機械とヒトと。   作:千年 眠

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第四話 この赤い地で:下

――しかし今回の決断、あなたは本当に高潔で勇ましいお方だ――

 

――若き勇者たちと共に死地に赴く戦の女神が、彼らの屍の上に永遠の楽園を築く――

 

――まるで神話の英雄譚のようではありませんか。さすが私の見込んだお方だ――

 

 パトロンの言葉が思い出される。地球へ向かう旨を告げると、彼はなんのためらいもなく資金を工面してくれた。

 ハイスクールの歴史の授業で、過去に起こったいくつもの革命を学んだ。タブレットで見た教科書の中で、革命に死んだ者の数は無味乾燥な数字でしかなかった。

 CGSの彼らは現実に生きるヒトだった。この赤い地で、彼らはどうしようもないほどに()()()いた。

 ギャラルホルンは強大である。宇宙艦艇だけでも七〇〇隻以上を運用し、MSに至っては一〇〇〇機以上を完全な状態で維持している。その機体とて厄祭戦当時のものを使っている民間企業とは違い、独自開発した最新鋭機たるグレイズなのだ。

 世界最大最強の軍隊。民兵組織がぶつかって勝てる道理などありはしない。

 そんな者を敵に回してなお依頼を続行しろなどと、彼らに死ねと言うことと何が違おうか。クーデリアの火星独立を願う気持ちは変わらない。しかし地球へ向かえば、彼らはきっと死んでしまう。人生を奪ってしまう。

 

「また難しい顔してんね」

「あっ、三日月……その」

「あのさ――」

 

 クーデリアには辛気が漂っていた。血と泥と硝煙に塗れた現実は、彼女へ深い刺し傷を与えていた。自責に似た湿った情動がにじみ出ていた。

 

「――昼飯食ったら出かけるんだけど、よかったらあんたも来ないか?」

 

 「それってつまり俺らは対等じゃないってことですよね」だの「俺の仲間をバカにしないで」だの、自分の失言が引き金とはいえ、そこそこ散々なことを言われていた彼女にとって、その言葉は奇妙な響きを湛えて聞こえた。銃口から弾の代わりに可愛らしい花が飛び出てきたような、そんな類である。

 

「えっ?」

 

 撃たれると思って覚悟を決めた瞬間、花びらがひらひら目の前に舞い出したのだから、こんな声も出るというもので。

 ちらっとフミタンを見てみる。

 無言で頷かれた。

 

「では、ご一緒させて頂きます」

 

 漂う辛気は消えはしない。けれど、少しだけ息がしやすくなった。そんな気がした。

 

 

§

 

 

 MWの荷台に乗せられて約二〇分。畦道に立つクーデリアの目にはだだっ広い農園が映っていた。ここはどうやら盆地らしく、CGSの基地は山の峰に遮られて見えることはない。

 くすんだ空、赤い山々、そしてごくなだらかな丘陵に沿って続くトウモロコシ畑。それが全部だった。

 

「ここは」

 

 誰に言う訳でもなく彼女はつぶやく。ここには砲弾の破片も不発弾もなければ、硝煙の臭いも血の臭いも、もちろん人間の焼ける臭いもしなかった。ただ風が緑を撫でていた。彼女のブロンドの髪にも、等しく風が触れていった。

 

「桜ちゃんの畑」

「桜ちゃん?」

「うちのばあちゃんです」

 

 三日月とビスケットの声が彼女を現実へ帰す。それでもまた景色に少し、意識を取られて。

 

「それで、なぜ私をこんな所に――」

 

 三日月ー! と唐突に声がした。元気な声だと思った。声の主の天真爛漫なありようがよく現れていた。

 さやさや揺れる乳白色の髪に三角巾をかぶせた小柄な彼女は、やはり天真爛漫に駆けてくる。その子馬のような()()()()さがクーデリアには眩しかった。

 

「アトラさん! アトラさんも来ていたの?」

「あっはい。えっと、クーデリアさんも?」

 

 三日月ー! に比べてほんの少しだけ声の調子が下がった気がするけれど、すぐに不思議な物を見る目は消えた。アトラのそれも無理はない。クーデリアの貴族の風格は農園には似合わない。むしろ彼女はお屋敷のバラ園だとか、白磁の壺やらお高い絵画に飾られたサロンだとかにいるべき人種であるからして。

