機械とヒトと。   作:千年 眠

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第七話 鞭撻

『人の船を勝手に乗り回しやがって! この泥棒ネズミどもが!』

 

 半歩踏み出せば熱い口付けだって交わせそうな近さにあるおっさんの顔面など誰だって見たくない。オルガが「ユージン」と名前を呼べば、彼は主モニターに特大サイズで映ったそれを、最小サイズに変えて自らのモニターに移すという粋な心遣いを見せてくれた。

 

「アドモスさん。LCSの信号、解析できますか?」

 

 ビスケットの指示を受けたフミタンが小さく頷き、ほどなくして主モニターに相対座標が表示される。

 現在、強襲装甲艦ウィル・オー・ザ・ウィスプは所属不明艦からの停船信号を受け、第二種戦闘配置にある。いつ相手が仕掛けてきても戦える配置だ。もし戦闘に発展すれば、これが少年たちだけでは初めての真正面からの艦対艦戦闘となるだろう。撤退戦は上手くいったが、攻勢作戦ではどう転ぶかわからない。命のやり取りに油断は許されない。

 

「方位一八〇度。距離六二〇〇。相対速度、ほぼ一致しています」

「まずいな、完全に後ろを取られてる」

 

 考えうるかぎり最悪に近い位置関係だった。

 いくら装甲された軍艦といっても、推進器が集中した後部は弱い。メイン、バーニア問わずスラスターが多く損傷すれば、当然ながら満足に軌道を変えることもできなくなる。そうでなくとも弾薬庫や推進剤タンクなどの重要防御区画(バイタルパート)*1を除けば、側面や後部の装甲は正面に比べるとどうしても薄く、貫通されやすいのだ。

 

「嘘だろ、エイハブ・ウェーブの反応はなかったぞ」

「そういうのが上手いって事は、きっと面倒な船なんだろうね」

 

 チャドと三日月の言う通り、今回は完全にしてやられた形だ。それにこの船は火星軌道上での戦闘で、艦尾多目的格納庫へ通ずる上部ハッチを破壊されている。開きっぱなしのハッチを晒していては、敵にどうぞ侵入してくださいと言っているようなものだ。

 

『ガキども聞いてんのか!? 船を止めろ! 今なら楽にぶっ殺し――』

『ちょっとどいとけ、おっさん』

『あっはい……』

 

 不明艦からの通信に違う声が混じる。マルバを顎で使えるとは、中々大きな組織の者のようだが果たして。

 

『さっきからさっぱり話が進んでねぇ。あくびが出るぜ。なあ?』

 

 宙域図を上書きして現れたウィンドウに身綺麗な男が映った。いかにも高そうな白いスーツに青いYシャツ。そしてスーツと同色の中折れ帽。荒事をやるような出で立ちではない。そして服の汚れもない。ということはつまり、CGSのような民兵組織や海賊の類ではない。しかし、立派な強襲装甲艦を持っているということはやはりカタギのものでもない。それだけでオルガにはおおかた予想がついた。この男はマフィアだ。

 

「あんたは?」

『俺? 俺は名瀬・タービンだ。タービンズって組織の代表を務めさせてもらっている』

「代表、オルガ・イツカだ」

 

 こういう時に正々堂々名乗れる社名を用意しておかなかったのは失敗だったかもしれない。今更ながらオルガは少し後悔した。いい名前が思いつかなかったために、横着して前の名前を使い続けているというだけの事で、まさかこんなくだらない弊害が出るとは思わなかった。

 なるべく早く、遅くともクーデリアの依頼を終えるまでには考えておかねばなるまい。男が喋っている間、そんなズレたことを考えた。

 

『このマルバ・アーケイとは前に仕事上の付き合いがあってな。んで、たまたま立ち寄った火星で久々に再会したんだが……えっらいボロボロでよ。話を聞けばギャラルホルンと揉めて困ってるって言うじゃねぇか。んで、俺らんとこなら奴らが手出し出来ねえようにもしてやれるんで、力を貸そうかって話になってたんだが……』

 

 タービンズはテイワズと盃を交わした組織だという。すなわち彼らは圏外圏最大級のマフィア、そのフロント企業のひとつというわけだ。ギャラルホルンと経済圏が表社会の政府なら、彼らはいわば裏社会の政府といえるだろう。

 

「最悪の展開だよこれは……テイワズまで敵に回したらおしまいだ」

 

 ビスケットが泣き言をつぶやく隣で、三日月はオルガを見ていた。オルガはまた、あの目で見られていた。

 

「いや、これはチャンスだろ。ちょうど後ろ盾が欲しかったところだ」

 

 鬼才のフリをする。強いオルガ・イツカを創りあげていく。こんなことをしていては遠からず破綻するだろう。しかし、それは今ではない。

 

『おいおい。俺と話してるときにコソコソやんな。男同士で仲良いなお前ら』

「おっとすまねぇな。続けてくれ」

『そうかい。……んで、手助けの駄賃は、CGSの所有物を全部うちで預かるって条件でまとまったんだがよ。調べてみたらどうだ? 書類上CGSは廃業。よりにもよって、資産は根こそぎ()()()()()()()新しい企業に移譲されてやがるときた』

「つまりあんたは、マルバから取り損ねたモンを俺らから取り上げに来たってわけか」

『そう構えなさんな。ギャラルホルンとの戦闘は見せてもらった。ガキにしちゃあ大したもんだ、どエラい切り札もあるみてぇだしな。資産の返還に応じてくれりゃお前たちのことも悪いようにはしねぇよ。うちの傘下でもっと真っ当な仕事を紹介してやる。命を張らなくていい、真っ当な仕事をな』

 

 ブリッジに小さな動揺が走った。破格の条件だ。これが本当なら、小破相当のボロ船で危険を冒して地球まで行かなくてもいい。それどころか、これからの人生の安泰が保証されると言ってもいい。全てから解放される。

