ナガレモノ異聞録 ~噂の都市伝説召喚師、やがて異世界にはびこる語り草~   作:歌うたい

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Tales 74【エアウォーク・シンデレラ】

「…………家訓、ね。随分懐かしいもの持ち出してくれんじゃない。でも、向かい風から逃げてばっかりのアンタに、叩く資格のある口上かしらね?」

 

「資格がないのなら、今からでも手にすれば良いまでですわ! そして我がグリーンセプテンバーが家訓、貴女にもみっしりみっちりと叩き込んで差し上げますわよ、エトエナ!」

 

 

 風向きが、変わった。

 形は不定で目には見えない。けれど確かに変わったのだと肌から得た確信は、強い。

 闘いという状況においての、対峙する相手の前向きな変化。本来なら歓迎したくはない風向きだろう。

 

 それでも、エトエナは雪景色を見渡す狐みたく涼し気だった。

 目を細めた長い睫毛がしっとりと、開いて閉じて。

 引き結ばれた口元は、相変わらず強気で不遜なまま。

 けれどもどこか、ノスタルジーを甘く噛んだ彼女の懐旧が、炎熱に当てられたように揺らいだ。

 

 揺らがせた熱は、きっと火花。

 決着を望む真紅と深紅の視線が咲かせた、火の花だった。

 

 

『…………ハッ! な、なんかそれっぽい雰囲気にそのまま流しちゃいそうでしたけど、ちょーっとお待ちください! 先程のナインちゃんの乱入について、まだ片付いてないんですよう!』

 

 

 だが、そうは問屋が卸さないとばかりにミリアムが待ったをかけた。

 運営側からすれば、一番に片付けないといけないのはナインの乱入についての処遇。

 ミリアム自身の本意ではなくとも、そこを明確に処置しなければという詰まった言葉を彼女は並べるが。

 

 

『だから厳正な調査の為に、一旦試合を中止してですね────ん…………へ? えっ、もう本部から調査報告届いた?! うわはっや! い、いやいや、お仕事早くて何よりです、助かりますハイ。で、えっと…………!』

 

 

 タイミングを見計らったようにミリアムの元へと届いた通達に、彼女は観覧ブースの一角でギョッと驚嘆する事になった。

 

 

『え~~~っとぉ、会場内の監視員による迅速な調査によりますと、ナインちゃんの乱入に関しては、決して故意ではないという結果が出たとの事です! エトエナ選手に危害を加えたという訳でもありませんし、今回はアクシデントとして処理し、厳重注意に留めるとして……ナナルゥ、エトエナ、両選手ともに準備も万端みたいですので────試合はすぐに再開させていただきます!!!』

 

 

 結果は、試合続行。

 急な展開の連続に少々客席がどよめくくらいに、あまりに迅速過ぎる対応の速さ。

 中には運営対応の速さに、本当に厳重な調査だったのかと(いぶか)る人間も居た。

 当のミリアム自身も若干困惑しているくらいだから、無理もない。

 

 だが、客席の大半は、試合が続くのなら構わないとばかりに次第に盛り上がりの歓声を上げていった。

 ここに集う国民からすれば、一番の目的は選手同士の熱き闘いを観戦する事なのだ。

 

 不正行為はいかんともしがたいとしても、それが結果的にアクシデントだと判断されたのなら、本来の目的に立ち戻るだけ。

 加えて、ナガレ自身のこれまでの活躍ぶりもあり、不正を訝しんでも、彼の失格を心から望んでいる観客は殆どいなかったという側面もあった。

 

 

「両選手、準備は良いですか?」

 

「いつでもいいわよ」

 

「えぇ、わたくしも…………ナイン。よく、見ておきなさいな」

 

「キュイ」

 

 

 そしてスポットライトの焦点は立ち替わり。

 互いの魔を争う祭典が、目には見えない試合再開の花火を打ち上げるのだった。

 

 

 

────

──

 

【エアウォーク・シンデレラ】

 

──

────

 

 

 再開の第一手は、奇しくも互いに、始まりをなぞる。

 

 

ブラッディ(深紅の矢)!」

 

スカイウォーカー(天使の靴)!」

 

 

 速攻性に優れた火炎の弓矢は、飛び立つ天使の翼を刈り取るには至らない。

 紅蓮を置き去りに宙を舞う姿は優雅だが、しかしナナルゥの表情は厳しいもので。

 

