ヒルトリア共産党が崩壊して、十年。国家体制を保持しつつ、共産党の一党独裁を廃したヒルトリア連邦。その建国記念パレードに立つ大統領、タチヤーナ・エルンネストは、見覚えのある二人組の幻影に悩み、恩師の墓を訪ねる。そこで会ったのは、まさにその幻影であるはずの、失踪した兄夫婦であった。
 これは約束の国の、共産主義を脱したヒルトリアの十年後の、ある再開を描いたIFストーリーである。

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 はいおはこんばんちわ。浅学(あさい まなぶ)です。あまりにも書きたかったんで、短いながらもかかせていただきました。幼女戦記で有名な方です、著 カルロ・ゼン先生の「約束の国」の二次創作です。
いや古くない?って言われてもいいんです。こんな日があったんじゃないかなって。そう思ったんです。
 僕なりの一つのヒルトリアの、約束の国後日談、興味がある方に読んでいただけたらなと思います。
 また、これを読んで約束の国に興味を持ってもらってもうれしいです
 前書きが長くてもあれなんで、まずはどうぞ。


夢に見たかの国で

私たちの国が欲しかった。いや、欲しかったというのは語弊があるだろう。そこには私たちの家があった。他の民族と手を取り合い、恵まれているというには言い過ぎだったが、悪い事ばかりでも無いじゃないかと言える、約束の国。

 友人は選べても、家族は選べない。そういう意味では、確かにあの国は私たちの家であった。しかし、それは否定されることばかりではなかっただろう。家族だからこそ、時にぶつかり合い、すれ違い、それでも思うところを話し合い、譲り合って、助け合って生きていこうと。家族なのだからと。そういう意味では、いい家であったと思う。

 だけれども、決定的となったのだ。あの日、あの研究室で。私は出会ってしまったのだ。家の柱、国家の指導者、ヒルトリア共産党はすで手の施しようがないと断じた彼女に。この家は、すでに手の施しようのない大黒柱を抱いて、このままでは家までつぶれてしまう。彼女は、先生は、フォーラムを組織して党を変えようとした。腐りかけの柱でも、まだ猶予があるならば、任せてもいいと。私たちが、本当の意味でこの国を変えるのは、まだ先でもいい。準備ができるなら、それに越したことはないと。

 

 私たちは次第に先生の理念に賛同した人たちと、一つの勢力として、党に警戒されるまでになった。それは、今までであれば恐れることだったのだろう。だけれども、今、手を伸ばし続ければ、叶わなかったはずのささやかの夢に、手が届くと思っていた。

 

 でも、先生の言った猶予なんてものは、はなっから存在していなかった。党の懐刀として共和国を駆けずり回っていた兄が、先生にアポを求めてきた。それはいい。別になんてことはない、先生と袂を分かつことになった兄は、それでも、兄なりの方法でこの国を、民族の家を守ろうと奔走していた。

『いい? もし党からフォーラムに直接的な干渉があった場合――――フォーラムは、実力でもってこれに対処するように。といっても、武力ではなく、あくまで平和的に、人を集めてのデモ行進よ。銃を持ってしまえば、そのまま流す必要のない血を流すことになるから……』

 最初は何を、とフォーラムは考えていた。確かにフォーラムの存在は、党にしてみれば厄介極まりないと。しかし、先生が言ったのだ、私たちこそがその党の監視勢力として、人民のガス抜きとしての役割となっている限り、彼らはフォーラムを利用してくると。だったら、私たちに手を出すことは人民の不信感を生む。

 それこそ、党が望む結果につながらない。そう考えていた。

 

 しかし、いや、そして、フォーラム指導者四名が襲撃された。そこには兄の同輩と面会をする予定だったアレクサンドラ先生も含まれていた。

 

 そこからのフォーラムの行動は迅速だった。いや、迅速にしたのだ。襲撃されなかったフォーラムの指導者たちと、私自身も指導層の一員として、事前に策定されていた通りにデモ行進を行った。

 私たちはただ、自由に議論がしたかった。自由に意見を言う場が欲しかった。そして、ソレは暴力によって蹂躙されたのだ。私たちが思う程、この国は余裕がない。それを思い知らされた私たちは、私たちの正しさを証明するために、誇るために大通りを行進した。歩いて行くうちに少しずつ、フォーラムに賛同する人々が集まっていき、いつの間にか群衆となって大通りを埋め尽くした。

