ナガレモノ異聞録 ~噂の都市伝説召喚師、やがて異世界にはびこる語り草~ 作:歌うたい
他人事の面構えのまま、方々で沸く熱気が酷く
「あの暴れっぷり見ろよ……まだ小さい子どもなのに、どこにそんな力が」
「ガキでも魔物憑きさ。俺達とは違うんだよ」
「恐ろしい……」
恐いという寒色の形容。
そう口にしながらも血気盛んにヤジを飛ばす観客達の中には、足を沈め始めた斜陽の茜に負けないほどに赤い顔の者も居た。
隣で苛々と爪を噛んでいる男など、今にも喉を張り上げそうなくらいに。
魔物憑き。赦されない存在と。
何がそうまで排他に駆り立てるのか。
答えはとうに知っているのに、いちいち疑問が浮かぶ度に、黒々と熟成した感情がチーズのように溶けていく。
『トトの邪魔ッ……! 邪魔しないでぇ!』
『禍々しいな。だがっ!』
「……なにしてんだあいつ? なに急に石なんか持ってボケーっと突っ立ってんだよ!」
(……石? いや。あれは……アイツの言っていた、すまほとかいう代物か)
けれど、状況に整理がつかないのは同じだった。
全てを拒絶する様に岩槍を乱れ飛ばすトトと、主を護る騎士が如く槍を切り払う景虎。
だが、彼女が護る漆髪の青年だけが、動かない。
スマートフォンを握り締めたまま、まるで時の中に取り残されたかの様に、静か。
「折角化け物が苦しんでるんだ、さっさと倒しちまえば良いのによ!」
自由なようで、隙間が大きいだけの籠に過ぎない。
世界というものの狭量さを、彼女は知っている。
人が見たがる夢は、いつも決まって色違い。
黒と白に狭めればもう、間に在る『灰色』は存在自体が眉を潜められるのだと、知っている。
屈しろと度々圧するその理屈を、散々思い知っていたはず、なのに。
「……」
倒すべき相手を前に、穏やかに瞼を閉じて佇むその姿に。
どうしてか、微かにでも、透明な期待をしてしまう灰色の魔王が居た。
────
──
【人の形、心のカタチ】
──
────
深々と沈んでいく。黒い暗泥へと。
何もかもが絶えていく世界の中で、闇雲に響く耳鳴りが、彼女の心を壊していく。
【自らの行いによって、きっとまた捨てられる。あぁでも、それが『お前』だものねェ?】
(…………やっぱり、間違ってたのかな)
否定は絶え間なく溢れるのに、言い訳にしかならないと囁く冷めた声が、否定が形になる前に崩れていった。
ブギーマンの言葉を鵜呑みにしたくはない。
けれど、心当たりがない訳ではなかった。
気持ちのままに喜怒哀楽を表す自分に、躊躇っているような、ほんの僅かな隔たりを感じさせる仕草を、ナガレに見つけた事も確かにあったから。
(人形のままで居ようとしてれば、もっと大事にされてたのかな)
ナガレにあんなメッセージを送ったのも、その仄かな一片の積み重ねが大きな不安になってしまったから。
だから、彼女の方から逃げたのだ。
(……寒いの)
本当は。
それでも必死に求めて欲しかった。
迷子になった時、誰かが探してくれるかと。
大切な人に、探しに来て欲しかった。
煤に塗れながら、大切な人を探した、いつかのように。
(此処は……寒いの。暗くて、冷たくて)
幼い願いで振る舞った身勝手に、首を絞められているのかも知れないと。
後悔に覆われた冬が訪れて、翠の瞳が枯れていく。
スノウフレークのように、跡も形もなくなりそう。
あまねく温度を奪うだけの底無しの闇に耐えかねて、メリーは震えながら自らの身体を抱き締める。
(……助けて、ナガレ……)
だが横たわる拍子に、くすんだ金糸の髪がほつれて、サラサラとせせらげば。
──カチャリと。
(……?)
