機械とヒトと。   作:千年 眠

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第五話 青黒い宇宙

 子供の頃は遠足の前日ともなると興奮で眠れなかったものだが、一六歳にもなって同じ現象に出くわすとは思わなかった。もっとも、今のそれは緊張に由来するものだが。

 クーデリア・藍那・バーンスタインは、とうとう眠ることを諦めた。昼間のトウモロコシ収穫で疲れ切っていたはずだというのに、いくらベッドに寝転がっていても睡魔がこない。

 宛てがわれた寝室で、彼女は明かりもなしに黙々と髪を結いはじめた。

 部屋の廊下側にあるもうひとつのベッドで、フミタンは髪を下ろして寝息を立てている。いつだって彼女は肝が据わっていた。 

 その立ち振る舞いが今はひたすらに頼もしく、羨ましい。

 

 覚悟は決まった。そう言っていいはずだ。あとは無意識が意識に追いつくのを待てばいい。

 

 髪を結って暇になって、彼女は宿舎を抜け出した。どうせあそこにいても眠れないなら、どこにいても一緒だ。

 外へ通じるドアを開けた途端、乾いた冷風が肌を刺した。砂粒がパチパチと顔に当たる。

 構わず外へ出てみれば、鋭く研がれた夜の寒気が彼女を出迎えた。少々の寒さなど知ったことかと言わんばかりに、彼女は無心になって歩を進めた。

 

 昼間あれだけ賑やかだった基地は、夜になって印象を大きく変えていた。

 基地正門を跨ぐ大きな事務所も、そこから渡り廊下で繋がった兵舎も、兵舎の向かいの格納庫も、訓練場を見下ろすようにそびえる管制塔も、遺骸のようにただそこへ寝そべって朽ちるのを待っているばかりに思われた。

 歩けば歩くほどに自身の呼吸と足音だけで作られた心地よいリズムを感じる。気温は低く風は強く、散歩に向いた天気とは言いがたかったが、それでも彼女は満足していた。

 

 ひとしきり回って見るものもなくなり、そろそろ部屋へ戻ろうかというその時、無人だと思っていた管制塔に明かりが見えた。

 オリーブ色の塗装が剥げ、ところどころに赤錆びが血のようにこびりついた塔の最上階。全面ガラス張りの管制室からおぼろげな暖色が漏れている。

 そんなささやかな光も、暗闇に慣れた目にはやけに明るく見えた。

 近寄ってみれば、開け放たれたエントランスドアは大きく損壊して、今はガラスが嵌っていた銀色の枠だけが残っている。

 そのせいで砂や土埃が屋内に好き放題吹き込み、赤く汚れて、中はほとんど自然に帰りかけていた。彼女が一歩踏み出せば、靴と床に噛み込んだ砂粒が硬い音を立てた。

 中には誰もいない。物らしい物もない。ここはすでに、管制塔へ行くための唯一の通路としての価値しか見られていないようだった。

 そこから長い廊下が続く。左右にいくつか部屋がある。

 

(ここは……)

 

 昔は飛行場だったのか、廊下の窓から覗きこんだ部屋は大きな機材がほとんどのスペースを占有していた。見たことのないものに心の表面が少しだけ躍ったが、すぐに興味は失せた。あいにく、心の奥底はいまだざわついていた。

 廊下の最奥は四角い小部屋だった。太い円柱が部屋の中心から上の管制室にかけてそびえ立っていた。

 柱に埋め込まれたエレベーターのボタンを押す。

 うんともすんとも言わない。電気が来ている気配はなかった。

 

(なら)

 

 辺りを見回すと、部屋の外周をなぞって設置された階段がある。そこが上へ続く唯一の道のようだった。上っていると、暖色の光を発するランタンが道しるべのように段のいくつかに置かれていた。

 あと数段で管制室というところで、上からとろりと流れ込む冷たい風に肌が触れた。彼女は身震いした。この寒空の中を気ままに歩き回ったせいで体の芯が冷えてきていた。

 頂上にいる誰かの顔を拝んだらそれで帰ろう。そう思って、最後の段を上りきった。

 

 そこにいたのは三日月・オーガスだった。

 どこから気づいていたのか、彼は顔色ひとつ変えずに羽織っていた毛布を差し出してくれた。

 

「あっ、ありがとう……」

 

 ちょうど冷えていたのでありがたく羽織らせてもらう。

 彼は何も言わずに、なにも嵌っていない窓枠から遠くを眺めていた。彼の行動は、クーデリアにもなんとなく当たりはついた。

 

「いつもこういったことを?」

「交代でやってる。今はギャラルホルンがいつ来るかわからないから」

 

 それだけいうと彼は何かを口にほうった。ドライフルーツか何かに見えたが、明るい――といっても照明はランプひとつだが――場所に順応しきれていない目にはいまいちとらえられない。

 

「私は――」

「ん」

 

 私の戦いを、と言おうとしたところで彼はポケットに突っ込んでいた拳を突き出した。何かが握りこまれていたので黙って手を出すと、まさに彼が食べていた何かが二粒落とされた。

 ラグビーボールを潰したような形の、わずかに弾力を残す乾燥した実。酸味を含んだいい香りがする。

 三日月を見る。頷かれたので食べてみる。

 

「心配しなくても、オルガは一度やるって言った仕事は絶対にやり遂げるよ。だから俺もあんたを、絶対に地球まで連れていく」

「あ、私は私の戦いを頑張ります! 先ほどはそれを言おうと――」

 

 強烈な酸味の暴力がクーデリアを襲った。最初の二、三度の咀嚼では「あ、ほんのり甘い」と思わせておいて、時間差で意味不明なレベルの手のひら返しが来やがったのだ。罰ゲーム用と言われた方がしっくりくる。実際罰ゲームとして渡したのか、それとも善意で渡したのか、そのラインすらわからなくなるほどに意味不明な味がした。