 

『まっ、お前らも結構な大所帯だからな。この先も全員一緒ってわけにはいかねぇがな』

「あんた正気か?」

『冗談に聞こえたか?』

 

 当然、オルガは嘘を疑った。虫が良すぎる。そこまで自分たちを買う意味などどこにもない。しかし、どうも名瀬という男の言い分には、嘘と断じることができない確かな空気を感じていた。

 

「オルガ、もう……」

 

 これ以上ないほど良い条件を引き出せた。ビスケットの言葉はそういう意味に思えた。

 喉が渇いた。体の中に、痺れを伴う暴れる熱があった。オルガはもう十分だと思った。しかし喉が詰まったように声が出なかった。三日月がいたからだった。

 

「皆バラバラになるのは……やだな」

 

 熱された血が手の血管を無理に流れていた。終わりにしたくとも、できなかった。

 

「悪ぃなタービンさん。あんたの要求は飲めない」

 

 名瀬の口がさも愉快そうに弧を描く。気だるげな目がゆるりと開き、瞳孔だけが一瞬、剣呑に絞られ、すぐに元に戻った。なるほどマフィアだ。返答次第では命を取られる。そう錯覚しかねなかった。

 

「俺たちには先約がある。仕事を途中で投げ出すわけにはいかねぇ」

「あの! 私は地球までの護衛を彼らにお願いしています。今、CGSになくなられては困るんです」

 

 オルガの反論を裏打ちするようにクーデリアは言った。

 

『あんたがクーデリア・藍那・バーンスタインか。お嬢さんの件は複雑でな、マルバの資産って扱いだし……』

「資産? どういう意味だ?」

 

 名瀬は答えなかった。視線を外して顎をさすり、小さく何かをつぶやくだけだった。親父、という言葉が聞こえたがそれきりだった。

 

「あの、ひとついいですか?」

『ん? なんだ丸いの』

「ビスケット・グリフォンといいます」

 

 ビスケットがすかさず切り込む。画面の向こうで「わ、おいしそうな名前!」なんて声が聞こえてきたが、それは大事なことではない。

 

『そのビスケット君がなんだ?』

「今この場で、我々とタービンズの間で取引させてもらうことはできませんか? 俺たちはクーデリアさんを地球まで送り届けたいんです。この仕事を成し遂げるには、ギャラルホルンの監視を避け、地球まで航路を確保できる案内人がいります」

 

 今のところ名瀬は黙って聞いている。しかし、オルガが喧嘩を吹っかけたせいで心証がすこぶる悪くなっていることは言うまでもない。

 

「タービンズはテイワズの輸送部門を管理してるんですよね? その航路を使わせてもらえませんか? もちろん、相応の通行料はお支払いします」

 

 ビスケットが一文字一文字を声に発するごとに名瀬の眉間にはシワが寄っていった。駄目だ。オルガはそう思った。

 

『ダメだ! 話にならん!』

 

 案の定、この駆け引きは名瀬の逆鱗を刺激するだけに終わった。

 

「どうしてですか!?」

『火事場泥棒で組織を乗っ取ったガキがいっちょまえの口を利くなっ! 俺はな、さっきから道理の話をしてるんだよ』

 

 男が放つ空気は、すでに触れれば切れそうなほど鋭いものに変じていた。軽妙な語り口は見る影もなく、マフィアとしての側面があらわになっていた。いくつもの敵を食い殺し、のし上がってきたテイワズの姿がそこには見える。

 

「俺らを見殺しにした腰抜け野郎とは取引しといてそれを言うか?」

「あんな野郎より下に見られてるってのは面白くねぇ……!」

 

 ユージンとシノの堪忍袋の緒がとうとう切れた。端子(ヒゲ)を背中に埋められてから、彼らがずっと封じこんできた怒りだった。しかし、名瀬がそこに付け込まないはずがない。最後通牒を突きつける。

 

『じゃあお前らどうすんだ? ガキじゃねぇってんなら、俺を敵に回す意味くらいわかってんだろうな?』

「さっき言った通りだ。あんたの要求は飲めない」

 

 もう退けないところまで来てしまった。仮にオルガがここで名瀬に許しを乞うたしても、決して許されることはないだろう。不可逆の分岐をまた進む。間違えたとしても、二度と戻ることはできない。

 

「あんたの要求がどうだろうと、俺たちにも通さなきゃいけねぇ筋がある」

『それは……俺たちとやり合うって意味でいいんだよな?』

「ああ俺たちがただのガキじゃねぇってことを教えてやるよ。マルバ! てめぇにもな」

 

 ならばとことんやるべきだ。中途半端に道を間違えて、下手に元の道を探そうと歩き回ってそのまま死ぬのが一番みっともない。間違えたなら間違えたで、踏み外した先で新たに道を見つければいいのだ。「俺たちの居場所」への道はひとつではないはずだ。オルガは自身に喝を入れる。

 

「死んでいった仲間のけじめ、きっちりつけさせてもらうぞ!」

 

 止まることは許されない。走れ。

 

『お前ら、生意気の代償は高くつくぞ』

 

 通信が一方的に切られた。

 

「慎重にって言ったじゃないか! 交渉の余地はあったはずだ!」

 

 オルガには、ビスケットの顔を直視することがどうしてもできなかった。申し訳なくて、忍びなくて――

 

「わかってるけどな……通すと決めた筋は曲げられねぇよ」

 

 またひとつ、嘘を重ねてしまった。

 

「敵艦にケツを取られちゃいるが、俺たちの力を見せ付けるにはむしろ好都合だよな? お前ら」

 

 痛みを振り払ってオルガは声を張りあげた。「あたりめぇだろ!」「おう! 目にもの見せてやろうぜ!」息巻く仲間の声を聞いて、ここが戦場であることを心に刻む。

 

