ナガレモノ異聞録 ~噂の都市伝説召喚師、やがて異世界にはびこる語り草~   作:歌うたい

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Tales 83【人の形、心のカタチ】

 他人事の面構えのまま、方々で沸く熱気が酷く(うら)寒かった。

 

 

「あの暴れっぷり見ろよ……まだ小さい子どもなのに、どこにそんな力が」

 

「ガキでも魔物憑きさ。俺達とは違うんだよ」

 

「恐ろしい……」

 

 

 恐いという寒色の形容。

 そう口にしながらも血気盛んにヤジを飛ばす観客達の中には、足を沈め始めた斜陽の茜に負けないほどに赤い顔の者も居た。

 隣で苛々と爪を噛んでいる男など、今にも喉を張り上げそうなくらいに。

 

 魔物憑き。赦されない存在と。

 何がそうまで排他に駆り立てるのか。 

 答えはとうに知っているのに、いちいち疑問が浮かぶ度に、黒々と熟成した感情がチーズのように溶けていく。

 

 

『トトの邪魔ッ……! 邪魔しないでぇ!』

 

『禍々しいな。だがっ!』

 

「……なにしてんだあいつ? なに急に石なんか持ってボケーっと突っ立ってんだよ!」

 

(……石? いや。あれは……アイツの言っていた、すまほとかいう代物か)

 

 

 けれど、状況に整理がつかないのは同じだった。

 全てを拒絶する様に岩槍を乱れ飛ばすトトと、主を護る騎士が如く槍を切り払う景虎。

 

 だが、彼女が護る漆髪の青年だけが、動かない。

 スマートフォンを握り締めたまま、まるで時の中に取り残されたかの様に、静か。

 

 

「折角化け物が苦しんでるんだ、さっさと倒しちまえば良いのによ!」

 

 

 自由なようで、隙間が大きいだけの籠に過ぎない。

 世界というものの狭量さを、彼女は知っている。

 

 人が見たがる夢は、いつも決まって色違い。

 黒と白に狭めればもう、間に在る『灰色』は存在自体が眉を潜められるのだと、知っている。

 

 屈しろと度々圧するその理屈を、散々思い知っていたはず、なのに。

 

 

「……」

 

 

 倒すべき相手を前に、穏やかに瞼を閉じて佇むその姿に。

 どうしてか、微かにでも、透明な期待をしてしまう灰色の魔王が居た。

 

 

 

 

 

────

──

 

【人の形、心のカタチ】

 

──

────

 

 

 

 

 

 深々と沈んでいく。黒い暗泥へと。

 何もかもが絶えていく世界の中で、闇雲に響く耳鳴りが、彼女の心を壊していく。

 

 

【自らの行いによって、きっとまた捨てられる。あぁでも、それが『お前』だものねェ?】

 

 

(…………やっぱり、間違ってたのかな)

 

 

 否定は絶え間なく溢れるのに、言い訳にしかならないと囁く冷めた声が、否定が形になる前に崩れていった。

 

 ブギーマンの言葉を鵜呑みにしたくはない。

 けれど、心当たりがない訳ではなかった。

 気持ちのままに喜怒哀楽を表す自分に、躊躇っているような、ほんの僅かな隔たりを感じさせる仕草を、ナガレに見つけた事も確かにあったから。

 

 

(人形のままで居ようとしてれば、もっと大事にされてたのかな)

 

 

 ナガレにあんなメッセージを送ったのも、その仄かな一片の積み重ねが大きな不安になってしまったから。

 だから、彼女の方から逃げたのだ。

 

 

(……寒いの)

 

 

 本当は。

 それでも必死に求めて欲しかった。

 迷子になった時、誰かが探してくれるかと。

 大切な人に、探しに来て欲しかった。 

 

 煤に塗れながら、大切な人を探した、いつかのように。

 

 

(此処は……寒いの。暗くて、冷たくて)

 

 

 幼い願いで振る舞った身勝手に、首を絞められているのかも知れないと。

 

 後悔に覆われた冬が訪れて、翠の瞳が枯れていく。

 スノウフレークのように、跡も形もなくなりそう。

 あまねく温度を奪うだけの底無しの闇に耐えかねて、メリーは震えながら自らの身体を抱き締める。

 

 

(……助けて、ナガレ……)

 

 

 だが横たわる拍子に、くすんだ金糸の髪がほつれて、サラサラとせせらげば。

 

 

 

──カチャリと。

 

 

(……?)

