ナガレモノ異聞録 ~噂の都市伝説召喚師、やがて異世界にはびこる語り草~   作:歌うたい

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Tales 62【いずれ七色】

 木枯らしが昔語りのエンドロールを告げると共に預けた頭の後ろで、荒い樹木の肌が優しく削れる。

 フゥと喉から送り出した吐息が、大きく聞こえるくらいに静か。

 あの風鈴の音は、もう耳の内側からしか鳴らない。

 

 

「俺って割と人付き合いのよさそうな顔してるじゃん、自分で言うのもなんだけど。でも、結構面倒臭いとこ多くて。『昔の経験』からかもな、あんまり心も開かない性質だったんだ。

 

だけど、あの一件で……吹っ切れた。

仇討ちなんて時代錯誤な真似しでかしてくれる奴、他に居ない。まぁ、きっとそれ以前からだけど、俺の中でアイツらが、滅茶苦茶大きくなってったから」

 

「……」

 

 

 法律的にみれば、学園風紀的にみれば、一般的にみれば、アキラ達の仕出かした事は正しい事ではないのかも知れない。

 『だからこそ、そういう得難い馬鹿を大切にしろ』

 呆れながらもそう言ってくれた爺ちゃんに従うまでもなく、アイツらはもう、とっくに大事な存在だった。

 

 異なる場所、異なる夜空の星の下。

 それでも夜風が世界を鳴らす度、肩を叩く掌を期待してしまう。

 

 

「埋めるのに必死なんだよ、今。どうせ埋まるもんじゃないのに」

 

「……、──」

 

「俺が闘魔祭──いや。レジェンディアに来てから、色んな事に首突っ込んで、巻き込まれているのは……そんな、臆病で自分勝手な理由なんだよ」

 

 

 葬式をあげる理由には、死者を悼むという他にも、近しい者を多忙にする意味もある。

 悲しみに囚われて、心を空虚にしない為でもあるんだとか。

 死者である当人がその必要性をこんなにも実感するだなんて、皮肉にも程があるけれど。

 

 

「……軽蔑した?」

 

「納得は、した」

 

「そう」

 

 

 こんな身の上話に付き合わせた事に対する文句も悪態も、隣からは届いて来ない。

 けれどもなんとなくそっちに顔を向けれなくて、誤魔化すように傍らに置いたアーカイブの表紙を爪先でくすぐる。

 

 

「お前は思い出を、随分と大事に語ってくれるな」

 

「……悪い」

 

「……別に。ただ。ただ……そうだな」

 

「?」

 

 

 空白の沈黙に、顎をすくい取られれば。

 片膝を抱き寄せながら、彼女が呟く。

 

 

「少しだけ、私はソイツらが羨ましいのかもしれない。過去としてでも、大切にされるなら」

 

 

 その願いは、あちらとこちら、どちらへと充てたものなのか。

 銀めいた灰髪から覗いた緋色が、一番星みたく細められていた。

 微笑むようにも──泣いてるようにも。 

 

 

────

──

 

【約束】

 

──

────

 

 

 どちらにせよ、痛いほどの感傷を秘めた紅い明星に、呼吸を遠ざけてまで見入っていた。

 だから、瞬く間に変わった視界の変化に気付くのが遅れたのかも知れない。

 

 

「……っ、ナガレッ!」

 

「?!」

 

 

 ルークスの瞳が大きく見開かれ、静寂(しじま)を裂く様な叫びを耳にした時には、目の前が闇一色に包まれていた。

 甘い感触と香りと、引き寄せられた衝撃に息を詰まらせて、咳が喉で押し潰れる。

 

 一体、なにがあって、何が起きた。

 柔らかく高い双丘から顎を逸らして見上げれば、吐息が掛かるほどすぐそこに冷美な横顔があった。

 ルークスに抱き寄せられたんだと、実感が追い付く。

 けれどもそれは直ぐに心血を凍らせる恐怖へと塗り潰された。

 

 

「────いきなり何の真似だ、貴様ら」

 

 

 恐怖を誘う変化は、複数あった。

 目に見えないのに質感が重くなる夜の空気、さっきまで俺が寄りかかっていた樹木に深々と突き刺さった『黒い小剣』、緋色が睨む闇の中でかすかに"ぶれた"、何かの輪郭。

 当惑する俺を背後へと庇うルークスの背中越しに見えたのは──

 

 

「損なった」

 

「邪魔をするな、女」

 

「成敗を妨げるか」

 

 

 現れたのは、死神の群れだった。

 セントハイムの夜景を背負った丘下から、黒泥の水溜まりをヒトカタに象ったような、真っ黒い衣の影の群れ。

 

 

(鳥の、仮面……?)

