――それは、廃ビルの崩落に巻き込まれた時。
――それは、マリエさんが<茨姫の指輪>の呪いに倒れた時。
――それは、バングルの呪いで正気を失ったプレイヤーと相対した時。
自分の無力さを嫌というほど思い知らされた章介は、懸命に強くなろうと努力を重ねる。けれど、焦る心は大切なことを忘れさせてしまう。それは、何よりも嬉しかった事のはずなのに。
※他サイト様にも同様の話を投稿させて頂いております。
こんな話も書いておりますので、お読み頂ければ幸いです。m(_ _)m
※他サイト様にも同様の話を投稿しております。
「えっ、俺が戦闘班長ですか?」
オフ会終了後の帰り道。二人で列車を待っていると、鞠絵さんが突然「ああ、せやった」と軽い口調で、俺に<三日月同盟>の戦闘班長になってほしいと頼んできた。
「そや。ちょおギルメンの数も増えてきたしなっ」
事も無げに鞠絵さんは言い、驚く俺を尻目に言葉を続ける。
「戦闘全般をとりまとめてほしいんよ。実質はうちのギルドのナンバースリーやな」
鞠絵さんからそんな大役を任される事は嬉しかった。けれど、どうして俺なのかと疑問に思う。飛燕やアイゼルの方が、俺よりもずっとベテランだ。
そのことを尋ねると、鞠絵さんは「んっ――。なんでやろなー」とさも楽しそうに俺の頭を撫でる。突然のその行動に俺の身体は硬直する。顔がどんどん熱を帯びていくのが分かった。
「頼むでっ、章介。おうちの子とうちのこと、しっかり守ったってな」
そう言って満面の笑顔を浮かべる鞠絵さん。俺はその笑顔に見とれて、それ以上言葉を続けることができなかった。
『「章介」と「小竜」と「マリエールの剣」』
待つ時間というものはとても長く感じる。その上に、自分にはままならない事柄を他の誰かに委ねてしまったやるせなさが加われば尚更だ。
まぶたを開くと、まだ部屋が薄暗い事に気づく。今日もあまり眠れなかったようだ。
「……あれからまだ三日か……。シロエさん達はどこまでたどり着いたんだろう……」
そう独りごちると、章介は体を起こして行動を始める。
どうせ二度寝はできそうにない。それならば体を動かしていたほうがましに思えた。
衣類を着替え、いつの間にか装着することに慣れてしまった防具を身に纏う。そして部屋を後にしようとして、ふと姿見の前で足を止めた。
「……ははっ、ひどい顔だな」
姿見に写ったあまりにも不恰好な顔を見て、章介は苦笑する。笑うしかないというのはこんな事柄を指すのだろう。
まだ早朝で人に出会うことがないのが幸いだ。なんとかみんなが起きてくる時間までには、いつもの顔に戻さないと。
静かにドアを開け、極力物音を立てないようにギルドホールから外に出る。薄暗い街通りには人気はなく、明かりも自分達のギルドホールのそれ以外はほとんど見えない。
「マリエさん……まだ起きているのか……」
ここで生活を続けている章介には、ギルドホールから漏れる明かりが誰の部屋のものかは明らかだった。
「…………」
無言で歯を噛み締めると、章介はそこから逃げるように駆けだす。
元の世界では考えられない、けれどもう当たり前となった速度。体に受ける風の抵抗にもすっかり慣れきってしまった。
アキバの街を出てすぐの森のエリアまでそんな速度で走り続けても、さしたる疲れを感じない。今の自分の身体は以前とは比較にならないほど優れている。それは明らかだ。なのに、どうして……。
エルダー・テイル――それは一つのゲームの呼称に過ぎなかった。だがそれが、ある日突然自分たちの暮らす世界の呼び名となった。
理由は至極単純である。普段通りにゲームを起動した多くの人間がその世界に閉じ込められてしまったためだ。
そんな一言ですむ理由であり、その内容はあまりにも馬鹿げている。人づてでそんな話を聞いたのならば、大半の人間がそう思うだろう。しかし、事の当事者となった人間達は、そんな現実を受け入れるしかない。
年若い、高校生の少年――章介もそれは同様だった。
だが、自分は随分と恵まれている方だったと章介は思う。この世界に閉じ込められた際に、プレイヤー達は自分がゲームで育てていたキャラクターに成り代わってしまったのだが、彼のキャラクターである「小竜」は最高レベルの力を有していた。
そして何より、彼には仲間がいた。<三日月同盟>と言う名のギルドの仲間たちの中には、ゲーム内はもとより、実際に顔を合わせた事のある友人、知人達もいた。低レベルのために何かしらの行動を起こすこともままならず、頼れる人もいないプレイヤー達に比べれば、なんとも幸せな話だ。
やがてこの世界に閉じ込められてから一週間以上過ぎ、ようやくこの非現実が現実だと受け入れ、生活の基盤を築き始めた矢先に、大きな事件が起こった。
この<アキバ>の街から遠く離れた<ススキノ>の街から、<三日月同盟>の仲間の一人――セララから救援要請があったのだ。
