ナガレモノ異聞録 ~噂の都市伝説召喚師、やがて異世界にはびこる語り草~ 作:歌うたい
遠くの方では少しだけ、茜色の指紋が散りばめられているけれども、顎を上げた先ではまだまだ群青が広がっている頃。
飛行機なんて通りやしないのに、細い白線を模した三つの綿雲が行儀良く並んで、それが猫の
「……」
テレイザ姫から申し出された願い事は、シンプルだった。
昨日の防衛戦で、ラスタリア方面まで魔王軍を撤退させる事には成功した。
しかし、彼らがまた総体を増やしガートリアムに再び攻め入って来る可能性は残っている。
その為、ガートリアムより北東部にあるセントハイム王国という大国へ、援軍を要請してはどうかという意見が挙がった。
セントハイム王国はガートリアムよりもさらに広大かつ保持する戦力も大きい、ガートリアム並びにラスタリアの同盟国であるとか。
そして、その援軍要請の使者に任命されたのが──セリアであるらしい。
「……どうすっかなぁ」
つまりは、俺にセリアの護衛として付いてってあげてという事なんだろう。
それは同時に良くも悪くも渦中に居る俺をガートリアムから距離を置かせるという政治的判断も絡んでいる気もする。
そういう側面もあるから、俺としてはセリアに同行するのは別に乗り気でもなければ嫌、という訳でもない。
ただ、その使者の旅路は……相当に危険な橋を渡る必要があるらしい。
『風無き峠?』
『はい。現在、本来のセントハイム王国への道であるエルゲニー平原は魔王軍の一団によって遮られており、ガートリアム騎兵団と睨み合いの状態が続いてます。ですので、それ以外のルートとなると、日数を掛けてでも遠回りするか、風無き峠と呼ばれる近道を、通過するしかありません』
『……現状だと、日数を縮めるに越したことはないだろうね。けど、その感じだと風無き峠を通るには、何かしら問題があるんでしょ?』
『はい。一年ほど前から、風無し峠には恐ろしき力を持った魔物……【
ファンタジーにおいてはある種、御約束とでも言うべきモンスターと聞けば、ドラゴンを思い浮かべる人も多いだろう。
強大なモンスターだったり、時には神として奉られるほどの存在であり、その種が冠する威容はこのレジェンディアにおいても同じであるみたいで。
「あーもう……」
その翼の下を潜ろうものなら、死は間逃れない。
しかもワイバーンは現在冬眠前の蓄えに入っているらしく、凶暴性も増しているとか。
つまり風無き峠を越えるのはめちゃくちゃ危険な任務だって事は誰にでも分かる。
──俺は、テレイザ姫の願い事に応えてあげれるかどうか、流石に結論を直ぐには出せなかった。
少し、考える時間が欲しい。
そんな俺の申し出を、テレイザ姫は当たり前のように頷いてくれたけど。
「……セリアのやつ」
俺と同時に退室したセリアが、気晴らしにガートリアム国内を歩いてみる事を薦めてくれたので、今こうしてオレンジ色の華々しい街並みを闊歩している訳だけれども。
こうして散歩してれば少しは気が晴れる?
