酔いが醒めたらどうなるかはわかりません。
『……本日二十周年を迎える、統一政権『アドヴェント』。その記念式典には、かつてないほどの多くの観客たちが……』
高層ビルの壁面、あるいは公衆広場のモニター。あらゆる映像機器から、多種多様のアナウンサー達の声が街へ響き渡る。人種も性別も問わぬ彼らは、しかし共通の話題で盛り上がっていた。
統一政権『アドヴェント』。かつて地球に飛来したエイリアン『エルダー』との間に結ばれた協定により、人類は全世界統一の政府を誕生させてから二十年。健やかなる繁栄を讃え、アドヴェント政権の祝典が開かれようとしていた。
祝典の開場である第11区画、かつて日本の東京と呼ばれていた場所には、世界中から多くの人々が集っていた。
「うわぁ、大きいね……。さっすが世界規模の祝典、目眩しそう……」
「はぐれちゃだめだよ彩葉……。離れたらたぶんもう会えないよ」
そんな金黒茶と様々な山の人だかりの中、二人の高校生が歩いていた。彼らもまた祝典の観客であり、この日を楽しみにしているものである。
「ん、わかってるよ維摩。手、話しちゃダメだよ?」
そう言って少年の手を繋ぐのは、栗色の髪を二つに結んだ、柔らかそうな笑みを浮かべる少女であった。名を
「……弘樹達ともはぐれちゃったんだし、もう少し注意して……」
「わかってるって、心配性だなあ
くすくすと、どこか嬉しそうに彩葉は笑う。その様子に少し顔を赤らめながら、維摩は少し足早に前へ出る。
「ほ、ほら……、いくよ彩葉。祝典、あと三十分だろ」
「ふふ……、そうだね」
色とりどりの街並みの中を二人は足早に歩いていく。祝典が行われる市内は、観光客のために様々なイルミネーションで飾りつけられていた。エレニウムカーの最新モデル、アドヴェントバーガー、エルダーとの共存を祝う黄金像。その中を縫うように通りながら、彼らは人だかりの中心へと進んでいった。
開場に近づくにつれて、警備も厳重になっていくのがわかる。遠くの方には検問がしかれており、周囲には多数の兵士たちが目につく。全身を黒い抗弾プレートで包み、顔の半分程までヘルメットで包んだ姿は、維摩達にとっては平和の象徴とも言えるものであった。
アドヴェント兵。彼らはアドヴェントのもつ平和維持軍隊の一員であり、今の地球を守る正義の代名詞とも言える存在である。地球圏の全ての国家が統一されたとはいえ、それでも争いが全て消えたわけではない。旧国家の残党や犯罪者の起こすテロが、未だに世界では燻っているのである。アドヴェント兵の役目はそれらから人々を守り、またテロを未然に防ぐことだ。今のアドヴェントにとって彼らの姿は、安全に不可欠な存在なのである。
「あ!向こうに見えてるのって、改築された遺伝子治療施設じゃない?」
「本当だ、式典記念に建て替えたんだっけ?」
彩葉の指差す方向には、アンテナの立つ二階建ての建物が見える。近くによれば、特徴的な二重螺旋を模したモニュメントも見られるだろう。これこそがアドヴェント政権下で発達した医療技術の象徴、遺伝子治療クリニックである。
「私、生まれた頃に身体が弱くてさ、あそこのクリニックで遺伝子治療を受けたことがあるんだ。懐かしいなぁ……」
「そうだったね、今じゃ全然そんな風には……。いたたたたた!!」
「んー……、誰のことがなんだって?」
突如、抱きつくように彩葉が組ついてくる。そのまま維摩の脇腹をつねると、彩葉は含むような笑みで覗いてきた。そこそこの痛みに抗議しようとするが、その言葉はすぐに飲み込まれてしまった。
「い、彩葉!その……、えっと」
「えー、なにかな?」
「その……、む……」
胸、と言いかけて咄嗟に口をつぐんでしまう。今の体勢だと、彩葉の豊かな胸が彼の腕に押し付けられるように当たっているのだ。加えて仄かな匂いが維摩の鼻孔をくすぐる。柑橘系の香りは、否応なく維摩に彼女を意識させるのだ。
飲み込んだ言葉を言い出せぬまま、ドギマギとして固まってしまう固まってしまう。その様子に気がついたのか、彩葉もさっと頬を上気させた。
「や、えーと……。あ、あはは……」
「い、彩葉。僕……、えっと」
互いに気まずくなり、さっと顔を背ける。祝典の雰囲気もあってか、今日は妙にお互いのことを意識してしまうのだ。
「あ、あれみてよ!!ニュース、ニュース!!」
おかしな空気を壊そうとしてか、唐突に彩葉は声を上げる。彼女が指差す先には、街頭モニターからニュースが流れていた。
『今日未明、アドヴェント治安維持軍は、パリで発生した遺伝子治療施設爆破テロの容疑で、反政府活動家十四人を拘束しました。調べによりますと……』
