「次さ、弥子先生の授業だよね」
殺せんせーによる3限目の国語の授業が終わった後、茅野が教科書をしまいながら渚に話し掛けていた。
「うん。朝のHRに4限目にします、って殺せんせーは言ってたね」
「ちょっと楽しみだなー私。実在する探偵に授業してもらえるなんて思わなかったし。しかも、超有名な探偵!」
目を輝かせながら語る茅野の言葉を聞きながら、渚はノートの下に置いた対先生用のナイフをしまいながら頷いた。
普段の授業中は隙あれば暗殺するためにこうやって対先生用の武器をどこかに隠し持っていることが多いが、弥子先生の授業の時は必要ないだろうと引き出しに入れておく。
横目で見れば他の生徒も同様に考えているのか、それぞれ隠していた武器を片付けているようであった。
「でもさ、弥子先生には悪いけど、ちょっとイメージと違ったよね」
「あーうん。それはそうかも」
「私、探偵って言えば、頭良くて、冷静で、切れ者で、帽子被ってパイプをプカーってイメージなんだけど」
「まぁ、言いたいことは分かるよ」
そう言って、渚も頭の中の探偵のイメージを浮かべる。そこには、身体は子供頭脳は大人である眼鏡を掛けた男の子の姿があった。
探偵なんて創作でしか見ない仕事なので、こうやって昔見たフィクションのキャラクターを想像するしかないのだ。茅野も恐らく渚と同じで、いつか見た海外ドラマなんかのキャラクターをイメージしているのだろう。
そして共通して言えることは、頭が良くなくては出来なさそう、ということだ。
「弥子先生って、あんまり、その」
「賢くはないだろうね」
「っ! カルマくん」
いつのまにかカルマが二人の席の近くまで来ていて、少し不愉快そうな顔をしていた。
「普通さ、あんなブービートラップに引っ掛からないよ。あんなのただの一手目であれを避けた時のための策をいくつか用意してたのに、意味なかったじゃん」
カルマがそんな顔をしてるのは、自分の策が使えなかったからか、それとも烏間先生にこっぴどく怒られたからなのかは、渚には判断がつかなかった。
ただ、機嫌があまり良くないのは確かである。
「でもさ、もしかしたらわざとちょっと駄目そうなフリをしてるのかも。ほら、この前の渚みたいに」
「いや、僕は別に駄目そうなフリをしたつもりはないんだけど」
苦笑いしながら渚が答える。
茅野が言っているのは、先日鷹岡と渚が対決した時のことだ。渚は鷹岡に指名され一対一で向き合うことになり、その時は渚が鷹岡が油断している隙をついて勝利していた。
「俺は渚君のそれを見てないから分かんないけど、多分あの人のはそんなんじゃないね。素であのざまだよ」
吐き捨てるように言った言葉に、渚は違和感を覚えた。
カルマは確かにいつも口が悪く、素行も悪い。
しかし、それは他人を怒らせたり周りを見えなくするためにやることが多く、地頭の良いカルマは、陰口なんて特に意味はなく、陰で言うくらいなら直接言えば早いということを知っている。ただ渚の前で愚痴を言うなんてことは、そうそうないのだ。
「もしかして、カルマくんあんまり弥子先生のこと好きじゃない?」
「……」
意味深に沈黙したカルマは、ただ目を伏せるだけであった。質問に答えはせずとも、いいように思ってないことは間違いないのだろう。まだここにきて2日目の弥子を嫌う理由は渚にはよく分からない。
もしかしたら弥子が教師となってここに来る前から何か因縁でもあったのか、と渚が訊ねようとした時に、チャイムが鳴る。
皆が自分の席に戻っていく途中で、教室のドアがガラリと音を立てて開き、そこから弥子が入ってきた。
皆の視線が一斉に弥子へと集まる。
「……えーっと、それじゃあ、私の授業を始めます」
少し緊張した様子で、弥子は初めての授業を行おうとしていた。
◯
教壇の上に立つと、子供達の視線が自分に集中しているのが、身に染みるほど分かった。
教室の後ろには、殺せんせーや、イリーナ、烏間もいる。彼等も弥子の最初の授業がどんなものなのか見に来てくれたのだろう。殺せんせーは見守り、イリーナは試し、烏間は心配、それぞれがそんな思惑で見ているのだということを弥子は表情で察した。
あー、えー、としどろもどろになりながら、弥子は慣れない様子を顕にする。
