ナガレモノ異聞録 ~噂の都市伝説召喚師、やがて異世界にはびこる語り草~   作:歌うたい

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Tales 87【トロイメライ】

 鼻がバカになったのか。

 雪も降っていないのに冬の匂いがした。

 

 

「……」

 

 

 そういえば、今はまだ秋だったなと。

 嗅覚で季節を感じること自体が、余りにも久しい。 

 もたれた痩せ木から生えた根を手持ちぶさたに千切りながら、鼻を鳴らす。

 

 丘から遠くの方に明滅する灯りの群れが、点いたり消えたり。

 光の粒の一つ一つを、細かくは見ないものだ。

 例えばそこで悲劇があったとしても、こうして何気なく見過ごしてしまうものだから。

 

 

「……」

 

 

 無辺に伸びるようで、四角の真ん中から逃れられないだけの、無人の世界。

 どこに属して、どこに類して、どう目される。

 解答は気付けば空白になってばかりで、当たり前のように孤独が科されてしまうだけ。

 

 取り残されたような静寂が嫌いだった。

 憎んでいるといってもいい。

 なのに、草花の息吹きも宿る静かな今宵。

 ただ一人を待ち惚けるこの時すら心地良かった。

 

 もしかしたら、そんな期待すら忘却の灰になるかも知れない。

 その不安は確かにある。

 途方もない過去を省みれば、天秤はそちらに傾くだろうに。

 まだすがりたがるかと、囁く自分の声は小さくなかったけれど。

 

 

(……)

 

 

 そっと風が吹き、夢想(トロイメライ)に靡いた髪が視界を閉ざす。

 スノウフレークの溶け方をした眩暈が晴れて、夢が鳴り止んで──そして。

 

 

「……せめて、いつ頃かくらい決めときゃ良かったな」

 

 

 冬の匂いに、『蜜の香り』が寄り添った。

 

 

「……いや、そうでもない」

 

「そう? てっきり待ち惚け食らったって文句言われるかもだと」

 

「お前の中での私は随分狭量らしいな」

 

「狭量ってよりせっかちじゃね。昨日、先帰るぐらいだし。何か不味い事したのかって焦ったよこっちは」

 

「悪かったな」

 

 

 斯くして、再会は果たされて。

 宝石を詰めた紙袋を腕に抱く青年は、当たり前のように"約束"を紡ぐ。

 

 

「いーよ、もう。んで……昨日ぶり。

 

  "ルークス"  」

 

 

「…………あぁ」

 

 

 喉の震えを抑える事が、こんなにも難しいのだと。

 そんな些細を魔王は知った。

 

 

 

 

────

──

 

【トロイメライ】

 

──

────

 

 

 

「丘を登んのって結構足に来るな……ほいこれ、お土産」

 

「……ハニージュエル。昨日の物と一緒か」

 

「なんだよ文句でもあんのー? 要らないなら別に良いけど。俺腹減ってるし」

 

「うるさい。要らないとは言ってないだろう、寄越せ」

 

「はいはい」

 

 

 闘魔祭の連戦の疲労も相まって、すっかり乳酸の溜まった足を揉みほぐしながら紙袋を差し出す。

 意地の悪い物言いをしたからか、すぐ隣にあるルークスの顔は若干不服そうで。

 

 そうそう、こういう真っ直ぐな反応のが相手してて楽だよな。

 どっかの誰かとの嫌味や皮肉の打ち合いは一日に一回で充分。いや週一でも勘弁したい。

 早々に甘菓子を頬張ってる隣の分かりやすさを見れば尚更だ。

 

 

「疲れているのか」

 

「そりゃね。今日も二連戦だったし」

 

「……あの内容からすれば、疲労も溜まるか」

 

「ん。てことは、今日も観戦しに来てたのか?」

 

「……まぁ、な」

 

 

 特に目的のない会話の行方は、今日の試合について触れることで落ち着き場所を定めた。

 もっとも、僅かに俯き長い髪で表情を隠した横顔を見るに、陽気な会話とは行かないらしい。

 

 

「お前が……馬鹿な男だということは分かっていたんだがな」

 

「急になに。どっちの試合について?」

 

「惚けるな。魔女の……魔物憑きの方に決まっているだろう」

 

「……」

 

