シン・アスカの異世界渡航記『完結』   作:サルスベリ

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 師匠のテラさんって、色々なことを言っていたな。背中で語ることは多かったけど、言葉で語ることも多かったよな。

 多かったよな、あれ? 俺の勘違いか。

 いや、そんなことないよな、ティス?

 解んないって、どういうことだよ。

 おまえ、俺の記憶のバックアップとってあるって。

 え、プライバシーの侵害は怖い?

 何があったんだ、お前?






君の涙に報いるために

 

 ジョーカー銀河帝国主星、某所。

 

 暗い照明の中、流れる音は氷のぶつかる、小さな音のみ。

 

 古風な店内、というよりも昔を懐かしむような雰囲気の中で、男は小さくグラスを傾ける。

 

 店内には男が一人、カウンターで静かに酒を傾ける。

 

 そこへ、また一人。客がドアを開けて入ってきた。

 

「お連れ様がお越しのようですよ、テラ」

 

 バーテンダーの一言に、彼は誰だろうと顔を向けて、ドアから歩いてくる昔馴染みに手を向けた。

 

 丸メガネに短く切った髪、昔から変わらない愛嬌のある顔。だというのに、射撃では自分を見事に下した人物。

 

 野比・のび太がゆっくりと歩いて来て、隣に座る。

 

「いつものお願いします」

 

「はい」

 

 バーテンダーに注文してから、のび太はカウンターの奥の棚へと目線を投げた。

 

「話があるんだけど、いいかな?」

 

「ん、シンのことか?」

 

 予想していたように告げるテラに、『解っているならいいよ』とのび太は答える。

 

「どうぞ、バーバラです」

 

「ありがとうございます」

 

 出されたカクテルに口をつけて、唇を湿らせた後に、小さく呟く。

 

「彼、凄いね。さすが君の一番弟子だよ。僕でも止められる自信がないな」

 

「嘘つけ、天下の『魔弾の射手』が止められないわけないだろ。俺でさえ止めるくせに」

 

「嘘じゃないよ。君は読みやすいから、ルート上に弾丸を置いてやればいいだけ。でも、彼はそれを避けるからね」

 

 クリーム系の甘口のカクテルは、ほんのりと体の中を暖かくさせてくれる。二口、三口とゆっくりと味わいながら、シン・アスカを語る。

 

「反射神経、状況判断能力、敵の位置情報。いくらマテリアルが、ティスちゃんがいるとしても、彼の能力は突出している。なんで、射撃ができないのか疑問なんだけど」

 

「そりゃ、あいつはな」

 

 テラはカクテルを飲みきり、片手を小さく上げる。

 

「『ウィスパー』をお願いできますか?」

 

「はい。今日は、後悔がありそうですね」

 

「かなわないな。ええ、弟子の育て方を間違えたようなので」

 

「師は弟子を育ててこそ一人前といいますから」

 

「ありがとうございます」

 

 バーテンダーに一礼し、彼がカクテルを作るための準備を進める姿を見ながら、テラは右手を銃の形にしてのび太の頭部につける。

 

「銃を突き付けられて、相手との距離が五メートルなら帝国軍人なら誰もが回避できる。ライフルだろうと拳銃だろうとな。ところが、だ。接射、銃口が触れるくらいの距離で撃たれて回避できる、となると数は少ない」

 

「そうだね。僕でも難しいかな」

 

「のび太は、接近させないだろうが。まあ、俺とかアイリス、雪菜、後は難しいだろうな。軍部の上の方、『ヴィルティラス』でも数名か」

 

「そうだろうね。それで、その話がシン・アスカとどんな関係があるの?」

 

 問いかけに、テラは答えを浮かべることなく、しばらくバーテンダーの動きを眺めていた。

 

 しばらく無言の時間が続いていき、やがてカクテルが出来上がりテラの前に差し出される。

 

「シンはさ、あいつは『銃弾が発射されてから回避できる』」

 

「え?」

 

「正確には、銃身の十分の九を超えたところで動いても回避できる、だな」

 

「嘘でしょう?」

 

「本当だ。あいつの場合、反射神経と運動神経以上に、自分で考えてから体が動き出すまでの時間が、恐ろしく速い。だから射撃戦がへたくそになる」

 

「あ、そう言うこと」

 

 のび太が納得がいったと、頷いた。

 

 近接戦闘ならば、自分の体、あるいは近接武器を使うため動作に段階が起きることはない。

 

 しかし、だ。射撃武器などを使う場合は二度か三度の段階が生まれる。

 

 狙い、トリガーを引く、弾丸が反応して放たれる。この段階は、普通ならば一瞬のことなので誰も気にしないが、シン・アスカの場合は問題になってくる。

 

