くくるの事は犬に噛まれたとでも思って、落ち着くために手を上に伸ばして呼吸を整えてから控え室に戻る。
人数は前よりさらに減っており、今からAIルルとその対戦相手が出ていくところだった。
その対戦相手は何処かで見たような事がある気がしたが、いまいち思い出せず。すっきりしないまま、近くの長椅子に腰掛けて観戦する。
果たして、その答えは対戦が始まった瞬間に氷解した。
「ネート……」
プレイヤー名はニュートだが、その特徴的な動きから一目でわかる。
ライムワールドの初代チャンプ。
元トップランカーの一人、アンノウンへはアクセスしないと豪語していた癖に、ついに折れたのか。そう笑ってはいられなかった。
試合は一方的な戦いになっていたからだ。
ネートが立ち回りでAIルルを圧倒していた。
速度と手数、ありえない姿勢から繰り出される変則的な剣技にAIルルは翻弄されていた。
理屈や道理など無視した剣技。それでいて、的確に攻撃を繰り出してくる。
相手に呼吸を読ませないような行動を主軸にした。
究極の初見殺し。
強い。
ただ単純にニュートは強かった。
「負けるな……」
小さく呟き、自然と手を強く握っていた。
二人の攻防に一喜一憂する。
勝敗が決まる最後の一瞬まで目が離せなかった。
そして、AIルルがゆっくりと片手を上げる。
倒れ伏していくニュート。
安堵と共に大きく息を吐き、そこでやっと我に返る。
「何を……やっているんだ……私は」
子供みたいに、ただ二人の勝負を応援していた。
AIルルに負けてほしくないという気持ちはあった。それでも、まるで応援していたかのような自分の姿に嘲笑が漏れ出す。
準決勝の私の対戦相手は無名の選手だった。
相手はここまで勝ち残ってきただけあって、かなりの実力者。
それでも、ニュートのような特化したものもなく。キチゥのような決め手を持たない相手に勝ちを譲ることはない。
行き場のないもやもやとした気持ちを準決勝の相手にぶつけ、勝利する。
再び控え室に転送される。
そこに散らばっていた選手はもう残っていない。
たった一人を除いて。
「随分と荒い剣だったじゃないか……」
AI ルルは数メートル離れた長椅子に片膝を付き腰をかけていた。いつもの左右非対称の服は破れボロボロになっている。
ソラとの試合、そして準決勝のニュートとの試合によって随分とダメージを受けていた。
ダメージ自体は回復しても、服までは直されていない。
「……お前こそ負けかけといて、よく言えるな」
感情を抑え込み、冷静を装って答える。
それを見透かしたかのようにルルは微笑んだ。
「肝を冷やしたか?」
その言葉に図星つかれたからか顔が熱くなる。
「……別にルルだっていうなら、もっとすんなり勝てよ」
「おいおい、お前ならアレにすんなり勝てたとでもいうのか?」
ニュートは確かに強かった、試合を見ていてもその実力はAIルルと渡り合い。さらに専用の対策までしてきて、かなり優勢に押していた。
勝てたのは運の要素が強い。
それがわかっているだけに何も答えられなかった。
答えを窮した私に満足でもしたのか、AIルルは視線を少し反らした後に、再び向かい合う。
決勝戦が始まる前、5分のインターバルが用意されていた。
これまで互いに互いを視界に映さないようにしてきたが、事ここに至り睨み合うように向かい合って座る。
薄暗い部屋をモニターの光が照らす。
風の音すら響く沈黙。
再び口火を切ったのはAIルルだった。まるで世間話でもするかのように自然体に話しかけてくる。
「知っていたか? この最後の試合、デスペナルティー軽減の設定が外されている」
「……どういう事だ?」
「やはりアイのやつ、私に言わせる気だったのか……普段おしゃべりな癖に肝心な事は話そうとしない」
ため息を尽きAIルルは地面に落ちている小石を転がす。
二度三度、小石は跳ねて足元まで転がってくる。
「私は死亡した時点で消える。そうすれば、このアバターははれてお前のもとに戻る。……だが、お前も負ければ、相応に失うものがあると言うのを覚えておくといい」
恫喝の類だとは感じなかった、ただ淡々と事実を語っているようで、むしろこちらを気遣っている感じすらした。
それが訝しくて眉をひそめる。
「アイはバランサーだ、リスクもリターンも両方に乗るようにする。当然だろ」
そう擁護するAIルルの表情は優しげに懐かしむようで、AI同士、随分と仲がよかったみたいだ。
それはそれとしてあのスライムは次にあったら引っ張ってやりたい。
「……まぁ、もとより……もう私に失うものなんてないんだ。リスクなんて今更だ」
アバターもアイテムも禄なものがない。
価値のあったものは目の前の存在に全て奪われたのだ。
「それはお前が価値がないと決めるつけているだけじゃないのか? 目的に付随して得てしまったモノだから、その価値を見失っているだけかもしれないだろ」
「私の……一番大切なモノを奪ったお前が……私にそれを言うのか……」
「言うさ。私の生まれに恥ずべきものなんてない」
堂々とAIルルは言う。
そうありたいと願ったように。
どうしようもない羨望が鬱屈としたものへと変わっていく。
「それが誰かを押し退けた生だとしても、これは私の命だ。……返して欲しければ奪い取るといい」
「言われなくても……」
インターバルの終わりがアナウンスされる。
──「私がルル様なんだから」
声が重なった。
AIルルの方が先に転送され、続くように試合会場へと飛ばされる。
コロシアムの中心に無造作に立つ。
観客の歓声が響く。相変わらずテトテトニャンが何かを言っている。
耳を澄ましたところで微妙に周波数を弄られているのか何を言っているのかわからない。
それも集中するには丁度いい、不要なものから意識を飛ばし、全てをたった一人へと向ける。
目の前に立つAIルルの剣を抜く音だけが鮮明に響く。
最近、手に慣れだした黒い剣を鞘からゆっくりと引き抜いた。
互いに剣を構える。
剣の持ち方も──
間合いも──
息遣いすらも──
全てが鏡合わせ。
当たり前だ。目の前に立つのは理想の自分だったはずのモノ。
全ての元凶にして、私の全て。
開始のカウントダウンがゆっくりと進む。
「さぁ……ゲームを始めようか!」
AIルルが叫ぶ。
カウントダウンが0となり、弾けるように同時に大地を蹴り、距離を詰めた。