ナガレモノ異聞録 ~噂の都市伝説召喚師、やがて異世界にはびこる語り草~ 作:歌うたい
『まず精霊魔法使いにとって、理想的な距離とはどの位置か』
傍らの樹木が無数に宿す、緑色した楽器達の間を、凛々と鳴る声質が滑らかに通った。
『それは……なるべく距離のある遠くの方が良いに決まってますわ』
『えぇ、そうね。各国の軍部にある魔法部隊も、後方から魔法を展開して前線を支援する。精霊魔法は基本的に、詠唱を介する事で発動するから。でも、ここには"前提"がある』
『前提?』
『そう、詠唱の際に無防備になる精霊魔法使いを守護する部隊がある、という前提。勿論これは部隊だけじゃなく小規模でも同じ事。貴女の場合だと、アムソンが守護的役割になるわね』
『……まぁ、そうですわね』
ざわりと吹いた風に運ばれる木の葉の先を、紅い瞳が追いかければ遠くの方に件の執事の背が映る。
その対面で膝をついて、肩で息をする青年の姿も漏れなく。
なだらかな丘の上。闘魔祭の予選を控えた昼下がり。
機嫌の良い気象が澄み渡る空の下で行われている、闘魔祭に向けた修行の風景がそこにはあった。
『けれど闘魔祭では、当然貴女だけが一対一で闘う事になる。つまり今述べた前提が変わってくるの……特に貴女が目の敵にしているエトエナとの試合ではね』
『ど、どういう事ですの?!』
『精霊魔法使い同士の試合は一概には言えないけれども、魔法と魔法の撃ち合いになると思うわ。何故なら、得意とする距離が同じだから』
『魔法の、撃ち合い……』
『えぇ。魔法の撃ち合いは、属性の相性も関係してくるせれど……やっぱり火力の大きい方が押し勝つわ。言いづらいけれど、ナナルゥ……"そうなれば"、貴女に勝ちの目はないでしょう』
『ぐっ……』
セリアの歯に絹を少し挟んだ物言いに、レクチャーの受講生徒たるナナルゥは押し黙るしかない。
反論したい感情は並々以上、けれどセリアの弁は彼女自身が一番身に染みている事でもある。
エルフにあるまじき落ちこぼれ。
彼女の紡ぐ精霊魔法は、威力だけ見れば並のエルフよりも下回るのだから。
『そもそも炎精霊魔法は純粋火力の高い魔法が多いし、エトエナはその使い手なんでしょう? だったら尚のこと撃ち合いは向こうの独壇場になるわね』
『……』
ナナルゥが好む正面からの王道制覇は、どう考えても分が悪い。
口を尖らせつつ項垂れる。だが、その顔にいつもの爛漫な可憐さが戻って来るのも直ぐだった。
『でも……一つだけ。風精霊魔法使いのナナルゥなら、明確に有利を取れる要素があるわ』
『えっ、マジですの?! そ、その要素とはなんですの! 勿体振らずに教えてくださいまし!』
『えぇ、それは──』
教鞭似合いし蒼き騎士は、アドバイスをかく語りき。
『機動力よ』
「
「
────
──
【炎狼】
──
────
瞬間的に巻き上がった魔力に、空気が弾ける。
剛、と音立てて赤い魔法陣から放たれた業火の矢は、まさしく敵を貫く弾丸だった。
紅い軌道の先には、紅い瞳を持つ少女。
その華奢な身体を食い破らんと迫る矢を前に、けれど彼女の紅い瞳に脅えはなかった。
ふわり、というあまりに柔らかい擬音。
無遠慮に迫る業火の矢のアプローチを冷たく袖にするように、天使の靴を履いた淑女は、呆気なく軌道上から舞い上がった。
『切った火蓋をそのまま着火したかの様な、エトエナ選手、先制の電光石火ァ! 対するナナルゥ選手、二回戦でも見せたスカイウォーカーで軽やかに飛翔してみせました!』
「ふふん、開始と同時にぶっ放すなんて気の短いちんちくりらしいですわね。そう来るのは見え見えでしたわ!」
「……高いとこに昇った途端、態度が余計に大きくなる。アンタこそ、らしいほどにバカ丸出しね」
「誰が高いところがお似合いなおバカですってぇ?!」
「自分でも良く分かってんじゃない」
過剰に拾い上げた侮蔑に憤るナナルゥを見上げながら、エトエナは呆れ調子を崩さない。
けれどその冷淡な口振りとは裏腹に、爛々と光る彼女の赤瞳はキリリと弓弦の如く吊り上がっていた。
「今にその減らず口を利けなくしてやりますわ!