「テイワズとの渡りをつける千載一遇のこのチャンス、ものにするぞ!」

 

 発破をかけながら策を練る。現在の場、敵の手札、自分たちの手札。そして賭かっているもの。勝ちをもぎ取るためには何が必要か、そしてこちらにとっての負けとは何か――いつもやっていることだ。いつも勝ってきた賭けだ。

 

「エイハブ・ウェーブの反応確認。敵艦、加速して距離を詰めてくる!」

 

 チャドの報告に答えると同時に作戦が固まった。相変わらず命を屁とも思わない戦術だが、真っ当なやり方ではどのみち勝てない。

 

「よぉし、ブリッジ収納! 速度は維持して一八〇度回頭! 砲撃戦に備えろ!」

「これより本艦は戦闘状態に突入します。艦内重力を解除」

 

 正面の窓から見えていた宇宙は、船からせり出ていた艦橋が収納されると青黒いCGの空間へと変わる。船体各所のセンサーが捉えた映像には、こちらが観測できているおびただしい量のデータが併せて表示された。

 

「昭弘、出てくれるか?」

「ああ。任せろ!」

「ミカ!」

「もちろん」

「頼むぜ!」

 

 MS隊は士気旺盛。艦橋を出た二人を見送る暇もなく、艦長席正面、床からせり出してきたコンソールを手早く操作し、出撃の旨を格納庫にも伝えながらオルガは続々と命令を下す。

 

「シノも準備してくれ!」

「おうよ! 待ってました!」

「俺も行くぜ!」

「いや、ユージンは残ってくれ」

 

 俺も俺もといった具合にシノにつられて艦橋を飛び出そうとするユージンをオルガは慌てて制止した。隊長と副隊長が同時に死ぬようなことがあってはいけない。

 

「はぁ?」

「船を任せたいんだよ。ここを頼めるのはお前しかいない」

「お、おう……仕方ねぇな」

 

 そうはいうが、彼の口許がニヤついているのは誰の目にも明らかだった。船の操縦桿を握るチャドが、口の内側を噛んで笑みを殺しているのがオルガからも見える。

 彼らを死なせてはならない。

 

「悪かったな、ビスケット」

 

 艦橋を出る前にオルガは言う。彼と話せるのはこれが最後になるかもしれない。戦場に出れば、誰がいつ死ぬか分からないのだから。

 死は前触れなくやってくる。敵艦に乗り込む際、タイミングを誤って船体に衝突してバラバラになるかもしれない。銃撃戦になったら頭を撃ち抜かれるかもしれない。敵のMSに踏み潰されるかもしれない。

 ビスケットだって、敵艦を制圧する前にブリッジを叩き潰されるかもしれない。砲撃戦で撃ち負けるかもしれない。敵のMSに船へ侵入され、内側から食い破られるかもしれない。

 だからこれは、心から出た謝罪だ。

 

「もう退けないんだろ?」

 

 ビスケットは柔らかく笑った。オルガは一瞬だけ、ここが戦場であることを忘れた。失敗を許してくれる友が嬉しかった。

 

「ああ。だから力を貸してくれ!」

「わかってる」

 

 ウィル・オー・ザ・ウィスプが回頭を終える。正面に捉えた敵艦を一瞥して、オルガは艦長席を立った。

 

 

§

 

 

『空間相転移反応、一番炉二番炉共に正常。位相差修正:+〇・〇〇一九。定格出力まで七七七六。エイハブ粒子流速:九九%。リキッドメタル流量:一〇〇%。重力タービン回転数:二〇五二一。時空間歪曲、規定範囲内に収束。重力波伝播:正常。αナノラミネート反応を確認。αナノラミネート反応失効率:〇・三%。熱交換回路解放、メインスラスタ気化室内温度……』

 

 雪之丞の声ではなかった。

 リアクターの調整中だというバルバトスのコックピットからは、聞く者のいない報告が先程から続いている。

 機械的で平坦な男性の声には妙な反響とノイズが入っている気がした。

 出撃準備で慌ただしく人や機材が行き交う騒音の中、その声はピントが合ったようにやけに耳に入る。特別大きい声というわけではないはずなのに。聞き慣れない声だからだろうか。

 

「おやっさーん!」

 

 三日月はコックピットハッチの縁に捕まったままありったけの声量で叫んだ。

 眼下の整備班たちの中に姿は見当たらない。

 数珠繋ぎにした荷台に弾薬箱や冷却剤のタンクを満載したターレットトラックがバルバトスの足元を通り過ぎて後ろへ抜けていく。運転しているのはクランクと名乗っていたあの男だった。もう車両を任されるとは、なかなか真面目に働いているようだ。

 

「おーう、なんだぁ!」

 

 声はすぐ近くからした。今まさに知らない声がしているコックピットからだ。

 格納庫を見渡していた三日月が振り返ると、雪之丞はすでにハッチから這い出てきていた。

 

「お、近ぇ」

「出せる?」

「実はリアクター周りに手間かかっててな」

「動くんならいいよ」

「いやいやマジでもうちょっとだけ時間くれ! これで死なれちゃ寝覚め悪いぜ」

 

 雪之丞に手を差し出すと、彼は慌てた様子でハッチにしがみついてそんなことを言い出した。

 なんだかいつもと様子が違う。戦闘が始まっているのだから悠長に整備している暇などないのは彼が一番よくわかっているはずだ。

 三日月はもう少し強めに引っ張ってみることにした。胸部装甲の上に立ち、ハッチの縁につかまる雪之丞の指を丁寧に丁寧にひっぱがす。そこから手を滑らせて手首をがっしりと握りしめ、脚と腕両方の力で引っこ抜く。

 体は小さくても力はある。

 

「ちょ!」

 

