ナガレモノ異聞録 ~噂の都市伝説召喚師、やがて異世界にはびこる語り草~   作:歌うたい

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Tales 75【翠星の足跡】

 雨も通り過ぎていないのに、見通す風景がふやけたように見えるから、漠然とした自覚を抱いた。

 

 瞼に焼き付くほどに見慣れた景色を、もしかしたら、風ごと追い越してしまうかも知れない。

 そんな、不安にも似た予感が芽生えたのはきっと、前向きとは言えない心の模様が原因だったのだろうと。

 

 

『旅立ちの日に似つかわしい快晴。だというのに、肝心の当人の顔が曇っているのは少し勿体ないとは思わないか、ナナルゥちゃん』

 

『ファエル……』

 

 

 その証拠に、旅立ちを引き止めた声に、止まった踵が無意識に浮く。

 まるで、足跡が残る事を怖がっているようだと。

 傍らに侍っていた老執事が、黙ってスッと一歩下がったのも、彼女に自覚を呼び込んだ原因かも知れない。

 

 

『見送りは良いと、そう告げていたではありませんの』

 

『しかし、かといって"本来の領主"が領民の誰にも見送られず、というのは寂しいだろう?』

 

 

 月の銀を彩ったファエルの長髪が、風にそよぐ。

 尖った耳にどこか照れ臭そうに触る彼の癖は、彼女の倍以上を生きてきたエルフとしては、存外子供らしい。

 ファエル・"ゴールドオーガスト"。

 ナナルゥの父親と、母親と共に焔の中で命を落とした、サミュリの夫。

 

 

『貴方には、その、迷惑をかけますわね。けれど、今のわたくしではどうしても、亡きお父様の代わりは……』

 

『……はは。君のお父上の代わりなんて、そうそう誰かに務まるはずもないさ。無論、僕にだってね』

 

『……』

 

 

 丸眼鏡の奥の赤い瞳が故郷の町並みへと逸れた一瞬。

 どうしてか、無性にホッと胸を撫で下ろしたくなった。

 

 

『……見聞を広め、器を磨き、仇を……という君の決意。君の意志を、僕は尊重したい。けれどね、ナナルゥちゃん』

 

 

 分かってはいても、認めて、受け入れる事は案外難しい。

 そして今日も、この時でさえも。

 逸らして、はぐれて、俯うつむき続けて。

 

 

『どうしても辛く厳しいと感じたときには……此処に。君の故郷に、ちゃんと帰って来るんだよ。いいね?』

 

『……、──』

 

 

 受け止め切れない自分の至らなさが、小さな頷き一つでさえ、難しくしている。

 ファエルの言葉の奥の、優しさへの理解さえ、遠ざけている。

 

 肌を撫でた故郷の風は、知らない他人の様に冷たかった。

 

 

────

──

 

【翠星の足跡】

 

──

────

 

 

 

 

 仄かなランプの熱光でも、照らすには充分な狭い部屋では、幽かな陰影すらも際立つ。

 だから普段の騒々しさとは裏腹な、静かな起床にも直ぐに気付けた。

 

 

「────んん……、?……此処は」

 

「キュイ!」

 

「ナイン……?」

 

「お、アムソンさん。お嬢が」

 

「おや。お目覚めになりましたか、お嬢様」

 

 

 甲高い鳴き声を挙げながら飛び付くナインを、為すがままにお嬢は受け止める。

 眠りから醒めたばかりだからか、今一つ現状が掴めてないんだろう。

 俺とアムソンさんの間を行き来する、丸みを帯びた真紅の瞳が、猫のそれみたいにシパシパと瞬いた。

 

 

「……! し、試合は?! わたくしの試合はどうなりましたの?!」

 

「ちょっ、お嬢! 起き抜けにそんな暴れたら!」

 

「──いッ!? ~~~~ッ……か、身体のあちこちから猛烈な痛みがぁ~……うぐぐぐぐ」

 

