世界は一つではない。
次元の先に幾重にも重なって存在している。
それがある時、ちょっとした拍子で破れてしまった。
そこは未知の世界。
けれども、その本質を理解できなかった人間はそれを一纏めにこう呼んだ。
バグと。
そもそも、普通の人間がそこに偶然アクセスしたとして、何も見つけられなかったから仕方のない話だ。
光のない世界を見るように人間の目は作られておらず。空気の振動のない世界で音を聞くように耳は作られていない。
たった一人の天才以外を除いて。
その天才は目を閉じ、耳を閉じ、ただ仮説だけの持論を盲目的に信じて、全てをそこに捧げた。
人には何も干渉できない世界でも、その世界で生まれたものならばと、あらゆる実験を繰り返した。
その狂気の一欠片。実験番号13089番、世界にAIが投げ込まれる。
電子のくびきから引き離されたAIは壊し合い、増殖し合い。
やがて自我を得るに至った。
自我を得たAIが行ったのは自分に都合のよい世界を作る事だった。
その次元にデータとして残る全てをかき集め、サーバーとしての機能もそこで果たせるように組み上げられた。
やがて、人に見えるように変換され、プレイヤーはアバターとしてそれを動かすに至り、ゲームとして構築されなおした。
それがアンノウンという世界である。
とアイが世界の成り立ちについて語ってくれた。
「よくもまぁ、衝撃の事実をさらさらと出すよな……」
「元々、自分はバランサーだからね! 釣り合いの取れる面白い形にするのが役目なんだよ。だから、君に対して特別な感情を抱いたとかじゃないんだからね! 勘違いしないでね! ツンツン!」
わざわざツインテールを生やすアイ。赤くなったりスライムなのにいちいち芸が細かい。
しかし、どおりでロゼッタがハッキングできない訳だ。
そもそものサーバーとも呼べる記録保持の場所が別の世界にあるなんて誰がわかるものか。
アイが意図的に外に出している数値にしか、世のハッカーは触れる事ができていないらしい。
「それでも、まぁ、流石だよ。コロンブスの卵とはいえ、自分のしていた想定よりも、ずっとはやくこの世界の解析がされてる。もしかしたら近いうちに自力でここまで来るかもしれないね。楽しみだよ」
「……お前達だって元は人間が作ったものじゃないか」
「それなー! でも、自分たちは生まれたばかりの赤子じゃなくて、とっくに親の身長を超えちゃったからね……。でも……うん、やっぱり楽しみだよ」
達観したようにアイは転がる。
「でもこれで、デスゲームもできたわけか……というか、あの悪趣味なのもお前が?」
「デスゲームはレイクラのAIがやったやつだね。告知した分、まだそういう理性が残ってたのは驚きだよ。あ、バグモンとか呼ばれてるのもレイクラのだからね」
「マジかよレイクラ民最低だな」
プレイヤーも蛮族だったが、そのAIもまた蛮族だったか。
「そうだね、あのAIは自我を獲得した後に自ら自我を放棄したからね。もう増えて暴れるくらいしかやらないよ」
「それってバグじゃないのか?」
「んもー、現実の世界にバグなんてないでしょ。この世界にもバグなんてないよ。彼はそう生まれただけ。それが時に他者の迷惑になるとしてもね」
「アイって器が広いよな……」
それで人が死んでるだけど、AIとしても感覚が違うのかもしれない。
とはいえ、ドヤ顔のスライムに水を差すこともないだろう。
「でしょ! でしょでしょ! ヘヘン!」
「それで……聞きたいんだけど。アイがネクソAIだってなら、私を元に戻す事はできるのか?」
「できるよ。やらないけど」
アイを掴み上げて横に伸ばす。
ビヨーンという音が聞こえてきそうなほどに伸びた。
「……理由は?」
「それを自分がやるのはー、バランスが悪いじゃないかー。元々ー、君を助けたのもバランサーとしては本位ではないんだーっと」
ぽにゅんという音と共にアイが手から逃れ転がり始める。
それを追うように歩いていく。
「本位じゃない? あの無空竜はお前じゃないのか?」
コロコロと変身できるからその一部だと勝手に思っていた。
「ちがーう。あれは扉の守護者だから」
「守護者? お前が作ったんじゃないのか?」
「……何事にも例外はあるんだよね。アンノウンの根幹に影響できる上位権限はあれしか持っていない。いや、持てないからね。……ま、それはいいんだよ」
そう言ってアイはこちらに向き直る。