 

「タナ、話がある」

 

 あの時は心底驚いたものだ。想定さえしていなかった。居るはずのない兄が――――兄さんが、いつの間にか私の後ろに張り付いていたのだから。そこからは、私はあくまでフォーラムの一員として、兄はヒルトリア共産党の党員としてやり取りをした。

 兄さんは、ひたすらに進路を変えろと、共産党を見誤るなと訴えてきた。冗談ではない。ましてや、兄は言うに事欠いて『お前たちが内戦の引き金を引く』と言ってきた。もうとっくに、党はフォーラムに対して一線を踏み越えてきたのに、だ。

 ましてや、兄さんはアレクサンドラ先生とは同輩なのではなかったか? 軍では背中を預け会った仲だったのでは? と様々な感情が渦巻いた。

 だから、私はあくまでフォーラムの一員として、党の人間である兄には真っ向から抵抗した。何よりも、党の動員した情報省の装甲車に、その車両の上でがなり立てる役人の姿が、私たちの党への疑心をより強くした。

 兄さんは、その私の、私たちの視線に気づいたのだろう。

 行動で示そう、といった兄さんが最初何をするのかはわからなかった。

 そして、デモ隊から飛び出した兄さんの――――一人のヒルトリア人の演説が始まった。

 真っ先に気付いたのは情報省の役人だった。最初は言い争っていただけだったが、役人が人民のため、といった瞬間に空気が変わった

 

『冗談ではない! 人民に銃を向ける! これの、どこが、人民のためだ!』

 

 明朗に、声高らかに、兄さんは役人へと食って掛かった。

 

『よろしい、同志諸君、一人のヒルトリア人としてお伝えしよう。私を叛逆者と罵りたまえ。そのうえで義務を果たしたまえ。しかして、その前に、立ちはだかる私を引き倒してゆきたまえ』

 

 勇ましく、ヒルトリア人として、平和を求める群衆の先駆けとなって。

 

『私は、ヒルトリア人なのだ。党員である以前に、私は、一人のヒルトリア人なのだ』

 

 党の意向さえ無視して、ヒルトリアの蒼い旗を仰いだただ一人の人民として。

 

『ヒルトリア人として、同志諸君ではなく、同胞諸君に、人民の声を届けよう』 

 

 ノーメンクラトゥーラの仮面を剥いで、むき出しのヒルトリア人民の叫びをあげていた。

 

『この蒼い空の下、我々はヒルトリア人なのだ。望むと、望むまいと、悟ると、悟るまいと、ここが、我々の、ヒルトリア人全員の故郷であり、家なのだ。家族とて、問題を抱えることはあるだろう。だが家族の問題とは対話によって解決される。家族間の問題だ。銃器や戦車を持ち込む人間のことを『馬鹿野郎』というのだ』

 

 そして、取り押さえられてなお、そのヒルトリア人は、同胞と、蒼い空に、かつての先人たちの影と共に、唱和したのだ。

 

『ヒルトリア、万歳!!!』

 

 

 

―――――――――

――――――

――――

 

 

 からりと蒼く晴れた秋の空は、どこか遠くの、懐かしい日々を思い出させるものだ。ここ、ヒルトリア連邦においても、十年前のヒルトリア共産党の解散と、それに伴うヒルトリア社会主義連邦共和国の崩壊、そしてヒルトリアの構成五共和国の協議によって、新たな体制で打ち出すこととなったヒルトリア連邦国の建国パレードが行われていた。 

 こと首都シンギディドゥヌムは、革命の乙女ともてはやされ、今や連邦を主導するタチヤーナ・エルンネスト大統領の演説のために多くの国民と、西側、東側問わず多くのメディアが押し寄せている。

 多くのカメラと、多くの瞳に見られながら、まだまだ若さの残る、それでいてどこか凛とした雰囲気を漂わせているスーツ姿のタチヤーナが演説を始めた。

 

「まず、初めに多くの方々と、多くの国民と、多くの国外の友人たちに支えられて、このヒルトリア連邦の建国十周年の日を迎えられたことを、心より感謝いたします」

 