「怖いなあ。こっちにも来たりしないよね?」
「彩葉……」
彼女の遺伝子治療は、十六年たった今でも完治していない。未だに定期的にクリニックへ通う必要があり、それなしでは生きていけないのである。彼女が通える範囲の施設がなくなれば、それは生活にまで影響してくる。心配するのも無理はないだろう。
「大丈夫だよ、政府も動いてるんだし。きっとすぐに鎮圧されるって」
そう、きっと大丈夫だ。自分達の日常は、きっと彼らが守ってくれる。維摩も、アドヴェントの住人たちもそれを信じて疑わない。それこそが、今の地球の常識である。
だが、そのときだけは維摩の胸に、言い知れぬ不安がよぎった。それは一時の気のせいか、それとも風の流れにのって届いた一声か。ぼそりと呟かれたその言葉は不安で、それでいて決意に満ちたものであった。
「……perfect(そうこなくてはな)」
◆
シティ街路に建てられたホロ看板が、年季の入った彼の顔を映し出す。作戦を前にしても、ブラッドフォードの顔に緊張の色は無なかった。XCOM(Extraterrestrial Combat Unit 対異星人戦闘部隊)計画が失敗してから二十年、追撃から逃れ続けた彼の顔には、かつての若造の面影はどこにもない。長い歳月をかけて岩のように皺の刻まれたその顔には、爛々と意思を灯した光が輝いていた。
二十年、世界がエイリアンに侵略されてから十分な月日が経った。逃避行の中で仲間は次々に倒れ、かつてのXCOM計画のメンバーは彼のみとなっている。だが、それも今日で終わりとなる。この作戦が成功すれば、XCOMはついにエイリアンに対して攻勢に出ることができるのである。
「……あと60秒。準備しろ、まもなく時間だ」
アドヴェント公用語ではなく英語、いまの日本では英語を理解できる人間などもはやいない。それ故、堂々と使ったところで意味を理解できる人間など、まずこの場にはいないだろう。その事実に受ける感傷などもはや存在しない。すでにこの二十年間で捨ててきたものである。
視界の端で影が動く、同じく作戦に参加するレジスタンスのエージェントだ。作戦の第一段階として、まず自分と彼女がアドヴェントの注意を引く算段となっている。そしてその方法は簡単である。それは……。
(アドヴェントの重要指名手配犯、囮にはもってこいだろう?)
検問に足を踏み入れた瞬間、けたたましい音とともにサイレンが鳴り響く。予想通り、付近のアドヴェント兵たちがこちらを向いて銃口を向ける。赤い装いの
「……やれ」
爆薬を取り付けた戦闘車両が吹き飛び、周りの兵を巻き添えにして炎をまき散らす。その衝撃に兵たちが振り向いた瞬間、その頭部へ強烈な一撃を叩き込む。
「ゲートクラッシャー、作戦開始だ」
◆
混沌、あるいは荒波とでもいうのが正しいのか。それは突然として起こった。爆発音と共に、突如として起こった混乱は止まることを知らず、波紋のように広がっていった。怒号や悲鳴が飛び交い、我先にと皆が走り出す。それは、時間にして十分ほど前の出来事である。
会場付近に停車していた軍用車両が、何者かによって爆破されたのである。二十周年を迎える式典のその最中でのテロは、集った民衆たちの恐怖を掻き立てるのに十分な効果をもたらしていた。そしてその混乱は、否応なく全ての参加者たちを巻き込んでいった。
「維摩……、待って!きゃあっ!!」
「—―彩葉、彩葉っ!!すみません、どいてくださ……、うわっ!!」
当然、その混乱は維摩たちにも押し寄せる。押し寄せる人の嵐の中では、すぐにはくれてしまうだろう。押し寄せる波に流され、自分が今どこにいるのかさえ定かではない。こんな状況では、彩葉を探すことなど絶望的だろう。諦めずに彼女の名前を叫ぶが、状況はなおも悪くなる。逃げ惑う人々に突き飛ばされた拍子、頭を強い衝撃が襲った。気が抜けるほどに呆気なく、彼の意識は闇に消えていった。
どれだけ経っただろうか。頭の痛みに目を覚ますと、辺りは静寂に包まれていた。鈍い痛みに苛まれる頭を起こすと、そこは人の気配のしない大通りであった。平時には車や買い物客で賑わっていたであろう街頭は物静かで、街路沿いのホロ広告だけが、維摩の他に動くものの全てであった。
「痛……。なにがどうなって……?」
ベンチにもたれて立ち上がりながら、ぼんやりとした頭を整理する。自分が彩葉と式典に来ていたこと、騒ぎが起こりその原因がテロであったという話、そして彼女とはぐれたこと。
(彩葉は……、うまく避難出来たかな?)