 

「それ、たまに外れ混ざってんだ」

「はぁ……」

 

 真意は不明。三日月の心を読むにはまだかかりそうである。多分、悪意はなかったはずだ。

 彼はリアクション芸を見て満足したのか、窓際の机に腰かけてランタンのつまみをいじりだした。小さかった炎がにわかに大きく揺れ出す。その後、火は急に勢いを減じて消え入りそうなまでにしぼんだ。彼の視線はしばらくさまよった後、また外へ向いた。

 

「地球に行ったら月って見えるかな?」

 

 太陽の沈んだ今、宇宙が大気を透けて見えていた。黒というより無色と形容するほうがふさわしい空だった。

 

「月、ですか?」

「三日月って名前、そっからとられたらしいからさ」

「月は……厄祭戦で大きな被害を受け、今では霞んでしまったと聞いています。この目で見たわけではありませんが」

「へぇ、サタンと同じか」

「サタン?」

「オルガのガンダム」

「がんだむ……?」

「ほら、あのでっかい人型の」

 

 そこまで言ってくれたことでやっとクーデリアにも合点がいった。襲撃の際、あのとき確かに彼女は三日月とオルガがあの白い機械人形へ乗り込むさまを見ていたのだ。

 

「あの大きなロボットがガンダムというのですか?」

「うん。オルガが乗ってた方が、最後の記憶から三〇〇年くらい経ってるって言っててさ。あいつもその戦争で“かすんだ”? のかなって」

「あのロボットがですか……。今からは考えられませんね、それほど昔のものが十全に動いて、ヒトのように喋るなんて」

「本当。あいつ、バルバトスと一緒に埋まってたんだ。昔も仲間だったのかな」

「そうだとしたら素敵ですね。聞いていると、サタンさんは昔のことを覚えているようですし、宇宙に上がったら聞いてみては?」

「そっか、喋るんだから聞けばいいんだ」

 

 そうは言ったが、実のところクーデリアはサタンが恐ろしかった。

 機械がなぜ喋る。確かにヒトの脳の活動はすべて電気信号と伝達物質の働きで説明できる。その動きを完全に解明し、機械で再現することも理論上は可能だろう。

 しかし、それを実際に目の当たりにすると、科学の進歩よりも未知への恐怖が芽生えた。

 大多数の者にとってサタンは未知であり、未知は恐怖である。クーデリアも、オルガも、雪之丞も、クランクも、未知はみな恐ろしいのだ。獣が己の理解の及ばぬ火を恐れるように、ヒトであるがゆえにサタンが恐ろしいのだ。

 喋るなら聞けばいい。

 話が通じるのだから対話すればいい。

 そう言い切ってみせた三日月を、彼女は素直に尊敬した。尊敬の念が湧くほどに、無意識がサタンを拒絶していた。

 

(あなたは……)

 

 怖くないのですか? その言葉は口から出てこようとせず、頭をぐるぐると泳いだ後、心の奥底に居着いた。

 夜空はずっと冷気を発していた。

 底知れなかった。

 

 

§

 

 

――私を! 炊事係として! 鉄華団で雇ってください !おかみさんには事情を話して、お店は辞めてきました!――

――フッ……良いんじゃねぇの、なぁ?――

――アトラのご飯は美味しいからね――

――ああっ……ありがとうございますっ! 一生懸命頑張りますっ!――

―よーしお前ら! 地球行きは鉄華団初の大仕事だ! 気ぃ引き締めていくぞっ!――

 

 集積する。全てを。

 会話を、文字を、表情を。

 あらゆるヒトの行動を。

 

――急な話とは?――

――ぜひとも監査官にご同道願いたい作戦があってね――

――作戦?――

――クーデリア・藍那・バーンスタインが調停のために地球へ旅立つのは君たちの望むところではなかろう。この手柄を君たちに譲ろうと言っているのだよ――

 

 掌握する。全てを。

 PDAを、監視カメラを、通信機を。

 あらゆる機械の耳と目を。

 

――お手を煩わせずとも、我が社の船がクーデリアを捕らえましたものを――

――これは政治的な問題だ。手順に意味がある。結果だけの話では無いのだ――

――浅学ゆえの発言、ご容赦を――

――良い、情報提供には感謝している――

――今後も我がオルクス商会の輸送航路をごひいきにお願いします――

――わかっている。来期は任せる。……あとはクーデリアを確実に始末するだけか――

 

 全てを統合し、判断する。

 全てを統合し、学習する。

 

(ギャラルホルン現火星支部長コーラル・コンラッド三佐の軍規違反を確認。該当条項:二〇五条第一項)

 

 ガンダム・サタンは裁定する。

 ガンダム・サタンは決定する。

 

(推測:連続した襲撃。オーダー001:人命の保護が適応可能)

 

――諸君、人類に夜明けをもたらそう――

――人類に黄金の時代をもたらそう――

 

(民兵組織:CGSに随伴し、人命を保護する)

 

 全ては未来のために。

 

 

§

 

 

 命の危機が目の前に迫っていても、やはり三日月・オーガスは平常運転だった。

 シャトルの貨物室は退屈だ。バルバトスとその兵装が仰向けに固定されているだけで何もない。緊急発進に備えて貨物室の与圧は行われていないのでコックピットから出ることもできない。接触内線で丸聞こえな客室の騒ぎがただひとつの暇つぶしである。

 

『協力ってのはどういう了見だ! てめぇ俺らを売りやがったなぁ!』

 

