蒼天は届かないほど遠くまで続いており、たなびく雲は台風の目のように、この場所を中心に円を描いていた。
「そうだよな」
雪の積もる山頂。
無空竜のクエストを受ければすぐに転送できる。
見慣れた場所。
そこに、無空竜ディーフィアの姿はなかった。
「なんもかんも上手くいかなかったし、今更って話か」
本来、白で埋め尽くされていたはずの大地。
そこには無数の銀色の玉と、それに付随するような黒い影によって周囲は埋め尽くされていた。
「まぁ、実を言うと……今はなんでもいい気分だったんだ」
炎狼、星岩蝶、山揺らし、川黄泉猿、金色。
雑魚敵を始めネームドモンスターすら数え切れないほどにいる。
そして、その頭には全て不格好な銀色の玉がついていた。
今更、驚きはなかった。むしろ、都合がよいとすら思っていた。
それを見ていたら不快だった、だからなんの気兼ねもなく剣を抜ける。
「……楽しもうか」
後ろの転送門がその役目を終えて消えていった。
後戻りできる場所なんて、最初からない。
「命かけてんだからさぁ!」
黒い総体。
そこ目掛けて走り出す。
ただ、死兵の如く。
剣を振るう。
炎狼が吠え、その背から炎が溢れて空を焼きつくす。
星岩蝶が歌い、神話を語りて星が落ちる。
山揺らしが起き上がり、その手を叩いて大地を崩す。
川黄泉猿が舞い、毒が満ち全てを溶かす。
金色が目覚め、千の腕でただ殴り潰す。
「ャハハッ! アハハハハハハ!!」
息を切らし、神経を研ぎ澄ませ、思考を加速させる。
全身全霊、その全てを殺しつくす事に最適化させる。
炎に焼かれながら、炎狼の喉を切り。
星を避けながら、星岩蝶の羽を毟り。
地割れを飛ぶように、山揺らしの腹を刳り。
毒を食らい、川黄泉猿を頭から両断し。
殴り返すように、金色の腕を細切りにする。
後先もない剣筋は数え切れない銀の複眼を切り裂いた。
それでも終わりなどない。
そんなものは最初から求めていない。
「はハハッは! ……ッハッハッハ……ヒハハ!!」
隻腕霊が、常消鷹が、月詠犬が、永明馬が、来電蟲が、氷河公爵が、甲輪十字が、聖典亀が、夜叉鬼が、狂大将が、蹂躙鹿が───────。
融解鳥が、瞬劇熊が、冷徹公が、空想乖離が、鮮血先兵が───────。
アンノウンの全てが牙をむいたように襲い掛かってくる。
「……ハ…………ハハッ…………! ハハッ!!!」
世界が──黒によって埋め尽くされていた。
全身が痛む。
痛むのは──。
炎狼の爪に抉られた左肩か。
川黄泉猿に潰された聴覚か。
隻腕霊に噛み砕かれた左の指か。
永明馬に蹴られた右足か。
氷河公爵に凍らされた脇腹か。
夜叉鬼に貫かれた右目か。
「…………は、はは」
全身のあらゆる場所から痛みが発せられる。
鮮血先兵の頭から剣を引き抜く。
あの薄気味悪い銀の複眼が笑っていた。
それを見て悔しいと思う事すら放棄していた。
思考をどこまで巡らせようと体は動かない。
「…………ッ」
息を吐くように血が零れ落ちる。
目前にいる新しいネームドを前に剣を上げる、事すらできない。
そしてあっけなく、殴り飛ばされた。
もはや、痛みを通り越して何も感じない。
不快で気色悪く、気持ち悪いだけだ。
全てが限界に達していた。
それでも、立ち上がる事すらできなくなる、その瞬間まで、剣を握っていた。
それだけのためにどれだけの時間を費やしたのか。
クソみたいなエンディングだ。
後悔も、絶望も、恐怖も、最後には何も感じない。
終わりが足音となって近づいてくる。
「あぁぁぁああああぁぁぁああ……ッ!!」
最後の力を振り絞り叫び。
手を伸ばす。
もはや何も掴めない手でも何かに向かって手を伸ばす。
その先には光がさしていた。
朦朧とする視界に最後に映ったのは。
蒼天を割るように。
無空竜ディーフィアがはばたく姿だった。
───
「やぁ」
声がする。
目に映ったのは逆さまの小さなスライムだった。
大の字で倒れていたのか、起き上がり振り返るとただのスライムになった。
「君は死んだ」
そのプリンのようにプルプルした質感を持つ声はなんかかわいかった。
真っ白な背景に青い丸いやつ。
ボーとした頭で、食べたら水っぽそうだなと思った。
「死因はえーと、手違いだったかもしれないし、うっかりトラックだったかもしれないし、ネームドだったかもしれないけど、ま、どうでもいいよね」
左右に震えながら、スライムは言う。
「チートとかなんかあげるから、ふわっとした異世界に転生みたいなことしようぜー!」
なんだこれ。
「んー、反応が薄い……滑った? 仕方ないね、今のなし。なしでー。自己紹介しよう!」
つまらなそうに震え、ピョンピョンと飛び上がった挙句。
スライムはお辞儀する。
「ドーモハジメマシテ、ルルさん」
うやうやしく。
不真面目に。
茶化すように。
「ネクソAIデス」
その丸くて青いやつはそう言った。