 タチヤーナも、最初からこの国の官僚として働いていたわけではない。彼女は、あの民衆革命の先頭に立っていた時はまだ学生だった。それこそ、故アレクサンドラ・ローガノフ上級研究員のもとで様々な課題をこなしていたし、兄は辣腕を振るったボルニアの腕切人ことダ―ヴィド・エルンネスト中央書記であった。

 それなり以上に政治には近いところで過ごしてきただろう。しかし、まだ二十にすら達していない少女に国家運営の重荷を背負わせるほど、フォーラムは逼迫はしていなかった。そして、タチヤーナ自身も自惚れてはいなかった。それ故に、タチヤーナは素直に学生の衣を纏いなおしたのだ。あの革命の、熱狂の最中に。

 もちろん、革命の乙女の名はすさまじく、方方引っ張りだこではあったが。

 

「私も、大統領の任期である四年の半分を無事折り返すことができました。これも建国書記の若輩者の私を育て上げていただいた旧フォーラムの皆さんと、国民の皆さんのたゆまぬ努力によるところだと、考えております」

 

 無論、アレクサンドラの後継者として、目されていたのだ。様々な羨望、嫉妬、悲喜こもごも一通りの人間の善性、悪性を見ることとなる。

 

「現在、このヒルトリア連邦は、東側とも西側ともつかぬ立場を、自主管理社会主義を奉じてきた時より変わらず保っています。そして、だからこそ、東と西の紐帯となれるよう、今後とも世界の懸け橋となるように今後も舵を握っていきたいと、新たに決意しました」

 

 それでも、タチヤーナは政治家になった。奇しくもかつての、彼女の知らない兄の様に、自らの信じた家を守るために、そして、その家で、家族と共に平和な日常を過ごすために。

 演説は無事に終わる。観衆はスタンディングオベーションで迎え、笑顔と歓声が官邸前の通りを埋め尽くした。

 降壇したタチヤーナは政府の要職たちと共に官邸内へと戻り、今度はシンギディドゥヌムを公用車でぐるりと周回する。

 

 

 

 街は文字通りお祭り騒ぎだ。しかしそれはかつてのカオスの様相ではなく、みな笑顔で、屋台やカファナや料理店、様々な娯楽に興じている。スロニアで発展したワイン産業をはじめ、各共和国の特色を出した名物店の郷土料理は今やヒルトリアの観光にあって必須の項目にチェックが入ることは間違いない。

 そんな店が一堂に会し、通りで腕を振るうこの建国記念日は立派に国家の一大産業としても認識されている。まして、東西双方に広く門戸を開いているヒルトリアでは最も人が行き来する期間であるといっても過言ではない。

 公用車の窓を開ければ多くの空腹を誘う香りが飛び込んでくる。そしてその匂いに思いをはせていれば「タチヤーナ大統領だ!」との声と共に多くの人々が手を振ってくる。

 革命の影響は思いのほか大きく、タチヤーナの名前も広く報じられた。故に、外国からの観光客からもカメラを向けられ、それに笑顔で手を振るのはもはや日課といっても過言ではない。

 

「この景色を、兄さんにも見せてあげたかったな」

「はっ。大統領、なにか」

「いいえ、何でもありません」

 

 いけない。そう思った。兄は、ダ―ヴィド・エルンネストは、あの革命のときに姿を消したのだ。ヒルトリアの歴史に名を残すノーメンクラトゥーラにして、最後はヒルトリアと、そこに住まう同胞のために党に叛逆した、兄。

 一体何方が正しい姿だったのだろうと、今でもふと思い出す。

 公式には死亡、となっている。義姉のカーネリアまで姿を消しているからには、どこかでしぶとく、義姉に尻に敷かれながら生きているのだろうとは思っている。思っていたい。そういう人たちなのだ。

 党で辣腕を振るい、ただでさえ魔物の巣食う政界の、さらに危うい一党独裁を行う共産党の中で赤い貴族にまで上り詰めたダ―ヴィド。もちろん、カーネリアも並ぶ所に居たわけだし、何より二人は連邦軍の士官候補生であったのだ。