 シノの声がした。声量が大きすぎて音が割れている。三日月は眉をきゅっとしかめて通話音量を絞った。

 コンソールにはエイハブウェーブ反応を示すアラートが出ている。数は三。場所はシャトルの左右と直上。探知しているのはそれだけだが、十中八九探知範囲外にもいるだろう。

 今度はごそごそとノイズが聞こえる。揉み合いか何かが起きているようだ。下げすぎた音量を少し上げてみる。

 

『MSから有線通信! クーデリア・藍那・バーンスタインの身柄を引き渡せとか言ってますけど〜!?』

『さささ差し出せ! そうすりゃ俺たちの命までは取らねぇだろ!』

 

 機長の情けない絶叫が聞こえたと思えば、今度はトドのカッコ悪すぎる咆哮が響いた。

 やはりこれを手引きしたのはトドだったようだ。オルクス商会へクーデリア搭乗の情報を売り、さらにオルクス商会がギャラルホルンへそれを売ったということらしい。

 三日月としては正直どうでもよかった。

 

(うるさい)

 

 再び音量を絞った。

 さて、敵は三。こちらの兵装は三〇〇mm滑腔砲が一丁だけ。サタンが教えてくれたナノラミネートアーマーの特性を考えると、射撃戦を行いながら接近して殴るのが定石だが、あいにく白兵戦の用意はない。

 三日月は考える。敵はどう動くか。バルバトスはどう動いてくれるか。そして、何が自分たちのアガリとなるか。

 

『ビスケット!』

『了解! いくよ、三日月!』

 

 決まった。

 貨物室が開くと同時に仕込まれた煙幕が視界を白く染める。機体を急速に起こしながら右手とサブアームで保持した滑腔砲の砲口を眼前のグレイズ、その胸部へ押し当て――。

 

「そんなところにいるから」

 

 ためらいなく引き金を引いた。

 砲口初速一・八km、マッハ換算にして約五・三という速度で飛翔する徹甲弾は、近距離であればナノラミネート処理された装甲すらたやすく貫く。

 腹の奥底まで響き渡る強烈な反動を感じた頃にはもう、グレイズに空いた大穴から向こう側の宇宙が見えていた。

 

 三日月・オーガスは今、初めて宇宙を見た。

 パイロットの恐怖心を抑える。そんな名目でCG処理された、安っぽくて、青黒い宇宙を。

 

 撃墜したグレイズからバトルアックスを拝借して飛び立てば、左右の二機は急速に離脱していく。三機とも装備は同じ。

 向こうのアガリはシャトルの拿捕か撃墜。一方こちらはシャトルが強襲装甲艦ウィル・オー・ザ・ウィスプへ到達すること。敵は三から一減って二、しかしシャトルの対向から飛来する新手が三、合計五機。そしてこちらの兵装は三〇〇mm滑腔砲とバトルアックスが一本。

 ならば取れる手はひとつ。

 シャトルを追う三機編隊のうち最奥の一機、ブレードアンテナ付きの一番偉そうな機体に滑腔砲の照準を定め、発射。

 当たった。装甲は貫通しない。しかし指揮官機らしきそれはAMBAC機動で――足を大きく振って逆さまの姿勢で――反転。頭部のセンサーカバーを開いてこちらを睨んだ。

 

(釣れた)

 

 そう、確信した。

 メインスラスターの青い爆炎が奴の背後に散る。向こうもタダでは墜ちてくれないらしい、連続したバレルロール*1でこちらの偏差射撃を妨害しつつ、一二〇mmライフルのバースト射撃で牽制を加えてくる。そのわずかな間に取り巻きの二機に反転を許した。

 

「うかつか」

 

 思わずそんな声が漏れた。今の機動だけで反撃のための時間を稼がれた。さすがギャラルホルンというべきか。MSの運用は彼らの最も得意とするところだ。

 戦況は厳しいがこれでいい。シャトルが船へたどり着ければ構わない。

 バルバトスを反転させ、スロットルを開放。ツインリアクターシステムの生み出す莫大な熱量が推進剤を急速に膨張させ、背部のノズルが爆発力を推力へ変える。

 逃げに転じれば案の定、三機のグレイズが教科書通りに放った曳光弾の無数の軌跡が機体を追い抜いていく。今度はこっちが時間を稼ぐ番だ。

 先ほどやられたバレルロールで射撃を回避し、時折気まぐれに姿勢だけを転回させて砲撃を加えてやる。弾は温存して、しかし敵が無視できない程度に。

 

「よし、こっちに来い……」

 

 グレイズは速い。シングルリアクター機にも関わらず推力はバルバトスを上回るようで、スラスターを全開にしてもじりじりと距離を詰められている。

 それだけではない。奴らの背部メインスラスターユニットは左右のエンジンが別々に稼働し、細かな切り返しまで素早いときた。こちらが勝っているのはマニピュレーターのパワーくらいなものだが、バトルアックスなどという初めて扱う得物で複数に接近戦を仕掛ける気にはなれなかった。

 MSの数も質もギャラルホルンが上だ。しかし、パイロットはどうだろうか。

 確かにグレイズのパイロットは強い。三〇〇年に及ぶMSの運用経験をもとに作り上げられた戦術教本、その内容を忠実に実行する機動は恐ろしく堅実で、昨日今日MSに乗り始めた素人に崩すことは難しい。

 だが、こちらには阿頼耶識システムがある。阿頼耶識がもたらす機体制御プログラムに頼らない機動は彼らの教本にはない。個人差があまりに大きすぎるからだ。

 

「だから――」

 

 バレルロールをすっぱり止めて新たな機動へ。

 回避運動をやめれば敵の射線がこちらに合う。

 

「こうするっ!」

 

 その瞬間、大きく身をよじった。

 ライフルの砲口が光る。曳光弾の色とりどりの光が瞬く間に――否、瞬きよりも早く後ろに流れていく。

 それを認識するかしないかという内に指揮官機へ射撃。弾着をバックビューで観測しながら砲の反動を利用して身を翻し、急加速。

 

