ナガレモノ異聞録 ~噂の都市伝説召喚師、やがて異世界にはびこる語り草~ 作:歌うたい
ずっと大事にしてくれるって、約束したのに。
『向こうに着いたら、また遊ぼうね』
また遊ぼうって、約束したのに。
『狭い中だけど、我慢してね』
狭い箱の中でずっと待っていたのに。
箱の外にはもう、あの娘はどこにも居なくて。
なんだお前って言いたげな、箱を破ったカラスの目がこっちを見てただけだった。
──今、あなたの後ろに居るの。
やっと会えたのに。
笑顔を向けてはくれなかった。
遊ぼうね、って約束したのに。
おかえり、っていって欲しかったのに。
ピカピカのあの娘のお家には。
買ったばっかりの、新しい。あたら、しい──
「……」
夢と現実の境目すら、あやふやに溶けていく。
一束の髪が崩れる音さえも、聞き逃さないくらいに静かな世界。
ひっそりとした夜とも違う、色彩も音もない、独りぼっちの寒色。
微睡みが薄らんでいくエメラルドの瞳でさえ、何も映さないくらい伽藍堂の暗闇に彼女は居た。
「……」
何もないのが、何もかもを枯らしていくようだった。
此処も、膝を抱いて蹲ってる彼女の心も。
逃げているのは紛れもなくこの足なのに、光から締め切られているような、物悲しい気持ち。
どこを見ているかの感覚も迷子になる其処に、いつか大事にしていた温度はない。
膝を抱く腕をより強めると、傷んだドレスの端の衣擦れが響く。
何かがすすり泣く様な、さめざめとした音だった。
「ナガレ……闘って、るの?」
投じた声に、答えが帰って来るはずはない。
感覚だけが伝える彼の現在に耳を澄ませば、ぼうっと白んだ彼女の表情が、ゆっくりと悲哀に染まっていく。
闘っている。伝わった感覚が教えてくれた。
苦戦していることも。
そんな彼を守護すべく、隣に立つ強く清廉な少女のことも。
──逃げるように、膝に顔を
「……」
自分じゃどうすることも出来なかった
あのナナルゥが目を輝かせて褒め称えたくらいに、強い都市伝説。
きっと、敵わない。
それが悔しくて、どうにもならなくて。
『メリーさんみたいな弱い、お人形は……
……やっぱり、邪魔?』
聞いた癖に。一方的に。
でも、答えを聞くのが恐かった。どうしようもなく。
ナガレに与えられた蝶のブローチを、すがるように指先で確かめる。
「……私……、──」
完成しない常套句が、告げる相手を見失って未完成のまま、静謐な闇に溶けた。
このままを望まないのに、いつかの哀傷に許されない。
淡水だけが満たされた何もない水槽の様に、意味を為さない空っぽの隅っこ。
「捨てないで……」
彼女に出来たのは何もしない事だけだった。
物言わぬ人形の様に、ただ其処に在るだけ。
頭に留まった作り物の蝶が、羽ばたくこともないように。
──そんな、人の形をしただけのモノを見て。
【キヒヒッ】
蠢く闇が。
【キャハハハハハ!】
ケラケラと嗤った。
────
──
【狭間の少女】
──
────
「『器に流るる赤い砂。上から下へ、逆はなく』」
お前は神経が図太過ぎる。
「『尽きた叫びはいずこにも。悔いも恨みも数多に
悪友達を都市伝説の調査に巻き込む度、こめかみに青筋浮かべながら告げられてきた褒め言葉を今、走馬灯みたく思い出してる。
「『故に鎮める為の
アイツらに、鋭い右ストレートと共に押し続けられた太鼓判は……確かにあながち間違ってなかったかも。
「『眠らぬ魂に捧ぐ、揺りかご代わりの
じゃなきゃ、今頃ぽっきり折れてる。心ごと。
「ナガレ殿、また来るぞ!」
「分かってる!」
「【
バキンッと足元から生えた石の凶器が、執拗に命を食い破らんとするのを避ける度、メタボリックな俺の神経とやらもガリガリと磨り減っていく。
しかも、トラウマさえ覚えそうな石の十字架をなんとか避けたとしても。
「【
「げっ」