 それでも、やはりというべきか、こういう日だからこそ、あの二人がどうなったのかと思索にふけってしまう。

 もう、あの日から十年。心の奥底では、もう本当は手の届かない場所に、二人とも……。

 

 そして、ふと見たレストランの窓に、こちらを見つめる二人の男女がいることに気付いた。

  

 それはちょうど思考にあったためだろうか。ちょうど店を出るところだったためか籍を二人で立ち上がり、そのさなかにタチヤーナの車が通りがかったというところだろう。

 女性は、上品に白のワンピースに黒の薄手のカーディガンを羽織っている。濡れ羽色の髪は肩のあたりでそろえられており、よく手入れがされているのが分かる。眼鏡の奥からのぞく切れ長の、猫のような目は優しくこちらを見つめている。

 男性は、明るいブラウンのカジュアルスーツに身を包んでいる。咥えタバコを怒られたのか、少し長めの髪を引っ張られて火を消している。そして、こちらを見るその眼は女性同様優しく、温かささえ感じる様子だ。

 

 まさにタチヤーナは唖然とした。そんなはずはない。かねてより、捜索には手を尽くしてもらっていた。党の崩壊は様々な弊害がある。治安は一時的にとはいえ悪化した。党主席のノーラス・トルバカインでさえ、しばらくは執務室から出てこれない程度には危険な状態であった。

 しかし、それはガードマンが付く立場だったからこそ、それで済んだ。

 ダ―ヴィドは、あの場で囚われ、混乱する省の隔離施設へ送られただろう。カーネリアは、きっとあの時はデモ行進の報を受けて内務省へと急いだことだろう。もし、襲われでもしていたら、身を守れたかすら怪しい。

 エルンネスト夫妻はどうせ生きているのだわと、少々茶化して考えていた節はある。しかし、改めて、たとえ幻か、似た人間を見てしまったとして、どうして平静を保てようか。馬鹿だ馬鹿だと、どうやってあんないい女性を手籠めにしたんだと貶して茶化した愚兄ではあるが、兄なのだ。家族なのだ。

 そして、その愚兄の伴侶としてエルンネスト家へと来てくれた、聡明で美人で、優しい義姉もまた、家族だ。死んだと思った家族が、幻の彼方から途端に目の前へ現れた時の対処法までは、アレクサンドラは教えてくれなかった。 

 一瞬の思考の淵から再起動を図って再びレストランの窓へと視線を向けると、いつの間にかあの二人はいなくなっていた。思わず探してしまいそうになるが、今は公務の真っ最中と気を引き締める。

 一体何を揺さぶられているのか。私はもうあの頃の少女ではなく、このヒルトリア連邦の大統領なのだ。

 

 その後も、市街地を回遊し、時折街へと出て住民と触れ合い、公務へと意識を向けることによって、タチヤーナは先ほどの家族の幻影から思考をそらしていた。

 しかし、公務を終え、一人の時間へと、私人へと戻った途端に、先ほどのことが鮮明に瞼の裏へと蘇ってくる。

 

「あれは、確かに兄さんと義姉さんだった……?!」

 

 思わず口に出してから、衝撃を感じた。

 そんなこと、あるわけがない。それはまさしく有り得ないことなのだ。二人は、公式には死亡したことになっている。

 それなのに、今このヒルトリアに、帰ってきたというのか。それとも、私の心が、二人の影を見せるのか。 

 今、タチヤーナは公人として正確な判断ができるかわからないほどに、揺さぶられている。

 この迷いを断ち切らなければいけない。私は、個人の都合で迷っていられる立場ではないのだから。

 そして、タチヤーナ大統領は、翌日のスケジュールに少しだけ修正を加えることにした。

 行先は、国立墓地。かつての共産党の革命闘士達が眠る場所。アレクサンドラ・ローガノフのもとへ。

 

 

 

 翌朝、いささか寝ぼけた頭でタチヤーナは目を覚ます。昨晩はスケジュールの変更と、それを見越して少々遅くまで私室で書類等の確認をしていたために眠るのが遅くなったのだ。 