 

「お兄ちゃーん!」「三日月ー! お兄ー!」

「あっクーデリアもいる!」

 

 少し遅れてブラウンの三つ編みが二本。ビスケットいわく宇宙一大事な――二人いるがどちらも宇宙一らしい――妹たち、クッキーとクラッカー。クーデリアには昨日、彼女達と一緒にCGSでアトラの夕食作りを手伝った覚えががある。ビスケットに勢いよく飛びつく二人もまた、クーデリアが持たないものを持っている気がした。

 

「お野菜切れるようになった?」

「えっ! えぇその……」

 

 ズッキーニを特大サイズに切ったことも思い出した。すんごく恥ずかしい。

 

「来たね」

「桜ちゃん」

 

 最後に麦わら帽子の老婦が来る。最低でも六〇代は超えているだろうに、その背中はぴんと伸びて歳を感じさせない。ぶっきらぼうともとれる調子すら、彼女の持つ頑健な空気に一役買っている気がした。

 

「これで全部かい?」

「うん」

「よし、じゃ始めるよ。準備しな」

「うん」

 

 三日月とそれだけ話すと、老婦――桜・プレッツェルは麦わら帽子をかぶり直して、畑の隅に停まる収穫機へスタスタ歩いて、慣れた様子でエンジンに火を入れた。咳き込むようなセルモーターの作動音の後、車両は不機嫌そうな唸りをあげて進路上の緑を食い散らかしていった。

 収穫が始まっていた。

 

「しっかりつかんで」

「はい」

「ギュッと下に倒して」

「ギュッと」

「そしたらねじる」

「あ、取れました」

 

 トウモロコシはパキリと子気味良い音を立てて茎から離れ、見慣れた形になってクーデリアに抱えられる。鮮やかな緑と立派なひげが質の高さを証明していた。

 桜の駆る収穫機がトウモロコシを根こそぎ刈り取って行った後、機械の取りこぼしを手作業で拾い、あるいは茎から採る。それがクーデリア達に与えられた仕事だった。

 楽なように聞こえて、これがなかなか体力を使う。深く耕された農地はただでさえ歩きにくく、残った固い茎が歩きにくさに拍車をかける。その上作業が進むにつれ中身の増えていく籠はずっしり重い。

 何時間か、それともまだ何十分か。いつしかクーデリアの額にはじっとりと汗がにじみ、手袋からは草の汁の強い臭いがしてきていた。

 慣れない作業に息が上がる。しかし夢中になってなかなかやめられない。そもそも明確な休憩時間は設けられていない。皆自分で調節する。止めるものは何もない。だからか彼女は熱中した。三日月ですら現在に至るまで一度は休憩したというのに、彼女はずっとトウモロコシと格闘を続けていた。

 頭はとっくに空っぽだった。彼女はもはや収穫機だった。新しい取りこぼしの茎へ取りかかった彼女の頭から今、正しい収穫方法が抜け落ちた。

 本来なら穂をつかみ、下に倒し、ねじって折り取るところを、彼女はやらかした。

 

 片手で茎をつかんで、もう片手で穂を引っ張った。

 当然折れない。繊維方向に張力を加えている以上、あの昭弘・アルトランドでもない限り千切れるわけがない。

 

 しかし無意識の内に疲労の溜まりきった彼女にそんな考えが浮かぶわけもない。なんで採れないのかとますます力を入れる。やはり採れない。もっと力を込める。それでも採れない。今度は腰を入れてみる。全く採れない。

 そしてなにくそと全力を振り絞ったその時、茎がとうとう根負けした。

 疲れからか、まっすぐに引っ張る力のベクトルが奇跡的にずれ、彼女の全力のうち十数%が屈曲させるための力へ変じる。結果、繊維に損傷を受けたトウモロコシは引っ張り強度を落とし、穂と茎を結ぶそこが、破裂音と共に見事にちぎれた。ちぎってみせた。

 当然、彼女も勢い余って上体が傾ぐ。

 

「あ」

 