生徒の見上げた顔も、弥子からは良く見えた。
彼等もまた、期待していたり、興味がなかったりと、それぞれに想いを抱えているようだ。
一番後ろの席にいる、律と目が合う。律は、液晶に、先生頑張って、と文字で表示させて手を振ってくれた。
思わず、少し気が緩む。
大勢に注目される、という経験はなかった訳ではない。
だからといって、こうして何かを期待されのは、緊張しない筈もなかった。
いつかも、こうやってみんなに注目されたことがあったな、と弥子は過去を思い出す。
(あれは、いつだっけ)
弥子が、多くの人の前に立ち。
(いや、違う。無理矢理、あいつに投げ飛ばされて、舞台の上に立たされたんだ)
そう。ちょうど、弥子が話そうとしていた事件の時も。彼女は多くの注目の中、確かに自分の言葉で、犯人に想いを伝えたのだ。
ーー探偵さん。あなたにお願いしてよかったと思ってる。ほんとよ。
ーー誇っていいぞヤコ。それは貴様やあの女が持っていて……我が輩が持っていない能力だ。
(そうだ。私が初めて探偵として犯人にちゃんと向き合った時、ネウロが珍しく褒めてくれた時も、あの時だった)
弥子は、意を決して顔をあげ、生徒達をしっかりと見渡した。
「ーー私は、高校生の時に、探偵事務所を設立しました」
やっと弥子が言葉を喋りだすと、眠そうにしていた生徒も耳を傾けてくれているのが分かった。
「探偵なんて、当時は周りの人間、というかたった一人によって無理矢理やらされていて、あんまり乗り気じゃなかったんだ」
話しながらもネウロとの衝撃的な初対面を思い出し、その懐かしさに胸を少し暖かくして、そしてそれを懐かしいと思うほど年月が経ったことを意外に思いつつも、弥子は話を続けた。
「何回も辞めようと思ってたっけ。でもね。ある事件を境に、知名度が一気に上がっちゃって、そういう訳にもいかなくなっちゃった」
「……っ! その事件って、あれですよね! あの、有名な! 」
「うん、多分それ」
身を乗り出して興奮する不破に、弥子は笑って答える。不破は本当に熱心なファンなようで、大層興奮して嬉しそうにしていた。
「私は、殺せんせーみたいに頭がいい訳じゃないから、皆にちゃんとした勉強は教えられない。でも、私があの時した経験を、話すことは出来る」
「経験、ですか?」
渚が呟いた言葉に対して、そう、と弥子は頷く。
「今から話すのは、わたしが遭遇した事件の中でも、残酷で、そして悲しい事件。その人が、アリバイの中どうやって人を殺したのか。どうして、そこまでしなきゃいけなかったのか。その人にとっての殺すとは、どういうことなのか。それを皆に話したいと思う。だから、皆は私の話を聞いてどう思ったかだけを、考えてくれたらいい」
教室の雰囲気が、独特なものとなった。
これは、今までの授業とは異なるものである。ノートもペンもいらない。いや、授業として成立していないかもしれない。
勉学ではなく、この教師から学ぶのは、ひとつの事件のことなのだから。
「殺す、とは……?」
馴染みのある言葉だからか、渚はそのフレーズが気になった。
自分達は、毎日殺せんせーを暗殺しようとしている。しかし、弥子の言う殺す、という言葉の重みは、それとは比にならないものだと感じたのだ。
渚は、弥子のする話に興味を持った。暗殺をしようとする自分達は、ただナイフを殺せんせーに突き刺すだけではなくて、その意味を知る必要があるのかもしれないと、思ってしまったのだ。
「それじゃあ、授業を始めます。人間が自分の理性と欲望の中で作り出した『謎』を解いてきた私が最初にする話は、とある有名歌手の話」
◯
「イリーナ、どう思った」
弥子の授業が終わった後、簡素な机がたった四つ向き合って置かれただけの教員室で、烏間はイリーナに声を掛けた。
今はちょうど昼休み。弥子の机もあるが、一瞬で防衛省から支給された弁当を食べ尽くし、これだけではとても足りないと言い放ちダッシュで本校舎の食堂まで駆けていったため、この部屋にはいない。
その後本校舎の食堂のスタッフがどんなに混雑した昼時よりも忙しくなることはまだ誰も知らない。
「どう思ったって何!? 烏間もしかしてあーいう貧弱体型がタイプ!? だから私に靡かない訳!?」