 彼がトリガーを引いて、弾丸が放たれる前に、銃口が次の目標に向けられてしまう。彼の運動神経の高さが故に、銃火器にとっては致命的な『目標とのズレ』となって弾丸が当たらなくなる。

 

 理解はしていたし、伝えようとしたのだが、どうやって伝えていいか解らなかった。

 

 今回の『フェネクス』騒動は、まさに渡りに船だ。教えるよりは実戦で追い込んだほうが、シン・アスカにとってはプラスに働く。

 

「彼はヒーロー気質だね。誰かの危機に対して、自分の能力の数倍の実力を発揮する。弱点さえも一瞬で克服するくらいに」

 

「騎士だからな。騎士とは王に仕えるでもなく、世間に流されることでもない。あいつに教えたのは、多くの苦難に嘆く人々を護るための、そんな騎士の姿だからな」

 

「正義でもなく、理想でもなくか。昔、ある人に言われたよね? 『俺達は正義のために戦っているんじゃない。俺達は人間の自由のために戦っているんだ』って」

 

「ああ、だからあいつは人々の自由のためなら、どんな相手だろうと戦って勝つだろうな」

 

 小さく苦笑するように告げるテラに、のび太は少しだけ不安を感じた。

 

 昔から彼は、自分が『最悪の破壊神』だと蔑んでいることがある。ヒーローに憧れ、正義の味方に尊敬を向けても、自分はそんなのに慣れないと悲観していることが。

 

「まさか君は、『自分を殺せる騎士を育てた』んじゃないよね?」

 

 不安に動かされるように告げた彼に、ジョーカー銀河帝国の皇帝はフッと息を吐いた。

 

「さあ、な」

 

 カクテルを持ち、それをゆっくりとテラは飲み干した。

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は快晴、雲一つない青空。気持のいい陽気には春の名残と、夏の気配が重なって流れてくる。

 

 だというのに、だ。どうしたことだろうか。

 

 シン・アスカは目の前にいる女生徒に対して、嫌な予感しかしていない。

 

 校門のところで仁王立ち、凛々しい子だなぁと感じていたら、何故か周りを見回してキョロキョロとしている。

 

 見なれない生徒だ。もう一か月もここにいるが、見たことはない。用務員として全校生徒のデータは頭に入っているはずなのに、一度も見たことがないのはおかしいだろう。

 

 しかし、だ。スパイというのには、間抜けすぎる。普通、こんなところで挙動不審になっていたら、『怪しいものです』と言っているようなもの。スパイならば間違いなく避ける。

 

「どうしたんだ?」

 

 悩んだ末、シンは声をかけることにした。

 

 相手―女生徒は驚いたように振り返り、不審な顔を向けてきた。

 

「あんた誰? ここIS学園じゃないの?」

 

「ああ、そうだ。俺はシン・アスカ、ここで用務員をしている。で、そっちは?」

 

「凰・鈴音よ。本当に用務員?」

 

 疑いの眼差しを向けてくる彼女に、シンは『ああ、そうだ』と答えながらIDカードを提示する。

 

 持っていて良かった、いらないと考えていたがティスがやたらと持っていたほうがいいと言っていたので、念のためにで所持していたのだが。

 

 本当にティス様様だ。

 

 隣で『私が偉い』と胸を張っていなければ、もっと感謝できたのだが。

 

「男の用務員って、ここはほぼ女子高なのに?」

 

「まあ、色々あってな。で、案内が必要ならするけど?」

 

「そうね。お願いしようかしら、実はちょっと迷っていたのよ」

 

「広いからな」

 

 その上、色々と制約が多くて、とシンは内心で付け足しておく。

 

 向かう場所は総合事務受付。シンは滅多によらない場所だが、行ったことがないわけではないため、案内できる。

 

 いや、そもそも、自分への伝達が織斑・千冬だけなのは、どうなのだろうか。事務所とか職員室とか行っても、すべて織斑・千冬がいるので他の職員と話をしたことがないのだが。

 

「ねえ、シンってさ。武術している人?」

 

「色々とやったことはあるけど、武術らしい武術はやったことないかな?」

 

「そうなんだ」

 

 鈴音からの質問に曖昧に答えておく。一応、武術は教えられたことはあるのだがすべて型から離れて我流になってしまい、邪道に近い形で覚えているものばかりなので。

 

 飛天御剣流はほぼ使える、クルダ流は表も裏もできる、陸奥や不破は何とか形にはなったが、アレンジしてしまったからな。

 

