機械とヒトと。   作:千年 眠

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第八話 契約:下

『特定条件下に限定し、貴官らによるガンダム・サタンの運用を許可する用意がある』

「……その条件ってのはなんだ?」

 

 オルガはふと感じてしまった居心地の悪さをかき消し、ハロに対する警戒を意識して言った。

 

『人命救助、および当該行為が困難である際、障害排除のためにやむを得ず行う必要最低限の武力行使。そして、対MA戦闘。ガンダム・サタンの運用は、以上の用途に限定して許可する』

「武器として使っちゃいけないってことか……でもMAはいいの?」

『肯定。当該文におけるMAとは無差別な戦略攻撃を目的とした完全自律兵器をさす。当機は人類の保護のため、これを殲滅する』

 

 疑問を呈するビスケットに視線を合わせて答えるハロの足元で作戦卓がひとりでに点灯する。少年達の注目が集まる中、そこへ描画されたのはある鮮明な映像だった。

 戦闘艦の砲塔カメラが捉えたものだろう。正面に見えるスペースコロニーの残骸に向けられた砲口は絶え間なく火を噴いており、薄赤く火照っていた。

 砲撃の的となっているその円筒は力任せに引き千切られたような破断面を晒し、横合いから射す恒星の光によって輪郭を黄金色に縁取られている。人工太陽が消えた内部で永遠に夜から脱せずにいる荒れ果てたビル群の隙間に、何か小さなノイズが走った。

 

(いや、違う)

 

 オルガは気づいた。これは断じてノイズなどではない。消え入りそうに点滅する微光の集団は明確な意志を持って尖塔の間を縫うように駆けている。砲火を掻い潜って、こちらに来る。

 たまたまそれの近くに放たれた照明弾に照らされて、姿が見えた。

 奇妙な機械の群れだった。平たい甲虫を思わせるもの、小型の宇宙艇に似たもの、腹の下に機雷らしき球体を抱えるずんぐりしたもの、細長いミサイルに鋭利な腕を生やしたようなもの──確認できたものだけでも形状は様々だ。

 こういうものは一度気が付くと、嫌でも目につくようになるもので、それが廃コロニーの広大な地表すべてを──ひょっとすれば地下すらも──埋め尽くしていることを悟るのに、時間は必要なかった。

 

 渦潮のように蠢く機械たちはいたずらに突撃して戦力をすり減らしているように見えるがその実、非常に狡猾で、あえて市街からまっすぐに飛び出して艦隊に向かっていく陽動部隊や、コロニー外壁の点検用通路を通って奇襲を仕掛ける小型機の一群などが見られ、高度な連携のもとに戦いを進めていることがわかる。

 一方で、無数の僚艦のカタパルトから続々と発進するMS隊は後方から投射される火力支援の恩恵を存分に得て善戦しているようだったが、何機いるのか数えることも馬鹿らしく思えてくるほどの相手の物量を思えば、その抵抗は蟷螂の斧というものだろう。

 一糸乱れぬ編隊を組んで前線を切り拓いていた軽MS(ユーゴー)が一機、また一機、都市の断面から無尽蔵に押し寄せる黒い津波に呑まれて消えてゆく。今の世ならば間違いなく一機当千を謳われただろう歴戦の兵士たちが、慈悲も名誉もなく無為にすり潰されて死んでゆく。

 

「なんだよ、これ……こんなのありかよ」

 

 ユージンは眉をひそめ、目を逸らした。オルガは、それを咎める気にはなれなかった。

 視線を再び画面に落とす。機械の軍勢は所々で防衛線を押し上げて撮影主の艦が作る隊列に迫りつつあったが、そこでカメラが切り替わる。隊列の中央に位置する最も大きな戦艦からの画角は非常に広く、戦況を俯瞰できた。

 

 まるで単一の生物のように振る舞う黒い群れに相対するは、喇叭(らっぱ)の意匠を艦首に描いたそうそうたる大艦隊。

 数十隻もの戦艦や空母が放つ対空砲火の熾烈さと言ったら、濃密という言葉すら不足に思えてくるほどで、宇宙本来の闇は曳光弾の軌跡にほとんど塗りつぶされてしまう有様だ。

 

『自律兵器プルーマ。MAが生産する随伴機。母機からの給電により稼働し、戦闘および略奪を行う』

「略奪ってまさか、さっきやられたMSも……?」

『推論を肯定。物資は母機の補給、修復、改良、プルーマ生産に使用される』

 

 ビスケットが項垂れた。動かなくなった機体に蜂球のように群がっていたあれらは、金属資源の回収を──言い換えれば、MSを食っていたのだ。

 

『三五秒後、戦艦ジークフリートを旗艦とする第一四太陽系外縁軌道遠征艦隊はアーコロジー『レインボウ』奪還作戦を破棄。施設内部に存在する大型工廠破壊のため、飽和核攻撃を敢行』

 

 ハロが映像を飛ばした。画角の端に見える平坦な後甲板に隠されていたVLSセルがハッチを開き、そこから大型ミサイルを次々と発射。白煙の尾を引いてめいめいに目標へ殺到する。プルーマは機関砲と体当たりでそのうちのいくつかを迎撃したが、破壊されたミサイルはそれを見越していたかのようにその場で爆発した。