<ススキノ>は治安が悪く、彼女は、たちの悪いプレイヤーに目を付けられて襲われたらしい。幸い、善良なプレイヤーが彼女を保護してかくまってくれているらしいが、それもいつまで持つかわからない。
仲間の危機に、ギルドマスターのマリエは、セララを迎えに行く事を即決する。
それがどれほど困難で無謀なものかは、誰もが――決断を下したマリエ自身も分かっていた。拠点とするこの<アキバ>の街での生活さえも、何日も時間を費やし、暗中模索してようやく今の状態まで持ってこられたのだ。なのに、セララを救出するためには、四百キロを超える未開の地を踏破しなければならない。
モンスターとの戦闘を想定すれば、その距離を現状の移動手段である徒歩と馬で進む場合、片道で二十日以上かかってしまう。しかし、それでもこの日数はかなり楽観的な計算だ。地図を見ただけではわからない地理的な難所、食料の不足、自分たちの想定もしていない強力なモンスターとの遭遇、それに伴う仲間の負傷等を考慮すると、<ススキノ>に辿り着くのはいつになるのか見当がつかない。いや、いくら日数を費やしても、そもそもそれを達成できるかどうかさえ危うい。
それでも章介たちは、セララを、仲間を助けるために懸命に現状での最良のプランを考えた。だが、結局それが実行されることはなかった。
「駄目だ、こんなに大きく躱してしまっては、次の行動が遅くなる」
亜人型のモンスターが繰り出す刃物を、目にも留まらぬ速さで回避し、しかし章介は心の中で舌打ちする。
「どうしても利き腕の方に意識が行ってしまう。くそっ、なんのための双剣だ」
左右から襲いかかる同種のモンスターの攻撃を受け流し、相手の体制が崩れたところに同時に攻撃を繰り出したつもりだったが、利き腕に比べて反対の腕の攻撃が浅い。
結果的にモンスターは消滅したが、今のが高レベルのプレイヤーであれば防がれた可能性が高い。
「違う、こうじゃない。腕を伸ばしきった状態で受けてしまってどうする! 相手の武器がこんなナイフではなく戦斧だったら、腕ごと切り裂かれるぞ!」
そんな章介の自身への駄目出しは、しかし現実の彼の戦闘結果とは異なっていた。
章介に襲いかかった三匹のモンスターたちは、一分と経たない内に彼の二本の剣の露と消えた。その一方で、章介はかすり傷ひとつ負っていない。圧倒的な勝利だった。
「駄目だ、駄目だ! こんな事じゃあ……」
ついには声に出し、章介は不満を爆発させる。普段は温厚な彼にしては珍しい。
双剣を握る手が意識せずに強くなる。それは章介の忸怩たる思いが溢れでたためだ。
モンスターとの戦闘を何度も経験し、章介は何とか自身の体を動かせるようになった。だが、まだその能力を引き出せている訳ではない。それは、先日の他のプレイヤー達との戦闘で明らかとなった。
呪いのアイテムの効果で正気を失った冒険者との戦闘。それが、章介がこの世界の中で初めて経験した、プレイヤーとの、人間との戦いだった。
戦闘結果だけを見れば、章介はその冒険者の一人を仲間と協力して打ち倒した。しかしそれは、アカツキという少女が助けに入ってくれたおかげだった。もしも彼女の加勢がなければ、自分達は間違いなく死んでいた。それは何より章介自身がわかっている。
アカツキは二人の冒険者をそれぞれ一刀で打ち倒した。それは、もちろん彼女が<暗殺者>という一撃必殺に特化した大ダメージ型攻撃職である事と、相手が負傷していた事が要因だろう。だが、何より彼女の攻撃には迷いがなかった。
相手が単調な動きしかしてこないモンスターではなく、複雑な動きをする人間であることにも、そして、人を斬るという事実にもためらわなかった。
章介の今の肉体である「小竜」のレベルは九十。以前のゲームのままだと仮定するならば、強さの限界値に到達している。ならば、<盗剣士>と<暗殺者>と言ったクラスの違いはあれど、自分とアカツキさんの総合的な強さにはさしたる差はないはず。なら何故、自分はこんなにも弱いのだろう。
「……くそっ!」
剣を握りしめたまま、章介は手近の木に拳を打ち付ける。焦るばかりで気持ちだけが空回りする。
アカツキと自分との差を生んでいるもの。それは大きく分けて二つだろうと章介は考えた。その一つが、自身の能力を引出せているか否か。
「アカツキさんは、おそらく自分に何ができて何ができないかを正確に把握している。だから迷うことなく動ける」
章介は一足飛びで自身が想定した位置に着地すると、次は何も意識せずに全力で地を蹴って跳ぶ。すると、最初の跳躍の倍近くの距離を跳ぶことができた。
「……ここまで跳べたのか。なら、あの時の二人に囲まれた状況なら、後ろに跳んで仕切りなおした方がよかったのか……。いや、違う。<守護戦士>だけが相手ならそれもありだっただろうけど、相手には<盗剣士>もいたんだ。下手をすると着地を狙われるかもしれない……」