「違う! さっきの彼女の授業のことだ!」
胸を強調しながら詰め寄ってくるイリーナを手で払いのけて、烏間はもう一度同じ質問をした。
「桂木先生の授業、お前にはどう映った」
「……ふん。あんなの、小娘が自分の功績をただ得意げに語ってるだけじゃない」
「本当にそう見えたか?」
「……嘘よ。あの話自体は、少し怪しいところもあったわ。特に、アリバイの解き方なんて、ちょっと雑な説明だったしね。ただ、動機を話すところだけは、気持ちが籠ってた。彼女、見た目よりも修羅場をくぐって来たってのはよく分かった」
烏間はイリーナに同意するように頷いた。
「あれは、死をちゃんと捉えられている眼よ。抽象的でなく、自分で他人の死を間近にして、尚且つ、自分の中で答えを持っていないと出来ない眼。烏間側の人間だと思ったけど、どっちかといえばこっち側かもね」
見た目はそうは見えないけど、と付け加えて、イリーナは自分の席に座る。
烏間は、校舎の外に目をやりながら、先程の弥子の話をもう一度反芻させていた。
イリーナの言う通り、烏間も弥子の評価を改めた。最初はただの探偵業務に就く一般人だと思っていたし、この場に来てからの彼女を見てもとても特別な人間だとは思わなかった。
しかし、彼女の話す言葉を聞いていると、確かに弥子は探偵として多くの事件を目の前にした人間で、その在り方と価値観は、彼女にしかないものだと実感することが出来た。
イリーナは、弥子は自分に近いと言ったが、烏間はそうは思わなかった。彼女は決して殺す側ではない。しかしだからと言って、やられるものでも、自分のように誰かを守るものでもない。
その間を繋ぐ、ちょうど中間の人間だと感じたのだ。
「……生徒達に彼女の話を聞かせ続けていて、いいのだろうか」
烏間は、まだはやい、と思った。
いずれ生徒達が自分で気付くことだとしても、殺す、ということについて意識を持ってしまうのはまだ時期尚早だと、そう思った。
「フッフッフ。いいんですよ、烏間先生」
見ていた校舎の窓から、見慣れた黄色の球体が、突然にゅるりと顔を出した。
そのまま、その生物は教員室に入り込み、服についた汚れを自分の触手で振り払う。
「彼女ほど、それを生徒に教えられる教師は居ないでしょう。彼女が話すことは、きっとどれも人生を生きていくのに役に立ちます。殺人ほどの事件はなくとも、誰かの悪意は常に生きていく上で降りかかる。勿論、自分の悪意もです。それを他人がどうやって形にしてしまうのか。何を我慢しなければいけないのか。それを知ることは、とても大事なことなのです」
「違う。俺が言いたいのは、あの子達の持つナイフに、罪悪感がのしかからないのかが、心配なんだ」
殺すということを意識してしまうと、きっと彼等の刃は鈍る。日常的に暗殺の訓練を行なっているとはいえ、彼等はまだ子供なのだ。
烏間が見ても分かる通り、この教師は破壊生物のくせに生徒からは好かれてしまっている。それでも、暗殺者とターゲットという関係を忘れていないから、彼等は全力でぶつかっていけるのだ。
だが、彼女の話で、彼等がこの生物への見方を変えてしまったら?
恩人の教師を想うかのような気持ちで彼を見始めてしまえば、きっと生徒はもうそのナイフを持つことが出来ないのではないだろうか。
「大丈夫です。それもいつかは、彼等自身が気付き、考えなければいけないことです。そして、その考える時のためにも、生徒達には弥子先生の授業が必要なのだと思います。ここは、暗殺教室なのですから。生死を学ぶのもまた、この教室ならではなのです」
殺せんせーは、そう言って、怪しげな笑みを浮かべた。イリーナも何か思うことがあるのか、考えるように机に肘をつけている。
彼女が来ることで、この教室は変わるのだろうか。烏間はそう思いながら、ただ窓の外を見続けた。
◯
そのすぐ後に、理事長から烏間宛に電話が来た。
理事長曰く、「君達が雇ったあの探偵が、生徒の分が無くなるほど食堂で食事をし続けている。この分だと学校運営のために新たな食材費が必要なので、勿論それは君達が支払うのだろうね」という内容だった。
只でさえ学校に多額の黙認費を払ってる上、そんなものまで請求させるようになってしまうのか、と、烏間は独り頭を抱えた。