ナガレモノ異聞録 ~噂の都市伝説召喚師、やがて異世界にはびこる語り草~ 作:歌うたい
「私達を取り巻く状況は予断を許さないものではありますけど、急いてはいけません。良いですね、セリア」
「はい、姫殿下。ですが必ずや、この親書をセントハイム王国まで届けてみせます」
「……それだけじゃいけません。届けた後、無事な姿で戻って来るまでが貴女の任務ですから。貴女が詠み上げた騎士の誓い、破ることは許しません。"いいわね、セリア"」
「っ────了解です、姫殿下」
「そこは昔みたいにテレイザ、と呼ぶところでしょうに」
羽の小さな夢見鳥でさえ膨らませた風船みたいに、より高くへ昇って行きそうな高い空の下。
まだ戦傷が見え隠れするガートリアム王国の外壁門で、使節団である俺達を見送る為にテレイザ姫自らのお見送りという訳なんだけど。
言葉の端々に単なる騎士と王女という関係ではないことを漂わせるから、こっちとしても口を挟めない。
そんな俺を気遣ってくれたのか、紫水晶の透き通った瞳がこちらを向いて、柔らかく細まった。
「ナガレ様、貴方の"お返事"、しかと覚えています。どうか、セリアを……無鉄砲で無茶ばかりする『私のお友達』を、どうか宜しくお願いします」
「ん、りょーかい。任せといてよ。無茶ばっかりする友達を持つと気苦労が絶えないね、テレイザ姫も」
「ええ、全くです。うふふ」
「……ナガレに無鉄砲扱いされるのは、物凄く釈然としないわ」
そりゃそうだろう、どっちかっていうと俺は気苦労をかけてしまう側の人間だったから。
けど、今回ばかりは俺もテレイザ姫側に立たざるを得ない。
何故なら死にたがりなんて揶揄されるセリアに加えてもう一人、気にかけないと不安な人物が居るもんで。
そしてそのもう一人は、セリア、俺と来てついに自分の番が来たとばかりにボリュームのある胸を張って、ワインレッドの大きな瞳を輝かせていた。
「ナナルゥさん、アムソンさん。
「オーッホッホッホ!! 異種族であるとはいえ、一つの国の危機ともなれば手を差し伸べるが名高き者の定めですわ! ワイバーンなどわたくし達にかかれば風に千切れる紙屑同然。へそで茶が沸かせますわよ! 勿体ないからしませんけど!」
「微力ながら、誠心誠意務めさせていただきます」
「フフ、心強い事です」
小国とはいえ王族であるテレジア姫を前にしても変わらない、いやむしろ昨日よりも更に得意気なのは流石といえる。
事情は良く知らないけど、とにかくグリーンセプテンバーの家名を広めたがる彼女としては、絶好のアピールポイントなんだろう。
そんな有頂天なお嬢様を前でも動揺した素振りを欠片も見せないお姫様も、なかなか剛の者だけど。
「……貴女達の行く末が無事であるよう願っています。精霊の加護があらんことを」
スカートの端を掴み、感嘆の吐息すら零れる綺麗な一礼。
お姫様からの静かな激励は、なかなかどうして心に火を灯すもんだね。
かくして、俺達はセントハイム王国への道程を歩み出したのだった。
────
──
【微々たる黄金風】
──
────
「……まさに原生林って感じだな、ここ」
「これでも定期的に手を加えている方よ。リコル森林には繁殖力が凄く強い植物ばかりが生息してるから、なかなか開拓し切れないの」
「へぇ。まぁこっちのルートは明らかに公道って感じじゃないもんな」
緩やかに葉先を丸めた、根元の緑から徐々に茜色へと色彩を変えている不思議な植物を軽く突っつきながら深い森の中を進む。