「あーあー……言わんこっちゃない」

 

「あれほど大きく立ち回られたのです。お身体の内と外に蓄積されたダメージもまた、相応でありましょう。普段の調子であられますと、激しい痛みにのたうち回る羽目になられますぞ、お嬢様」

 

「な、なんでそんな事を愉しそうに言いやがりますの、この悪趣味執事!」

 

「ほっほ」

 

 

 ガバッと勢い立ててベッドから立ち上がろうとした途端に、お嬢自慢の顔がくしゃりと歪む。

 唐突な激痛の嵐に、たまらず再びベッドにぐてっと横たわるお嬢だったが、眠ってる間に自分の現状って奴もすっかり抜け落ちてしまったらしい。

 痛みにヒイヒイと半べそかいてる所に、朗らかに人が悪い事言うアムソンさんも流石である。

 

 

「うぅぅ……い、痛み止めの霊薬とか持ってませんの?」

 

「それに運営側が遣わされた治療士の方いわく、左腕の治療に相当な霊薬を使用したので、これ以上の投薬はかえって身体に不調をもたらすとのことです。残念ながら」

 

「そ、そんな……あっ! それならあの、クイーンという治療士に頼めば宜しいんじゃありませんこと?!」

 

「一応頼んではいるけど、クイーンさんは現在エトエナを治療中。だからお嬢にはもうちょい我慢して貰うしかないな」

 

「ぐぬぬ、このわたくしを後回しにするだなんて……」

 

「元々エース達と契約したのはあっちのが先なんだし、拗ねない拗ねない」

 

「す、拗ねてませんわよ! ただ、あのちんちくりんの後というのが釈然としないだけですわっ!」

 

 

 最低限の治療は施されたとはいえ、激闘の末に出来た傷は残ったまま。

 特に酷かった左腕に巻かれた包帯をそれとなく弄りながら、平静を取り戻そうとしてるんだろう。

 釈然としないとは言うものの、明らかに拗ねてる少女の様な仕草だった。

 

 

「……で。結局、試合の結果はどうなりましたの……変に勿体ぶるんじゃありませんわよ」

 

「はは、バレたか。余計な気遣いだった」

 

「……別に、そう責めるつもりはありませんけれど」

 

 

 どうやらこっちが心配するまでもなく、最初っから結果を聞く態勢というか、覚悟は出来ていたらしい。

 深々と息を吐きながら、さぁ来いと顔を引き締めたお嬢に、苦笑がちに結果を告げた。

 

 

「そいつはどーも。んで、結果だけど……二人共、ほぼ同じタイミングにノックアウト。よって勝者なしの、『引き分け』って事になった」

 

「え? ひ、引き分け? わたくしの……負けじゃなく?」

 

 

 敗北の二文字を突き付けられると予想していたであろうお嬢の目が、茫然と揺れる。

 普段とも、あの大嵐を巻き起こした時とも鋭い違って、無垢に幼気な、ある意味で素のお嬢の反応だった。

 

 

「そそ。あぁ、でも、お嬢もエトエナも重傷だったから、準決勝進出者は無しって訳」

 

「……そ、そう、ですの……引き分け……」

 

 

 単なる敗北、とは違う。

 かといって、勝利とも言えない。

 どうあれ、この結果をどう受け止めるかなんて、お嬢自身が決めれば良い事だ。

 

「……ま、それ以上に」

 

「?」

 

 

 でも、外からあの闘いを見終えた一人の観戦者としては、どうしても伝えておきたいことがあった。 

 見てるだけでも、その華奢な背に、真摯な横顔に、指先に。心に。

 確かに示されたモノがあったのだから。

 

 

「カッコ良かったよ、お嬢」

 

「……へ?」

 

「最後。見てるこっちが肝を冷やすぐらいに、我武者羅(がむしゃら)で滅茶苦茶で、優雅ってのとは程遠かったけど……

 