 

(エトエナが最初と同じ手を? ……いや、そんなはずありませんわね)

 

「ハティ!」

 

【グオゥ!!】

 

 

 懸念はすぐに現実となり、エトエナの一声に呼応して炎狼が再び火炎弾を環状に漂わせる。

 ユラユラと遊戯染みた焔は、その一つ一つが並外れた魔力を持つ事は、ついさっき苦渋と共に味合わされたばかり。

 

 咆哮と共に放たれたガトリング(連弾連射)を、防ぐ術はナナルゥにはない。

 

 

「っ! なんのこれしき!」

 

(落ち着くんですのよ、わたくし! よく視るんですのよわたくし! これしきの攻撃、避けれない程ではありませんわ!)

 

 

 防げないなら、避け切るまで。

 目を凝らして、火炎弾を掻い潜る。

 情熱が過ぎる強引なアプローチなんて、袖にしてやるとばかりに。

 海を泳ぐイルカの如く、流動的に、最小限に。

 無我夢中で翻る彼女の姿は、本人の必死さとは裏腹に、美しい軌道を描いた。

 

 

「すげ……」

 

「わぁ……あのエルフのお姉ちゃん、綺麗……」

 

(……チッ、そんな身体の捌き方、どこで覚えたってのよ)

 

 

 感嘆に満ちた歓声さえ漏れ聴こえるほどの、美しい空戦軌道。

 それはナナルゥの可憐な外見のみならず、確かな"技術に裏付けされている"が故の、無駄のなさが大きな要因といえて。

 誰が技術を叩き込んだかなど、エトエナにしてみれば心当たりは一人しかいない。

 

 

(……単に甘やかしてた訳じゃないって事ね、アムソン)

 

「今度はこっちの番ですわよ!」

 

「!」

 

 

 はぐれた意識を戻せば、文字通り空を飛翔しながらいつの間にかステッキを取り出したナナルゥが、その杖先を振るう。

 種も仕掛けも魔の付くもので出来た風の刃が、エトエナに向けて放たれた。

 

 

エアスラッシュ(空咲く三日月)!」

 

「それは通らない、ってんでしょ! エレメントシールド(精霊壁)!」

 

 

 この試合だけでも充分見慣れた風の刃では、エトエナの障壁を突破することは出来ない。

 苛立ち混じりに防いで無駄だと吐き捨ててやれども、空を疾走するナナルゥは躊躇うこともなく再びステッキを振りかぶった。

 

 

エアスラッシュ(もう一発ですわっ)!」

 

「チッ、馬鹿の一つ覚え……っ?!」

 

 

 多少回り込んでからの連射だからといって、障壁が間に合わないはずもない。

 この期に及んで自分を侮っているのかと舌を打つ唇が、僅かに歪んだ。

 

 放たれたエアスラッシュの軌道が違う。

 エトエナを標的とするには弾道が"低い"。

 否、狙いはエトエナではなく──その目の前の、地面。

 空を咲き裂く三日月は、鋭く地に堕ちて、荒く砂埃を打ち上げた。

 

 

「【シルフィード(風の精霊よ)】! 土煙でカーテンを作りなさいな!」

 

「っ!」

 

(土煙を精霊操作で更に巻き上げての目眩まし……! 単純バカの癖に、小賢しい真似を)

 

 

 視界を奪う。

 単純な搦め手だが、王道を好むナナルゥを良く知るだけに意表をつく形となったのだろう。

 煙る土砂に形の良い眉を潜めればその最中、エトエナの耳に滑り込むのは、更なる一手を詠むソプラノ。

 

 

「『高嶺に咲く心に、荒く触れること勿れ』」

 

(詠唱……! チッ、詠唱の中身までは流石に聞き取れないけど……)

 

「『可憐の裏はかく脆く、愚直ではただ壊すだけ』」

 

(……多分、アイツの狙いは、高威力の魔法を紡ぐ為の時間稼ぎとハティとの連携崩し。フン、ちょっとは考えたって訳ね)

 

 

 視界を奪ってからの詠唱。

 位置が遠く内容こそ聞き取れはしないが、恐らくはエトエナの魔法障壁を突破出来る程の、高威力の上級魔法だと彼女は推測する。

 わざわざ土煙のカーテンを作ったのも、ハティはエトエナの的確な指示がなければ『動きが鈍る』と見ての判断だろう。

 