 脇の下に冷たいものが流れるのを感じながら三日月は笑った。不恰好な、緊張の入り交じる強ばった笑みだったが、彼は確かに笑うことができた。

 やはり奴らは阿頼耶識を知らない。普通の機動をしていたら間違いなくライフルの餌食になっていただろうが、機体制御プログラムにない即興の動きなら奴らは対応できない。

 

「これならやれる」

 

 三〇〇年の時を経てバルバトスは駆ける。

 戦闘はまだ、始まったばかりだ。

 

 

§

 

 

 ビスコー級は小型の巡洋艦(クルーザー)だ。大型艦の目が届かぬ敵に速力にものをいわせた奇襲をかけ、偵察を行い、追っ手を二機のMSで返り討ちにしてしまう。逃がせば最後、哀れな無法者は警備艦隊の餌食だ。

 

「ボードウィン特務三佐、会敵しました」

「見ない機体だな。照合できるか?」

 

 不明機(バルバトス)の遅滞戦術は見事なものだった。発進直後に一機を沈め、シャトルが艦へ到達した後、接近戦を仕掛けたコーラルを仲間の鹵獲機と共闘して撃破してみせた。その後、動揺して動きの鈍った二機を仲間から渡されたメイスで叩き潰して今に至る。

 ガエリオのシュヴァルベ・グレイズとアインのグレイズ、残った戦力はこれだけだ。

 

「距離ありますが、エイハブ・リアクターの固有周波数は拾えています。波形解析、データベース照合中……出ました!」

 

 表示された名は、ガンダム。

 その名前を見た途端、マクギリスの中に暗い熱が生じた。幼い憧憬と憎悪が不意に蘇った。

 初めてその名を伝承に読んでから、ずっとずっと焦がれていた名だった。

 

「ガンダム・フレームだと?」

「個体名はバルバトス。マッチングエラーでしょうか? 厄祭戦前の古い――新たなエイハブ・ウェーブ! 上方です!」

 

 無粋な乱入にわずかな憤りを感じて顔をあげるも、そこには特に何も見当たらない。上方に見えるのはCGSのウィル・オー・ザ・ウィスプとオルクス商会の強襲装甲艦、それと亡きコーラルのハーフビーク級戦艦だけ。

 

「どこからだ?」

「解析中です。船の波でもこんなに遠くちゃあ……」

「解析を続けろ」

「はっ」

 

 沈黙が続く。マクギリスのプレッシャーを受け取ったのか、解析を進めるオペレーターの表情は固い。しかしその顔は、徐々に訝しげなものに変わっていった。

 

「波源は敵艦艦尾と判明」

「なぜだ?」

「不明です。敵艦の周波数とも違うようですが……データベースに該当あり! えっ? でもこれ、ですがこれは」

 

 そのデータを開いた途端、彼の顔から血の気が引いた。絶対の恐怖に体を硬直させていた。

 使い古された表現を用いるなら、まるで蛇に睨まれたカエルのように。

 

「どうした? 正確に報告しろ」

「ほ、報告します。該当個体名……」

 

 それは、禁忌の名。

 それは、財団の呪い。

 

「熾天使級MA(モビルアーマー)、ルシファーです」

 

 それは、ヒトの罪。

 

 

第五話 青黒い宇宙

 

 

「状況は?」

 

 艦長席に腰掛けたオルガの声がブリッジに響く。そこにいた彼らは皆、その声に安堵した。誰もがオルガの声を聞いて戦ってきたのだ。やはり彼がいなくては始まらない。

 そんな不思議な高揚感に包まれたまま、チャド・チャダーンは言う。

 

「後方からオルクスの船がまだついて来やがる」

「ガンガン撃ってきてるぞ! ったくいい加減にしなさいよ!」

 

 ダンテの喚き声にも似た報告にオルガが「こっちからも撃ち返せ!」と指示を飛ばせば、

 

「おい! なんでここにいる!? 静止軌道で合流だったはずだ!」

 

 と、トドが案の定がなり立てる。くだらない策を弄した結果、ことごとくが裏目に出た様はいっそ哀れだった。

 しかし、そんな裏切り者を許すほどCGSは甘くない。哀れに思うその心は、滑稽な芸を笑うものに近い。

 

「これまでにお前が信用に足る仕事をしたことがあったか?」

 

 だからオルガはこう言った。

 

「倉庫にでもぶち込んどけ!」

「てめぇ許さねぇぞ!」

 

 負け犬の遠吠えなぞどこ吹く風。シノに拘束されてブリッジから叩き出されるトドに、オルガは目も合わせなかった。そんな瑣末事は意識から外れていた。

 息つく間もなく艦が揺れる。後ろから突き飛ばすような断続的な衝撃は、ここが砲弾飛び交う戦場であることを誰よりも雄弁に語っていた。

 

「クーデリアさんは危ないから奥にいてください! アトラも!」

 

 ビスケットがそういうが、

 

「私はこの目ですべてを見届けたいのです」

 

 こんな文言をまっすぐな目と一緒に返されては、あるいは説得している間もないくらいに緊張した状況が続いていては何も言えなかった。

 そんな中、ビスケットが見ていたモニターの中のバルバトスが大きく態勢を崩す。肩部への被弾だった。

 

「あっ、三日月が!」

 

 知らない者が見ればそのシーンはかなりショッキングなものだったのだろう、アトラが小さく悲痛な声を漏らす。

 

「大丈夫、表面温度的にナノラミネート反応失効率は二〇%切ってる。これなら近づかなきゃ撃ち抜かれない」

「でも……」

「きっと勝つよ。僕らが勝たせる」

 