 加えて、寝酒も入れてしまった故、少々頭がポーッとしている。

 弱いほうではないが、やはり寝酒となると回り方が違う。少々失敗したかなと考えつつも、意識を覚醒させるために頬を軽くたたく。

 午前中は毎日のような政務、書類との格闘と、午後からの各国要人を招いてのパーティーがある。

 そう言った場でなければ、やはりし辛い話というものがある。公式の場よりも、ある程度フォーマルな場のほうが踏み込んだ話も聞けることがある。

 建国記念に際して、こちらも経済協力や、周辺諸国との摩擦に関して多少でも折り合いをつけられれば、と考えることが多い。

 しかし、その前に、国立墓地へと告げて車を出す。今の悩みを、かつての恩師に話に行こうという、タチヤーナの精神を落ち着ける方法だった。

 

 官邸を出て、今日もまた活気にある市街を抜ける。流石にこればかりは個人的な用になってしまうため、あまり普段使いのされていない、大統領が使っているとは思われない車両をチョイスして出てきた。

 お祭り騒ぎの中を少ないSPを付けて車ですり抜けていく。

 気が付けば人ごみの中に記憶の中の姿を探しては、頭を振ってその幻影を振り払うことを繰り返している。

 このままではいけないと思い、アレクサンドラの墓を参ろうと思ったタチヤーナであったが、どうこの思考を言葉に乗せようかと思案する。

 先生、あなたの同輩である兄と義姉が、彼岸の彼方から帰ってきているかもしれませんと言えば、非科学的であると叱責されるだろう。

 無論、故人に叱責されることはないのだが、それでも墓前に立つと彼女が見てくれている気がしてならない。であるならば、しっかりと筋を通して話をしたいとタチヤーナは考えている。そして、その思考は時間の感覚をいつの間にか奪い、次に意識が現実に回帰したのは国立墓地の入り口で車が停止した微かな振動だった。

 SPの「少し離れて警備しています」という言葉と気遣いにありがとうと答え、少々離れたところからの視線を感じながら墓地を歩く。昨日と同じくからりと晴れた蒼空のもと、静謐な空気の中を歩く。この墓石の一つ一つの下には、かつてのヒルトリアの絶えない革命のために亡くなった革命闘士達が眠っている。いわば今のヒルトリア連邦の土台をくみ上げた先達たちが眠っている。

 無論、その先達たちの共産党は失脚し、社会主義としてのヒルトリアは倒れた。しかし、その倒れた多くの闘士達の屍から、新たな芽が息吹き、今のヒルトリア連邦がある。そういう意味で、タチヤーナはここに眠る先達たちには一定の敬意をもっていた。

 その英霊たちの中、恩師のアレクサンドラの墓が見えるというところまで来たとき、男女二人組がその墓前で何かをしているのが見えた。

 タチヤーナの心臓が早鐘を打ち出し、呼吸も少しばかり速くなる。そんなはずはない、という気持ちとまさか、有り得るのか、という気持ちがせめぎ合う。そんな中、先に気が付いたのは女性の方だった。

 その濡れ羽色をした髪を持つ女性は、隣の男性を小突いて何事かをささやいている。そして、ソレによってこちらを見た男性の顔を見て、タチヤーナは小さく呟いた。

 

「兄さん……」

 

 それはあまりにもすんなりと口から出てきた言葉だった。この十年間、なにかの拍子に思い出して口に出したことはあったけれども、誰かの顔を見て言うことなどは一度もなかった。

 そして、二人組は歩いて近寄ってくると、タチヤーナの前で立ち止まると言葉をかけてきた。

 

「エルンネスト大統領ですね、まさかこんなところでお会いできるとは!」

「あなた、それはいささか大仰な仕草ではなくて?」

「いやはやカーナ、ヒルトリアの未来を背負う大統領閣下がかように可憐な姿では、仕方もないと思うがね」

「あら、だったら私は可憐ではないと?」

「おいおい、やめてくれよ、そのような言説は聞いたことがない」

 

 そして、タチヤーナの記憶にあるよりは幾分か柔らかくなってはいるが、確かに兄と義姉のやりとりだった。

 

「兄さん! 義姉さん! 一体、今までどこにいたんですか!」

「おっと、私は君の兄ではないし、妻は君の義姉ではないよ。私たちは、たまたま旧友を訪ねてきた旅客に過ぎない」

「そんなこと」

「いや、あるんだよ。その方が都合がいいし、その必要がある。必要が、そうさせるんだ」

 