手探りで自身の身体能力の限界値を知り、それをどう活かすかを考える。この世界に閉じ込められてから模索してきたことだが、件のプレイヤーたちとの戦いを経て、章介は一層それに力を注いだ。
何かの訓練を経て得た能力であるのならば、それを得るまでの過程がある。だから、自身がどこまでのことができるのかは察しが付く。だが、こんな突然得た力の場合はそうは行かない。力や速さが上がっていても、それをどのくらいの振り幅で使用できるのかの基準が不明確なためだ。ゆえにどうしても以前の自分の身体を元にし、それにいくらかの力を加えた程度のものを尺度にしてしまう。
フィールドでの移動などで走る事は多かったために、元の自分の身体より移動速度が格段に上がっている事は分かっていても、その脚力がどれほど回避行動に影響するかは理解できていなかった。もっとも、自身が前衛を務め、後衛が敵に襲われないようにする戦い方が主だった章介は、どうしても相手の攻撃を回避することよりも受け流すことが多かったので、やむを得ない事でもあるが。
「なにか、武術でもやっておくんだったな。どう動くのが正しいのか、見当がつかない」
詮なきことだとは分かっていても、ついそんな後悔の言葉を口にし、章介は重いため息をつく。
先程のモンスターとの戦いで自分自身が思った改善点も、実戦において肌で感じた事とはいえ、所詮は素人の考えだ。的はずれな可能性が高い。だが、そんな不確かなことでも自分なりに考えて強さにしていくしかないのが現状だ。
それは薄皮を少しずつ張り重ねていくような地道な作業。章介は目的のために努力を惜しむ人間ではないが、今は早急に力が必要なのだ。
「こんな事では、俺は何もできないままだ……」
この世界に閉じ込められてからというもの、章介は自身の無力さを嫌というほどわからされてきた。
――それは、廃ビルの崩落に巻き込まれた時。
自分はその事態に、皆にビルから離れるように指示をすることしかできなかった。ビルの破片の落下に巻き込まれる明日架達を助けることができなかった。そして、生き埋めになったマリエさんとヘンリエッタさん達を救うことができなかった。
直継さんがいなければ、みんな命を落としていたかもしれない。
――それは、マリエさんが<茨姫の指輪>の呪いに倒れた時。
自分にできたのは、シロエさんの指示に従って地図をもらってくることだけ。その上、何もできないことがやるせなくて、道理が通らない同行を申し出てしまい、シロエさんにギルドの体面よりもマリエさんの身を最優先に考えるようにとたしなめられた。
――それは、バングルの呪いで正気を失ったプレイヤーと相対した時。
<三日月同盟>の戦闘班長であるにもかかわらず、手負いの相手に勝利することができなかった。アカツキさんのようにはできなかった。躊躇した。人を斬るということを。自分が守らなければいけないもののためにと、そう理由を付けなければ相手の命を奪う覚悟ができなかった。
「……違う。俺は……今でも……」
自分の攻撃で相手の命を奪う。それが相手を殺すということ。それはモンスターが相手でも人間が相手でも変わらない。だが、どうしても人を殺すことを、傷つけることを嫌悪してしまう。ためらってしまう。
そしてそれこそが、アカツキさんと自分とのもう一つの差なのだと章介は思う。
あの時。仲間と二人で初めて人を殺めた際に、その死体が消えて光となって飛んでいくところを目の当たりにした。そしてアカツキさんから、死亡したプレイヤーはゲームと同じように大神殿で復活することを聞いた。
戦闘での興奮が収まり、冷静になった所でその意味を理解して、章介は安堵した。本当の意味で他者の命を奪わずに済んだことに。だが、それでも人を殺めることに対しての躊躇は無くなりそうにない。相手を殺しても問題がないと割り切ることができない。
それは弱さだと章介は思っている。
最近、PKが流行りだしたという噂がある。PKとはプレイヤーキルもしくはプレイヤーキラーの略称だ。他のプレイヤー達を襲い、その生命を奪うことで相手の所持金全てとアイテムの半分を奪う行為、またはその行為を行う人物を指す。
その方が地道に探索を行うよりも効率がいいと考える輩が、そんな傍若無人な行為を繰り返しているらしい。
戦闘禁止区域であるこの街を離れて依頼をこなす自分たちも、いつそれに巻き込まれるかわからない。そんな時に相手を殺すことをためらっていたら自分が殺されるだけだ。それは分かる。けれど……。
「……俺は、逃げたのかな」
件のセララの救出行は、最終的にはシロエさんの提案を受けて、彼とその仲間たちに委ねられることになった。悔しさがなかったといえば嘘になるが、それは仕方がないことだったとも思う。けれど、自分は何故あの時、シロエさんに同行することを申し出なかったのだろうか?
