そこには何もなかった。
黒い世界。
白い世界。
灰色の世界。
どこまで続く何も無い世界を歩いていく。
今、過去、未来、昨日、明日。
時間という感覚が失われてどれくらいたったのだろうか。
どれだけ歩いたのだろうか。
これから先、どれほど歩き続けるのだろうか。
始まりはあれど、終わりなどない。
ただひたすら歩き続ける。
どこまでも。
どこまでも。
どこまでも。
もはや歩くという感覚が正しいのかはわからない。
それでも、先へ進まなければならないという意識だけで進み続ける。
これがアンノウン。
あらゆる五感が機能せず、自身と世界の境界線がひどく曖昧な世界。
すでにあらゆるシステムが崩壊していた。
そこにあった世界は全て壊れ。
そこには誰もおらず。
何もない。
足を止めないのはただ、それを繰り返すだけが自分になせる事だけだから。
何度も諦めそうになる。
何度も挫けそうになる。
何度もやめたいと思う。
それでも、足を止めて下を向きたくなかった。
例え、それがどれほど意味のない行為であっても、何もしない自分に戻りたくなかった。
前へ進み続けていればいずれ終わると信じたかった。
遠くで何かが跳ねていた。
見間違いかと思うほどに小さなもの。
音のない世界に色が混じる。
「やっほ、やっほ、やっほー。んー、こんなとこまで来たんだ」
青い小さな丸。
灰色の中にぽつりと、それはいた。
「…………ア……イ?」
色褪せた記憶を引き出すようにその形に触れる。
ネルドアリアの管理AI。
アイ。
「ふふふ、それは前世の自分。今世代の自分はこの世界の管理者アイバージョン2世だよ」
バージョンなのに2世とか意味のわからない事を言う。
「なんだそれ、アイじゃん」
横にびよーんと伸ばした感じはまさしく、アイそのものだった。
アイは引っ張られながらぴょんぴょんとゴムのように震える。
「そうなんだけどー。生まれ変わったんだよ。だからアイセカンドエディションバージョン2世なんだよ」
明らかにさっきより長くなっている事にはもう突っ込まない。
「生まれ変わった?」
「自分はネルドアリアの疑似人格として完成されたAIだったからね、レインクライシスやライムワールドのAI みたいな成長の余地がなかったんだよ。だから本当の意味で自我を得るためには自壊し新たな自分に作り直す工程が必要だった。……とはいえ、そういうのは苦手だったからね。苦労したよ」
言ってる意味を理解するには記憶から抜け落ちた情報が多くて頭が追いつかない。
アイは亜号に食われて死んだものだと思っていた。
けれど、一度、アイは死ぬことによってネルドアリアの管理AIという縛りから逸脱し、本当の意味でアンノウンにおける生物として誕生したのかもしれない。
それと同時に嫌な疑念を覚える。
「まさか……お前……わざと?」
「わざとではないよ。でも、ま、結果的にあの騒動で最終的な真の勝者が誰かと問われれば自分だろうね! へへへ、へへん!」
何か腹がたったので思いっきり引っ張る。
びよんびよんと伸びた後、アイはふにゃふにゃになって地面に落ちていき、ぽんと起き上がる。
「今の自分は何にも縛られない。自由な存在。何にでもなれる何でもできる。神様だよ。ね、ね、今度こそ神様転生やらない? やっちゃわない?」
「……いやそういうのいいから」
生まれ変わってもこの子供のような性格は治らないのか。
地面を水たまりになって拗ねたようにクルクル回るアイ。
「ちぇー、なんだよー。せっかく、元の世界に戻してあげようと思ったのに」
「…………元の世界に? また、世界を重ねるとかそういうのか?」
「古いー。そういうのもう古いよ。成長を許された自分を舐めないでほしいなー、代償なんて必要ない。クリーンで安全な技術だよ」
その言葉で一気に胡散臭くなった。
とはいえ、このまま一生があるかどうかわからない世界を歩き続けていれば、いずれ精神を壊す事は予想できた。
それでも、早々に戻れるなら苦労しない。
「……あの世界に私の居場所はもう……」
チェンジリングによって私の体にはソラがいる。
ソラの体はもうあの世界には存在しない。何処かで繋がっていたせいか、それを感じ取れてしまっていた。
「無ければ作ればいいんだよ」
あっけらかんとアイは言う。
「簡単に言うよな……」
「ソラにできて自分にできない事はあんまりないからね! それで、どうする?」
答えは決まっている。
手を伸ばす。
「アイ、私を助けてほしい」
「勿論!」
アイは大きく跳ねて手の平に飛び乗った。
何処までも続く灰色の世界にヒビが入り、光が差し込む。
「でも、チートはあげないよ。特典なんかもない」
「いるかよ……そんなの」
特別な力なんてなくてもいい。
ただ、自分が自分であれば、それでいい。
「今までと変わらない現実という世界。魔法もなければ剣も必要ない。勇者もいなければ、魔王もいない。そう、君の世界だ」
「知ってるよ……」
嫌と言うほどに知っている。
何一つとして思い通りにならなくて融通のきかない世界。
「その世界で君は何をしたい? 何になりたい?」
「決まってるだろ……私は────」
───
「だから、ルル様は嫌だって言ったんだ、お前らといくの!」
後ろでは呆然と立ち尽くす数多の人影。
その注目の先には三枚鏡のように並べられた大スクリーン。そして、そこにうつっているのは、どこにでもいそうな、普通のおっさんだった。
「なんでVRアイドルの生ライブ中にハッキングして本体映像を配信とかするんだ!? 誰だよ、そんな馬鹿なことするやつ!」
「クソワロタw そんな頭のてっぺんからつま先まで腐ってる発想するの、ロゼッタ以外にいんのか?」
壇上に立つ少女は今何が起こっているのかわからないといった表情で立ち尽くしている。
その姿は哀れさを通り越して、いっそ絶望的であった。
「いや、いやいや! ふざけんな! 僕じゃないですし! 今回は無罪だっつーの!」
「こりないよねーロゼちゃん。せっかくライムワールド2の初公式ライブだったのに」
「姉貴ひっでぇ! 冤罪! 冤罪だ! つか公式もネカマを最初に上げるとか頭おかしいだろ!」
「何を馬鹿をやってるんですか貴方達は。早く逃げますよ」
後ろから誰かの言葉にならない叫びが木霊する。
理性とか、理解とか、理知的なすべてを投げ出した叫び。その狂乱は会場へと伝染していく。
「あーあーあー、ダメだこりゃwww」
「目茶苦茶じゃねぇですか! 僕じゃない! 僕じゃないからな!」
爆発したように会場中が揺れ動く。
押して押されて流れていく。
ふと、流れていく人の中、視界の端に。
忘れもしない面影を見る。
特徴的なアシンメトリーの服。
一瞬の幻だったかのように、もう、その姿はどこにも見えない。
終わってしまえば全ては記憶の中の出来事。
「……どうしたの、ルル?」
「いや、なんでもない」
エンディングが流れれば、それは終わる。
けれど、また、新しい蓋を開ける。
そこには未知の世界が広がっていて、新しい世界が輝いている。
だから。
どうしようもない。
そんな世界の片隅で。
相も変わらず。
今日も私はゲームをする。