 

 確かに一見、エルフらしからぬ出力しか出せないナナルゥが取るならば、実に有効な戦術とみて良い。

 即席にしては悪くない、知恵の回し方。

 けれど不幸な事に、対エトエナに限っては悪手ともいえた。

 

 

「『願わくば。風に吹かれて落ちる時に』」

 

【グルル……!】

 

(けど……残念だったわね。アンタには"分からない事だろう"けど……アタシとハティは、感覚を共有出来んのよ)

 

 

 単純な話、エトエナとハティは視界さえも共有出来る。

 故に、高度な魔法詠唱の為に空中で足を止め、隙を晒すしかないナナルゥの姿も、彼女にはしっかりお見通しで。

 猟犬は足を鈍らせることなく、淑女の無防備な背中に向けて飛び掛かった。

 

 

「……そこよ! とっちめなさい、ハティ!」 

 

【グォォ!!】

 

「『軌跡を辿って、ただ、優しく受け止めて』」

 

 

 だが、ことここに至り。

 悪手を打ったのは、ナナルゥの方ではなく。

 相手を侮ったのは自分の方であったのだと、直ぐ様知らしめされる事となる。

 

 

「っ、引っ掛かりましたわね! お空の向こうまで吹っ飛びなさいな!

 

「『ジェイド・ドーム(翡翠の棄却)』!!!」

 

「なっ────ドーム(防衛)魔法ですって……!?」

 

 

 ナナルゥの足元から花園の様に咲き広がる魔法陣が生み出したのは、翡翠色の"上昇気流の渦"。

 中心に立つ『高嶺の花』に触れさせまいと、巻き起こる風の勢いは凄まじく。

 

 

【クォンッッ?!】 

 

「ハティ!」

 

 

 無遠慮に荒く触れようとした焔の狼の体躯を、高く高く。

 それこそ客席の視線が下から上へと上がる程に、真上の高くへと吹き飛ばした。

 

 

「はぁ……っ、流石に、魔法の連発は堪えますわね……」

 

「アンタ、最初っからアタシじゃなく"ハティ"を狙って……!」

 

「う、ぐっ……オホホ、そのとおりですわ。油断大敵、とゆーやつですわね、ちんちくりん」

 

(……エトエナだけを土煙のカーテンで覆ったところで、目眩ましにもならないのは分かってましたもの。ナガレいわく、感覚りんくキノウ……とかいうやつでしたわね)

 

 

 相次ぐ魔法の連発で額に脂汗を垂らしながらも、してやったり、ナナルゥは不敵に笑う。 

 

 自身を囮にした、僅かな間とはいえ、ナナルゥとエトエナの一対一に持ち込む為の一手。

 エトエナの『闘魔祭初戦』。そして彼女の連れ添いであるナガレの戦いぶりを彷彿とさせる戦術。

 エトエナのハティと、ナガレのワールドホリックとの類似性。

 

 それら全てに賭けた──ギリギリの綱渡りだった。

 手際には粗が目立つとしても、きっと試合が始まる前のナナルゥならば、選ぶ事は出来なかった思い切りだろう。

 

 

「さぁ! フィナーレと行こうじゃありませんの……エトエナ!」

 

 

 そして、その成果が実を結んだならば……最後は。

 

 思い描く理想の姿を実現するべく、詠うだけ。

 勝つために。示す為に。唱うだけ。

 

 

「『自由気儘に縛られる事を呪うから、淑女はいつも空回る』」

 

 

 一度、深く呼吸するかの様に、大きく天使の翼をはためかせて。

 九月の深緑は、地より空を睨む八月の金色へ目掛けて滑空した。

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 ナナルゥ・グリーンセプテンバーは、確かに臆病といえたし、彼女自身も自覚している事ではあった。

 賢知たる者と呼ばれるエルフという種族においての、並以下の落ちこぼれ。

 逃れようのない自覚という腕の中に捕まりながら、それでも領主の家名を誇り続け、自分を鼓舞し続けていた。

 

 けれども。

 