マリエさん達を守るために残った? それが理由の一つなのは間違いない。だが、本当にそれだけだったのか? 俺はどこかで喜んでいたのではないだろうか? 悪質なプレイヤー達と戦わずに済むことに。この手を汚さずに済むことに……。
負の思考は連鎖して心を侵食していく。
だが、不意に耳に入ってきた異音に気づき、章介はその考えを中断して後方に跳んだ。次の瞬間、先程まで自分が居た地面に矢が突き刺さる。この近辺に弓矢を使うモンスターはいないはずだ。なら、これは……。
「くっ、噂のPKか!」
それを確認すると、章介は着地と同時に武器を手にして木々の多い森の奥に逃げ込む。木々を障害物とし、弓の命中確率を低くするためだ。
「迂闊だった。こんな街の近くの森にまでPKが来るとは……」
PKは、街の入口から少しだけ距離があり、そしてある程度開けた地点で行われる事が多いと聞いていた。街に逃げこまれる可能性が高く、索敵が難しいこの森の中で仕掛けて来る輩がいるとは思わなかった。
「足音からすると、相手は……一人? それとも魔法で足音を消して近づいて来ているのか? いや、こんな速度で魔法職が動けるはずはない……」
戦闘時や感情が高ぶると、章介の身体――小竜の頭には獣の耳が現れる。それは狼牙族という種族の特徴で、その状態だと普段以上に聴覚が鋭くなる。そしてその聴覚が捉えた足音は一人分しか聞こえない。十中八九、相手は一人だ。
もしもそれが事実ならば、余程の事態が起こらない限りは章介が逃げ切ることは容易い。この辺りは訓練のためによく足を運んでいる場所だ。地の利はこちらにあるだろう。このままある程度森の奥まで相手を引きつけて、踵を返して木々を盾に街まで逃げ込めばいいだけの話だ。
森が切れたエリアで攻撃されるだろうが、距離を離してからの弓の一撃程度ならば、被弾しても十分耐えることができるだろう。
「だけど、相手が一人ならば……」
走り続ける章介の身体から何かが立ち上る。それは、小竜が臨戦体制になった際に発生する「オーラ」と呼ばれるもの。逃げるのをやめ、章介は自分を追ってくる相手を迎撃することを選んだ。
自身の足元を狙う矢を回避し、それと同時におおよその相手の位置に目星をつけると、章介は反転して木々に身を隠しながら、できうる限りの速度で今までとは逆に相手との間合いを詰めて行く。突然の動きに動揺したのか、慌てて間合いを離そうとする何者かの姿がかすかに見えた。
弓をメインの武装としている者の最大の長所は、自身が攻撃を受けない間合いで一方的に相手を攻撃ができることにある。反面、間合いを詰められてしまった場合には、弓という武器の構造上、防御力は皆無に等しい。そのため、弓を武器にする者は自分を守る前衛がいなければその力を生かし切れない。章介が仲間の弓使いと共に戦う際に自身が前面に出るのはそのためだ。
「逃げるつもりなのか……」
相手のその行動に憤り、木々の細い枝や葉に自身の身体が微細な傷を受けることを顧みず、章介は更に加速をして相手を追いかける。
相手は街の近くのフィールドにいる自分を低レベルのプレイヤーと思って攻撃した。だからまさかこちらが反撃してくるとは思いもしなかったのだろう。弓使いが一人でPKを仕掛けてきたのが何よりもの証だ。
「……ふざけるな……。ふざけるな!」
レベルの低い、数の少ない相手を選んで襲い、食いものにするPK。突然ゲームの世界に閉じ込められてしまい、多くの人が嘆き悲しんでいるこんな時に、そんな卑劣な行いをする奴がいる。章介にはそれが許せなかった。
こんな非常事態の中で、どうしてそのような卑劣な行いをする人間が存在する。今回のセララの件もそうだ。どうしてか弱い女の子を襲おうとする奴らがいる。そして何故、そんな連中が罰せられることもなく、罪もない人達が泣かなければいけないのだろう。
自分たちの仲間が襲わそうになったことだけでなく、章介は今のこの現状全てに憤る。義憤を覚える。そして、そんな現状を作り出している輩の一人が目の前にいる。
「もう少し、もう少しだ……」
スピードはこちらのほうが上だ。相手も木々で身体を隠しながら逃げ続けているが、その距離ももう殆ど無い。このまま直進すれば、僅かだが木々が開けた場所に辿り着く。こちらも大きく踏み込んでの一撃になるだろうが、そこでならば相手に攻撃が届く。
武器を握る手に力が入る。そうだ、こんな奴らを斬ることをためらうな。アカツキさんのように、躊躇することなくこいつを……。
目的の地点に相手がたどり着いた瞬間、章介は先ほどと同じように全力で前に跳ぶ。そしてそのまま、相手の背中めがけて利き腕で突きを放った。
その一撃は相手の背中に吸い込まれるように迫ったが、狙いをつけた背中が突然視界から消えた。
