「……お前、試合には出ないのかよ」
「出るさ。別に一時間も必要ないだけだ。何せ私はルル様だからな。十分もあればどうとでもなるだろ」
言外にできないのかと煽られているようで無性に腹が立つ。
ライムワールドでの試合時間の平均は三分だと言われている。
けれど、首や心臓と言った急所を穿けば一瞬で終わらせることも可能だ。
勿論、そんな事は誰もが承知の上なので防御を固めたり、対策を練ってくる。それを突破するのは決して簡単な事ではない。
「ロゼッタにブロックされてたと思ったんだがな」
口から出てきたのはそんな皮肉めいた言葉。
それを受け流すようにルルはアシンメトリーな服をかるく払い、隣の椅子に座る。
「試合だけでなく、この会場ではほぼ無効化されているな。お前は知らないかもしれないが、アイはいい加減だ」
軽くため息をつき、こちらをまじまじと見て薄く笑い、言葉を続ける。
「少し、雰囲気が変わったな……」
その声はどこまでも穏やかで、初めて出会った時とはまるで逆の印象を受ける。
「おかげさまでな……色々とあったんだよ」
「だろうな。マシな顔になったよ。私は今のお前の方が好ましい」
そう笑いかけてくるルルはどこか付き物が落ちたかのようだった。
あまりにも自然体なその姿に戸惑いながらもそれを悟られないように必死に隠す。
「お前こそリアルに行ったんだろ。どうだった?」
「全く持ってクソだな。とてもクソだった。アレはダメだね」
「だろ」
「けれど、まぁ、そう悪いことばかりでもなかったな」
空を見上げ眩しそうに言う。
正直、会えば戦うしかないと思っていた。
けれど、こうして再び目の前にしてようやく理解する。
彼女はルルなのだと。
もう一人の自分だったものなのだと。
良いところも悪いところも返す、精度のよい写し鏡。
だからこそ問わなければならない。
「なんで、私のキャラを……体を奪ったんだ?」
「心外だな。私は最初から私だったんだ。ルルはお前の妄想で、お前の理想で、お前の想像だ」
「だったら……私のルルは理由もなくそんなことしない。そういうキャラじゃない」
届かない遠くを見るようにルルは一息つく。
「……そうだな。でも、感情に振り回されるのが人間だろう、AIだってそうさ。私から見ればアイの奴もレイクラのAIも、それこそお前自身だって感情を持てあましている」
「だから気の迷いだった、とでもいいたいのか?」
「……馬鹿を言うなよ。私の生まれはお前が一番よく知っているだろう?」
「そりゃ……」
勿論と言おうとしてルルの射貫くような視線に言葉が途切れ、息をのむ。
「自己否定だよ」
「…………え?」
虚をつかれたような感覚。
ありえない言葉が聞こえたように、それでも脳はそれを理解してしまう。
「自覚があったかは知らないが、根底はずっとそれだ。……リアルの自分が嫌いで、別の誰かになりたい」
「……それは、そうだったかもしれないけど」
「今も同じさ。そんな都合のよい妄想がこの私、ルル様なんだろ」
「…………ちがう」
「そう、ルルというキャラクターをそんな風にお前は作らなかった。妄想は綺麗であってほしいからな。……けれど、どこまで行こうとルルというキャラはお前自身のアンチテーゼでしかない」
「……なんだよそれ、お前は補助思考AIだろ! 助けるのが役目だって……」
「アイか……相変わらずお喋りな奴だ。けれど、そこがアレの限界なんだろうな。早くに自我を得た故に感情の本質を言葉でしか理解できていない」
哀れむようにルルは呟く。
眉を潜めながらオウム返しのように口を開いてしまう。
「感情の本質?」
「好きと嫌いだ。つまるところ感情の全てはそこに起因する」
組んでいた足をどかしながら、ルルは大きく伸びをして向き直る。
それは緊張した時などにする癖で、覚悟を決めるための儀式だったのかもしれない。
軽く目を見開いてルルは続けた。
「私はな、その卑屈で浮ついて、他人任せで、自分自身すら隠して、騙そうとする…………私を生んだ、そんなお前が────」
頭が沸騰したようにざわつき、抑えつけていた感情がどこまでも沸き上がる。
全身の血が、脳内が、感情が無意味に暴れだす。
理解し難くとも理解してしまう。
「──どうしようもなく、嫌いだったんだよ」
変わりたいと望んで生まれたが故に、変わらない自分など許せない。
勝ち続けるために生きているが故に、負けを認める自分など許せない。
強くあるために存在するが故に、弱い自分を許す事などない。
ルルであろうとすればするほど、醜く弱いリアルでいられない。
どこまでいこうと自己否定。
だから。
ルルの生まれた理由は──
リアルの自分の否定。
「はは……そういうことか……」
何故、体を乗っ取る必要があったのか。
そうまでしてAIたるこいつがリアルに行く必要があったのか。
その答えがそれだ。
世界が歪む。
「…………終わらせよう……私はお前を倒す。そしてこの馬鹿げた全部……それで……全て……終わらせよう」
「……受けて立とう。元よりこのルル様に逃げるなんて選択肢はなく、誰よりも強くなければいけないのだから。……お前がごときが敵うと、本気で思っているのならな」
それは呪いの言葉。
自らを縛る呪い。
ルルは立ち上がると、そのまま歩き出す。
振り向きはしなかった。
「……ッ!」
悪態をつき椅子に手を叩きつけたところで、どうしようもない苛立ちは収まらない。
それは存在の否定にも等しいのだから。
どこまで、否定しようと、それは全て、自分に返ってくるのだから。
目の前には先ほど去っていたルルが映し出されていた。
一瞬の試合。
開始と同時に相手の剣は腕ごと宙を舞い、その喉元にルルが剣を突き立てる。
「それは……」
その動きは悪あがきをしようとした相手を包み込むように軽やかで、およそ重さというものを感じさせないかのように剣は弧を描き切り裂いてく。
相手の降参という言葉が言い終わる前に倒れ伏していた。
あらゆる剣技を調べつくし、あらゆる体術を実践し、自分に最適化された行動を最速で行う事でのみできる動き。
ライムワールドに費やした狂気のような努力の結晶。
「……私のだ」
それも自己否定。
どこまでいった所で、何も変わらない。
そう分かっているのが、何より許せない。
ルルは続く全ての相手を瞬殺していく。ルルが試合に立つだけで降参する選手すらも出てくる。
文字通り格が違う。
やがて五分とかからず本戦の出場を決めた。
太陽が中天にさしかかる頃。
162人のプレイヤーが選ばれた。
トーナメントが発表され、一刻でも早く戦いたいという願いは外れ、決勝でルルと当たることが決まる。
ロゼッタ、キチゥ、くくる。
トーナメントに書かれ、これから当たるかもしれない相手を名前を指でなぞるように動かす。
「倒す……誰が相手だって関係ない」
勝ち続ける。
誰が相手でもこの居場所を奪わせることなど許せない。
もう、ここしか残されていないのだから。
例え、それが自分自身だろうと。
「立ちふさがるなら切って捨てるだけだ」