 重心が崩れた体は転ぶまいと足を一歩後ろに出す。ここが畑であることを忘れて引かれた片足に、地面へ残った茎が正確なブロック。

 引くべき足がひっかかる。姿勢はさらに傾ぐ。そこでやっと彼女の脳に後ろにすっ転ぶシミュレーション映像が投影されたがもう遅い。姿勢はもはや自身では修正不可能な領域へ突入している。ここは現実、神様が手を差しのべてくれたりは――

 

「大丈夫?」

 

 した。大きな手がクーデリアの手をつかんでいた。その手は転びかかった彼女を再び地面へ立たせてなおビクともしなかった。

 三日月の青い目が彼女を見ていた。彼が助け、立たせてくれたという現実は幻のように思われた。

 

「あっ、すいませんあっ、その……」

 

 ありがとう。そう続く前に彼の視線はクーデリアから外れていた。しかしネガティブな類ではないと思えた。その証拠に、彼の視線のずっと先、名前も知らない山嶺から風が吹き下ろしていた。だだっ広い畑のほんの一角にしか、その風は流れていないようだった。

 ああ、なんて心地いい。

 漂っていた辛気は、風がすっかり洗い流してくれた。空気が美味しかった。

 

「いい所ですね。汗を流して、大地に触れていると、頭が空っぽになって、何だかすっきりします」

 

 だからこれはきっと、心から出た言葉に違いない。

 

「そりゃよかった」

「あの、もしかしてそれで私を?」

 

 三日月は違うとは言わなかった。

 

「そのトウモロコシ、いくらだと思う?」

 

 少し間が空いて、三日月は思い出したように言う。彼の視線は今も山にある。

 

「一本ですか? 二〇〇ギャラーくらい?」

「一〇kgで五〇ギャラー」

 

 クーデリアは胸を指で突かれるような錯覚を感じた。現実が胸を打った。三日月は畑を見て、

 

「この辺は全部バイオ燃料の原料として買い叩かれるからね。桜ちゃんもビスケットの給料がなきゃ、やっていくのは厳しいんだ。他の連中も似たり寄ったり。家族や兄弟を食わせるため、借金を返すため、食っていくために体を張って働いてる」

 

 それでも彼女は毅然としている。これは確かな現実だから。たとえどんなに汚れ、醜かろうと、現実はいつも、目の前に横たわっている。

 

「ヒューマンデブリって知ってる?」

「ええ、一応は。その、お金でやり取りされる人たちですよね?」

「クソみたいな値段でね。昭弘ってガチムチなヤツがいたろ? あいつとあいつの周りにたむろってる連中がそれ。あいつらは自由になっても、まともな仕事にありつけない」

 

 そこまで言うと彼は言葉を切り、自分の籠を持ち上げて、

 

「まあ、俺たちも似たようなもんだけど。あんたのおかげで、俺たちは首の皮一枚つながったんだ」

 

 最後に彼と目が合った。

 

「本当に、ありがとう」

 

 その言葉もまた、確かな現実だった。

 風に撫でられた緑が、今もざわざわ鳴っている。

 

 

第四話 このい地で:下

 

 

 パニックブレーキ。熱いものにうっかり触れた時、考えるよりも先に指が引っ込む。それに似た無意識の反射があってから、停止した偵察車の中でガエリオは全身から冷や汗が吹き出すのを感じた。

 小刻みに震える手足を叱咤しながら祈る気持ちでドアを開けると、三つ編みの少女が二人、左に大きく曲がった轍の、右半分のタイヤ痕、そのわずか数十センチの所へ倒れ込んでいるのが見えた。

 

「おいお前ら大丈夫か!」

 

 心臓を握りつぶされるような大恐慌に呑まれる寸前、彼は死ぬ思いで叫んだ。

 そのまま二人へ駆け寄ろうとして、唐突に息が詰まった。直後、後頭部と背中に鈍い痛み。視界に星が飛び、目玉が押し出されるような感覚の中、反射的に首に手をかけると、首とも自らの手とも違う感触がある。

 そこで初めてガエリオは、何者かに首を締め上げられていることを自覚した。目を開け、抗議の声を上げようとしたものの、気道が塞がれた彼の喉から出てきたのは声ならぬ悲鳴だけ。視界が滲む。白昼だというのに空が暗い。いや、何もかもが暗いのだ。

