帰還アイテムを使うとクエストのNPCがいた少し前の地点まで戻ってくる。
「では、私はここまでで依頼は終了です。……あなたが戦う気になればいつでも相手しますよ」
そう言って隣にいたキチゥがライムワールドからアンノウンへと戻る転送門へと真っすぐ歩いていく。
少し足を止めて、キチゥは振り向いた。
「元に戻れるとよいですね」
「……ありがと」
それっきり、キチゥの後ろ姿は消えていった。
クエストNPCのいる場所へ行くとガロが椅子に座っていた。片手をあげて手招きをしてくる。
「よぅ。無事だったかw」
「ああ、なんとかな」
「ま、心配はしてなかったがなw」
「言ってろ……」
ふと気になって辺りを見回してもソラの姿はなかった。
ガロが無理矢理にでも帰還アイテムで戻ったのだと思ったが、もう。ログアウトしてしまったのか。
「あの子なら戻ってきてすぐ、お前のためにもう一度、あのダンジョンに潜っちまったよw」
「……なんで? どうやったって、間に合わないだろ?」
いくら長時間の戦闘になったとはいえ、行きに1時間近くかかっていたのだから、流石に無理だと割り切れないのだろうか。
「理屈じゃないんだろ。今どき珍しいタイプだが、ああいうのを見てると、いかに自分が頭でっかちになっちまったのか、つーのを実感しちまうw」
「それは殊勝な心がけだな。その頭のテレビ取れば少しはマシになるんじゃないか」
首の上に乗っかっているブラウン管をコンコンと叩くと、ガロは曖昧に笑った。
「……かもなw チャット送ったからすぐに戻ってくると思うが、どうする? 待つか?」
「時間がないんだ。……終わらせよう。全部」
真っ直ぐクエストNPCに近づきクエストの達成を報告する。
小さなファンファーレと共にクエストのリザルトが出てきた。
震える手でコンソールを確認する。
確かにあった。目的のカウンターアイテムは驚くほどあっさりと手に入ってしまった。
「これでお前のキャラにかかってるアイテム、スキルの類いは全て解除される……」
「ああ……」
息を飲みカウンターアイテムを使用する。
派手な青白いエフェクトが辺りを包み込む。
確かにアイテムは使用され、そして消えていった。
「……ぁ」
短い嗚咽が溢れだす。
我慢などできるはずもなかった。
「ぁぁああああ! なんで! なんでだ!?」
そこにはこれまでと変わらない、リアルの姿の自分がいた。
「何でなんだよ! なぁ、ガロ! なんで!?」
「………………アイテムでもスキルでもないんだ……ハッキングの可能性はロゼッタが否定していた。とすると……やっぱりか」
「やっぱり! ……何がやっぱりなんだよ!?」
ガロは手でこちらを静止させ、口に手をあて考え込み、そして淡々と呟く。
「……お前の言っていたルルってのは、お前自身じゃなかったのか?」
「……は? な、何言ってんだよ。ついに頭がおかしくなったのか!? 私が私以外にいるか!」
「可能性の話だ。ドッペルゲンガーってライムのネームドにいたの、覚えているか?」
ドッペルゲンガー自体はフィクションでもよく題材にされる自分と同じ姿をしたキャラクターの事だ。
ライムワールドにも実装されており、きちんとした攻略法をしないと面倒な相手だった。
ガロは真剣な表情で続ける。
「アレはよくできたNPCだったが、実際は元となったプレイヤーの行動から思考パターンを解析した補助AIのコピーとして作られてる。それこそドッペルゲンガー自身が自分を本物だと信じて疑わないほどに完璧な思考をしていた」
自分の顔が引きつるのがわかる。
「私が、それだって言いたいのかよ……」
「言っただろ可能性の話だ。ライムでもそれができたんだ、アンノウンなら……それこそ、人間の思考回路とまったく同じAIを作り出すことだってできるんじゃないのか?」
「……そりゃ! できるかもしれない、でも、それじゃ! 私が今こんな目にあってるのは誰の仕業だってんだ! いったい何処の誰が! そんな事をできるってんだよ!?」
「いるだろ。……ネクソAI、もっと言うなりゃアンノウンのAIなら可能だろうな」
端から見れば、酷く間抜けな表情をしていただろう。
乾いた笑いがこみ上げてくる。
「……ハハ……ハハハハハハ! ……馬鹿馬鹿しい。……このゲーム全てが私の敵だってか!? あってたまるか! そんなこと!」
「根拠はな、あるんだよ。……ログアウトしているルルのPC……アレは以前からルルが使っていたもので間違いなかった」
ガロが何を言っているのか理解できない。
言葉の端から端まで頭の中で反芻して、それでも、理解できなかった。
「…………意味……わかんねぇよ?」
