阻止するように、剣で相手の喉元を突き刺そうとする。
しかし、ガイアスの剣が届くのは一歩遅く、光が収まるとそのまま悪魔はモヒートを手放した。
そして、手放したその手でガイアスの剣の腹を内から横に払う。焦った事もあり懐に入られた彼は悪魔の逆手で顔を殴られるが、彼もまた翼を使い後方に飛ぶ事で致命傷を避ける。
「これだから、竜人は厄介だ。タフだし、面倒な動きをする」
悪魔の手から離れたモヒートはすっと、着地をすると虚な瞳で、言葉を続けた。
「とりあえずは黒影、相手をしておくんだよ。器を運ばなければならないからね」モヒートの声でそう語る、その言葉に唖然とユメルは、
「……モヒート? 貴様、モヒートを返せ! 」
拳銃をモヒートに向けるがくつくつとその身体を乗取ったシュペルミルが笑う。
撃てよ。そう言わんばかりに両の腕を広げるが、ユメルに撃てるわけもない。だが、これを行かせてはならない、そう直感は語る。
――だが、撃てない。
途端、つまらなそうな顔をシュペルミルは浮かべると、とん、と地面を足で叩き浮かび上がる。
「乗っ取った先でも無詠唱で術を行うか! 」
ガイアスがそれに飛びかかろうとする、が、下にいた黒影と呼ばれた悪魔がガイアスに飛びかかり、それをさせない。
悪魔の爪一本一本が研がれた剣のように鋭利であり、そしてその身体は鋼鉄でできているかのような硬さを誇る。
やむえず、ガイアスはその爪を剣で受け止め払うと、悪魔の顔面に膝を叩き込み下へと落とす。
皮膚が硬い生物は存在するが中が硬い者はいない。そのため、彼は剣で切ることを諦め、打撃に移行していた。
悪魔を振り落とした後、ガイアスはシュペルミルを追おうと視線を送るが、既にモヒートの身体に入った彼は飛び立った後だった。
――自分一人なら追うべきだろう、だが、追えばあの黒影にユメル達が殺される。
それを瞬時に判断した彼は剣を鞘に仕舞い、鞘ごと剣をホルスターから外した。
鞘のついた剣を握りながら急降下する中でユメルたちの状態を確認する。
スメラギ、ユメル両名ともに、目の前の悪魔の恐怖にやられ、動く事も出来ずにいた。
それは、まだ14歳の少女、仕方のない事だと、ガイアスは思う。しかし、これをきっと生涯ユメル達は後悔するのだろう。
あの時力があれば、あの時あの黒い種を拾っていなければと。
今は認識していないだろうが、間違いようもなく、この悪魔はあの黒い種だ。
怒りがガイアスに込み上げてくる。娘を傷つけたこの悪魔への怒りが。
「ガーーーッ」まるで竜のような咆哮が口から漏れた。
そして、彼は急降下の勢いを乗せたまま、黒影の胴体に剣を突き下ろした――。