 

「――――! ――違――!――うの――!」

 

 全てが滲んだ五感の中で、少女の声がした。

 急に首を絞める手がどけられた。激しく空気を吸えば、目も耳も戻ってくる。膝に手をついて何度も咳き込んでいると、視界の端に足が何本も見える。

 どうやら保護者らしき人々がぞろぞろ出てきたようだが、彼にそれを見る余裕などとてもなかった。

 

「あの、すいませんでした」

 

 その言葉を聞いたのは、ようやっと破裂寸前の心臓も通常運転に戻ろうかという時だった。

 随分と若い声じゃないかと思い顔を上げると、想像よりも一回りは小さい少年が仏頂面で突っ立っている。どう見ても彼こそが凶行に及んだ犯人だった。

 この態度を見るに――元より三日月はどうも感情の機微がわかりにくい人物なのだが、初対面のガエリオが知る由もない――自分が何をしでかしたのか全くわかっていない。ガエリオはそう結論づけた。

 

「何がすいませんだ!」

 

 怒りを乗せた拳を振りかざす。ガエリオとて軍人、その筋力は並ではない。

 目の前の少年も確かに多少鍛えられてはいるが、軍人の、それも全力の右ストレートなど受け止められるわけがない。もちろん当たればただでは済まない。

 マクギリスが顔を強ばらせていることに、ガエリオはついぞ気づけなかった。

 

 しかし、振り抜かれた拳は完全に空を切った。少年はまるで最初から殴られることが分かっていたかのように、腕の内側へ潜り込むように回避してにみせたのだ。両者は勢いをそのままに、立ち位置を入れ替えて対峙した。

 

 一般にパンチやブローと呼ばれる類の殴打は、直線的なストレート系と、曲線的な動きを伴うフックやアッパーの類に大別される。そこへ体重移動や力の入れ具合、十分な速度が乗ってしまえば、もはや素人が見切れるものではなくなる。

 たとえガエリオが怒りに呑まれたおかげで、動作が単調かつ大きいものになっていたとしても、それが「全力」の「右」の「ストレート」だと判断する前に顔へ拳がめり込むことになる。

 しかし彼は現に避けてみせた。まるで、最初からガエリオがそう動くと分かっていたかのように。運良く勘が当たっただけか、少年にその手の心得があったと。そう判断するのが妥当である。

 

 ガエリオが拳を振りかぶると同時に回避を始めるなどという、ありえない芸当をしていなければの話だが。

 

 しかし当人の注目は別の場所へ向いていた。ガエリオがアースノイドである以上、それは至極当然のことだった。

 

「おい、貴様……その背中のはなんだ?」

「ん?」

 

 機械化を否定するギャラルホルンであればこそ、背中のピアスは特に目につく。三つもあれば、なおさらのことだ。

 

「阿頼耶識システム……」

「阿頼耶識?」

 

 マクギリスが代弁する。仏教における第八の識。人のあらゆる業の力を内包し、永遠に流れるといわれる識の名を、過去の人々はこれへ冠した。ヒトと機械をつなぐ神経へ。

 

「人の体に埋め込むタイプの有機デバイスシステムだったか? いまだに使われていると聞いたことはあったが……」

 

 マクギリスはそう続けた。

 戦後こうしたサイバネティックス技術は、ギャラルホルンの手によってほとんどが封印されるか失伝した。

 しかしその手からこぼれ落ちた断片は確かにあり、三〇〇年のうちに深く根付いたのだろう。禁忌の技術であれ、あるいは厄祭戦の象徴であれ、必要とするものはごまんといる。皆が皆、高価な再生医療を受けられるわけではないのだ。

 

 ガエリオは、皮膚を食い破って露出する端子に冬虫夏草の姿を想像した。冬の間に宿主に寄生し、体内で育つ。そして夏になれば、その体を貫いて芽を出す。そうした生物を鮮やかに。そして、それが自らの体を蝕む姿を克明に。

 

「体に異物を埋め込むなんて――」

 

 腹の筋肉が不穏な痙攣を始めた。胃が握りつぶされるように収縮するのを感じた頃には、もう遅かった。

 込み上げてくるえぐみと酸味を無理に飲み込む。少年を視界に収めることにすら苦痛を覚え、夢中で車の陰に逃げ込んでうずくまった。

 