耳元で、蝶の羽ばたきが聞こえた。
「……ぁ……ブローチ……」
耳を澄ませずとも響く金鳴りに誘われて、メリーは髪に留めていたそれを掌に収めた。
エメラルドに映ったのは、片羽根の蝶の金細工。
髪に留めていた蝶は、暗闇の中でも滑らかな光沢が、持つ筈のない命の息吹きさえ感じさせる。
「……」
忘れるはずもない。
セントハイムに訪れたばかりの頃、それとなく惹かれた双子の蝶のヘアブローチ。
闘ってくれてるお礼だと、ナガレが自分に与えてくれた大切なプレゼント。
《私、メリーさん。これはメアリーさんへのお土産なの。メリーさん用とメアリーさん用とで、お揃い!》
「ナガレ……」
沸き上がる嬉しさを抑えきれなくて、似合ってるかと何度も聞いた。
柔らかく微笑みながら、頷いてくれた事が嬉しくて。
肌身離さず。離せず。
「メリーさんみたいなお人形は……やっぱり……」
今もこの小さな掌にある、確かな形。
けれど、それさえも無くしてしまうものなのかと、臆病な心がまたも暗雲を纏おうとする。
だからだろうか。
「……?」
【んン?】
瑠璃色の羽根がぼんやりと煌めいたのを、メリーは自身の弱った心が見せた、刹那の優しい夢とさえ思った。
けれど、違う。
細部の装飾まで浮かび上がる仄かな光は、泡沫のように儚いものではない。
一秒、二秒と掌の中の蝶に
そして、彼女は気付いた。
『邪魔なはずないだろ』
光っていたのは、蝶のブローチじゃなく。
目の前に浮かび上がった、蜂蜜色に輝く文字だった。
「ナガ、レ……なの?」
霞みがかった羅列はあまりに突然過ぎて。
呆然と呟きながら手を伸ばせば、フッと息を吹かれた蝋燭の火みたく立ち消える。
その消失にメリーのエメラルドが再び濃い陰を纏おうとするが、それよりも早く次のメッセージが浮かび上がった。
『他に誰が居んのさ。あとメリーさん、ちゃんとスマホの中に居る? リンクの感覚がいつもと全然違って朧気でさ』
「い、居る! 居るの! 此処に居るの!」
『あぁ、みたいだな。まぁそれはそれとしてメリーさん。邪魔ってどういうこと?』
「え……ぁ……」
飴玉を与えられた子供みたいに矢継ぎ早に声を上げるメリー。
だが再び浮かんだ文字の内容に、彼女は思わず口ごもってしまった。
『……景虎は確かに強いし頼りになるけど、だからって俺がメリーさんを邪険にするって事にはなんないだろ?』
「でも……ナガレはメリーさんのことが……恐い、んじゃないの? メリーさん、ナガレともっと仲良くなりたくて……大事にして欲しくって。でも、そういうのが……"気味が悪い"って思ってるんじゃ……」
『いや待て。待って。恐いってのはともかく、気味が悪いってなんだよ』
「だ、だって……ブギーマンが……」
ぽつぽつと降る小雨にも負けそうなほど萎んだ呟きは、袋小路に迷い込んだまま途方に暮れている子供の様で。
恐くて、気味が悪い。
自分は、必要じゃない。
真偽を聞くことだけでも、彼女自身に関わる恐怖が纏わりついて、彼女は顔が上げられない。
掌の中の蝶を、離すまいと握り締めるのが関の山。
『……ブギーマンか。なるほど、恐怖の化身の面目躍如ってとこか』
【クヒヒ、あァそうですともマイマスター様。語り継がれるままに、そう在れかし、だろォ?】
しかし、ナガレはメリーの異変を過剰にしている悪魔の指紋に気付いたのだろう。
気味が悪いだとか、不要だとか。
いかにも、弱い心を虐げるに適した言葉だったから。
音にならない溜め息すら聞こえそうな文面に、闇に溶け込んだ怪人は隠れる気もなく嘲笑を響かせた。
『ん、この声……なんだ、ブギーマンも一緒だったのか』
【当ッ然ですネ! なにせこのお人形が恐い恐いって震えてるもんだからさァ? "子供もどき"なんて趣味じゃないけど、暇潰しには丁度良いって思ってェ? デヘペロォ】
『そっか。悪いね。俺があんまり喚ばないもんだから、鬱憤が貯まってたんだろ? そこに関しては素直に詫びとく』
【いやだねェ、鬱憤だなんて。僕私俺我様にとっちゃ、朝飯前々前のライフワークさ。呼吸と一緒だよ】
