人間ならば弱点ってある。
俺にだってあるし、部隊長にだってある。
でもさ、師匠にはなかった気がする。
完璧で完全で強大。
それが、『神帝』テラ・エーテル。
苦手なものってなかったんだろうな。
え、ティス?
書類仕事?
あ~~~ぁ、そうだよな。
結論、完璧な人間なんていない。
深夜過ぎ、もうすぐ三時を回るだろう時間に、ドアが小さな音と共に来客を告げる。
「まだ、大丈夫ですか?」
若い声に、店主は相手に体を向けたまま、小さく手を振る。
「未成年はお断りですが、今日は特別にします」
「ありがとうございます」
一礼して店内に入った彼は、カウンター席に座って棚へと視線を投げた。
綺麗に並べられた酒の数々。磨かれたグラスやシェイカーに、何処かフランスで見た店の印象を受ける。
違うか、あちらがここに似ているのか。
「不出来な弟子が、ご迷惑をおかけしたようですね」
「いえ、助けられました。あの人のおかげで、こうしてイギリスでのんびりと出来ています」
店主の言葉に、慌てて否定を浮かべながらも、彼の目線は棚から動かない。
「未成年でなければ、お出しするのですが」
「入れてくれただけで、十分です」
そっと差し出さされた水のグラスに、彼は小さく頭を下げてから、口へと運ぶ。
喉を通る液体の冷たさに、自分が知らずに知らずのうちに乾いていたことを知る。
「いい氷ですね」
「ええ、近くの店がとても大切に作ってくれています。ご紹介しましょうか?」
「すみません。実は、イギリスから出国することになったので。お弟子さんから紹介されていたのに、一度も行かないのは不義理かとお邪魔させてもらいました」
「なるほど。だから、客足がいないこんな時間に? ご配慮、ありがとうございます」
「いえ、バーテンダーには礼儀を示せっていうのが、俺達の間の常識ですから」
「あまり気を使わなくても大丈夫ですよ」
「使っているつもりはないのですが、どうも最初のバーの時の習慣が身にしみてしまって・・・・・すみません、バーで他のバーの話は」
「大丈夫ですよ。なるほど、貴方の『国』では未成年ではないのですね。では私も今日は特別に一杯、お出ししましょう」
二コリと笑う店主に、彼―シン・アスカは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いえ、こんな夜ですので。では、何をお作りしましょう?」
問いかけに、シンは迷うことなく答えた。
「『ウィスパー』を」
注文に、店主は目を細めて微笑む。
しばらくして出てきたカクテルをシンは眺めて、小さく口を動かす。
「出来るかな、俺に」
彼の問いはカクテルの中に溶け込み、ゆっくりと混ざり合って消えていく。
そして、彼はドアを再び開く。
「ありがとうございます」
「いえ、またのご来店をお待ちしています」
「はい。必ず」
シンは笑顔で応え、店を後にした。
「バーでは声を潜めて話せ。そうでないと、他人ではなく自分の心の声が聞こえないから・・・・・・あの若さでそれを知っているとは、どのようなバーに出会ったのでしょう」
店主はそう呟きながら、カウンターに置かれたグラスを手にとって、ドアに向けた。
「貴方の道筋に、幸多からんことを」
グラスはライトの光を受けて、小さく輝いていた。
人間が本当に困った時に頼るとしたら、誰がいいか。
上司、友人、家族。
答えは、『バーテンダー』。
昔、シン・アスカは師匠のテラ・エーテルにそんな風に教えられたことがあった。
最初は意味が解らず、もっと頼れる人がいるのではと探してみたが、結局はそこに行きついた。
肩肘張って、意地を通して、信頼する仲間や頼れる上司に恵まれたとしても、最後の最後にはそこに行きつくらしい。
カクテルは、世界中の酒を混ぜ合わせる。ウィスキー、焼酎、ワイン、ビール、世界中の人たちが人生と命をかけて作り上げるそれらを混ぜ合わせ、一つの作品を生み出す。
『魂を救う一杯』。
イギリスの最後の夜、シンはどうしてもバーに行きたかった。
今までの自分が間違っていたのか、正しかったのか。これで良かったのか、あるいは違っていたのか。
自問自答したくて、けれど詳しい話はできないから、一杯のカクテルに答えを求めた。