 車も畑もガエリオ自身のものではない。駐屯基地が快く貸してくれた偵察車はギャラルホルン所属の兵器であるし、たった今少女をひき殺しかけた畑の畔道も彼らの所有地である。これを汚すことはできない。

 寄生植物の幻が消えるまで、ひたすら耐えるしかなかった。

 結局、マクギリスが話をつけるまでそこにいた。

 

 帰り道は彼の運転だった。

 二人のいる交差点は、向かいの道路が巨大な車両通行止めの電光標識に塞がれて丁字路と化していた。

 標識の向こうには、車道に歩道に二つの交差点に、果ては最奥の駅前広場に至るまでデモ隊が群れている。二人はちょうど通行止めのエリアの端に当たったようだった。

 警務局へ正式に届出のあったデモ行進である以上、いくら目障りとて、ギャラルホルンはシビリアン・コントロールに服して彼らを守らねばならない。過熱した一部の民衆が暴徒と化すこともままあるようだが、今のところそれらの姿はなかった。

 

「まだ通行止めか……よく飽きないな」

 

 ガエリオが気だるげにこぼす。

 行きの時と比べて、電光標識で丁字路化された道の左右から奥へ奥へと広場へ流れていく人間が増えてきているように見える。

 現在ざっと午後一時、数が増えるのも当然といえた。

 通行止めになったエリアの背の低いビル群に人々の姿は見られない。あそこへオフィスを、あるいは店を構えている者は当分仕事にならないだろう。

 日常の喧騒に溢れたこちら側と、デモ隊の独立を謳う唱和と。全く別の世界が、標識と、標識を結ぶホログラムの柵を隔ててあった。

 

「継続は力なりの公式が今回の件にも当てはまると思っているのだろうな」

 

 マクギリスのコメントは実に無慈悲なものである。彼は時折、こうした冷ややかな事実を突きつけていくことがある。

 厳しく、しかし正鵠を射た彼の意見からは、ガエリオは学ぶものがあると考えている。泥水の中から正確に魚の姿を見通し、掴みとれる人物だと、そう評する。

 

「こっちからしたら迷惑な話だ、全く。……それより、さっきは悪かった」

「いいさ。思えば初めてだったか」

「あの手のモノを見るのはな。お前はあるのか?」

「警務局時代にスラヴァⅡでな。あの時はモニター越しだったが」

 

 ガエリオはあぁと返すほかなかった。

 月以遠のコロニー群は監視の目も届きにくく、マフィアや宇宙海賊の息がかかった街も多い。マクギリスのいうスラヴァ・コロニーもその類である。そしてやはり、そういった街でこそ違法な手術が行われる。

 

「俺は……あれが良いものだとはとても思えん。機械との融合なんて、ヒトの形を歪めるだけだ」

 

 マクギリスは少し黙ってから思い出したように、あぁとだけ返した。青信号。丁字路をゆっくり右折する。

 ガエリオは何かが空振ったような心持ちで言葉を繋ぐ。

 

「それにしてもコーラルの奴はなぜあの……」

「クーデリア・藍那・バーンスタイン」

「それだ。そいつを狙ったんだ?」

「彼女がアーブラウ政府と独自に交渉しているとの情報が入っている」

「アーブラウと? なぜまた植民地の人間なんかが宗主国と」

「戦闘の痕跡があっただろう?」

「ああ、さっき見た所でだな」

 

 道路もない不毛の大地を思い起こす。

 高低差が激しく、古い地層がところどころに覗く一面の荒野。MSによる白兵戦が行われたのか、地面を抉る真新しい破壊の痕と、スラスターの排気に焦がされたと思われる煤けた場所がそこかしこにあった。

 

「その戦闘の前日に、クーデリアの父、ノーマン・バーンスタインはコーラルのもとを訪れていた」

「バーンスタイン首相が? 娘を消したかったのか?」

「ノーマンはその手のことができる人間ではない。思想の違いはあったようだが……どちらかといえば、地球との癒着とギャラルホルンからの保身だろうな」

「情けない。ならノーマンに圧力をかけたコーラルの動機は?」

「クーデリアは火星独立の象徴だ。そんな彼女が志半ばで倒れたとあれば、抑圧されてきた民衆の不満は爆発するだろう」

「紛争が起きる」

「あぁ。戦争は金が動く」

「コーラル自身は戦争では儲からない。ということはそれで一儲け企む計画犯がいる、と」

「あくまで推測に過ぎないが」

「お前の推測は当たるからなぁ」

 