ぼうっと橙色の魔力を人差し指に灯したトトが、ぽつりと呟きながら虚空に指で十字を切る。
それを合図に目の前の十字架の細かな裂け目を、オレンジ色の光が滑らかに巡ったかと思うと。
「……どっかん」
凄まじい炸裂音を響かせながら、内側から爆ぜた。
「ぐっ──!」
「キュイ!」
十字架を避けたところに迫り来る、疎らな大きさの破片の雨。
咄嗟に俺を庇う様に飛んだナインの、振るう尾の鎌がその悉くを打ち落としてくれる。
けれど流石に破片全てを叩くことは出来ず、打ち漏らした鋭い破片が頬を掠めた。
「っ……」
『炸裂ぅぅ! またもトト選手の、休む暇を与えない連続魔法。しかしナガレ選手側も、その殆どを防ぎ切る! 素晴らしい攻防です!』
頬から垂れる血の一筋を拭いながら、苦々しく息を吐く。
築いたオブジェを近距離で破裂させ、砕けた破片を弾丸の雨にして追撃という容赦のない二段構え。
ひとつひとつの攻撃が殺意高過ぎてヤバい。
さっき初めてこの厄介なコンボを披露された時にも、ナインと景虎が防いでくれなかったら、今頃控え室に運ばれていただろうし。
「マザーグース」
「ちぃッ……歯痒いことを」
挙げ句、景虎が少しでもこっちに意識を裂けば、間隙を突く翼の大振りが飛んで来る。
刀身で受けるもパワーに圧された景虎が、ズザザッと土煙立てながら此方に大きく後退したのを見て、いよいよ後がなくなってきた。
(トトの魔法はあれだけじゃないはず。けどもう、悠長に相手の情報を引き出してる暇なんかない)
トトの魔法とマザーグースの広範囲制圧。
ジリ貧としか言えない。
景虎とナインの同時再現でスタミナも逐一削れていくし、どっかしらで反撃の手立てを組み立てないと敗色は濃厚だろう。
(……覚悟を決めろ。打って出るか、このままやられるか。どっちにしろ死線を潜るぐらいなら──図太く行ってやるよ)
迷いはあっても、迷っていられない。
選び取るのはいつものハイリスク、ハイリターン。
決意ごと、鞘から抜いたショートソードの柄を硬く握り締め、仲間達にリンク越しにプランを伝えた。
(……キュイ)
(誠か。虎穴に踏み入る、と)
(虎児を得るにはね)
(やんちゃ者め。だがその意気や良し)
ナインも景虎も、作戦内容に多少驚いたようだがすんなりと応じてくれた。
彼女らも旗色の悪さに何かしらの打開策が必要だと感じていたらしい。
肩越しに何故だか
じゃあ御言葉に甘えて、作戦開始を知らしめる合図を紡ごう。
「【
◆◇◆
駆ける。
身体の悲鳴なんて置き去りにしてやるとばかりに駆ける。
ぶれる視界で先頭を駆ける背中に置いていかれないように。
いや、ひとまずのゴールはその先。
幽鬼の如く立ち塞がる巨大な壁に向かって、駆け抜ける。
『おぉぉ?! ナガレ選手陣営、同時にマザーグースへと突っ込んでいくー!! 自棄か、それとも……!』
「ん……関係ない。マザーグース」
動揺してくれれば儲けものだったが、さしてそういう様子もなく。
トトは淡々と魔力糸を舞わせ、再びあの翼を振るわんとマザーグースの巨体が身構える。
まとめて凪ぎ払うつもりか。
「いっけぇッ!!」
「無意味」
ならばとばかりに、手に握っていたショートソードをマザーグースに向けてぶん投げてやる。
聖母に投擲だなんて端から見れば罰当たりな行為は、虫を払うような無造作な動きで、聖母の凶手に軽々と弾かれた。
「景虎っ!」
「承知」
でも問題ない。本命は別。
投げた剣の行方には目もくれず、手早くショートソードの鞘を景虎に投げ渡す。
最小限の動作で"反撃の鍵"を受け取った聖将が、一瞬微かな笑みを浮かべて、大翼の範囲に踏み込んだ。
「させない」
接近する景虎に素早く反応したトトが、再びあの暴虐なターンを踊らせる。
横に紐解かれたギロチンみたく翼が、景虎の側面に襲い掛かるが。
「毘沙門天の加護ぞ在り」