自分の心の底の声を聞くために。
正しいかどうかの答えはない。けれど、後悔はしてない。間違っているのかもしれないが、自分が納得して進んだ道だ。
茨の道でいい。平坦な道でなくてもいい。
振り返らずに真っ直ぐに進めたなら、それでシン・アスカは満足して逝ける。
だから、次へ進もう。
「ここが日本か」
セシリアの自家用ジェットで辿り着いた先、日本は何処か懐かしい匂いがした。
日本。八百万の神々の住まう場所、あるいは多文化の集合場所。
何処か懐かしいとシンが思うのも、無理はない。ジョーカー銀河帝国の公用語は、実は日本語をベースに作られている。
理由、『オタクは世界を動かす』、なんて言葉が銀河中で言われ続けているから。
「え、シンは行かないの?」
「俺は別行動だろうが。二人は学園に入学するんだろ? 俺は学生じゃないからな」
「ええ~~」
何故かシャルロットが不満を口にして、セシリアもいい顔はしてないのだが、最初に決まっていたことだと思うのだが。
「適当にアパートでも借りるさ」
「ですが、シンさん、仕事はどうなさるつもりですか?」
セシリアの不安、というより引き留めに対してもシンは、迷うことなく答えていた。
「大丈夫。じゃ、二人とも連絡くれよな」
「連絡ってどうするのさ?!」
一言だけおいて走り出すシンに向かって、シャルロットが叫んだ。
「それでメールくらいは送れるから!」
振り返って手首を指差すシンに、彼女は自分がしているブレスレットに目線を向けた。
これは、シンから預かっているものだが、まさかそんな機能まであるなんて。
「じゃ二人とも!」
すでに豆粒になったシンに対して、二人は小さくため息をついた。
「一緒にいたいって、解らないかな」
「まあ、シンさんはそのあたりは鈍感でしょうから」
「ええ~~そうかなぁ」
「知っていてなお知らないふり、でしたらかなり意地悪になりませんか?」
「ん~~」
悩んでいるシャルロットに、セシリアは微笑みながら背中を押した。
「さあ、私達は学園に参りましょう。落ち着いたらゆっくりとメールをすればよろしいのですわ」
「それもそうか。ルームメイトも楽しみだし」
「あら、シャルロットさんは私と一緒ですわ」
「ええ~」
「ちょっと! どうしてそんな不満そうなのですか?!」
「いや、セシリアって常識がないような」
「まあ!」
両手をあげて怒る彼女に対して、シャルロットは『ごめんごめん』と微笑みながら口にしていた。
一方、二人と別れたシンはというと。
「・・・・・・と、二人の前で強がったけど、これ大丈夫なんだろうな?」
『うん、たぶん』
ティスも不安そうに、シンの手の中の手紙を見つめていた。
電子文明も真っ只中のご時世に、丁寧な便箋と手書きの手紙を送ってきたのは、あの『篠ノ之・束』。
『拝啓、シー君。今度、日本に行くんだよね? ならこの束さんが就職先を用意してあげよう。私の幼馴染に紹介しておいたから、仕事を用意してくれるよ』。
怪しい、とてつもなく怪しい。
常識とコミュニケーション能力が欠如した人物の幼馴染。きっと、言葉ではなく肉体言語を要求してくる、体育会系に違いない。
しかも、女性。いや待った、本当に女性か。束が女性だといえ、その幼馴染も女性であると考えるのは、あまりに早計ではないか。
そもそも、人間の可能性から疑うべきか。何しろコミュニケーション能力が完全に欠如した、あの体は大人だが頭脳と心は幼児以下の篠ノ之・束の紹介だ。
きっと、言葉ではなく拳で語れとか言われそうだ。
「とにかく行ってみるか」
『シン、念のために武装はすべて用意しておくね』
必要ない、とシンは言い掛けて言葉を止める。
万が一の場合がある。出会い頭に問答無用で攻撃されるとか、あるいは何処ぞの魔王みたいに超位魔法とかぶっ放すとか。
開幕ブッパは美学、とか言われないだろうか。
『ええ、シンさん。開幕に最大火力で敵を撃墜するのは、とても美しいものなのですわ』。
元お嬢様、元歌姫。現銀河帝国中央四軍のうちの第一軍所属の、砲撃馬鹿歌姫の言葉が脳裏をよぎる。
彼女が参加した模擬戦では、損耗率が八割を超えるのは、日常的な話。緊急脱出用転移装置は、彼女が無茶したから開発されたらしい。