そんな訳ないでしょ。
ガートリアムの城門の別れ際。
そんな危険な任務に就くにも関わらず、変わらない仏頂面を浮かべ続けている麗人の横顔がつい気になって、何気なさを装いつつも、セリアに尋ねたひとつの疑問。
『こう聞くのも失礼だけど……セリア、怖くない訳?』
『……えぇ。もう"今更"よ』
今更って何だよ。
けど、薄く細められたサファイアブルーの眼差しが、それ以上踏み入るなと静かな拒絶を浮かべていたから。
「…………はぁ」
我ながら、らしくない。
こういうのには物怖じしないタイプだと思ってたし、ちっとは遠慮しろってアキラにしょっちゅう釘を刺されていたくらいなのに。
『……"さよなら"、ナガレ』
何故だろうか。
一向に顔を出そうとしない答えの代わりに、やるせないため息が零れ落ちた。
────
──
【死にたがりのセリア】
──
────
「……思ったより賑わってんのな」
気晴らし代わりという訳じゃないけど、特にやりたい事とか思い付かないし、いっそ風無き峠のワイバーンについての情報でも集めてみようと思い至った。
という訳で、情報が集まり易い場所といったら酒場でしょ、と大衆イメージに
正直、昨日魔王軍の進撃があっただけに、酒なんて飲んでる場合じゃねぇってことでそんなに人は集まらないんじゃないかという予測は、あっさり裏切られた。
「……まいっか」
とはいえ、そんな些細に足を止めたって意味ないなと、西部劇の酒場とかによくある小さな両開きの木扉を越えて酒場へと入る。
広々とした店内では、昨日戦場を戦い抜いたであろう男達が、今度はテーブルの上の料理を求めて新たな戦いを繰り広げていた。
「ちきしょう、食い意地張りやがって! おまえの皿にまだ料理あんだろうが!」
「何言ってるんだ、それは僕の皿から取ったソーセージだろ! 取られたもん取り返して何が悪い!」
「おーい、エールまだかよ! 口ん中の切り傷ちゃっちゃと消毒してーんだけど!?」
「ぎゃはははは!! ゴブリンに棍棒ビンタ食らったやつがなーに偉そうに急かしてやがる!」
ワイワイガヤガヤ、なんて賑やかそうな表現では収まり切れない騒音、昨日の戦場とデシベル値が変わらないんじゃないか。
というか、大半がラスタリアの騎士で、甲冑とか纏ったまま食事してる。
騎士ってもう少しマナーとか重んじるイメージあったけど、そうでもないのか。
樽ジョッキに並々注がれた黄金酒をグビグビ煽り、バクバクと肉なり野菜なりを口の中へと放り込んでいく騎士達は、良い食べっぷりだった。
若干野蛮とも取られかねないけど。
と、つい辺りを軽く見回しながら歩いていると、他とは違って人口密度の少ないエリアを発見。
ガランと開いてるカウンター席に、唯一腰掛けてる大きな背中は威圧的だけど、話をするには丁度良い。
これ幸いと騒乱の中を進んでいって、その騎士らしき男の隣の丸椅子を引いた。
「ここ座っても?」
「……あ? なんだお前、まだガキじゃ──」
「あざーす。あ、マスター。水と、この人が食べてるなんかソーセージみたいなのくださーい」
「あいよ、ただいま」
「おいこらガキ、聞いといて無視すんじゃねぇよ。しかもメシ頼んでやがるし」
「お兄さん、そのソーセージおいくら? こんくらいで足りますかね?」
「……なんなんだこのガキは」
「それ良く言われる。で、足ります?」
「……そんだけありゃ同じのがもう二皿出てくるっての」
「あ、やっぱ多いのか。どーも、お兄さん」
「…………ホントなんなんだコイツ」
短い茶髪と無精髭に強面と、騎士ってより山賊とかのが似合いそうとは思っても口に出来ない。
席に座るなり、そんな相手の言葉を聞かずにまくし立ててみれば、エールとかいう黄金酒に顔を少しだけ赤くした強面は見るからに渋い表情を作った。
まぁ、失礼なのは百も承知だけど、こういう強引なスタンスのが返って受け入れ易いパターンもあるんだよね。
アキラとかその代表例だし。
拒絶されたらそれはそれでそそくさと頭を下げて、場所を変えるだけ。