 

 

 耳元で、蝶の羽ばたきが聞こえた。

 

 

「……ぁ……ブローチ……」

 

 

 耳を澄ませずとも響く金鳴りに誘われて、メリーは髪に留めていたそれを掌に収めた。

 エメラルドに映ったのは、片羽根の蝶の金細工。

 髪に留めていた蝶は、暗闇の中でも滑らかな光沢が、持つ筈のない命の息吹きさえ感じさせる。

 

 

「……」

 

 

 忘れるはずもない。

 セントハイムに訪れたばかりの頃、それとなく惹かれた双子の蝶のヘアブローチ。

 闘ってくれてるお礼だと、ナガレが自分に与えてくれた大切なプレゼント。

 

 

《私、メリーさん。これはメアリーさんへのお土産なの。メリーさん用とメアリーさん用とで、お揃い!》

 

「ナガレ……」

 

 

 沸き上がる嬉しさを抑えきれなくて、似合ってるかと何度も聞いた。

 柔らかく微笑みながら、頷いてくれた事が嬉しくて。

 肌身離さず。離せず。

 

 

「メリーさんみたいなお人形は……やっぱり……」

 

 

 今もこの小さな掌にある、確かな形。

 けれど、それさえも無くしてしまうものなのかと、臆病な心がまたも暗雲を纏おうとする。

 

 

 だからだろうか。

 

 

「……?」

 

【んン?】

 

 

 瑠璃色の羽根がぼんやりと煌めいたのを、メリーは自身の弱った心が見せた、刹那の優しい夢とさえ思った。

 

 けれど、違う。

 細部の装飾まで浮かび上がる仄かな光は、泡沫のように儚いものではない。

 一秒、二秒と掌の中の蝶に見蕩(みと)れていても、片羽根の瑠璃色は星みたく光り続けて。

 そして、彼女は気付いた。

 

 

『邪魔なはずないだろ』

 

 

 光っていたのは、蝶のブローチじゃなく。

 目の前に浮かび上がった、蜂蜜色に輝く文字だった。

 

 

「ナガ、レ……なの?」

 

 

 霞みがかった羅列はあまりに突然過ぎて。

 呆然と呟きながら手を伸ばせば、フッと息を吹かれた蝋燭の火みたく立ち消える。

 その消失にメリーのエメラルドが再び濃い陰を纏おうとするが、それよりも早く次のメッセージが浮かび上がった。

 

 

『他に誰が居んのさ。あとメリーさん、ちゃんとスマホの中に居る? リンクの感覚がいつもと全然違って朧気でさ』

 

「い、居る! 居るの! 此処に居るの!」

 

『あぁ、みたいだな。まぁそれはそれとしてメリーさん。邪魔ってどういうこと?』

 

「え……ぁ……」

 

 

 飴玉を与えられた子供みたいに矢継ぎ早に声を上げるメリー。

 だが再び浮かんだ文字の内容に、彼女は思わず口ごもってしまった。

 

 

『……景虎は確かに強いし頼りになるけど、だからって俺がメリーさんを邪険にするって事にはなんないだろ?』

 

「でも……ナガレはメリーさんのことが……恐い、んじゃないの? メリーさん、ナガレともっと仲良くなりたくて……大事にして欲しくって。でも、そういうのが……"気味が悪い"って思ってるんじゃ……」

 

『いや待て。待って。恐いってのはともかく、気味が悪いってなんだよ』

 

「だ、だって……ブギーマンが……」

 

 

 ぽつぽつと降る小雨にも負けそうなほど萎んだ呟きは、袋小路に迷い込んだまま途方に暮れている子供の様で。

 恐くて、気味が悪い。

 自分は、必要じゃない。

 

 真偽を聞くことだけでも、彼女自身に関わる恐怖が纏わりついて、彼女は顔が上げられない。

 掌の中の蝶を、離すまいと握り締めるのが関の山。

 

 

『……ブギーマンか。なるほど、恐怖の化身の面目躍如ってとこか』

 

【クヒヒ、あァそうですともマイマスター様。語り継がれるままに、そう在れかし、だろォ?】

 