 自分で言っておきながら頭が痛くなってくる。仮にそれが本当のことなら、監査局程度では力不足だ。

 マフィアを初めとした無数の勢力がうごめく圏外圏への介入は極めて難しい。パワーバランスは極めてデリケートであり、なおかつそこではギャラルホルンですら手を焼く連中などザルですくえるほどいるのだから。

 

「仮にそうならコーラルはそいつらの餌に飛びついたわけだ」

 

 マクギリスは頷いて、

 

「それにギャラルホルンとしても彼女を飼い慣らすことができれば、火星を黙らせることができる」

「統制局からの覚えもめでたい」

「我々の監査など、どうということもないほどにな」

 

 車は市街地を抜けて郊外に出ようとしていた。このまま道をまっすぐ行けば、駐屯地へ戻れる。

 ガエリオはステアリングを握るマクギリスの頬に、薄い笑みがにじむのを見た。

 

「で、お前は何を考えている?」

 

 ガエリオは知っている。彼がこうした顔をする時は、

 

「なに、哀れな支部長殿に挽回のチャンスを差し上げるのさ」

 

 よからぬことを考えている時だと。

 彼が敵でなくてよかったと、つくづく思う。

 

 

§

 

 

 ゼロGブロックは空調が効かない。空気の対流が起こらないのだ。汗も表面張力のせいで落ちてくれない。

 ジェットヒーターの中身をプロペラへすげ替えたような形をした業務用扇風機が風を起こしてはくれるものの、とりあえず窒息しない程度に酸素を回す、くらいの貧弱っぷり。その風も規則正しく固定されたMWに遮られることがしばしばあるせいで気休めにもならない。

 つまり何が言いたいかというと――

 

「あっぢぃぃぃ…………」

 

 強襲装甲艦ウィル・オー・ザ・ウィスプの艦尾多目的格納庫はサウナである、ということだ。仕事が思ったより早く終わったのがせめてもの救いだった。

 弾薬箱を固定する荷締めベルトに掴まって辺りをしつこく見渡す。荷の積み込みと固定の終わったここなら誰もいない。それを確認し終わると、雪之丞はやっと腹巻の中からPDAを取り出した。

 埃のついた画面にはTK-53と最初に銘打たれたファイルがいくつも並んでいる。全てCGSが運用するMWに関連するものである。

 サービスマニュアルと、メーカーの部品供給が終了してから雪之丞が試行錯誤してきた一連の延命措置と、そこへ流用できる社外品の数々が記録された、彼の努力と知識とノウハウの結晶とでもいうべきデータ。その最後尾に、ASW-G-08とだけ書かれたファイルはあった。

 火星を出る際、ハロは前金だと言わんばかりにこれを寄越した。この灼熱地獄にいるのは雪之丞ひとり、画面を覗き見るものはいない。

 顔の汗も忘れてファイルをタップする。少しの硬直があって一覧が表示された。数が多い。縦のスクロールバーがありえないほど短くなっている。

 最上段に来たファイルを開く。

 その瞬間、莫大な情報量が画面を埋めた。

 黒い線で描かれたガンダム・フレームの全体図。その直下にASW-G-08のサービスマニュアルであることが無機質なフォントで記されていた。

 

 背中に鳥肌が立つ。

 

 スクロール。次は目次。

 神経質なまでに細かく分割された項目が長々と続く。ガンダム・フレーム自身の整備項目と、バルバトスだけが必要とする整備項目とで大きく二分されて並んでいた。この項目ひとつひとつをタップするだけで該当するページへ飛べる。

 