「いくらお前が理の違う世界から来たとしても、あの空気を読み取るぐらいは出来るはずだ。『魔物憑き』……いや、人間にとって『魔物』は水と油、不倶戴天の敵でしかない。魔物と付くなら、最早それ自体が相容れない存在だ」

 

「……実際にその空気の中心地に居たんだ。そんくらいは分かってるよ」

 

 

 ルークスの言葉は無機質だった。

 怒りや嫌悪の感情ではなく、淡々と模範解答を述べているだけな冷たさ。

 落ち着きを求めて手を伸ばし、甘菓子を口へと放る。

 紙袋のガサリという音色が、渇いて聞こえた。

 

 

「分かっていて、あの結末を選んだのか」

 

「簡単な道を選んだだけだろ。泣いてる子供相手に剣を振るよりは、ずっと楽だし」

 

「良く言う。適当に自滅を待つ方が余程容易かった癖に」

 

「さあね。こっちもガス欠だったし、自滅待ってるほど悠長にやってる余裕なかっただけかもよ」

 

「…………ふん。やはり馬鹿のお前なら、目も理屈も何もかもがバカになってるんだろうな」

 

「人を非常識扱いし過ぎじゃない? まともとは言わんけど」

 

「うるさい黙れ馬鹿ナガレ」

 

「ひっでぇ言い草」

 

 

 けれど冷淡さは季節風とは違って、あっさりと感情色を取り戻す。

 積もる雪の様にシンとなだらかな静寂。

 秋の高い空に浮かぶ月の下弦が、そっぽを向いたルークスの口元に少しだけ描かれる。

 

 

「泣いてる子供、か……

 

 ……、──嘘つきめ」

 

 

 小綺麗に微笑んでるようにも見えるのに。

 何故だろう。

 隅っこにぽつりと浮かぶ、寂しさを見付けてしまったのは。

 

 

「……嘘をついた覚えはないんだけど」

 

「……あぁ。確かに、お前は嘘はついてないんだろう。お前の目には少なくとも、『魔物憑き』とも『魔女の弟子』とも映らなかったらしい」

 

「だったら」

 

「……だが、『泣いてる子供』。本当に……それ"だけ"だったのか?」

 

「────」

 

「馬鹿で、単純。だというのに……解し切れない。なぁ、ナガレ。この……『嘘つき』め」

 

 

 けれど、隠したいものを見付けてしまったのはお互い様なのかも知れない。

 

 嘘つきめ、と。

 突き放す為の手酷い言葉は、包み込むような優しい音がしていたから。

 

 

「私はお前の試合を観たんだ。最後まで。ずっと観ていた。お前が魔女の弟子を抱き、闘技場を立ち去る最後までだ」

 

「最後、までか」

 

「あぁ。だからこそ、私には視えた────泣きそうになっていたお前の顔を」

 

「…………」

 

「泣いてる子供、だけじゃない。それ以外にも、あいつを通して"重ねた何か"が……あるんじゃないのか」

 

「……、────」

 

 

 参ったな。

 セリアにも、お嬢にもアムソンさんにも。

 メリーさんにもそうと悟られないように隠してたってのに。

 

 ルークスには見抜かれてしまっていたって事か。

 いや、ルークスだからこそ見抜けてしまったのかも。

 なんせ彼女は、この無愛想な隣は。

 俺という人間の過去を、傷を、弱さを。この世界で唯一、知ってくれている人だから。

 

 

「例え見つけても、黙って見逃せよ」

 

「ふん。言っただろう。馬鹿で、単純。そんなお前を、解し切れない……分かりやすい奴を、分かれていない。『癪』なんだよ、そんなの。だから見逃してやるものか」

 

「押しが強いなぁ。遠慮って言葉、知らないの?」

 

「私の辞書にはない。あっても、お前には適用しないな」

 

「嬉しくない特別扱いをありがとう」

 

「結構。それに、昨日は──無粋な"蝙蝠"に途中で遮られて、色々と消化不良だったんでな」

 

「……蝙蝠?」

 

「覚えてないならいい、聞き流せ」

 

 

 優しいようで、優しくない。

 優しくないようで、優しい。

 

 さあ話せと言わんばかりの口振りなのに、樹に背を預けて星を見上げる。

 遠慮もなしに踏み込む柔らかな横暴さが、けれども不思議と心地良いと感じて。

 