 日々の筋トレの成果を遺憾なく発揮した三日月は雪之丞を外に放り出すことに成功。

 コックピットのシートに腰を落ち着け阿頼耶識システムの端子を接続。OSを起動するために正面のタッチパネル式ディスプレイを叩こうとしたところで大きな違和感に気づいた。

 

『リアクター出力上昇。定格出力まで七六二』

 

 黄緑色のボールがいる。口のような線を描く外板の接合面を境にして上下に開いており、無数のソケットが並ぶ開口部にはバルバトスのディスプレイ周辺から取られた配線が繋がっている。報告を読み上げる声色は外で聞いたものと同じ、低い男の声だ。

 

「は?」

 

 視線を感じて上を向くと、雪之丞がコックピットハッチの入口から覗いている。大きな体が凄まじく小さく見える。

 

「ソフトの調整がイマイチ分かんなくてよ……」

「なんでいるの? 置いてきたんじゃなかったっけ」

「いや……」

「この感じは……ハロが調整してるのか」

『スパインパルスシグナル認識。神経マップが登録されていません。フィッティング開始』

 

 宇宙に上がってからは一度もハロを見ていなかった。基地にでも置いてきたのだろうと勝手に思っていたが、ハロはちゃんとついてきていたらしい。

 いるならいると言ってほしかった。軌道上の戦闘で、コックピットに詰め込まれたままずっと敵襲を待つのは暇でしょうがなかった。話し相手がいればあそこまで退屈しなかったはずだ。

 

「終わった?」

『否定。駆動系及び制御系に異常あり。推奨:ソフトウェア修正の継続』

「ってことは出せないの?」

『否定。当該作業は戦闘と並行可能である』

「わかった。出せるってさ」

 

 唐突に話を振られた雪之丞はどぎまぎしながら頷いた。今日の彼は顔色が悪い気がする。宇宙酔いしやすい体質なのかもしれないと三日月は自分を納得させた。

 

「あ、ちょっと待て。ケーブル抜けたらまずい」

 

 離れる直前、雪之丞はそう言って腹巻の中から幅広い銀色の輪を取り出した。ゆるゆるとした速度で飛来するそれはどうやらダクトテープのようだった。

 

「それで適当なとこにくっつけといてくれ!」

 

 雪之丞の声は彼の体ごと機体から離れ、やがて喧騒に埋もれ、聞こえなくなった。

 適当なとこ。といっても兵器であるガンダム・バルバトスに余計なパーツなど一切ない。コックピットだってそうだ。シートに背中を預けてまっすぐ前を向いたところには正面モニターがあって、その両隣にはやはり左右を見渡せる側面モニターがある。

 三日月は阿頼耶識システムを持っている。そのため網膜にはガンダムが見ている全ての映像を投影可能だ。しかし、その機能が何かトラブルを起こした場合は、この三つの画面を頼りに戦わなくてはならない。そのためハロを置く場所はそれらに干渉しない位置が望ましい。

 少し悩んだが、結局ハロは正面モニター下、副モニターのすぐ上に括りつけることにした。ここなら干渉は最低限に抑えられる。ハロと副モニターをつなぐ配線がふわふわ漂ってうっとうしいのでそれも固定する。

 

「動くなよ」

『神経マップ作成完了――了解――パーソナルデータ登録完了。フィードバック最適化完了』

 

 無重量状態で好き勝手に浮遊するハロに銀色のテープをベタベタと貼り付けて仮止めをし、配線をディスプレイの縁に沿って固定する。

 ガンダムは背中をアームに掴まれ、うつ伏せの姿勢で電磁カタパルトへ運ばれている。

 昭弘のグレイズは先に射出されたようだった。

 

「すごい……感覚がどんどんはっきりしてきた」

『一番炉、二番炉、共に定格出力へ到達。阿頼耶識システム異常なし』

 

 副モニターと主モニターの間に挟まるハロに幾重にもテープを巻き付けていく。黄緑色の球体のほとんどが銀の帯に締めあげられ、まるでミイラのような姿になってしまった。

 両手で強めに揺らしてみる。ぐらつきはない。ただ少々視界を妨げている気もしなくはない。

 機体はすでに射出レーンに載せられ、発進の用意は万全だ。

 

『目標よりMSの出撃を確認。数は二です』

「わかった」

『いつでもどうぞ』

「んじゃあバルバトス、三日月・オーガス、出るよ」

 

 電磁カタパルトの莫大なローレンツ力が機体を急加速させる。本来ならば人間には到底耐えられるはずもない加速度に対して、コックピットの三日月に届くGはほとんどない。

 エイハブ・リアクターの慣性制御能力とはここまでのものなのか。三日月は網膜に投影された宇宙を見据えながら静かに驚嘆した。

 

「お待たせ」

『待っちゃいねぇよ。……顔見えねぇぞ。カメラのとこになんか置いてんのか?』

「あぁ、この空いてるとこってそうなんだ」

 

 背部のラッチに保持した三〇〇mm滑腔砲とメイスをサブアームから受け取り、昭弘のグレイズと編隊を組む。

 

『所属不明機のエイハブウェーブを検知。機体名:PL300ウージィ、HK-59/UTLドラド。推測:エセックス・ダイナミクス所属コロニー警備隊』

「それは何百年も前のでしょ?」

『なんだ今の声?』

「ハロ」

『ハロ?』

 

 メインカメラの倍率を上げてみると、瞬かない星に紛れて青白い尾を引いたMSがこちらへ接近しているのが見て取れた。どうやらじっくり説明している暇はないらしい。

 

「来た。悪い、後で話す」

『ふん……』

 

 ハロの調整を受けたバルバトスの機嫌はすこぶるいい。これなら前よりずっと戦えることだろう。

 三日月と昭弘はメインスラスターのスロットルを開いた。居場所を勝ち取るための戦いが、また始まる。

 

 

第七話 鞭

 

 

『ラフタ、船をお願い』

「えー船? そっちで行けない?」

『百里の方が速いでしょ』

「はーい」

 