足元の至るところに生えた雑草や苔もそうだけれど、中には絵本の背景にでも描かれてそうな独特の輪郭を持った植物だったり、見たことない虫や小動物が生息する此処は、リコル森林。
ガートリアムの北々東に位置した森林地帯であり、此処を抜ければ風無き峠への近道となる。
近道の為の近道というややこしい経路だけれども、本来ここは土地勘のない冒険者たちが足を踏み入れる事を推奨されてない。
まぁその理由は、方向感覚すらあっという間に分からなくなるこの鬱蒼とした景色を見渡せばすぐに理解出来る事だけれども。
「……渡りに舟って訳じゃないけど、ナナルゥさん達を引き入れて正解だった。俺達だけじゃ絶対迷ってるってこれ。あの二人は、なんであんなサクサク進めるんだろうね」
「ナガレに分かりやすく言い換えるなら、エルフは元々、植物とかの自然との親和性がとても良いのよ。基本的に森深くに独自の集落を築いて生活する種族で、高齢なエルフの中には花や木々と意思疎通出来る者も居ると聞くわ」
「なーるほど、だからナナルゥさんあんなテンション高いのね」
「……彼女の場合、自然に囲まれてるのとは別の要因だと思うけれど」
リコル森林においてのコンパス代わりは旅人の手を逃れて、行く先行く先をぐんぐんと進んでいくからこっちも付いて行くのがほんと大変。
現代で都市伝説を追い掛けて色んな森林や獣道とかを渡る事もあったから俺は多少慣れてるけどそれでもキツイくらいだし、おまけに護身用の剣が意外と腰に来る。
セリアに至っては装甲の重みで足並みが遅くなるのも致し方なし。
先を進むエルフ二人だって動き辛そうな格好なのにね。
『あんまり遅いと置いていきますわよ!』だなんて台詞が時々振り返りつつ投げ掛けられる始末だ。
多分アムソンさんが時々
例えば今みたいに──と、そこで何やら状況の異変に気付く。
視界の先、埋め尽くすほどの樹木の幹と幹との間で、何やら後方の俺達を制するように腕を伸ばすナナルゥさんの姿が目に映った。
「…………ん?」
「……どうしたのかしら」
ゆっくりと手招く黒いオペラグローブに、本能的に息を潜めながら近付いていく。
えっちらおっちらと進んで、ようやくナナルゥさん達の隣まで並べば、異変の原因が直ぐに理解できた。
「……あれ、なに?」
「……知らないんですの? コボルトですわ」
「……あぁ、そういえば昨日ナナルゥさん達がこの森で討伐してたんだっけ。なんか痩せた熊みたいな感じだな」
森林の中の、少し開けた平地で何やらうろついている毛むくじゃらの人影が全部で七。
防衛戦にもちらほら居たワーウルフってのと似てるけど、あっちが狼ならこっちは熊ってところか。
「七体か……どうする、セリア。遠回りする?」
「いえ、先に仕掛けましょう。先を急ぐ旅でも、魔物の数は可能な限り削っておきたいわ」
「……貴女、見かけによらず好戦的ですのね」
「……」
お嬢様から好戦的との指摘を受け、思わず渋面を作りながらもセリアは鞘から剣をスルリと抜いた。
新調したばかりのショートソードの蒼い刀身が、セリアの心を反映してるかのように鋭く光る。
「……ま、それじゃ先手必勝ってことで。ナナルゥさん、エルフの魔法の『威力』ってやつに期待してるよ」
「────も、勿論……わたくしにお任せなさいな!」
「…………?」
あれ、なんか思ってた反応と違う。
もっとこう高笑いするぐらいの勢いだと思ったけど、なんだろこの感じ。
期待感を込めた台詞に、かすかに身震いしながらも慌てて取り繕ったみたいな。
綺麗な横顔がどこか気まずそうに陰って見えるのは、気のせいか。
「【
そんな疑問を秘めながらもアーカイブを浮かび上がらせ、視線は平地の先に居るコボルト達へ。