 今まで教え込まれた流儀を思い出しながら、シンは後ろの鈴音が遅れないようなペースで前を歩く。

 

「体がブレないって凄いなぁって思って」

 

「そうなのか? 俺の知り合いには、砲弾が飛んできてもまったく微動だにしない人ばかりだぞ」

 

「なにその人外」

 

「普通の人達だって」

 

「砲弾ねぇ、嘘じゃないわよね?」

 

「こんなことで嘘ついてどうするんだよ? あ、あった」

 

 話をしている間に到着。指先で示してやると、『そこだったんだ』と告げた彼女が横を通り過ぎていく。

 

「ありがと、ああ、そうそう、私のことは『リン』でいいから」

 

「なら、俺もシンでいい・・・・・ってさっき、そう呼んでたな」

 

「あ、ごめん、気にした?」

 

「いいや、そっちで呼んでくれたほうが、俺も気安くできるからな。堅苦しいの苦手なんだよ」

 

「私もよ。じゃ、ありがとね」

 

 そう言って立ち去る彼女は、小柄ながらきちんとした礼儀を身につけた女性に見えた。

 

「見かけによらないって、本当だよな」

 

 幼い印象と動きに、実年齢より年下に見えるような気がしたのだが。まだまだ自分は修行が足りないらしい。第一印象で相手を決定づける怖さを知っているのに、その癖が抜けきらないとは。

 

 けれど、だ。シャルロットやセシリアの時は、第一印象で決めなかったのにどうしてなのだろう。

 

「あ、雪菜さんとユイさんの影響かな?」

 

 師匠の奥様二人、見事に『中学生ですか』と声をかけられる成人女性二人を思い浮かべ、直後に寒気を感じた。

 

 『次にあったら、殴ります』、『久しぶりに一戦、やりませんか?』と笑顔で語る二人が浮かんできたから。

 

『骨は拾ってあげるよ、シン』

 

「不吉なこと言うなよ、ティス」

 

 隣で数珠を持っている相棒に、シンは怒りのあまり笑ってしまったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『フェネクス』は、未だ現れず。射撃武器の扱いは毎日の訓練で向上させてはいるが、問題はすべて解決できていない。

 

 まず最初に、デスティニーの射撃武器のこと。

 

 大まかにわけてデスティ二―に搭載されている射撃武器は、三つ。

 

 背中に背負い式の大型のキャノン砲。翼の内側に搭載されたそれは、砲身を『ロジカリウム鉄鋼』を使用したもので、見た目は完全水晶といった合金で作られている。

 

 砲身基部で発生させたエネルギーを砲身内部で乱反射させることで、砲身を変形させることなく拡散・収束モードの使い分けが可能。さらに、砲身すべての何処からでも放出可能なので、近接戦闘でも使い勝手がいい。

 

 けれど、だ。今回の場合、狙撃なので収束モードを使うのだが、背負い式のため狙いは体全体を使うことになる。

 

 細かい狙いがつけられるかは微妙なところだ。

 

 二つ目は左右の腰につりさげてある複合ライフル。こっちはもっと厄介な問題がある。

 

 ライフルなので光学兵器を使用できるのだが、本来の目的は機体の主機関と重力制御ユニットからのエネルギーによる『重力兵器』。

 

 腰につけたまま前に突き出して撃つことで、小型のマイクロブラックホールを打ち出すことができるのだが、はっきり言って地上で使う兵器ではない。もしアリーナで使った場合、反対側の壁を貫通、場所によっては地上にブラックホールが出現する。

 

 危なくて使えないので却下。

 

 最後は両腕の武装。こちらは『射撃もできる』というだけで、そもそもが射撃を想定していない。

 

 パルマ・フィオキーナと呼ばれているのだが、元々の想定では手のひら内部に銃口があってだったが、何処をどう間違えたのかティスが最終調整した後に使ったら、『肘から指先までを次元エネルギーが覆った』という結果を出してしまった。

 

 三次元よりも上の高次元のエネルギーのため、ビーム・シールドで防ぐことは不可能。特殊な金属や次元結晶を使ったシールドでなければ、防御ごと粉砕する容赦のない一撃。

 

 こっちは、二つ目よりももっと危ないため使用できない。

 

 となると、自分に攻撃手段がなくなる。

 

 射撃はできないんだから、半径五百メートルならば一秒以内に攻撃可能なので必要ないだろう、と武器庫に射撃武器を入れておかなかった。

 

「どうするかな?」

 

 シンは少しだけ悩みながら、軽く背伸びしてみる。

 

 現在場所はアリーナ。何時も通りのメンツの前で、織斑・一夏への特訓の真っ最中。

 