 アジーの通信に投げやり気味に返事をする。

 MSの操縦桿に手をかけると、未だ乾いていなかったマニキュアのぬめりを指の腹に感じて、ラフタ・フランクランドは小さくため息をついた。手も足もベタつく。爪どころかノーマルスーツの裏地までピンク色になったことだろう。

 よりにもよって普段使いの安いものではなく、勝負服ならぬ勝負マニキュアとして奮発した一本一五〇〇ギャラー*2の高い方を塗ったのはまずかった。この無駄遣いは痛い。痛すぎる。

 

「ちょーっと八つ当たりさせてもらうからね」

 

 まだ見ぬ少年たちへつぶやくと、ラフタは自らが駆るMS、百里をスリープ状態から目覚めさせた。

 メインカメラが捉えた赤い強襲揚陸艦は艦首を反転させ、タービンズの旗艦であるハンマーヘッドとの熾烈な砲撃戦を繰り広げていた。

 大口径の主砲が放つ重質量弾は、装甲に着弾するとともに自身の運動エネルギーを熱に変える。自動車や列車のブレーキが急制動をかけた際に高熱を発するのと同じ摩擦熱の原理だ。

 発生する温度は数千度に及ぶ。熱とは分子の運動だ。熱の加わった氷が融けて水となるように、ナノラミネートアーマーの無敵に近い防御力の理由である複層分子配列は、熱によって徐々に配列を乱していくこととなる。

 ナノラミネートアーマーの堅牢さは時間制限つきというわけだ。

 

「弾幕薄いよサボってんのー?」

 

 サブフライトシステムと見紛うほどに巨大なバックパックの大部分を占有するメインスラスターがもたらす莫大な推力は、彼我の距離を一瞬にして食らい尽くして余りある。

 敵艦のお粗末な対空砲火をあっさりとかいくぐり、とりわけ高熱になった部分を狙って砲撃、すぐに離脱。

 バックパック両側面に一丁づつ懸架された一一〇mmライフルの砲弾は、ウィル・オー・ザ・ウィスプの赤い上甲板へ正確に吸い込まれていく。

 最初の二発はナノラミネートアーマーに弾かれたが、もともと高温だった装甲だ。その熱量が効いたのだろう。後続の四発が見事に貫通し、しかし貫かれた装甲板は爆圧を逃がすため自ら真上に吹き飛んだ。

 

「えー、かったいなぁ!」

 

 船体から緋色の爆炎が間欠泉のように噴き出す様は見ていて爽快だが、逆に言えばそれは爆発の力が外へ逃げてしまっているということになる。これでは内部の構造を効果的に破壊することはできない。

 ハンマーヘッドと同じ強襲装甲艦なだけあってそのタフネスは尋常ではない。ラフタはもどかしさを覚えた。

 再度砲撃を加えるため機体を翻すと、バックパックに内蔵されたレドームセンサーがエイハブウェーブ反応の増大を報せた。この波形は味方のものではない。

 ガンダム・バルバトスが巨砲を片手に突撃。豆粒ほどの機影が愚直にも真正面から向かってくる。

 

「へぇ、いいじゃん!」

 

 そう言うやいなやラフタは容赦なく発砲した。軌道が交差するまでのわずかな間隙、互いに叩き込まれる砲弾、砲弾、砲弾。

 逸れるもの、かすめるもの、かち合うもの。攻防は一秒足らず。両者共に命中弾はない。交差した先で足を大きく振って機体の鼻先をガンダムへ向け、再び一撃離脱を仕掛ける。

 

「推進力が違うっての!」

 

 口ではそう言うが、バルバトスの動きは恐ろしく滑らかで無駄がない。射撃戦で片付けることができればいいが、何かの拍子に格闘戦に引きずりこまれればいかに百里とて危ないことは容易に想像できた。

 幸い推力ではこちらが圧倒的な優位に立っているため、自分から突っ込みでもしない限り間合いに捕まることはないだろう。

 不安を打ち消すように砲架のライフルを連射する。敵のαナノラミネート反応失効率は被弾を重ねて確実に高まっていく。このまま続ければ――。

 

「なに!?」

 

 敵の回避運動が止まった。苦し紛れの、しかし異様に美しいバレルロールを繰り返していたバルバトスは惰性に身を任せて浮かぶだけ。それも紫色の左腕を突き出した妙な格好でだ。

 追撃を入れたくなる気持ちをぐっとこらえ、嫌な予感を信じてとっさに軌道を右へずらす。

 銀色の何かが百里のバックパックをかすめていった。

 反撃に移ろうとして機体の重心が少し狂っていることに気づく。とっさに左を見ると一一〇mmライフルが消えている。操縦桿のボタンを素早く操作し、背後の映像を正面モニターに小さく出すとその正体が分かった。

 鉤爪だ。虫の顎のように左右に可動するワイヤークローがライフルを奪い取り、噛み砕いていた。刃は砲身から弾倉部にかけて斜めに食い込み、砲身は根元ごと、機関部に至っては真っ二つにねじ切れている。誰がどう見ても使いものにならないとわかる有様だ。

 

「外した? 違う。狙ったんだ」

 

 ライフルとクローがまっすぐにかち合ったなら、正面から見て最も大きい箱型の弾倉部に命中する可能性が高いはずだ。

 しかし、今の攻撃は斜め上から来ている。山なりの弾道だ。百里のバックパックの上面は平坦で、掴める所はほとんどない。仮に山なりの弾道で本体を狙っても、狙えるのは小さな頭だけだ。

 しかし機体の拘束を狙ったのなら、足や胴体めがけてまっすぐに撃たねば効果は見込めないはずだ。MSの頭をもぎ取ったとて機械なのだから死にはしない。副センサーがすぐさま起動するだけだ。