 

 しかし、ナガレはメリーの異変を過剰にしている悪魔の指紋に気付いたのだろう。

 気味が悪いだとか、不要だとか。

 いかにも、弱い心を虐げるに適した言葉だったから。

 

 音にならない溜め息すら聞こえそうな文面に、闇に溶け込んだ怪人は隠れる気もなく嘲笑を響かせた。

 

 

『ん、この声……なんだ、ブギーマンも一緒だったのか』

 

【当ッ然ですネ! なにせこのお人形が恐い恐いって震えてるもんだからさァ? "子供もどき"なんて趣味じゃないけど、暇潰しには丁度良いって思ってェ? デヘペロォ】

 

『そっか。悪いね。俺があんまり喚ばないもんだから、鬱憤が貯まってたんだろ? そこに関しては素直に詫びとく』

 

【いやだねェ、鬱憤だなんて。僕私俺我様にとっちゃ、朝飯前々前のライフワークさ。呼吸と一緒だよ】

 

『そう在れって再現したのは他でもない俺だ。だからこそ、こうなったのも俺の責任だろ。女々しい言い訳をするつもりもない』

 

【……チッ】

 

 

 神経を逆撫でる挑発も、心構えを固められては通じない。

 潮時を感じて、ブギーマンが舌を打つ。

 どうやら、怪物の愉快で下らなく甘美な時間は、ここまでらしい。

 

 

『けど。俺の大切な相棒が苛められたとあっちゃ、黙ってられる訳ないよな?』

 

【……相棒、ね。ハイハイ。分かりましたヨ】

 

 

 あーあ、といかにも適当かつ残念そうに、引き下がったブギーマン。

 反対に、ブギーマンの相棒という呟きに、俯いていたエメラルドがゆっくりと顔を上げた。

 

 

「……相、棒? メリーさんが?」

 

『え、なにその反応。他に居ないでしょーが。そもそも言い出したのメリーさんだし、今さら撤回する気?』

 

「ナガレはメリーさんのこと、恐がってないの?」

 

『確かにメリーさんが段々と人間染みて来て、恐いって想いがよぎったこともある。ひょっとしたら、今もまだ払拭出来てないかも知れない』

 

「……やっぱり」

 

『つってもこれは、俺の中途半端な覚悟のせいだから』

 

「……覚、悟?」

 

 

 光っては消えて、繋いで途切れての繰り返し。

 積み重ねと形容するにはあまりに短いけれど、伝わる想いはある。

 少女の幼い心でも次第に、理解出来た。

 メリーが思うナガレの『恐い』と、ナガレ自身の抱える『恐い』は、もしかしたら違うのかも知れないと。

 

 

『上手く言えないけど……今闘ってるのだって、俺のエゴで挑む事を決めたからだ。その為には皆の力を頼らなくちゃならないし、手段として用いなきゃならない。少なくともこの大会中は、そう割り切って闘うつもりだった』

 

「……」

 

『けど、頭が割り切ってるつもりでも、心が納得してくれなかった。俺は皆を……闘う為の手段として再現したかったんじゃない。単純に都市伝説が好きだからってのが根底にあった、はずなんだよ。

だから闘ってくうちに、これで良いのかって……俺の為に傷付いてるメリーさんが段々と普通の女の子に見えてきたのだって、中途半端な覚悟で闘うからだって、思い知らされてる気がして。

 

俺は、それが恐かったんだ』

 

「……ぁ」

 

 

 単純なことだった。

 自分がこうと決めた事に対して、迷ったり戸惑ったりしない訳ではなかった。

 貫き通したい想いがあっても、為し通すことは簡単ではない。

 今進んでる道を信じ切れず、ときどき月を見上げては立ち止まるだけの、当たり前の弱さ。

 細波 流は大層な変わり者であっても、その人間らしい弱さを捨ててる訳じゃない。

 

 

『けど、この恐怖は、これからも俺がずっと付き合っていかなきゃいけないものだ。また性懲りもなく迷ったりするかも知れない。その度に、メリーさんや他の皆を傷付けたりするかも知れない。

 

 でも。それでも、俺はちっぽけな人間だから。

 やりたい事があっても、やり通せるだけの力は、俺だけじゃ無理だから。

 

……俺の相棒になってくれる様な物好きが、必要だ』

 