「そうか、ならはっきり言う……お前の体には、今、お前の言っていた別のルルが入ってるんだよ」
耳鳴りがし、意識が遠のいていく。
自分の足元が崩れていくかのような気色悪さ。
見ず知らずの誰かが自分の体の中に入っている。
存在そのものがはじき出されかのような不快感。
ガロが思い詰めたように呟く。
「……なぁ……ルル……今、リアルのお前はどこにいるんだ?」
頭の中で何かが壊れた。
「……ッ! ガロ! お前まで! お前まで私を……ッ!」
そこから先の言葉は出なかった。
握りしめた拳は震え、頭の中は真っ白になっていた。
だから、出てくるのは断片的な怒りの言葉。
「知ってたんだろ! 全部、無駄だって! 知ってて!! お前は……ッ!!」
「そうだ! おそらく無駄になると思っていた!……それでも! それ以外の手段を思いつかなかったのも確かだったんだ」
ガロが声を荒げる。
その姿に絶句し、そして漏れ出たのは笑いだった。
「…………ハ……ハハ……ハハハハアッハアハハ!!」
ただ、笑いが止まらなかった。
理解なんてできるはずがなかった。
何が嘘で何が本当かすらも理解できない。
だから叫ぶ。
「……私が……ルルだ! 私だけが! ルルなんだ! 他の奴なんていない!」
いるはずがない。
絶対に。
理論とか理屈とかそんなものは関係ない。
自分を認めるのは自分だけだ。
「そう……なのかもな。……お前、これからどうする気だ?」
定期メンテナンスまで、もう一時間を切っている。
「どうする? どうするだって? どうしようもないだろ、こんなの……どうしようもない……最初から詰んでたんだ」
元に戻る方法なんてもう思いつかない。
だとしたら、もういいんじゃないだろうか。
破滅的な思考ですらなく、ただ、最初に戻るだけの思考。
「ああ、そうだよ、もういい。もう……最後かもしれないんだったら……一つだけ、ライムでやり残したことをやるだけだ」
キチゥがそうであったように。
誰も彼も何かしら理由があってここにいる。
「やり残したこと? ……まさか、お前……」
「無空竜ディーフィア……私以外が倒すなんてありえないだろ」
ライムワールドには、限界めいっぱいまでの難易度で設計されたクエストが3つ存在した。
レイクラ民の解析によって、かろうじて理論上クリア可能であると言われた、開発者による狂気の挑戦状とも言えるクエスト。
久遠の塔、攻略。
永久の歯車、起動。
無空竜ディーフィア、討伐。
久遠の塔は解析によってメタにメタを張り、2千人によるゾンビアタックし続け1週間かけて攻略されたダンジョン。
永久の歯車は専用の外部ツールを用いて最適解を探し続けた一人の変態により攻略された千年パズル。
そして、無空竜ディーフィアはついにライムワールドが終了する間際のバンザイアタックによってすら討伐されなかった、名実ともに攻略不能のネームドモンスター。
最後にして最強。
実質的なライムワールドの裏ボス。
そして私の戦闘におけるすべての原典。
剣筋は元より、立ち回りも全て無空竜を倒すために最適化したものにすぎない。
もし、ライムワールドをやめるとするなら、きっとこいつを倒してからだろうと思っていた。
けれど、覚悟がなかった。最後に無空竜に挑んだとき、勝てる可能性はあった。
ただ、ライムワールドを終わらせたくなかったから。
倒せなかった。
「なんでわざわざ! 死にたいのか!?」
何の対策もしていない現状で挑めば勝率など考えるまでもなく0に等しい。
「理屈じゃないんだろ? もうわけわかんないしさ、次があるかもわかんないし、キャラバグるし、リアルの自分とか、ワイヤードゴーストとか、デスゲームとか、バグモンとか、馬鹿みたいな話ばっか続いて……ホント、意味わかんねぇよ」
けれど、きっとそんな事は関係ない。
この世界の全てが敵だったとしても。
私はゲームをしているんだ。
「だから、もう、私は私のやりたい事するだけだって決めた」
「なんだ……それ、どういう理屈だよ」
「わかんないのか。私はただ、今度こそ最後の一瞬まで楽しみたいだけなんだよ。……このゲームを」
それこそ私がアンノウンに来た理由。
それ以上の事はなく。
それ以下の事もない。
ずっと後悔していた。
ライムワールドを最後まで楽しめなかった事に。
アカウントが停止される無力さに、ワールドが終わる虚無感に怯えるしかなかったあの最後。
最高のゲームのエンディングにしては、最悪だった。
だから。
「……ハ、ハハハ……ほんと馬鹿だわ、お前! 頭のてっぺんからつま先までクソゲーマーじゃねぇか」
「私はルルだからな」
無空竜を倒せるのはルルだけなのだから。
今度こそ笑って終われるように。
そう願うんだ。