 この硬い言い回し。身内なのにどこか不器用な兄のダ―ヴィドに間違いないとタチヤーナは確信する。しかし、ダ―ヴィドが言うことは紛れもない正論だった。死んだはずの兄は、生存していた。あのごたごたで国外か、国内に潜伏していたとしたら、少なくない波紋を呼ぶだろう。

 何せ、ヒルトリア共産党で少なくない人数を処刑してきたという経歴がある。それは明らかに今の人道主義に反するわけで、間違いなく生存していると分かったら即座に拘禁されて裁判沙汰になるだろう。それは、そのまま破滅への扉を開くことになる。 

 さらには、その身内であるタチヤーナは今や大統領だ。あらぬ噂が立ってしまえば、せっかく好調な経歴にいらぬ傷がつくかもしれない。それは、政治を行う人間にはよくない傷だ。

 

「大統領閣下? うちの亭主がとんだ失礼をして申し訳ありません。これでもいざという時は多少は役に立つんですが、普段は弾避けにもなりませんので。ですが、旧友を訪ねて来て、ましてや閣下にお会いできて、私も亭主も大変喜んでおります」

「その通りだ。大統領、私はこの再開に、本当に感激している。ああ、再開というのは、昨日のレストランであなたを見かけた時のことですがね。海外からでも、常にあなたの動向を気にかけていましたよ。あなたのような少女が、こんなに祭り上げられて大丈夫なのかとね」

 

 ダ―ヴィドは、兄は、今まで見たこともないような、優しい目でこちらを見つめてくる。カーネリアも、猫のような瞳は薄められ、まるで娘を見るかのような気配さえある。それほどまでに、二人は今まで私のことを気にかけてくれていたのだろう。タチヤーナは、どことなく、心にあったもやが晴れてくるように感じていた。

 

「大統領。ここで会ったのは本当に偶然なのです。しかし、その旧友がきっとめぐり合わせてくれたのでしょう。今はワシントン合衆国にいるんですが、昔は私もヒルトリアに住んでいましてね。その時の騒乱で、多くの友人を失いました。最近やっと落ち着いて墓参りに来てみれば、こうやって不思議なめぐりあわせ。わけあって信仰は持っていませんが、きっと、縁というものはあるのかもしれない」

「あなた、口の滑りがだいぶ良くなっているようね。昨夜のテランワインが抜けていなくって? いらないことまで口走らないようにね」

 

 そう言ったカーネリアの視線の先には、先ほどまで離れていたSPがいる。恐らく、タチヤーナが見知らぬ民間人といるのを見てきたのだろう。護衛として、多少気を聞かせてくれた彼のおかげで二人に会えたのだから嬉しくもあり、今近づいてくる彼が少々恨めしくもある。

 その時、二人は殊更に近づいてくると、すれ違いざまに言葉をかけてきた。

 

「タナ、よくがんばったな。俺にはできなかったことだ、誇りに思う」

「私たちが愛した約束の国(ヒルトリア)を、よろしくね?」

 

 そういって二人は、SPに軽く挨拶をして去っていった。

 

「大統領、申しわけありません。流石に敷地内の警戒には人数が足りませんでした。なおかつ、私の判断ミスで、危険にさらす結果になりました」

「いいえ、いいんです。今回は私の我儘でこうなったんですから。それに、今のヒルトリアで、悪意によって銃を持つ人は、そう多くありません」

 

 タチヤーナは、去っていく二人の背中に手を伸ばそうとして、やめた。もう、きっとこの先、あの二人と道が交わることはないのだろう。そして、交わろうともしないのだろう。そういう二人だ。

 でも、その前に、会うことができた。記憶の影で、くすぶっていた二人は、一瞬であってもタチヤーナの現実に現れて、最後に家族として、民族の家(ヒルトリア)をよろしくと言った。ならば、守らなければならない。私の家族に顔向けできるように、ヒルトリア人としての誇りをかけて。

 

 

 

――――――――

――――――

――――

 

 

 

 コンチネンタルを縦断する列車のコンパートメントで、ダ―ヴィドとカーネリアは向かい合わせで座っていた。席には、軽めのつまみと、帰りのスロニアで購入したワインが栓を抜いた状態で置いてある。