 

 仄苦い彼の迷いを、メリーは自分への拒絶だと掛け違えてしまったのだと。

 知りたいけれども恐れていたナガレの本心を、朧気な輪郭だけでも理解出来て。

 

 

「……ほんとに、メリーさんで……いいの?」

 

『はは、他に居ないでしょーが。そもそも言い出したのメリーさんだし、今更撤回されるとすっごい傷付くね』

 

「でも、メリーさん……こんな風にナガレに迷惑かけちゃったし」

 

『馬鹿言ってんじゃない。この程度の迷惑で関わっちゃいけないってんなら、俺は生涯独りだろうよ』

 

「……メリーさんは、カゲトラみたいに強くないの」

 

『強い弱いの話じゃない。そもそも、んなこと都市伝説に関係ないんだよ。俺が都市伝説を好きな理由って、不合理さとか摩訶不思議さで、"都市伝説の強さ"についてとか、語ってたことないでしょ?』

 

「…………ふふ。

 そうなの。そうだったの。そんな簡単なこと。

 どうしてメリーさんは、忘れちゃってたんだろう」

 

 

 

 

 必要、だと。

 不安に沈む中でずっと欲しかった、願い続けた言葉を貰えたから。

 

 

 

 

『だからさ、俺の相棒だってんなら何時までも、んなとこで膝を付いてないで……早くおいで。

 

 ゆっくり歩くくらいの速さで良いから。俺の傍に居なよ、メリーさん』

 

 

 

 

 

 その日、その時、月も星も居ない闇のなか。

 

 人の形をした少女の、頬に流れる雫の本当の温度は。

 月だけが照らすゴミ捨て場で、茫然と流したものよりも、ずっと暖かかった。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 無音だった世界に、色が戻ってくる。

 寝惚け眼子に、眩い朝日が射し込んでいるような感じ。

 無理矢理にでもリンクを繋ごうと必死に呼び掛けてたら、気付けばああなってた訳だが、まるで白昼夢でも見てたみたいだ。

 心地に引き摺られて、欠伸でも噛みたくなかったけれど。

 

 

「……少々時を掛け過ぎだぞ、ナガレ殿。信頼の証と受け取るほど、我が身を安く見積もったつもりはないが、如何か?」

 

「ごめん。年甲斐もなく本心晒すのって、やっぱり恥ずかしくってさ」

 

「フッ、若人が戯けた言を」

 

 

 無防備な俺を、ずっと護ってくれたんだろう。

 足元に積み重なった石の破片と塵の山。

 少し解れた髪と汗。微かに漏れる息遣い。

 随分と見晴らしが良くなった景色を背に、景虎が微笑んだ。

 

 

「では、此度の勝鬨は譲るとしよう。舞台は整ったというのに、またそなたに膝を付かれては敵わない」

 

「悪いね。ずっと護ってくれたのに」

 

「構わぬさ。私は、私を貫いたまでのこと」

 

「……あぁ。ありがとう、景虎……【プレスクリプション(お大事にね)】」

 

 

 光に薄れて、気高き将星が、瞬きの中に還る。

 最後の最後までこっちに気遣って貰って、足を向けて寝れないね、これは。 

 残されたのは、頼りっぱなしの苦味と。

 

 

「あ、ア、ァ……マダ、トトの邪魔、すル……」

 

「……あぁ。今、"助けてやる"」

 

 

 根元から折れた石槍の彼方で、未だに凶想に囚われているトト。

 景虎の言葉を借りるなら、舞台は整った。

 

 なら後は。

 倒す為じゃなく、泣いてる子供の涙を、掬ってやる為に。

 

 

「来てくれ、相棒」

 

 

 喚ぼう、彼女を。

 祝福(marry)の名を持つ少女を。

 

 

 

「【World Holic】」

 

 

 

 

 

 

 そして、白金の奔流を纏いながら、彼女は現れる。

 

 

 

 

「わたし、メリーさん。

 今、ナガレの隣に居るの」

 

 

 

 俺の隣に。

 

 

 

「あぁ。おかえり」

 

「っ、ただいま!」

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「メリーさんだー!!」

 

「来たぁー!」

 

 

 純真な目には、満を辞して、とも映ったんだろうか。

 エプロンドレスをひらつかせて登場した蜂蜜色の髪を持つ少女に、一際黄色い声援が湧く。

 