 ビスケットの言葉は、この場にいる少年たちの総意と言ってよかった。今、彼らはひとつだった。

 

「ヤマギにアレを準備させろ」

 

 早速オルガは勝たせるための策を使うことに決めたらしい。この思い切りの良さと決断の早さ、やはり彼は参番組隊長だ。ビスケットはそう確信した。

 

「売り物を?」

「ここで死んだら商売どころじゃねぇ。昭弘、頼めるか?」

 

 昭弘の返答は、離席。小さく頷いてブリッジを出ていく。言葉はなくとも、厚い信頼が両者を結んでいた。

 

「で、こっちはどうする。振り切れねぇのか?」

 

 ユージンの指摘にビスケットが答える。

 

「一度高度を下げた分、向こうの方が速いんだ」

「なら真っ向から撃ち合おうぜ!」

「回頭するにしても加速を止めたらそこで!」

「ビスケット」

 

 オルガの唐突な声に両者は黙る。呆けたように遠くを見つめたまま、彼は言葉をつなぐ。

 

「アレ、使えねぇか?」

 

 視線の先には、宇宙に浮かぶ岩塊がひとつ。

 

「資源採掘用の小惑星……使うってまさか!?」

 

 ビスケットの予感は悲しいことに当たってしまったようだった。オルガは今、ものすごく()()()をしている。

 

(なんでウチの隊長は)

 

 こんな悪魔的な策を思いついてしまうのだろう。ビスケットはひとり頭を抱えた。オルガの考えに大体のアタリが着いてしまう自分も、なかなか彼に染まってきたなと諦めながら。

 

「なんだオルガ、またブッ飛んだこと思いついたのか?」

 

 オルガの背後で底抜けに明るい声があがった。シノだ。彼は平時と微塵も変わらず、

 

「俺も混ぜろ!」

 

 こんな調子である。揃いも揃ってバカばっか、みんないつだってこうだ。どんな窮地に陥っても、オルガを信じて着いてきてくれる。どんな逆境もバカ笑いして跳ねのけてしまう。

 だから自分も笑おう。こんな壁すら超えられないようじゃどの道やっていくことはできない。だったらやるだけやってやろうじゃないか。

 

「確かにできるよ。アンカーは十分耐えられる。でも問題は離脱だ。船体が振られた状態での砲撃はあてにできないから……例えば、誰かがモビルワーカーでアンカーの接続部に取り付いて、爆破するとかしかない」

「やっぱ帰っていいか?」

「てめぇコラ!」

 

 即座に手のひらを返したシノをすかさずユージンがシメる。こんな状態でも漫才をやる余裕があるあたり、二人もなかなか豪胆な男である。

 

「いででででで冗談! でもこりゃマジで自殺行為だぜ? 誰がやるよ」

 

 ヘッドロックをかまされたままのクセになかなか説得力がある。喋る間にも首を引っこ抜こうともがいているせいでかなり見苦しいことになっているが。

 

「そりゃもちろん――」

「てめぇは座ってろ」

 

 艦長席から腰を浮かしたオルガを制止したのは、珍しいことにユージンだ。彼はシノの頭をすっぱり放して言った。

 

「大将っつうのはでっかく構えとくもんだろうが。ノコノコ出て行くなんてみっともねぇマネは俺が許さねぇ!」

 

 その瞬間、ブリッジは異様な静けさに包まれた。なにせオルガへことある事に――文句を垂れる程度とはいえ――反発してきた、あのユージンがそう言ったのだから。

 純粋な驚嘆の静寂、その居心地が相当悪かったのか、彼はさらに言葉を繋げる。

 

「テメェらもだ! なんでもかんでもオルガに頼ってんじゃねぇぞ!」

 

 オルガは黙ってその声を聞いていた。やがて右目をつむって、開いて、

 

「やれんだな?」

「俺らに黙って船まで用意しやがって。俺にも仕事させろ」

 

 どうやらオルガは仲間に恵まれているらしい。

 本当に。

 

 

§

 

 

「ライフルとアックス、それとロケットランチャーだ。増槽も頼む」

『はっ』

 

 ライフルは右腕、ロケットランチャーは左腕へ。最後にバトルアックスは脚部サイドアーマーのハードポイントへ。最後に円筒型のプロペラントタンクが二本、腰のハードポイントに接続される。

 

『リアクター出力、発進規定値へ到達。チェックリスト、オールグリーン』

 

 ルシファー。その名を聞いて確かめられずにはいられなかった。

 ガエリオとアイン、そしてガンダムのエイハブウェーブは正常に解析できていた。少なくとも、機材の不具合で説明できる事象ではない。

 

『プレヒート終了まで一〇、九、八……』

 

 MA(モビルアーマー)――。

 かつての人類の四分の一を抹殺した兵器である。エイハブリアクターによる半永久的な活動時間と、子機プルーマによる物量戦術と自己修復能力。そして原理不明のビーム兵器。

 

(そして何よりも)

 

 高度なAIによる完全自律戦闘。故に奴らは休むことなくヒトを殺し続ける。行き過ぎた機械化と自動化の果てに誕生した、究極の兵器だ。

 仮にそんなものが、それも最も脅威度の高い熾天使級が現代に生き残っていたとすれば、呑気にクーデリアを追い回している場合ではない。最悪の場合は火星を放棄してでも、月外縁軌道統合艦隊と地球外縁軌道統制統合艦隊が共同して敷く防衛線に合流する必要がある。

 

『プレヒート終了。全接続解除。発進を許可します』

「了解。マクギリス・ファリド、シュヴァルべ・グレイズ。発進する」

 