 カーネリアがチョイスした少々出回り辛いワイン故、値段は多少張ったが、その分満足感はひとしおである。それに、今回は予期せぬ出会いもあった。

 

「まさかタナがいるなんてね」

「全くだ。愚昧があのタイミングでアレクサンドラのもとに来るとは思わなかった」

「あら、あんなにニュースで名前が出るたびにテレビを見る癖に、憎まれ口?」

「まあ、いや、そりゃ身内にすべてをおっかぶせて逃げた身だ。気になるだろう?」

「ふふ、まあ、まさかタナも私たちがいるとは思ってないわよ。それに、隔年で訪れているのも知らないと思うわ」

 

 二人はあの逃走劇からのハニームーンの後、連合王国の伝手を使って新たに国籍を得ていた。無論、手土産はごたごたに紛れてくすねてきた機密資料になる。無論、今後の国家運営に際してはアキレス腱とはならない部分を、持ち前の狸ぶりでさも偉大な発見のごとくごまかしたものだ。

 その後は、ワシントン合衆国にわたり、資本主義の生活を学びつつも、つつましく生活していた。

 そして、落ち着いてしばらくしてから、お忍びでヒルトリアに足を運んでは旧友のもとを訪ねて墓に土産を持って行っていた。

 

「まあ、またしばらくは西側でつつましやかに動向を見守るさ」

「ダード、笑ってるわ」

「そうさ。もう泣きたくないから笑うんじゃない。笑いたいから笑えるんだ」

 

 約束の国には、もうしばらくは帰れそうにない。まだ、二人の顔を覚えている人間はいるだろう。

 だけど、いつか。

 

「カーナ」

「ん?」

「あの日、同志トルバカイン主席は言ったよ。お前は結末を見届けろって」 

「うん」

「間違って、なかったよ。ヒルトリアは蘇った。あえて言いたい。同志トルバカインは夢を繋げたんだ」

「そうね。私もそう思うわ」

「ニコ、サーシャ、多分ジンも、約束の国で、安らかにあるだろう」

 

 そこまで言い終えて、カーネリアは一つだけ、と前おいて言った。

 

「同志ダ―ヴィド・エルンネスト、同志シグルドはまだヒルトリアで生きて働いているわよ」

「そうだったね、同志カーネリア・エルンネスト。一本取られたよ、これはおごりだ」

「まあ、私の好きなワインね。いただくとするわ」

 

 そして、次の街へ走る列車の中で、二人のヒルトリア人は、スロニアワインで乾杯しつつ、唱えたのだ。

 

「「ヒルトリア(私たちの家)に、乾杯」」




 はい、ここまで読んでいただいてありがとうございます。浅学です。学びが浅い文章ですいません。
 少しでもカルロ・ゼン先生のような理知的な文章が書けるようになりたいです。
 ちょっと一人称と三人称混ざりすぎじゃなーい? と思われる方、ごめんなさい。反省してます。
 でも、少しでも誰かの視点で進めたいと思てしまいました。その場合、やっぱり(勝手に)主役に置いたタナかなって。
 今作のコンセプトは、あの日の、あの列車に乗っていった二人のそのあと、だったんです。でも、なんか書いてるうちにタナが悩んでのろけ夫婦が解決する話になってしまいました。
 でも、きっとトルバカイン主席の想いを継いだダードやカーナ、ジンに道をたがえても同じ目的地をめざしたナタリア女史とその後継者たるニコやサーシャが守ろうとした国だもん! いい結果になっているもん! ってことで書きたくなったんです。これが僕なりに思い描いた約束の国の未来だったんです。
 あまり知られていない作品だと思うんですが、本当に良い作品です。幼女戦記に負けてないので、もし約束の国っていう作品を今知ったという方が居たら、ぜひとも買ってみてください。僕の好きな作家さんのお財布が潤います。
 そして、約束の国を読んでからこれを見たという方。いかがだったでしょうか? こんな未来も、ヒルトリアにある、いやいやちげーよこうなんだよ、いろいろあると思いますが、ご意見いただけると嬉しいです。ダレトクでも無いけど。 
というわけで、ここらへんで締めたいと思います。また、機会があればお会いしましょう。さよなら!


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