 落ちこぼれである事自体を言い訳に、自身の限界を『設定』し始めている自分が見え隠れしだしたのは、いつからだっただろうか。

 エトエナの揶揄する臆病風に吹かれ、厳しい向かい風に背をむける事が増えたのは──いつからだっただろうか。

 

 

「『退屈しのぎに彼方此方へ、鈍い色した自由を求めて」』」

 

 

 心からの誇りであり、ナナルゥの心の拠り所であった自慢の両親。

 それをたった一夜にして奪われた傷跡は、拭えぬ恐怖心という形でずっと心に巣食っていて。

 

 次代の領主としての責任から逃げているだけだろうと突き付けられた時、反論の言葉を紡げなかったのも当然だろう。

 何故なら、それは紛れもない事実だったのだから。

 

 

「──真っ正面から!? 仮にも精霊魔法使いがどういうつもりよ……っ、ええい、詠唱破棄(スペルピリオド)!」

 

 

 鷹の如く、全身で風を切りながらの急降下。

 周囲の景色ごと、付きまとい続けた臆病さを置き去りにするかの様な速さに、彼女自身、恐怖を抱かない訳ではない。

 それでも恐れと共に沸き立つ不思議な高揚感が、妙に心地良かった。

 

 

 舌先で転がす詠唱は、風も鳴かない峠で心の奥底にそっと吹いた"そよかぜ"に支えられた、『あの日』以来。

 

 震える膝を押さえ付けて立ち上がる事を覚えた、『あの時』以来。

 身体の芯から溢れ出す、この"高揚感"も……きっと、あの日と同じモノだった。

 

 

「『ブラッディ(深紅の矢)!』」

 

「……っ」

 

 

 文字通り、愚直とも呼べる正面からの突撃に、戸惑いつつもエトエナが放った牽制。

 詠唱破棄でありながらも人並み以上の威力を持つ、業火の矢。

  ナナルゥの密度の薄い精霊壁では、防げるかどうかも怪しい。回避のタイミングも際どい。

 

 しかし、ナナルゥはそのどちらもせず。

 硬く唇を引き結びながら、僅かな魔力を纏わせた"左腕を差し出した"。

 

 

「いッッ──くあぁぁぁぁぁ!!!」

 

「なっ、嘘……」

 

 

 結び付く結果は、火を見るより明らか。

 魔力の焔に包まれた左腕から走る激痛に、ナナルゥは絶叫に近い悲鳴を挙げた。

 腕を包んでいたオペラグローブは一秒も持たずに燃やし尽くされる。

 左腕の、陶磁器の様な白い肌は魔力の熱になぶられて見る影もなく、火傷まみれになってしまった。

 

 

「ぐうっ……!」

 

 

 錆びた刃で幾重にも幾重にも切りつけられるような、脳髄に響き渡る鋭利な痛み。

 焔が消えてなお肌をなぶる容赦のない激痛が、脂汗と呻き声を誘う。

 それでも、堪える。

 痛みの余りにまた吹き出した臆病風を、無理矢理にでも圧し殺す。

 

 痛い。熱い。でもまだ、その程度。

 お前は逃げているだけとエトエナに突き付けられた時の方が、もっとずっと痛かったから。

 

 

「……ッ! 『ドレスに、ついた、紅いものを……素知らぬ振りで。空絵に描く幸福ばかりに憧れる』!」

 

「くっ……詠唱破棄(スペルピリオド)!」

 

 

 紅い熱も、意思を挫く痛みも、沸き上がるいつもの弱音も、喉の奥と胸の内に強引に仕舞い込む。

 これしきの痛みで喚き立てていては、思い描く理想の自分とは程遠い。

 ナインや仲間たちに示すべき、グリーンセプテンバーを謳うに相応しい器には、届かない。

 

 

──では、今の自分に足りていないものは何であるか。

 

 

 答えは、分かりきっていた。

 

 

「『自由とは身勝手なもの。彼女はまさに──体現者っ』!!」

 

 

 グリーンセプテンバーの家訓が一条。

『矜持を示し、誇りを胸に、向かい風に受けて立て』

 

 それを体現する為に。

 優雅ではなく、絢爛にはまだ遠くとも。

 思い描く理想の姿を実現するべく、彼女は詠う。

 

 あの日に掴んだ小さな切っ掛けを、もう一度振り絞る様に。

 "今度"は、自分自身だけで。

 

 