 

 あぁ。それは。

 

 

『そもそも、なんだってテメェはそんなに都市伝説なんて下らねぇもんに熱中してんだか』

 

『はは、今更それ聞く?』

 

 

 いつかのあの場所で。

 アイツ(アキラ)に聞かれた時と、同じだったから。

 

 

 

 

「……重ねた何か、か。まぁ、あんたの言う通りだよ。きっと俺は、あの娘に……トト・フィンメルにさ、勝手に重ねたんだと思う」

 

 

 手慰みに語るには気が進まない話なのに。

 進まない気持ちが、勝手に歩き始めていた。

 

 

 

「……なにをだ」

 

 

「昔の自分だよ。全部失って、どうしていいか分からず、息もしてない人形みたいだった自分を勝手に重ねてた。

……ホント。そういう"同情"ってヤツが、一番嫌いだった癖にね」

 

 

 並んで見上げた夜の向こう。

 とうに過ぎたモノにしておきたかったセピアを今更拾い上げて語るのは、きっと。

 自分なりの、トトへの贖罪。

 或いは、過ぎたモノにまだ爪を立てたくなってしまう、俺自身の女々しさなのかも知れないけれど。

 

 

 

 

 

「【荻山区再開発計画】

 

────あれが多分、全部の始まりだったと思う」

 

 

 

 囁いた名前に、懐かしさを覚える。

 レールを切り替える分岐器のように、『細波 流』という人間の有り様を変えてしまった最初の切っ掛け。

 

 気を遣われたように、静かに冥む夜空の葵。

 小さな星が一つ、落ちてくみたいに流れていった。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 ランプの種火が、揺れていた。

 

 

 

「さて、こうして時間を作ってみた訳だが」

 

 

 隙間もなく詰められた幾つもの本棚が窮屈さを前に出し、元の広さを分からなくさせた部屋の中。

 老朽したテーブルに肘を置いた老人の、黒々とした眼光が片膝をつく騎士を見据えていた。

 

 

「闘魔祭も後は決勝を残す所とはいえ、片付けねばならぬ仕事も残っておる。用件とやら、聞かせて貰おうか。どうせ、あの子狸からの難題であろうが……」

 

「……いえ。此度の用向きはテレイザ様からのものではなく、重ねればガートリアム、ラスタリアにおけるものでもなく──私自身の、個人的な『嘆願』です」

 

「ほう……? 長く生きれば珍しい事もあるものだな。彼奴(テレイザ)の傍らで過ごして来たお主が、彼奴(あやつ)を介さぬとは……」

 

 

 賢老の厚い白眉が、興味深そうに片側だけ吊り上がった。

 少しばかりの想定外を示す仕草は、静かな感慨を混ぜた吐息と共に、やがて消える。

 

 

「……それでは」

 

「ふむ」

 

 

 それが賢老ヴィジスタなりの、話してみろという促しの合図。

 見留めたセリアは立ち上がりながら、懐より『一通の手紙』を取り出すと、彼の前へと差し出した。

 

 

「ヴィジスタ様にお頼みしたい事、それは……此方の手紙を、ある人物へと送りたいのです」

 

「……手紙を、か。セントハイムの郵送屋ではなく、わざわざ私の元へと持ってきたということは……よほど遠くの者へと送りたいのであろうな?」

 

「仰る通りです。国境付近が魔王軍との膠着状態にある今、通常の郵送屋では無理と断られてしまいますから」

 

「……では、ある人物とは……」

 

「はい。ヴィジスタ様のご想像通り……」

 

 

 ランプの種火は、ゆらゆらと揺れる。

 けれど騎士の瞳の藍色は、些細な揺らぎ一つすら起こしていない。

 

 

『貴方は、貴方のやりたいように。私も、私でやるべき事を』

 

 

 自分の代わりに闘ってくれた青年に告げた、いつかの言葉。

 揺らがない決意と眼差しは、己を語れぬ彼女なりの、確固たる意志が宿っている証であった。

 

 

 

 

「東のエシュティナ国、エシュティナ魔法学院……

 

 

──『エピオン・フルレ・スリヴァント学院長』に、この手紙を送りたいのです」

 

 

 

 

 


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