「!」
靴から伸びた翼が、助走をつけるように大きく羽ばたく。
余波によって落ちていく、淡く緑光に煌めく羽根の一片の行方を、追い掛ける余裕はない。
ステッキを振ると同時に編み出された風の刃が、空を裂いて迫っているのだから。
「【
先程の
高密度で編まれた障壁に、緑色の刃は僅かな拮抗を見せるけれども、あえなく元の風へと掻き消えた。
しかし、掻き消えたのは風刃だけではなく、赤黒チェックドレスの陽炎も同様で。
今度はエトエナの斜め後方より、追撃の一手が繰り出された。
「『
「っ」
いつの間に。
そう悪態をつく暇を殺して、エトエナもまた即座に障壁を展開する。
衝突し、霧散する。先程と同様の、焼き回しの光景。
しかし、意をつかれた形になった故か、障壁のタイミングが先程よりも少し遅れている。
その僅かな明暗に、旋回しつつもエトエナの一挙一動を観察していたナナルゥの不敵な笑みが、濃さを増した。
「『
「
もう一度。今度は大きく回り込んで、横っ面に刃を放つ。
速く、疾い連撃。
さながら風そのもの染みたナナルゥの機動は、翼を持たない者の一秒の余裕を、緻密に削り取る。
このまま障壁で迎え打っては後手に回ってしまうだろう。
そう判断したエトエナは、飛来するエアスラッシュにブラッディを放つことで、相殺。
目論見通りに小賢しい一手を防いだものの、その幼く可憐な顔立ちは未だに険しい。
「
「欠伸が出ましてよ!」
舌打ち混じりに機先を制す為の攻撃を放つが、緑閃光は鮮やかに弾道を掻い潜る。
標的の影にすら触れれず、客席に向けて業火の矢が飛来するが、運営側が用意した精霊魔法使い達が展開した魔力障壁に阻まれ、呆気なく形を崩した。
(セリアの言った通りですわね!)
息つく暇を与えず、ステッキを振るい風刃を放つナナルゥの口角が上がる。
予選前にセリアからレクチャーされた戦術。
蝶のように舞い、蜂のように刺す。
地に足つけての魔法のぶつけ合いでは、ナナルゥ・グリーンセプテンバーに勝ち目はないだろう。
ならば、制空権を握り、有利を活かして手数の多さを叩きつける。
自分を落ちこぼれと弾く
「チッ、ちょこまかと!」
「どこを見てますの、ちんちくりん!」
天使の靴を履いた、空戦機動によるアドバンテージ。
これこそが、蒼騎士のいう風精霊使いの強みであり、有利な要素だった。
「隙有りですわ!」
「──!」
僅かに出来た膠着の隙間を、緑閃光が瞬く。
地を削り直前まで迫ったエアスラッシュ。エトエナも咄嗟にエレメントシールドを展開するが、対応そのものが些か遅れてしまっている。
その遅れが生み出した衝突の余波に、エトエナの小柄な体躯では堪えきれず、圧されるように後退した。
『これは……ナナルゥ選手、見事な機動力です! 鳥の様に宙を駆け、エトエナ選手を圧倒しております! これはエトエナ選手、苦しいかー!?』
「オーホッホッホッ!! どーしましたの、エトエナ! ことあるごとにそよかぜと
「ちょっと
「言い訳染みた弁明にもいつもの様な小生意気さが欠けてますわね! あぁ、良い気分ですわぁ……オーホッホッホッホッホッホッホッ! なんだかいつもより長めに笑ってしまいますわね!」
「こんのバカ風……分っかり易く調子に付いてくれちゃってぇ……」
言ってしまえば、それは積年の恨みつらみの反動でもあるのだろう。
幼き頃は精霊の生まれ変わりとまで持て囃され、時を経るごとに落ちこぼれと揶揄されたナナルゥ。
彼女と対照的に、才能の開花と共に秀才と扱われ、自らの隣から遥か先へと離れていったエトエナへの、根深い悔恨。
そんな積年の相手を圧しているという確かな手応えが、ただでさえ調子付き易いナナルゥの心を有頂天の極みへと押し上げていた。
しかし。
「……ふん、まぁ良いわ。テンション極まったバカを、一気にドン底に叩き落としてやるっても──悪くないでしょうし」
理解しなければ、否。
もう一度、"思い出させてやらなければならない"。
「ナガレっていう、エセ精霊魔法使いと……セリア"先輩"も見てる事でしょうし……折角だから、"見せて"あげるわ。『
『おおっと、ここで秘策でありましょうか! エトエナ選手が取り出したのは……!』
「……、──フルート?」
「来なさい──────"ハティ"」
小さな掌に握られたのは、紅い金属で造られたフルート。
当惑するナナルゥに、そして、観客席にて試合を眺めているナナルゥの連れ添いの一団へと、挑発的な笑みを前奏に。
【─────】
澄んだ独奏の音色が、風に溶ける。
音という振動の集積体に、形などありはしない。
だというのに、エトエナの周囲から、フルートの音色に同調するかの様に"赤い光の奔流"が巻き起こる。
その現象は、まるで。
トリックスターと名が通った奇術師が招く、『あの現象』とよく似ていて。
ならば、八月の金色もまた、同様に。
赤い音色によって、ナニカを招くのが道理と云えよう。
「…………、────そんな」
『……う、そ……』
ナナルゥ・グリーンセプテンバーは、呆然と息を飲む。
そんな馬鹿な、あり得ない。
当たり前の様に紡げるはずの言の葉は、けれど形に続かず、喉の内側で溶けていく。
否定したかった。彼女の紅い瞳に映る存在を。
赤い光の奔流が渦巻く中心から、浮かび上がるシルエットを。
【────グルゥゥ……】
燃え盛る焔の如く、赤い毛並み。
喚び主であるエトエナにも及びそうなほどの体躯。
鋭い金色の輝きを放つ両眼と、
「アンタ如きに、この子を"喚ぶ"つもりはなかったんだけどね……気が変わったわ」
「な、な……」
その威容は、その"らしさ"は、彼女がエセと呼んだ青年が呼び出す存在とは、比べ物にならないほどに。
精霊そのもの。
「存分に味合わせてあげる。
この精霊の────いいえ。
"炎狼ハティ"の、強さをね」
【ワオォォォォォォォォンッッ!!!】
主の言葉に同調するかの様に。
紅蓮の狼が、蒼空へ向けて──猛々しく、吠えた。