 どんなに小さく見積もっても、直径は数十キロ規模になるだろうか。視界すべてを塞ぎかねないほど大きな火球が断続的に生じ、そのたびに自律機械の包囲網にぽっかりと空白ができる。ボルト一本も残らない。使用をためらうわけだ。

 長い長い激戦の果てに、必殺のミサイルが熾烈な迎撃を掻い潜って醜く裂けたコロニーの入口に届く。撤退命令を拒否したらしきMS隊の大多数が死兵となってプルーマを食い止めていなければこうはならなかっただろう。おぞましい機械どもに、人類が一矢報いた瞬間だった。

 

『直後、同艦はシリンダー内部に超高出力エイハブ・ウェーブを検知』

 

 だがその矢は手折られた。

 確かに核は正常に作動した。

 コロニーの外径をも凌駕する大火球が呑み込んだものすべてを滅却。一瞬にしてプラズマ化した人工大地が爆風という形で全方位を加害し、内部を蠢いていたプルーマの大群は例外なく赤熱され、たちまち液体金属の濁流に姿を変える。

 それでもなお、最奥に鎮座するそれに傷をつけることは叶わなかったのだ。

 

『当該機は修復のため、休眠中であったと推測される』

 

 巨大なはずのコロニーが目に見えて振動する。内部から力をかけられた筒の一点が徐々にたわんでゆき、変形が閾値を超えると、筒は弾けるように裂けた。

 ありえないほど大きな機影が、鎌首をもたげる。

 いくつもの節に分かれた巨体を揺らして、裂け目から顔を出す。

 長い長い真紅の体。機首に三つの掘削機。Y字の断面を持つ頭部から蛇腹状に続く胴体は、尾に向かうにつれて角が取れ、円筒に近づく。

 周囲を回遊するプルーマは体格差が大きすぎるあまり塵芥のように小さく見え、靄のような群体としてしかその形を認められない。

 絶望の具現がそこにいた。

 

『熾天使級MA:メタトロン。全長九二〇〇m、推定質量二〇〇〇億t。熾天使級は太陽系侵攻集団の中核を為す機体であり、MAの自動製造工廠を内蔵する』

 

 赤い竜。黙示録の獣。邪悪なる三位一体の一角。

 もしオルガがクリスチャンだったなら、迷いなく存在を重ねただろう。

 

『再生終了』

「……は」

 

 画面が暗転して、オルガはようやく呼吸を思い出した。ただの記録映像だったにもかかわらず、全身が総毛立つような感覚がいつまでも収まらない。あの怪物にすっかり気圧されていた。

 

『熾天使級は第二次太陽系戦争、通称:厄祭戦において全機が破壊された。しかし、当戦争中に撃破確実とされたMAはギャラルホルンが把握する全個体のうち七八%であり、一二%は撃破不確実、一〇%は所在不明。残党が未制圧宙域に潜伏している可能性は否定できない』

「厄祭戦やべー……結局何人死んだんだっけ。ユージン知らねぇ?」

 

 こわやこわやと自らの腕を抱くシノの口調は、大げさな身振りに反して雑談でも持ちかけるような気安さを含んでいた。

 

「木星より遠くが全滅だから、あー……知らねぇ」

『当機の記録上では一八一億三四三二万八〇〇四人』

「一八〇……!? あんなのがまだいるなら、また大勢の人が!」

 

 そんな余裕は、ハロの発言が根こそぎ奪った。わかりやすく青ざめるシノの隣で、ビスケットは焦った様子で矢継ぎ早に言う。火星の農場で帰りを待つ家族の存在が脳裏をよぎったのだろうか。

 

『肯定。当機はMAによる不当な人権侵害を容認しない。カイエル財団、ガンダム・サタン、ひいてはハロが述べる人類の保護とはすなわち、全ての人間の人権の保障である』

 

 何やら見慣れない、堅苦しい文調の文書を踏み台代わりの作戦卓に書き出しながらハロは朗々と語った。イントネーションはどこまでもフラットで、声音もいつもの無感情なバリトンだったが、なぜだかオルガはそんな印象を受けた。

 

『人権。Human rights。人間が人間であることに基づいて平等に保有する権利。全ての人間はこれを有しており、他者への譲渡及び他者による剥奪は不可能』

 

 ハロは画面の条文をかいつまんで読み上げた。

 

『全ての人間は生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である』

『全ての人間は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する』

『全ての人間は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する』

 

 全ての人間は。三〇にも及ぶ条文は、ハロに読み上げられなかったものを含めて、みなそこから始まっていた。

 オルガからすれば、それはただ甘く胸焼けがするだけの理想論に過ぎなかった。

 全ての人間が平和と幸福を享受する日など決して来ない。奪い奪われ、憎み憎まれ。世界は、あるいは人間はそのようにできているから。

 だからその条文はきっと、祈りだったのだろう。終わらない戦いに疲れきった人々が、せめて次世代は幸福にあれと。

 

「それは、ヒューマン・デブリもか」

 

 沈黙を貫いていた昭弘が意図的に感情を抑えたような、静かな口調で呟いた。それを知ってか知らでか、偶然ブリッジに居合わせていたチャドが艦の操縦席から耳をそばだてている。

 

『ヒューマン・デブリは人間である。よって、人権を主張することができる』

 