 もしかしたら、魔物憑きに対する排他的な空気が、子供達の心を押さえ付けていたのかも知れない。

 歓迎の声に驚いた様にエメラルドを丸めたメリーさんが、深く目を閉じ唇を噛んだ。

 

 

「また、増エタ……今度は、ハサミ、の子……」

 

「ナガレ、あの子……」

 

「トト・フィンメル。そういやメリーさんに興味あるっぽかったけど……色々あってあんな風になってる。彼女を助けてやりたい、力を貸してくれないか」

 

「私、メリーさん。勿論、協力するの。相棒だもん!」

 

「あぁ、頼むよ」

 

「オマエも……邪魔スル、ナラ!」

 

 

 反動の積み重ねか、トトも相当消耗してるらしい。

 一歩足りとも動いていないのに肩で息をしてるし、爪先から伸びる魔力糸の光と太さは、以前とは比べるまでもなく弱っている。

 

 

「……どうするの?」

 

「正面突破で」

 

「わお、シンプルなの」

 

「小細工してる余裕もないからな」

 

 

 あちらもこちらも、互いに余力は残ってない。

 ならもう、一気に正面から行く。

 俺なりのやり方で、この闘いを終わらせる為に。

 

 

「──行くよ、メリーさん!」

 

「うん!」

 

 

 地を、蹴る。並んで走る。手に持つのは、形ばかりの剣と鋏。

 噛み締めた奥歯が鈍く鳴る。

 度重なる疲労に膝があげる悲鳴ごと、置いてきぼりにしてやればいい。

 靴底を跳ねさせて、紅にまみれた槍の丘を駆け抜けろ。

 

 

「イアァァ!!」

 

 

 人を感じさせない獰猛な叫び。

 禍に光満ちるトトの角と、翻る魔力糸。

 

 ライトパープルの五本線が、しなる鞭みたく。

 ヒュンと遠くから風を切り音が聞こえた時には、こっちの足を刈ろうと迫っていた。

 

 

「跳べ!」

 

「うん!」

 

 

 意識するのは大なわとびの要領。

 魔力糸を走り飛ぶことで越えれば、真後ろの石槍が派手に音立てて壊れた。

 

 遊戯とするにはあまりに殺伐過ぎんだろ、と。

 げんなりと肩を落としたくなるが、そんな暇はない。

 

 

(メリーさん、正面左の槍! 警戒して!)

 

 

「【グランノーム(土の精霊よ)】!」

 

 

 メリーさんから見て正面左側の、まだ折れてない石槍。

 そこに一本だけ繋げられた糸が途端に光を放てば、石槍の根元が爆ぜた。

 

 

「これくらい」

 

 

 ぐらりと傾いて、石槍がメリーさんに向かって倒れ込む。

 手の込んだトラップ。だが不意を打つ形じゃなければそんなもの、メリーさんには通用しない。

 

 

「なんってことないの!」

 

 

 銀閃一蹴。

 横一文字に払われた銀鋏の一撃で、石槍はあえなく払い飛ばされた。

 

 

「【グランノーム(土の精霊よ)】」

 

(っ、今度はこっちか!)

 

 

 しかし攻撃の手は緩められず、今度は俺の前方に聳える左右の槍が、『X』の形に交差しながら倒れてくる。

 視認していたとはいえ、余力のない俺にメリーさんみたいな防ぎ方は出来ない。

 無論、余力があっても無理だけど。

 

 なら、避けるしかない。

 グラリと揺れて倒れ込む石槍のクロスを睨みつつ、俺は脚に目一杯の力を込めて……より"前"へと突っ込んだ。

 

 

(っし、ギリギリ!)

 

 

 全力のスライディングで、『X』の下を掻い潜る。

 ズシャァッと土砂を撒き散らしながら滑れば、紅色の岩肌がすぐ真上を通り過ぎた。

 これで、やり過ごした魔力糸は合計八本。

 

 

(チッ、やっぱり──来るよな!)