それは相手がその場で跳躍して身体を僅かに捻らせたためだったが、相手に攻撃を当てることに集中して視野が狭くなっていた章介には、その事が理解できなかった。――いや、それだけではない。章介は根本的な事が理解できていなかった。
「いい加減に気づけよ、この馬鹿!」
体制が崩れた章介に放たれたのは、命を狙う一撃ではなく、そんな怒声だった。
その声に、章介は我に返る。それが自分のよく知る者の声だと分かったからだ。
「……飛燕?」
「そうだよ、俺だよ、馬鹿野郎!」
はぁはぁ、と肩で息をする、狐の耳を頭につけた目付きの悪い男。間違いなく、自分の知る人物だった。
「本気で殺すつもりかよ! 今のを喰らっていたら、ただじゃすまなかったぞ!」
非難の声を上げる飛燕に、武器を鞘に収めて「すまん」と謝りそうになったが、章介はそこではたと気づく。
「ちょっと待て! 考えてみたら、お前がまず先に矢を射掛けてきたのが原因だろうが!」
「はぁ? お前が何やら隠れて訓練しているみたいだから、ちょっとしたいたずらを仕掛けただけじゃねぇか!」
事を起こした元凶にそう居直られて、頭に血が昇った章介は、飛燕の胸ぐらを掴み上げる。
「ふざけるな! 最近PKをする奴らが出て来ていることはお前も知っているだろう! そいつらのまね事をするなんて、何を考えている!」
章介の怒りの形相に、飛燕は一瞬驚いたが、すぐにそれがため息に変わった。
「まったく、こいつは重症だな……」
「何を訳の分からないことを言っている! 質問に答え……」
章介の言葉は不意に途切れる。それは、飛燕が真顔で睨み返してきたためだった。
「その前に俺の質問に答えろよ。……章介、お前は俺をPK狙いのプレイヤーだと思ったんだよな? ならどうしてお前は俺に攻撃を仕掛けたんだ?」
飛燕のその問に、章介は言葉に詰まる。
「……相手が一人だと判断したからだ。武器も弓のようだったから、逃げるよりも倒したほうが安全だと思ったんだ……」
「あのなぁ、嘘をつくなら相手を考えろよ。まったく……」
飛燕はいつもの表情に戻り、顎を上に少し動かす。それが手を離せという意味だと気づき、章介は手を離した。
「お前の機動力なら、街まで逃げたほうが安全に決っているだろうが。それに、追ってきたのが一人なだけで、近くに敵が潜んでいる可能性が高いと、いつものお前ならそう判断したと俺は思うけどな」
「…………」
普段一緒に戦う仲間の的確な指摘に、章介は何も言い返す事ができない。たしかに足音だけで相手は一人と考えたのは軽率だった。
「それに、PKを仕掛ける奴らが、最初の攻撃に何の特技も使わない訳がねぇだろうがよ」
これも飛燕の言う通りだ。不意打ちは初撃が重要になる。その攻撃で相手の反撃する力と逃げる力を削ぐことが肝心だからだ。そんな当たり前のことにも自分は気づかなかった。あの攻撃に違和感を覚えることができなかった。
「まぁ、お前が何を思いつめているのか、色々と思い当たる事はあるが……。らしくないぜ、章介。戦闘班長がそんなだったら、他の連中も不安になっちまう。……ただでさえセララのことで、みんないっぱいいっぱいなようだからな」
飛燕の何気ないその言葉が、章介の胸を刺す。
「強くなるために訓練をしているだけなら俺は止めねぇよ。お前が強くなってくれりゃあ、後ろで矢を打つ俺が楽になるしな。ただ、さっき俺を追っかけてきたような戦い方に変えるつもりだっていうのなら、話は別だ」
飛燕の言葉に、章介は力なく頷く。
「ああ、悪かった。反省している。冷静さを欠いていた。今度はもう少し冷静に対処をして、敵を倒せるように努力する」
無力な自分自身や今のこの街の有様等への怒りにかられて、冷静さを欠いていたことは間違いない。章介がそう謝罪の言葉を口にすると、しかし何故か飛燕は頭痛をこらえるように頭を片手で抑えた。
「違ぇよ、この馬鹿章介。それが間違いだって事にどうして気が付かねぇんだ、お前は」
「どういう事だ?」
「ああっ、もう、どうしてこんな簡単なことが分からねぇんだよ! この大馬鹿!」
馬鹿を連呼されて、再び章介の頭に血が昇る。
「馬鹿馬鹿いうな、この馬鹿狐! 簡単なことなら、分かるように言え!」
「だから言っているだろうが! さっきみたいになるなって! 他のプレイヤーを安易に殺そうとする様な奴になるなってことだよ。それぐらい分かれ、馬鹿わんこ!」
飛燕はそこまで言うと、やってられるかと言わんばかりに地面に腰を下ろす。
「俺は戦闘班長だ。もしも仲間がPKに襲われた時には、そいつと戦って倒さなくちゃいけない」
「そりゃそうだよ。そのための戦闘班長だろうが」
何を当たり前のことをと言わんばかりに飛燕は言う。それが一層章介の頭に血を昇らせる。
「だったら、何も間違っていないじゃないか!」