日も落ち、薄暗くなった都心は、中心部とは思えないほど不気味に静まり返っていた。気絶していた維摩以外の人間は、とっくに避難したのだろう。まだ焦点の定まらない頭で、維摩は通りを歩き続けた。携帯端末もどこかへ失い、自分が今いる場所もわからない。だが、歩き続けるうちに、明らかにそれと分かる目印が見えてきた。
「ここって、もしかして祝典会場か?」
そこには見上げるように大きな黄金像と、血のような赤で彩られた演説台が据えられていた。無数の人が通ったように荒らされたそこは、テレビでも何度も見た場所である。
(ここなら、平和維持軍と連絡がとれるかも)
予想通り、四肢の黄金像の真下には、アドヴェント兵達が巡回している。中には赤色の戦闘服を身に付けたオフィサーも居ることから、それなりの部隊であることがわかる。彼らに頼れば、きっと保護してもらえるだろう。彩葉のことも気になる、平和維持軍に事情を話せば、なにか分かるかもしれない。
だが、なにかがおかしい。アドヴェント兵を見つけたのはいい、場所がわかったことも運がいい。しかし、なにか違和感があるのだ。今彼らに近寄ってはならないような、そんな予感が。
気がつけば、近くのモニュメントへと身を隠していた。はやく接触すればいいのに、なぜ自分は彼らから離れようとしているのか。だが頭のなかで、自分とは別のなにかが囁いているような気がするのだ。今は不味いと、出ていけば殺されると。しばらく身を隠し、そんな根拠もない考えにかぶりを振る。馬鹿馬鹿しい、そんなことあるわけがない。しかし出ていこうとする維摩を押し止めるように、耳を塞ぐような爆発音が響いた。
音の方向へ目をやれば、すぐ近くを白い煙が覆っていることに気がつく。そこは先程まで、アドヴェント兵が巡回していた場所だ。そこでようやく維摩は、自分が何故このような場所にいるのか思い出した。同時、全身からどっと滝のように冷や汗が流れ出す。自分がいまいる場所は、命の保証などどこにもないのだ。そして、それは目の前に分かりやすくあらわされることとなった。
襲撃に気がつき、アドヴェント兵が動き出す。だが、そこを狙うかのように銃撃が起こる。初撃は回避、しかしそこまでであった。続けて放たれた弾丸が黒い防弾プレートを破砕し、兵士の身体ごと肉片に変える。初撃で二人、巡回部隊はほぼ壊滅に近いだろう。銃弾にうち据えられた死体がここから見えないのは、維摩にとってはせめてもの幸運であった。
アドヴェント兵がいた場所の反対方向見ると、そこには四人ほどの人影が見える。身なりからして、アドヴェント兵ではない。ならば誰かは自ずと分かる、この状況で武装した集団などひとつしかない。恐らく最初の爆破を実行したのも、彼らテロリストだろう。彼らを見つけた瞬間、心臓が冷たく飛び跳ねた。あそこにいる者達に見つかれば、きっと命はない。
ベンチから乗り出したテロリストが、生き残ったオフィサーへと発砲する。しかし反動故のブレか、直撃にまでは至らない。その隙を逃さず、オフィサーが反撃を試みる。フラグの直撃により赤色のプレートには幾つもの亀裂が走ってはいるが、構える腕には支障はないらしい。黄金像の基部の陰へ飛び込むと、テロリストに向けて発砲した。
テロリストとアドヴェントが攻防を繰り返す間、維摩は付近のモニュメントに身を潜め、必死に荒い息を殺していた。現実なのだ、全てが現実。教科書やニュースでしか伝えられないようなものが、いま目の前で繰り広げられている。抉るような銃声の一つ一つが、ともすれば維摩にすら向けられかねない。心臓が早鐘をうち、脚は立っているのが怪しいほど震えている。