 すなわち機体の拘束という目的の元にこれをやったのなら、それは合理性に欠ける悪手といえる。火星でギャラルホルン相手に大立ち回りをやってみせたバルバトスのパイロットがそんなヘマをやるだろうか? まさかそんなはずはない。

 斜めの弾道で狙えるものといえば、百里にはひとつしかない。バックパック両脇のライフルだ。真上からならば、それこそTVのリモコンでも拾うような気安さで奪い取れる。弾倉を掴む心配もないので、中の弾が暴発してクローを失うリスクも避けられる。

 つまりガンダムのパイロットは、初めから武装の破壊を目的にこれを放ったということになる。わざわざクロー側の姿勢制御スラスターを駆使した高難度な曲射弾道まで使って。

 自身の武装を温存しながら、敵の実質的な戦闘能力を的確に削ぐ。こんな立ち回り、素人ができていい芸当ではない。いや、熟練のパイロットでも難しいだろう。

 

「なんてインチキ」

 

 これは特大の貧乏くじを引いたかもしれない。そんな考えがラフタの脳裏に浮上してきた。やってられない。

 吐いた息はヘルメットのシールドを一瞬だけ曇らせた。

 

 

§

 

 

 思い通りに動くもうひとつの体。阿頼耶識とはこんなにもすばらしいものだったのか。

 スクラップに片足を突っ込んでいた頃と比べると、今のバルバトスは全く別の機体に感じる。三日月は興奮と感動がない交ぜになった熱い息を吐いた。

 今まさに百里のライフルを掠めとったワイヤークローを巻き取りながら、高速機動を繰り返す敵へ滑腔砲を撃つ。命中など最初から望んでいない。牽制になれば十分だ。

 バルバトスの背後、付かず離れずの距離を並走していたウィル・オー・ザ・ウィスプのメインスラスターに大きな光の柱が立った。同時に艦首に集中配置された四基の連装ミサイル発射管から二発づつ、計八発の対艦ミサイルが尾を引いて飛び出していく。

 作戦が始まった。スモーク弾頭のミサイルによる目くらましの後、衝角突撃に見せかけて移乗攻撃を敢行する。船同士がすれ違うわずかな時間にMW隊を一斉に乗り移らせるのだ。

 失敗すれば練度でも数でも劣るCGSに勝ち目はない。

 

『了解。推奨戦術及び推奨マニューバを提示』

「は?」

 

 突然ハロが不可解な言葉を発した。何も言っていないのに「了解」などという、さも誰かの指示に答えるような文言は不自然だ。三日月がそんな疑問を抱くと、

 

『貴官が要求する行動ないし情報を神経活動パターンより推測。最も関連性の高いデータを送信する。ネットワーク機器名:ハロへのアクセス権付与が必要』

 

 アクセス権とはなんだろうか。牽制の滑腔砲を百里へ続けて発砲しながら考えてみる。

 

『当該発言におけるアクセス権とは、ハロが貴官の生体脳に対する情報の送信及び保存、保存済みデータの編集を実行する権限を指す』

 

 思考に対して音声が帰ってきた。本当に言葉を使わない会話ができるらしい。言語化されていないぼんやりした疑問の感情すら完璧に読み取ってくれるとは思わず、動揺して百里から放たれた弾を避けそこねた。肩の装甲をわずかに掠めて、橙色の曳光弾が背後の宇宙に溶けて消える。

 

「それをやるとどうなるんだ?」

『当機が貴官へ、現在の戦況に最も有効と推定される戦術ないし行動を随時アップロード可能。しかし当該行動には、当機が貴官の保有する記憶及び人格を故意過失問わず改ざん可能となる危険性が存在する』

「バルバトスだけじゃなくてハロとも繋がるってことか……」

『肯定。以上の理由から、適当な設備なしに二つ以上の知性体をネットワーク化することは推奨されない。しかしアクセス権の付与を行った場合、貴官は直ちに戦闘行動に対する戦術的・戦略的優位性を獲得する可能性が極めて高い』

 

 簡単な話だ。ハロと三日月が阿頼耶識システムを通して繋がることを許せば、頭がおかしくなるかもしれないリスクと引き換えに、戦いの知恵を好きな時に好きなだけ手に入れることができる。断る理由は見当たらないように思われた。

 

「わかった。オルガに聞いてからね」

『了解』

 

 それでも念のため保留しておくことにした。正直、話が難しくていまいちわかりにくかったからだ。こういったややこしいものはとりあえずオルガに聞いておけば大抵はうまくいくと三日月の経験が言っていた。

 それに、バルバトスの調子がいいおかげでこのままでもなんとかなりそうなのだ。

 手足は前よりもスムーズに動くし、スラスターの反応速度だって確実に向上している。装甲だって冷却がうまくいっているのか貫通される気色はない。ガンダム・フレームの唯一の長所であるパワーも戻ってきたようだ。

 

「やるか」

 

 時間が経てば経つほどバルバトスは有利になる。ここが仕掛け時だ。

 ハンマーヘッドと衝突する勢いですれ違うウィル・オー・ザ・ウィスプ。それを見て作戦の第一段階に成功したことを確認すると、三日月は一転して攻勢に出る。

 接近するバルバトスに百里の弾幕が降り注ぐ。しかし、性能を取り戻しつつあるガンダムに対して一丁のライフルではあまりに力不足。多少の被弾などものともせず豪快に突撃。

 百里とバルバトスのリアクターが生み出す重力場が互いに干渉し、形を乱し始めた。規定の重力場に反応するナノラミネートアーマーはその反応を急速に失っていく。

 複層分子配列が保てなくなれば、バトルアックスやメイスといった、運動エネルギー量で火砲に劣る原始的な兵装すら脅威に変わる。熱に変換できない運動エネルギーは無慈悲に装甲を裂き、コックピットを叩き潰すだろう。