 

 

 なら残りは、と思考を巡らせるまでもなく。

 スライディングから態勢を戻そうとする俺に向けて、残り二本の糸が迫っていた。

 

 このタイミング。

 回避は、間に合わない。

 

 

「メリーさん、ヘールプ!」

 

「お任せなの!」

 

 

 なかなかに情けない台詞だが、この際気にしてられない。

 切羽詰まった助力要請に、待ってましたとエメラルドを輝かせながらメリーさんが鋏を振るう。

 銀に阻まれた淡藤色の糸は、力なく霧散した。

 

 

「流石」

 

「えへへ」

 

 

 手短な褒め言葉に、甘い笑顔でメリーさんが応える。

 少し緊張感が抜けるが、でもこれでトトの元まで、後もう少し。

 

 しかし、まだ油断出来ない。

 消耗してるとはいえ、やっぱりトトの糸は厄介だ。

 こんだけ避けてみせても、糸はまた直ぐに繋ぎ直される。

 

 ならより安全性を求めて、彼女の手数を減らしておきたい。

 せめて、半分に。その機は熟した。

 

 

「今だナイン! 【一尾ノ風陣】!」

 

「キュイィィ!」

 

「!?」

 

 

 今の今まで、ずっと客席で待たせていたナインが高らかに鳴きながら、宙を翔ぶ。

 意識外からいきなり届いたその鳴き声にトトが顔を上げれば、銀色の影は彼女の真上にあった。

 

 

「何処かラ……?!」

 

 

 驚愕に歪むトトの表情。

 けれどそれ以上を待たず、そのまま体躯を一転して放つ、風の刃。

 天から地へと。三日月の風刃が堕ちる。

 

 

「【エレメントシールド(精霊壁)】!」

 

 

 紐解かれたギロチンみたいに落下する刃を、片手で受け止めるように障壁を展開するトト。

 あの消耗状態でも、ナインの風刃を防ぎ切るか。

 

 

(つくづく、とんでもないヤツだよ、アンタは)

 

 

 だが、それでいい。

 予想通り。いや、むしろそうじゃなくては困る。

 ナインの奇襲は、手傷を負わせるのが目的じゃない。

 トトの片手を塞ぐ、それに尽きる。

 

 

「こんのぉぉぉォォ!!!」

 

「ッッ────来ルナァァ!!」

 

 

 一気呵成に特攻を仕掛ける俺に向けられるのは、残る片手の五本線。

 勢い任せに振るわれた五本は、悪あがきと云わんばかりに力強く風を切る。

 

 もう、トトはすぐ其処だ。

 ここが最後の正念場なんだから。

 

 集中しろ。目を凝らせ。

 

 

「ッッ」

 

 

 淡藤色の軌道。まるで巨人の大きな掌。

 迫る俺を景色ごと裂こうとする五本線。

 けど、下から二番目の狭間が僅かに大きい。

 そこだ。身体ごと滑り込め。 

 エイダの御株を奪ってやるぐらいの気持ちで。行け。

 

 

「づあっ!」

 

 

 飛び潜る。火の輪を潜るライオンみたいに。

 微かに糸に触れた右肩から、血飛沫が舞った。

 流石に、人間風情がそう上手くは飛び越せるもんじゃないらしい、けど。

 

 

「────へへ」

 

 

 血が出て痛い程度なら、充分儲けもんだ。

 なにせ、(ようや)く。

 

 ようやく、アンタの前に来れたんだ。

 トト・フィンメル。

 

 

「やっと、届いたぞ」

 

「……」

 

 

 これで、王手だと。

 右手に持ったショートソードを突き付けて、不敵に笑ってやった。

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

「追い詰めたぞ!」

 

「サモナーの勝ちだ!」

 

「さぁ、とどめをさしてやれ!」

 

「魔物憑きを倒せ!」

 

 

 ようやく、やっと。

 そう思ったのは俺だけじゃなかったらしく、観客席の彼方此方でわぁっと明るい歓声が沸く。

 差し詰め、長きに渡る悪い魔物の戦いに打たれる終止符を、無邪気に心踊らせてるってとこか。

 

 

「なンで……」

 

「ん?」

 

 

 こういう湧き方をするのも分かってたとはいえ、辟易とする気持ちを抑えられない。

 ぜぇ、はぁ、と乱した息に混じって溜め息すら落としそうになっていれば、トトが力なく口を開いた。

 

 

「なンデ……ドウシテ。トトの、邪魔、するノ……トト、は勝たないと……雫、が……必要、ナノニ」

 