『そう在れって再現したのは他でもない俺だ。だからこそ、こうなったのも俺の責任だろ。女々しい言い訳をするつもりもない』
【……チッ】
神経を逆撫でる挑発も、心構えを固められては通じない。
潮時を感じて、ブギーマンが舌を打つ。
どうやら、怪物の愉快で下らなく甘美な時間は、ここまでらしい。
『けど。俺の大切な相棒が苛められたとあっちゃ、黙ってられる訳ないよな?』
【……相棒、ね。ハイハイ。分かりましたヨ】
あーあ、といかにも適当かつ残念そうに、引き下がったブギーマン。
反対に、ブギーマンの相棒という呟きに、俯いていたエメラルドがゆっくりと顔を上げた。
「……相、棒? メリーさんが?」
『え、なにその反応。他に居ないでしょーが。そもそも言い出したのメリーさんだし、今さら撤回する気?』
「ナガレはメリーさんのこと、恐がってないの?」
『確かにメリーさんが段々と人間染みて来て、恐いって想いがよぎったこともある。ひょっとしたら、今もまだ払拭出来てないかも知れない』
「……やっぱり」
『つってもこれは、俺の中途半端な覚悟のせいだから』
「……覚、悟?」
光っては消えて、繋いで途切れての繰り返し。
積み重ねと形容するにはあまりに短いけれど、伝わる想いはある。
少女の幼い心でも次第に、理解出来た。
メリーが思うナガレの『恐い』と、ナガレ自身の抱える『恐い』は、もしかしたら違うのかも知れないと。
『上手く言えないけど……今闘ってるのだって、俺のエゴで挑む事を決めたからだ。その為には皆の力を頼らなくちゃならないし、手段として用いなきゃならない。少なくともこの大会中は、そう割り切って闘うつもりだった』
「……」
『けど、頭が割り切ってるつもりでも、心が納得してくれなかった。俺は皆を……闘う為の手段として再現したかったんじゃない。単純に都市伝説が好きだからってのが根底にあった、はずなんだよ。
だから闘ってくうちに、これで良いのかって……俺の為に傷付いてるメリーさんが段々と普通の女の子に見えてきたのだって、中途半端な覚悟で闘うからだって、思い知らされてる気がして。
俺は、それが恐かったんだ』
「……ぁ」
単純なことだった。
自分がこうと決めた事に対して、迷ったり戸惑ったりしない訳ではなかった。
貫き通したい想いがあっても、為し通すことは簡単ではない。
今進んでる道を信じ切れず、ときどき月を見上げては立ち止まるだけの、当たり前の弱さ。
細波 流は大層な変わり者であっても、その人間らしい弱さを捨ててる訳じゃない。
『けど、この恐怖は、これからも俺がずっと付き合っていかなきゃいけないものだ。また性懲りもなく迷ったりするかも知れない。その度に、メリーさんや他の皆を傷付けたりするかも知れない。
でも。それでも、俺はちっぽけな人間だから。
やりたい事があっても、やり通せるだけの力は、俺だけじゃ無理だから。
……俺の相棒になってくれる様な物好きが、必要だ』
仄苦い彼の迷いを、メリーは自分への拒絶だと掛け違えてしまったのだと。
知りたいけれども恐れていたナガレの本心を、朧気な輪郭だけでも理解出来て。
「……ほんとに、メリーさんで……いいの?」
『はは、他に居ないでしょーが。そもそも言い出したのメリーさんだし、今更撤回されるとすっごい傷付くね』
「でも、メリーさん……こんな風にナガレに迷惑かけちゃったし」
『馬鹿言ってんじゃない。この程度の迷惑で関わっちゃいけないってんなら、俺は生涯独りだろうよ』
「……メリーさんは、カゲトラみたいに強くないの」
『強い弱いの話じゃない。そもそも、んなこと都市伝説に関係ないんだよ。俺が都市伝説を好きな理由って、不合理さとか摩訶不思議さで、"都市伝説の強さ"についてとか、語ってたことないでしょ?』
「…………ふふ。
そうなの。そうだったの。そんな簡単なこと。
どうしてメリーさんは、忘れちゃってたんだろう」
必要、だと。
不安に沈む中でずっと欲しかった、願い続けた言葉を貰えたから。
『だからさ、俺の相棒だってんなら何時までも、んなとこで膝を付いてないで……早くおいで。
ゆっくり歩くくらいの速さで良いから。俺の傍に居なよ、メリーさん』