 なのだが、ちょっと色々とあって、彼はアリーナの壁に激突して気絶したまま。予想外にいい動きをしていたから、段階をすっ飛ばしてしまったのは、シンの落ち度かもしれない。

 

「起きたか?」

 

 小さな気配の揺らぎ、その後に壁から噴煙が上がって、白式を纏った彼が突っ込んでくる。

 

 右手には『雪片弐型』、すでに『零落白夜』は発動済み。

 

 これも、課題の一つか。

 

「甘い。何を発動させたまま接近してんだよ」

 

 相手の右手の甲を蹴とばし、勢いを殺したところで頭上から拳を叩きつける。

 

「自分のエネルギーも消費するんだろうが。発動はぶつける瞬間だけ、後は常に切っておけよ」

 

「解ってるよ!」

 

 気合を入れて立ち上がる彼の右手を、再びシンは蹴とばす。

 

 雪片が転がる。一夏は慌てて武器に飛び付こうとして、横あいからシンに蹴とばされて飛んで行った。

 

「あのな、武器を飛ばされてすぐに飛びつくなよ。狙ってくださいって言っているようなものだろうが」

 

「けど、俺の白式にはそれしか武器がないんだよ」

 

 地面をバウンドしつつも、何とか勢いを殺した一夏が再び向かってくる。

 

「拳と足は飾りか?」

 

 目的地はやはり雪片か。武器を取りにというよりは、何か大切なものを奪われないように動いているようだが。

 

 確か、姉が使っていた武器と同じだったか、執着があるならば読みやすい。

 

「スラスターが使えてない。体の動きが甘い。ISの訓練以外でも鍛錬してるんだよな?」

 

 一夏に問いかけつつ、箒へも視線を向ける。

 

 彼女が頷いているので剣道場には通っているようだが。

 

「やってるさ。でも、強くなった気がしないんだ」

 

「そりゃそうだろう。おまえはまだ一か月しかISに触れてないんだぞ。剣道だって鍛錬を再開したばかりだ。素人同然なんだよ」

 

「でも俺は強くなりたいんだよ!」

 

「なら色々と学べよ。IS関係の資料、読んだか? 知識は? 基礎知識は完全に把握したよな?」

 

 少し強めに質問すると、一夏は言葉に詰まったように目線を反らす。

 

「なんで覚えない? おまえはISを使っているんだぞ、知識もないまま強くなれるのか? 相手がどんな戦法でくるかなんて、解らない。なら、得られるものは知識だろうが剣道だろうが、すべて入れるべきだろうが。強くなるっていうのはそういうことだ」

 

 かつての自分も、同じことを言われたな、とシンは思い出しながら一夏に伝える。

 

 強くなりたくて鍛練ばかりしていた自分に、世界のことを教えてくれた。情報の大切な、知識が自分だけじゃなく周りも救うことに気づかせてくれた。

 

 無知に甘えるな、知らないことを理由にするな、それは自分を貶めるだけで何の力も与えない。

 

 彼はそう言って、あらゆることを教えてくれた。

 

「でも、皆は俺より強くて。今日の実習だって」

 

「ああ、あの大穴をあけたことか。良かったな」

 

「なんでだよ?!」

 

「ここは学園だ。失敗したことは恥なんかじゃない。おまえは失敗した、なら原因を探って失敗した理由を知ることができる。一つ、できないことが減っただろ? だから、良かったなって言ったんだ」

 

「けど、情けないだろ。俺は皆に比べてできないことが多いから」

 

 悔しそうな顔の一夏に、シンはかつての自分の姿を幻視しながら、あの時の師匠と同じ言葉を紡ぐ。

 

「だからなんだ? 出来ないからどうした? いいじゃないか、おまえは一番下にいる。なら後は」

 

 シンは真っ直ぐに上を指差す。遥かな天を突きさすように。

 

「上り詰めるだけだろ? 後ろには誰もいないんだ、前に皆がいるだけだ。ならばすべて追い越して、一番になればいい。簡単だろ?」

 

「・・・・そうか。そうだよな!」

 

「一夏、来いよ。俺が知っていること全部、おまえに叩きこんでやる」

 

「行くぞ! シン!!」

 

 悩んだ顔は消して、織斑・一夏は真っ直ぐに飛び込んでくる。

 

 せめて一撃、かすらせる程度でいいと決意を込めて繰り出した行動は、シンの右手の一閃で沈められた。

 

「いい覚悟だけど、今のおまえに当てられるほど弱くないからな」

 

 鳩尾に入った一撃は、絶対防御を抜いて一夏を気絶させたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリーナをかなり壊したから修理してから帰れ。

 