ちなみにこの金銭は、昨日の戦場での協力分の報酬として姫様がくれた1000エンスから。
あえて予想の値段より多めに掴んで晒してみたけど、強面騎士は意外と正直に訂正してくれた。
「ほい、お水。兄ちゃん、料理の分はラグルフさんのやつと一緒で良いんだったよな?」
「ラグ……あぁ、うん。一緒で」
「あいよ」
強面騎士の名前は、ラグルフさんね。
さて、この人がワイバーンについての情報とか持っててくれたら助かるんだけども。
とはいえ、ラスタリア騎士団だからガートリアムの周辺事情についてはあまり期待しない方がいいか。
マスターがカウンターの前に置いてくれた、冷えた涼水を軽く呷りながら考えを巡らせていると、予想外にラグルフさんから声をかけられた。
ただ、その表情はさっきよりも数倍険しいものだったけれども。
「──おいお前。どこのガキかと思ったら、あの"イカレ野郎"を喚び出したとかいうヤツじゃねぇか」
「……げっ」
あーマジかよ、ハズレ引いたかも。
セリアいわく、俺の顔や特徴はまだそんな広まってなく、とんでもない能力だけがそれこそ都市伝説みたいに独り歩きしてるって話だったはずなのに。
だから俺も出歩いても大丈夫だろと高を
「……誤解のないように先に断っとくけど、災いをもたらすつもりとか全く無いから。かといって救世主として持ち上げられんのもあれだけど」
「……ほう? どうしてだ。災い云々はともかく、救世主だの英雄だのと持ち上げられんのは悪い話じゃないと思うぜ?」
「……」
「……」
この場で成敗、なんて事にならないようにみっともなく予防線を張ってみたけど、ラグルフから返って来る反応は予想とは違った。
試すように、推し測るように味の深い紅茶みたいな色彩をした瞳で、俺を見据えている。
救世主。
英雄。
確かに憧れるだろうし、男の子の夢だろうね。
けれど。
「……俺、細波 流って言うんだけど」
「……サザナミ ナガレねぇ。で、それがどうしたよ」
「どうしたもこうしたも、この名前気に入ってんの。救世主ナガレとか英雄ナガレとか。響きが悪いっつーか……全然ピンと来なくない?」
「…………それが理由か?」
「まぁ、
「……」
「……──ハ」
それが理由の全てかと言われれば嘘になるけど、割と本音をぶつけて見れば、ラグルフの尖りがちな歯が剥いた。
「クハ、ハッハッハッハッ!!! なるほどなるほど、随分としょうもねぇ理由じゃねぇの!! ガッハハハ!」
「しょうもないとは失礼な騎士だなー」
というか、この人が大笑いしてるもんだから、周りで暴飲暴食繰り広げてた騎士達がめっちゃこっち見てるし。
なんかラグルフ隊長、機嫌直ったみたいだぞとか聞こえるし。
え、アンタが隊長なのかよ。
「いいや、拘りなんてしょうもねぇくらいが丁度良いだよ、ガキ……いや、ナガレっつったか。青臭そうな坊主かと思いきや、なかなか老けてんじゃねぇか」
「ふ、老けてる!? いやいや待て、おっさんに言われたかないんだけど!?」
「誰がおっさんだコラ。ラスタリア騎士団隊長、ラグルフ・アシュトマインだ。おい、エールもう一杯寄越しな!」
「あいよ」
「……へぇ、騎士団の隊長さんなのか。うん似合わない、全っ然似合わない。ぶっちゃけ山賊とかゴロツキっぽい顔だし」
「はん、顔の良し悪しで隊長が務まるかよド阿呆……でだ、ナガレさんよ。お前、なんだってこんなしみったれた場所で飯なんざ食いに来てんだ?」
隊長で年上、うんそりゃそうだけど、この人を敬いたくなる気持ちなんかもう微塵もないね。
老けてるってアキラにも言われた事ねぇし。
俺も大概失礼な人間だけど、このラグルフさんも結構失礼な部類だろ、だからタメ口で良し、はい決定。
けどまぁ、この話の流れは渡りに舟ってヤツなんで、早速本題に入ろう。
「ちょっとした情報収集。風無き峠のワイバーンについて、ラグルフさん何か弱点とか知ってる?」
「……あぁ? 風無き峠……は、なるほどねぇ。話が見えたぜ。お前、セリアの阿呆と一緒にセントハイム王国まで付いてくつもりかよ」