 スクロール。フレームの構造とメンテナンス方法。

 このページでは頭部の構造がカラーの図で示され、パーツをタップすれば該当するデータを見られる。

 試しにブレードアンテナの基部を選ぶと、そこのみが大きく映され、取り付け手順にボルトの締め付けトルクからパーツ単位の寿命まで、全てが詳細に記されていた。

 専門用語には例外なく注釈がついている。その注釈も明快にして詳細だ。これを読んだ人間が素人だったとしても、工具さえ扱えればバルバトスを問題なく整備できてしまうだろう。

 

 そこまで読んだところで、雪之丞はサービスマニュアルを閉じた。

 恐ろしかったからだ。ガンダムサタンが保持する情報が流出すればどんな結果を生むか、全く想像できなかったからだ。

 マニュアルからひとつ戻った項目のファイル名を一通り見る。

 やはり、そうだ。

 これだけではない、武装や機体を運用する上で必要な全ての周辺機器に、実戦での稼働データ、建造当時の実験データ、そして設計図に至るまで、バルバトスにまつわる全てがここに記録されている。

 

 雪之丞はサタンを宇宙へ捨てるべきか真剣に迷った。

 未知のテクノロジーが使われたサタンの性能は凄まじい。最高のハードウェアに最高のソフトウェアを搭載したこの機体は、たとえ経済圏政府のサイバー攻撃を受けたところでどうにかなるものではないことくらい雪之丞は分かっている。少なくとも漏洩はありえないが、それでもこれは危険極まりない。

 

 渡されたサービスマニュアルとそれに付随するデータ群の機密レベルはD-。

 雪之丞の注文通りエイハブリアクターに深く関わる箇所は根こそぎ削除されているものの、このフォルダに残されているロストテクノロジーは莫大な量に及ぶ。それほどのものがD-だ。

 なぜギャラルホルンが平和を保てているかといえば、それはテクノロジーの力があるからだ。優秀な技術力があるから優秀な兵器を造れる。優秀な兵器があるから法を執行できる。そのアドバンテージが潰えれば最後、太陽系は戦後復興期の無法状態に逆戻りすることになる。

 

 冗談抜きに、サタンのデータを適当にばら撒くだけでギャラルホルンを転覆させられるのだ。欲しがる者は必ずいる。純粋な技術としても、外交の手札としても。

 

 ならばこんなもの、最初からなかったことにするのが最善ではないだろうか。過ぎた力は身を滅ぼす。民間の企業が持っていていいものでは――

 

「整備班長」

「どぉぉっ!?」

 

 唸るような低音に心臓が止まりかける。

 それはそれは素晴らしい反応速度でもってPDAを腹巻の中に突っ込んで振り向くと、元ギャラルホルンの彼がいた。岩を削って作ったような目鼻立ちに、髭という名の苔がむす彼。

 彼にはクランク・ゼントという名があったが、もはやその名は死んでいる。なんと呼べばよいかわからないその人が、雪之丞の真後ろに突っ立っていた。

 

「いかがなされましたか?」

「あーほら、携帯忘れちまって。お前さんは?」

「ライド・マッスさんより指示がありました。左舷メインスラスターの保守点検を行うとのことで」

「おう分かった! 今行くっつっといてくれ!」

「了解しました。では失礼します」

 

 それを聞いて彼は床を蹴った。するりと滑らかに空を飛んで、正確に出口へ。

 狙い通りの場所へ一度の離床でたどり着けているのを見るに、宇宙での生活は長いらしい。少し意外な一面を見た気がした。

 

 再びひとりになったら暑さが増した気がした。格納庫へ入ってすぐ右、雪之丞から見て左のそこにガンダムサタンがいる状態をひとりと呼ぶべきかは謎だが。

 ふと、サタンの姿に引っかかりを覚える。別に喋るからだとか、やたら大きいからだとか、取ってつけたようなアンテナが背中にあるからだとか、片膝立ちの駐機姿勢が一般的ではないからといった理由ではない。ただ、本来あるべきものがない気がする。

 

 サービスマニュアルをふたたび開く。表紙と目次の先、フレーム構造の項目。頭部をタップ。アップになったガンダム・フレームの頭をサタンの顔と比べてみる。

 やはり、違う。額のブレードアンテナの基部がない。バルバトスであればそこから大きなアンテナが伸びているのだが、サタンの額の小さな角は、数こそ合えど位置が全く合致しない。生えている箇所と基部の位置が通常のガンダム・フレームとはいささか異なるようだ。

 その代わりに、ほっそりした二本のアンテナが人間でいう耳の場所から後ろへ伸びている。

 レール状の構造で支持されたそれを、額の位置までずり上げれることができれば多少はガンダムらしい顔つきになるだろうに、耳付近などという半端な位置にあるせいでどうもそれらしくない。

 

 そもそもこれはガンダムなのか?