「!」
よりはやく、ふわりと宙に紺碧の流星が跳び上がり、翼の軌道から逃れて。
そのまま、手に握ったあの鞘を、ターンによって無防備になっているマザーグースの肩に目掛けて放り投げた。
さすが景虎。
タイミング、位置、ドンピシャだ。
「今だ、『エイダ』!」
「わ、わわ分かってるしぃ!」
反撃の鍵。
それはつまり、突撃かます直前に"俺のシャツの中"へと再現し、そっから鞘に移り潜ませていた三つ目の都市伝説。
「……生えた?」
『ふぁい?! ちょっ、鞘から女性がにょきにょきっと?!』
合図と共に鞘からニュッと顔を出したエイダが、吃りながらもマザーグースへと落ちて行く。
常識外れの光景に、ミリアムさんだけじゃなくトトまでも面食らっているらしい。
マルス戦で一度見たことがあるとはいえ流石に意表をつかれたって事なんだろうが、なんにせよ少しでも隙作ってくれるなら好都合。
その隙に垂らした水滴みたく落ちたエイダは、マザーグースの石肌と纏うシルクの狭間に潜り込む。
「マザーグースに、なにする────っ!?」
『お、おぉー?! また何がなんだかさっぱりですが、一体どうした事でしょう! トト選手のマザーグース、なんだか動きがぎこちないようですが……?』
マザーグースに魔力糸を振るうが、描いた通りの動作にならない事に、トトの瞳が初めて大きく見開かれた。
勿論その原因はエイダだ。
いや、正確にはエイダが現在潜んでいる隙間……もとい脚部の『関節』。
糸で操るといっても人形である以上、動作の駆動要所は関節であり弱点でもあるのは言うまでもないだろう。
ならその関節の隙間にエイダを潜ませることによって、いわゆる"詰まった状態"を作り出せるかも知れないんじゃないかと。
「なんで、なんで! トトの言うこと聞いて!」
(……よっし! ナイスだエイダ!)
で、結果はご覧の通り、上手くハマった。
移動の自由を多少なりとも奪えたのは大きい。
この成果に思わずリンク越しにエイダを労ったんだけど。
(よっしじゃないしご主人様ぁ! 身体のあちこちミシミシして痛いし! 超痛いしぃ! するなら早くシて欲しいしぃぃぃ!!)
(あ、はい。ごめんエイダ、もうちょい我慢!)
(はやくぅぅぅぅ!!)
ぶっちゃけ、喜んでる場合じゃなかった。
関節に挟まるってことはつまりサンドイッチの具の状態になるからか、隙間女であるとしても相応の痛みを味合うらしい。
「ナイン、やるよ!」
「キュイ!」
「
そうと決まればやることはひとつ。
機を逃さず、ここで一撃叩き込む。
「キュイィィ!」
「
放つのは、保有技能【一尾ノ風陣】を使った高密度の風の刃。
本気のセナトには斬り飛ばされたが、逆に言えばあのセナトですら全力じゃなきゃヤバいと判断した威力があるって訳で。
いかに頑丈そうなマザーグースとて、直撃させれば相応のダメージを与えられるだろう。
「ママから離れて!」
しかし、トトがマザーグースに迫る凶風をみすみす見逃してくれるはずもない。
起伏の少ない今までとは明らかに異なる叫び声を上げると、トトの指から糸の繋がる先へと一際強い光が、流動する様に発光した。
糸に繋がるマザーグースの両眼や身体の節々から、まるであの、爆ぜる直前の石十字みたく淡藤色の光が漏れ出して。
(うぇっ?! な、なんだしっ、なんか光が流れ込んで来てるし?! ぐぐぐ、ぐっ、身体が、引き剥がされて……!)
「ぐぇっ!」
「エイダ!?」
引き剥がされる、ってどういうことだよ。
そんな疑問を浮かべる間もなかった。
関節に潜んでいたはずのエイダが、ほんの一瞬でマザーグースから遠くへと弾き飛ばされてしまったのだから。
(エイダが弾かれた?! 剥がされたって……もしかして、あの糸で送り込んだ膨大な魔力で関節の『隙間』を埋めたってのか?! どんな力業だよ!)