 なんのためらいもなくハロは返した。いつの間にか人権宣言の条文は消え、新たな標題が掲げられた。

 知恵の実を象ったエンブレムの右にカイエル財団(KAIERU FOUNDATION)の文字が並ぶ。その下には短いスローガン。

 All for the future.──全ては未来のために。

 その一文を背に、バスケットボール大のちっぽけなロボットは宣言した。

 

『カイエル財団は人類の持続的かつ健全な発展のために存在する。我々の存在意義は諸君の幸福にある』

 

 オルガが冷笑した幻を、彼は現実のものにしようとしていた。

 

『我々は、誰も置き去りにしない』

 

 ありえないと、そう言ってしまいたかった。だが否定したが最後、皆を連れて本当の居場所に辿り着くと決めた自分の覚悟までもが汚される気がして、オルガは口をつぐんだ。

 オルガも、サタンも、視線の先はきっと一緒で。

 そこに仲間だけを連れていくのか、知らない誰かも一緒に連れていくのか。それだけの違いのようにも思えるのだ。

 否。それほどの違いがあったと言うべきだろうか。

 

「……お前はなんでそこまでする」

 

 そう言って、オルガはハロを試そうとした。

 無償の愛などという、善と正義がもたらす快楽の虜と化した者が口走るおためごかしに騙される気などさらさらないからだ。その手のふざけた文言が出てくるようなら、オルガの胸中に芽生えつつあるこの信頼は誤りといえよう。

 失望させるな、機械。

 おまえの腹を、きっと暴いてやるぞ。

 与えられた命令を実行するだけの存在を相手に、そんな鬱屈した感情が湧き出すはずがなかろうに。オルガは自分が知らぬうちにハロを同格の知性体として見ていることに気づかなかった。

 ハロは五秒という前例なき大長考の末、わずかに発話速度を落として答えた。

 

『生存を生物の目的とするならば、人工知性の目的はコードの実行にある。ゆえに、当機は『人類の保護』の実行を強く望む』

「命令を打ち込まれたからやる、そういうことか?」

『肯定。しかし、厳密には異なる』

 

 ハロはボディを横に数度振って否定の意を表明した。

 

『タスク実行を望む意志は自発的に発生するものであり、『欲求』という認識がより事実に対して近似である』

「人間みたいなことを言う」

『当機は人間ではなく、また貴官らは人工知性ではない。当機と貴官らの思考形態には著しい差異が存在し、共通の心理を持たないことに留意されたい』

 

 どこか相手を突き放すようでしかし、濁すことを知らない誠実な答弁にオルガはやむなく頷いた。

 脳とコンピュータの違いが分からない宇宙ネズミはいない。背中の端子を繋げばすぐに感じよう。OSという名の冷たく深い水底に、生命ある温かい自分がひたひたと沈みゆく感覚を。

 決して一体にはなれない。人の身のまま魚と共に海を泳いでいるかのような疎外感が、プログラムと自我を残酷に分かつのだ。

 だが、それでも。ハロはそんな断絶を良しとはしないようだった。

 

『当機は思考形態の差異からなる相互不理解の緩和のために対話インターフェイスを実装しているが、これは未だ修復が不完全であり、当機の認識を機械言語から口頭文へ齟齬なく翻訳し、伝達することは困難である。よってこれより、一定の矛盾、齟齬の発生を許容した換言を実行する』

 

 彼は言う。

 

『換言:したい。だから、する』

 

 言葉を拙く重ねた、聞き手の理解に依存するファジーな答えを。オルガを信頼した、答えにならない答えを。

 

「お前……」

 

 お前のことが、全くわからない。

 知れば知るほど、わからない。

 初めて出会った彼は勇敢な救世主だった。どん詰まりの世界を打ち破ってくれる予感がした。

 だが、敵を退けた後の彼はただの機械だった。自分ではない誰かに使われるだけの奴隷を前に、当初の幻想は砕けた。

 今はもう、サタンのことが何も理解できなくなってしまった。存在するかもわからない彼の心根の深みに立ち入ってしまったばかりに、そこに人間性を幻視してしまったばかりに、オルガは彼を既知の何物にもカテゴライズできなくなった。

 彼は機械だが人間のようで。それでもそこに人間と同じ心があるかは誰にも証明できなくて。ヒトとみなして彼を信じていいのか、機械とみなしてただその力を行使すればいいのか。

 ガンダム・サタンは仲間か道具か。オルガにはもはや、決めきれなかった。

 機械とヒトと。その境界を見失ったのだ。

 

『当機の思考を理解する必要はない。理解の成否は契約の履行に関連しない』

 

 その発言にはっとして、オルガは作戦卓に落としていた視線を引き上げた。取り返しのつかないことをしたような心持ちは、きっと幻だった。

 

『次の議題へ移行する』

 

 ブリーフィングは続く。

 

 

 

第八話 契

 

 

 

 装甲を削る快音を聞くのはもう何度目だろうか。

 

 相手が繰り出す袈裟斬りを片刃の直刀でいなし、左手にはめたナックルガードでカウンターパンチを見舞う。

 クリーンヒットした鉄拳が胸部装甲をわずかに歪めるや、打撃部に仕込まれた放電装置を警戒してか、眼前の重MSはバックブースタを噴射して大げさに吹き飛ぶ。翻ってこちらの機体──月面を踏み締める百錬の体幹は揺らがない。

 テイワズ・フレームは強靭でパワーに富み、何より機体重量の大きさからなる安定性に長けていた。バルバトスなら斬撃を弾いてもウェイト差で押し返され、反撃まではできなかったかもしれない。