 リアクター搭載機の格闘戦はこれこそが狙いだ。バルバトスは初めからナノラミネートアーマーの使えない状況で最大の効力を発揮するよう設計されているのだ。そこに侵襲型マン・マシン・インターフェイスたる阿頼耶識システムが加われば負ける要素などありはしない。

 滑腔砲を背部に預け、バックパックのサブアームに保持された専用メイスを両手に握りしめる。

 操縦桿越しに高硬度レアアロイ製の柄の滑らかな感触すら感じた。感圧センサーと触覚が共有され、モニターと同調して効果音を垂れ流す立体音響スピーカーは、視覚であるカメラの映像と完全に融合した。

 

 見える。三日月にも敵が見える。バルバトスと同じ視覚で、同じ触覚で、同じ聴覚で。

 

 頭の奥底に栓を感じた。五感の流入を妨げている栓。これを引き抜けばもっと見ることができる。もっと触れることができる。もっと聴くことができる。誰に教えられたわけでもなく三日月は知った。

 しかし、これを開いてしまえばもう戻れなくなる予感がする。自分が自分でなくなってしまう確信が持てる。美しく開けた感覚がどこまでも広がって、入ってくるものに自分は希釈されて消える。

 

 栓を引き抜くことはできなかった。引き伸ばされた主観時間が失望したように現実と同じ時を刻み始めた。

 

 見えていた百里が眼前にいる。

 艶やかな塗膜に覆われた美しい機体のシルエットは、安っぽいCGの宇宙に浮かんだ単なる3Dポリゴンの集合に成り下がっていた。ギラついた眼光で三日月を睨んでいた四つのメインカメラの面影はどこにもない。ただの光点が間抜けに虚空を見ている。

 金属の硬い冷たさは消え、生ぬるいノーマルスーツの裏地のぼやけた感触を代わりに感じる。

 薄っぺらい合成音響のつまらない音は気が散ってしょうがない。

 全てを不明瞭にしてしまった。

 振り下ろしたメイスは百里には当たらなかった。敵はとっさにガンダムの胸部を蹴ってリーチから逃げ延びていた。三日月は逃がすかとばかりにワイヤークローを発射、右足に食いつかせる。

 パイロットの動揺を表すかのように敵は激しく抵抗する。百里は振り払おうと急機動を始め、暴力的な加速度がバルバトスと三日月に降りかかった。

 

「大人しくしろ……!」

『うっさい!』

 

 独り言に接触通信が反応して回線が開いていた。歳若い女と思しき声がする。

 嫌がっているということは、つまりこれが有効な戦術であるということだ。ワイヤーを少しづつ巻き取り、じわじわと距離を詰めていく。

 近づけば近づくほど百里は暴れた。足を振り回すわデタラメに機体を振るわ、その度にバルバトスはトリック中のヨーヨーのように縦横に吹き飛ばされる。

 高Gに気絶しないかヒヤヒヤさせられるが、そう考える前にハロが慣性制御システムの調整を始めていた。人工重力のベクトルを細やかに変え、低い性能を最大限に生かして体への負荷を和らげてくれている。

 

「こっちの慣性制御はあんたのより強い。やるだけ無駄だ」

『あっそ。じゃあこれでも!?』

 

 百里が唐突に逆噴射をかけた。バルバトスは当然ながら慣性の法則に従い前方へ投げ出される。三日月は不可解な機動を不審に思う間もなく、眼前に巨大な岩塊があることを知る。

 

 そこで気がついた。

 百里のパイロットは、拘束を振りきろうとしていたのではない。バルバトスがワイヤークローで機体に取りついた時点で、岩を使って殺すことを考えていたのだと。

 あれだけ高速で振り回されれば周りの物などロクに見えなくなる。仮に見えていても目で追いきれず、やはり正常な判断はできないだろう。

 いくら全方位の映像を網膜に投影しているとはいえ、肝心のパイロットがその情報を正しく見て行動できるとは限らないのだ。

 よくよく考えれば当たり前の話だ。テイワズは圏外圏のマフィア、当然育ちの悪い――それこそCGSのような――連中との戦闘は多く経験しているはずだ。阿頼耶識システム搭載機に対する戦術があって当たり前なのだ。

 

 経験の差にまんまと付け込まれた。単なる操縦技術でもなく、機体性能の差でもなく、考え方と立ち回りと知識の差に三日月は負けた。

 

「それでも……!」

 

 バルバトスは岩に足を向け、両手に握ったメイスを振り上げた。一秒にも満たない瞬間の判断。思考と反射の間隙。メインスラスターのスロットルを全開、着地の寸前にメイスを地面に突き立て、先端に隠されたパイルバンカーを起動した。

 爆発とみまがうほど高い土煙が上がった。

 

『バイバイ少年、楽しかっ――』

 

 クローは未だ百里の右足に食らいついて動かない。たとえ頼りない小惑星とて、地に足がつけばこちらのものだ。

 

『ぐっ!?』

 

 ワイヤーを思い切りたぐってやると、バルバトスの両腕は圧倒的なトルクでもって自らの土俵へ敵を引きずりこんだ。姿勢制御もままならないまま、百里はなすすべなく地表へ叩きつけられる。

 

『推奨:非殺傷』

「なんで?」

『当該戦闘は交渉を目的とした守勢作戦であると認識している。人員の殺傷は貴官らの心象悪化を招く可能性が高い』

「そんなに器用じゃない」

 

 岩肌に突き立てられたパイルをメイスから引き抜き、構えた。仕込まれた侵徹体は一発きり、鬼札は切ってしまった。

 

『提案:降伏勧告』

「通じるかな?」

『不明。当該戦闘員の心理状態を計測できない』

『こん……の……!』

 

 ワイヤークローを百里に食いつかせたままだったことに三日月が気づくのと、烈火のごとく(いか)ったラフタが突っ込んでくるのはほとんど同時だった。

 

『余裕ぶって!』

「ちっ」

 

 叩きつけられたダメージか、百里の動きはぎこちない。しかし推力は一切の衰えを見せず、超至近距離に軽々と潜り込んでくる。

 対するバルバトスは左腕のワイヤーを思い切り振り回すことで突撃をかわした。足を引っ張られた百里は不気味な軌道を描いて逸れる。

 振り返って敵を見れば、先程まで影も形もなかった二本の細腕がある。ナックルガードを装備していることから格闘戦の用意があることが見て取れた。

 万策尽きての突進ではない。確実に敵を殺すための戦術だ。

 百里は拳を振り下ろし、クローをあっさりと破壊。兵装喪失の警告が視界の端に出た。まさか警告文を視界に出せば奇襲に気づかれることまで考えて、あえて殴りかかる際は破壊しなかったのだろうか?