 大きく口を開けたハッチから正面へ打ち出され、そのまま加速。背部のフライトユニットは今日も素晴らしい推力をくれる。

 グレイズの操縦レスポンスは、マクギリスからしてみれば鈍重そのもので辟易とさせられるものだ。しかし、このシュヴァルべタイプの推力だけは評価していた。それでもリミッターをカットして絞り出したパワーにやっと満足する程度だが。

 

(ガエリオは)

 

 見たところ問題はない。ガンダムの妙な機動に翻弄されているのは事実だが、彼はシュヴァルべ・グレイズを任されるほどのエース、引き際は心得ている。それに新手の鹵獲機の動きはすこぶる悪い。宇宙で溺れるような素人など数には入るまい。

 

(ならば)

 

 二機を素通りして船を狙う。鹵獲機のグレイズがさせじと迫るが、振り向きざまにライフルの砲撃を加えて強引に沈黙させる。

 

「そこまでもろいか?」

 

 補修したらしい白い頭部は、砲弾の直撃であっけなく吹き飛んだ。反応すらできていなかったのか回避運動の形跡すらなかった。やはり素人、これならいないのと一緒だ。

 機体はすでに資源採掘衛星が停泊する宙域へ差し掛かっていた。

 強襲装甲艦の全長を優に超える巨大なひとつを中心に、MSの大きさを超えるか超えないかといった直径の小さな衛星群が取り巻いている。敵艦はエリアの中心、最も大きな衛星に向かっていた。マクギリスはちょうど艦の後ろを取った形である。

 

(速力は……足りんか。ならば)

 

 彼は唐突に機動を変えた。僅かに斜め方向への推力を加えてラインを変更。しかし、この機動で直進すれば目の前の岩塊に半身が激突することは間違いない。

 機体はフルスロットルを維持したまま、とうとう衛星に片足が触れた。

 

 縮めた右足、その足裏が。

 衛星を、蹴り飛ばした。

 

 反作用で急加速した機体をAMBACとバーニアスラスターで微調整し、再び手近な岩を蹴る。また微調整して蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。

 異常な機動だった。軌道に沿って恐ろしく複雑に飛び回り、入り交じる衛星群の動きを正確に読み、あまつさえ蹴り飛ばして速度に変えてみせる。もはや無謀極まりない曲芸飛行の類である。

 だが見返りは大きかった。MSの域をはるかに超えた速力を得た機体はウィル・オー・ザ・ウィスプの艦尾へ到達した。そこから上面に回ってさらに加速。対空砲が今更稼働を始めたがもう遅い。

 艦の最上部の、一ヶ所の装甲ハッチ。艦尾多目的格納庫へ通じるそこへロケットランチャーを発射する。肩部に懸架ラックを持たないシュヴァルべ・グレイズがこれを撃っても命中率は低いが、マニピュレーターで触れられるほどに近ければ関係はない。

 

(MAなら船に反応するはずだ。ならばなぜ?)

 

 行動原理はこれが全てを占めていた。MAは友軍の、すなわち同じMA以外のあらゆる固有周波数に反応する。仮にルシファーがこの中にいるのなら、船のリアクターに反応して内側から食い破ってこなければおかしい。明らかな矛盾を抱えているのだ。

 

 二発、三発と撃ち込んでようやくナノラミネート塗料が剥離しだす。ランチャーを腰部のハードポイントへ接続し、代わりに抜いた斧をヒンジがあるであろう場所へねじ込む。繰り返し刃を打ちつければ塗膜の剥がれた外殻は徐々に徐々に歪んでいき、ついに粘つく装甲板には完全に穴が空いた。

 露わになったヒンジにライフルを一発。フリーになった装甲シャッターを持ち上げ、中へ。行く手を塞ぐ機体昇降用リフトをライフルで撃ち抜く。空いた穴に斧を振るう。

 身をひねるように即席の入口から侵入。

 こじ開けた先に、それはいた。

 

 どんなフレームにも一致しない大柄な体躯。

 有機的な線を描くパネルラインと、それにそぐわない無骨な背部アンテナ。

 そして何よりも、側頭に戴く二本の角。

 

 片膝をついて佇む美しい機体。波源はこれだと探知機は告げている。MA(モビルアーマー)では、ない。

 

(これは……)

 

 矛盾を解明するために侵入した先で、さらに矛盾が増えた。マクギリスの思考は一瞬、硬直する。

 MA(モビルアーマー)の固有波形が、MA(モビルアーマー)ではないものから出ている。その理由はなにか。

 

 可能性その一、リアクターの載せ替え。ルシファーのリアクターをMSに搭載した。

 確かにどんな物にリアクターを繋ごうと固有波形は変わらない。波形という観点から見れば、これが最も現実的な可能性だ。しかし、CGSはMS運用ノウハウを持たない民間軍事会社。専門的な知識と高度な技術を要求されるリアクタースワップなどできるはずがない。

 

 可能性その二、エイハブウェーブ探知機のエラー。機材が存在するはずのない波形を拾ったような挙動の誤作動を起こした。

 これは念の為候補として挙げただけで、可能性自体は極めて低い。なぜならビスコー級の探知機はガエリオとアインの波形を正常に観測できていた。そして、仮に船の探知機が故障していたとしても、シュヴァルべ・グレイズの探知機はルシファーのエイハブウェーブを捉えていた。同時に、全く同じ誤作動を起こすなど現実的ではない。

 

 可能性その三、これがルシファーである。ルシファーは人型のMA(モビルアーマー)だった。

 もはや論外である。先述した通り、MA(モビルアーマー)ならとうの昔に船の信号に反応して暴れているはずだ。よってこれはありえない。

 

 今思い当たるどの可能性にも合致しなかった。MA(モビルアーマー)であることはありえない。しかし、MSであるとも言い難い。ならば、これは一体?

