ナガレモノ異聞録 ~噂の都市伝説召喚師、やがて異世界にはびこる語り草~   作:歌うたい

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Tales 101【予兆】

 すっきりと吹いた大きな風が、伸び始めた若草をざわざわと奏でた。

 

 命が色めくエメラルドの草原。

 握った手綱に繋ぐ駿馬の黒い目が、風に千切れた草の穂先をゆらりと追いかける。

 ぶるる、という馬の嘶きが溶けるような平穏。

 けれどもそんなものは仮初めに過ぎないことを、男は理解していた。

 

 

「……」

 

 

 高い空はどこまでも突き抜けそうな蒼穹で、何もかもを置いていくように伸びている。

 

 高く、そして、遠い。

 見上げるだけ一層、置き去りにされた実感が首を締めるような。

 そんな青臭い感傷を、年を取ったなと言い訳を重ねる自分が馬鹿馬鹿しいとさえ男は思った。

 

 

「ラグルフ隊長! 斥候隊より報告です!」

 

「おう」

 

「ラスタリア方面にて、魔王軍の第一陣と思わしき群影あり! か、数も規模も、これまでの牽制とは桁違いとのこと! 恐らく……」

 

「ふん、ようやくってとこか」

 

 

 危機感に顔色を変えた伝令の言葉に、ラグルフは己が愛剣を肩に担ぎ、鼻を鳴らす。

 その厳めしい面構えに、焦りはなかった。

 平穏など所詮、嵐の前の静けさに過ぎない。

 今更慌てずとも、当に腹は括っている。

 

 小競り合いとて国命を賭けた死闘とて、戦場であればやるべきことは変わらない。

 

 

(間に合わなかったか、セリアめ。また死に損なっちまうみてぇだな。ククク、悪運の強さは兄貴譲りらしい)

 

 

 やることは、今も昔も変わらない。

 荒くれた戦士としても、一軍を預かる長としても。

 

 大柄の彼の後方には、国の命運に挑むラスタリアの兵士達がずらりと列を作っている。

 だがその巨躯の隣には、並び立つ"かつての友"の姿はどこにもなくて。

 ただそれだけで、何もかもが変わってしまったのだと肩を叩く実感に、その女々しさに、ラグルフは唾を噛んだ。

 

 

(……置いていくなら、勝手にしやがれよ。どいつもこいつも)

 

 

 噛み締めた歯の奥から零れた苦汁を、聞き拾う隣はもう居ない。

 

 

「ハッ、いよいよ準備万端ってか」

 

 

 鬱蒼と広がる樹木のひとつが、遠目にもぐらりと傾いた。

 地平の先に蠢くは、さながら人を引き潰さんと広がる魔の群れ。

 斥候の更なる報告を待たずとも知らしめる脅威の帯に、されどラグルフは獰猛に歯を剥いた。

 

 

「──かかって来いよ、化け物共!」

 

 

 怯える時でさえ優雅に羽ばたく鳥の群れが、戦士たちの頭上を飛び越えていく。

 

 

 闘争の時が迫っていた。  

 

 

 

 

 

────

──

 

【予兆】

 

──

────

 

 

 

「嘆かわしいことですわ、ナガレ。得難い貴重な機会を手離すことがどれほどの愚かであるか、貴方は分かってますの?」

 

「いや、ある意味貴重な機会だろうけどさ」

 

「なら、さっさとなさい。わたくしにいつまではしたないままで居させますのよ……」

 

「お嬢が勝手にやってる事でしょーに」

 

「ええい口答えするんじゃありませんの! 据え膳(すえぜん)食わねば男の恥ですわよ、パパッと召し上がりなさいな!」

 

(えー……てか据え膳って……)

 

 

 拒み続けて早三分。

 

 白い頬を真っ赤に染めプルプル震えながらこっちを睨むお嬢はどう見ても、恥ずかしいなら止めときゃ良いのにって指摘さえ取り合ってくれそうにない。

 

 しかも『据え膳食わねば男の恥』って。

 こっちにもその言葉あんのとか、なんか別の意味に

聞こえるとか、言いたいことはぽんぽん湧くけれども。

 

 

「さぁ、行きますわよ。覚悟を決めなさい!」

 

「……好きにしなよもう」

 

 

 なぜか意固地になってるお嬢相手じゃ、もう何言ったって馬耳東風。

 粘った三分間に追悼を捧げながら、俺は致し方なく白旗を上げる事にして。

 

 

「はい、あーん」

 

「……むぁー」

 

 

 据え膳ならぬ差し膳を、ぱくっと一口で召し上がることにした。

 うん、冷めてても美味しいスープは作った人の腕がある証っすね、ハハハ。

 

 

「あぁもう、おかげで腕が疲れましたわ。ナガレが変な意地を張るからですわよ!」

 

「いやだから、朝食くらい一人で食えるって言ったじゃん」

 

「昨晩はメリーの手を借りてたじゃありませんの」

 

「あー……昨日は動かすと痛くてキツかったんだって。それにメリーさんもお嬢と同じく割と無理矢理だったし」

 

「む。ですが今朝になってもまだ若干痺れ自体が残っているんでしょう、アムソンから聞いてますのよ? そんな腕で食事をしようものならみっともない作法になるのは必至。ですから致し方なく、このわたくしの手を貸して差し上げると、そう申してますでしょうに!」

 

「えー」

 

「だからぁっ、なんでそんなに不満そうなんですの! このわたくしの奉仕を受けられるとは即ち、最上級の褒美といっても過言ではありませんのよ!? そこんとこ分かってますの!?」

 