 それでも────目が覚めるような、真っ向勝負。

 カッコ良かった。正直、見惚れるくらいに」

 

「────ぇ……あ、ぅ……」

 

 

 まっさらな、棘のない嫉妬を真っ直ぐに届ければ。

 少し前まで勇敢だったご令嬢は、落ち着きなく視線をさ迷わせ、目元が前髪に隠れるぐらいに縮こまりながらも。

 

 

「わたくしが、カッコいいのは……当、然の……ことですわよ……」

 

 

 臆病な風にすら負けそうな、か細い声で囀ずった。

 手繰り寄せたベッドのシーツじゃ、穏やかな赤色にほんのり染まった耳や頬を隠せはしないことは、言うまでもなかった。

 

 

◆◇◆

 

 

「ほい。グラス、持てる?」

 

「それぐらいは問題ありませんわよ。ただ、ベッドの上でというのが少し、はしたなくて落ち着きませんけど」

 

「お、マナー気にするとか、珍しくご令嬢っぽい」

 

「んなっ! 常々わたくしをお嬢、お嬢と呼んでおきながら、何たる言い草ですの!」

 

「いや、俺ん中で、『お嬢』と『お嬢様』は別モンだから」

 

「喧嘩売ってますのね?!」

 

 

 軽口を挟みつつも手渡したグラスには、愛嬌のある膨れっ面が映る。

 期待通りの打てば響く反応に表情を緩めれば、見咎める様にお嬢の唇が尖った。

 こういう仕草が、お嬢様とか貴族って印象を薄めてくんだろうなぁ。

 

 

「ふん、まー良いですわ。こういう事に煩い執事は席を外してますし、お行儀の悪い真似もしてやりますわよ」

 

「お嬢があんまり痛い痛いって喚くから、クイーンのとこに何か対処法聞きに行ってくれてんでしょーが」

 

「キュイ」

 

「それだけが目的かは分かりませんわよ」

 

 

 不機嫌そうな口振りなお嬢が、そわそわと落ち着きなく包帯を摘まむ。

 単なる手持ち無沙汰にしてはチラチラと此方の一挙一動を窺ってるような、そんな気配。

 

 

「……ぇと。そういえば、セリアもあのちんちくりんの元に居るんでしたわね?」

 

「そそ。あのハティっていう……『ファミリア(使い魔)』だっけか。あれについて色々と聴きたい事があるんだってさ」

 

「……そ、そうですのね。全くもう。あの炎狼が気になるのは分かりますけれど、そこは、わたくしの健闘を讃える方が先じゃありませんこと?」

 

「まーまー。セリアも魔法学院に通ってたから、何か気になる事でもあんでしょ」

 

「……むぅ」

 

(実際は、お嬢と顔を合わせ辛いってのもあるんだろうけど)

 

 言ってしまえばここのところ、セリアにとってのお嬢は、闘い方を教え込んでいる生徒みたいなもんだし。

 セントハイムに来て以降の、いつもの責任感に加えて、決して小さくない"悔しさ"もあったんだろう。

 

 そういった感情にケリを付ける時間も必要ってことで、引き留めはしなかったけど。

 

 

「……ナガレ」

 

「ん?」

 

 

 どうやら、自分の中で整理をつけておきたい事を抱えているのはセリアだけではないらしい。

 

 

「……その。少し、昔の話をしても宜しくて?」

 

「……」

 

 

 間を開けて響いた、硬い声色。

 分かりやすい緊張を孕んだ横顔が、またも此方を窺っていて。

 

──なるほど。

 

 あのアムソンさんが傷だらけのお嬢を放って席を外した理由は、もしかしたらこれだったのかも知れない。

 

 

「どーぞ」

 

 

 カウンセラーの真似事なんて柄じゃないんだけど。

 結構人遣い荒いよな、あの人。

 

 

 

 


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