「……間違ってるよ。結果は同じでも過程が違う。なんで相手を「倒す」ことを努力するんだよ! 確かにお前の役割は、戦闘班長として戦うことだ。その結果、相手を倒すこともあるだろうさ。でもな、さっきのお前は、戦闘から逃げる相手も追いかけて行って殺そうとする勢いだっただろうが! 相手が引くのに無理に倒そうとするなんて、そんなのお前らしくねぇよ……」
その言葉に、確かに自分らしくない行動だったかもしれないと、章介は自分の行いを振り返る。反面、だがそこは変わらなければいけない所である気がする。冷静さを欠いていた部分は大いに反省するところだが、そこを踏まえた上で、相手が人間であろうと躊躇なく倒せるようにならなければいけないと思う。
「飛燕。確かにお前の言うとおり、俺らしくないかも知れない。だけど、相手を逃してしまったらまずい場合だってあるかもしれないだろう。……誰かがそういう役回りをやらなくてはいけないのなら、戦闘班長の俺がそれをや……」
突然頭を襲った強烈な痛みに、章介の言葉は最後まで続かなかった。
「このスカポンタン。おい、章介。俺が何度もそれじゃダメだって言っているのに、お前はまだわからないのかよ!」
「いきなり人の頭を殴るな! それと、さっきから「章介」と呼ぶな! 前から何度も「小竜」と呼べと言っているだろうが!」
「いいんだよ、「章介」で! ったく、重症だとは思ったけど、ここまでとはな。マリエさんが心配していたとおりだぜ……」
飛燕のその言葉に、章介は絶句する。
「……もしかしてお前、自分が悩んでいることを隠せていたとでも思っていたのかよ?」
その反応に、飛燕は的確に章介の心を読んだ。
「お前にポーカーフェイスなんてできるわけねぇだろうが。なにかおかしいなってことくらいなら俺にだって分かっていたさ。マリエさんならなおさらだろうが。
昨日は、「最近、小竜がえらい思いつめとるようやから、力になってやってや」って言われた。そして、今日は朝っぱらから叩き起こされて、「小竜が一人で街の外に出て行ったみたいやから、いそいで追いかけてや」って頼まれた。でなきゃ、俺がこんな朝早くから起きているわけねぇだろうが」
飛燕から知らされた事柄に、章介は全身の血がサーッと引いていくような感覚を覚えた。
今より少しでも力になれるようにと、戦闘班長に推してくれた期待に応えたいと思って努力をしてきた。なのにそれが、セララと彼女を助けに向かったシロエ達のことで眠れぬ日々を過ごすマリエの更なる負担になっていた事実が、章介を打ちのめした。
「セララ達のことだけでも大変なのに、あの人はお前や他の皆のことも気にかけている。いろいろ抜けているけど、あの人のそういうところは本当にすげーと思うぜ……」
ショックのあまり飛燕の言葉に同意することもできない章介。飛燕は構わず話を続ける。
「なぁ、章介。お前がそんな風に焦って変わろうとしているのは、この間の戦闘のせいだろう?」
「……そうだ。俺は他のプレイヤーと戦って、自分に足りないものを分からされた。だから、強くならなくちゃいけないと思ったんだ」
絞りだすように章介は答える。
「それで、自分に足りないものは、相手を殺す事をためらわないことだと思ったのか?」
「……ああ。それだけじゃないが、それも必要なことだと思った」
章介の答えに「なるほどな」と相槌を打ち、飛燕は章介に尋ねる。
「なぁ、章介。人を殺すことって、良いことなのか? それとも悪いことなのか?」
飛燕の思いもかけない質問に、章介は面喰らう。
「そっ、そんなの良い事な訳がないだろうが!」
それでも何とかそう答えると、飛燕は「そうか」とまた相槌を打ち、
「じゃあ、この間の戦闘で人を斬り殺したアカツキさんは、悪い奴なのか?」
再びそう章介に問う。
「違う! アカツキさんは俺達を助けるために……。そっ、それに俺たち冒険者は死んでも大神殿で復活するらしいし……」
動揺しながらもアカツキを弁護する章介に、飛燕は気にした様子もなく「ほう」と相槌を打ち、
「復活するのなら、殺すことは悪くないんだな? それなら、PKは悪い行為じゃないことになるよな?」
更にそう尋ねてくる。
「そんなの悪いことに決まっているだろう! なんなんだ、さっきから人の揚げ足をとって! それじゃあ、お前は今の質問をされたらなんて答えるんだ! なんて答えればいいって言うんだよ!」
章介が怒声を上げると、飛燕は苦笑し、
「分からねぇよ、そんなもん。分からないから、みんな困っているんじゃねぇかよ……」
そう答えて力なく目を伏せる。
「突然こんなゲームの世界に閉じ込められちまってさ、みんな今までの常識が揺らいじまったんだよ。何を基準にしていいのか分からなくなっちまったんだ。