くぐもったような断末魔が聞こえる。陰から覗くと、真っ赤なプレートに包まれた腕が見えた。そのしたからはドロリとした液体が流れ、腕の主が二度と動くことはないと示していた。その後ろからのぞくヘルメットと、苦痛に歪んだ唇を見た瞬間、胃が急速に縮こまるような感覚を覚えた。
「うぷ……」
喉元まで迫った感覚を必死に押し殺し、その横を見やる。テロリスト達は維摩とは反対方向、エイリアンを象った黄金像へ顔を向けている。今ならば奴等の後ろを通りすぎ、逃げることも出来るだろう。だが、途中にでも見つかっては不味い。相手は銃で武装しているのだ、いくら離れていても、撃たれれば終わりである。見つからないように、慎重に移動することが求められるだろう。
一気に物陰から飛び出ると、噴水の影へ滑り込む。ちらりと伺うと、やはり気がついている様子はない。そうしているうちに再び銃声と爆発音が響き始める。どうやら、他の巡回部隊が合流したらしい。ならば、彼らが気をとられているうちに逃げるのが最善策だ。次の手番を待って、一目散に噴水を離れる。テロリストは目の前の敵に集中しており、気がついた様子はない。
その様子にほっとすると、道路沿いのホロフェンスを乗り越える。車道沿いに逃げれば、アドヴェント兵の検問へ逃げ込めるだろう。
どれだけ走っただろうか。息を整えながら前を向くと、そこには見覚えのあるシルエットが見えた。アドヴェントの遺伝子治療クリニックだ。外観に違和感があるが、恐らく裏手にでも出たのだろう。ここから演説台まで距離があることに気が付くと、維摩はほっと胸をなでおろした。
遠くの方で地揺れとともに轟音が響き、思わず肩を振るわせる。見ると、遠くの方から黒い煙が立ち上っていた。おそらくテロリストによる爆破だろう。そう思うと、緩んだ気持ちが急速に冷えていった。はぐれてしまった彩葉は無事だろうか。
だが、維摩は未だ己が騒動の中にいることに気が付いていなかった。突如、遺伝子治療施設の壁が爆破され、その破片と爆風が維摩を襲う。気の抜けていた中に突然のことで、道路に倒れ込んでしまう。頭の中が真っ白になり、正常な判断力が奪われていた。
「あ……、あ、あ、……」
口を開け閉めしながら、アスファルトの上にへたり込む。腰が抜けてしまったからか、動く力すらも出てこないのだ。そうしている間にも煙が晴れ、犯人と思しい人物がやってきた。
初老に近い、厳めしい顔つきの男だ。岩のような顔には、必死さと同時に安堵のようなものも垣間見られる。その肩にはオレンジ色の、体格のわからないスーツを着た人のようなものを背負っていた。男は前を向くと、すぐに維摩に気が付く。殺される、そう身構えた維摩であったが、男は彼を見るなり呆けた顔になって呟いた。
「What?……you are……Why?」
しかしそれもつかの間、後ろからの銃撃が彼をかすめるとすぐに気を持ち直した。彼が何事か叫ぶと、轟音と共にスポットライトのようなものが照らされる。直ぐ上を見ると輸送機であろうものが待機して、ロープを垂らしているのが分かる。施設の中からアドヴェント兵たちが銃撃を繰り返すのに構わず、男はそのロープを手に取った。輸送機が高度を上げ、どんどんと使節から遠ざかっていく。もはや小銃程度では狙いの付かない位置へ逃げ去るまで、維摩は茫然と見上げていた。
◆
この日、レジスタンスは二十年以来初の『人類の前進』を成し遂げた。
紫乃菊維摩はまだ知らない、この日の出来事が全てを変えたことを。己の意志など構わずに、世界の歯車が自分を取り込もうとし始めたことに。
――――――人類を示す戦争は、まだ始まったばかりである。
この小説は学園ものではありません。
そして自分は恋愛小説の書き方を知りません。