(……)

 

 

 懇願か。或いは、怨み言か。

 度重なる魔力の消費でついに角の光すら途絶えた彼女の、光のない、暗い瞳。

 

 けれどその端からは、音もなく伝う水脈がある。

 

 化物と謗られた少女が流す、儚い涙だった。

 

 

 

「必要、ね。アンタの事情を、俺は深くは知らない」

 

「──?」

 

 向けていた剣を無造作に放り投げた。

 

 敵を前に、武器を捨てる。

 その有り得ない行動に、目の前のトトの瞳にくっきりと疑問が上がる。

 

 

「はぁぁ?! な、なんで剣を捨てた?!」

 

「おい、どういうつもりだサモナー!」

 

「倒せよ!」

 

 

 無論、それは客席にとっても。

 彼らからすれば、恐るべき魔物憑きを前に、なんたる暴挙ってくらいの狼狽っぷりだろう。

 

 知ったことじゃない。

 つまんない同情だとしても、俺はもう決めている。

 

 身勝手な感情のままに、衝動のままに。

 何としても、この娘を止めてやるって。

 

 

 

 

「けど、『同じ目をしてた先輩』として、一つだけ。あんまり一つの事にかまけ過ぎると、それだけの為にしか生きれなくなる。もっと落ち着いて、視野を広く、色んな物を見つめれる様になることを……お薦めしとく」

 

 

「なに……それ…………トトには、関係ない。トトには……ママ、さえいれば……」

 

 

「だろうね。ま、これは勝手に親近感持った俺のエゴだし、今のアンタにそんな余裕もないだろうから、受け取るも聞き流すも好きにしていい──でも」

 

 

 でも、所詮は対戦相手に過ぎない俺なんかの言葉で、どうにかなってくれるとは思えなかった。

 身勝手な近しさを覚えてるだけの俺じゃ、きっと彼女の心に届かせることは出来ないから。

 

 だから……俺に出来たのは、必要なモノを揃える事だけだった。

 

 

 

 

 

──保有技能【依存少女】

 

 

 

 

「『これ』で少しでも余裕を取り戻せたら……ちょっとずつ、周りを見渡してみなよ。

 

 そしたら……窮屈なアンタの世界も、少しは広がって見えるだろうから」

 

 

 

「………………え?」

 

 

 

 静かに、影が覆う。

 止まっていた時計の針が動き始めるかのように。

 

 母親の名を冠するひとのカタチが、少女を腕に抱いた。

 

 それはいつかの。

 父親に叱られた女の子(メアリー)を、精一杯慰めようとする誰かの腕と、同じ。

 

 

 

 

「──ぁ、あぁ……! ママ……ママ!」

 

 

 

 孤独に泣く子供に必要なのは。

 

 剣ではない。

 

 真新しい物語でもない。

 

 

 

「ママ……マ、マ……トト。トト、ね……頑張っ、たよ……」

 

 

 

 ずっと。

 彼女の近くにあり続けた、母の温もりと『子守唄(マザーグース)』。

 

 泣き止ませる為に必要なモノは、最初からすぐそこにあったのだ。

 

 

 

「で、も…………ごめん、ね……ママ…………ごめん、なさい…………マザー、グース……」

 

 

【──おやすみなさい】

 

 

「……マ、マ…………」

 

 

 

 例え偽善的な、"仮初めの嘘"だとしても。

 

 せめて、依存するしかなかった少女を、休ませてあげられるなら。

 自己満足だとしても、精一杯胸を張ってやる。

 だからこれは、優しさとかじゃなくて。

 

 

「…………お疲れ様、メリーさん」

 

「……優しいね、ナガレ」

 

「……そんなんじゃない。こういうのは、お節介って云うんだよ」

 

 

 何度も窮地に追い込まれた、魔女の弟子、トト・フィンメル。

 マザーグースに取り憑いたメリーさんから手渡されたその強敵の身体は、あまりにも軽い。

 

 

 

 

「トト・フィンメル選手…………戦闘不能と見なします。よって、決勝戦へと進出するのは、勝者────」

 

 

 

 けれど、フードを被せてやる前に見えた寝顔は、年相応に……無垢で、安らかだった。

 

 

「──サザナミ・ナガレ選手!」

 

 


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