その日、その時、月も星も居ない闇のなか。
人の形をした少女の、頬に流れる雫の本当の温度は。
月だけが照らすゴミ捨て場で、茫然と流したものよりも、ずっと暖かかった。
◆◇◆
無音だった世界に、色が戻ってくる。
寝惚け眼子に、眩い朝日が射し込んでいるような感じ。
無理矢理にでもリンクを繋ごうと必死に呼び掛けてたら、気付けばああなってた訳だが、まるで白昼夢でも見てたみたいだ。
心地に引き摺られて、欠伸でも噛みたくなかったけれど。
「……少々時を掛け過ぎだぞ、ナガレ殿。信頼の証と受け取るほど、我が身を安く見積もったつもりはないが、如何か?」
「ごめん。年甲斐もなく本心晒すのって、やっぱり恥ずかしくってさ」
「フッ、若人が戯けた言を」
無防備な俺を、ずっと護ってくれたんだろう。
足元に積み重なった石の破片と塵の山。
少し解れた髪と汗。微かに漏れる息遣い。
随分と見晴らしが良くなった景色を背に、景虎が微笑んだ。
「では、此度の勝鬨は譲るとしよう。舞台は整ったというのに、またそなたに膝を付かれては敵わない」
「悪いね。ずっと護ってくれたのに」
「構わぬさ。私は、私を貫いたまでのこと」
「……あぁ。ありがとう、景虎……【
光に薄れて、気高き将星が、瞬きの中に還る。
最後の最後までこっちに気遣って貰って、足を向けて寝れないね、これは。
残されたのは、頼りっぱなしの苦味と。
「あ、ア、ァ……マダ、トトの邪魔、すル……」
「……あぁ。今、"助けてやる"」
根元から折れた石槍の彼方で、未だに凶想に囚われているトト。
景虎の言葉を借りるなら、舞台は整った。
なら後は。
倒す為じゃなく、泣いてる子供の涙を、掬ってやる為に。
「来てくれ、相棒」
喚ぼう、彼女を。
「【World Holic】」
そして、白金の奔流を纏いながら、彼女は現れる。
「わたし、メリーさん。
今、ナガレの隣に居るの」
俺の隣に。
「あぁ。おかえり」
「っ、ただいま!」
◆◇◆
「メリーさんだー!!」
「来たぁー!」
純真な目には、満を辞して、とも映ったんだろうか。
エプロンドレスをひらつかせて登場した蜂蜜色の髪を持つ少女に、一際黄色い声援が湧く。
もしかしたら、魔物憑きに対する排他的な空気が、子供達の心を押さえ付けていたのかも知れない。
歓迎の声に驚いた様にエメラルドを丸めたメリーさんが、深く目を閉じ唇を噛んだ。
「また、増エタ……今度は、ハサミ、の子……」
「ナガレ、あの子……」
「トト・フィンメル。そういやメリーさんに興味あるっぽかったけど……色々あってあんな風になってる。彼女を助けてやりたい、力を貸してくれないか」
「私、メリーさん。勿論、協力するの。相棒だもん!」
「あぁ、頼むよ」
「オマエも……邪魔スル、ナラ!」
反動の積み重ねか、トトも相当消耗してるらしい。
一歩足りとも動いていないのに肩で息をしてるし、爪先から伸びる魔力糸の光と太さは、以前とは比べるまでもなく弱っている。
「……どうするの?」
「正面突破で」
「わお、シンプルなの」
「小細工してる余裕もないからな」
あちらもこちらも、互いに余力は残ってない。
ならもう、一気に正面から行く。
俺なりのやり方で、この闘いを終わらせる為に。
「──行くよ、メリーさん!」
「うん!」
地を、蹴る。並んで走る。手に持つのは、形ばかりの剣と鋏。
噛み締めた奥歯が鈍く鳴る。
度重なる疲労に膝があげる悲鳴ごと、置いてきぼりにしてやればいい。
靴底を跳ねさせて、紅にまみれた槍の丘を駆け抜けろ。
「イアァァ!!」
人を感じさせない獰猛な叫び。
禍に光満ちるトトの角と、翻る魔力糸。
ライトパープルの五本線が、しなる鞭みたく。
ヒュンと遠くから風を切り音が聞こえた時には、こっちの足を刈ろうと迫っていた。
「跳べ!」
「うん!」
意識するのは大なわとびの要領。
魔力糸を走り飛ぶことで越えれば、真後ろの石槍が派手に音立てて壊れた。
遊戯とするにはあまりに殺伐過ぎんだろ、と。
げんなりと肩を落としたくなるが、そんな暇はない。
(メリーさん、正面左の槍! 警戒して!)