今までの自分とは別の身体になるは、飯を食べてもほとんどのものが湿気った煎餅みたいな味しかしないは、街の外でなら人を殺しても罰を受けねぇは……。けれどそんな状況でも生きていかなきゃならなくなっちまった」
そこまで話すと、飛燕は何故か面白くなさそうにクシャクシャと自分の髪をいじり、話を続ける。
「……この世界に閉じ込められた直後は、俺も慌てた。当たり前だろう? 突然そんなことがあって、戸惑わない方がおかしいだろうが! だから、俺は誰かと連絡を取ろうと念話のリストを探した。そして、お前やマリエさんたちがいることを知って安堵したよ。一人じゃないって、仲間がいるって思えてさ。
そして実際に他の仲間やお前と会って、話をして、姿は多少変わっていてもこいつらは俺の知っている奴らだって、お前は俺の知っている「章介」だって思えたんだよ。元の世界と変わらないものを見つけることができて、俺は、その、少しだけ嬉しかったんだ」
そう言ってそっぽを向く飛燕。それが柄にもない自身の言葉が恥ずかしかったのだと察し、章介は意識せずに笑みを浮かべる。
「……何を笑っているんだよ。まぁ、ここ最近の沈んだ顔を見せられるよりはましか」
不満そうに言うが、飛燕の口元には笑みが浮かんでいる。
「だからさ、章介。お前は「章介」のままでいなくちゃダメなんだ。何をすることが正しいのか、間違っているのか、その辺が曖昧になったこの状況で、お前がお前のままでいる事って結構重要なことなんだよ。きっとそれは、マリエさんにとっても同じだと思うぜ」
「マリエさんも……。本当にそうなのか……」
その言葉が信じ切れない章介に、飛燕は「ったく!」と舌打ちをし、
「お前が俺に嬉々として話していたじゃねぇかよ。オフ会の帰りに鞠絵さんから戦闘班長を任されたって。確かにお前のキャラの「小竜」が最高レベルだったことも理由の一つだろうさ。でもなぁ、その時の鞠絵さんは、お前に頼んだんだろう。ゲームのキャラじゃなくて、生身のお前に、「章介」に。
その任せた相手がこの非常時にも変わらずにいることを、マリエさんが嬉しく思っていないわけねぇだろう。それぐらい分かれよ、馬鹿!」
そう断定する。
「……そうかもしれない。だけど、あの時とは状況が違うだろう……。変わらなくちゃいけないと思う。俺がアカツキさんの様になれれば……」
飛燕の説得にも、章介は強くなるための方法を変えたくなかった。飛燕の言葉が届かなかったのではない。飛燕の言いたいことを章介は理解していた。それでも、「変えたくない」のだ。何故意固地になってそう思うのか。それは、章介自身にもわからない。
だが、自分自身にはわからないことでも、第三者には明らかな場合もある。
「……ああ、なるほどな。お前はアカツキさんに憧れているんだな。確かにあの時、俺たちを助けてくれたアカツキさんは格好良かったからな。そうなりたいと思ったわけだ」
飛燕の言葉に、章介は自分がどうして頑なに、躊躇せずに相手を倒せるようになろうとしていたのかを今更ながらに理解する。
そうだ、飛燕の言うとおりだ。自分はアカツキさんになりたいのだ。主のために躊躇なく相手を倒す、鋭利な剣の様な存在に。うちのギルドには戦える人間が少ない。ならば少しでも質を高めるしかない。俺が強くなって敵を打ち倒せるようになれば、マリエさんも喜んで……。
「だけど、そんな物騒な剣はマリエさんには似合わねぇよ」
「なっ……」
飛燕の思いもかけない言葉に、章介は二の句が繋げなかった。
「んっ? お前がこの間、しれっと言っていたじゃねぇか。「俺はマリエさんの剣だ」って。
だけど、平気で相手を殺す剣なんて、マリエさんには似合わない。それどころか、マリエさんを苦しめるだけだろうさ」
「マリエさんを苦しめるだって? そんな訳がないだろう!」
章介の抗議に、飛燕は深くため息をつく。
「さっきも言っただろうが。マリエさんはいつも、お前や他の皆のことを気にかけている。だから、お前がさっきみたいなことを平気でできる奴になったら、すぐに見透かされちまうぜ。そして、間違いなくマリエさんは自分を責めるさ。自分が戦闘班長を任せたせいで「章介」が変わっちまったってな」
どんな刃物よりも先鋭なその言葉は、章介の心に深く深く突き刺さる。
「なぁ、章介。今までマリエさんが、俺たちに他のプレイヤーを倒せなんて指示を出したことがあるか? 戦闘班長だから容赦なく相手を殺せなんて言ったことがあるか?」
「ある訳がないだろう! マリエさんは俺に……、俺に……」
章介はそう否定しながら、すぐには思い出せなくなってしまっていたあの時の鞠絵の言葉を懸命に思い出す。
『頼むでっ、章介。おうちの子とうちのこと、しっかり守ったってな』