 

 急に機体が左に振られた。姿勢をスラスターで修正するも、強烈なGが機体を拘束する。

 

「船がか? この宇宙でか?」

 

 機体を振り向かせれば、自らがこじ開けたハッチから、白飛びしたような衛星の岩肌が見える。間違いない。船体が振られている。地表がみるみる近づいている事実を認識すると同時に、体は勝手に機体のスロットルをあおっていた。

 狭くいびつな穴に機体を滑り込ませようと床を蹴った瞬間――がくん、と機体が引っかかった。干渉するものなど何もなかったはずだと思い、下を向くと。

 

『こちらギャラルホルン所属宇宙軍機である。貴官、マクギリス・ファリド特務三佐の行為は、軍法二〇五条第二項:あっせん収賄罪に抵触している』

 

 美しい機体は、その手でこちらの脚を掴んでこう続けた。

 

『貴官の罪状は告発される。直ちに投降せよ』

 

 

§

 

 

 自分の予想を超えて「なんでこうなった?」と。そう言いたくなる出来事を体験したことは、決して少なくない。

 大抵は仕事先で肉盾役を押し付けられて、そこでオルガが奇策を思いついて、それでどう考えても死ぬしかない状況で何故か生き残れてしまって、「なんでこうなった?」とつぶやく。だがそれもいつしか特別なものではなくなっていき、そのフレーズもすっかり忘れていた。

 

「なんでこうなった?」

 

 それが久しぶりに口から出てきた。

 ユージンの脳は今、完全にパンクしていた。

 資源採掘衛星にアンカーを撃ち込んで戦艦ドリフトかますから、そこの根元をMWで爆破して引っこ抜く。そんな無茶な仕事をやるはずだった。

 なのに何故、

 

『貴官の罪状は告発される。直ちに投降せよ』

 

 ガンダム・サタンに乗り込んでいるのだろう。

 まず、MWに乗り込むべく艦尾の格納庫に来た。そうしたらなぜか青いグレイズがハッチぶち抜いて入ってきた。ビビってサタンの脚の陰に隠れていたら、そこにいたら死ぬかもしれないからコックピットに入れ、といった趣旨の接触通信が入った。それでグレイズが後ろ向いた隙にコックピットに滑り込みセーフ、縦型複座の前の席に座ってガタガタ震えていたら、サタンが阿頼耶識システムを繋げと言ってきて、それで言われるままに繋いだら機体が勝手に動きだした。

 

 状況を整理しても、やっぱりなんでこうなったのか全くわからない。

 

 ユージンは乗り込んだことを後悔していた。無我夢中だったとはいえ、MWに乗れなかった。アンカーはどうなる。船はどうなる。そんな思考が頭を埋めつくしていた。

 心臓が痛いくらいに打った。動悸がした。

 敵はそんな内心など露知らず、サタンに右脚を掴まれていたグレイズは脚部装甲を切り離して格納庫から脱出。それを追ってサタンも船を飛び出す。勝手にとんでもない動きをされるせいで吐き気がする。人生初の乗り物酔いである。ノーマルスーツを着ている今、吐くのは割とシャレにならない。

 

「ちょ、ちょっ待てって! アンカーは!?」

『理解している。オーダー001に基づき、出力制限を限定解除。出力レベル:(ファイブ)

 

 一丁前に会話をこなすMSに若干の困惑を覚えている間にもサタンは加速する。MSとはここまで速いものだったか。信じられない速度で周りのものが視界の後ろに流れていき、信じられない機敏さで機体の向きも機動も変わる。目が追いつかない。

 ユージンは起こっていることを半分も理解できていなかった。突き上げるような振動と極めて近い地面から、なんとなくサタンがアンカーを刺した衛星に着地したことが分かった。

 瞬間、爆発的な加速。首が外れるのではないかと思うほどのGを受けたと思えば急停止、ちょっとした交通事故並の勢いで体が前に持っていかれる。パイロットがむち打ちなどの怪我をしたり、意識を失ったりしないギリギリのラインを攻めているのがまたタチが悪い。

 

 目の前に太い、鈍色のワイヤー。

 

「アンカーか!」

『肯定』

「あっでも、武装が」

『不要』

 

 そんなことを言ったかと思えば、何を考えたかサタンは太いワイヤーを両手でがっちり掴む。

 

(指回んのか)

 

 とうとう焦燥が限界を超えたユージンに若干ズレた感想が浮かんだ。サタンは膝を曲げ、跳躍。持ち前の膂力で苦もなくアンカーを引き抜き、そのまま飛び立つ。

 

「よっしゃあ!」

『否定。推測:抜錨タイミングの遅延により軌道修正が必要』

「えっ!?」

 

 喜んだり顔を青くしたり忙しいユージンを放ってサタンは駆ける。眼前のウィル・オー・ザ・ウィスプの鼻先は岩肌へ向いていた。

 

『高G機動にご注意ください』

「今のは違ぇのかよ!」

『慣性・重力制御システム、出力最大』

 

 それを聞いてユージンは声にならない唸り声を垂れ流した。みるみる近づく赤い船の横っ腹。目を固く閉じ、意味のない操縦桿を握り締め、この絶叫マシンが止まってくれるのを祈るしかなかった。

 すぐに衝撃が来た。薄く目を開けると、サタンの手と赤い装甲がモニターいっぱいに見える。そこでやっと、この機体がやらかそうとしていることを理解した。

 

「無茶! 五万tだぞ!」

『出力制限を再設定。出力レベル:(テン)

 

 機体のそこかしこから何かがきしむ音がする。リアクターの甲高い稼働音がコックピットに轟く。ありえないことに、ついている手が少しづつ装甲にめり込み、埋没していった。馬鹿げた推力に船側が負けているのだ!