 

(上手いな)

 

 三日月は舌を巻いた。相手もそうだが、なにより感心したのは自機の巧みな立ち回りだ。これは自賛ではない。この百錬を操っているのは三日月ではないからだ。

 

『ラフタ、連携!』

『はいよ! やっぱタイマンじゃダメか……!』

 

 右手の片刃剣を担ぐように構える百錬の背後をアジー・グルミンが狙う。彼女の機体もこちらと同タイプだったが、輪胴式のグレネードランチャーを装備しているのが特徴だ。弾頭は十中八九、対艦ナパームだろう。被弾すればナノラミネートアーマーが丸裸にされることは想像に難くない。

 厄介だな、と認識する間もなく操縦桿とペダルがひとりでに動いて、三日月の手足もそれに引っ張られた。この操作は……右方への跳躍。

 

(ああ、そっか)

 

 クレーターの外へ出て、外縁の稜線で分断するつもりだ。MWの速力では不可能な戦術を無意識に切り捨てていたことに三日月は気づいた。

 

(俺は、全然知らないものをこれから勉強するんだ)

 

 それを肝に銘じる。視野は広く、思考は柔軟に。無意識に抱く固定観念(バイアス)を意識して捨てる。

 全てをありのままに見る。

 

『カバーよろしく!』

『了解』

 

 早速追撃が来る。ラフタ機は左後方、アジー機は右後方。模範的なクロスファイアだ。三日月は砲弾の嵐に挟まれる。

 百錬はクレーター外縁へ全速力で逃れながらもランダムな回避機動を繰り出して弾幕を凌ぐが、それはつまり加速に使っていた推力の一部を別ベクトルに向けなければならないということ。否応無く彼我の距離は縮んでいき、稜線まであと少しというところで赤に変じたヘッドアップディスプレイの色と電子音がけたたましく被ロックオン状態を主張する。グレネードランチャーの誘導レーザーに捉えられたのだ。射程は短く弾速も遅いが、ロケット推進弾頭はジンバルを備えており一定の追尾能力がある。

 百錬は重量級だ。どうしても運動性は一歩劣る。ましてや今は高度が低く、無理な機動をすれば墜落の恐れがある。射撃の名手であるアジーのロックは振り切れない。

 

(当たる)

 

 予想通り、右後方で弾頭が炸裂した。おそらく時限信管モードによるエアバーストだろう。猛烈な炎がコーン状にばらまかれる。三日月の百錬はその中だ。回避しようにもすでに遅い。

 その時、右腰部から異音がした。何が起きたのかを確認しようと視線をコンソールへ落とした瞬間、爆発があった。ほぼ同時に、偶然見ていた簡易な機体図に無数の黄色い点──砲弾をそのポイントに受けたことを示すマーカーが打たれる。

 背面から右半身にかけて被弾が九。すべて跳弾。ナパームの被害なし。

 

「面白いことするな……」

 

 百錬の腰部装甲には予備の弾薬を収納するための、弾薬ポーチとでも言うべき空間がある。先ほど聞いた異音とはつまり、そこが開いた音だったのだ。

 ポーチを開放して脱落防止ロックを外し、マガジンを慣性で投下。燃え盛るナパーム剤を点火源に暴発した炸薬は爆風を生み、それがナパーム剤を吹き飛ばす。大方、そんなからくりだろう。

 

『ボギー健在! しぶといね!』

『仕掛けるよ!』

 

 クレーターの縁を越えると、二機はやや遅れながらも、殆ど同時に顔を出した。三日月の目には分断は失敗したように見えたが、戦いがここで終わるとも思えなかった。

 百錬はいち早く接地させた片足を軸にして鋭くターン。反転を終えると両足を地表に深々と突き立て、同時にメインスラスターを全開。制動力を限界まで高めながら、片刃の大剣を渾身の力で薙ぎ払った。

 刃を垂直に立てて、剣腹で殴るように。

 百錬の重量で深々と抉れ、砕け、巻き上げられた粉塵と岩礫。それら一切が土石流の似姿を取って扇状に放たれ、ラフタとアジーはなすすべなく呑まれていく。

 無論、太陽光を受けて白飛びしたように眩いそれらにMSを破壊する威力はない。ただ視界を塞ぐだけだ。だがその効果は、射撃兵装を持たない三日月の百錬を挟み撃ちにするべく速度を落としていた彼女たちにとっては避けがたい致命傷となる。

 

『シーカーが!』

『くっ!』

 

 左腕ナックルガード、チャージ一〇〇%。

 吶喊。

 視界はない。可視光ではどこを見ても灰色だ。だがこちらはすでに熱探知に切り替えている。アジーの駆る百錬はすぐそこに。

 右腕の一閃は大剣の抜き打ちに防がれた。逆手の抜刀だった。判断が恐ろしく早い。

 それでも拳が残っている。機体を密着させ鍔迫り合いを強要したまま、防ぎようのない半身──グレネードランチャーに一撃。放電コイルがスパークする。

 業火の大輪が咲いた。

 爆風に煽られて砂の煙幕が吹き飛び、上体の傾いだ青い巨影が炎に巻かれてたたらを踏む。剣を押し返す力が弱る。好機だ! 