 

 そこから、まるで夜空の月みたく浮かぶ白い無機質な貌の三つ。

 鳥類を模した湾曲の(クチバシ)を持つ仮面達を見て、はじめて彼らが四人組の何者かである事を理解させた。

 

 

「な、なんだって……アンタら、いきなり」

 

 

 温度のない、ひたすらに冷淡な黒衣達の言動と、向けられた事のない無機質な意思。

 そして樹木に刺さった黒剣の存在が、急速に喉の奥を締め上げる。

 

 俺はたった今、彼らに……『殺されかけた』という事に、悲鳴が漏れなかったのは奇跡だった。

 

 

「サザナミ・ナガレ。精霊教の大河に沿わぬ異端児よ」

 

「許すまじ。神秘の冒涜者よ」

 

「汝に死を。背徳者よ」

 

(……精霊教? 異端児? 冒涜者って……)

 

 

 明確な殺意を向けられたのは、初めてのことじゃない。

 こっちに来た当日にアークデーモンに襲われた時だってそうだし、事実、本当に殺されかけた。

 けれどもあの時に肌をなぶったのは、人間が羽虫を払うみたいな、"雑"な殺意で。

 

 今、こうして表情のない鳥白面達から向けられているのは、黒々と渦巻く憎悪の波だった。

 

 お前が憎い、お前が悪い、お前を許さない。

 あえて文字に書き起こすなら、そんな一方的に穿つ感情の刃先を、突き付けられる心当たりなんて直ぐに思い当たれる訳がなかったから。

 

 

「そうか」

 

(……ルークス?)

 

 

 正直、何ひとつ状況に思考が追い付いていない。

 それでもこのまま唖然としていたって状況は好転するどころか、みすみす命を奪われるのだけは確かだ。

 

 アーカイブは樹の根元。

 なら、と震える手で腰にぶら下げたショートソードの柄に伸ばそうとする俺の腕を──褐色肌の後ろ手がそっと掴んだ。

 

 

「奇妙な面だと思ったが、潔癖に汚れたその口上ぶり。貴様ら……"貌のない女神"の信奉者(囲い)か」

 

「……否」

 

「我らは何者にもあらず。(カオ)無き者。名も無き者」

 

「故に人の意志に従うならず。故に我らは世界の意思の代行者」

 

「……ふん。涙ぐましい忠勤ぶりじゃないか、"捨て石共"が」

 

(捨て石……?)

 

 

 冷淡に吐き捨てたルークスの言葉に、死にたがりと揶揄された騎士の横顔が脳裏に浮かぶ。

 女神の信奉者、人の意志じゃなく世界の意思、そして精霊教。

 もしかしたらと、彼らの背景にある物がほんの少し見え透いたところで。

 

 

 心臓が跳ねた。

 

 

 

 

「ふざけるなよ」

 

 

 

 

 胸の内の鼓動を引きちぎれるほど駆り立てたのは、変化だった。

 

 

 深海の底よりも暗く冷えた声色を奏でたさっきまでの隣人が(まと)う、夜の黒すら塗り潰せそうな濃密な気配。

 決して表面的な変化じゃないのに、仮面の奥で息を呑む者達が向けてきた殺意が、生易しかったとすら感じるほどに。

 

 

「貴様らが。よりにもよって私を『忘れてくれた』連中が……今度は、奪うつもりか。やっと見つけた、光を」

 

 

 夜の宵闇が死ぬ。

 空間そのものが重苦しい。

 

 

「私を憶えてくれるヒトを」

 

 

 肌が音にならない悲鳴をあげる。

 呼吸の仕方すら、忘れそうだった。

 

 

「世界の意思が、だと? ふざけるな。そんな小さなモノ、知ったことか」

 

 