 

「そろそろ消えろ」

『あんたがね!』

 

 再び二機は構えた。火砲の一切を捨てた完全なる格闘戦の用意。しばし睨み合い、バルバトスは間合いを一気に詰めて――

 

『もういいミカ、話はついた!』

 

 大上段に振り上げたメイスをピタリと止めた。眼前の百里も左の拳を持ち上げたまま停止している。

 オープンチャンネルのLCS信号が届いた。

 

『お前たちの話を聞くことにした。武器を下ろしてくれ』

 

 こうして名瀬・タービンの一声により、戦いはひとりも死者を出すことなく集結したのだった。

 墜されなくてよかった。そう思ってしまった自分が情けなかった。

 

 

§

 

 

「火星の低軌道上でクーデリア・藍那・バーンスタインを擁する民兵組織を捕捉。第八装甲連隊および第六六戦隊が前火星支部長コーラル・コンラッド三佐の命令によりこれを攻撃。その際にMAのエイハブ・ウェーブを検出。個体名はルシファー……間違いないのだな?」

『はっ。MSのセンサーによるクロスチェックも行いました。機体形状は資料に添付しております』

 

 あまりに非現実的な報告を受けたので確認の意味を込めて問いただしてみたところ、モニターの向こうの若い士官、マクギリス・ファリドは冷静に言葉を返した。

 信じられない。ラスタル家当主ラスタル・エリオンは思わず天を仰いだ。

 スキップジャック級戦艦の執務室の天井は高い。いや、こんなことを考えている場合ではない。

 彼は重厚な執務机の上で組んでいた手をほどくと、速やかに送付されたデータの確認を始めた。モニターに映るは火星軌道上で行われた戦闘の記録。その中でも今回の本題である正体不明のMSに関するものを見てみる。

 

「妙だな」

 

 マクギリスのシュヴァルベ・グレイズが記録した映像。それを見て最初にラスタルが発した言葉は、奇しくもガエリオが発したものと全く同じものだった。

 

「エイハブ・ウェーブに(さら)されながら何の反応も見せない。しかしその直後に起動して君を襲う。まるで一貫性がない」

『その点につきましては十枚目の画像をご覧下さい』

 

 言われた通りに画像を開いた。シュヴァルべ・グレイズの背部カメラが捉えた映像の切り抜きだ。

 ルシファーの胸部に人間が張り付いているのが辛うじて確認できる。ノーマルスーツを着込んだその人物は、胸部ハッチをその手でこじ開けていた。

 

「これはパイロットか?」

『その可能性が高いと思われます。この者がコックピットと推定される空間へ侵入した六秒後、ルシファーは起動しました』

「MAを駆る人間……いや、第一これがMAだとする保証はない」

『リアクターの移植という線も考えられます』

「しかしMSだとしても、記録に残るいずれのフレームタイプにも形状が一致しない。そうだろう?」

『おっしゃる通りでございます』

「MSともMAともつかない機動兵器か……報告に感謝する。直ちにセブンスターズが協議を行わせてもらう。君たちは上官の指示に従ってくれたまえ。私はこれで失礼する」

『はっ。失礼します』

 

 スタンドで直立するタブレット端末からマクギリスの姿が消えた。

 息をゆっくりと吐いた。深い安堵が漏れ出るようだった。

 初代エリオン公が解き明かそうとした人類未踏の遺構。そこへ踏み入るための資格がとうとう見つかった。ラスタル一人の願いではない。連綿と続く家の血が、歴代当主の探求と思索がようやく報われようとしている。

 

「よもや私の代で鍵が現れようとはな。一族の悲願、成し遂げる時か」

 

 厄祭戦の元凶であるカイエル財団。三〇〇年の時を経てなお癒えない傷を人類に刻んだ人ならぬ者ども。

 皮肉にも彼らの遺産によって当時のヒト種は絶滅を免れた。しかしあくまでも“免れた”だけだ。財団が秘匿する価値もないとして捨て置いた不完全な技術の断片ではそれが限界だった。

 地球の環境はことごとく破壊され、生態系は未だ正常なサイクルから逸脱している。宇宙とて膨大なデブリが漂い、使える航路はごく少ない。月に至ってはビーム兵器と数千発の戦略核兵器が全てを焼き払い、在りし日の華やかな街並みは永遠に失われた。

 戦争はまだ終わっていない。今も人類は数多の傷を負い、血を流し、泥の中を這いずっている。

 しかし鍵さえあればその傷を全て癒すことが叶うのだ。財団の遺失技術を再びヒトの手に返すことさえできれば、我々はやっと戦争を克服できる。

 ラスタルは家の使命を改めて心に刻むと自らの副官を呼んだ。

 

 追うものが、またひとり。

*1
弾薬庫や機関部、主砲塔といった重要な部分が集約された区画。装甲が特に厚く、被弾に強い。戦闘艦は全体を厚い装甲で覆うと重量がかさみすぎてしまうため、こうした設計によって効率よく防御力を高めている。

*2
日本円にして約4500円。




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