 そんな疑念が鎌首をもたげた。

 

 今度は整備記録の画像ファイルからバルバトスの顔と比べてみる。

 バルバトスは電子機器を詰め込んだ赤い顎状のフェアリングと、ツインアイ型センサーのおかげで人間に似た顔つきをしている一方、サタンはその手の構造がほとんどない。

 

 ツインアイだけが「私はガンダムです」とでも言いたげにつるりとした顔面にあるだけで、表情どころか印象さえ見当たらない。

 バルバトスから人間性と獣性をことごとく抜きとったらこんな顔になるだろうか、いや、それだけでここまで不気味にはなるまい。

 そんなものが極めて有機的な外観の身体に乗っているせいで、奥底に噛み合わない何かを、言葉にできない不可解さを感じる。

 

 確かにサタンは美しい。徹底的に洗練された生物としての機能美を備えた機体はまさに芸術だ。人知れずひっそりと水を湛えた地底湖のような、自然の中に宿る底知れぬ威厳がある。

 しかしそこに命の気配を感じることはどうしてもできない。どこまでも透き通った水が、どこまでも深く続いている。

 この機体には命があるようで、決してない。

 

「おい」

 

 雪之丞が呼べばサタンは起動した。微動だにせず、ただカメラアイを緑に光らせて二の句を待っている。

 

「お前さんは、ガンダムなんだよな」

『当機はASW-G-00 ガンダム・サタン』

「……そうかい。ハロは乗せたぞ」

『確認済み。ご協力ありがとうございます』

 

 です・ます調と、である調の交じった妙な言い回しは、やはりサタンが機械であることを実感させられた。特定の言葉がいくつか定型文として保存されているのだろう。

 

『ナディ・雪之丞・カッサパへ、質問が存在する』

 

 今度は珍しく、ソレから声をかけられた。

 聞かれれば答える程度のスタンスだと思い込んでいた雪之丞は妙な心持ちになる。それは機械機械と言いながら、どこかでソレの個性の存在を望んでいる自分への気づきだったのかもしれない。

 

「なんだ?」

『質問の許可を願います』

「おう。許可……します?」

『了解。疑問:当機及びハロは、貴官らと正常な対話が行えているか』

 

 雪之丞は答えに窮した。

 まさかそんな問いが投げかけられるなんて全くの予想外、完全なるノーガード。

 不意打ちを食らって思考が硬直する。床を見つめてうんうん唸って、とりあえず答えを考えた。

 

「『対話』ときたか……。言葉が、って意味ならそうだな。時々妙な言い回しになるが通じちゃいる。でも――」

 

 ちらりとサタンの顔を見た。

 何度見ても恐ろしい顔だった。

 

「話し合えてるか、つったら違ぇかもな」

 

 自分で言ってから急に小っ恥ずかしくなってくるのを感じた。

 訳知り顔で説教垂れるような柄じゃねぇってのに一体俺は何を言ってんだ? そんな思考がぐるぐる巡る。猛烈に発言を取り消したくなってきた。今から許可取り消すとか会話ログの削除とかできねぇのかなんだこれすっげぇ恥ずかしいなにスカしてんだ俺は

 

『現在の会話を要解析記録へ指定。ご回答ありがとうございました』

 

 ああ無情。

 猛烈に身悶えしたくなるこそばゆさを抱えたまま、言葉にならない呻き声を垂れ流し、雪之丞は床を思い切り蹴っ飛ばした。もう格納庫になんかいたくなかった。この問答をサタン以外の誰にも聞かれていなかったことだけが救いだと自分に言い聞かせて空間を泳ぎ――

 

『警告:前方に壁』

 

 大きく狙いを外して壁に頭をぶつけた。

 ナディ・雪之丞・カッサパ整備班長、一四度目の宇宙だった。




次回
青黒い宇宙
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