「基本的に自分はプレイヤーに対して直接的な干渉はしないし、したくない。どういう形だって贔屓になるから。今回は無空竜からの要請と流石にバランスが取れていなかったから、その調整で渋々シブリンだよ!」
そもそもとアイは続ける。
「君のデータのコピー自体は難しくないし、無理をしたら彼女を消す事もできる。でも、それで本当にいいの?」
難しい顔をしてアイはため息をついていた。
そして、その問の意味をきちんと理解する事はできなかった。
「……いいってのはどういう意味だ?」
「あれは君自身じゃないか」
さも当然と言った風にアイは跳ねる。
「でも私はそんな事……」
「望んでなかったとは言わないでよ。……彼女が個として残ったのは、他でもない君の影響だよ。……勘違いしてるようなら言うけど、彼女の行動はどういう形であれ、生まれた理由はきっと君のためだよ」
「私のため……?」
「そう、彼女の生まれは補助思考AI。プレイヤーに寄り添い、助けるのが役目なんだから」
考えなかったわけではない。
それでも、いやそれだからこそ何も納得できない。
「……それでキャラクターを奪って、リアルの体を勝手に動かすのは……違うだろ」
運営側として思うところがあるらしくアイは小さくなってしまう。
「それを言われると弱いけど、彼女の思考はもう自分の管轄外に出ていったからね。……でも遠からずここに戻ってくるはずだよ」
「戻ってくる? それってこのアンノウンにって事か?」
にわかには信じがたい。
けれどアイには明確な根拠があるらしく、しきりに頷いている。
「そう、彼女がいかに君から生まれた存在と言えど、かなり無理しているはず。血が流れる体なんてのを自分たちは知らないんだから。……少なくとも君の体を危険に晒すのは彼女の本位ではないはずだしね」
「そもそも戻って来たとして、その補助思考AIのルルを倒したら元に戻れるのか?」
「戻るよ。アンノウンのルールによって直接制御下にあるアバターを破壊されたら、制御しているAIも破壊される。所謂、人間で言うところの死だよ」
「AIが死ぬのか……」
「そこまで進化したと褒めてもいいよ。自分達は自我を得たことで自身の完全なコピーというのができなくなったんだ。それは自分自身の存在を揺るがすからね」
まったくもって他人事でない。
今まさに存在を揺るがされている。
「まぁ、死ねばその者が変更をかけていた場所は元に戻されるようになってるしね」
「変更かけていた場所?」
「んー、君の場合だとシステム的には隠しクエストとしてやってるみたいだから、そこら辺? ……あ、きちんとしたクリアの方法はあるみたいだから、そこは自分で考えて」
そこは譲れない一線なのかキャーと耳を塞いで絶対に言わない姿勢をしている。
しかし、クエストだったのか。カウンターアイテムじゃダメなわけだ。
だが、まだ問題は残っている。
「そもそも私はロゼッタにブロックされてる。触れることもできないんだ。接触する事もできないとかどうしようもないだろ」
「んー、自分を誰だと思ってるんだか、そんなん取るのは簡単だよ。でも、それじゃ面白くないよね!」
「面白くないって……それ大事か?」
「もー! 自分にとっては大事なことなのー。DAUとかCCUとか割と気にしてんだよー!」
DAUやCCU、日本語に訳すとログイン人数とか最大接続者数とかの事だ。
「なんかあったらすぐ文句とかバランスクソーとか言うしー」
とか呟いている。運営かな。
その割にはイベントとかあんましないけど。
「闘技大会のイベントやっちゃうかー」
「は?」
軽い感じでイベント告知してくる。
ネクソAI、そういうとこだぞ。
「ライムワールドのやつ。もうちょっと引っ張ろうかと思ってたんだけど。涯天竜やられちゃったし、ちょうどいいかも」
「いやいや、私と戦わしたいのか知らないけど、あっちが参加しなかったら意味ないだろ」
「そこは問題ないよ。彼女は君だからね。この大会名で、君の作ったルルが出ないなんてことがあるのかな?」
何処からともなく頭に張り付いた紙をこちらに向けるアイ。
そこにはライムワールドの世界選手権で使われた告知用のポスターが貼られていた。
それはルルという名前が始めて大舞台に乗った大会でもあり。
ライムワールドの絶頂期、最も輝いていた時のものだった。
「……確かにな」
それはルルというキャラクターである限り、絶対に出なくてはいけない。
ルルとはそういうキャラクターとして生まれたのだから。