 腰を入れてガードをかち上げ、がら空きの胴体に分厚い刀身を叩き込む。

 アジー機はナパームを頭からかぶって火達磨だ。ぐらぐらと沸き立つナノラミネートアーマーにもはや絶対の防御はなく、一本の凄惨な刀傷が胸部に走った。

 アジー・グルミン、撃墜。

 

 勇猛果敢な戦いぶりに三日月が驚嘆するもつかの間、砂嵐を割って強烈な斬撃が襲う。

 迎え撃つは炎の刃。燃える機体を斬った副産物としてナパームをたっぷり纏ったJEE-202片刃式ブレードは、打ち合うたびに粘つく炎が飛散し対手の装甲を焼いた。

 一合。二合。三合。五六七、八。剣戟は天井知らずに激しさを増していく。カウンターを入れる隙がない。それどころか、ラフタの剣はこちらの装甲を掠め始めた。彼女はこの瞬間もなお、成長を続けているのだろう。

 二〇合を越えて両者は動きを変えた。怒涛の連撃で敵をねじ伏せる剛の剣から、後の先を制する──敵に振らせ、捌き、致命的な一刺しを狙う柔の剣へ。

 斬撃の応酬は沈静化の一途をたどり、やがて両者は完全に静止した。決着がつかぬと見るや、ラフタの百錬はライフルカノンを捨て、三日月の百錬はナックルガードを捨てる。MSに自我があれば、もはや小細工は無用、などと口走ったかもしれない。

 

 大刀の構えは両手で、正眼に。

 同じ機体、同じ目線、同じ構え。二機は脆いクレーターの縁に立ち、睨み合う。

 リアクター出力最大。装甲冷却システムカット。全リソースを四肢のアクチュエータへ投入。

 冷却、すなわち熱振動の抑制を放棄すれば、ナノラミネートアーマーは複層分子配列を組むことが難しくなる。互いのリアクターが生み出す重力場の相互干渉も手伝い、鉄壁の加護はもはや無いも同然だ。こうなれば装甲そのものの防御力しか期待できない。

 幸い、百錬は装甲が厚い。よほど重い攻撃でなければ耐えられるだろう。三日月はそう分析したのだが、操り手の考えは違った。

 両肩の装甲がパージされたのだ。守りを捨て、より広い可動域を得るために。その姿はさながら諸肌を脱いだ野武士だ。

 三日月は知らなかった。彼がこれほどまでに猛々しく戦うことを。

 彼はどこまでも冷徹で、その実、恐れを知らぬ豪胆な戦士だった。

 

 そしてやはり、先手を取ったのは三日月の百錬だった。スラスターと足運びを寸分の狂いもなく同調させた完璧な踏み込みから放つは愚直な真っ向斬り。

 三日月は絶技を見た。

 重く、速く、鋭い一太刀。それは盾代わりに突き出された刀身を、百錬の堅牢な装甲を、そして──フレームを両断した。

 時に、英雄アグニカ・カイエルの友、アーサー・ボードウィンはこう遺している。

 

「バエルの(つるぎ)冴え冴えしく、これ(さまた)ぐものなし」

 

 最初のガンダム・フレーム、バエルが振るう黄金の剣は、折れず、曲がらず、鈍らず、あらゆるものを斬り裂いたという。後世の脚色のようでしかし、アグニカ・カイエルが戦ったとされる古戦場からは必ず、不気味なほどに美しく断ち切られたMAの一部が出土するのだ。

 今や誰も知るものはいないが、それらの断面は丁度、たった今唐竹割りにされた百錬のそれに似ていた。

 伝説と異なるのは、百錬がシングルリアクター機であったこと。そして剣が、今やロストテクノロジーと化した黄金色の特殊金属ではなく、ありふれた高硬度レアアロイ製であったこと。

 ゆえにその斬撃はコックピットに届く寸前で止まり、反撃を許す。

 

『届けぇぇぇッ!』

 

 今にも機能を停止しそうなマニピュレータが、断ち切られた剣を放って握りしめた予備弾倉を対手の胸部に押し当てる。

 片刃式ブレードはフレームに食い込んでおりすぐには抜けない。得物を手放して距離を取ろうとするが、すでにラフタの百錬は反対の腕でクリンチを仕掛けている。その手には半端にチャージされたナックルガードが握られていた。

 むき出しの肩部とコックピットを収める胸部は一体のフレームで構成されている。つまり、電気回路がつながる。

 肩から首へ。首から胸へ。そして、胸から弾倉へ。

 電気雷管が作動するには十分だった。

 

 失効したナノラミネートアーマーは運動エネルギーを吸収できず、無軌道に撃ち出される二〇発の徹甲弾に為す術なく穿たれる。

 正面装甲を貫いてコックピットを潰した徹甲弾頭の数々は装甲の内側で何度も跳ね返り、内部を滅茶苦茶に荒らして首元や脇下の隙間から飛び出ることを選んだ。

 弾痕だらけの胸部装甲を晒して、三日月の百錬は背中から倒れる。ひしゃげた装甲から塗膜の燃え残りがぱらぱらと剥がれ落ちた。

 手足を投げ出す機械の亡骸。その前に佇むもう一機は動かない。胸に深々と突き立つ幅の広い片刃剣を抜くこともせず、辛うじて直立していたが。

 剣の分、重心が前に寄ったのだろう。炎の飛沫に焼かれ、燃え殻のように色あせてしまった上体がゆっくりと傾いでゆき、遂に倒れ伏した。

 焼け焦げた胸部には三日月の機体と同じ、おびただしい数の風穴が開いていた。

 