「お、美味い。蒸した魚の身は朝の胃にも優しいな、料理人グッジョブ」

 

「無視すんな!ですわ!」

 

 

 むきぃーっと最早お馴染みな憤怒を示すお嬢の怒りを確信犯でおちょくれば、握ったフォークを強引に奪われてしまった。

 クイーンの治療のおかげで今では少し痺れる程度には回復したとはいえ、流石にまだ本調子には戻ってないらしい。

 

 しかし、最上級の褒美ってのは過言だけど、得難い貴重な機会であるのは、まぁその通りなんだろう。

 

 

「全く、少しはわたくしという存在のありがたみを噛み締めたらどうですの。いっつもいっつもわたくしをおちょくって」

 

 

 頬を膨らませながらも魚の身を刺したフォークを向けるお嬢は、これでもれっきとした貴族の令嬢である。

 だから本来こんな風に俺の世話を焼くなんて真似、すべきじゃないはずなんだけども。

 

 はしたないですぞと嗜めるべきアムソンさんの姿は今ここになく、むしろ食事を運ぶなりささっと退室したし。

 つまりこの状況は……お嬢の意志って訳で。

 

 

「お嬢、なんかあった?」

 

「なんですの藪から棒に」

 

「藪から棒なのはお嬢でしょ、急に俺の面倒見ようとかさ。相談とかあんなら乗るけど」

 

「はぁ……失敬ですわね。別にそういう訳じゃありませんわよ」

 

 

 心境の変化ってやつか、はたまた別の理由か。

 勢い任せなとこあるお嬢だけに、これだろうって理由が見当たらない。

 一番可能性がありそうな線で窺ってみるものの、返ってきたのは呆れたような嘆息だった。

 

 でも。

 

 

「……ただ少し、頼られるべき時に頼られないというのは、中々に腹立たしいというだけですわ」

 

「え」

 

 

 どこか悔しさを滲ませながら皿に注がれたスープの水面を見つめるお嬢の横顔が、少し大人びて映って。

 

 

「よ、余計な事を気にする暇があるのなら早く召し上がりなさいな! それとも強引に詰め込まれる方が良くって?!」

 

「わ、ちょ、分かったから!」

 

「いーえ、貴方は色々と分かってませんもの! 分からず屋には身体に叩き込むまで、それがグリーンセプテンバー式ですわ!」

 

「もがっ!?」

 

 

 けどそれも一瞬。

 まばたきを二回も挟めば、大人びたお嬢の姿なんてまるで白昼夢の如く。

 ポカンと開いた俺の口へフォークを突き出す、マナーもへったくれも感じさせない、いつものお嬢の姿があった。

 

 

 

◆◇

 

 

 

 闘魔祭を終えた次の日のセントハイムは、人通りが少ない。

 虹の屋根で彩り並ぶ家屋から顔を出す婦人達はどれも呆れ顔で、昨夜の男共の賑わいぶりを物語っていた。

 

 

「セリア様、お手を煩わせてしまい申し訳ありませぬ」

 

「いいのよ、買い出しくらい。といっても紅茶の目利きに自信はないし、あくまで専門店を知っている程度だから、荷物持ちぐらいしか役に立てないと思うけれど」

 

「荷物持ちなどと滅相もない。セリア様のような見目麗しい方と並び歩けるだけで、このアムソンには身に余る光栄でございます」

 

「……なら、貴方は常に恵まれた執事、という事になるわね」

 

「ほっほ。お嬢様が見目のみならず内面ももう少し磨いてくださるのであれば、セリア様の仰る通りとなりますな」

 

「主人に厳しい従者ね」

 

 

 熱狂の爪痕を残す街並みとは裏腹に着崩れひとつない騎士と執事は、他愛のないやり取りを交えながら足取りを淀みなく。

 その足先が向かうのは、紅茶の専門店である。

 収納魔法で蓄えていた茶葉のストックを補充しておきたいというアムソンの申し出を、セリアが引き受けたという顛末だ。

 

 

「お嬢様に機会をお譲り下さり、ありがとうございます」

 

「そういうつもりで手伝いを引き受けた訳じゃないけれど」

 

「左様にございますか。このアムソン、ナガレ様の部屋の前でセリア様と鉢合わせたものですから、少々勘違いをしていたようですな」

 

「……察しが良すぎるのも考えものね」

 

「畏れ入ります」

 

 

 しかし、本来ならこの優秀な執事に案内役など不要であろう。

 だからこそアムソンの申し出に、ナガレの世話役をナナルゥに譲って欲しいと意図するものだと、セリアも気付いていた。

 

 気付いた上で、応じたのだ。

 きっとそちらの方が"収まりが良い"と思ったから。

 

 

「……申し出た身で老婆心を働かせるのは、些かナンセンスかと思いますが」

 

「……?」

 

「我欲を殺すに長けた人ほど、時に素直に、ワガママになる事を許されるというものかと存じますが」

 

「そういう女性が、貴方の趣味かしら」

 

「ほっほ。男とは古来より、得てしてそういう可愛げに弱い生き物にございますよ」

 

 

 そんなセリアの意図を朧気ながらも汲んだアムソンの助言は、果たして目の前を行く蒼き騎士にどう届いたのか。

 

 コツコツと歩むブーツが、一瞬止まる。

 まるで後ろ髪を引かれたような空白は、まばたきを二回も許さぬ刹那しか生まず。

 

 

「……今更ね、きっと」

 

 

 振り返らない紺碧髪のシニヨンは、些細な風に揺れることもなく。

 

 

 細い腰にぶら下がる剣の鞘が、ざわりと、甘い屑紙のように鳴いていた。

 

 

 


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