 恐ろしいという感情すら追い付かない、余りに大きな感情の流動に、ただ立ち尽くしている俺を。

 

 

「ナガレ」

 

 

 なのに、どうして。

 振り返った緋色(ルークス)の瞳は、そんなにも優しく見つめているんだろうか。

 

 

「もし……覚えていてくれたなら。また、明日。ここで逢おう。"今度は、詫びは要らない"。だから──」

 

 

『私の名前──もう一度、呼んでみてくれ』

 

 

 この丘で久しぶりと口にした後に。

 彼女の名前を当たり前に呼んだ時と、同じように。

 

 無垢な子供みたいに、儚く、どこかすがる様な眼差しで。

 

 

「──約束、だ」

 

 

 どうしてか。急激に薄れゆく視界。

 色が負ける、目の前の緋色がぼやけていく。

 

 その最中で『残ったもの』は、告げられた約束事が一つと。

 

 

 

 ルークスの掌の上で揺らめく、黒白(モノクロ)の───

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

『何が、起きているんだ』

 

 

 目の前の光景に、残酷に転がった現実に、固唾(かたず)すら形を無くして露と消えた。

 白蝋の仮面で隠した顔の蒼白ぶりは、鏡を見るまでもない。

 

 片方の手に収まった黒剣の刃先が、震える事すら通り越して、茫然と地の草花と絡む。

 渇き切ったカサカサ、という草の音が、口の中の水分ごと奪ってしまったかのように。

 

 

「自ら総てを捨てたのなら」

 

 

 何が、起きたのか。

 仮面の奥で。黒衣の内側で。

 青年は、闘魔祭の初戦にて魔女の弟子に敗れた青年、ビルズ・マニアック"だった者"はただ青褪めた。

 

 理由は一つ。

 失ったからだ。信仰と誓いを共にした同胞を。

 刹那の内に。わずかな一時の間に。

 名と貌を自ら無くした彼らとて、まだ肉と骨と正義はあったのに。

 

 

「灰になるとて、身軽だろう?」

 

 

 奪われたのだ。

 呆気なく。

 目の前の、灰髪の女に。毛先だけが朱い者に。

 意識を失い安らかに横たわる異端を庇い立つ、緋色の魔女に。

 

 彼女の掌から今も淀み燃え上がる、黒と白に。

 【モノクロの炎】に。

 自然が編み、生む物ではない色に焼かれて。

 彼の同胞は、まるで世界そのものから存在さえ削り取られたかの様に、悲鳴もなく塵となった。

 

 

「……ば、化物。なんだお前は。なんだその炎は! そんなもの。そんな魔法は──」

 

「あってはならない、か。いつの時代も、お前達はそうだな」

 

 

 有り得ない。

 

 炎は赤く燃えるもの。

 水は青く留まるもの。

 風は緑に光るもの。

 土は黄に築くもの。

 雷は紫に瞬くもの。

 光は白に輝くもの。

 闇は黒に呑むもの。

 

 

「なら、最期に教えてやる」

 

 

 では、そのモノクロの炎はなんだ。

 何が司り、何色に(あや)め、何を行使するというのか。

 

 

この色(モノクロ)は、ただ灰にして奪うモノだ。祈りも、呪いも、命も、記憶も。(すべ)て」

 

「──そんな、魔法(モノ)は……」

 

 

 有り得ない。

 

 あってはならない。

 

 

 世界に満ちる精霊から受け取った魔法は、刃となり叡知となり、それでも人の繁栄の基と根差す。

 時に争いを生み、時に魔を撃つ為の剣となり、時に寄り添い恵む法。

 

 それが精霊魔法であり、ビルズが信奉し尽くしてきた絶対的な教えであるのなら。

 

 

 赦してはならない。

 

 

 精霊を模した某かを、招き象る奇術も。

 黒と白に()く灰色の炎も。

 総じてそれらは、異端である。

 

 

「精霊がッ!! 世界の意思が、赦すものかァァァァァ!!!」

 

「……無礼者が。誰に言っている」

 

 

 だが、正義を吼えて、信仰を刃に乗せて挑んだ彼は、火遊びを止めたモノクロの業火に、いとも容易く呑み込まれ。

 

 

「あ──」

 

 