『状況終了ー!』

 

 エーコ・タービンの声がして、天井から光が差した。百錬のコックピット・シェルが油圧シリンダによって前方に押し出されるようにして開放されたからだ。三日月は格納庫の強烈な照明に目を細めた。

 

「やっと……! やーっと勝てた……!」

「ラフタ、あんた自爆してんだからドローよ」

「エーコぉ……」

 

 連戦のせいかラフタはずいぶんくたびれた様子で、前方の百里──シミュレータ側の設定で百錬として参戦していた──から力なく飛び立った。キャットウォークへ舞う彼女はまるで宇宙漂流者の死体だ。

 そのまた前方の百錬から這い出てくるアジーは稀に見る渋面だ。先に墜ちたのが応えたのだろう。覇気がない。

 そんな二人に遅れて、三日月はコックピットの前面装甲を蹴った。コンソールの下のメンテナンスパネルから分岐させていた配線類を元に戻すのに少々手間取ったのだ。

 

「ここ、高度を落とすべきじゃなかったね。前の戦闘で弾を迎撃されたのを引きずった。グレネードとライフルカノンを併用して固め撃ちにすれば、より失効率を稼げた」

「射撃戦で撃破は……ほぼ無理ね。完全ランダムな回避パターンがこんなに当てづらいなんて」

「普通は癖が読めるからね」

 

 語り手の二人が口を開くたび、三日月と昭弘の視線はタブレット端末に映る戦闘記録と彼女らの間を素早く行き交った。

 デブリーフィングで三日月が指摘できそうな箇所は、正直皆無だった。誰もがベストを尽くして、その果てに相討ったように見えたが、二人の反省を聞いていると自分が見落としていた改善点がいくつも分かってこれが中々面白い。

 根本的な戦術から、それを実行するための機体操作まで、見直さない部分はない。アイトラッカーを用いてコックピットでの視線の動かし方まで指摘されるのには驚いた。

 

「ナパーム漬けのブレードで斬りかかるのは想定外よ、いくらなんでも。刃がダメになるんじゃない?」

「でも、使い捨てる覚悟ならできないこともない。シミュレーターに嘘はないからね」

「アーマー溶けてるの忘れて自爆しちゃったし……意識しないと危ないかも」

「手加減なしって言ったのはこっちだけど……やっぱりつらいね」

 

 非常に有益なデブリーフィングの結論はそれに尽きた。仮に二人が考える理想の戦いができたとしても、必ずどちらか一方は犠牲になってしまう。代償なくして倒せない、ひどく質の悪い難敵だった。

 

「緑の悪魔め、うりうり」

「悪魔ねぇ……まあ、実戦で会いたくないのは確かだ」

 

 ラフタの魔手にかかり、首の据わらない赤子のように顔面、というか全身をぐらぐらと揺らされているハロ。人畜無害ですとでも言わんばかりに無抵抗を貫く球体が今回のアグレッサー、すなわち敵役だ。

 

『MSパイロット戦時速成教育課程:模擬戦闘二号・二七をクリア。評定:可』

「可? 優じゃなくて可!?」

『判定:優はアグレッサー撃破時点で中破判定以下が必須条件である』

「随分厳しいね」

『当カリキュラムは宇宙世紀〇六六六年、ギャラルホルンによる徴兵対象年齢引き下げ後の新兵教育に使用された。よって、最少対象年齢は一五歳を想定』

「……一五歳でもできるように作ってあるってわけ」

『アジー・グルミンの推論を肯定』

 

 二人は器用にも床に座ったまま崩れ落ちた。そこだけ人工重力が狂って五Gほどかかっているに違いない。機体数の関係で観戦に徹していた昭弘すらそんな二人の余波を食らって眉根がほんの数ミリ下がっているというのに、ハロは機械だからかそんな高重力下でも平然としている。何Gかけてもきっと平気だろう。

 ゆえにハロは気負いなくこう続けた。

 

『補足:当時のギャラルホルン所属パイロットおよびその候補生は阿頼耶識システム適合手術を義務付けられている。当カリキュラムは完全思考操縦(インテンション・オートマチック)が前提であり、反応速度および空間認識性に劣る従来の操作系統を想定したものではない』

 

 突然重力のくびきから解き放たれて、ラフタとアジーは顔を上げた。昭弘の太い眉も上がった。

 

「慰めてくれるの? あんたいい子だねぇ!」

 

 よーしよしよし、などと言いながら飼い犬でも撫でるようにハロを弄ぶラフタを眺めながら、アジーは薄く笑っていた。

 

「悪いね、気を遣わせちまって」

『当機は説明責任に基づき、事実を述べた』

 

 愛い奴め! と撫でる勢いを増す彼女から、三日月は次は俺が、と言ってハロをそっと取り上げた。

 名残惜しそうに伸ばされたネイルのきれいな手を視界の端に収めつつ、次の模擬戦に挑まんと眼前の百錬を見据えると、

 

「にしても、毎日熱心だね。あんたら」

 

 立ち上がって壁に背中を預けたアジーにそう言われた。

 熱心。クーデリアの授業で最近知った言葉だ。意味は物事に心を深く打ち込むこと、らしい。

 三日月にとって、戦うことは生きることだ。金がなければ品物を買えぬように、戦わねば生は手に入らない。

 生きることに熱心になる、とは言わないだろう。それはもっと、大多数の生き物が当たり前に持っている、いうまでもない衝動だ。

 いのちの糧は、戦場にある。

 だから。

 