「『スカーレット・ドーム(緋色の拒絶)』!」

 

「『リトルッッ(自覚なき)──サイクロンッ(台風の目)』!!」

 

 

 吹き荒ぶのは、緑青嵐。

 聳え立つのは、緋色の城塞。

 

 賢知たる種が紡ぎ出した魔の法が、それぞれの秩序を崩さんと、大きな衝撃の余波を生みながら──衝突した。

 

 

◆◇◆

 

 

 エメラルドの魔力が、螺旋に逆巻く。

 全身全霊、残る全ての魔力を注いだナナルゥの持てる最大火力の魔法。

 

 "そよかぜ"とはかけ離れた暴風。

 激しい軋轢の音を立て、乱舞する風刃が紅いドームを押し潰さんとする勢いたるや。

 並の人では及ばない、まさに賢知たるエルフの魔法に相応しい威力である、が。

 

 だが即ちこの現象は、ナナルゥの魔力では本来引き起こせないスケールである、という事の証明に他ならない。

 

 

「ぎっ、ぁ、ッッ! ぐっ……どう、ですのエトエナ。これでも、わたくしをそよかぜと謗りますの……?」

 

「こんのぉ、大馬鹿、無鉄砲の単細胞! 座標指定系の魔法を、"自分に向かって展開する"とかっ。そんな無茶苦茶な火力増幅(ブースト)の仕方、頭沸いてん じゃないの?!」

 

「っ、ふふ……座標指定系は、"魔法の担い手との距離が近いほど威力を増す"そうですわね。ならいっそ、わたくし自身を座標にすれば……わたくしにだって、魔法の威力を高めることが出来ますわ!」

 

 

 スケールを覆したタネは、実にシンプルだった。

 

 

 精霊魔法は属性や上、中、下級といったランク分けがある中で、さらにいわゆるドーム系と呼ばれる魔法や、座標指定系と呼ばれる魔法などに分類されるものがある。

 

 二回戦にてナガレを苦しめたマルスの正確無比な稲妻、【迅雷(トール)】と呼ばれる雷精霊下級魔法もそれに類する。

 そしてナナルゥのリトルサイクロンも指定した座標に陣を展開し発動する、座標指定系というカテゴリーに属する魔法であり──。

 "魔法の担い手との距離が近いほど威力を増す"という座標指定系に共通する特色を最大限利用する事で、エトエナの防衛魔法を脅かすほどのハリケーンを巻き起こせている、というロジックではある。

 

 しかして当然、相応のリスクも孕んでいる手段である事は想像に容易い。

 

 

「だからっ、それがっ、無茶だって話でしょうが! んなやり方じゃ、アンタ自身もズタボロになる事くらいわかってんでしょ……!」

 

「……」

 

 

 スケールを覆せた代償もまた、シンプル。

 

 最大限の火力を発揮するのなら、その爆心地に自らを置く必要があるのも当然で。 

 つまりは、諸刃の剣。

 規格破りの技術は決して容易いことではない。

 

 拮抗する緑青嵐と緋色の壁。

 だがその最中の言葉を交わす僅かな瞬間でさえ、白く美しいナナルゥの柔肌には……荒れ狂う無数の風刃によって幾つも紅い切り傷が刻まれていた。

 

 

「……無茶も、無謀も、百も承知ですわよ!」

 

 

 自殺行為に等しい無茶。

 そんなこと、初めからナナルゥには分かっていた。

 そもそもセリアから指定座標の特色について教わる際にしっかりと釘を刺されていた事だ。

 結果、荒れ狂う嵐が無差別に伸ばす爪先に、今もこうして表情が歪むほどに傷め付けられている。

 

 度重なる魔法の発動に、魔力も体力もからっきし。

 自慢の美貌も、肌も、目も当てられない有り様。

 心と身体が逐一挙げる悲鳴を数えれば、既に両手両足の指じゃ足りないほどに。

 

 分かっていたこと。容易に想像が出来ていた結果。

 それでも。

 

 

「それでもアナタに勝つためならば────っ、いいえ! 皆に矜持を示せるだけの、グリーンセプテンバーに相応しいわたくしで在る為ならば! こんな程度の"肌荒れ"……ちょっとした夜更かしと変わらなくてよ!」

 

 