「【
メリーさんから見て正面左側の、まだ折れてない石槍。
そこに一本だけ繋げられた糸が途端に光を放てば、石槍の根元が爆ぜた。
「これくらい」
ぐらりと傾いて、石槍がメリーさんに向かって倒れ込む。
手の込んだトラップ。だが不意を打つ形じゃなければそんなもの、メリーさんには通用しない。
「なんってことないの!」
銀閃一蹴。
横一文字に払われた銀鋏の一撃で、石槍はあえなく払い飛ばされた。
「【
(っ、今度はこっちか!)
しかし攻撃の手は緩められず、今度は俺の前方に聳える左右の槍が、『X』の形に交差しながら倒れてくる。
視認していたとはいえ、余力のない俺にメリーさんみたいな防ぎ方は出来ない。
無論、余力があっても無理だけど。
なら、避けるしかない。
グラリと揺れて倒れ込む石槍のクロスを睨みつつ、俺は脚に目一杯の力を込めて……より"前"へと突っ込んだ。
(っし、ギリギリ!)
全力のスライディングで、『X』の下を掻い潜る。
ズシャァッと土砂を撒き散らしながら滑れば、紅色の岩肌がすぐ真上を通り過ぎた。
これで、やり過ごした魔力糸は合計八本。
(チッ、やっぱり──来るよな!)
なら残りは、と思考を巡らせるまでもなく。
スライディングから態勢を戻そうとする俺に向けて、残り二本の糸が迫っていた。
このタイミング。
回避は、間に合わない。
「メリーさん、ヘールプ!」
「お任せなの!」
なかなかに情けない台詞だが、この際気にしてられない。
切羽詰まった助力要請に、待ってましたとエメラルドを輝かせながらメリーさんが鋏を振るう。
銀に阻まれた淡藤色の糸は、力なく霧散した。
「流石」
「えへへ」
手短な褒め言葉に、甘い笑顔でメリーさんが応える。
少し緊張感が抜けるが、でもこれでトトの元まで、後もう少し。
しかし、まだ油断出来ない。
消耗してるとはいえ、やっぱりトトの糸は厄介だ。
こんだけ避けてみせても、糸はまた直ぐに繋ぎ直される。
ならより安全性を求めて、彼女の手数を減らしておきたい。
せめて、半分に。その機は熟した。
「今だナイン! 【一尾ノ風陣】!」
「キュイィィ!」
「!?」
今の今まで、ずっと客席で待たせていたナインが高らかに鳴きながら、宙を翔ぶ。
意識外からいきなり届いたその鳴き声にトトが顔を上げれば、銀色の影は彼女の真上にあった。
「何処かラ……?!」
驚愕に歪むトトの表情。
けれどそれ以上を待たず、そのまま体躯を一転して放つ、風の刃。
天から地へと。三日月の風刃が堕ちる。
「【
紐解かれたギロチンみたいに落下する刃を、片手で受け止めるように障壁を展開するトト。
あの消耗状態でも、ナインの風刃を防ぎ切るか。
(つくづく、とんでもないヤツだよ、アンタは)
だが、それでいい。
予想通り。いや、むしろそうじゃなくては困る。
ナインの奇襲は、手傷を負わせるのが目的じゃない。
トトの片手を塞ぐ、それに尽きる。
「こんのぉぉぉォォ!!!」
「ッッ────来ルナァァ!!」
一気呵成に特攻を仕掛ける俺に向けられるのは、残る片手の五本線。
勢い任せに振るわれた五本は、悪あがきと云わんばかりに力強く風を切る。
もう、トトはすぐ其処だ。
ここが最後の正念場なんだから。
集中しろ。目を凝らせ。
「ッッ」
淡藤色の軌道。まるで巨人の大きな掌。
迫る俺を景色ごと裂こうとする五本線。
けど、下から二番目の狭間が僅かに大きい。
そこだ。身体ごと滑り込め。
エイダの御株を奪ってやるぐらいの気持ちで。行け。
「づあっ!」
飛び潜る。火の輪を潜るライオンみたいに。
微かに糸に触れた右肩から、血飛沫が舞った。
流石に、人間風情がそう上手くは飛び越せるもんじゃないらしい、けど。
「────へへ」
血が出て痛い程度なら、充分儲けもんだ。
なにせ、
ようやく、アンタの前に来れたんだ。
トト・フィンメル。
「やっと、届いたぞ」
「……」
これで、王手だと。
右手に持ったショートソードを突き付けて、不敵に笑ってやった。
◆◇◆◇◆
「追い詰めたぞ!」
「サモナーの勝ちだ!」