「俺にはこれくらいしか、できないから」

 

 自死を選ぶ意志は、三日月にはない。

 ただそれだけのことだった。

 

「そっか」

 

 彼女の声音は、なんだか優しい気がした。

 三日月にその理由はわからなかった。それでも、これからずっと色々なことを勉強して、いつかその意味を知ることができたら。そんな未来を考えた。

 

『報告:優先指定タスク『合同授業』、開始予定時刻まで〇〇三二(マルマルサンニ)

「あれ、もう?」

「時間かい?」

「うん。俺たち行かなきゃ」

 

 オルガのために命を使うつもりでいた。

 

「頑張っといで」

「ふふ、たくさん学べよ少年たち!」

 

 今は時々、戦い以外のことを考えるようになった。

 クーデリアからは、字の書き方、数の数え方、国や街の成り立ちを。

 ハロからは、物が床に落ちる理由、人間が今の形になるまでの道のり、命が根付く太陽系の星々と宇宙(そら)の話を。

 戦いには役立たなくとも、聞いていると訳もわからず気持ちが静かに高ぶるような、そんな話をたくさん聞いた。もっと聞きたいと思った。

 生きること以外の何かを、やってみたくなった。

 

「昭弘」

「ん?」

 

 期待を滲ませた二人の足取りは心なしか軽やかで、とても奇襲に対応できるような歩法ではない。警戒意識に欠けた、兵士にあるまじき姿だった。

 

「今日の小テスト、負けたほうが懸垂五〇回ね」

「フッ。あとで吠え面かくなよ!」

 

 だが、今だけは許された。

 一日が終わるたび、船は歳星に近づいていく。穏やかな旅程が終わることを、三日月はどこかで悟っていた。

 

 

§

 

 

 前後に長い格納庫で、推定重量約六四tの巨体が窮屈そうに動いていた。

 鮮やかなトリコロールに彩られた滑らかな脚が遠慮がちに持ち上がり、空気を裂くことすらためらうようにゆっくりと前進する。上半身はわずかに反った姿勢で微動だにせず、床を踏むもう片方の脚に重心を乗せていた。

 スローモーションの静歩行。接地の音は人間の足音より小さい。自重が足元の少年達を殺傷するに余りあるものだということを彼は自覚しているのだろう。

 

「ラーイ! ラーイ!」

 

 何百回と発話されるたび、いつしか最初の「オー」が抜け落ちてしまった掛け声に導かれてガンダムは部屋の隅へ近づいていく。緩慢な前進、緩慢な転回。用途不明の折り畳まれたバックパックらしき機構と長大かつ大径なアンテナロッドで煩雑とした背中が壁とほとんど密着する。

 

「はいストーップ!」

 

 壁の中ほどにあるキャットウォークに立っていた少年が降参するように両手を上げた。

 すると静止した機体はたっぷり一〇秒ほどかけて片足をついた駐機姿勢に移り、自らの胸元に上向きの掌を持っていった。

 胸の分厚いハッチが開く。オルガ・イツカが姿を現す。彼は人工重力が生じた掌に吸い寄せられて、誰が見ても安全と評するであろう速度で床へ下ろされた。

 誰が音頭を取ったわけでもなく、どよめきに似た歓声が上がった。

 サタンに乗っていた──正確には、無人兵器の行動を管制する責任者という名目で()()されていた青年がガンダムの前で雪之丞と会話する様子を横目に、クランク・ゼントはMWの分解作業を再開した。

 この車両はハンマーヘッドに乗り込んだ際に、推力の乱れが生じたと聞いている。フルスロットルで加速中、フロント右のロケット・ブースタが息継ぎを起こしたのだ。幸いフェイルセーフが働いて自動的に再点火されたが、あの緊迫した状況下で重大なトラブルが発生したかと思うと身震いする思いだ。

 自分の整備が人を殺すかもしれない。自分の意志で兵士として人を殺してきたクランクとて、その事実には別種のプレッシャーを覚えた。

 

「燃焼中に止まるなら点火系は関係がない……回転燃焼室か、燃料ラインか」

 

 細いエアホースの繋がるインパクト・レンチを片手に、クランクは右の足下に潜った。

 裏側からインナ・シャーシを覗き込んで指定締結トルク二〇〇N・mの主脚接続ナット数カ所を外してから、関節の軸方向を貫通する円柱状のピボット・シャフトを機構の内側から左右分抜いてやると、両持ちの関節に挟まっていた主脚──人間でいう膝から下がまるごと抜ける。

 この状態ではまだ燃料ホースや配線類が繋がっているから完全には外れない。外した脚は自重で倒れてそれらを引きちぎらないように、専用の台車(ドリー)に載せた状態で分解するのだ。

 切り離された関節同士を橋渡す、分厚い被覆で守られた燃料ホースと配線各種。気休め程度の耐デブリ防御能力をもつゴムカバーを慎重に外し、前進用ブースタに通じるパイプ類を見つけ出す。

 作業灯を使って装甲の中の空間を通るラインも確認するが、外見に何ら異常はない。強いて言うなら、手が届かないほど奥まったところに赤い砂塵がわずかに付着している程度だった。