 焼かれる瞬間すらなかった。

 肉が焦げる音もなく、体内の水分が蒸発する間もなく。

 ただ奪われる。(すべ)て。

 

 灰を、灰に、還すように。

 

 

「言ったはずだ。知ったことか、と」

 

 

 焔の温度の一欠片も宿さない、冷悧な彼女は静かに月を見上げる。

 

 

「私は、魔王なのだから」

 

 

 焼失した命の行方を見送るようにか。

 それとも。

 ただ一つの希望の光。

 その約束の行方を、乙女のように想っているのか。

 

 

 

◆◇◆

 

 

「……っ、くぁぁっ……、……?」

 

 

 鼻先に落ちた枯れ葉のくすぐったさを嫌がれば、自然と頭が冴えた。

 冴えたは良いけど、ポツポツと浮かんだのは疑問符ばかりだった。

 

 あれ。

 いつの間に寝てたんだ、俺。

 

 

「うわ、めっちゃ土ついてるし……」

 

 

 何も敷かずに寝転がってれば、服が汚れるのは至極当然で。

 辺りを見渡しながら衣服についた土を払い、げんなりとした息を吐く。

 

 現代日本じゃないんだし、野盗だっているかもしれないのに、なんでこんなとこで爆睡しちゃってんのかね。

 幸いアーカイブもスマホも樹の根元にあったから良かったけれども。

 

 

「それにしたって、どんだけ寝てたんだよ。ったく、それならちゃんと起こして────あれ?」

 

 

 と、そこでふと気付く。

 アイツが居ない。

 思い返せば気恥ずかしい俺の過去やら迷いやらを打ち明けた、彼女の姿は見渡したところでどこにも見当たらない。

 

 

「ルークス? おーい!」

 

 

 どういう事なんだろうか。

 もしかして、話の最中に寝てしまったのか。

 いや、幾らなんでもそんな寝落ちみたいな真似はなかったと思うんだけども。

 確かに闘魔祭での疲労がかなりキテたってのは事実だけども。

 

 

「……呆れて帰った、とか?」

 

 

 あやふやな記憶を辿ってみても、どうしてか、ハッキリしない。

 何か機嫌を損ねる事をしてしまったとか、話の内容の青臭さに呆れたとか、面倒になったとか。

 

 ルークスのクールな性格的に有り得そうだけど、やっぱ腑に落ちない。

 それに、多分、あの話は最後まで聞いてくれてたと……そう思う。

 確証はないけれども、確信はある。変な感じだ。

 

 

「…………帰るか」

 

 

 とはいえ、ここで一人あーだこーだ考え込んでも答えは見つけれそうにないし、流石にそろそろセリア達にも心配かけてしまいそうだし。

 仕方ない、と割り切って、アーカイブとスマートフォンを回収。

 なんとなくポンポンと樹の幹を叩く。

 尖ったもので穿たれた痕あるけど、なんだろこれ、なんて思いつつ、背を向けた時。

 

 

『もし……覚えていてくれたなら。また、明日。ここで逢おう』

 

 

 リフレインが、囁いた。

 

 

「────あ。そういや、そんな約束……」

 

 

 前後は全くもってハッキリ思い出せないのに、そこだけ切り取られたように思い出す。

 まるで耳奥から記憶に囁かれてるみたいに。

 願うような声と、どこか儚い色した瞳も、ご丁寧に浮かび上がって。

 

 

「……」

 

 

 樹の方を振り返れば、そこには何もない。

 ルークスの姿も、アイツに渡したお詫びの品も。

 

 だったら、まぁ、うん。

 明日にまた逢うときは、変な話してごめん、みたいな謝りは要らないだろう。

 

 

「むしろ怒るのもアリかも」

 

 

 寝てしまったとはいえ、先に帰るのはナシだろうってさ。

 

 すっきりとした早朝みたいな澄んだ夜風に、機嫌と一緒に口角が上がる。

 深刻ぶってた癖に聞くだけ聞いて貰って、ちゃっかり調子を戻してる自分は、お嬢のことをお調子者だとか、とやかく言えやしないだろう。これからも言うけど。

 

 足取り軽く、丘を下る。

 ポツンと昇る銀色の月が、いつも以上に退屈そうに見えていた。

 

 

 

 

 


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