『え、えぇっとぉ?! 今度はマザーグースからあの女性が生えて、しかも吹っ飛んで?!……うぅ、あたま追い付かない、実況殺し過ぎますよさっきからぁ!』
理由はともかくエイダが弾かれたのはマズい。
即ちそれはマザーグースが再び自由を取り戻したって訳で。
「飛んで、マザーグース」
「んなっ……!」
『なんですとぉぉぉ!!!?』
風刃は後少しで直撃という所で、大きく翼をはためかせ、宙に飛び上がった聖母像の影のみを裂くだけだった。
いや、飛んだといっても流石にその巨体で空中に留まる事は出来ないみたいで、さっきよりトトの方へとすぐに着地したけれども。
……体躯に見合わないハイジャンプまで出来るとか、どんだけ出鱈目なんだよ畜生。
ともあれ、マザーグースにとっておきの一撃を食らわせるって作戦は、失敗に終わった。
「くそ、あそこまで追い詰めたってのに……!」
「ママを壊そうとした……後悔させる。骨の髄まで」
「ひぃぃぃ!」
「キュイ」
(……滅茶苦茶怒ってる。いやまぁ、触るだけであの反応だったんだから当然っちゃ当然だけど)
一足早く冬が来たんじゃないかと、肝も背筋も凍りつくかの様な錯覚を誘う、トトの小さな呟き。
けれど精巧な人形ほど整った顔から放たれる怒気は凄まじく、エイダはともかくナインでさえ
糸の繰り手の憤慨が伝って、心なしか聖母像から放たれる威圧感も増してる気がする。
凶手に備わる五本刃指が、これから訪れる復讐の時を今か今かと待ち焦がれるかの様に、冷たく光った。
けれども、まだ終わっちゃいない。
「骨の髄まで、か。そりゃ流石に勘弁。ただでさえアンタのお蔭で神経磨り減ってんだし」
「……つまり、降参?」
「いやいや、んな訳ないでしょ」
確かに、マザーグースをどうにか出来てれば話は早いし、それだけに失敗は手痛い。
でも、マザーグースの打倒が難しいのは予測出来たから、あくまで『出来れば』という副次的なモノ。
「やっとアンタに手が届いたんだから」
つまり、作戦の"標的"は最初っから『虎児』。
一番の狙い所から逸れちゃいない。
「…………っ!
────騎士が、居ない」
時に、怒りっていうのは周りを見渡す余裕を削る。
感情起伏の乏しいらしいトトにとっちゃ皮肉な話だが。
もし彼女が怒りに囚われることがなければ、もっと早く気付けていただろう。
エイダやマザーグースの操作に気を取られて、見失う事もなかったんだろう。
「騎士に
トトの背後まで壁伝いに駆け抜けて、そこから壁を蹴り飛矢の如く肉薄する景虎の存在に。
「っ、エレメント──」
「この身は、ただ一振りの
幾ら頑丈な障壁でも、未完全な状態じゃ景虎の刀を防ぎ切ることなんて叶わず。
ぶつかり合った衝撃の余波で、トトの身体は軽々と宙に舞い上がった。
◆◇◆
初の三体同時再現。
それぞれの都市伝説を駆使した連携。
薄氷の上を渡るような出たとこ勝負だったけども、なんとか想定通りに進んだ。
しかし幾ら勝つためとはいえ、流石にピアとそう年の変わらない少女の怒りを誘う真似は、心苦しいものがある。
手段選べる相手じゃなかったけれども、胸の内に広がる後味は……苦い。
それでも、これで王手。
後は地に転がるトトを、降参させるだけ。
「……くっ、まだ………………、────ぁ……」
そう、思っていたのに。
──おい、なんだよ、アレ。
──……おいおい、嘘だろ……
──ちょっと、あの娘の頭から生えてるのって……!
──わー、お母さん見て見て。あの女の子、頭に……
徐々に広がる、悲鳴混じりのざわめき。
当惑と躊躇と恐怖を溶かしたような、べったりとした空気。
よろめきながら立ち上がろうとしているトトの表情から、サァ、と色が抜け落ちていく。
小さな唇が微かに震えるのが、よりハッキリと見えて。
「ぁ……あぁぁ……」
彼女の頭から浮き上がる、内巻く
ここに至って、理解した。
何故、彼女があんなにも厚いローブを羽織っているのか。
隠したかったのだと。見られては困るものだったのだと。
俺が、暴いてしまったのだと。
────魔物憑きだ!
どこからか放たれた言葉が、鼓膜に刺さった。