 

 近づく地表、変わる軌道。

 衝突を回避するにはまだ足りない。コックピットには無情にも赤や黄色のアラートメッセージが現れ始めていた。しかし限界を迎えてなお、サタンは最後まで離れなかった。

 

『フォトン・キャパシター残量〇%。エイハブリアクター連続稼働限界まで二〇秒。バイタルチェック:イエロー』

 

 そんな彼の尽力が少しでも認められたのか。

 ウィル・オー・ザ・ウィスプは左舷のエンジン区画で衛星をわずかに削りながら。

 回頭を、成功させた。

 

 

§

 

 

 格納庫へのMS侵入と、それに伴うアンカー巻き取りの遅延。誰もが死を覚悟し、事実、予想進路は衛星への衝突を示していた。

 はずだった。

 

「アンカーが抜けた!」

 

 ビスケットがそう叫んだ。あまりに遅すぎる吉報だった。ブリッジのモニターは、近づく地表を残酷に映していた。

 操艦を担当するチャドは考えるよりも早く修正舵を当てていた。だが、操縦桿に返ってくるフィードバックは衝突のビジョンをより鮮明にしただけだった。

 オルガは歯をむき出して笑っていた。

 

――大将っつうのはでっかく構えてるもんだろうが――

 

 ユージンの言葉を実行したのだ。たとえ道が潰えても、最後まで彼は隊長であろうとした。それがオルガ・イツカだった。

 

「……あれ?」

 

 その決死の空気を打ち破ったのはチャドの声だった。ある種気の抜けた軽い声は、ブリッジにこの上なくよく響いた。

 

「押されてる? 回頭してる!」

 

 それはまさに光明だった。急に増大した姿勢制御スラスターの推力が、船を最悪の結末から救ったのだ。

 後はみな無我夢中だった。これは幻ではないかと心のどこかで思いながら、オルクス商会とギャラルホルンの船をニアミスし、逃走に成功した。

 

「ビスケット、追撃は?」

「来てない。俺たち……勝っちゃった」

 

 夢心地とは、まさにこの事だろう。緊張の糸が切れたブリッジには、薄ぼんやりとした充足感が染み渡っていった。

 

「なぁ、ユージンは?」

 

 ダンテのその言葉が先か、それとも皆が格納庫へ走り出すのが先か。ブリッジを飛び出した数人の少年は、道中数をみるみる増やし、格納庫へ着いた頃には数十人の大所帯と化していた。

 ビスケットはそんな集団の先頭でめいいっぱい声を張り上げる。

 

「ここから先の隔壁は気密が抜けてる! ノーマルスーツを着てない人は入らないで! 僕らが見てくるから!」

 

 青いシュヴァルべ・グレイズは侵入の際、装甲ハッチを完全に破壊していた。戦闘の直後、応急処置も施されていない格納庫は当然だが真空となる。駐機くらいはできるが、整備は艦底の格納庫で行わなければならない。勝利と引き換えに失ったものは大きい。

 人だかりの先頭にはオルガもいた。ユージンが生きているにせよ死んでいるにせよ、彼は自分の命令で動いた。だから見届けなければならない。そんな矜恃が彼をそこに立たせていた。

 

 二重隔壁のエアロックを通って、格納庫へ。

 

 中は惨憺たる有様だった。昇降リフトは大穴が開き、その直上にある空きっぱなしのハッチを通して宇宙が見えてしまっていた。強引に着床したグレイズが蹴散らしたのか、綺麗に並んでいたMWは配置が大きく崩れ、その内数機が完全に踏み潰され、ひしゃげている。

 ユージンのMWはその中にいた。全高がもとの五分の一程度に圧縮され、床にこびりつくように擱座していた。コックピットの様子は想像に難くない。ほとんどの照明が落ちて中身が見えないのがせめてもの救いだった。

 

 オルガ・イツカは仲間の死をいくつも見てきた。死体すら残らない者など何人もいた。死は日常のものであり、しかし決して麻痺などしない。

 宇宙に音はなかった。ただ、オルガには自らの呼吸だけが聞こえていた。決死の命令を下し、見事に部下を犬死させた自分自身の。

 

 だからこそ、彼はその異変に真っ先に気づけた。床が揺れている。小さく、断続的に。震源は格納庫の壁だ。

 

「揺れてる。分かるか?」

 

 振り向いてビスケットとシノを見た。

 

『えっ?』

『……本当だ。けどなんで?』

 

 振動は徐々に大きくなっていった。震源が近づいている。壁を伝ってゆっくりと。

 

『ん? おいなんか揺れてっぞ!』

『今言ったよ!』

 

 その正体は、ハッチより這い寄る巨大な人影。それはまるでヒトのように壁を伝い、真空を遊泳してきた。

 オルガがライトをそれへ向ける。大穴の空いた昇降リフトをくぐって出てきたその顔は、側頭から二本の角が伸びていた。

 

「お前が……」

 

 ガンダム・サタン。その機体は三人に目もくれず、積み込まれた時と寸分違わぬ場所に片膝をついて駐機する。そして、コックピットが開いた。ヒトが乗っているのだ。

 

 見慣れたノーマルスーツと、その背格好。

 

『へへ……俺、俺生きてら……』

 

 地に足を着いた瞬間、オープン回線を開きっぱなしに、情けない四つん這いの格好で放ったその声は。

 

『ユージン!』

『おぉぉぉ! 生きてる!』

 

 ビスケットとシノがユージンに駆け寄る傍ら、オルガはただ立ち尽くしていた。ガンダム・サタンを、その手に持つライトで照らしながら。

*1
主に航空機が空中で行う機動のひとつ。仮想の樽(バレル)をなぞるように螺旋を描いて飛行することをいう。この場合は進行方向を絶えず変え続けることで三〇〇mm滑腔砲の偏差射撃を回避するために使用された。




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