 優雅ではなく、絢爛にはまだ遠くとも。

 思い描く理想の姿を実現するべく、彼女は選び、詠った。

 

 

「……エトエナ、よくって?」

 

 

 決死の特攻を。

 正々堂々の正面突破を。

 気象の如く、きまぐれなものではない。

 確かな決意で巻き起こす、変革のハリケーン 。

 

 世界ごと変えるような大それた革命ではない。

 変わるのはただ、青の下。

 空に比べればこのちっぽけな、この舞台に立つほんの一人だけ。

 

 ナナルゥ・グリーンセプテンバーに足りないものとは何か。

 

 それは。

 向かい風に受けて立つほどの、勇気。

 あの風無き峠の月の下で吹いた、ほんの少しの『そよかぜ』だった。

 

 

「例え剥がれやすくとも……グリーンセプテンバーを掲げる限り、わたくしはいつでも黄金を纏ってみせますわ」

 

 

 確かな決意を示す囁きは、暴風の中でさえ、不思議と相手に届いた。

 意思そのものを体現するかの様に、リトルサイクロンの勢いはより増していく。

 緋色が、緑の嵐に呑み込まれていくその最中。

 

 ナナルゥの無謀っぷりに、呆れたからだろうか。

 幼馴染の癇癪染みた意地の張り方に、付き合い切れなくなったからだろうか。

 

 

 それとも。

 

 

 緑閃光の嵐の中で、輝く黄金(かな)色を見つけたからだろうか。

 

 

 

「────、…………あっそ」

 

 

 彼女の口元が、ゆっくりと。

 微笑みに、緩んだ。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 そして、嵐が過ぎ去った後。

 

 

「────」

 

 

 耳をつんざく暴風など初めから発生しなかったかの様に静寂に包まれた舞台にて、大いに立ち回り奮闘した主役。

 

 けれども着込んだ衣装の赤黒ドレスは千切れに千切れ、目も当てられない有り様。

 真紅の瞳は焦点と煌めきを忘れ、どこを眺めているかも定かではない。

 

 柳のように幽かで、文字通り気力も気配も精根尽きていて──

 

 

「……」

 

 

 それでも。

 

 それでも彼女は、ナナルゥ・グリーンセプテンバーは立っていた。

 傍らの地に放ったステッキに頼らず、自らの足で立っていた。

 

 

「……けっきょく」

 

 

 そして、対面。

 負けず劣らずボロボロの格好のエトエナは、ナナルゥとは対照的に、仰向けに転がったまま、ぼんやりと蒼を眺めていた。

 常に気を張って周囲を寄せ付けず、どこかナナルゥ以上に必死だった(しか)めっ面は浮かんでいない。

 

 

「結局。勝手な奴よね、アンタって」

 

「……ぇ」

 

「カナカゼ、なんて。ただでさえ目について鬱陶しいんだから……アンタなんか、そよかぜくらいで『丁度良かった』のよ」

 

「…………」

 

 

 全身全霊を受け止めたが為に掠れがちなソプラノの、言葉の真意がどこにあったかは分からない。

 

 けれど、それまでのエトエナの態度や言葉が、単純な侮りや憎しみから向けられていたものではないと。

 淡い霧白色に包まれていく視界の中で、"それだけ"は理解出来たから、だろうか。

 

 

「……エト、エナ──」

 

 

 ゆっくりと。

 踏み出した一歩は、最後の最後で形にならず。

 静かに、ぐらりと傾いて。

 全てを出し尽くした緑の風は、安心したかの様に『黄金を纏うこと』を止めた。

 

 

「……フン。勝手だったのは、アタシも、か…………、──」

 

 

 嵐の後の澄んだ空気のような青空を映した深紅の瞳も、幕を下ろした。

 

 

『さ、三回戦、魔のブロックの第一試合、決着です!! ええと、け、結果は────』

 

 

 或いは。

 嵐が過ぎ、雨が止み、固まる地面があるように。

 

 試合に負けて、勝負に勝つという言葉がある。

 それがつまり、試合に負けてでも得るものを得た者こそ勝者である、と曲げて捉えても良いのならば。

 

 

『両選手、共に戦闘不能! よって、この第一試合は──』

 

 

 不思議なことに、この因縁の戦いは。

 試合に負けて、勝負に勝った者"しか居なかった"。

 

 

 


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