「じゃ、行くよ、メリーさん……【World Holic】」
だから、見逃してしまった。
ナナルゥさんの様子のおかしさ、その理由に当然心当たりがあるはずのアムソンさんが、静かに、そしてどこか悲しげに目を伏せていたのを。
◆◇◆◇◆
「【
「グォォ……ガ、ァ」
「私メリーさん。散髪屋さんごっこをしましょう」
「────」
「首から上がスッキリしたみたいで何よりなの」
奇襲は上手くいったみたいで、瞬く間にセリアの魔法とメリーさんの鋏でそれぞれ一体ずつ黒灰と化した。
いきなり襲いかかられた上に仲間の数を減らされたからか、けたたましい獣声を各々叫びながらも動揺しているのが獣の顔からでも見て取れる。
「なんと。セリア様の太刀筋もなかなかですが、メリーさんは凄まじいですな。あのような細腕でコボルトの首を断ち切るとは」
「保有技能ありとはいえ、アークデーモンも一撃で倒してたからね」
「高位魔族すら一撃ですって!? そ、そんな力が……というかナガレ、貴方自身は闘わないんですの?」
「……剣、あんま振った事ないんです。そんな俺が飛び出してったら逆に邪魔になるって」
「そ、そうですの……ま、まぁそれなら仕方ないですわね」
「……あれ、てっきり情けないとか言われるもんだと思ったのに。意外」
「ぐぬっ……ちょっと気を遣っただけでしょうに。自覚があるなら少しは鍛えれば宜しいんですわ」
ここ最近はセリアに毎朝剣の素振りとか教えて貰ってるからと返そうとした言葉は、喉から先まで出る事はなかった。
うーん、切り返しの切れ味もなんか覇気がないな。
やっぱりちょっとナナルゥさんの様子がおかしい。
「っ、ナガレ! 一体そっちに行ってるわ!」
「ガァァァァ!」
「うわヤバッ」
セリアの一声に慌てて剣を正眼に構えれば、涎まみれの口元から尖った牙を光らせたコボルトが、雄叫びながら俺へと迫る。
「くあっ!」
息を止めて、衝突の間際、横に転がりながら薙いだ剣がコボルトの腹を切りつけるも、浅い。
回避は間に合ったけど、ダメージ入ってないなこれ。
土がついた膝を立ち上がらせ、再び構えを作って俺を標的と定めたらしいコボルトを睨み付ける。
果たして次は避けられるかと跳ねそうなほど弾む心臓の脈に、嫌な冷や汗がタラリと垂れる。
けど、次に対する杞憂は直ぐさま消し飛んだ。
何故なら、俺にとっての脅威が文字通り視界から吹っ飛んだからだ。
目に見えないほどの速さで繰り出された、アムソンさんの蹴りの一発で。
「……うっそぉ」
「お怪我はありませんかな、ナガレ様」
「ありがと……てか、今のキックは何?」
「執事の嗜みでございますよ」
いや、とてもただの蹴りとは思えないくらいの速度と威力なんですけど。
蹴り飛ばされたコボルト、よく見たら横腹に穴あいてるんですけど。というか蹴りの一撃で魔物を葬ったのかよこの人。
とんでもない『能ある爪隠し』を披露されて度肝を抜かれたけれども、これで残りは四体。
「よっくもナガレを……貴方達絶対絶対ぜーったい! 許さないの!」
いや、どうやら俺に危害を加えられた事で明らかに怒りを露にしたメリーさんの鋏による一撃で、残りが三体。
今のは油断した俺が悪いんだけど、そんな側面など知ったこっちゃないって感じにエメラルドの瞳がギラッと鋭さを帯びていた。
そして、そんな折にふと耳に届いた詠唱。
凛としたセリアの声じゃない、優雅に歌い上げる声は……ナナルゥさんのものだ。
「『真横に敷かれた夜空から、浮かぶ三日月を手にとって』」