唐突に、シンは全身を悪寒が包むのを感じた。
「おまえか?」
「はい?!」
背後からの声に振り返り、思わず無意識に拳を握り締める。
長い廊下の先、スーツ姿の女性が立っていた。
凛とした姿は、まさに侍。日本刀を持っていたら、シンは迷わずに武装を展開するような気配を持った女性が、小さくため息をつく。
「シン・アスカとはお前のことか?」
「はい、そうです。えっと、貴方は?」
「あいつから聞いてないのか? 織斑・千冬だ。凄腕の騎士だそうだな?」
どういう紹介をしている、とシンは内心で束に叫んでいた。
「なら、付いてこい。仕事を紹介してやる」
「はい」
返事をして追いかけるシンに対して、千冬はチラリと振り返り言葉を投げた。
「おまえ、生身でISを撃破できるらしいな?」
「は?」
「楽しみにしている」
ニヤリと笑う彼女に、シンの中で凄まじい勢いで警報が鳴ったのでした。
実力を見せてみろ。千冬に案内されてきたのは、何処かの闘技場のような場所。
アリーナとか呼んでいたか、とシンは彼女との会話を思い出そうとして、現実を見ないようにした。
「あらあら、お姉さんを前に余裕なのね」
「は、はははは」
水色の髪の女性が、水着姿の上に鎧を纏って浮いている。
幻覚か、状態異常の魔法をかけられたか。あるいは、この状況事態がすでに幻覚の一種なのか。
確か、写輪眼には見ただけで相手を幻術に落とす能力があったはずだが、彼女が噂に名高い忍者の一族か。
いや、そもそも自分に写輪眼が通用するのか。マテリアルには、保持者を一定に保つ能力がある。これは味方からの回復や強化の魔法も反射するが、どれほどのダメージを受けても肉体が損傷しない、体力も精神力も低下しないチート技術だったはずだ。
とすると、マテリアルごと幻術に落としたのか。さすが忍者だ。科学技術どころではなく一部では『女神』と崇拝されるマテリアルを、瞳だけの力で幻に落とすとは。
これは戻った時に修行が必要だ。できれば、幻術使いに相手になってもらって徹底的に鍛え直さないと。
「お姉さんを前に考え事。ちょっと妬けるわねぇ」
「いやいや、凄い使い手だなって思いますよ」
「あら、そうお褒めにあずかり光栄だわ。でも、手加減はしてあげないから」
「手加減って、もうすでに幻術にかけられているんだから、貴方の勝ちでしょ?」
「何の話?」
彼女は心底、意味が解らないという顔をしているが、シンは気にしてない。
すでに自分は幻の中、ならば速やかに迎撃をしないと。現実世界に戻った途端に無様に敗北では。
「戻った時にテラさんに殺される。ティス! 全武装を」
『シン、シン、ここ現実。魔法も忍法も何もされてないよ』
叫びかけた言葉を遮られ、シンは固まった。
隣にいる相棒はきょとんとしたまま、どうするのだろうと目線を向けてきている。
「え、現実? 嘘だろ」
『本当』
待った、少しだけ待ってくれ。では、自分は現実世界にいるのか。
ここまで来たことは思い出せる。織斑・千冬に実力を見せろとアリーナに案内されたのは覚えている。
現実だ。とすると、だ。目の前の女性も現実だとして。
シンはフウっと息を吐いて、額の汗を拭って、清々しい笑顔を浮かべた後に真顔になって指をさす。
「変態だぁぁぁ!!」
「な?! 失礼しちゃうわね! 誰が変態よ!!」
「あんただあんた! 年頃の娘が水着姿で鎧とか、マニアックな趣味してんじゃない!」
「はぁ?! これはISスーツであって水着じゃないでしょう!!」
「何処からどうみても水着じゃないか!」
「まったく違うから!!」
売り言葉に買い言葉。
冷静になっていないシンに触発されて、相手の女性も徐々に感情的になって、最後にはお互いに罵り合い。
『おい』
感情的になっていた二人は、冷水を浴びせられたように固まった。
『いつまでふざけているつもりだ? さっさと始めろ』
「はい?!」
「解りました!」
織斑・千冬の殺意の滲んだ言葉を受けて、二人は改めて身構えた。
「ところで、本当に貴方は生身で私と戦うの? お姉さん、これでも国家代表なんだけどなぁ」
「国家代表、それは強そうだ。でも、俺も強いつもりだから、安心してかかってこいよ」