……そうだ。あの時、満面の笑顔で鞠絵さんは俺に頼んだんだ。……そうだった。鞠絵さんは敵を倒して欲しいと言ったんじゃない。鞠絵さんは、「守ってほしい」と言ったんだ。ギルドの仲間たちと鞠絵さん自身を「守って」と。
「それなのに俺は、鞠絵さんを守るどころか、傷つけようとしていたのか……」
飛燕が今まで自分に言い続けてきた言葉を、章介は本当の意味で理解できた。
<三日月同盟>の戦闘班長として、これからも自分は他のプレイヤーと、人間と戦うことになるだろう。そして、結果として相手をこの手にかけることもあるだろう。だが、それは「守る」ための結果であるべきなのだと、飛燕はそう言っていたのだ。
アカツキさんはシロエさんを主として、彼のために率先して敵を打ち倒す。だが、自分はアカツキさんの様になる必要はないし、なってはいけない。何故ならば自分は「マリエさんの剣」なのだから。
「そうか……。俺は本当に簡単なことが分からなくなっていたんだな……」
守らなければいけないもののためでなければ、相手の命を奪う覚悟ができないという事を、弱さだと思っていた。でも、それは違った。真逆だった。自分は守るため以上に相手の生命を奪うことを禁忌としなければならなかったのだ。
あまりにもアカツキさんが、いや、きっと彼女だけではなく、自分にはできないことを平然と行う事ができる、シロエさんや直継さん達みんながあまりにも眩しかったのだ。だから、それに惹かれ、その懸隔に焦って自分を見失っていた。
「やれやれ、やっとわかったみたいだな、この馬鹿……」
言葉とは裏腹に、飛燕は口の端を少し上げ、笑みを浮かべる
「だけど、どうしたら良いんだろうな。強くならないといけない事は間違いないのに、俺はアカツキさん達を手本にすることもできない。まったく、困ったな」
そんなことを言いながら、章介も笑みを浮かべる。考え、努力しなければいけないことが増えたのは事実だが、その方向が決まったのであれば、後はただそこを目指せばいい。
「さぁな。だが、やってもらうぞ。「俺はマリエさんの剣だ」なんて恥ずかしいことを真顔で宣言したんだ。責任を取って頑張るんだな」
飛燕はそう言って、してやったと言わんばかりに悪戯じみた笑みを浮かべるが、章介は動じない。
「恥ずかしい事って言うのなら、今までのお前の話のほうが恥ずかしいだろうが。お前がこの世界に来た時にどんな気持ちだったかとか、明日架達に教えたら、さぞ喜んでくれるだろうな」
「なっ! やめてくれ、マジで!」
思わぬ反撃を受けて取り乱す飛燕。だが、どこか嬉しそうに思えるのは気のせいではないだろう。それだけ、自分の事を心配してくれていたのだ。
「その、ありがとう、飛燕。心配をかけてすまなかった」
「やめろよ。こんなことでいちいち礼を言うな。お前がそんなだと、朝もおちおち寝ていられないと思ったから、仕方なく柄にも無いことを言っちまっただけだ」
そう言って飛燕は章介に背を向ける。
「俺は先に帰るぞ。お前は訓練でもなんでも好きなだけしていろ!」
恥ずかしさを隠すように、怒ったような口調で言う飛燕に、章介はまた口元を緩める。
「ああ。もう少し訓練をしたら戻る」
「そうかよ。……それと、お前だけが強くなっても仕方がねぇだろう。訓練をするならするで、今度は一応俺にも声はかけろよ。気が向いたら付き合ってやるからさ」
飛燕はそんな台詞を残して、逃げるように街に向かって走って行ってしまった。
「まったく、素直じゃない奴だな。……本当にありがとうな、円」
章介は友人を本名で呼び直して、もう一度感謝の言葉を口にする。そして、おもむろに双剣を抜く。
強くなる必要がある。それは何も変わっていない。いや、先程まで自分がならなければと思っていた強さよりも、新たに自分が目指す強さを得る事の方がずっと困難なはずだ。
「ああっ、そうか……」
手にしていた双剣を見て、章介は思った。きっと自分もコレと同じようになる必要があるのだと。
闘う事ができない者が多い<三日月同盟>には、あらゆる敵と戦い打ち倒す「小竜」と言う名の強い剣が必要だ。けれど、その力の使い方を間違えず、マリエさんの望む、彼女と仲間を守ることを選び続ける、もう一本の剣も必要なのだろう。
その二本の剣があって初めて、「マリエさんの剣」にふさわしいんだ。
我ながら少し気障な言い回しだと章介自身も思ったが、その内容は間違いではないはずだ。
「それならば、俺はそうやって強くなってみせる。シロエさんにも、直継さんにも、アカツキさんにも負けないくらいに!」
もう章介に迷いはなかった。今は自負するだけだが、いつの日にかは誰からもそう呼ばれる様になってみせる。<三日月同盟>の『マリエールの剣』と。
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