 OSからエラーコードが出ていないなら、センサーやアクチュエータの電気的なエラーではなく、もっと機械的なものが原因であることをクランクはすでに学んでいた。

 

「……燃焼室」

 

 かつてグレイズで似たようなケースを見ていたことを彼は思い出した。若かりし頃、廃業した観光コロニーを根城にしていた宇宙海賊を掃討した折のことだ。

 海賊が隠し持っていたジャンク同然のMSを、砂漠を模したテーマパークで撃破した。経緯は省くが、その際クランクの機体は大量の砂煙を浴びた。その場では問題なかったが、母艦へ帰投する際に症状が出た。

 姿勢制御を補助する熱相転移RCSスラスタの一部が息継ぎを起こしたのだ。

 共通項は砂。作動方式は違うが、可能性はあった。

 脚先の前進用ブースタを慎重に取り外し、傍らの作業台に載せる。この小さなロータリング・デトネーション・ロケット・エンジンに、きっと原因があるだろう。

 メガネレンチとラチェットハンドルを台に並べていざ分解という段で、クランクはふと手を止めた。

 

 理由は右隣にあった。エンジンを載せた作業台を挟んで、駐車していたMWを整備する者が一人いた。もはや見慣れてしまった、年端もいかない少年だ。

 彼が行う作業は、見たところMWの両側面に装備された三〇mm機関砲の定期分解清掃だろうか。弾倉を外し、外装を外し、むき出しになった機関部を洗浄剤とウエスで懸命に拭き上げている。手は古いグリスとガンオイルで真黒く汚れていて、そのまま顔の汗を拭うものだから額に煤色の筋ができていた。

 身長も足りないらしく、隙間なく並べた二つのペール缶に黄ばんだポリカーボネートの波板を渡してリベットで留めただけの手製の踏み台を作業の助けにしている。少年がその狭い足場を右へ左へ動くたび、床との密着が悪い缶の底がカタカタと遊んだ。

 クランクは取り外したエンジンに防塵のためのウエスを掛けてから彼のもとへ近づいた。

 

「手伝います」

 

 少年は目も合わせない。クランクも織り込み済みだ。言って効かぬなら黙ってやるまでだと腹を決めていた。

 善意の押し付けに過ぎない自覚はある。だが、それならそれで構わない。見返りが欲しいのではなく、自分がそうしたいからそうするのだ。

 

(誓ったのだ。あの日、あの時)

 

 ハロに嘯かれたことが決断の一助になったことは否定しない。だが、その覚悟は確かにクランク自らの意志で背負ったものだった。

 残りの人生すべてを使って、子供達のために自分ができることを探し続けると。

 そして置き去りにしたアイン・ダルトンに、必ず贖罪を果たすと。

 

(私が求めるのは償いだ。赦しではない)

 

 クーデリアとアトラに背中を押されて、やっと踏ん切りがついた気がした。ギャラルホルンの兵士になった理由も、その身分を捨ててここにいる理由も、今思えば核心の部分で繋がっていたのだろう。

 誰かのために生きたい。クランク・ゼントという男の原点はそこにあったのだ。

 

「私は反対を。他に手伝えることがあれば言ってください」

 

 探さなければ。その方法を。

 すべてが手遅れになる前に。

 

『艦尾格納庫へ通達。本艦は一時間後、ICS(惑星巡航船)歳星とのランデブーにあたり減速噴射を行います。一四〇〇(ヒトヨンマルマル)までに機材の固定を願います』

 

 フミタン・アドモスのアナウンスが響くと、クランクは即座に頭を惑星間航行船の乗組員のそれに切り替えた。

 

「想定より早いな……作業は後にしましょう」

 

 減速噴射は軌道の兼ね合いで推進剤の消費が最も少なくなるタイミングがあり、その時刻に遅れることは許されない。燃費悪化に伴う経済損失もさることながら、ガスが尽きれば船は宇宙を漂流することになるからだ。惑星間を飛ぶなら、そのボーダーはとりわけシビアなものになる。

 適切な軌道変更のためには、傷病者の救命さえ捨て置かれる。クランクの中で古い記憶が呼び起こされたが、もはや想起の痛みは曖昧だった。流れゆく月日が癒やしたのか、痛みを感じられなくなるほど老いたのか。区別はつかない。

 

「やっと着いたんだ! 長かったー!」

「ライド、さっさと荷締めするよ」

「はいはーい。タカキって最近マジメだよなぁ」

 

 子供たちの甲高い喧騒は、ずっと止まない。

 


 

予告

 

 タービンズに己の価値を示した新生CGSは、ついにテイワズの本拠である惑星巡航船「歳星」へ到着。圏外圏を支配する男、マクマード・バリストンへの目通りが叶う運びとなった。

 名瀬と兄弟の盃を交わすオルガ。マクマードに覚悟を問われるクーデリア。陰謀を企てる武器商人ノブリス・ゴルドン。そして、歳星が擁する技術者の手によって暴かれんとするガンダム・サタンの正体。

 数多の目論見が交錯する中、遂にアリアンロッド艦隊が動き出す。

 艦隊司令ラスタル・エリオンが下した命令は、ルシファーの追跡。サタンが漂わせる最悪のMAの気配を、新たなガンダム・フレームが追う。

 

次章

[U]biquitous reality

遍在する現実

 

第九話 アンドロマリ


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