「さぁ、とどめをさしてやれ!」
「魔物憑きを倒せ!」
ようやく、やっと。
そう思ったのは俺だけじゃなかったらしく、観客席の彼方此方でわぁっと明るい歓声が沸く。
差し詰め、長きに渡る悪い魔物の戦いに打たれる終止符を、無邪気に心踊らせてるってとこか。
「なンで……」
「ん?」
こういう湧き方をするのも分かってたとはいえ、辟易とする気持ちを抑えられない。
ぜぇ、はぁ、と乱した息に混じって溜め息すら落としそうになっていれば、トトが力なく口を開いた。
「なンデ……ドウシテ。トトの、邪魔、するノ……トト、は勝たないと……雫、が……必要、ナノニ」
(……)
懇願か。或いは、怨み言か。
度重なる魔力の消費でついに角の光すら途絶えた彼女の、光のない、暗い瞳。
けれどその端からは、音もなく伝う水脈がある。
化物と謗られた少女が流す、儚い涙だった。
「必要、ね。アンタの事情を、俺は深くは知らない」
「──?」
向けていた剣を無造作に放り投げた。
敵を前に、武器を捨てる。
その有り得ない行動に、目の前のトトの瞳にくっきりと疑問が上がる。
「はぁぁ?! な、なんで剣を捨てた?!」
「おい、どういうつもりだサモナー!」
「倒せよ!」
無論、それは客席にとっても。
彼らからすれば、恐るべき魔物憑きを前に、なんたる暴挙ってくらいの狼狽っぷりだろう。
知ったことじゃない。
つまんない同情だとしても、俺はもう決めている。
身勝手な感情のままに、衝動のままに。
何としても、この娘を止めてやるって。
「けど、『同じ目をしてた先輩』として、一つだけ。あんまり一つの事にかまけ過ぎると、それだけの為にしか生きれなくなる。もっと落ち着いて、視野を広く、色んな物を見つめれる様になることを……お薦めしとく」
「なに……それ…………トトには、関係ない。トトには……ママ、さえいれば……」
「だろうね。ま、これは勝手に親近感持った俺のエゴだし、今のアンタにそんな余裕もないだろうから、受け取るも聞き流すも好きにしていい──でも」
でも、所詮は対戦相手に過ぎない俺なんかの言葉で、どうにかなってくれるとは思えなかった。
身勝手な近しさを覚えてるだけの俺じゃ、きっと彼女の心に届かせることは出来ないから。
だから……俺に出来たのは、必要なモノを揃える事だけだった。
──保有技能【依存少女】
「『これ』で少しでも余裕を取り戻せたら……ちょっとずつ、周りを見渡してみなよ。
そしたら……窮屈なアンタの世界も、少しは広がって見えるだろうから」
「………………え?」
静かに、影が覆う。
止まっていた時計の針が動き始めるかのように。
母親の名を冠するひとのカタチが、少女を腕に抱いた。
それはいつかの。
父親に叱られた
「──ぁ、あぁ……! ママ……ママ!」
孤独に泣く子供に必要なのは。
剣ではない。
真新しい物語でもない。
「ママ……マ、マ……トト。トト、ね……頑張っ、たよ……」
ずっと。
彼女の近くにあり続けた、母の温もりと『
泣き止ませる為に必要なモノは、最初からすぐそこにあったのだ。
「で、も…………ごめん、ね……ママ…………ごめん、なさい…………マザー、グース……」
【──おやすみなさい】
「……マ、マ…………」
例え偽善的な、"仮初めの嘘"だとしても。
せめて、依存するしかなかった少女を、休ませてあげられるなら。
自己満足だとしても、精一杯胸を張ってやる。
だからこれは、優しさとかじゃなくて。
「…………お疲れ様、メリーさん」
「……優しいね、ナガレ」
「……そんなんじゃない。こういうのは、お節介って云うんだよ」
何度も窮地に追い込まれた、魔女の弟子、トト・フィンメル。
マザーグースに取り憑いたメリーさんから手渡されたその強敵の身体は、あまりにも軽い。
「トト・フィンメル選手…………戦闘不能と見なします。よって、決勝戦へと進出するのは、勝者────」
けれど、フードを被せてやる前に見えた寝顔は、年相応に……無垢で、安らかだった。
「──サザナミ・ナガレ選手!」