 千冬に言われたことを終えたシンは、道具を片付けて校舎を後にした。

 

「遅いよ、シン」

 

「お待ちしていましたわ、シンさん」

 

 シャルロットとセシリアが待っていてくれたことは知っていたが、それ以外に気配があるのは何故だろうか。

 

 一つは遠くから、生徒会長のものだろう。ティスも先ほどから、『あの時の女の人だ』と嬉しそうに見ている。

 

 もう一つは角のところに。

 

「あれ、リンか?」

 

「え、転校生?」

 

「あら、中国の代表候補の方では?」

 

 三人が気づいて角のところに来ると、彼女は俯いていた顔を上げた。

 

 泣きはらした瞳を上げた彼女に、真っ先にシンが飛びついた。

 

「何があった!?」

 

「ふぇ・・・・何でもない」

 

「なんでもないことで女が泣くかよ! 何があった?!」

 

 かなり強めに詰問すると、彼女はポツリと語り出す。

 

 一夏が、昔の約束を覚えていなかった。

 

 最初の一言が出た瞬間、シンは走り出していた。

 

「待ってよシン!」

 

「シンさん! 事情がまだ!」

 

「二人はリンを頼む! 俺はあの馬鹿を殴ってくる!!!」

 

 いい置いて最高速。彼の部屋は解っているから寮に入っていくと、周りの女生徒を置き去りにするように部屋の前に辿りついて、乱暴にノックをする。

 

「はい。て、シンか?」

 

「おまえ!!」

 

 問答無用で顔面に一撃、見事に吹き飛んだ一夏を追い掛けて、空中で腹に一撃と足を叩きこむ。

 

「グ! 何すんだよ?!」

 

「うるさい! リンを泣かせたのはお前だな!!」

 

 言われて怒りを露わにしていた一夏が、顔を歪ませて反らす。

 

「何を言った?! なんで彼女を泣かせた?!」

 

「俺はただ! 昔の約束を・・・・・・」

 

「約束だけじゃないだろ?! おまえ、何を言った?」

 

 声を潜め、拳を解いた後で、シンは一夏を睨みつける。

 

 瞬間、彼は全身が凍りついたように動かなくなった。まるで極寒の大地にいるように、全身の体温が消えていくように一夏は錯覚していた。

 

「話せよ」

 

 小さく語るシンの全身は怒りで揺らいでいるように見える。

 

 一夏は、何とか声を絞り出すようにして語る。

 

 リンとの約束、酢豚の話、その後の売り言葉に買い言葉で傷つけたこと。

 

 最後まで語り終えると、妙な寒気は消えていき、後には盛大な溜息を呆れたようなシンの目線だけが残っていた。

 

「おまえね、そんなのは一つの意味しかないだろうが」

 

「奢ってくれるって話だろ?」

 

「正気・・・だよな。まったく、本当におまえってやつは」

 

 明らかに落胆しているようなシンに、一夏はふつふつと怒りがわき上がってきた。殴られて蹴られた理由も、今の目線のことも理不尽ではないか、と。

 

「恥じない人間になりたいだったよな? 今のおまえ、最低だぞ」

 

 予想外の言葉に、一夏は頭を鈍器で殴られたような錯覚に陥った。

 

「リンがどんな気持ちでいたか。それが解らないなら、白式や千冬さんに恥じない人間になれない。後な、どんな状況でも男が女を泣かすな」

 

 次にやったら俺が殴り殺す、とシンは最後に念を押してから部屋を出ることにした。

 

 まったく馬鹿らしい。あの時のティスのデータは正確だったということか。

 

 千冬と一夏の両親は、何故にあんな朴念仁に育ったのか。答えの出ない疑問を胸の中にしまい、シンは軽く頭痛がしてくる頭を抑えた。

 

「まったく、鈍感な奴だよな」

 

『・・・・・』

 

「なんだよ、ティス? 俺は違うからな」

 

『うん、解っているよ、シン。シンはね、鈍感じゃないけど、馬鹿ではあるからね』

 

「は?」

 

 相棒に言われたことの意味が解らずに見つめるが、彼女は何も語らずに溜息をついていた。

 

 

 

 

 

 




 

 俺も人のこと言えないよな。そりゃ、好意には鈍感かもしれないけど、機微には聡いつもりなんだけどな。

 でも、前にマユに『お兄ちゃんって女の人に刺されないよね?』なんて聞かれたことあったけど。

 俺はテラさんみたいにハーレムを築くつもりなんてない。

 ないからな、ティス。

 ちょっと待て、なんだ、その書類。

 『帝国は重婚を推奨してないけど、認めている』って、どんな意味だよ。


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