「……や、まだ付いていくかどうかの答えは保留してるけど。とりあえず、その噂のワイバーンがどんなのかって情報だけ集めとこう、かと」
姫様から直接要請されたって事までは知らないみたいだけど、使者の任務云々に関しては隊長だから耳に入れてるのか。
けど、その口振りにどこか蔑みというか、呆れた感じが含まれてるのが不思議だった。
「……ふん。悪い事は言わねぇ、付いていくのは止めときな。お前まで『死にたがり』に付き合う事ァねぇ、そうだろ?」
「『死にたがり』? え、何それ。ワイバーンのアダ名か何か?」
「……馬鹿言え。セリアの事に決まってんだろ。あの命知らずが……勝手にワイバーンの餌にでもなってろってんだ」
命知らず、死にたがり。
それが短いながらも共に時間を過ごした、あの蒼い騎士の呼ばれ方というのは何というか気分が悪い。
そのはずなのに、どこか……死にたがり、そんな形容があの諸刃の様な静かで危うい横顔に、ピタリと当てはまってしまう。
「……セリアが死にたがりって、どういう事」
「……詳しい事情は俺の口からは言わねぇよ。けど、一つだけ教えといてやる」
「……なに?」
馬鹿馬鹿しい話だが、そう前置きして、ラスタリア騎士団隊長は分かり易い真相を一つ、物語る。
「使者の件、あれは任命された訳じゃねぇ。その話が持ち上がった時、アイツ自らが名乗り出たんだよ」
◆◇◆◇◆
もう今更って、そういう事かよ。
さよならって、そういう意味かよ。
砦での、決死の防衛戦に参加して、そこで生き延びたから今度はワイバーンの翼を潜り抜けてってさ。
無茶無謀なんて今更、別に怖くなんてない。
いつ死んだって構わないって事か、なるほど。
俺の命を必死こいて助けてくれたヤツは、"実は単に死に場所を求めていただけ"って事ですか、そうですか。
「──」
長い長い、豪華絢爛な城の中を頭ん中真っ赤にしてズンズン歩く。
すれ違ったメイド服着た宮仕え達の顔がなんか強張ってたけど、まぁ、そんな事はどうでも良い。
思い返せば、初対面の時から違和感はあった。
見ず知らずの俺を庇うようにアークデーモンに挑むし、凍らせてる隙に俺だけでも逃がそうと説得して来るし。
てっきり騎士としてのプライドとか、そういうもんだと思ってたけど。
そういう後ろ向きな自己犠牲心は、生憎と肯定してやれない。
「……むかつく」
同情してやるよ、セリア。
何が目的で好き好んで死線を潜りたがるのかは知らないけど、よりにもよって俺を一時的とはいえ巻き込んだ分の"貸し"は、きっちり払って貰う。
『意趣返し』という、とんでもなく子供染みたやり方で。
「姫様、ナガレです。今良いですか」
『あら……ナガレ様。どうぞ、お入り下さい』
一枚扉の向こうから、テレイザ姫の了解の意を聞き届けて、遠慮なく室内へ。
ほんの数時間ぶりの再会だからか、彼女の薄紫の瞳が少しばかり驚きの色合いを残していた。
考えさせて下さいと言った手前、その日の内に答えを決めてしまうとは、あっちもこっちも予想外だった訳で。
でも、もう決めた。
馬鹿だろお前、もっと良く考えろと言われても知った事じゃない。
「返事、決めたよ。テレイザ姫」
「……そう、ですか。お答え、聞かせていただけますか?」
死にたがり。
じゃあなんで、昨日の戦場で俺の心配なんかしてんのさ。
放っておけば良かっただろうに、綺麗な顔を必死に強張らしてまで。
そう、だから意趣返しとか、そんな理由で充分だろ。
──死にたがりに命を救われっぱなしってのも癪なんで、俺もついて行きます。
俺の目の黒い内は死なせたりしてやんないから
ざまぁみろ。
___
【人物紹介】
『ラグルフ・アシュトマイン』
ラスタリア騎士団の隊長を務める、短い茶髪と無精髭が特徴的な三十代前半の大男。
幼い子供が見れば泣き出しそうなほどに人相が厳つく、言葉遣いや振る舞いは外見通り粗暴であり、およそ騎士とは程遠い。
実力は間違いなく一級品で、彼が居なければ防衛戦はナガレ達の到着前に瓦解していた可能性もあった。