セリアのショートソードの面と、コボルトの細くも力強い腕が拮抗するその毛深い背中へ、淑女の指先が向けられる。
「『姿なき巨人が腕を振るえば、三日月が無色を横切った』」
朗々と響く若き貴婦人の詠唱にセリアも気付いたのか、拮抗を緩ませてコボルトの態勢を崩した。
「『この世界の片隅を、些細な神話のように裂く』」
浅いながらの一閃を払いつつ、ナナルゥさんの直線上から急速回避。
それとほぼ同時に、森林をかける淑女の歌声にピリオドが打たれた。
「【
生み出されたのは薄緑の風の刃。
斜めに構えた刀身が空中を這いながら一直線に進んでいき、コボルトの胴体を突き抜ける。
「グ、ォォ……」
「ナナルゥさん……風の魔法使いなのか」
それはさながら、肩から腰にかけて剣を振り落としたかのような、鋭い裂傷。
パラパラと傷口から黒い血液が流れ出て、空気に触れればすぐさま霧状へと変わる。
残りの数は…………なし、か。
どうやらいつの間にかメリーさんが残りの二体までも討ち取っていたらしい。
やっぱり頼りになるな。
「お疲れ様、セリア、メリーさん」
「私メリーさん。ナガレ、怪我はない?」
「俺は大丈夫だって。それにしてもアムソンさんの蹴りもそうだけど、ナナルゥさんの魔法も凄いのな」
「えぇ……ありがとう、ナナルゥ。お陰で助かったわ。それにしても"器用"なものね」
「──へ? あ、いえ……器用?」
「器用でしょう。下級風精魔法だとしても、エルフの魔力なら、本来あんな程度の威力じゃ済まないはず」
「へぇ、そうなのか。んじゃセリアに当たらないように考慮してって訳ね」
「………………ま、まぁ……グリーンセプテンバー家に連なる者として、この程度なら朝飯前ですのよ! 別にお腹空いてませんけど! お、オーッホッホッホ……」
「「「……?」」」
労いの言葉に答えるナナルゥさんの風物詩も、なんだか勢いが足りないというか……なんでそんな複雑そうな顔をする必要があるんだろうか。
謙遜してんのかな。
いや、言ってる事は謙遜してるって感じじゃないけど。
どう見ても様子がおかしいお嬢様に、思わずメリーさんまで一緒になって首を傾げてる。
「ナナルゥさん、なんかあった?」
「ななななな何でもありませんわ! さぁ、遅れを取り戻す為にもサクサク進みますわよ! わたくしの後に付いて来なさい!」
素直に疑問をぶつけて見れば、慌てて再出発を促すナナルゥさんは控えめに言って滅茶苦茶挙動不審だった。
というかこれ、明らかに何か隠してるよね。
けどそんな詮索を振り切る勢いでナナルゥさんが一人先に行くもんだから、致し方なくその後を追い掛ける。
「皆様、申し訳ありません」
「や、別に謝んなくて良いけど」
「……何があるのか、聞かない方が良いのかしら?」
「そうしていただけるとこのアムソンも助かります」
そう粛々と頭を下げられては、こちらも詮索は控えるしかない。
アムソンさんの静かな微笑みだけが、何故だか言葉を詰まらせた。
木を隠すなら森のなかとは言うけれど。
時には隠れ方の下手な木を、見て見ぬふりしてあげる事も必要だろう。
遥か頭上を駆け抜ける鳥の小さな鳴き声が、やけに耳にはっきりと残った。
______
【魔法補足】
『
「真横に敷かれた夜空から、浮かぶ三日月を手にとって
姿なき巨人が腕を振るえば、三日月が無色を横切った この世界の片隅を、些細な神話のように裂く」
下級風精霊魔法
三日月を象ったライトグリーン色の風の刃を、直線上の相手に放つ魔法。
基本的に自身と対直線上にしか撃てないために回避されれば終わりだが、その分速度に優れ、威力も下級魔法にしては高い。