「へぇ~~なら行くわよ!」
気合を入れて飛び出した女性―更識・楯無は、一瞬だけ瞳を閉じた。
それは人間なら誰もが行う瞬きなのだが、次の瞬間にはシンの姿は正面から消えていた。
「ああ、そういえば、名前、聞いてなかったな」
「え?」
声は背後から、振り返った先にいたのは、シン・アスカ。
振りかぶった拳が真っ直ぐに振り下ろされる。
咄嗟に楯無はランスで受けるが、衝撃はそのまま通り抜ける。
「嘘でしょう!」
アクア・クリスタルの水のヴェールも、彼の一撃を受け止めきれずに霧散した。ナノマシンも活動停止、ただの水のように地面に落ちてしまう。
「へぇ、ナノマシンを使っているんだ。どうりで手ごたえがただの水じゃないはずだ」
「本当、貴方って何者? まさか、生身でISと戦えるなんて、冗談だと思っていたわ」
距離を開けたのは、楯無。
至近距離では対応が難しいと開けたのだが、最初の対峙を考えると距離を開けても無意味かもしれない。
「本当・・・」
言葉の途中で、無理やりに口を閉ざした。
また、シンの姿が消えた。今度は何処を思って探す彼女の視界に、彼の姿が入りこむ。
「悪い、痕にならないように気をつける」
轟音が、腹部から響いた。
あまりの衝撃に悲鳴を上げる彼女は、そのままアリーナの壁に激突し、動かなくなった。
「そのIS、凄い性能だな。俺の一撃の衝撃、大半を吸収したんじゃないか?」
右手を軽く振ったシンの問いかけに、彼女は小さく頭をあげて答えた。
「本当に君は何者? ISの絶対防御を貫通って、信じられない」
「たんなる騎士の末席にいる者だよ。傷になってないだろ?」
「ええ、でもお姉さん、自信を失っちゃうわ。これでも学園最強だったんだけどな」
「強かったよ。俺の知り合いの中でも十分に通じるくらいにはな。ただ、俺の知っている最強には届かないけど」
「どんな、人か、教え・・」
楯無の言葉が止まり、彼女は気を失った。
「しまったな。強くやり過ぎた・・・俺の中での最強は、このアリーナごと消すくらいを拳だけでやる人だよ」
シンが思い出すのは師匠ともう一人。
銀河最硬と呼ばれる家の当主。シャルル・ブリタニアが、ブラックホールを握りつぶした光景だった。
『わぁがぁぁぁこぶぅしに砕けぬものなどないわぁぁぁ!!』。
「思い出すんじゃなかった」
蒼白になって口を抑えて蹲るシンに、ティスはそっと背中をさすったのでした。
モニタールームは、痛いほどの沈黙が満たしていた。
「何者なんですか、彼?」
山田・摩耶の問いかけに、織斑・千冬は答えられずにモニターを睨みつけていた。
『私が知るかぎり、最強の騎士様だよ。彼が傍にいるなら、何があっても大丈夫だから。ちーちゃん、シー君を雇ってあげて。お願い』。
何時になく真剣に、頭さえ下げた幼馴染。決して他人のためにそんなことをする人物ではなかった。他人など興味がなくて、周り中の迷惑を考えない自己中心的な天才だった。
あの時の彼女に、その面影はない。あったのは、必死に歩き始めた幼子のイメージ。
今まで無駄とか必要ないといって切り捨てたものを、何とか覚えようとしている少女の姿を幻視して、千冬は彼を雇うことにした。
生身でISを倒せる、そんなものはいないと思っていたが。
まさか、本当にやるとは。
それも現役の国家代表を、開始一分で撃沈。素手の一撃で、ナノマシンさえ無効化して見せた。
「何者かは、私が知りたいところだ」
小さく呟く千冬の背筋を、冷たい何かが通り抜けた。
ブラックホールを砕く、シャルルとは空想上の生物だろうと、無理やりに思いこみながら。
そうだな、人間って鍛えれば鍛えるほど企画外になっていくんだろうな。
俺がそうだから、ブリタニアの人たちは凄いだろうな。
あの別世界のアニメの皇族みたいだったら、どんなにいいか。
皇族じゃないから、『ウ』とか『ヴィ』とか真中に入らないから、見わけがつくって。
他世界を見るなんて、何をしてんだか、師匠達。
え、シャルルさんがサ○ヤ人に会いたいって言った?
いやいや、待ってください!
え、サイ○マと戦いたい?
なんでそこで俺に最初にぶつかれっていうんですか?!
ティス! 俺の鎧を・・・あ、ダメ、解ったよ。
ちくしょうがぁぁぁぁぁ!!